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6/06/2016

「日本映画」は平安時代末に発明されていた〜国宝・伴大納言絵巻

伴大納言絵巻 1160〜70年代 伝 常磐光長 出光美術館蔵 上巻

国宝「伴大納言絵詞」の上巻には詞書がない。文章で語られる物語に絵が添えられる普通の絵巻物の類型とは異なり、ストーリーが視覚情報だけで展開する。とはいえ、ただそれだけでこれが日本映画の原点になるわけではない。

絵巻物では縦書きの詞書に沿って物語が展開するので、右から左に進むことが時間の進展を表わすのが約束事だ。「伴大納言絵詞」の上巻もまた右端から見始めるようになっているが、その冒頭にまず描かれているのが右から左に進む検非違使(平安京の治安担当)の一団だ。先頭に赤い服に松明を手にする二人の人物がいて、続いて左方向に走る群衆が目に入り、その先(つまり左)に朱雀門が見えて来る。


朱雀門前では、石段によじ上ったり、門を走り抜ける人々がいる。


この視覚物語表現において、観客の目は人物のアクションに誘導されて物語の進展を追いながら、空間の展開と時間の進行を認識して行くことになる。時間と物語、アクションと空間の展開の一致こそが、映画表現の原点そのものだ。


朱雀門をくぐると、左を見て立ち尽くす群衆がいる。その目線の先(つまりより左)に黒い煙と火の粉から逃げ惑う人々がいて、さらに左ではどす黒い煙と真っ赤と朱色の炎を上げて、応天門が燃えている。

「伴大納言絵詞」はまずこの火災表現の見事さで語られる作品だが、我々の視点がこの際立ったスペクタクル表現に釘付けになることで、画面内にいる人々と同じもの、同じ光景(炎上する応天門)を我々も見て、そこからこの視点の同化の対象となった画面内の人々への興味と注視、共感が産まれて行く。

こうした観客の共感の演出で描き手の群像描写の細やかさが傑出していることも「伴大納言絵詞」の特筆すべき点だが、観客とストーリーの中にいる人物の視点を一致させることで観客の自己同化を演出すること、アクション以上に視線の運動のベクトルで観客の視点を誘導することは、映画がもっとも得意とする、まさに映画的な叙述表現だ。


炎は左から右にたなびき、そのことで朱雀門前の群衆が風下にいることが分かると同時に、我々の視線は絵巻物の約束事である右から左への移動を止めて、炎の運動に従って朱雀門の下で火事を見たり、あるいは逃げ惑っている人々を、より丁寧に見ることになる。

また炎の動きに沿って画面を右方向に見返すことで、応天門から飛んだ火の粉が朱雀門の屋根にまで到達していることに気付くかも知れない。


さらによく見れば、手前(つまり画面下)の赤い服の二人が右上を見て、朱雀門の屋根に飛んだ火の粉を指差し、この門も延焼するのではないかと心配している。我々の視点はここでも画面内に描かれた人々の視点に導かれて、そこに描かれた世界を発見していく。

これも映画の基本的な物語叙述の手法だ。

さらに右(つまり時間順では逆方向)に絵巻を遡れば、検非違使の部隊の先頭にいた二人の歩行の人物の持つ松明も右にたなびいているし、一人は後ろを振り返っている、つまり右を見ている。その前方つまり画面上では左を走る三人組の白い狩衣の下級官僚達は、強い風に烏帽子を押さえている。

いやさらに言うなら、冒頭の検非違使たちからして既に、馬が前に進むのを拒んでいるのか後ろに反り返っていたりしてるし、いちばん最初(右端)の従者につづいて目に入るに番目の青い狩衣の馬上の検非違使は後ろを振り返っていた。つまり冒頭から、左に進んで行くのと逆行し阻む力もまた、最初から画面内に描き込まれている。

大きなアクションの流れ、時間の物理的な流れ、物語の流れが並行して右から左に進んでいるのと同時に、それと反対の左から右へのアクションの逆行が、ストーリーの時間的な展開のなかに組み込まれている、このぶつかり合う時間の流れの衝突が、この絵巻をさらに “映画的” にしている。

さらに若干の歴史的な知識があれば(あるいは平安時代の観客や、現代でも京都の人なら)、この右から左への流れが平安京の都市設計の基本軸の、南から北への動線にも重なっていることに気付くだろう。朱雀門も応天門もその都市の中心軸に沿って一直線に配されていて、その北限が大内裏(皇居)、炎上する応天門の都市中心線の先/画面上の左/地図上では北には会昌門があり、この風上に当たる比較的安全な位置から火事場を見物する人たちが集まっている。人物のアクションの広がりによって空間を提示していくこともまた、映画固有の表現手段である。


会昌門前の群衆には恐れおののく顔もあれば物見高い顔もあり、混乱に乗じてスリをしていたりする者まで描き込まれているが、風上であるぶん火の粉に晒される朱雀門側よりは安全な場所にいるこの人たちは、より大内裏に近く、つまり基本より身分も高い人たちが多いはずだ。

左方向/時間上は物語展開の先/空間的には北へと、さらに目を進めると、霞に浮かび上がる清涼殿の屋根が見え、黒い衣冠束帯の上級貴族のいでたちの後ろ姿が、悠然と清涼殿の屋根越しに火事を見ている。


これら風上から火事を見ている人物たちの視線のベクトルも、絵巻の右から左への展開とは逆に、左から右へ向かっている。

会昌門前の群衆もその視線の向きは左から右で、通常の展開の方向とは逆の時間性がこの絵巻に併存もしていることが、繰り返し示唆される。

この巧みなアクションと時間と人物達の視線の配分が、物理的には動く映像が不可能だった12世紀に、時間の経過と動きを視覚的に表現することを可能にしていたのだ。

機械としての映画の発明は、19世紀末のエジソン社やリュミエール兄弟社を待たねばならなかったが、表現としての「映画」は12世紀の日本で、常磐光長と言われる絵師とその周辺集団によって発明されていた。

黒い束帯の男は、この絵巻の題名にもなっている大納言・伴善男だと解釈される。「伴大納言絵詞」は描かれた院政期12世紀後半より300年ほど前の、藤原摂関体制成立期の応天門の変事件を題材にした実話ものだ。

応天門の変の真相は歴史の闇に隠されたままだが、この絵巻の場合は中巻・下巻の詞書から、宇治拾遺物語に書かれた応天門の変の記述に寄っていると推測されている。この「原作」では伴善男が応天門に放火をさせ、その濡れ衣を左大臣・源信に着せようとして天皇に讒言したという解釈で、清和天皇は最初は伴善男の言葉を信じて源信を宮中から追放させようとするが、太政大臣・藤原良房に諌められて考えを変え、いったんは逮捕されそうになった源信は赦免される。



「伴大納言絵詞」上巻の最後は、この良房が天皇に諫言するシーンで、縁先に控える人物は、その前のシーンの後ろ姿の男と同じ黒束帯に下の赤が透けて見える衣装なので、伴善男だが盗み聞きしているという解釈と、中巻で登場する源信もやはり同じ衣装なので、藤原良房が源信を伴って来ていて、源信を縁先に控えさせているのではないか、とする解釈がある。

中巻の冒頭は、帝による赦免を源信邸に伝えにいく検非違使の使者から始まる。ここでも、冒頭から二人目の人物が後ろ(つまり右側)を振り返っていて、上巻の冒頭のモチーフが繰り返されているのも、絵巻物を時間芸術として捉えた上での映画的なテクニックだ。

その検非違使の使者2人組の動きに沿って画面を右方向に進んでいくと、邸の庭先にひれ伏して祈る源信の後ろ姿がある(上巻ラスト、御所の縁先に跪く男と同じ衣装、ほぼ同じ姿勢の角度を変えた繰り返しなので、先の人物が源信だとする解釈も可能)。

さらに右に進むと、邸のなかでは女官達が泣き叫び、さらにその奥(右)の上段では、今度は赦免の報せを知ったのだろうか、うれし涙を流す源信の妻の姿がある。

こうして源信が救われてからしばらくして、伴善男の家に仕える者の子どもが近所の男の子と喧嘩になり、子どもの喧嘩に親が出て来て、伴大納言家の家来が喧嘩相手の子供を蹴飛ばしてしまう。


こうして子どもの喧嘩が親の喧嘩になり、喧嘩相手の親は売り言葉に買い言葉で、相手が伴大納言家の家来であることから、応天門の変事件の直前にその門楼から降りて来た伴善男と家来を目撃したと言い出し、よって伴大納言こそが放火の真犯人であろうと言ってしまう。

この「真相」がまもなく都で噂になり(ここまでが中巻)、検非違使の捜査が始まり、伴善男は応天門への放火のかどで捕らえられ、島流しになる(下巻)。

以上がこの絵巻の物語の概要になるが、現代の歴史学者の多くは、藤原良房こそがこの放火事件の陰謀の裏にいて、野心家だが有能で清和天皇の信頼も厚かった伴善男を失脚させたとみなしており、藤原氏が平安朝の宮廷で権力を独占して行く過程にあったひとつの陰謀事件というのが、定説になっている。

冒頭はスピーディーな大スペクタルとして一気に展開した「伴大納言絵巻」は、上巻の最後にあたる、天皇を諌める藤原良房と、縁先でその会話を聞いているかそこに控えている黒い束帯の男のシーンから、政治陰謀劇のサスペンスというストーリーの本質を露にして行く。

大スペクタクルであった上巻で見せられたことの意味が、中巻下巻で見せられることによって変わってくる、この大きな流れを一体としてその部分部分が有機的に絡み、意味性が深化していく構成も、まことに映画的だ。

錯綜する事実関係の説明の必要もあって、中巻・下巻では「宇治拾遺物語」に基づいた詞書の、言葉による説明も挿入されるが、詞書が一切なかった上巻で決定づけられた、言語ではなく絵によって物語を展開させる傑出した叙述スタイルの延長上では、補足説明や画面で描かれない部分の情報の補完の役割しか持たない。絵は言葉で語られる物語のイラストレーションとして物語を視覚化するのではなく、詞書の方が視覚によるナラティヴを補足し展開させる、いわば視覚表現に従属した役割だ。

対照的なのがやはり平安末期の絵巻物の傑作とされる「源氏物語絵巻」(徳川美術館蔵・国宝)や、同じく常磐光長筆と言われる「信貴山縁起絵巻」(朝護孫寺蔵・国宝)で、前者は貴族の一般教養とすらなっている誰でも知っている物語の典雅で優美な挿絵集で物語のより深い読み込みを助け、後者は口答では伝わりにくい奇想天外な伝承を絵画化したものだ。どちらも物語叙述を補完するものとして高度な絵画技術や美学が駆使されている。

「伴大納言絵詞」の表現の巧みさでしばしば引き合いに出されるのが、中巻の後半、子どもの喧嘩に親がしゃしゃり出て、ものの弾みで真相が暴露されてしまう過程の、スピード感あふれる異時同図法の使い方だ。よく見るとここでも、右から左へという絵巻物の約束を踏襲しつつ、逆方向の運動のベクトルが同時に描き込まれている。


異時同図法とはひとつの画面に異なった時間を描くことで、だから同じ人物の別の時間が同じ画面に描かれ、一見同じ人物が二人、ないし三人いるように見えるかも知れない。

西洋ルネサンスで起こった絵画表現の近代化革新のひとつは「ある瞬間」を静止させて捉える物語絵画表現の新しいやり方で、もっとも有名な例がダ・ヴィンチの『最後の晩餐』だろう。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」1495-98

ダヴィンチはイエスが「このなかの誰かが私を裏切ることになる」と言った直後の一瞬の使徒たちの動揺に、翌日にはイエスが磔刑になるその前夜のドラマを凝縮させてみせ、絵画の歴史を革新した。

だがそうしたいわば「科学的・合理的」な論理の絵画への導入は、一方で絵画を静止したものの表現に限定し、そこから時間を排除することでもあった。写真の発明はこの「一瞬を捉えること」を目標とした近代科学主義的な絵画の延長上にあり、写真映像に時間表現が組み込まれるには、文字通り時間を記録する機能を伴った映画装置の発明を待たねばならなかった。

近現代的な絵画や写真の見方になじんだ我々現代人にとっては、だから日本の絵巻物や、西洋でもルネサンス期以前の宗教画などで多用されて来た異時同図法は分かりにくく見えるかも知れないが、上に抜粋を掲げた「伴大納言絵詞」中巻の、子供のけんかの場面では、青い水玉の着物の子ども、黄色い服の子ども、黒い烏帽子に髭がある肩肌脱ぎの男がそれぞれ二人ずついるように見えるのは、同じ人物がそれぞれ二度ずつ描かれているからだ。


つまり右端では黄色い服の子どもが青に白い水玉の子どもと取っ組み合っており、左から駆け寄って来る烏帽子に髭の男がその父親だ。


その下では烏帽子の男が我が子をかばって、青い水玉の子どもを蹴飛ばし、その子が大声で自分の父の見た真相を叫び出し、その左側の人たちがそれを聴いている。

先述の通り、絵巻物では右から左に時間と物語が展開するのが基本の約束事だが、「伴大納言絵詞」の作者はここであえてそのルールをねじ曲げ、左から走って来る烏帽子に髭の父親(伴善男の家来)を描くことで、右から左への一直線ではなく、半円ないし螺旋状のアクションの動線で時間と空間を展開させている。画面に躍動とリズムを作り出すことで、たかが子どもの喧嘩であることをクライマックスとして際立たせる演出力も、いかにも映画的だ。

だが「伴大納言絵詞」が真に映画的なのは、このような一場面での演出のテクニックが見事だからだけではない。絵巻の全体が右から左に時間と物語を展開させつつも、常にそれに反する逆方向のアクションによって時間を引き延ばしたり遡行させる時空間演出のせめぎあいが、まず上巻で作り出され、それが詞書ではなく絵に寄って叙述される視覚的物語体系のなかで継続して一貫していることこそが、この作品を真に【映画的】にしている。

言い換えれば、応天門炎上事件の後は、このストーリーの真の中心は、物語が時間的に先に進むことではなく、過去に起こって闇に包まれたままに真相はなんだったのかという、時間を遡り過去を見るアクション、絵巻物表現上では左に進むのではなく右を見返すことにこそある。

だからこそ、中盤のクライマックスとなる子どもの喧嘩のシーンで、父親はあえて逆方向に進んで来てアクションに介入するのだ。

真相を声高に語り始める隣人夫婦

次の場面では、子供の喧嘩の相手の親の振る舞いに怒った隣人が、かっとなって思わず周囲に大声で、応天門事件で自分が見た真相を語り始める。上の抜粋中央上やや左の青い服の男で、今度は左に向かって声を上げることで、未来に向かって語っている、つまり噂が広まり、やがて事件を次の段階に進展させていくことを予告している。


左へ左へと見て行くことで物語上の時間が先に進んでいく一方で、ストーリーの中核は過去にあり、冒頭部の「走ること」から、上巻の会昌門前と清涼殿以降は「見ること」へと、「伴大納言絵詞」の中心的アクションは巧みにズラされ、時系列と逆方向への運動へと組み込まれて行く。この喧嘩の場面ですら、真に重要なのは見た目のクライマックスである子ども喧嘩ではなく、そこで発せられる過去についての「真相」ないし噂を発する声なのだ。

また子供の喧嘩の場面と連続するこの真相暴露の場面でも、特筆すべきはそうした一連の出来事を取り巻いて見ている群衆が、上巻の火事場を囲む群衆とはまた違ったあり様で、とても生き生きと描かれていることだ。言い換えれば、我々はその人々と一緒になって、喧嘩の顛末を見ていることになる。見ることと見られることの関係性を視覚表現に組み込む自己反省効果もまた、一級の映画表現に共通するものなのは言うまでもない。

下巻 伴善男が逮捕され嘆く女たち

直接に、表面上で見せていることと、真に見せていること、アクションとそれが見られることの二重構造が意識されるとき、絵や映像の視覚表現はただ物語の視覚的説明であることを超越して、そこに20世紀以降は人類が【映画】と呼ぶ表現が現出する。12世紀の平安朝末期の日本では、「伴大納言絵詞」によってそれが7〜800年先取りされていたのだ。



見せることと見えないこと、見えていないことをこそなんらかの形で見せること、アクションとそれが見られること、見られるものとしてアクションを行うことの関係性、これらこそが映画、とりわけ日本映画の中心を形作るものであり、それがとりわけ1950年代の溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男、内田吐夢といった監督達の円熟の絶頂期に頂点を極め、黒澤明、木下恵介、さらに市川崑、増村保造ら継承されたことは、飛鳥時代かその前の聖徳太子の時代に起源を持つ日本の視覚表現の歴史が、院政期にひとつの頂点を極めたのに較べられるのかもしれない。



またそのさらに先に大島渚の映画があり、そのクライマックスは常に空間と時間の展開が一致しつつそこに至るまでの物語=過去が象徴的に凝縮される(あるいは文字通りフラッシュバックになる)道行きシーンによって形成され、それは「伴大納言絵詞」の下巻の後半、検非違使が今度は伴善男の邸宅に到着し、配流になった伴善男が牛車に乗せられ去っていくエンディングにも通じる。

伴大納言絵詞の下巻では、それまで上巻・中巻ではほとんどなかった自然の描写が際立つ。普通なら詞書が挿入されそうな場面転換・時間経過の部分に、鮮やかな紅葉や、葉の落ちた木々が描き込まれていて、応天門の変から数ヶ月経っての逮捕が秋になっている季節の変化を示しているだけでなく、貴族社会と政界から排除されていく伴家の人々や、失脚し追放される善男その人の心情を表しているとも、日本的な無常観の表現ともとれる。

日本文化における自然観といえば、『雨月物語』『近松物語』など戦後の溝口健二の時代物には木や林、森が絵画的な画面構成に丁寧に取り込まれ鮮烈な印象を残す。

溝口健二 『雨月物語』朽木屋敷

また密室劇だった『愛のコリーダ』のあと、『愛の亡霊』以降の大島渚の映画では自然描写が重要な主題的要素にすらなり、遺作となった『御法度』は魔物と化した主人公を象徴するかのような妖艶な桜の木が切り倒されて終わる。

大島渚『御法度』

「伴大納言絵詞』下巻のラストシーンで、伴善男の姿は牛車のなかで直接は描かれない。行列の先頭の、つまりこの絵巻の左端に描かれた、時系列上は最後になる登場人物は、右つまり後ろを振り返っている。



平安末期の絵巻物の最盛期のなかでも、もっとも完成度が高い二大作例が「鳥獣人物戯画」と「伴大納言絵詞」だ。前者はマンガとアニメーションの起源としてよく持ち出されるが、それと並ぶ「伴大納言絵詞」こそが、日本映画の起源である。



出光美術館(丸の内)開館50周年記念「美の祝典」で上・中・下巻を順次公開中 
6月12日(日)まで中巻 7月18日(月・祝)まで下巻
http://www.idemitsu.co.jp/museum/50th_anniversary/pc/

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