最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

8/12/2013

尖閣諸島問題をフツーに理解するための簡単な領土問題・入門編


意外に思われる方は多いだろうが、今や尖閣諸島は日本の政治が抱える最大の問題になってしまっている。

そんな馬鹿な、領土とはいえ無人島の領有権が国全体の命運を左右するなんて、しかも日本が実効支配している領土じゃないか、なんの問題もないはずだ、と言われれば、まったくその通りだ(いや誰でもいいから、こういう当たり前の常識を、ぜひ安倍晋三サンに教えてあげて下さい)。

だいたい我々国民だって、そりゃ「尖閣諸島問題に関心があるか?」と訊ねられれば、「まったく興味はありません」と答えるのもかっこうがつかないから「ある」とは答えるのだろうが、実際にこの問題をそんなに深刻に考えて、日々思い悩み、あの島々の行く末や日本の命運を危惧したりなんて、まったくやっていない。

原発の方がまだ気になるだろうし、景気が少しはよくならないとねえ、給料は上がらないものだろうか、円安で物価高は困るなぁ、消費税はどうなるんだろう、といった辺りが、僕たちの日々の最大の政治的関心であって、決して「尖閣諸島問題こそ今の日本の抱える最大の問題だ!」なんて考えもしないだろう。

こういっては悪いが、たかが本土から遠く離れた無人島の領有権だ。本当なら国全体を揺さぶるような話になるわけがない。

比較するのも悪いが、領土の問題ならロシアとのあいだに抱える北方領土の方が普通に考えてはるかに重要だろうに。高齢化が進んでいるとはいえ旧住民もいるし、以前には漁船の拿捕などが後を絶たなかった場所、国民の生命財産により直接影響があるはずではないか。

尖閣諸島の領有権問題は、日本においてほとんど誰の生活をも、左右することすらない。

石垣島の漁師さんだって、はるか以前から保安庁にこの近海で漁をしないよう指導されているのだし(日本が実効支配してるんだから漁くらいやらせろよ、とは思うが)、強いて言えば右翼団体がやたら来島するのが、なかなかいい観光地でもあるこの島の、賑やかしになる程度だろう。 
あと国有化は、所有者一族にはけっこうな現金収入になったり、遺産騒動の元凶になったりするのだろうが。

にも関わらず、尖閣諸島問題の帰結、これをうまく解決出来るかどうかが、日本の政権の命運を左右する大問題にまでなり、日本の外交における最大の懸案であり、経済にさえもの与える悪影響は馬鹿にならない。

いつのまにか、そんな大問題になってしまっている。これは怖いことだ。

民主党政権の崩壊と自民の政権復帰が起こったのも、実はこの問題で野田氏が首相を続けるのが困難になったからというのが真相であり(アメリカが野田を相手にせず、と日本に対する態度を硬化させた)、その野田氏の “辞任したくないから逆ギレ解散” の元凶になった、野田自身が国際問題にしてしまった日中対立は、安倍晋三氏が首相になったことでかえっって激化し、日米関係に野田政権の際以上に深刻な亀裂を入れ、日本の国際的な信用すら危ういものにしている。

日本のメディアはあたかも中国の一方的な領土的野心が、と装っているが、客観的な事実関係をみればそれは明らかに違うことは確認しなければなるまい。

まず都知事だった石原慎太郎が「東京が買う」と言い出したことが、今の尖閣諸島問題の発端だ。

菅政権の時の「船長逮捕」騒動のあと、中国側は日本にずいぶん配慮した沈静化以外に、とくになにもやっていない。 
恩家宝首相(当時)に至っては、上海万博の閉会式でわざわざ、関係が冷却化した日本の、戦後のアジア発展への貢献を語り、万博への日本の協力に感謝さえした。2011年には来日するやすぐ被災地を訪問、中国人就学生を助けて命を落とした被災者を褒め讃え、福島の風評被害払拭にも積極的だったのが恩氏だ。

しかも慎太郎の「買う」話の時点では、中国は「日本国内の経済取引に我が国がコメントするのはおかしい」としてこの動きを無視していた。国際問題になってしまったのはひとえに、野田氏が慎太郎に対抗した人気取りで「国有化」を大々的に喧伝したからだ。

この経緯は、日本でたいがいの人が誤解しているので、はっきりさせておかなければなるまい。現時点での衝突は、あくまで日本側が起こしたものでしかない。そして国際社会における決着は、既に野田政権の時点でついている。中国が野田の国連演説への反論コメントで「現在の国際的な方秩序は第二次大戦後の世界秩序に基づく」と言った、これだけでもう外交上、日本はなんの反論も出来ない。ゲームオーバーなのだ。。

歴史を遡ってこの領土問題の発端に簡単に言及しておくなら、どんな領土問題とも同様、ここには両国が主張する領有の正当性がある。

現にどちらも「自分の側が正しい」と言っているし、実際にどちらにもそれなりの正当性がある。どっちか一方が明らかに、一方的に正しければ領土紛争になんてそもそもならないわけで、尖閣諸島問題も例外ではない。


  • 日本側は、この一群の無人島は琉球王国に属し、琉球が日本に併合された後、1895年に周辺諸国が領有していないのを確認の上、領有を宣言したから日本のものだ、と言う。
  • 中国・台湾側は、これは日本が清朝から奪った、台湾などの領土の一部であり、第二次大戦の結果として中華民国ないしその主権を継承する国家に返還されるべきだった、と言う。


実はこの場合、どっちも言ってることが、ある程度までは正当である一方で、どっちも根本的な部分でおかしくもある

尖閣諸島が琉球の一部なのか台湾の一部なのか、という議論自体に、歴史的な有効性がないからだ。

西洋近代の「領有権」…いや「近代」じゃないな、大航海時代以来植民地主義の頃までの西洋人の考える「領土」「領有」の考え方を強引に、異なった文化伝統のある東アジアに当てはめていることの無理がこの対立の背景にはあって、歴史学的な見地からすればどちらも「なにおかしなこと言ってるの?」なのだ。

東アジア文化圏ではもう数千年くらいの歴史のなかで、人が住んでいるならともかく、境界領域、それも住人がいないともなれば、双方の側がなんとなく共有状態という暗黙の了解で曖昧に済まして来たし、中華帝国にとっては「中央」こそ大事なので、こういう辺境部の国境はわざと曖昧にするのが伝統だった。

こと日本海や東シナ海は、歴史記録が残っている遥かに以前から盛んに交易が行われていた(他ならぬ日本という国の存在こそが、そのもっとも強力で動かし難い証拠だ)。そんな海域の無人島の領有権をわざわざ主張して海洋航行を妨害すること自体がおかしい(むしろ国益に反する)。

それに、だいたい日本ですら、国土の全てを一応は網羅してそれなりに精確で実用性のある地図が作られたのは江戸時代になってやっとだし、その江戸時代においても辺境部、たとえば北海道が日本領であったかどうかはかなり曖昧だ。

現代の、自動車もあり鉄道も飛行機もあり、通信手段も発達した時代の感覚で歴史的な過去を判断しようとすること自体が間違いなのは言うまでもない。中国の場合、北京とか南京とか長安(西安)から遥か離れた辺境の帰属問題はそんなに重要視されるわけもなく、その中央で作られる正史で無視されていたり不正確さがあったとて、それを領有権をめぐる論争で持ち出すなぞ馬鹿げた倒錯でしかない。

極端は話、歴史上の中華帝国においては、要は中央で編纂される公式歴史記録である正史に、それを読んでいる限りでは筋が通っているようにみえる記述が出来ればよかったわけで、現実にその土地がどうこう、ということはかなり安易に、曖昧さで済まして来た。

有名なところでは、これは無人ですらない、ずっと人が住み続け、交通の要衝、文化の揺籃であり続けるチベットの帰属がある。 
まず中華帝国の中央で書かれた正史には記述がほとんどないが、今の青海省や四川省がチベットの勢力圏だった時代もあった(今のダライ・ラマも、生地は青海省のアムド地方)。中国とチベットの境界は常に曖昧だったし、双方が暗黙の了解でそれを是認して来た。 
唐代に中国とチベットが政略結婚で友好関係になった時にはすでに、国境はわざと曖昧のまま済まされていた。後にチベットはモンゴル帝国の一部となり、元代には、モンゴル皇帝一族の政治的・軍事的な支配下の保護領的な扱いであると同時に、ダライ・ラマはモンゴル皇帝の宗教上の師であり、敬意を持ってその領土を保証し、お守りするのが弟子の役割として扱われた。 
異民族王朝の元に替わって中国を統一した漢民族王朝であることがプライドの明朝 にとってはチベットも属国にしなければ格好がつかないものの、まさかチベット侵攻なんて出来るはずもなく、北京を訪れた僧侶が「朝貢の使者」だったと正史に記述してなんとかメンツを保った。もちろん形だけの話で、チベットもことさら抗議せず黙認したし、その方が交易などに有利にもなったのだ。 
清の皇帝愛新覚羅一族はモンゴル帝国と同様に、チベット密教の信徒として、同じ関係性を継承していた。 
西洋の植民地主義がアジアに影響を及ぼすようになった時代、清朝の領土を(一応は、西洋的な「領土」の考え方で)継承した中華民国は、今のダライ・ラマの即位式にも特使を派遣しているが、中華民国側は国内の重要宗教指導者の即位に参列したというタテマエであり、チベットの方は独立国として隣国からの特使を受け入れたとみなしていた−−双方、相手が違った解釈をしていることを、百も承知の上で。 
その中華民国の版図を継承したことになる中華人民共和国の時になって、北京政府はそれまでの中華帝国のアジア的タテマエを(まあ一応は、無神論共産主義国家なんで)杓子定規の西洋風に強引に解釈し直し、チベットは国内の少数民族地域であり、そのチベット少数民族の要請によりダライ・ラマの宗教的圧制からチベット少数民族を「解放」するため、というタテマエで人民解放軍を派遣している。 
これはチベット側から見れば実際にはダライ・ラマが統治する宗教国家だった(そこで生活している人間には、どうやったってそうとしか見えない)チベットに、中国が侵略して来た、独立が奪われた、という見方になる。 
もっとも、現在のチベット亡命政府は完全にこの立場をとっているわけでもなく、中華人民共和国内の自治領としての一定の高度な自治を要求しているだけであり、北京政府はその亡命政府の態度を、「嘘だ、陰謀だ」と決めつけ続けている(そう言わないと対立点がなくなってしまうから?)のが現状だ。  
本音のレベルでは、北京政府にとってはダライ・ラマをずっと敵視して来た惰性を変えるのがまず大変(しかも言ってることがダライ・ラマ側に明らかな道徳的正当性あるので、ますます癪に障る)、その上ダライ・ラマが唱えるエコロジカルで平和主義で民主的なチベット自治圏なんて作ってしまうと、早晩中国の他の地域全体でも普通選挙はやらなきゃいけなくなるだろうし、チベットの資源開発はダライ・ラマの言うように環境保護と民族の精神的・文化的な伝統を最優先するのでは当然ブレーキがかかるし…と、どれをとってもあまり偉そうに威張れない様々な理由で、北京はチベットの自治を認めるわけにいかないのだ

どうも今の日本人は西洋化され過ぎているのか、大航海時代にコロンブスだかヴァスコ・ダ・ガマとかがアメリカ大陸を「発見」してそこをスペイン領とかポルトガル領とかと宣言した感覚で、「無人島」だった尖閣諸島や竹島の領有権問題を見ているようだ。

だが、これは日本が属する東アジア文化圏の考え方ではなかったし、また現代の、国民国家や民族自決権概念の理念的な枠内にある国際法でも、必ずしもそんな大航海時代風の「我が国が発見したから我が国のもの」「我が国が最初に領有を宣言したから我が国のもの」「我が国の公文書に真っ先に書いてあるから我が国のもの」的な発想を支持しているわけではないことは、頭の片隅にくらいは置いておいたほうがいい。

はっきり言って、そんな大航海時代風の勇ましい考え方は、現代では時代錯誤でもある。

もはや世界中の学校で、コロンブスが「アメリカを発見した」とは教えていない。ヨーロッパからでも文書記録がないだけでスカンジナビアからずっと以前にアメリカ大陸に到達していたことは確実だし、それ以前に「アメリカ先住民」と総称される諸民族がこの大陸に住み続けて来たことを無視して「発見」とは、あまりに人種差別が露骨だからだ。

まして尖閣諸島にせよ竹島にせよ、無人島といっても絶海の孤島ではなく、歴史記録が確認できるよりも以前から交易も漁業も盛んな、常に諸民族が行き来している海域にある。帰属をどこかの一国に固定すること自体が、各国の利益にとって重要な航行・交易の邪魔になってしまう。

「発見したから我が国」は歴史的な実情に明らかに反するし、「我が国の公文書に真っ先に」も無理がある。日本の大和王朝の起源すらまだ定説が確定していないほど、長い文明の歴史があって、そのかなりの部分が未解明なのが、東アジアなのだ。

では境界域の領有をわざと曖昧にして来た東アジアの伝統を、大航海時代や植民地主義の(かなり野蛮な)発想は歴史的に淘汰されているとはいえ、それでも境界線は確定するのが原則の西洋的な(融通が利かない、文化的にはあまり洗練されていない)法体系とどう折り合いをつけるのか?

この思想的・哲学的・文化的な折り合いこそが、尖閣諸島でも竹島でも、領土問題解決の本当の本質であるべき、となるのだが、現状どっちの側でも、そういう発想はとられていない。

国際司法裁判所あたりでこの折り合いを巧く付ける判断が出れば、それは人類史上画期的なことになるんだろうけど。

つまり根本的な、領土をめぐる法体系の相矛盾した考え方が潜在的に衝突しているのだから、なかなか解決がつかないだろう、ということは覚悟した上で、日中間の現状を見てみよう

1)日本側から見れば沖縄県に属することになる尖閣諸島は、1972年の沖縄の本土復帰まではアメリカの委任統治下にあった。

「だからアメリカが認めてるだろう、日本領だ!」と言い出すおバカさんが出て来る前に釘を刺しておけば、日本と中国の領有権争いに、アメリカの解釈がなんらかの権威を持つということ自体があり得ない。各国は平等であってアメリカだから偉い、なんてことはあり得ないので、そこんとこはよく考えるように。

2)同じく1972年の日中国交回復で、尖閣諸島問題は初めて日中間の懸案事項として浮上した。

それ以前に日本が正式国交を持っていた(つまり中国の正当政権と認めて来た)中華民国(台湾)政府が、この問題で日本ととくに争わなかっただろうと言ったって、これもなんの意味もない。 
どっちにしろ日本が尖閣諸島の支配権を回復するまでは交渉が始まらないし、実際に支配していたアメリカは「それは日本と話して決めてくれ」としか言えないし、サンフランシスコ講和条約を普通に解釈すればそうとしかならなず、同条約にはどこまでが台湾でどこからが沖縄か、という細部の言及はない。 
しょせんは同条約で日本が放棄する領土を決めているだけの条文なのだし。 
しかも、中華民国政府と中国の正当支配政権としての立場を争っていた中華人民共和国政府が、現時点で進行中の問題で中華民国政府と同じ考えであるべき必然も、当然ながらあるはずがない。

3)…というわけで日中国交回復交渉である。ここでの本来の論点は…
  • 尖閣諸島が日本が1895年に領有を宣言したから日本領になるのか(まさにその1895年という日付けが日本の主張のアキレス腱なのだが)?
  • 同年に日本が中国を侵略することの第一歩として台湾と一緒に尖閣諸島を分捕って行ったのか?
…となったはずだ。

いやもっと本質的な問題は、国連憲章が世界で採択され、第二次大戦後の世界の法的秩序の基礎となった時代に、実は恐らくは琉球人も中国人も利用して来た(どっちの「領土」かは曖昧なまま)であろう歴史を踏まえて、どういう結論が導き出されるのか?

これは極めて厄介な、ひとつの解釈に落としどころを見いだすのは難しい問題だ。

なお国連憲章が採択された国際秩序の理念では、国民主権、民族自決権という大きな理念の枠内で、領土のもっとも重要な定義は、「その国民を構成する民族が代々居住するか生活に利用して来たことにより、その国家の不可分の一部とみなすことが出来る土地」である。

決して「戦争で勝ったから」でも「うちが最初に見つけて領有宣言したから」でもなく、そうした歴史的な経緯は「その国民を構成する民族が代々居住するか生活に利用して来た」ことの裏付け傍証程度の価値しか持たないので念のため。

「昔から両方で使って来た無人島なんだから共同管理で」が、プラグマティズムの観点からしていちばん真っ当な落としどころなのだろう。

だが、それを法的に裏付ける理論がなかなか見つからない以上に、暴虐過ぎる戦争の記憶を抱えた両国民が国交を回復する上での、双方のタテマエもある。

戦前には日本に留学したり亡命もしていて、日本語も実は堪能で理解が深い、いわば「親日家」の周恩来と、実は一兵士として中国戦線にも行っていたりする者や戦死者の遺族も多く、日本がなにをやったかも百も承知の(「南京大虐殺」でわざわざ争うなんて馬鹿なことはしない)自民党田中派の、親分の田中角栄が行き着いた、極めてプラグマティックで賢い落としどころが「棚上げ」だったわけだ。

最近では安倍晋三首相の日本政府が「棚上げ」があったことを否定したりしているが、これはもう無茶苦茶としか言いようがなく、「棚上げで合意」が確かにあったことは角栄さんが酒の席の自慢話でよくやっていたくらいの、いわば永田町の常識でしかない。

外務省の「外交文書で確認出来ない」に至ってはお笑いにもならないわけで、こんな話は口約束で済まして公式文書には入れない、いわば「密約」の類いであるのは外交の常道だろうに。

角栄さんによれば、「これは議論を始めたら永久に決着がつかないし、本当かどうかは分からないが埋蔵資源の話まであってますますややこしい。それでは国交回復が難しい」と棚上げを提案したのは、周恩来だったらしい。 
つまり、角サン自身の自慢ではない、「周恩来とはたいした男だ」話だったので、念のため。

なによりも不思議なのは、尖閣諸島の領有権は、日本が実効支配した現状のまま「棚上げ」というのは、つまり形式上のタテマエはともかく中国は日本が引き続き尖閣諸島を領有し、実効支配していくことを認める、という意味以外のなにものでもない

「棚上げ」とは、中国は実は尖閣諸島が現状は日本領であることを、黙認しますよ、ということなのだ。日本にとって有利な話でしかない。

なのになぜ日本が否定したがるのか、さっぱり意味不明なのである。

形式上のタテマエはあるので、漁船などが(日本側から見て)領海侵犯をした場合には警告し追い出すだけで拿捕、乗員の逮捕・監禁はしないこと。上陸があった場合は逮捕の上速やかに強制送還(相手国の主権国家としての立場のタテマエ上、市民の人権が侵害されるのはさすがに引っ込みがつかなくなるので)、が暗黙の了解で、その国民に対する日本の警察権の執行は制約されることになるが、それ以外に日本にとって不利なことはなにもないのだ。

そしてたとえば温家宝が首相であった時期、中国はこの非公式な口約束を真面目過ぎるほどに配慮して守って来た

菅内閣の際の船長逮捕騒動でも、拘置期限が切れるまで、中国側は日本大使に非公式に事情説明を求めただけだ。

拘置が自動延長されたから、さすがにタテマエ上は中国領とみなしている場所で、つまり中国の立場からすれば不当に日本の官憲に逮捕監禁された自国の民間人の解放を、主権国家としては当然のタテマエ(市民の生命および財産と自由の保護は主権国家の最大の責務)として要請しただけである。

野田が「国有化」を言い出すまでは、慎太郎の「都が買う」を「日本国内の経済取引」として無視・静観を決め込んだのも先述の通りだ。

客観的に、事実関係だけを、第三者からみればこういう話にしかならないことに、我々日本人はちゃんと気づいた方がいい。

アメリカは沖縄支配時の流れから自動的に「尖閣諸島は日本領で沖縄の一部」とみなさなければならないからそれを公式見解としているだけ(そうでなければ、45年から72年まで米国は中国領を不当に占有していたことになる−あくまでテクニカルな建前論では)、だから自動的に有事の際は日米安保の適用範囲にならざるを得ないだけで、元から現政権の、現時点のアメリカの意志や国益とはまったく関係がない話で、積極的に味方してくれる理由はどこにもない。

しかも菅政権の時に日本は、前原=クリントン会談と菅=オバマ会談で、米国にはこの問題で日本を支援する気がまったくないこと、同盟の義務として軍事衝突になればアメリカに防衛義務は派生するが、だからこそ日本が軍事衝突を誘発することは許さない、と明言されている。

まだ菅政権下の、2010年の際には、日本側の動機は(相当に呆れるまでの下らない理由であるにせよ)、理解は可能だった。日本は領土問題で日中対立を演出すれば、アメリカは同盟国として日本の味方をしてくれるはずと考え、鳩山首相が辞任に追い込まれたことで冷却化した日米関係の改善を狙っていたのだろう。

だがこの思惑は大外れだったわけで、尖閣諸島で騒ぎを起こしてもアメリカが味方になるわけもないことは菅の時に分かっていたのに、野田政権になって2012年に尖閣諸島問題を日本が再燃させたのか、外交の定石で理解可能な動機はまったく見当たらないのだ。

同盟関係にすらない他の国にとって、国際社会で日本の行動は奇異に見えるだけだ。

なにしろそもそも論として、尖閣諸島は一貫して、実態として、沖縄返還以来はずっと日本領のままなのである。日本が実効支配しているし、中国が「棚上げ論」を示唆するのは、つまりその現状を現状のまま是認する、という意味にしかならないのだ。

わざわざ騒ぎにして「寝た子を起こす」意味が日本側にない、なんのメリットもない。

まったく不可解で、日本が中国と諍いを起こしたいから言いがかりをつけたのだと憶測されても、しょうがないのだ。ここはちゃんと考えないと、日本は行く末を誤り、とんだ大損をすることになりかねない。

もっと怖いのは、中国がこの日本側の不可解な動きをどう解釈しているかだ。

実を言えば菅政権の「船長」騒動の時は兎も角、今や野田政権や安倍政権がなんでこんなことをやっているのか、僕にも皆目理解が出来ない。

野田の場合、たぶん政権が不人気だったので慎太郎に対抗して強いリーダーのイメージでかっこつけたかっただけなのだろうが、それをなぜ外務省や防衛省や官邸が許したのかはさっぱり分からない

安倍晋三も、本人は単に馬鹿なだけ、彼のオトモダチ内閣のお仲間達も同様なのだろうし、極右なお仲間・有力支持者たちに焚き付けられて舞い上がっているのだろうが、しかしやはりなぜ外務省や防衛省や官邸が許したのか、自民党でももう少しは現実の政治や外交が分かっている人たちがなぜこれを許しているのかが分からない

大長老の野中さんが、永田町では議員だけでなく記者だってみんな知っている常識をあらためて再確認して落としどころを明示したのに、それまで必死で否定したがる、ますます日本を不利な立場に追い込むという、あまりに奇妙な行動に出る理由がまったく不明なのだ。

一方、中国側では習近平新主席の政権は今のところ極めて冷静に対処している。日本側からのアプローチには、アポなし会談ですら応じている

米中首脳会談でも中国は普通に主権国家の建前を繰り返しただけで、自国にはまったく他意はなく、日本が然るべき落とし前さえつけてくれれば、大人の良識で仲直りするつもり、とのアピールに余念がない。

だがふと中国側の立場の、その本音を想像すると、日本がなにをやりたいのか分からない、なのにあらゆる利害に反して中国との対立を望んでいることは、中国側から見ればもの凄く不気味なことだ

外交において、いちばん怖いし、警戒するのは、「相手がなにを考えているのかさっぱり分からない」、下手すれば「相手が道理も現実主義も通じないただのキチガイ」に見えて来た場合だ。安倍政権が今や中国にそのように見られているとしても、もはやなんの不思議もないし、それはアメリカにしても韓国にしても、それ以外の直接の利害関係にない、第三者にあたる国々も同様だ。

「日本は狂っているのではないか?」「もしかしてまた戦争をやろうとしているのではないか?」

我々日本人には、そんなことは現実的にあり得ない、気にし過ぎ、不可能なこととしか思えないのだが、しかしふと、我々自身ではない他者からどう見えるかを考えると…

「今の日本に戦争なんて出来るわけがない(そんな能力も根性もない)」ということ自体、日本人以外は誰も知らないのである。

安倍政権が衆院選、参院選で大勝したのも、別に国粋主義者の極右だから支持を集めたのではまったくなく、強いて言えば「なんとなく」、一応はアベノミクスがうまく行っているように演出されているから、とんでもない低投票率ではあるがそのなかでは一応の支持は得た程度でしかないことも、外国からみれば分からないのだ。

これはかなり怖いことだと思うのだが…。

0 件のコメント:

コメントを投稿