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7/24/2017

あまりに気の毒な印象操作、レッテル貼りで「岩盤規制」の巨悪な「抵抗勢力」にされてしまった獣医師会



日本全国で獣医師はだいたい3万人だそうだ。

そんな人数が全国に散らばっているのでは組織票としてたかが知れているし、人間相手の医師のような社会的ステータスや幅広い業界(たとえば製薬業界)への影響力があるとも言い難い獣医師業界が、政権が全力をあげて戦わなければならない「抵抗勢力」、総理自身が「ドリルの刃」になって打破しなければならないほど強固な「岩盤」の「既得権益」であるらしい。

国会の予算委員会閉会中審査に登場した和泉総理大臣補佐官に至っては、「獣医学部の新設は『岩盤規制』の象徴」とまで言い放った。

7月24日衆院予算委員会詳報はこちら

日本経済の足を引っ張り成長を阻害して来たのが、文科省が獣医学部の新設を52年間認めて来なかったことだったとは、国民にはまったく知らされていなかった。獣医師会はとんでもない既得権益の巨悪で、政治献金で政治を思いのままに操っているらしい。

産經新聞によれば石破前地方創生大臣も100万円の献金に毒され、獣医学部新設に関する4条件も獣医師会の「工作」に従って、新設を不可能にするために作った「岩盤規制」「既得権益」側の陰謀であるらしい。

100万円の献金ねえ…加計学園の方では二年に渡って200万のヤミ献金を下村文科大臣(当時)に行っていた。 
で、下村氏は一応“合法的“に隠蔽していたわけだが。

獣医師会は確かに、加計学園の獣医学部新設を強行しようとする安倍政権と内閣府に、学部新設自体に反対という立場だった。

だからといってその反対の理由も聞かずに「抵抗勢力」とレッテル貼り、そもそも農水省の管轄である獣医師は文科省とさして関係が深いわけでもないのに文科省と結託した「既得権益」があるかのような印象操作は、ずいぶん滑稽な話に思える。

なんでも新たな獣医師が増えると競争が激しくなり、今いる獣医師の立場が脅かされるんだか収入が減るんだか、ということが「既得権益」らしい。山本幸三・地方創生大臣に至っては、獣医師を増やして犬猫病院の価格破壊が起こることが国民の利益なので国家戦略なのだと言い張っている。

いや獣医学部を新設する理由は家畜医が不足気味で公務員獣医師のなり手が見つかりにくく、家畜伝染病のパンデミックや、それが人間に感染するかも知れない危険(人獣共通感染症)への対応が心もとないことが主たる理由ではなかったのか?

理由はコロコロ変わるのに「獣医学部を増やす」というのだけは変わらないというのは、政策としてどうにも奇妙に思えるというか、「獣医学部新設」が自己目的化しているようにしか見えない。

もっとも安倍自民党の場合、いわゆる「テロ等準備罪」もテロ防止が目的だと言ってみたり、今度はテロは対象としていないはずの国債組織犯罪防止条約締結のためだと言ってみたり、政策の理由がコロコロ変わるのはそう珍しいわけでもない。
悲願の「改憲」に至っては野党時代に自民党が憲法草案を作っていたはずだがそれもなおざりに、「改憲」ありきでどの条文をどう変えるのかはその後で決まるので第二次安倍政権発足以来、変えたい条文は緊急事態条項だったり改正要件の低減だったり、果ては教育無償化まで飛び出し、コロコロ変わり続けてきた。 
やっと出て来た論理破綻した自分の改憲案について首相は野党に向かって反対ならば代案を出せ、代わりにどの条文をどう変えるのかを言え、と言い張っている。 
だが憲法なんてものは普通なら、個別の条文で現実に合わなくなったり時代錯誤になった部分があって始めて改正するものだ。 
「世界中で憲法を改正していないのは日本だけ」と安倍首相がいかに息巻こうが、ドイツ基本法の改正なども(そもそも日本国憲法と異なり内容が細かく具体的なので)そうした大枠内での微調整に過ぎない。自民党改憲案のような「改憲」なら基本理念からして別物の新しい憲法で「改正」とは言わないし、ならば政体自体を変える無血クーデタか無血革命の意味になる。日本国憲法を「戦後レジューム(ママ)」として怨嗟する自分に正直に「現憲法を放棄して新たな憲法を制定したい」と言うべきなのだが、国民を欺くだけでなく自己欺瞞に熱中して収拾がつかなくなるのも、「改憲」から「獣医学部新設」に至るまで、安倍政権の毎度のパターンではある。


「腹心の友」の加計学園の獣医学部新設について、国会閉会中審査で自民党は、今度は私大の獣医学部を中心に定員オーバーの状態が恒常化していることをあげて、獣医学部全体の入試倍率も高いのだから、「やる気」がある学生のために増やすべきだとも言い出し始めた。

どうも「やる気」がキーワードらしい。安倍首相本人も先の国会閉会直後の講演で「二校でも三校でもやる気があるところにチャンスを」と言っていた。

もちろん大学教育の実際を考えれば、この「やる気」論のセンチメンタリズムはただのナンセンスだとすぐ気付かねばおかしい。

まず大学には、なんのために入学試験があるのか?

「やる気」だけでは獣医学教育にはついていけず、獣医師になれるだけの知識能力にも到達はできないだろう。高校までの学力のしっかりした基礎は必要だし、向き不向きはやはり厳然としてある。

だから入学試験で、学力が足りない者は排除されるのだ。

私大獣医学部の水増し定員とは、本来なら学力が足りず入れなかったはずの学生が2割前後各学校に入り込んでいることでしかない。

そんなことは本来、大学側も避けたいところなのだが、獣医教育はカネがかかる。授業料も高い(私立ならだいたい6年で1000万〜1500万)が、それでも定員どうりなら経営は苦しい。経済的に獣医学部を成り立たせるには、2割なら2割の水増しぶんの授業料を確保して倒産を避ける苦肉の策だ。

7月10日の一回目の閉会中審査(内閣委員会・文科委員会合同)の参院の方では、青山繁晴がこうした水増し定員の現実を無視した暴論で前川喜平前文科次官に詰め寄って新学部設立を正当化しようとしたが、これはあまりに卑怯なエセ議論と言わねばなるまい。前川氏はこうした現状は実は知っていても、そうした苦しい立場の私大・学校法人をいきなり責めるわけには行かなかっただろう。

それにしても、このどこに「既得権益」があるのだろう?

新学部を設立したらそうした水増し定員ぶんの学生が加計学園の今治市の獣医学部に行き、既存の私大獣医学部の収入が減るとでも言うのだろうか?だが7月24日の衆院閉会中審査で最初に質問に立ち、水増し定員についての似非議論を繰り返した自民党の小野寺元防衛大臣は、一方で全国の獣医学部全体の倍率は7〜8倍だとも言っていた。ならば定員を水増しできるだけの志望者は相変わらず確保できることになる。

既に前回に前川氏は青山繁晴の質問に応えて、水増し定員の解決ならば既存の獣医学部の定員拡大で対応した方が合理的だと述べている。つまりいわゆる石破4条件の第3にある「既存の獣医学部では対応できない」という要件は満たさないので、新学部設立の正当性はない。

それに加計学園の獣医学部についていえば、地理的な条件だけを考えても、四国の学生だってわざわざ今治市の学校を好き好んで目指すとも思えない。

今治市の二つある農協を調べても畜産は主要産品に入っておらず、つまり同市に家畜医を志望する学生がそんなにいるとは考えにくし、四国内どころか同じ愛媛県内でも畜産が盛んな地域は通学圏ではない。つまり、どうせ下宿になるならば今治市よりは、とりあえず手近なところなら大阪市で、大阪府立大を目指すのが自然だし、優秀な学生ならむろん東大や北大などを目指すだろう。

こんな現状のなかでの、1学年160人規模の獣医学部新設は、ぶっちゃけこれまでなら学力が足りず入れなかった、こう言っては悪いが落ちこぼれが全国の獣医学部で勉強ができるように…なるわけですらない。単に授業について行けない学生がどうしたことか獣医学部に入り、それが全国の私大に分散し教育水準を押し下げるか、現状もっともありそうなのは、加計学園が今治市に作る新学部にそれが集中することだ。


自民党は7月10日の内閣・文科両委員会合同審査でも、24日の予算委員会でも、愛媛県側でこの獣医学部構想に加わって来た加戸前知事を引っ張り出し、加戸氏は四国に獣医学部がなく、鳥インフルエンザや口蹄疫、狂牛病(BSE)の流行とそれが人間に感染すること(人獣共通感染症)が不安なので、国際水準の獣医学部の開設を10年前から熱望して来たという「純粋な気持ち」を訴えた。

アメリカやイギリスの例を持ち出した、いささか時代錯誤に日本人の英米コンプレックスに訴える加戸氏の感傷論はしかし、はっきり言って虚偽答弁だ。

まず文科省が公表し存在を確認している平成28年10月21日付けのメモによれば、萩生田官房副長官と文科省の常磐専門教育局長が

「愛媛県は、ハイレベルな獣医師を養成されてもうれしくない、既存の獣医師も育成してほしい、と言っている」 
「『ハイレベルな教授陣』とはどういう人がいるのか、普通の獣医師しか育成できませんでした、となると問題。特区でやるべきと納得されるような光るものでないと。できなかったではすまない」

と話し合っている。つまり加戸氏と今治市、加計学園のあいだでは鳥インフルエンザ対策だの人獣共通感染症だのを前提とした「国際水準の」獣医学部なんて想定していなかったわけだし、アメリカやイギリス並みの最先端どころか、国際基準に満たない学部を作ろうとしているのはあまりにデタラメだと、他ならぬ同じ加計学園経営の千葉科学大学の客員教授からまで批判が出ているほどであり、また実際に「ハイレベル」がなにを意味するのかも加計学園も今治市も愛媛県もよく分かっていいなかったのだ。

さらに7月24日の審議で松野文科相が存在を遅ればせながら確認した文科省の内部文書では、文科省の担当部局が加計学園に向けて事細かに少しでも申請段階で話が通るようにできるような対策を、手取り足取り指導している。

「あまり背伸びはしないように」とまで注意しているのだからほとんど笑い話のレベルだが、要するに加戸氏と今治市長と加計学園(と安倍晋三)が作ろうとしている獣医学部は、安倍政権自身が閣議決定している石破4条件の「新たな需要」などまったく満たしていない低レベルの、普通の獣医学部にしても出来が悪い方でしかないし、また加戸氏と今治市長と加計学園にはその程度のお粗末な計画しか準備できなかったのが実態なのだ。

7月10日の審議では、青山繁晴議員はこの獣医学部新設があたかも日本の安全保障上の重大問題であるかのように、鳥インフルエンザやBSEの危険性をさんざん煽って主張しているが、これもまったくのナンセンスだ。そんなに家畜感染症の危機が日本を脅かしているのなら、それこそ加計学園の新学部になぞ任せられることではない。東大農学部獣医学部や北海道大学、私大なら北里大のように、人間向けの医学や生物学の最先端研究の知見を活かせるような連携が可能で、学生も教員・研究者もトップクラスの大学を選ぶのが自然だ。

加戸氏がどうしても愛媛県でと熱望するのなら、あるいは山本幸三大臣が獣医師会を訪れ説明したような「四国での水際対策が欠けているので」という理由なら、まず第一候補は国立愛媛大学だろう。ここなら医学部も農学部も理学部もある。もっとも、現代のウィルス性感染症対策なら地方に「水際対策」を云々する事自体がナンセンスで、ウィルスのDNA情報などは中央に集約されて解析されなければ意味がない。

青山繁晴氏がいかに半可通のにわか知識で語っているのかがわかる、あまりに皮肉な、そして自民党の現状の主張とはアベコベの現実がある。他ならぬ獣医師会が、なぜ獣医学部の新設に反対したのか、その真の理由だ。

いや獣医師会が「新設に反対」というのは正確ではない。獣医師会が求めて来たのは、私大を中心に獣医学部を減らすことなのだ。

いやまったく、どこに「既得権益」の死守があるんだか…

これから減らして欲しい、と望んで来たのに「増やす」とか言われては、獣医師会が態度を硬化させるのは当然だ。それも減らす、というか獣医学部の「集約化」を獣医師会が求めて来たのは、水増し定員などが横行している私大の獣医学部では教育水準が維持できないこと、なのに最先端の(医学などとも連携した)獣医学教育が国際的なニーズになっているからだ。

日本には現在、獣医学部で教鞭を取れるレベルの研究者は760人くらいしかいないのだそうだ。

それこそ青山繁晴が言うように、家畜伝染病パンデミックや人獣共通感染症への対応が「安全保障」にも関わる問題(ちなみに人獣共通感染症のパンデミックは確かに北朝鮮云々よりも切実な安全保障問題とは言える)だというのなら、とくに優れた研究者や優秀な学生を集約化して(つまり質の低い獣医学部はこの際廃止して)国際水準の最先端の獣医学の研究教育を目指すことは必要なはずであり、つまり獣医師会の主張こそが正しい。

しかし弱小な業界団体でしかない獣医師会では、いかに政治連盟を作って麻生副総理にその名誉職的な会長になってもらい、なけなしの政治献金で与党内に発言力を確保しようと頑張ろうが(ちなみに同政治連盟の委員長である北村氏が元自民党の衆院議員であることからも分かるように、獣医師会は自民党の支持団体だ)、まったくその意見が政策に反映されることもなかったのが、実態なのだ。

 北村直人元衆院議員(獣医師会政治連盟)インタビュー

それにしても安倍政権というのはつくづく、なにかと言えば「敵」を作る印象操作アピールが好きな政権だ。

いやこの手の「劇場型」手法自体は小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」以来日本の政治風景の定番だし、最近では小池百合子東京都知事の「敵」演出の巧みさも話題だ。2009年の民主党政権交替も、官僚支配の刷新と対米従属の打破で期待を集めた結果だったし、歴史を遡ればたいがいの政治変動はこうした演出で力を得て来た。

ただし安倍首相の場合は、この手口が好きな割には(しかも小泉純一郎の官房副長官、官房長官を務めて多くを学んだはずが)、どうにも実際にはあまりにパッとしない。「こんな人達に負けるわけにはいかない」と絶叫してしまうほど、説得力もリアリティも感じさせないのが安倍流だ。

第二次政権で最初は「戦後レジューム(ママ)の打破」を掲げていたが、その「戦後レジューム」ではなく「レジーム Regime」が何のことなのかはどうにもピンと来なかった。結局、よく聞いているとどうも「日本国憲法」がそのレジーム(支配体制)であったらしいが、憲法はただの法であって疑似人格的なファンタジーでも設定しない限り「支配体制」とはとても思えないし、戦後日本のレジームなら、霞ヶ関官僚機構であり自民党がそれに当たるはずだ。

第一次政権で総理就任に至った異例の出世(その時点で安倍氏にはほとんど閣僚経験もなかった)も、北朝鮮による拉致問題で実際にはなにもやっていない安倍氏を英雄扱いしたマスコミに支えられた結果だったし、今の政権獲得に至った2012年総選挙も、野田民主党政権に対するマスコミのネガキャンの恩恵を受けた結果だし、政権に返り咲いたあとでもずいぶん報道に配慮されて失敗を隠してもらって高支持率を得て来た。

なのに、安倍政権とその周囲・支持層はマスコミが「反安倍」で安倍氏の政治を妨害しているのだと信じて疑っていないように見えるのも滑稽なら、人口比率でたった0.5%、それも本名を隠して通名で生活しなければならない人が今でも多い、弱小マイノリティでしかない在日コリアンがそうしたマスコミを支配しているのだと思い込めるのも珍妙だ。

折しも、安倍首相を熱烈に支持する層といえば、相模原市で障がい者施設が襲撃されたテロ事件(報道ではそうは言わないが、これが過激な政治的動機のテロでないのならいったいなにがテロになるのか?)からまもなく一周忌になる。この犯人の植松聖も安倍首相に共鳴していて、犯行前には大島衆院議長を通して安倍氏に自分の犯行計画を伝え賛同と支援を求める手紙まで書いていた。

以下、この事件を分析した拙文の一部を引用して、本エントリーの結論に替えようと思う。

父権制的な価値観を体現する、家父長的な意識の延長としての国家や社会的な権威権力のあり方自体は、現代の日本では欧米諸国等に較べて明らかに強力な支配原理として厳然として維持されているにも関わらず、家庭内では父親は「大人=権威」として振る舞うことがなくなった(理由はどうであれ、植松聖の両親は家を出てしまっている)。 
社会全体では、権力行使の主体であるはずの「安倍晋三様」が、あろうことか重度障害者であるとか在日コリアン、旧被差別部落出身者、性的マイノリティ、あるいは女性といった、現実の日本社会の構造のなかでは相変わらず社会的弱者の立場に置かれ、不当な差別に苦しみ続けている人々や、あるいは戦後70年間まともに尊重されたことがなく常になし崩し的に運用されて来た日本国憲法や、成熟した高度資本主義国家である日本に較べればまだまだ発展途上で日本に憧れてすらいる中国や韓国といった周辺諸国に脅かされる “弱い父” “自由を奪われた脆弱な父権” だと、植松聖であるとか自民党ネットサポーターズクラブの会員たちに思われ、だからこそ支持されている。 
彼らはその “弱い父” の「安倍晋三様」のため、“自由を奪われた父権” ができないことを彼らの代わりになったつもりで、植松聖なら大量殺人という直接の暴力を行使し、自民党ネットサポーターズクラブであればネット上ヴァーチャル空間での言葉の暴力と徒党のいじめで在日コリアンや障害者などなどをつるし上げることで、社会権威を覆す「革命」をやっているつもりになって、自己正当化できてしまえるのだ。

全文はこちら 

1 件のコメント:

  1. 感服。
    とても正確なパースペクティヴに基づいて、細部にまで目を行き届かせて描いた絵です。
    日頃感じていたものが、述べられ、構造を与えられています。

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