最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/29/2017

「情報の出所」について


森友学園疑惑を「朝日新聞の捏造だ」と言い張る捏造にしても荒唐無稽過ぎる書籍を、さすがに朝日新聞社名誉毀損で訴訟に持ち込んだそうだ。

いくらなんでも馬鹿過ぎるだろう、としか言いようがないのだが、この著者であるとかは「朝日新聞は “反日” だから」的な馬鹿丸出しな思い込みに…いや、こういう言いがかりは本当に「思い込み」なのだろうか? むしろ「噓も百回言えば本当になる」的に確信犯の虚偽フィクションを、自分達がそういうことを平気でやるのだから朝日新聞等々も(自分達と同様に)捏造をやっているに違いない、という無自覚な自己投影ロジックに陥っているのではないか? そうとでも考えた方が、まだ合理的な理解は可能なほどに荒唐無稽で馬鹿げている。

ひとつの同じ事実でも、立場や視点が異なればまったく異なって見えて来る実例は確かに、歴史上決して少なくない。言い換えれば、多くの歴史書がいわば「勝者の視点」ないし政治権力の自己正当化で書かれて来た結果、例えば新しい政権に打倒された古い政権はしばしば不当に低く評価されがちだ。我が国の歴史では最初に編纂された二つの歴史書の「古事記」と「日本書紀」のあいだで既にずいぶん人物の性格づけや動機、事件の解釈が異なっているし、こと明治以降の「皇国史観」では、例えば徳川幕府の評価はどう見ても不当に貶められているとしか思えない面も多い。

そうした偏向を防ぐためには多様な視点からの見方が必要だとは言え、それはあくまで客観的な史実に対する視点や見方の違い(さすがに「皇国史観」ともなるとその範疇を超えた捏造史観ではないか、と言えそうだが)でなければならないはずが、恣意的なつまみ食いを自分たちの都合で事実をねじ曲げて決めつけたデタラメは、さすがに度を越している。

もっとも、こと森友学園疑惑については、そもそも根本的におかしいポイントが、批判的な報道ですらしばしば避けて通られていることが、こうしたフェイクニュースのつけ込む余地を与えている面は否定できない。

つまりこの学校法人が作ろうとしていた小学校が自称「教育勅語に基づく」教育を標榜したカルト的偏向思想の刷り込みを目標としていること、そしてこの私立の学校に特別な配慮をした疑惑が持たれている安倍政権…というか安倍首相本人が、同じカルト的偏向思想を共有していること、そうした特定の価値観の刷り込み自体が教育基本法に違反していることが、なぜか遠慮がちにしか語られて来ていないのだ。

安倍政権がどうしてもそういう方向へと日本の教育に関する基本方針を変えたいのなら、それは政策と法制度の転換を通して堂々とやるべきことであり、まず国会で議論しなければならないし、憲法の改正も必要になるかも知れない。 
それを堂々とやる度胸がないからといって私立の学校法人を国有地の払い下げで優遇する、という発想自体が法治国家としておかしいのだ。

情報やニュースの受容においては、その情報の出所を考慮する必要がある、というのはメディアリテラシーの基本ではあるが、まったくこういう馬鹿単純なレッテル貼りの偏見決めつけの意味ではない。

昨今は、既存のニュースメディアは信用できず「ネットにこそ真実」と思い込む向きも多いようだが、大手の新聞やテレビ報道などの既存ニュースメディアはまだ一応は報道する根拠の裏取りチェックが義務化されていたり、記事やニュースになる前に複数の人間のチェックが入ったり、虚報が指摘され反論できなければ抗議も殺到して社の信用が失墜するだけに、まだ最低限の事実関係そのものについては誤りが比較的少ない、とみなす合理的な判断の方が、よっぽどメディアリテラシーの基本だ。

もちろん、そうした大手メディアの報道が、誤報どころか昨今ではクレーマーめいた苦情を恐れるあまりに「信頼性の高い情報源」の発表をただ垂れ流すだけの報道になりがちな問題はあって、近年の日本では特に顕著になって来てもいる。

たとえば犯罪事件を報道するのに最も無難なやり方は、警察発表をそのまま報じることで、現代の犯罪報道はどんどんその方向に振れて来ているが、これは誤報を防ぐためではない。間違いがあっても警察の責任に出来るからだ。

そうした警察情報に依拠した結果、日本の報道史上最悪の濡れ衣報道になってしまったのが松本サリン事件だが、この教訓が十分に反省されているとはとても言えない(むしろ逆)のが、日本の犯罪報道の現状だ。

熊井啓監督作品「日本の黒い夏 冤罪」2001年

こと最近の日本では警察に限らず、なぜか政府官庁が「もっとも信頼できる情報」を持っていて、公的な情報=正しい情報と思い込まれがちだが、基本的に政府というものは政府の都合や自国の国益に則したことか、政府の公的な立場に則したことしか言わないわけで、つまりは政府発表ほど政治的な恣意性で歪められた可能性が高い情報はない。

例えば南京大虐殺について「記録がない」「証拠がない」として「捏造」説を主張する者もいるが、これも完全なナンセンスだ。確かに当時の日本軍が作成した公的記録に虐殺行為は記録されていないが、これは喩えて言えば殺人犯はわざわざ自分の犯罪行為を日記に書かないか、警察にその日記を証拠として押さえられる前に破棄するに決まってるのと同じことだ。 
証拠を隠滅・隠蔽する権限がある国家政府が「証拠がない」なんて言い訳をしたとことで、真に受ける人間はよほど客観性に欠如して洗脳された状態であるか、単純によほど頭が悪過ぎる。 
同じことは森友学園疑惑で、国有地払い下げの経緯について財務省が「記録がない」と言い張って来たことで、よりせせこましく、まるで帝国ニッポンの子供じみたパロディのように繰り返されて来た。 
まして証拠隠滅を恒常的にやって来たことすら国会答弁で公言してしまったのが佐川理財局長(当時)で、しかもその答弁自体があきれ果てた虚偽だった。自動的にデータを完全消去するコンピューターのシステムなんてないし、ましてそんなものを政府機関が採用していたらそっちこそより大きな問題だ。


なのに「お国の言うことだから正しいはず」と妄信する国民相手に新聞やテレビが他国との外交の問題で外務省や官邸からの情報を垂れ流すだけでは、たとえば2周年になってその問題性がやっと白日の元に曝け出されつつある「日韓慰安婦合意」についての、日本の世論は完全に冷静で客観的な判断力を失っている。

なおこの件についての韓国外務省の調査結果は、さすがにまったく想定していなかった、とんでもない内容が含まれていた。

まさか非公開の秘密合意があって、そこで第三国での慰安婦像の設置を韓国政府が支援等しないようにと日本側が迫っていたとは。国家のやることとしてあまりにはしたない上に、慰安婦問題が日本の名誉を失墜させる倫理的な大問題であって国際社会からの批判に反論の余地がないことを実は日本政府もまた自覚しているからこそ、それをなんとか姑息に隠蔽したい下心がミエミエの要求を、それも秘密裏にやっていたとは、呆れる他はない。

しかもこの秘密合意は、たとえばアメリカ各地での慰安婦像の設置を「韓国の差し金に違いない」などと邪推している日本側の幼稚さまで曝け出してしまっている。

もちろん最近大阪市が姉妹都市提携の破棄などと喚き出したサンフランシスコ市などのアメリカの地方自治体が、他国政府の圧力などに屈するわけもなかろうに、他人様を馬鹿にするのもほどほどにして欲しい。 
日本ではいざ知らず(長崎市が原爆の爆心地にあった浦上天主堂の廃墟を撤去したことには、アメリカの圧力が疑われ続けているというか、長崎市ではそうに違いないと思っている人が多いし、「それもしょうがない」が暗黙の了解だ)、アメリカの地方自治では、そんなことは市の名誉にかけて決して許されないことだ。

ちょっと冷静に客観視すれば分かることだが、慰安婦問題は日韓の外交問題である以前にまず被害当事者と日本政府の問題であり、韓国政府は自国民の被害者を国家の責任として代弁しているに過ぎない。だいたい慰安婦制度の被害者は韓国人に限らないのに、それを2国の政府間だけで「不可逆的な最終解決」などと日本側が言っていること自体がナンセンスなのだが、この「不可逆的」は韓国側が言って来たことだったと、今回の調査で明らかになった。

考えてみたら当たり前のことだ。複数の被害国のうち韓国一国にだけ「不可逆的」を約束させることにまったく意味がないが、加害国ならば日本一国しかなく、その日本一国の反省と謝罪が「不可逆的」ならば、日本政府が「罪を認めたのだから今後は否定したり誤摩化したりしない」という意味で「不可逆的」は成立する。

つまりこれは、日本人が信じ込まされて来たのとまったく真逆の意味になるし、よく考えてみれば、そもそもそうでなければ「不可逆的」なんて文言が出て来るはずがなかった。

「真摯な反省とおわび」が「不可逆的」という韓国側の要求を日本政府が受け入れ再確認したとは、つまりこれは「蒸し返さない」なんて意味ではまったくなく、「慰安婦なんていなかった」だの「捏造だ」だの「高給取りの売春婦だ」などと日本側が今後言うことはありませんね、と確認されたのが「不可逆的」という文言だったわけだ。

同じ文言でも、どの文脈で誰が言ったかによって意味が変わるのは当たり前なのに、ところが昨今の日本では、そんな基本すら理解から抜け落ちているか、恣意的に操作されたり無視されている。日韓合意に「不可逆的」という文言が確かにあったのは事実だが、どちらが言ったかで意味は全然変わるし、現に日本国民の大多数は、真逆の意味を信じ込まされて来たのが、よく考えれば韓国が日本に要求したのであれば意味はあるが、日本が韓国に、であればそもそもなんの意味も成立しないではないか。

「それは誰が言ったのか?」「その情報は誰が流したものか?」、場合によっては情報は、事態の流れを変えたり、事件そのものを事実上起こすに等しい力を持つからこそ、権力闘争などでは巧妙な戦略性を持って使われて、いわば【武器】にもなるし、その威力の大きさ故に誤った情報が致命的な悲惨を国や社会にもたらすことも少なくない。

たとえばヴェトナム戦争でアメリカの攻勢を激化させるきっかけになったトンキン湾事件は、実は米海軍の連絡通信体系の混乱が起こっていて、実際にはなかった事件だった。

日本の歴史を遡れば、本能寺の変の後に信長の遺体が見つからなかったという情報をいち早く得た羽柴秀吉は、信長は無事だという偽情報を織田臣下の諸侯に送っていて、だから明智光秀には誰もが味方するのを躊躇し、そのクーデタは「三日天下」に終わった。

その秀吉はしかし、今度は情報不足どころかあり得ないレベルの無知無教養で朝鮮半島を侵略し明の首都北京まで武力で支配しようとして(そもそも地理的に不可能だろうに、そんなの)、この大失敗も引き金になって信望を失った豊臣政権は短命に終わった。

この大陸と日本列島の関係について、古代の天皇家は遥かに狡猾だった可能性もある。天智天皇のとき日本は白村江の戦いに惨敗して朝鮮半島での同盟国と重要な戦略物資の鉄を輸入する拠点を失った(日本は鉄鉱石を産出せず、古墳時代には砂鉄から製鉄する技術がなかったので鉄はすべて朝鮮半島からの輸入だった。よって初期ヤマト王権にとって朝鮮半島との交易は極めて重要だったのだ)。

ところがこの経緯にはどうも裏があるようなのだ。天智帝とその弟の天武天皇は白村江の大敗北を逆に誇張して利用していて、唐が日本に攻めて来るかもしれないと国内を煽ることで反抗的な豪族を押さえ込み、中央集権の律令体制の確立に利用した節があるのだ。だとすれば実に狡猾な情報戦略を天智帝は持っていたことになる。どうも帝自身はそんな侵攻がまずあり得ないことを察していたどころか、白村江の戦いを反対派の直接排除に利用した、つまり負けると分かっていて国内の厄介な勢力を送り込み、わざと戦死させた可能性すら指摘されている。

天智帝が急死するとヤマト王朝は一時は壬申の乱の大混乱に陥ったが、それに勝利し即位した天武帝とその皇后(のちの持統天皇)は国内体制の整備を進めて大宝律令を制定、そこで改めて遣唐使を送り朝貢関係を再開するが、その時にこれまでの「大王」「倭王」ではなく「日本」の「天皇」を名乗った。 
皇国史観の偏向を排除して客観的に言えば、「日本の始まり」はこの大宝律令が制定された大宝元(701)年で、建国したのは天武帝(と、それ以上に皇后のウノノサララ、つまり持統天皇)と考えた方が妥当ですらある。 
なお先に述べた「古事記」と「日本書紀」が似て非なる内容であるという問題は、この両者が「倭」ではなく「日本」と言う国家がまさに成立する前後に成立していることでその理由は説明がつく。つまり「古事記」は古代ヤマト王権的なアニミズム神聖政治的の価値観で、「日本書記」は律令という法の支配に基づいた、唐風の法制度による論理的支配の国家体制の理念で書かれたものなのだ。

一方その日本の近代の、20世紀の十五年戦争では、軍部はノモンハン事件(昭和14年・1939年)の段階ですでに、大敗北の情報を国民にどころか政府部内にも隠し続けることで権威権力を維持しようとしていて、以降この稚拙な詐欺的な情報操作を延々と続けてしまったた。この偽情報に依存した「大本営発表」の虚構体質が、結果としてどこまで壊滅的な事態を招いたのか、今さら言うまでもあるまい。

しかも虚偽情報に依存するわりには情報戦略どころか情報管理すらまったくなっていなかったのが日本軍で、日米開戦の前から機密情報は暗号をアメリカに解読されて筒抜けだったし、日本の敗戦はそうした諜報活動での敗北だけでなく、レーダー技術が遥かに劣っていた一事をとっても、命運が最初から決していた。

20世紀の日本の戦争は侵略行為の過程で非人道行為が繰り返されたという倫理的な問題で糾弾されるだけでなく、そもそも最初から勝てるわけがない戦争を情報不足と情報の恣意的な解釈で押し進めてしまった点でまず「亡国」としか言いようがない。日本の軍国主義については単に倫理的に非人道行為を反省し謝罪する責任があるだけでなく、あまりに馬鹿げた失敗を今後は繰り返さないようにしなければ、日本民族の総体には学習能力がない、ということになりかねない。

つまり対米戦は開戦前からそもそも情報戦で負けていたし、国内では歪んだ情報提供でいわば国民が「騙された」ことには、「騙された」側にも反省があってしかるべきなのに、昨今の日本の報道や世論形成ではその意識があまりに抜け落ちていて、政府などの「公的情報」に依存する傾向がむしろ強まっている。

だからこそ逆に冒頭の、朝日新聞社もさすがに呆れて名誉毀損訴訟を起こした一件のような、幼稚過ぎる荒唐無稽もまかり通ってしまうのかも知れない。

立証責任・挙証責任は疑惑を言い出した側にある、というのも、それは個人を相手にした場合(たとえば刑事裁判では、立証する責任は一方的に検察・警察側)であって、記録を作成することもできれば記録を非開示にして証拠の隠蔽も隠滅もできる権限がある国家権力側がそれを言い出すこと自体がナンセンスだ。

もしかして「事実・真実はなんなのか」ではなく、子供染みた「勝ち・負け」しか意識できないから、政府政権に向けられた疑惑に「立証責任は疑惑を言い出した側にある」などと滑稽な倒錯を言い出してしまうのかも知れない。 
それも大人の議論とか権力闘争のレベルの「勝ち」ないし「負け」ではなく、まるで小学生どうしの喧嘩で教師がどちらの側につくのかレベルの、極めて幼稚な社会観しかないとしたら、こうしたあまりに馬鹿げた滑稽も説明がつく。

むしろ記録・証拠をきちんと残し検証を可能にことは、別に近代の民主主義に限らず、国家政府がその公正な権威を維持するために必須の義務だ。

こと東アジア文明圏では、「史記」以来、ある王朝が中華帝国の正統継承者である証としてやらなければいけない事業が、正史を編纂することだった。それもその王朝の恣意的な都合ではない客観性のある歴史書を遺すという義務が課せられていたお陰で、考古学遺物しかない弥生時代の日本であるとかクメール朝成立以前のカンボジアについても、中華帝国の正史が基本的な歴史史料になっている。 
天武・持統朝で「古事記」そして「日本書紀」が編纂されたのも、古代神聖政治のアニミズムの「倭」がら文明国の「日本」へと脱皮するに当たって、中華帝国に倣った正史の編纂が必要だったからだ。

この点でも、まだ軍事機密ならともかく森友・加計疑惑はそもそも決定過程を明らかにすることが国家・国民の利益に反する機密になろうはずもなく、証拠となる文書記録を国会で開示できないだけでも政権側が完全にアウトになるのが本来の政治的な常識であり、政権に不利だから開示しないというのは、それ自体が国家権力の私物化に他ならないし、隠蔽と虚偽を重ねに重ねてその場限りの言い逃れを続けるご都合主義だけで出口戦略もないような政権をこのまま維持させて行くことは、国民にとってもその国家にとっても、致命的な誤りになりかねないのは、第二次大戦の惨憺たる敗戦で学習したはずのことなのだが。

森友・加計疑惑を「些細な問題だ」と言うのなら、もっとひどい稚拙で行き当たりばったりの、出口戦略なき破綻した情報戦略は、安倍政権が自画自賛する経済政策「アベノミクス」だ。「株価はこんなに高いじゃないか、アベノミクスは成功している」と言い張るのなら、その株価自体が恣意的に操作されたもの、いわば虚偽情報に過ぎないのだ。

安倍政権がなんだかんだで支持を集める大きな理由である日本の株高は、今や日銀と年金資金で政府が買い支えている人工的なものでしかない。こうした株価操作のなかでもとくに、総選挙の期間中に株価が16日連続連騰なんてバカげたやり過ぎもいいところだが、東京市場には毎日「日銀タイム」と俗に呼ばれる時間がある。投資家はこれが政権による株価操作の情報捏造であることも百を承知で、これで株価が上がることを前提に買い注文を入れているのだ。つまり噓を噓と百も承知で、政権の都合を利用して儲かるうちは儲けよう、という歪んだ共犯関係が政府の経済政策と投資家のあいだに成立していて、マーケット・メカニズムはもはやガタガタになってしまっている。

しかもこの政策的な株の高騰は裏を返せば、日銀が株の買い入れを止めるという観測が流れるだけで日本の株価はいつでも暴落しかねないわけで、この出口戦略のなさは「大本営発表」の虚偽情報を重ね続けた結果、惨敗は分かっていても終戦に持ち込むことが極度に困難になってしまった1943年以降の日本政府と日本軍と同じくらいに愚かで危険なものなのだ。

森友学園疑惑に話を戻せば、発端は地元豊中市の市議会議員で、つまり情報ソースはそもそもが「反日の朝日新聞」ではなくその議員の木村真氏だった。もっと言えばこの木村市議は国有地に建設予定の私立小学校のポスターが、教育勅語に基づく教育を謳うなど、あまりにあり得ない話(ごく当たり前に教育基本法に違反する可能性が高いので)に驚いたわけで、元々のソースは森友学園のいわば自爆行為だ。

加計学園疑惑は、大手新聞やテレビで話題になるずっと前から、夕刊紙などでは森友学園疑惑の追及のあいだに「もうひとつの森友疑惑」的に指摘されていたことで、これも問題視して騒ぎ始めたのは今治市の地元市民団体だ。

だいたいどちらの学校法人をめぐる疑惑も、公表されている売却家格であるとかそれこそ募集ポスターとか、すぐ分かる客観情報だけでもどこから見てもおかしな話なのだ。報道で取り上げられるまで時間がかかったのはたまたま報道機関が知らなかっただけで、知ればすぐに報道したくなるかっこうのネタではないか。それでも加計学園の場合は、大手報道各社はかなり慎重で、夕刊紙(日刊ゲンダイ)やネット上の方が情報は先行していたのに、「朝日新聞の謀略」のわけがなかろう。

文科省内部から「総理のご意向」文書がリークされて朝日新聞(と実はNHK、ただしその「クローズアップ現代」は放映されずじまい)がスクープしたタイミングは、次第に国会や報道で巷間知るところとなってからで、自分達の関わった決定に疑問を持っていた文科省の職員がリークしたと考えるのがもっとも合理的でごく当たり前にあり得る話だ。それが特段の戦略的な意図を持って流された情報だと考える根拠といえば「安倍首相に都合が悪いから」しかなく、もちろんそんな決めつけはただの被害妄想の荒唐無稽でしかない。

どちらの疑惑も、いつのタイミングで出ようが政権に打撃を与えるのは確実だし、そもそもこんなことをやっている政府が悪い、で話は終わる。出されるタイミングによって恣意的に誤解を招いたり、印象操作を行ったりなんて、やりようがない。

一方で、マスコミでは誰も話題にしないが、先の総選挙の選挙戦で、小池百合子東京都知事の立ち上げた「希望の党」と前原誠司代表の民進党の「大合流」がスクープされたのは、明らかに意図的な戦略性を持ったタイミングでリークされた情報だ。

逆に小池からすれば、この大合流の大合併は詳細まで詰めて完全な合意となったところで初めて選挙の「空中戦」での意味を持つカードだった。きちんと合意をつめていきなり民進党+小池の巨大野党を中心に、民進党と選挙協力をして来た社民、共産、自由党も連携した安倍包囲網がいきなり発表されれば、そのインパクトは凄まじかったはずが、あんな拙速なタイミングで、民進党内から反発が出るのが確実な段階で報道されたのは明らかに計算違いで、逆に大合流がうまく行くかどうかも怪しくなる。

つまりはこのリークによるスクープは、大合流そのものを潰して選挙戦を自民党有利に運ぼうとしたのか、あるいはもっとせせこましい話として民進党内のいわゆる「保守派」が、新党からいわゆるリベラル派を排除したい意図を持って流したものだとまず考えられる。

選挙の結果を知っていれば、この最大の受益者は安倍政権と自民党(最大の脅威だった小池百合子は完全に失墜した)なのだからそっちの陰謀だとも思い込みたくなるが、恐らくそうではあるまい。自民党側にこの大合流の情報が漏れていたとはさすがに考えにくく、まさか希望の党か民進党の党内に自民党のいわば「工作員」でもいたのだろうか、といった荒唐無稽な前提でも考えなければ、まずあり得ないことだからだ。

残念ながら、これは旧民進党勢力のオウンゴールというか自爆行為とみなすのがもっとも妥当だろうし、またそう疑われても当然なまでに、こういう件では民進党ならびに旧民主党には前科があり過ぎる。

政権を取ったときに鳩山由紀夫首相による、沖縄・普天間基地移設は「最低でも県外」公約を潰したのは、鳩山の「腹案」であった徳之島案が秘密交渉段階で「政府高官によれば」でスクープされたことだった。住民にもまったく知らせていない秘密交渉段階で暴露されれば、徳之島の各自治体は態度を硬化させる他はなく、県外移設は潰されたどころか、鳩山政権自体が退陣に追い込まれた。言い換えれば、これは鳩山内閣の危機管理の失敗だったのかも知れない一方で、情報は辺野古移転の強行と鳩山潰しを目的に意図的にリークされた可能性も否定はできない。

福島第一原発事故が起こった時にも、官邸から出ては行けない情報が次々と報道を賑わせて現場や被災地を混乱させ不安に陥れた。まあこれは、意図的・恣意的・戦略的というよりも、当時の官邸の危機管理能力の問題だろう。

直近の例では、先述の衆院選の直前に山尾しおり議員の不倫疑惑が週刊誌に流れたのは、「まさかまたもや、内閣調査室が尾行でもして集めた情報?」かと思えば、出所はなんと民進党内だったらしい。山尾議員が幹事長に内定したことをやっかんだ誰かがその人事を潰そうとして、だったのだろうか?

こういう過去起こったことを考えれば、今度のリークもまた民進党の「いつもの悪い癖」が出たと考えて、まず間違いはないだろう。またその後の流れを見ても、「リベラル排除」に熱中していたのは小池よりも、元民進党でいわゆる「保守系」の議員たち(すでに離党し結党に参加した者たちと、民進党から合流した議員の一部の双方)だった。

だとしたら多くの民進党の衆院議員が「希望の党」に合流しなかったのは、彼らの望み通りにはなったわけだが、そこで立憲民主党が結成されたのは「そりゃそうなるに決まってるだろう」な展開なのに、そこまで先が読めなかったのはあまりに間が抜けている。 
だいたいそんなことをやっている「希望の党」の、元民進党のいわば二枚舌・裏切り者議員なんて、有権者が信頼してくれるものだろうか? 
情報が【武器】になり得ることが分かってないか、【喧嘩のやり方】を知らない人たちはこれだから困る、としか言いようがない。またこういう人達に限って「保守」気取りで、日本の戦争放棄の憲法を変えたがっていたりするのだから、背伸びの火遊びもほどほどに、である。

11月14日に第一報が出て、ゴタゴタが年を越して続きそうな大相撲の「暴行」事件は、日馬富士が貴ノ岩を殴打し負傷させたのは10月26日の深夜だったはずだ。それが3週間、それも秋場所の序盤で、というのはいかにも恣意的なものを感じさせるのだが、ここまで「ワイドショー独占」状態なのにコメンテーターが誰もそこに触れないのは、なんとも奇妙な話だ。

いったい誰がスポ日に、この情報を流したのか? 当初は日馬富士がビール瓶で殴ったと言われ(後に誤報と発覚)、すぐに報道に乗った最初の診断書の「頭蓋亭骨折、髄液漏の疑い」という文言がいかにも重傷のように読まれてしまい、診断書を書いた医師が慌てて、あくまで「疑い」を列挙しただけでそんな意味ではない、全治10日程度の軽傷だ、と訂正する騒ぎになった。この診断書も、秋場所の休場届のために準備されたもののようだが、出所がよく分からない。

貴乃花に厳しい処分を相撲協会の理事会が決めた今頃になって、事件から発覚まで時間がかかったことで話を大きくなったとしたり顔で言うコメンテーターもいるのに呆れるのだが(いやここまで混乱して話が大きくなったのは、あなた方が連日連日、たいした新事実もないのにこの話題ばかり報じて何時間も憶測を論じ続けたからだ)、どうせそこまで言うのなら、なぜ報道が遅れたのか…というよりも、なぜ11月14日の秋場所3日目が第一報になったのかくらい、ちゃんと論じるべきだろう。

どうも「報道が遅れたのは相撲協会が隠蔽しようとしたからだ」とあてこすって無理矢理に貴乃花を擁護したいようだが、警察に被害届が出て刑事事件としての捜査が始まっていたのなら、マスコミに発表するかどうかはまず鳥取県警の判断だ。その県警は被害届を受けて協会に通知の上で捜査協力を依頼しているが、協会側の「秋場所があるので力士には相撲に集中させたい」という意向を受け入れて事情聴取を待っている。

つまり県警は貴ノ岩の被害届けによって被害の内容はほぼ把握していたし、現場には貴ノ岩の恩師である出身高校の教師なども同席していて、なにしろ鳥取在住なのだから県警は当然、そちらの事情聴取は先に済ましているはずだが、その時点でこれを発表を要するような重大な刑事事件とはみなしていなかったはずだ。協会の多分に事務的な「秋場所があるので」を受けて事情聴取を先延ばしにするほどなのだから、県警にとって緊急性が高い捜査でもなく、また協会が隠蔽工作をしたり力士たちが口裏合わせをする可能性があるとも思っていなかった。

また協会側でも、なにしろ「秋場所がある」で事情聴取などの捜査協力は後でいい、と鳥取県警が言うくらいなのだから、そんなに重大な事件ではないのだろう、と認識して当たり前だ。そんなところまで「相撲協会の体質」を批判するのは、さすがに度を越している。

まあ地方の県警はよくも悪くも保守的なので、有名力士が当事者でそのキャリアを傷つける可能性があるのだし、なるべく穏便に済ませようと考えた可能性もある。この場合、キャリアが傷つけられる可能性があるのは加害者の日馬富士以上に被害者の貴ノ岩も、という認識も、なんとなくは相撲界内部の事情も類推できる県警にはあっただろう。

つまりその判断の是非はともかく、なぜこの事件が3週間前後はまったく報道されなかったのかと言えば、まず単に県警にとって公表するほどの事件ではなかったからだ。そういう態度の県警から連絡を受けたていたからこそ、相撲協会もたいした対応はしなかったのだし、だからといって相撲界の人間ではなく第3者的な立場、ないし被害者の恩師なのでどちらかといえば被害者側の高校関係者もまた、「これは大変だ。もみ消されてはいけない」と思ってマスコミに話そうともしていない。

以上は事実として断言していいだろう。なぜなら、そうでなければとっくに、11月の初頭の、12日に秋場所が始まるだいぶ前に、この事件は明るみに出ていたはずなのだ。

ではなぜ、11月14日になって第一報が出たのかと言えば、この時期になって誰かが初めてマスコミに事件のことを(それも不正確に誇張された形で)リークしたからであり、そこには当然ながら恣意的な意図がある。

で、それは誰かと言えば、もっとも可能性が高いのは言うまでもなく(恐らくは間接的にせよ)貴乃花だ。他には事件を知っていて、それをマスコミに流そうとした、つまり報道して世に訴えなければならないと考えた関係者は、警察も含めていなかったのだ。

またリーク元が貴乃花ないしその関係者が疑われる理由はもうひとつある。「ビール瓶で殴った」「モンゴル会だった」など、事実に反する内容が多過ぎる第一報だったことだ。これがまた、日馬富士(や白鵬、鶴竜)に不利な印象操作として作用もしていた(実際には、貴ノ岩の高校の頃の留学先だった高校の関係者との会食で、3横綱はゲストとして招かれていた)。

騒ぎがどんどん大きくなったのも、報道に出た後ですぐに(「発覚後」というのは、上記の事情から必ずしも正確な表現ではない)日馬富士が親方の伊勢ケ濱を伴って謝罪に来たのを貴乃花がこれみよがしに無視して車で立ち去ったのに始まって、貴乃花が貴ノ岩の所在を協会に対してさえ明らかにしなかったり、場所後には貴乃花が貴ノ岩の診断書の提出も怠ったまま冬巡業を無断欠勤させたり、しかも本人はこれまたこれ見よがしにマスコミの前に自分の姿は毎日のように(いかにもしらじらしく)見せながらダンマリを決め込み、といった不可解な行動を繰り返し、マスコミもまたその貴乃花のゲームにのせられたのか、意図的に協力しているのか、いずれにせよ「ああでもない、こうでもない」と憶測ばかりを延々と報道し続けて来たからだ。

貴乃花の一連の「奇行」は、すべて少しでも大きくマスコミが報道すること、その状況が長引くように仕向けることが目的だったと考えれば、すべて説明がつく…と言うより、それ以外にこれらの行動には合理的な動機の説明がつかない。

つまり貴乃花はかなり巧妙にマスコミを踊らせるメディア戦略を打っていて、マスコミが見事に踊らされたのだ。考えてみればこの場合、なにも言わないことは報道の好奇心をかきたてるのに最も有効な、それもかなり高度な技で、誰ができるわけでもないが、かつて「国民的ヒーロー」だった貴乃花なら十分に条件が揃っている。

だからってそれにいいように乗せられているマスコミもどうかとは思うが…。挙げ句に協会の理事会で処分が下される直前の発売で、週刊新潮と週刊文春が共に貴乃花の「激白」を掲載しながら、中身は本人の発言がごく一部しかなく、しかも貴乃花自身は理事会に対して「週刊誌の取材には応じていない」と証言しているのだから、もうわけが分からない。

またこの貴乃花の奇行と並行して、やってることも(協会相手に)言ってることもどう考えてもおかしい貴乃花が、それこそマスコミにはなにも言わないからこそマスコミがこぞってその心のうちを勝手に忖度してまで懸命に擁護したがっているのも、相当に奇妙な事態だ。

貴乃花が警察や検察の捜査への協力を口実に、自分や貴ノ岩の協会危機管理委員会による事情聴取に応じて来なかったことを支持する意見が、一般どころか “識者” からも後を絶たないのに至っては、まず滑稽極まりない。まあこれは、この一件に限らずマスコミ報道が精確さに欠ける言い方で国民に大きな誤解を振りまいて来たことにも原因はあるのだが、警察や検察には捜査上の秘密を守る権限はあるが、よほど異例の事態でもなければ被害者側や目撃者に口封じをする権限なんてないし、そもそもそんな口封じをする理由がない。

マスコミの“識者” も含めて多くの人が勘違いしているようなのだが、加害者や被疑者が「警察が捜査中」を理由に取材に応じないのも、別に警察・捜査当局側では理由は成立しない。逆に捜査中で刑事訴追の可能性がある事案について、被疑者には自分を守るために答えない権利があるだけで、マスコミに喋らないのはその自己保身の権利を行使しているに過ぎない。

例えば国会の証人喚問で証言拒否できるのは、別に警察や検察のために「捜査中だから答えない」のではなく、裁判で自分に不利な証拠になる可能性があるから答えないでもいいのだ。

被疑者は警察の捜査そのものに対してすら、自分に不利になることは答えないでいい黙秘権すらあるし、一般市民が警察の捜査に強力するのはあくまで善意であって義務ではない。まして貴乃花が協会の聴取に応じないことで捜査に寄与できることなんてなにもなく、強いて言えば警察に対する貴ノ岩の証言と異なったことを言えば、当然どちらかが偽証となり、責任が問われるだけだ。

被害者側がわざわざ黙秘権を行使するという、ずいぶん奇妙な状況がこの一件では起こっている。それが貴乃花が弟子である貴ノ岩を守ろうとしているように見えるのは、よほど人がいいというか貴乃花に勝手に忖度しているとしか思えないし、一方で貴乃花の側にこそなにか隠したいことがあるのだという以外に考えようがない。

今年の春の稀勢の里の昇進まではすっかりブランクが出来てしまった日本人横綱の、その最後が貴乃花で、それ以前からいわば「国民的ヒーロー」で、入門前の少年時代から有名で、相撲部屋への入門自体が大ニュースになった珍しい存在だからって、いくらなんでも騙され過ぎというかいいように手玉に取られ過ぎ、ほとんど神がかり的とすら言っていい気持ち悪さが蔓延している。

いくら貴乃花という「国民的ヒーロー」の幻想のバイアスがかかっているからと言って(そして日馬富士も白鵬もモンゴル人)、こういう日本の世論形成のあり方というのはかなり不気味だ。

ぶっちゃけて言えば要するに、「日本人」の共同幻想の都合で聞きたいこと、耳障りでないことだけしか受け入れず、嫌なことは考えたくもないし聞きたくない、という歪んだ主観に染まり過ぎな気がするし、そこに相撲ファンや一部の相撲記者とのズレがあることも無視されている。

端的に言えば日馬富士本人を良く知る人や、その相撲を見て来たファンからみれば「日馬富士はそんな人ではないはずだが」というのが率直な感想なわけで。

いやだいたい、しょせんは相撲、エンタテイメント業界の一業種内のゴタゴタに過ぎないこと一色に報道が染まること自体、明らかにヘン過ぎるし、そのこと自体が情報操作の疑い、つまり政府に都合が悪いことをなるべく報道させないようにしていて、そのために大相撲騒動を誇張して報道しているのでは、という可能性ももちろん否定はできない。

12/27/2017

極右「國體」カルト洗脳の貴乃花は、いったいなにを狙って奇行を繰り返しているのか?


日馬富士が引退して姿を消しても、大相撲の「暴行事件」騒動が連日報道を賑わしている。

いわば「第二幕」の焦点になったのは白鵬と貴乃花の確執(ただしその根底にある貴乃花の「モンゴル嫌い」は一部夕刊紙・スポーツ紙以外ではまったく触れられていない)で、「第三幕」で現在進行中の相撲協会VS貴乃花一派というか、貴乃花の気まぐれで理解不能な行動と、相撲協会がどう対応するのかに話題が移っている。

そして貴乃花はその相撲協会を挑発するように、次から次へと「奇行」を繰り返している。

親方となってからの貴乃花はメディアでは角界の「改革派」と持ち上げられながら、肝心の相撲と弟子の育成はそっちのけで相撲協会内の権力闘争にばかりご執心だったが、それでもついに貴乃花部屋で初めて、貴景勝が三役昇進・次回の正月場所で小結に決まり、それを祝う記者会見があった。


こうしたおめでたい席は普通ならその相撲部屋に設けられ、取材記者はいわばお祝いに駆けつけたお客さんのようなもの、もちろん親方が立ち会って温かい目で弟子を祝福したり、緊張しているのをうまくほぐして和やかな空気を作るのが相撲界の伝統のだったはずが、貴景勝はひとりぼっちで、それも国技館で会見をやらされた。

暴力事件の被害者・貴ノ岩の扱いにしてもそうだが、この親方、つくづく弟子をいったいなんだと思っているのだろう?

結局は、密かに東京に戻されて入院していたらしいが、だったら親方はなんで診断書を提出してやらなかったのか? 祖国モンゴルでの自分の評判をひどく気にしているそうだが、せめて入院していることと、怪我の状態が良くないことを親方がきちんと公表するだけでも、あらぬ誤解はかなり防げたはずだし、巡業を無断で休むこともなくて済んだはずだ。

「入院しているのだからそっとしておいて欲しい」というだけでも、マスコミだって多少は取材攻勢を控えていただろう。

だがマスコミに取材攻勢を控えられてしまうのは、逆に貴乃花の目論みに反することだったのではないか? むしろあまたの憶測を呼び起こす奇行を繰り返して延々とこの一件を話題にし続けることが、貴乃花の狙いなのではないか?

九州場所の間、貴乃花部屋の宿舎の前にマスコミが貼付き続けたのは結局的外れだったことにはなるが、そんな取材攻勢をかけられ見張られ続けているだけでも他の弟子たちにだって相当なストレスだろうに、そんなひどい環境に置かれた先場所で、貴景勝は横綱2人大関1人を倒す快挙を成し遂げた。

今の幕内では最年少でこの出世というのは、嬉しくてめでたくてしょうがないはずだ。しかし「喜びの会見」で貴景勝は緊張と不安で冷や汗をかくばかりで、笑顔ひとつも見せる余裕もなかった。

たった21歳の若者に、これはあまりにも酷ではないか? せっかくの晴れの席なのに、彼は記者が聞きたいのが自分のことではなく親方のことだとも百も承知だろう。なんとも幸先の悪い話でもあり、なによりもこの青年がかわいそうだ。

弟子そっちのけで貴乃花が引き延ばしに熱中して来たこのスキャンダルの、その貴乃花本人も含めて誰も得をしそうにない展開に、その動機に首を傾げる人も多い。

だがこの一件、得をしている人間が少なくとも1人は、確実にいる。

相撲界にだけ気を取られていると気付かないかもしれないが、ちょっと距離を置いて考えれば答えは簡単だ。犯罪捜査でも推理小説でも常道は、最大の受益者=最大の動機がある者をまず疑うことだが、もちろんこの大相撲騒動がトップニュースになることで政治報道がテレビからほとんど消えてしまって誰よりも助かったのは、言うまでなく安倍晋三総理大臣だ。

野党側の主張で12月8日まで審議が行われた国会の議論では、加計学園疑惑についても追及が続き、その獣医学部の新設が設置審を通った背景にも、また獣医学部新設について閣議決定された4要件に違反している可能性についても重大な疑義が提起されていたのだが、新聞以外ではほとんど報道されなかった。

森友学園疑惑では、籠池夫妻が公汎開始に至らないまま5ヶ月も拘束されて保釈が許可されない理由も見当たらないのに親族すら面会できなくなっている。日本の司法制度において前例のない異常事態というか、どうみても違法な取り扱いだが、まったく騒ぎになっていない。8億円超の国有地値引きの背景についても、財務省と学園側の交渉の録音記録がリークされ、驚愕の…というか呆れた実態が分かって来ている。なんと土中の多量のゴミをでっち上げて値引きの言い訳に使ったのは財務省の発案で、事実に反することは困ると及び腰の学園側を、法の抜け道が使える文言まで提案して財務省の側こそが押し通していたのだ。なんとも安倍コベ…ではなかったアベコベな話で、ワイドショーの格好のネタになりそうなものが、なぜかまったく取り上げられていない。

天皇の退位についても、退位日程が決まった過程にいろいろ疑問があるし、天皇がわざわざ宮内庁を通して派手な式典は要らないと表明したことも、「内幕はどうなっているのか」をあれこれ憶測するのはワイドショー的におもしろいはずが、まったくスルーされている。

麻生太郎副首相と親しいと言われるスパコンのベンチャー企業ペジー・コンピューティング社長の補助金不正受給詐欺も、まったくテレビは取り上げない。この社長氏、安倍首相と極めて親しいジャーナリストでセクハラ・レイプ事件を起こし、警視庁高輪署の丹念な証拠固めで逮捕状も出たところで、なぜか警視庁上層部が強引に捜査を打ち切らせた山口敬之氏を、自分が借りている超高級マンション(週刊新潮が調べたところでは家賃200万だとか)に住まわせてもいる。確かに経産省を騙して補助金を「詐取」した事件にも見えるが、こんな手口で経産省のエリート官僚を騙せるものなのか、ずいぶん不自然ではある。なんらかの力が働いて強引に補助金が支出されたのではないか、とワイドショーが推理に熱中しても本来ならおかしくない。

JR東海のリニア新幹線をめぐる大手ゼネコンの談合不正受注に東京地検特捜部が切り込んだのも普通なら大ニュースになるはずだ。これがまた、昨年の参院選の直後に安倍首相が突然「成長戦略」と称して3兆円の財政投融資の投入を決めたいわく付きの事業でもある。JR東海は前会長が安倍首相と「日本会議」を通じてつながった極右カルト人脈で、リニア事業はこの前会長がご執心だったのが、現経営陣は採算性の見込みが立たず途方にくれていたもので、いきなり「国家戦略」としての国費の注入がたいした議論もなく決まっただけでも本当は大問題の、森友・加計どことではない巨額オトモダチ案件だった。しかも談合を主導した大林組には、なんと安倍さんと「メシ友」なお友達幹部がいるらしい。本来ならワイドショーが喜んで飛びつく大疑獄のはずだが、まったく無視されている。

テレビ的には「貴乃花をやれば視聴率が上がる」と言われているらしいが、貴乃花がダンマリを決め込んでいる以外に新しい話題も特にないのに、本当に喜ぶ視聴者がそんなにいるのだろうか? コメンテーターがああでもない、こうでもないと同じような憶測を繰り返すだけでまったく本質も見えて来ないのだし、いいかげん飽きて来てもおかしくない。

相撲協会の危機管理委員会の鏡山親方が貴乃花部屋を訪れては居留守を使われ帰って行く繰り返しだとかはまあ、おもしろおかしくはあったし(しかし鏡山もいささか間が抜けているとはいえ、同僚の親方にあんな恥をかかせてしまえる貴乃花というのもひどい)、「貴ノ岩はどこにいるのか」もミステリー仕立てのエンタテインメント性がなかったわけでもないが、なにしろひたすら思わせぶりなだけでたいした内容もないのに、スキャンダル報道だけが肥大・膨張・増幅していくのは奇妙だ。

だがよく考えれば、こうして報道ばかりが過熱して延々と引き延ばされたのは、ひたすら貴乃花の行動があまりに不可解で思わせぶりだからに他ならない。

そして一見不可解な自爆行為としか思えなさそうな貴乃花にも、実は狙いというか思惑があって、よく見ればそれが三つほど、かなりはっきり見えて来る。

第一に、事件を知った時点で警察に被害届は出しながら相撲協会には報告せず、場所が始まってからスポーツ紙にリークして不意打ちのように報道させたのは、日馬富士の暴行事件をここぞとばかり利用して、少しでも大きなスキャンダルにするためだ。「協会にもみ消されるのを防ぐためでは」と支離滅裂な貴乃花擁護を展開するコメンテーターも多いが、馬鹿も休み休み言って欲しい。もみ消しを防ぐのなら事件を知ってすぐに警察に被害届を出すと同時に協会に報告し、あわせて自分で記者会見でも開いた方がはるかに効果的だったし、貴ノ岩も少しでも苦しまずに済ませられたはずだ。貴乃花は弟子の被害に怒ったのではない。まず話を大きくして日馬富士を確実に潰そうとし、あわよくば白鵬まで狙っただけだ。自分が黙っていた方が、その意図をマスコミが勝手に忖度してくれて、話はどんどん大きくなる。

第二に、今やかつての自分を遥かに超えた、押しも押されぬ平成の大横綱となった白鵬へのバッシングを仕掛けることだ。これはある程度は成功している。ここ数年の白鵬の取り口が勝つことだげが目的の荒っぽいものになっていたこともあって、その意味では自業自得的な面もあるが、モンゴル人という出自があるからこそ日本人よりも日本人らしい愛される優等生横綱になろうと徹して来た白鵬が、考えを改めてひたすら勝ち続けることだけに集中する大横綱になろうと決意したのは、優勝記録や連勝記録を更新し続けて名実共に貴乃花を超える平成の大横綱として認められた前後からだった。「横綱がはしたない」と批判されるような物言いをつけ始めたのはもっと分かり易く、貴乃花が審判部長だった頃だ。巡業部長になってからは、移動のバスが貴乃花の命令で白鵬を置いてきぼりにしたこともある。

そして第三に、今まさに進行中の、警察の捜査が終わったら協会の事情聴取に応じるはずが「検察の捜査が」と前言を翻してみたり、自分の主張を理事会で口答ではなくわざわざ文書にして他の理事に黙読させ、その文書はしかもわざわざ回収したり、鏡山に居留守を使い続けたりもした一見不可解な行動は、ひたすらこの事件をめぐる騒動とその報道を長引かせることが目的だと気付けば、すべて説明がつく。

本当に言いたいことがあるのなら同じ文書をマスコミに渡していれば主張はより強く伝わったはずだ。だがそうやった場合、この文書の件がワイドショーの放映時間を独占するのは、木曜日の理事会のあとの夕方と夜のニュースと、その翌日いっぱいで終わって、次の展開が必要になっていただろう。

だが最初は中身がさっぱり分からず、週が明けてから少しずつ「関係者の証言」として中身が小出しにされたことで、週末の情報番組も占有できたし、週明け後も年内いっぱいくらいはワイドショーの放送時間を押さえられる(つまり、他のたとえば政治ニュースは報道されないで済む)。

唐突に協会側に帝国ホテルに呼びつけて事情聴取に応じ、その文書と同じような内容をひたすら繰り返したらしいのも、協会側が木曜日の臨時理事会までその内容は公表できないのを見越していれば、情報が小出し・断片的にしかならないぶん憶測が憶測を呼び、ひたすらこの話題を引っ張れるという計算は当然成り立つ。

つまり貴乃花の目的が「ワイドショー独占」なら、一見不可解な行動にもすべて合理的な説明がつくし、そのワイドショー独占が成功すれば衆院選挙には勝ったが支持率は低迷したままの安倍政権が助かるのだ。

ずっと貴ノ岩の所在を隠し続けたのも、冬巡業に診断書を出さなかったのも、マスコミがああでもない、こうでもない、と憶測報道を続けることを狙った計算があったとすれば、事態は確かにその貴乃花の狙った通りに進行して来ている。

早々に「入院しているので今はそっとしておいて欲しい」とマスコミに告げ、ごく普通に貴ノ岩の診断書を協会に提出していれば、ワイドショーはそれ以上は報道できる内容がなくなり、「貴ノ岩はお気の毒」「早く恢復して正月場所での活躍が楽しみ」でこの話題は打ち切られてしまい、スパコン補助金不正やリニア談合、加計学園獣医学部があやふや・うやむやなまま認可された不透明さや、森友学園疑惑の新たに出て来た真相などなど、ワイドショーの関心は政治スキャンダルに向いて行っていただろう。

もちろんただスキャンダルを引き延ばしただけでは、貴乃花本人には結局メリットはなにもない。

メディアはなんだかんだ言ってもかつての「若貴フィーバー」のノスタルジアもあって貴乃花を応援してくれているが、付き合わされている相撲協会にしてみれば、あまりに非常識で人を馬鹿にした態度に、かつての人気横綱で「土俵の鬼」だったのだから、と貴乃花を支持して来た親方衆も、さすがに呆れて離れて行くだろうし、現に横綱審議委員会が親方の行動を批判するという異例の事態にもなった。

それに弟子にとっては親代わりなのが親方の責務なのに、貴乃花の弟子の扱いがあまりにひどい。

こうも人望を失い続けるままでは、貴乃花の「改革」の野望というか相撲協会の理事長となって角界のトップに、という野心の実現はどんどん遠のいて行くだけだ。

だが誰か大きな力を持った、いわば “黒幕” がいて、貴乃花をうまくそそのかしてとにかくこのスキャンダルを引き延ばすよう頼みでもしていれば、状況はまったく変わって来る。その “黒幕” の後ろ盾があれば相撲協会内の力関係をひっくり返せるのだ、と貴乃花に思わせることさえできれば、貴乃花は喜んでその話に乗るだろう。

どっちにしろ元横綱北勝海の八角ががっちり体制を固めて、一時の度重なるスキャンダルを乗り越えて相撲人気の回復を成功させた今の相撲協会のままでは、人付き合いが悪いことで悪名高い貴乃花がその北勝海を倒して角界に君臨するなんてことは、普通ならまずあり得ない。

だが公益法人として政府の管轄下にあるのが相撲協会だ。政治権力が貴乃花を理事長に、と動き出せば状況はがらりと変わる。

幕内優勝40回に通算1000勝などなど、数々の大記録を打ち立てた白鵬も、通ぶった人々がいかに最近の荒っぽい取り口を「横綱相撲ではない」とイチャモンをつけようが、一般相撲ファンの人気は絶大だし、そのひたすら勝ちに行く攻撃的な相撲は、白鵬の柔軟で俊敏な動きの身体的な美しさもあって、確かにメチャクチャかっこいい。ファンが喜ぶのは当然だし、その白鵬を見たくて切符を買う人も増える。

11月・九州場所の優勝インタビューでなんのことかよく分からない万歳三唱を呼びかけたのも、満場の観客が喜んで応じたのを見れば分かるように、いかに「厳重注意」を食らおうが、横綱の風格というかカリスマ性の高さも、今の相撲興行からは絶対に外せないのだし、この厳重注意だって一方では、八角体制の執行部は白鵬の渾身の(掟破りの、普通ならあり得ない非礼の)訴えを聞き入れて貴乃花を冬巡業から外したわけで、むしろいかにも日本的バランス感覚の「喧嘩両成敗」の形を成立させるための方便だろう。

だが貴乃花のバックにもし例えば与党内の極右勢力とか、安倍官邸がいれば、自分たちの人種差別の排外主義をこの政権が正当化してくれることが嬉しくてしょうがない熱烈支持層も嬉々として白鵬&モンゴル勢バッシングを展開してくれるし、そうした世論も含めて貴乃花が切望する相撲界からのモンゴル勢排除の強力な後押しにもなるだろう。

今の相撲協会の主流派なら、白鵬と貴乃花のどちらを選ぶかと言えば確実に白鵬を選ぶに決まっている。まずなによりも、相撲の興行を支えられるのは白鵬であって、貴乃花を見に相撲に行く客はいないからだ。

一部の週刊誌がいかに差別排外主義的なナショナリズムで白鵬をこき下ろそうとして、ネット上でもそうした差別排外主義が露骨なバッシングに同調する者も増え、テレビのコメンテーターもかつての若貴フィーバーの延長で貴乃花を擁護しようが、白鵬を「日本をバカにしている」「反日だ」と叫ぶいわゆるネトウヨ層のツイートなんて、八角体制が開拓した「スー女」の女性ファンは見向きもしないし、週刊誌もコメンテーターも入場料を払って両国国技館や地方場所や巡業を見に来てくれるお客さんではない(テレビ中継すら見ているかどうか怪しい)。

それに確かに相撲界は保守的で、なにしろ伝統芸能の格闘技の継承者それも「国技」だからいわば「愛国的」で、政治的傾向では右翼的な人も多い方ではあるが、保守的で愛国的だからって即乱暴な排外主義の差別主義者になるとは限らない。

むしろ日本の伝統的な真性の「保守」だったら、まったく逆になる。

たとえば日馬富士の師匠・伊勢ケ濱を見ても分かることで、引退会見で親方の方が涙を流したかと思えば、気色ばんでマスコミのぶしつけな質問を封じ込めたのは、世間の評判は悪いだろうがそれでも、伊勢ケ濱がどれだけ日馬富士を愛していて、最後まで守りたかったのかは伝わった。

ほとんどの親方衆は白鵬や日馬富士や鶴竜が、モンゴル人の彼らにとっては苦労も多い外国となる日本で、人一倍努力して、日本語も学び稽古にも励んで今の地位に上り詰めた、その一生懸命な姿を見続けて来た。生身で見て、裸で接し、時には一緒に涙も流して来たであろうその彼らに、「日本人ではない」からといって排外主義的な差別の憎悪を向けるような真似ができる親方は、若い頃から相撲しか知らない人達だからこそ、まずほとんどいないだろう。

元力士の親方衆が仕切る相撲協会は、確かに現代の世間の価値観からはズレていたり、非常識だったりはする。勉強よりも相撲の稽古に青春時代を費やしただけに教養や常識がなかったりすることも確かにあろう。旧弊な上下関係の体質もあるし、しかも相撲の興行は巨額のカネが動くものでもあるだけに、そのカネをめぐる利権やら癒着やら腐敗やらもあるだろうし、繰り返しになるが伝統芸能の格闘技を継承しているのだがら保守的でしがらみも多く、一門制度であるとかの旧態依然の派閥体質も確かにある。だがよくも悪くもそうした昔ながらの価値観の、真性の日本的な「保守」で、小難しい理屈もよく分からない人達だけに、人情というものは人一倍厚い。

だがそんな中で明らかに浮いているのが、貴乃花なのだろう。

確かに現役当時には高い身体能力で天性の相撲の才能も明らかで、土俵入りの美しさなどは天下一品だった。目鼻立ちも身体の線も見栄えもするし、初代若乃花の甥で初代貴乃花の息子の血統の良さからしてもまさに生まれながらのスター力士、まるで「天皇」的な存在ですらあった。


だが今では無条件の褒め言葉のように使われている「土俵の鬼」というのも、元々はそんな無邪気な文脈で出て来た言葉ではない。

たとえば女優・宮沢りえとの婚約の破棄だとか、なにがあったのか真相は分からないが(ざっくばらんで正直だが口は悪かった宮沢の母は「漢字もロクに読めないクセに」と怒っていた)彼女が深く傷つけられながらもあっぱれなまでに気丈に振る舞っていたことだけは確かで、それに対する貴乃花側の対応がこれまたなんとも奇妙というか冷淡というか、常識をわきまえないというか血も涙もないというか、そんなスター力士の態度をなんとか擁護するために持ち出されたのが相撲のことしか分からないという理屈で、元々は叔父の初代若乃花を指した「土俵の鬼」という形容がリサイクルされたのだ。

その後も貴乃花は、子供の頃からずっと支えてくれ、かばっても来てくれた兄の二代目若乃花ともなぜか絶縁状態になったり、父の藤島親方(初代貴乃花)が「光司は洗脳されている」と告白して大騒ぎになったこともある。

今でも貴乃花の名勝負といえばすぐ持ち出される2001年夏場所の、武蔵丸との優勝決定戦にしても、あれが「横綱相撲」で本物の「土俵の鬼」の取り組みだったとは、とても言えない。

満身創痍で膝を痛めている貴乃花を相手に、武蔵丸はとてもではないが本気で「ガチンコ相撲」は出来ず、戸惑い、遠慮して、ほとんどわざと負けたようなものだ。

これ以上怪我をひどくさせてはいけないと気を遣って手加減してくれている相手を倒して「鬼の形相」だの、当時の小泉首相が「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」と誉め称えたのも自分の「改革」方針のキャッチフレーズをうまくアピールした機転にだけは感心するが、あれは明らかにおかしいと思ったら案の定、藤島親方は息子の頑固な熱意に千秋楽の取り組みまではしぶしぶ許したが、優勝決定戦になったら棄権しろと命じていたのに、無視したのが貴乃花だったらしい。

藤島親方はまともだったわけだ。単に息子で愛弟子の身体が心配だっただけではなく、あんな状態で土俵に上がられては、やさしい人柄で知られた武蔵丸があまりに気の毒だし、貴乃花がやったことは、普通ならあんな卑怯な勝ち方はない。

だが貴乃花の場合は卑怯というよりは単に、相手のことをなにも考えていなかっただけのように思える。

これは相撲と言う競技の特質からすればかなりおかしい。貴乃花は本当に、日本の相撲の精神的な特質・特徴を考えたことがあるのだろうか? 
日本の相撲はただの格闘技ではない。 
力士同士は真剣勝負で向き合っても、必ずしもただ「敵」であるだけではない。 
そうでなくてなぜ、双方の息が合わなければ試合が始まらない、なんてルールになるのだろう? 
取り組みの相手は真剣勝負の相手であると同時に、息を合わす相手でもあるのが日本の相撲なのだ。こうして対峙する相手に対してもただ勝つだけでなく同時に高度な共感能力を持つよう要求もされていることが、日本の相撲を日本ならではの独特の文化にしている。 
だからこそ相撲は神事になり土俵は祭礼のカミを喜ばせてヒトも楽しむ場と化し、そして最強の横綱は「カミ」になり得るのだ。


今回の騒動でも、自分のスキャンダルのせいでなんの関係も責任もない貴景勝のおめでたい昇進に水を差しているのだから、せめて自分のことで弟子が苦しまないようかばってやらなければ行けないはずだ。だいたい自分の責任なのだから自分が矢面に立つのが「親」だろうに、貴乃花は記者会見に「1人で行って来い」と言って送り出したのだそうだ。薄情を通り越して身勝手で無責任、そして弟子を人だとも思っていない。

貴ノ岩はもっとかわいそうだ。貴乃花は貴ノ岩が最初は「階段から落ちた」と言い訳したのを「『親』である師匠にも言えないことが起こったに違いない」「根が深い」などと言い訳しているが、根が深いのは暴行事件の方ではなく、モンゴル人の弟子が素直に話せないような圧力をかけ続けている貴乃花部屋の体質、貴乃花自身の性格と彼が染まっている歪んだ思想の方だ。

このモンゴル人の弟子がいながら、貴乃花はテレビのインタビューでも「自分の務めは日本人の強い力士を育てること」と公言したりして来ている。さらに内輪の集まりだとかでは相撲道の理想は「國體を守る」とか「國體を支える」などとまで言っているのだ。

これを誰も批判しない相撲マスコミというのは、貴乃花本人と同じくらいどうかしている。これではほとんど恒常的な精神的虐待も同然のレイシズムに日々晒されて来たのが貴ノ岩ではないか。かくも無自覚な差別意識丸出しに俺は「親」なのだとふんぞり返る親方にこそ、弟子が正直に話せるわけがない(というか、これではまるでパワハラ、虐待的依存関係の強要だ)。

そんな貴乃花が貴ノ岩に「馴れ合いになる」と言ってモンゴル人力士の先輩や同輩との付き合いを禁じていたことを美談のように伝えるワイドショーと、「それはおかしい」と決して言わないコメンテーターは、自分達もまた大日本帝国カルトの八紘一宇めいたレイシストになってしまっていると自覚できないのだろうか?

高校生で日本に留学し、貴乃花を大横綱の「土俵の鬼」と信じて入門して一生懸命に頑張って来た貴乃岩であれば、モンゴル人だからこそ必死で日本人になりきろう、日本人の言うことに従おうとしか考えられない立場に置かれて来たはずだ。

それに相撲部屋という特殊環境では、彼がそんな貴乃花の極右排外主義に逆らいようもないのだ。洗脳されてしまうことは避けようがない(そうしなくては相撲部屋の中では生きていけない)。


これは第二次大戦中に、日本軍の、それも特攻隊にあえて志願した朝鮮人の青少年や、台湾の高砂族などの少数民族出身の日本兵や、沖縄出身の日本兵に起こったこととも通底している。

藤田嗣治『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』昭和20年(部分)
例えば彫刻家・金城実は父がそうした忠実なる日本兵として戦死したことを、自らあえて厳しく批判している。その金城は、亡父が前線から母に送った、そうした言葉が書かれた父の遺書となったハガキを、今でも大切に保存している。 
日本の当時の体制下で差別されていたからこそ、日本人以上に日本人らしくあろうとすることで日本人に認めてもらわなければならない、という強迫観念が産まれてしまっていたのだ。 
さらに沖縄戦では多くの民間人も「切り込み」などと称して米軍の陣地に地雷や手榴弾を抱えて自爆攻撃までやっているのだ。 
近現代の「日本」という社会には、こうした差別やいじめと表裏一体になった不気味な同調圧力があり続けていることに、我々自身もまたどこかで同化しながら、その自覚から逃げ続けている面は決して否定できまい。 
我々はまだ無自覚でいられるが、在日コリアンの人々にせよ、相撲界のモンゴル人力士にせよ、彼らにとっては常に迫られて意識され続けさせられる圧力になっているとしても、なんの不思議もない。


そしてここにこそ、日馬富士が我を忘れるほど怒ってカラオケのリモコンで殴りつけるような暴行に走ってしまった、真の原因があるのではないか?

同じ席で、日馬富士と照ノ富士のあいだにも緊迫したやりとりがあったそうだ。

照ノ富士は「自分たちには壁があって思った通りのことは言えない」と日馬富士に訴え、日馬富士は「そんな壁はお前たちが自分で作っているんだ」と言って顔を三、四度平手打ちをしたという。

マスコミでは懸命に、照ノ富士が言った「壁」というのは下位の自分たちは横綱には何も言えない、という意味で、相撲界の上下関係の体質の問題だと決めつけようとしているが、ちょっと考えればこれでは日馬富士の返事の意味がまったく分からなくなるし、だいたい照ノ富士だってその「壁」に向かって「壁」があると言ったのだとしたらずいぶん矛盾した話だ。

だが彼らモンゴル人力士にはまた別の、思った通りのことが言えない「壁」が確かにあるし、そこに気付けば、貴ノ岩が以前に白鵬相手に金星を上げて「これからは俺たちの時代だ」と吹聴して白鵬を怒らせたことがこの事件の遠因になっているらしいとか、断片的に報じられている当日の他のやりとりとも整合性がつくし、日馬富士が「その壁はお前たちが作ってるんだ」と言った意味もすんなり理解できる。

「壁」とは、自分たちがモンゴル人力士である以上は日本人が日本の伝統だというものに逆らうことはできないし、日本人相手に本当に思っていることは言えない、まして自分たちは差別されて悔しいなどとは絶対に言えない、という「壁」だ。

一応、照ノ富士の支援者が本人で電話に確認し、「壁」というのは横綱にはモノが言えないという意味だと言質を取ったという報道はあった。 
わざわざ電話した日本人支援者も、その情報を鬼の首を取ったように喜ぶメディアもまさに何をか言わんやの滑稽すぎる話で、「壁」本人に向かって「あなた(達)が壁です」なんて言えるわけがない。

白鵬や日馬富士本人だって、その壁に実は苦しんで来たし、自分なりに乗り越えようとして来たではないか。だったら「その『壁』はお前たちが作っているのではないか」と言うのも意味はよく分かる。

だから白鵬は、モンゴル人横綱が朝青龍の時から「横綱の品格」と言われ続けていることに「勝つことが横綱の品格だ」と最終的には開き直ったというか自分で合理的な解答に達し、土俵上では文字通り「勝負の鬼」になると決意したのだし、そうでもしなければ自分たちがいくら頑張っていい記録を残しても、最後の日本人横綱だった貴乃花を引き合いに出しては日本人横綱待望論を繰り返すマスコミ報道に、とっくの昔に耐えられなくなっていただろう。

その待望の日本人横綱に稀勢の里が特例で(二場所連続優勝ではなく一場所だけで)昇進した場所が尋常ではない稀勢の里フィーバーになり、そこで普段なら力よりもテクニックで勝つ相撲が魅力の日馬富士が(というかここ何年かは満身創痍で体力的に無理があるのを、テクニックで補って来た)、柄にもなく猪突猛進型のすさまじい取り組みで稀勢の里を土俵の外に突き飛ばし、勢い余って大怪我をさせてしまったこともあった。

貴ノ岩が単に生意気な態度で白鵬を怒らせ、白鵬の代わりに日馬富士がせっかんしてしまったということだけが、この事件ではないのではないか?

同席していた日本人の、直接に相撲界の人間ではないどころか、貴ノ岩にとっては高校時代の恩師である人たちまでがこの事件について黙っていたのも、日馬富士が怒ったのにはよほどの理由があり、それが明らかになればむしろ貴ノ岩の将来が傷つくと思ったのだとすれば、説明はつく。

そしてそんな「よほどの理由」として今の日本で考えられるのは、「モンゴル人」が絡んでもいるのだし、人種差別の問題、差別発言が真っ先に思いつく。

だいたい、貴ノ岩についても真面目で実直な性格で、とてもではないが目上に対してそんな非礼で生意気な態度を取る人間ではない、というのがもっぱらの評判だ。

だが貴ノ岩が貴乃花の極右排外主義に洗脳され、その師匠を正しいと信じ込んでいたか、懸命に師匠に合わせようとしていて、師匠に忠実であろうとするあまりにモンゴル人である大横綱相手だからあえて大横綱と認めまいと反抗的に振る舞ったり、バカにした態度を取ったり、露骨に侮辱した(たとえば「モンゴル人くささが抜けていない白鵬は本物の横綱ではない」とか「日本人の貴乃花と違って横綱の品格がない」的なことを口にした)のであれば、日馬富士を知る人が誰もが首を傾げるような暴行も、引退会見でその日馬富士が憮然と「礼儀と冷静を教えた」と繰り返しただけだったことも、すべて説明はつく。

そもそも貴乃花の言う「國體」(要するに「日本は神の国」で云々)のロジックで言えば、日本人になっていない白鵬や日馬富士は(「本物の横綱」ではないので)貴ノ岩にとって「目上」ではなくなる。

ここに人種差別があるからこそ、「自分たちはモンゴル人だからと言うだけで差別されている」とは、朝青龍にも白鵬にも、そしてむろん日馬富士にも、絶対に言えない「壁」が確かにそこにあるのだ。

相撲協会の体面と相撲の伝統を守るためにも、そして自分たちモンゴル人力士が日本で相撲を取り続けるためにも、こればかりは絶対に言えない「壁」だ。

彼らがそこまでは口に出来ない立場を大半の親方衆も関取もなんとなくは分かっていて、貴乃花が異様な差別思想に取り憑かれて異様な「モンゴル嫌い」の態度を取り続けていることももちろん認識されているからこそ(たとえば、巡業中もモンゴル勢が土俵で稽古を始めると弟子を引き連れて席を外してしまうのだそうだ)、白鵬が「貴乃花親方が巡業部長では安心して相撲がとれない」と、現役力士として本来は絶対にやってはいけない親方批判をあえて言ったのも、執行部の親方衆もその場では言葉を濁しながらも、ちゃんと聞き入れたのだろう。

一部の週刊誌報道はここぞとばかりに、かつての朝青龍バッシングの再来のような白鵬バッシングにいそしみ、テレビ報道はかつてかっこいい名横綱として国民に愛された貴乃花を中途半端に持ち上げてその「真意」を忖度することを競い合っているのはいかにも気持ち悪いのだが、ちょっとネットで検索をかけて見たらなんのことはない、貴乃花は極右に染まっているどころか、極右系のエセ神道の新興宗教にゾッコンなのだそうだ。

さらにはツイッター上では、貴乃花部屋の力士が自分のアカウントで旭日旗をカバー写真にしたりして、すっかりネトウヨ化すらしているらしい。


貴乃花がこんな極右カルト人脈に洗脳され、どっぷりそこに浸かっているとなると、貴乃花の狙いがひたすら騒動を引き延ばして少しでも話を大きくしてワイドショーを電波ジャックするのが真の狙いだとしても、誰の差し金で貴乃花がそんなことをやっているのかについてまで、「いくらなんでもまさか」と思っていた極論の “黒幕” 仮説が、どうも本当に真相なのではないか、と思えてしまう。

つまり、冒頭の繰り返しだが、この事態の長期化で政治報道がほぼワイドショーから消えてしまい、重大な疑惑をニュースがまったく取り上げなくなったことで、いちばん得をしているのは(つまりこのスキャンダルの最大の受益者は)安倍首相だ。

貴乃花が極右カルトの新興宗教につながっているのなら(その新興宗教のホームページを見れば、貴乃花はこのカルトの広告塔にもなっている)、この仮説もまったく荒唐無稽とは言えなくなる。

なにしろ、「國體」を崇拝する貴乃花は要するに、かつての森友学園と同様の、安倍の「日本会議」人脈、要は歴史修正主義で第二次大戦をなんとしても正当化して南京虐殺などはなかったと噓も百回言えば本当になると思い込んでいるような、「日本は神の国」的極右カルトのネオナチ人脈に属しているのだ。

だとしたら、貴乃花が日馬富士の事件の示談を拒否し裁判に持ち込みたがっているのも、協会の処分に対しても民事訴訟で争う気満々らしいことも、彼はそれで勝てるつもりだからなのだろう、と説明がつく。

裁判所が政治家の言いなりで、だから自民党極右の権力者に有利な判断を司法が忖度するなんてことはまともな国では絶対にあってはならないのだが、相手は貴乃花なのだから三権分立の原則も知らないだろうし(なにしろ「警察」と「検察」の違いがよく分かってなかったのだし)、また安倍政権ではそういう憲法上あってはならない判決も、現にしょっちゅう出ているではないか。政権におもねるために裁判所が司法判断から逃げることすら珍しくない。

いずれも苦し紛れのへ理屈で、違法性が訴えられたのを「違法と断定はできない」と誤摩化したレベルの逃げの判決でしかないのだが、まあ貴乃花であるとか極右カルトやネトウヨさんたちの頭のレベルでは、「勝った」か「負けた」かの区別しかつくまい。 
もちろん朝鮮学校への高校無償化適用が完全に合法であることは変わらず、これは外国籍への生活保護支給も同様で、「適用しないのも違法とまでは言えない」判決はただの誤摩化しのへ理屈だ。 
最高裁は総理大臣の靖国参拝の違法性の有無を判断せず、ただ訴えた原告がその参拝によって損害を受けていないと逃げただけだ。後者は合法という判断を下さなかったというのは要するに、最高裁だって実は違法(ないしその可能性は否定できない)と思っているからだ。 
しかしそれにしても安倍政権下では、こういう論理性をあいまいにした恥ずかしい判決が極端に増えている。

自民党の極右カルト分子というか、要するに安倍官邸か、党内の安倍の側近の誰かが貴乃花の奇行と引き延ばし作戦の “黒幕” なら、確かにその権力を傘に着て貴乃花が相撲協会を乗っ取ることも…これも普通の世の中なら絶対に無理なはずだ。だが相手は相当に世間知らずな貴乃花だ。総理大臣ならそれくらいできると(しかも自分は「國體」を守ろうとしているのだし)信じ込むだろう。しかも実際に、これだって安倍政権ならやりかねない。

それにしても「國體を守る」とか言っている貴乃花の途方もない勘違いは、いったいどこから始まったのかを考えると、やはり2001年5月場所の、対武蔵丸優勝決定戦が思い当たる。

貴乃花の認識ではミもフタもなく、自分が総理大臣に「感動した」と言わせたのはハワイ人の、つまり外国人横綱の武蔵丸を倒したからだと思い込んだのではないか?

逆に言えば、武蔵丸は貴乃花が膝に致命的な怪我を抱えていたからだけではなく、相手が日本人横綱で国民的ヒーロー、それも角界の「天皇家」みたいな血統の貴乃花だったからこそ、あそこで「土俵の鬼」になって「横綱相撲」の本気の取り組みで勝ってその貴乃花に大怪我をさせるなんてことは、絶対に出来なかっただろう。

藤島親方は武蔵丸の立場をそこまで考えていたのかも知れない(っていうか、観客ならともかく角界の当事者なら気付くでしょ)し、いずれにせよあの優勝決定戦はなんとか息子を止めようとしていた。しかし貴乃花はその師匠の(「相撲道」に乗っ取った、日本人なら当然の道徳観に根ざした)制止を聞かず、当然のこととして勝たせてもらえただけなのに、勝ってしまえば誰も批判せずに国民的ヒーローに持ち上げられてしまった。

だがこの際はっきり言っておこう。江戸時代やそれ以前に遡る日本の「大相撲」の歴史をちゃんと見る限り、また相手・敵と「息を合わせ」なければ立ち会いが成立しないといった相撲の格闘技としての特徴を見ても、「相撲道」というのはそんなものではないはずだ。

国宝 一遍聖絵 巻七 正安元(1299)年より 神社の境内
牛車に乗った貴族や高僧と ハンセン病患者たちや貧民

相撲が見せ物であるからこそ神事でありお祭りであるのも、土俵が神聖で塩で清められた場所でなければならないのも、そんな狭量で邪悪ですらあるケガレそのものみたいな考え方とは、まったく反する。

「國體」とか貴乃花たちが言うのであれば、日本がそんな国であったのは明治維新以降第二次大戦までのごく限られた時代の、それも最後の方だけだ。あれはどう考えても日本史のなかであまりに例外的な、異常な、日本人が日本人らしさ完全に失っていた時代だった。

12/10/2017

「日本の伝統」が聞いて呆れる 深川八幡「御家騒動」殺人に見え隠れする神社本庁と、大相撲「暴行」問題と「国體」


江戸時代後期の深川八幡(広重)拡大はこちら

富岡八幡宮で殺傷事件が、という速報が夜のニュースで突然流れたとき、通り魔事件でないならもしや関連が、とふと頭をよぎったのが、この八幡宮が神社本庁とトラブルになり脱退していたことだった。

まさかこのからみで刃傷沙汰か、というのもさすがにあるまいと思えば、なんとその通りだった。

多くの神社でそうであるように、ここの神職も世襲で、代々富岡家で引き継がれて来たものだったが、跡取り息子が不倫セクハラと使い込みで宮司の地位を追われ、そこでいったんは父である先代の宮司が復職し、氏子さんたちの総意もあってそのお姉さんである長女の富岡長子さんが神職を引き継ぐことになった。

ところが神社本庁はこの人事を許可せず、まともな返答もなく棚晒しにし続け、しびれを切らした氏子さんたちが神社本庁から脱退させ、長子さんが宮司になっていた。今回の事件の被害者である。

同じ八幡宮がらみでは、八幡信仰の総本宮である九州の宇佐神宮も神社本庁とのトラブルになっていて、地元の地域社会や氏子さん、さらにはこの由緒正しい八幡信仰のメッカを支えて来た同じ地方の神社(県神社庁支部)からの怒りを買っている。

毎日新聞の報道
https://mainichi.jp/articles/20160607/ddl/k44/040/300000c

ここでも世襲の神職一族の後継者の女性宮司を神社本庁が認めなかったのが混乱の始まりだ。解任された女性宮司は神社本庁相手に裁判係争中だ。

富岡八幡宮の事件は宮司一族の御家騒動という報道で、現職宮司を殺害した弟の元宮司が自殺しているので、マスコミでも動機はうやむやに済まされそうだが、神社本庁の不思議な対応が事件の原因に関係していることには、なぜかほとんど言及がない。

なぜ報道各社が、神社本庁が富岡長子さんによる継承を拒否し続けたのかを追及するというか、せめて神社本庁に取材を申し込むくらいのことはしないのか、理解に苦しむ。

長子さんが宮司を継ぐことがすんなり決まっていれば、いかに多々問題があって追い出されたも同然の元宮司の弟とはいえ、ここまで話がこじれることにはなっていなかったのではないか?

神社本庁の奇妙な対応が、犯人にあらぬ期待といか妙な自己正当化の理屈を与えたことはなかったのか?

少なくとも、神社本庁から脱退しなければ長子さんが正式に宮司になれなかったということは、姉殺しの殺人犯になった弟からみれば「ほら見ろ、姉は正規の宮司ではない。自分こそが本当の宮司なのに乗っ取られた」という逆恨みを信じ込み続けられる大きな根拠のひとつにはなる。

神社本庁もなにも言わないので憶測しかできないが、気になるというかとっかかりになりそうなのは、富岡長子さんの公式ブログの最後のエントリーだ。

12月7日づけの富岡長子さんのブログ「世の中間違ってやしませんか」
https://ameblo.jp/tomiokashrine/entry-12334480912.html

彼女はここで他所の神社の神職との忘年会が億劫であること、自分がセクハラに遭ったこと、その加害者である神主を他の神主が言い訳にならない言い訳でかばおうとした経緯を赤裸裸に語り、今後も同じようなことが続くなら実名を公表するとすら言っている。

神社の神職のオジサンたちの世界というのは所詮こういうものであり、宇佐八幡宮の場合も同様で、神社本庁側ではぶっちゃけ、もともと軍神である八幡大菩薩のお宮の宮司を女性が務めるなんて許せん、という男尊女卑丸出しだったのではないか?

男女平等は「現代の価値観」などという以前の問題だ。富岡長子さんはセクハラを告発したブログで、

「深川の人達は普通の街の人達ですけど、万が一、そういう事があればキチンと注意してくれます。「失礼だろう」と……」

…とも書かれている。

こんな普通の道徳が通用しないのが神主とか全国の多くの神社とか神社本庁の体質なら、曲がりなりにも宗教どころか、人としてあまりに非常識だろう。ましてかように人としてあるまじき歪んだ価値観に染まった人達が宗教を語る(騙る)こと自体、なにをかいわんや、となろう。

どうせ神社本庁なんてそんな自称「保守」な身勝手オジサンの集団でしかなく、曲がりなりにも宗教なのだからと期待する方が間違いだろう、と言われるかも知れない。ちなみに自民党の有力支持団体でもあるわけで、現政権の閣僚も大半がその政治団体のメンバーでもあるが、その自民党の方でもさる議員の「巫女さんが自民党を支持しないとはけしからん」暴言が問題になったこともあった。

宇佐八幡に神社本庁の要職から天下った、というか天皇家の重要な祖先神で第十五代応神天皇を神として祀り、清和源氏の氏神となりその系譜を称する徳川将軍家の崇敬も集めた全国の八幡社のなかで最も格式高い伝統を持つ総本社・宇佐八幡に神社本庁からの天下りで押し付けられた現宮司の振る舞いも、評判を聞く限りではさすがに宗教者として、あるいは地域の地縁コミュニティの要である神主として、というかそれ以前に人として、あまりにあるまじき人格と言わざるを得ないような話だ。

いずれにせよ神社本庁は「脱退した神社のことだから」「富岡家のトラブルだから」として関知しない、などと逃げずに、この事件についてしっかりしたコメントなりなんなりをしなくては、曲がりなりにも宗教団体、それも日本の民俗信仰を統括する団体としての責任は果たせまい。

百歩譲ってこれが富岡八幡宮の宮司一族の御家騒動に過ぎないとしても、そうしたトラブルがあった際に調整役・調停役として事態の解決に当たることもできず、氏子つまり信者の信頼を裏切るようでは、いったいなんのための全国の神社を統合する団体なのか?

神社本庁の側から積極的にコメントを出すべきことについて、マスコミがまったく及び腰なのも困ったものだ。 
自民党つまり政権与党の有力支持団体で、昨今はとりわけ同党内の右派や安倍政権との結びつき、森友・加計両学園のスキャンダルでにわかに注目される「日本会議」と癒着している可能性もあるから、政権に忖度してこの事件を単なる家族トラブルで片付けようとでも言うのだろうか?

広重 江戸名所深川八幡の社

それにしても、昨今はやたらと「日本の伝統」を強調したがる傾向が強い。東京オリンピックのエンブレムだけでなく、小学生の投票で選ばせるというマスコットでも「日本の伝統」が強調されている。

だがその肝心の「伝統」の担い手だったり、自分達こそその「伝統」を尊重しているのだと自負しているつもりの人々…とすら言う気が失せる、【そんな輩】に限って、この一件に限らずあまりに不道徳というか倒錯というか、堕落して劣化していないだろうか?

「国技・伝統」の大相撲の「暴行」問題も世間を騒がしているが、このスキャンダルでみんな気付いているのに誰も言わないことがひとつある…と思っていたら「被害者側」の貴乃花がミもフタもなく、この「暴行問題」の彼にとっての本質というか、なぜ必要以上に事態を混乱させているのかを、あられもなく口にしてしまっていた。

支援者に囲まれた「内輪」の席とはいえここまでバカ正直でどうするだ、とびっくりさせられるのだが、貴乃花は…

「国體を担っていける」

…大相撲を守るために戦っているのだそうだ。おいおいおい…

現役時代の末期には、晩年の父・藤島親方が「息子は洗脳されている」と週刊誌に漏らしてちょっとした騒動になったこともあったが、「あぁ、やっぱりそういうことなのね(呆)」というか、またとんでもないものに洗脳されてしまっているのか?

さすがにマスコミの前ではなく部屋の打ち上げパーティーでの発言で、しかし一度は報じられたものの、これまたこの事件に関する報道がこれだけ多い割には、まったく無視されているのも気になる。

貴乃花が相撲協会内の「改革派」というのも、要はこういうことなのは、業界内ではみんな分かっているのかも知れないが、それでも誰も明言はしないのだが、喩えて言うならやっぱり誰かさんの「戦後レジュームの打倒」みたいな保守懐古趣味の方向での右翼というか極右排外志向の「改革」で、狙われたのが白鵬・日馬富士らモンゴル勢というのが、少なくとも白鵬が優勝インタビューであえて口にした「膿を出し切る」の意味するところにしか見えない。

40回優勝という大記録の優勝パレードでも、白鵬はわざわざ宮城野部屋の弟弟子ではなく、モンゴル出身の後輩を、介添えでオープンカーに同乗させた。モンゴル人力士達は、最初からこの事態を貴乃花の狭量な国粋主義の差別排外主義の動きだと見て、抵抗の意思表示を念頭に動いていることがかなりはっきりしている。

白鵬がわざわざ「貴乃花親方が巡業部長では安心して相撲が取れない」と言い放ち、相撲協会がその上下関係を無視した異例の言い分をあえて受け入れたところ、今度はあたかも白鵬と貴乃花の個人的な確執であるかのように話を矮小化しているマスコミ報道もいかがなものか?

暴行事件それ自体は、もちろんどんな理由であれ殴ってしまった日馬富士が悪い、となるのが現代の標準的価値観では当然なわけだし、それは建前で「口で言っても分からない奴には」的な保守的な「伝統」が相撲界の内部では未だ日常化しているままだとしたら(そういう世界は相撲に限らずスポーツの世界では、高校の部活などでも常態化しているらしいが)、それはちゃんと明らかにした上で「膿を出し切って」体質を改めることは必要だろう。

だが貴乃花の動きはどうみても、そうした相撲協会や相撲界の「体質」を改革するためではないし、少なくともモンゴル出身力士たちはそうは受け取っていない。

なにしろ「國體」だけでなく、「角道の精華」とやらで「八州に輝く」のが理想なのだそうだ。またずいぶん時代錯誤な国粋主義もあったものだが、さすがにこれはもう相撲協会の新人養成では使ってないそうだが、ちょっとびっくりしてしまう内容である。

事件初期に出た報道だと、土俵で闘う相手と酒を飲んで仲良くなんてとんでもない、というわけで貴乃花は貴乃岩にモンゴル力士会に参加することを許さなかったという。これも相撲協会が「生活互助会で飲み会ではない」と慌てて訂正を出す話になったが、モンゴル人力士たちから見れば貴乃花がモンゴル人を弟子にする条件は、モンゴル人と付き合わないこと(同朋と縁を切って日本人に同化しきること)にしか見えまい。

そして協会の危機管理委員会が発表した事件の経緯によれば、貴乃岩はしきりにモンゴル人横綱たちにわざと反抗するような態度を取り続けたらしい。

もちろんこの中間報告は一方的だ、貴乃岩の言い分が抜けているから判断できない、という意見はあろうが、警察に証言したという「睨んでない、話を聞くので見ていただけ」と言うのでは下手な言い訳にもなっていないし、より肝心なのは、白鵬や日馬富士、鶴竜から見れば、こうした態度が単に貴乃岩が「生意気」ということには見えないであろうことだ。

はっきり言えば、貴乃花親方の反モンゴル国粋主義に、かわいい後輩が洗脳されているようにしか見えない。あたかも貴乃岩が貴乃花部屋で関取を続けるには、モンゴル人同朋と縁を切り、モンゴル人であることを棄てて日本国粋主義の「國體」に隷属することでしか許されないかのようだ。

その貴乃花はしかも、「弟子を思う」どころか自分の部屋の出世頭の貴乃岩を却って苦しめるように、その立場が悪くなるようにしか動いていない。

貴乃岩本人が事情を協会に話しそれがマスコミに出るのがよほど嫌なのだろうか? 
隠して部屋に閉じ込めて、「容態が良くない」と被害者側ぶりながら医者にも診せていない(本当に深刻なら、マスコミを避けるためにも入院させるのが最良の手のはずだ)のは、いったいどういうことなのか? 
PTSDなどの精神症状が問題なのだとしたら部屋の九州場所での宿舎のプレハブに窓を目張りして閉じ込めておくなんて扱いがいいわけがない。

こうなると暴行事件それ自体については加害者である日馬富士も被害者だし、その意味でも言うまでもなく、もちろん何重もの意味でもっともかわいそうな被害者が貴乃岩だ。

もちろん相撲界全体が、単に相撲協会がというのではなく、むしろそれを取り巻く相撲マスコミなども含めて(というか、そっちの方がむしろ激しく)、いわば「保守的」というか、一皮むけば相当に人種差別的なものであり続けている。

日馬富士といえば先々場所に満身創痍の1人横綱で最後には見事に優勝を勝ち取ったのも記憶に新しいが、それ以上に印象が強いのが、稀勢の里が横綱としての初の場所で全勝を阻んだ凄まじい気迫の取り組みだった。結果、稀勢の里はこの時の怪我が元で苦しみ続けているわけでもあるが、この一戦だけは絶対に負けまい、と決意した日馬富士の気持ちはよく分かる。

その前の場所では、稀勢の里が白鵬を敗ったこと自体は結構なことだが(全勝優勝で横綱昇進になった)、あの観客の喜び方はいったい何だったのか? 白鵬も日馬富士も、そうなるのが分かってはいても、それでも愕然としただろう。

かつて朝青龍が引退に追い込まれた時の悪夢が2人の頭をよぎったとしてもなんの不思議もない。こと白鵬はああはならないように、土俵の外では慎重な「優等生」に一生懸命徹して来た。一方で土俵上では「勝つことが品格」と開き直った、というか覚悟を決めるようになったのも気持ちは分かる。どんなに頑張っても、稀勢の里以前では日本人最後の横綱だった貴乃花が「土俵の鬼」、横綱の鑑だと言われ続けるのだ。

ではかつての貴乃花と白鵬、どちらの相撲が「土俵の鬼」と言えるのか?

貴乃花の名勝負というと2001年の武蔵丸との優勝決定戦がすぐ持ち出されるが、これもひどい。「痛みに耐えてよく頑張った」というが、あの取り組み、どうみても武蔵丸は手加減をしている。ここで本当に「土俵の鬼」になって怪我をしている貴乃花を打ち負かせば、ハワイ人である(日本人ではない)自分にどんな怨嗟が向けられるか、分かったものではないし、そうでなくとも手負いの相手に本気の取り組みはできないことの方が「相撲道」だろう。

藤島親方は貴乃花に、あの千秋楽は休場するように説得しようとしたそうだが、それが「横綱の品格」というものではないか?

こんな「国技」相撲を取り巻く環境のなかで、元北勝海の八角親方は実はよくやっていると思う。世論に押されて稀勢の里を久々の日本人横綱にした時に、同時に売り出したのが弟弟子の高安だ。高安は日本国籍とはいえ母親はフィリピン人で、日本国内のフィリピン人コミュニティが高安を応援している姿もマスコミで流れるように仕向けた。

相撲は「国技」だ、「日本の伝統」だというが、モンゴル人力士を含めた多くの外国人をこれだけ受け入れて来ている今、相撲界は(協会が、というのではなく観客や相撲マスコミやワイドショーも含めて)その現実をもう一度よく考えるべきではないか…と思ったら、相撲解説者になった舞の海などは、「憲法九条があるから日本の力士は強くなれない」などという暴言まで言っているらしい。ちょっといい加減にして欲しい。

念のため言っておくが、プロレスに転向した力道山は言うまでもなく在日コリアンだし、昭和の名横綱・大鵬は樺太産まれの引揚者で、父はウクライナ系のロシア人だ。

そのウクライナ(冷戦後の現代では俗に「世界一の美人の産地」とまで言われ人気モデルにもその出身者が多い)の血が入った、目鼻立ちのはっきりした美男ぶりから、大鵬人気には女性ファンも多かった。

だいたい相撲が江戸時代から大人気の日本の伝統の大衆娯楽なのはその通りだが、「国技」というのは近代の産物であって伝統でもなんでもない。

むしろ近代化のなかでいかがわしい野蛮な見せ物のように誹られる傾向が強く、そこで相撲専門の競技場を造るときのネーミングで「国技館」と大きく打って出て権威化をでっち上げようとしたのが、相撲が「伝統の国技」になった始まりだ。

同じような道をたどったのが歌舞伎だ。

今ある歌舞伎の名家・大名跡は市川団十郎家にしても尾上菊五郎家にしても中村勘三郎家にしても、確かに江戸時代の「大芝居」に遡るものだが、歌舞伎座のようなステータス・シンボル的な権威付けも含めた今の上演形態は、西洋演劇のぶっちゃけ模倣である「新劇」がインテリ的にもてはやされて大衆芸能である歌舞伎が「古くさいもの」として貶められようとしていたのに対抗した団菊佐時代に基礎があるもので、江戸時代の歌舞伎そのままでは決してない。


ちなみにこの歌舞伎の「伝統」とナショナリズム的な純血主義の関係で言えば、十五代市川羽左衛門がフランス系アメリカ人の子だという噂があるが公式にそう認定されたことはなく、「歌舞伎俳優=純粋日本人」というか、日本人でなければ歌舞伎なんて演じられないという固定観念は根強い。 
こうした偏屈な保守性(と言っていいだろう)に風穴を空けようとしているのが七代目尾上菊五郎、フランス人を父に持つ菊五郎の孫・寺嶋眞秀(母は女優の寺島しのぶ)が今年、「初お目見え」と言いながら実際には「初舞台」と言っていい大役で歌舞伎座デビューしている。 
幸い、眞秀くんの堂に入った演技で(ほんの二日目か三日目には観客の喝采や笑いを計算したタイミングで台詞を言うようになっているのだからたいしたものだ…)好評に終わったものの、ここに漕ぎ着けるには相当に抵抗もあったであろうことは容易に想像できるし、こと菊五郎は記者発表で「ポスターに『グナシア寺嶋眞秀』と本名を出したかったが会社に『字数が多過ぎて入らない』と言われた」という冗談に、しっかりと抵抗の大きさとそれに屈しない音羽屋の決意を滲ませていた。


いやだいたい、明治の産物でしかない「伝統」を言うのなら、話を深川の八幡宮に戻せば「神道」なるもの自体が、明治に国がかりで作り上げられた新興宗教なのが実態だ。

まず江戸時代までの日本人は「神仏」を信仰していたのであって、教義的には「神道」というか「社」に祀られたカミガミへの信仰は仏教に取り込まれることで体系化されたのが、平安時代の空海と最澄による密教の導入以降1000年以上の日本の「伝統」だ。

富岡八幡宮や宇佐神宮の祭神である第十五代応神天皇は、仏教伝来前の天皇(ちなみにこの応神帝が実在した可能性が高い天皇と神話上の天皇の境目になる)だが、明治以前の神号は「八幡大菩薩」であり、視覚化された表象は仏僧の姿が一般的だった。

快慶 僧形八幡神坐像 建仁2(1201)年 国宝
本来は手向山八幡宮の本尊 明治の神仏判然令で東大寺に移された

あらゆる仏、ひいては世界そのものが究極的には大日如来から派生するとみなす密教の教義理論で、日本のカミガミは仏が日本向けにカミの姿を取った存在(権現)とみなされるよう体系化され、「神仏習合」が理論的にも裏付けられるようになった(本地垂迹説)のが平安時代以降だが、神仏「集合」と言うものの、それ以前に仏教とカミガミへの信仰がそもそも別個のものだったかどうかも、実のところよく分かっていない。

むしろ例えば東大寺には創建当時から鎮守社として八幡神が勧請され手向山八幡が付随していたり、飛鳥時代に遡れば今も続くなかでは最古の仏教寺院である大阪の四天王寺が物部氏の屋敷の跡地ないしその古墳に建てられたという伝承があるように、仏教の伝来とほぼ同時に漠然と「神聖なるもの」としてカミも仏も同列に信仰対象だったと考えた方が合理的だし、逆に言えば仏教もまた、受容の課程でカミ化しているとも言える。

奈良・東大寺総鎮守 手向山八幡宮 神門 江戸時代

京都の賀茂川の東側の花街が祇園と呼ばれる、その地名の起源が仏教の経典にある「祇園精舎」であることが、明治以降にはよく分からなくなっているが、明治以降は「八坂神社」と呼ばれている社の本来の名が「祇園社」ないし「祇園感神院」だから「祇園」と呼ばれるようになったものだ。

祇園社(祇園感神院・現「八坂神社」)本殿 承応3(1654)年

花街の起源はその門前(現在の南楼門。こちらが正門で祇園・四条通に面した西楼門は正門ではない)にあって参拝客を接待した茶屋だ。

明治以降はスサノオノミコトが主祭神とされているが、元々は仏教で閻魔大王の両脇に控える牛頭馬頭の二神の牛頭大王(祇園精舎の守護神ともされる)が祀られており、本地垂迹でスサノオと同一視されていた。


だいたい「感神院」という名称はつまり寺院だったのだし、高句麗からの渡来人が建立したという社伝の一方で、歴史研究によれば9世紀に元は寺として建てられた可能性も高い。元は興福寺の末社で、その後室町時代までは比叡山に属していた。

「祇園社」が「八坂神社」になったり、東京の浅草寺に付随する三社権現が「浅草神社」になったりしたのは、あまりに極端な違いだが、類推がつく範囲の改変では「八幡大菩薩」では仏教になってしまうので神号が変わった八幡神の総本社が「宇佐神宮」になったのも明治以降である(正しくは「八幡大菩薩宇佐宮」ないし「宇佐八幡宮弥勒寺」)など、枚挙に暇がない。

むしろ名前が変わっていない神社を探した方が早いのかもしれない。

東大寺と興福寺の隣にある藤原氏の氏神が「春日大社」なのも「春日明神」「春日権現」ないし「春日社」が明治以降に変えられたものだし、元はお隣の興福寺と一体だった。

ここの四つの本殿の周囲は20年ごとの式年造替で修理(かつては建て替え)がある時以外にはほとんど誰も立ち入れない聖域だが、その本殿前の中門の左右の、本殿と向き合う部分(ただし本殿とのあいだには冊が)は、かつては興福寺の仏僧が読経し祭礼を行うスペースだったと、今の春日社ではしっかり説明看板も立てている。

春日大社 中門より本殿第三殿 この左右の御廊が興福寺の僧侶の読経スペース

神社本庁が卒倒を起こし出すような話かも知れない。昨年の式年造替に併せて新しい宝物館も開館したが、展示品のかなりの部分が仏教美術のカテゴリーに入るものだし、そのこともしっかり説明されている。

由緒ある神社となると有名観光地でもあり、こと外国からの観光客もこれだけ増えれば「なんとなく」ではなくきっちり文化財の由来や歴史は説明しなければならない。そうすれば必然的に、自民右派(というか安倍政権)と結び付いて右傾化の急先鋒にもなっている今の神社本庁とは意見が合わない、目障りにはなるだろう。

ちなみに境内の五重塔・経蔵(輪蔵)・本地堂の仏教施設を守り抜いた日光東照宮は、とっくの昔に神社本庁を脱退している。

日光東照宮 経蔵(輪蔵) 
同 本地堂(薬師堂)
本地堂(薬師堂)いずれも寛永13(1636)年
日光東照宮の仏塔である五重塔 文政元(1818)年再建

だがそもそも、神社本庁というか明治政府が造ろうとした「神道(国家神道)」がイメージして来たような「伝統」は日本にはなかったのだ。

日光東照宮も山の裾野から斜面に建てられているが、春日大社と言えばやはり山の麓にあって、回廊が妙にねじ曲がっているというか、真っすぐに建てられていないことも知られている。

春日大社 東回廊
南回廊(東側つまり山側)


この社伝は本殿の第一殿の祭神タケイカヅチノミコトが鹿島神宮から奈良に降り立った御笠山の麓に建てられている。

春日大社 本殿の東側の奥の院 つまり御笠山を拝む遥拝所

神聖な山の斜面を切り崩して平らな境内地を造成することは宗教的に許されない。そこで回廊は斜面に沿って斜めに歪むことになった。



京都の下鴨神社(加茂御祖社)の糺ノ森が有名だが、神社には本来鎮守の森が付随するのが当たり前だったし、徳川家康が日光に葬られたのは、日光山系全体が元々は修験道の聖域だったからだ。

巨岩や山や島そのものがご神体である神社も多く、あるいは境内に川が宗教的な意味を持って流れていたりする場合も多い。

下鴨神社(加茂御祖社)の御手洗川と御手洗社

要するに、日本人の信仰体系は元をたどれば自然信仰であり、そこには農耕民族としての文化を古代から育んで来たからではの、狩猟や牧畜が主たる文化だったことがうかがわれる、たとえば旧約聖書のような神話体系とは、かなり異なった独自性もある。たとえば多くのアニミズム信仰でおなじみの地母神信仰は、縄文時代にはそう解釈される土偶が見つかっているものの、その後の日本にはない。

大地そのものがひとつのカミではなく、それぞれの土地にそれぞれ地霊があり、あるいはその地霊がカミとして社に祀られたり、その地霊を鎮めるための「鎮守」のカミが勧請されるのだ。特に神聖視されるのが、普段の生活で人間社会の外にある山で、ちなみに地母神信仰の形跡がなく山が崇拝対象になっている例では、他に現在のカンボジアのクメール人がある。

ちなみにいわゆる「日本人」の起源となったのは恐らく弥生時代に日本列島で稲作を始めた人々だろうが、弥生人にも恐らく山岳信仰があった形跡がある。そして最新の研究では、この弥生人の起源がカンボジアから中国・雲南省辺りではないか、という説もある。 
クメール文明はその最盛期に山に見立てた巨大な仏塔(須弥山)を中心とするアンコールワットのような巨大石造寺院を造るが、弥生時代に稲作を始めた日本人が、やがて王の墓として人工の山を造営し始めたのが、いわゆる「古墳」だ。

なお地母神がない代わりと言うわけでもなかろうが、日本では太陽神は女性だ。

土偶「縄文のビーナス」

縄文時代に日本列島にいたのが必ずしも今の日本人と同一民族とは言い難いが、この時代ですらかつては新石器時代の狩猟採集文化だと思われていたのが、木の実などを食するにしてもほとんど農耕と言っていいものだったことが最近の発見や研究で明らかになっている。

そして原日本人が成立したと言える弥生時代は、ほぼ完全に農耕を基盤とした文化だ。

農耕は自然のサイクルがいわば例年通りというか、四季の変遷がいつも通り安定していることが肝要で、稲作のような農耕コミュニティの生産や生活はその自然に依存しつつ、かつ自然を人間の力である程度作り替えて人間の領域を作り出すことで成立する。だが人間のコントロールの範疇にはもちろん限界があり、例えばどんなに用水路や溜池を整備しても(例えば空海が造った溜池という伝承は日本中にある)、たとえば雨が降らなければ困るし、降り過ぎれば洪水になって稲作コミュニティは崩壊する。

そうした生存環境のなかで、日本人は人間外の大きな力を畏怖しつつ、その大きな力がそのまま発揮されないことを祈る信仰文化を作り上げることで日常を守ると同時に、その日常から逸脱したものを恐れながら崇拝もし、その崇拝行為を平凡で退屈な繰り返しになりがちな、地道な日常のサイクルにメリハリをつける娯楽ともして来た。

だから神社においてはその周辺地域コミュニティ全体が参加する祭礼が大事だったし、仏教も「外の世界」から来た外来信仰だからこそ神聖なものとしてすぐに受け入れられ、最初はエキゾチックで華やかなものとして発展した。こと「大仏」などはいかにも分かり易い。奈良時代では「大きくて目立つことはいいこと」だったのだ。

東大寺 大仏殿

相撲が日本の「伝統」であるのも、要はそういうことだ。相撲取りは尋常な人間の標準を超えて巨大であり、その「人並み外れた」力を体現する力士どうしがぶつかり合う祭礼というのが、大相撲が「神事」である由縁であって、貴乃花が言っているような大げさな「國體」だの「毘沙門天が乗り移って」だのと言うようなものではない。

石山寺・毘沙門堂の兜跋毘沙門天 平安時代前期8〜9世紀
毘沙門が中国西域の兜跋国(今のトルファン)に現れた姿と言われる
この形式の毘沙門天像の原型は京都・東寺に伝来する唐代の渡来仏と
みられ、他に滋賀県の善水寺、京都府の鞍馬寺、岩手県の成島毘沙門堂など

だいたい日本のカミではない。毘沙門天は仏教の護法神で、元はインドのクベーラ神、四天王として祀られる場合は多聞天で、上杉謙信に勘違いした憧れを抱いているらしい貴乃花には申し訳ないが、元々は財宝の神で軍神ですらない。ちなみに日本では財宝と豊穣の神になっている大黒天が、元はシヴァ神で、軍神・破壊神だ。

快兼 大黒天立像 南北朝時代 貞和3(1347)年

明治時代に日本を激変させた、西洋由来の近代の価値観でいえば、相撲は異常に太った巨漢が力を競うというか見物に供する「奇人変人ショー」にしか見えなくなったのだろうが、異常と言うか非日常的に大きく非日常的に太った力士が非日常的な一瞬に力を発揮することそれ自体が「相撲は神事」なのだ。

広重 両国回向院境内全図 天保13(1842)年
中央に仮設の大きな見せ物小屋が見える

土俵は「結界」であり人間離れした=カミ的な力を持つ相撲取りがその力を解放していいのはその結界の中だけだ。このように「結界」が重要になるのも、日常と非日常(たとえば祭礼)、平凡な人間と尋常ではない異なるものとの微妙なバランスを保つことが信仰文化であったからこそだ。

現存する最古の神社建築は平安時代末の宇治上社の本殿だ。それ以前のカミ信仰空間の構造は古代から同じ形で式年遷宮を繰り返して来たとされる伊勢神宮など以外は、発掘された祭祀遺跡など、ごくわずかな断片的な痕跡から類推するしかない。

宇治上神社 本殿 平安時代後期11世紀

この平安時代の本殿が、内部に三つの祠を祀る、言い換えればその神聖な祠の覆い屋になっている。つまりは神聖なる力を直視しないで済むよう、その力が野放しにならないよう造られた結界とも考えられる。



中世に入ると神体や神霊が固く閉ざされた扉の奥に鎮座する本殿の前に、さらに拝殿などを設け、柵で囲い直接には全体が見えないようにすることが一般化する。


春日大社の本殿も、下鴨神社の東西の本宮も、上賀茂神社の本殿・権殿も、ほとんど直視できないほどに囲われている。

下鴨神社 御簾越しにしか見られない東御本宮(国宝) 江戸時代寛永期の式年造替

伊勢神宮の本宮がその最たるもので、冊の内側に入って本殿を直視できるのは天皇だけとされている。出雲大社も本殿は拝殿から仰ぎ見ることは出来るが近づくことはできず、誰もまず中に入ることがない。

そうした結界を破るとなにが起こるのか、どういう「罰が当たる」のか、縁起でもないので神社では口にされることがほとんどないが、仏教寺院の方でははっきりした伝承や伝説も少なくない。 
浅草寺の秘仏の黄金の観音像や東寺西院の不動明王は「見たら死ぬ」だし、法隆寺夢殿の救世観音はかつて秘仏で「厨子を開けたら天変地異が起こる」、長谷寺の縁起によれば最初の本尊が彫られたのは琵琶湖の北から流れ着いた巨大な霊木で、本尊の十一面観音が彫られるまでは何十年にも渡って多くの人を祟り殺している。

相撲の土俵も結界なら、横綱というのも語源は土俵入りの際に腹に巻く大きく太い綱だが、これも神社の神木にしめ縄が巻かれるのと同様、結界だ。尋常ならざる巨体が尋常ならざる力を発露させる「神事」が相撲であり、とりわけ最強の横綱の腹の中に存する力が発揮されるのは特別なときだけで、拮抗するような霊力を持ちそうな太い綱で閉じ込められなければならない。

その神聖な力とはつまり、横綱が普通の人間とは異なるからこそのものであり、だからウクライナ系の血を引く大鵬やモンゴル人の白鵬、日馬富士や朝青龍が横綱である、ハワイ人の曙や武蔵丸が最強であったことは、純然たる日本人(つまり日本人にとって「普通の人」)でないからこそでもあるのが、相撲の「伝統」の本来だとすら言える。

歌舞伎だって同様だ。尾上菊五郎は1人で「四谷怪談」の殺されるお岩と殺す側の二役、三役を演じて評判になり、さらにこれは元々は忠臣蔵に組み込まれて演じられる芝居で、そうなると大石内蔵助(大星由良之助)まで菊五郎が演ずることになる。
 
市川団十郎家に至っては、にらむことに魔除けの効果があるとされ、『暫』などが正月に演じられるのは祝祭の縁起物だし、初代の当たり役は全身を赤く塗って演じた不動明王だったりする。

自然の、人間外の、人間を超越した力は、それがなければ人間世界の生活も生命も成立しないが、それが過剰に作用すれば今度は危険になる。だからカミは慰撫し安んじてもらわなければならないし、結界の中に留まってもらうか、人間世界にみだりに侵入されても困る。だからその自然の力が集中し高まったものであるとことの神を祀る場は、鎮守の森で囲まれたり、あるいは山上の、人間の共同体の外周部、外の世界との接点にしばしば置かれて来た。

ちなみにこれは、仏教寺院でもとくに重要な霊場・修行道場がそうだ。 
比叡山にせよ日光にせよ神聖な、カミ宿る山の全体が霊場であり、高野山や八葉の蓮華の形をした巨岩に本堂が建てられた石山寺もそうだし、長谷寺や清水寺も恐らくはそういう場で、この場合はかつ神聖な霊水の泉や川もある。、

ところが近現代の「神道」が作り上げられる(捏造される)課程で、明治政府はそうしたあまたの自然神信仰の社を廃絶させ、古事記などに記述があるような人格が特定されるカミガミの社に無理矢理併合させ、鎮守の森を伐採して農地として売り払わせているのだ。

鎮守の森を廃した明治政府の言い分は、「西洋の教会は森になんて囲まれていない」だったそうだ。なんだかあまりにバカバカしくて情けなくて、虚しくなって来る。

12/05/2017

「本能寺の変」は起こって当然でミステリーでもなんでもない


前回エントリーに続き、前代未聞な大河ドラマの、というか戦国時代時代劇の革命『おんな城主直虎』がらみの話。

記録上、このドラマでは井伊直虎を名乗った説をとっている法名・祐圓尼、次郎法師とも名乗っていたらしい井伊家直系の尼僧は(ややこしくて恐縮だが断片的にしか分からない史実をつなぎ合わせると言えるのはここまで)本能寺の変の約2ヶ月後に亡くなっている。

と言うことは、ドラマのほぼ最終回で本能寺の変が起こって、堺にいた家康一行が「伊賀越え」を敢行し、井伊万千代が元服して井伊直政となり、直虎は井伊家の将来を託して安心して生涯を閉じるところで大団円…という普通に期待されそうな展開には、どうも絶対になりそうにない。

というのもまずヒロインの直虎がまだまだとても死にそうにないし、今死んでしまっては「戦のない世を見とうございます」、そのためには家康が天下の要に、という彼女がたどり着いた決意には、まだまだ当分が決着がつかない。

それになによりも、この脚本の本能寺の変の解釈では「突然の明智の謀反でびっくり」といった突発的な事件とは、まったくみなしてはないのだ。

むしろひとつの必然として光秀が信長を殺すに至る展開は、とてもではないが家康が伊賀越えを成功させて「ああ良かった」では済みそうにない複雑さで、しかも井伊万千代だけでなく井伊直虎までが、そこに深く関わることになりそうだ。

「あと二回しかないんじゃないの?これどうやって丸く収めるんだ?」と余計な心配はともかく、この本能寺の変の大胆な解釈は、史実上の具体的な根拠があるわけではないが、にも関わらずこの事件の歴史的な本質をしっかり踏まえ、井伊家の関わり方の部分はともかく全体的には十分にあり得るリアルで切実な話になっているのが、これまで小説家やアマチュア歴史家や映画やテレビの脚本家があまた提示して来た様々な俗説とは、一線を画している。

明智光秀像 大阪府・本徳寺蔵

明智光秀が織田信長に突然謀反を起こし殺害したことは、俗に「日本史上最大のミステリー」と言われ、最近では光秀が土岐氏の血統なのでその復興を目指していたといったまことしやかな俗説も唱えられたり、はるかに真面目な話として直接のきっかけと関係がありそうな書状も数年前に発見された。


長宗我部氏の支配する四国に武力で侵攻して滅ぼすのか、臣従をさせるのかをめぐって、その交渉を命じられた光秀は、長宗我部と縁戚関係にもあって、交渉に成功しつつあったのに、信長が平然と反故にして長宗我部を滅ぼそうとしていた。

この路線対立が光秀が謀反を決意するきっかけのひとつだったことは十分にあり得る。だがそれとて、ひとつのきっかけに過ぎないだろう。

これ以前にも、和睦や平和裏の臣従の可能性もあるのに冷酷無比に残虐な戦争を強行するよう(させるよう)になっていたのが当時の信長だった。

比叡山や本願寺派など仏教勢力との対立では虐殺行為さえ繰り返し、この前年には高野山とも対立を深め千数百名の高野聖を虐殺同然に賀茂川の河原で見せしめに処刑までしていた信長が、今度はいよいよ高野山本体も焼き討ちし、四国も武力征圧しようとしていたのだ。

長宗我部との交渉が信長の気まぐれで破綻しつつあったのがきっかけになったとしても、ついに光秀が付き合いきれなくなった最終局面のようなことだろう。

比叡山延暦寺の釈迦堂 信長焼き討ち以前の鎌倉時代にさかのぼる数少ない建築

実を言えば本能寺の変はミステリーでもなんでもない。光秀が信長を討たなければ、他の誰がやってもおかしくはなかったのだから「なぜ?」も謎もなにもないのだ。

俗説に黒幕説も後を断たないのも、光秀以外の織田家臣団の誰でも、当時の徳川のような同盟と言いつつ事実上の属国でも、機会さえあれば信長を殺すのに十分な動機はあった。

端的に言えば、織田信長をここまで強大な勢力に成長させた家臣団それ自体が、主家が大きくなったぶん、彼らそれぞれも織田家にとって脅威になるほど大きくなっていたことがある。そうやって力を持った家臣は、今度は信長や後継者の息子たちにとってはむしろ邪魔になり得るし、主家に取って替わり得るほどの力を持ち始めているのならばその力を抑制し疲弊させ、極論を言えばチャンスがあれば殺した方がいい。

逆に言えば、家臣達それぞれから見れば、そんな主君に殺されるくらいなら、先手を打って謀反を起こして主君を討った方がいい。

武家の「忠義」という儒教道徳はむしろ江戸時代にこそ推奨され、普及し、武家の骨身にまで刷り込まれたものだ。だいたい儒教それ自体が、中国皇帝が官僚機構で全土を支配するため、つまり安定した政権に合わせた政治・道徳理論だ。 
主君が臣下に所領を与え安堵することとの引き換えに臣下が武功で主君に尽くすという中世の日本の、いわば契約関係と利害の一致する共同体としての大名たちの「家」の現実には、必ずしもそぐわない。 
まして当時は室町幕府の統治秩序が応仁の乱で崩壊した後の、「下克上」が当たり前の戦国時代だ。 


比叡山延暦寺 西塔 釈迦堂 鎌倉時代

本能寺の変が起こった天正10(1582)年に、織田軍は3月に徳川との連合で甲斐の武田勝頼を滅ぼしている。西では羽柴秀吉が中国地方で毛利攻めの真っ最中で、北陸では柴田勝家が上杉と対峙していた。さらに高野山攻略も秒読み段階で、先述の通り信長は(最新発見の一連の書状のやりとりによれば)これから四国攻めも始めようとしていた。

信長がこのように多方面で同時並行で軍事力を行使できたのは、家臣たちがそれだけ有力な、ほとんど大名クラスの武将に成長していたからでもある。

信長は所領を広げるたびにかなり広大な領地を家臣に恩賞として与えてその所領についてはかなりの自由度・独立性の高い統治を許し、またそれぞれの家臣に自分の強力な軍団も組織させていた。

こうした家臣達の競争関係がまた、織田全体にとって大きな活力にもなっていた。

また濃尾平野の平定を出発点にした信長は、畿内を中心に農業生産性も高く特産品も多い土地を押さえて来れた上に、教科書でも習う「楽市・楽座」制のように商業振興にも力を入れ、家臣団も自分の所領でそれに倣ったため、軍事力以上に強大な経済力を織田は持つことができた。

「勇ましい戦国武将」のファンタジーへの憧れで目を曇らされることなく史実を見れば、当時軍事力、戦争が強いことを誇り恐れられた勢力といえば、まず武田だ。織田の強みはむしろ豊かだったこと、財力・経済力だった。 
逆に武田はいかに戦は強くても、気候の厳しい甲斐は農業生産性が低く貧しいままで、また貧しいからこそ領土拡張政策を選び、まずは信濃を手始めに、各地を侵略して勢力を広げて行った。
その「戦国最強」の武田を破ることができた長篠の戦いの信長の斬新な作戦も、この大きな財力があってこそのものだ。 
長篠合戦図屏風 左に鉄砲を全面に出した織田・徳川連合軍
当時の日本で鉄砲はすでに完全に国産化されていて、その保有数は戦国時代末期の時点で当時世界一の十五万丁という試算にも相当に現実味があるが、それでも長篠の合戦の時点であれだけの数の鉄砲をひとつの戦場に集約させ、しかもこちらは硝石を輸入するしかなかった火薬を惜しげなく使えるほど潤沢に揃えるには、相当な資金力と流通ルートの確保が必要だったはずだ。


時代劇や戦国時代マンガや時代小説やゲームではほとんど無視されているが、天下統一にあと一歩までに至った織田の力というのは、信長の強烈な残酷独裁キャラとか、そのキャラ故に戦争が強かったとかではなく、こうした統治機構や政策の先進性で、強い経済と強い家臣団を育てて来れたことが大きい。

信長本人は確かに気まぐれで厳しく、突飛な発想についていくのも大変な、いわば無茶苦茶怖い上司ではあったが、ただ横暴な強権で押さえつけるだけの独裁者だったら、当時の日本でこんなに成功できていたはずがない。

むしろ織田の家臣はそれぞれに大きな自由度を与えられ、そのあいだで競争も激しかったからこそ、信長に忠実にそれぞれに大きな働きをなして、天下統一の一歩手前まで信長を押し上げることができたのだ。

延暦寺釈迦堂 鎌倉時代

だがこうした信長の統治手法は、織田がここまで大きくなってしまったとなると、信長と織田家それ自体にとっては両刃の剣にもなって来る。

それぞれの家臣が力を持ち過ぎれば、信長本人の強力な指導力に従ってくれているあいだはともかく、次の代にでもなればいつ力を持った家臣に取って替わられるかも分からないのだ。

そこで信長は巨大な権勢を見せつけるような安土城の築城と並行して、強力な自分の直属部隊を組織するなどして織田家本体にも力を集約させ、さらに後継世代での権力の安泰を狙って、家臣には難癖をつけたり無茶な軍役を課してその力を削いだり、それでうまく行かなければ激しく叱責したり処罰するような動きを始めていた。

これまで信長に忠実であることで自分も成長できた家臣達にしてみれば、今度は自分がその主君にとって大きくなり過ぎたので潰される危険を考えなければいけない。

そうでなくとも信長の、「天下布武」を標榜するその戦い方や圧力のかけ方、権力の見せつけ方は、はっきり言って当時の日本人の普通の価値観からすれば、よく言えば型破りで中世的なしがらみを打破し先進的、それだけについていくのも大変な、人を人とも思わず、当時であればもっとも気にされたであろう仏罰天罰をまったく意に介していなさそうな、空恐ろしいものでもあった。

天下統一が射程に入って来たとなると、征服する敵がいなくなった信長が今度は誰に矛先を向けるのか、分かったものではない。

またそうなってくれば、征服戦争と支配地域拡大が続くあいだは武功の競争で成立していた家臣団のなかでも、軋轢も当然起こって来る。気に入らない同輩を主君を動かして亡き者にするというのも、当然あり得た展開だろう。

釈迦堂の前の山の上にあるにない堂 江戸時代寛永期の再建
今ある比叡山延暦寺のほとんどの堂舎は徳川家が再興したもの

明智光秀のような織田の有力家臣から見れば、この主君が天下を統一するまではいいが、その先が怖い。

統一されたあとの天下の先行きの将来像がまったく見えない上に、自分の身も危ないかも知れないのは、柴田勝家にせよ丹羽長秀にせよ、羽柴秀吉でさえ、織田の有力家臣にとっては大なり小なり似たような事情だった。

いつ突然自分に謀反の言いがかりがつけられて、処刑されたり暗殺されたり自害が強要されるか、所領の居城で決死の籠城戦になり、召し上げられた所領が信長の息子の誰かに与えられる事態になってもおかしくないし、他の大名が和睦・臣従しそうな時に皆殺しの全面戦闘を命じるのだって、他国に織田の強さ恐ろしさを見せつけることだけが目的ではなく、うがった見方をすれば激しい戦闘で自分達を疲弊させて主家への脅威を減じるのが狙いかも知れない。

つまり誰が信長を殺しても不思議ではなかった。あとは実現可能性、信長を討った後での勝算があったのかの問題でしかない。

信長の墓所 大徳寺塔頭・総見院

小説的なロマンチシズムで見れば、信長の死は天下統一の夢の途中で明智の裏切りに潰えた悲劇にもなろうが、歴史学的に大局を見れば、武力統一までは漕ぎ着けて天皇から征夷大将軍なり関白なり太政大臣の官位を得て大義名分も整えられたとしても、それで「天下布武」「天下統一」が実現したとは限らない。

むしろそれだけでは「戦国時代」は終わらなかった。歴史や政治というのは、ゲーム的な戦争の勝ち負けでは済まない。

今年の大河ドラマが革命的なのは、詳細がまったく分からない主人公なのでストーリーの主筋がフィクションだからこそ、そのフィクションを構築するために当時の社会のあり方や価値観、歴史の流れを徹底的に踏まえ、絵空事的な英雄譚としての戦国時代を見せるのではなく、時代背景とその社会のあり方をリアルに浮かび上がらせようとしているところだ。

そうして見えて来る「戦国時代」の全体像は、家康が直虎に「わしはこの世が嫌いだ」「誰がこんな世にしてしまったのか」と言うように、そうとうに嫌なものである。

だからと言って家康は、この時点ではまだ「だから自分がこんな戦国の世を終わらせるのだ」とは考えていない。 
後代の、結果を知っている偏向史観ではなく家康のそれまでの人生を辿って当時の立場を考えてみれば、天下統一などとこの時点の彼が思いついたはずが…というより、思いつけたはずがない。

既に直虎が、織田の「天下布武」が成功するとは思えない、と台詞で言ってしまっているのは説明し過ぎというかテレビ的だが、そう言われなくとも無理であることが、二つの点で十分に表現されて来ている。

まず直接的な見た目では、つまり誰が見ても分かり易いポイントでは、市川海老蔵演ずる信長をあまりにエキセントリックな魔王・鬼として見せて来たこと(これはスターにしかできない荒唐無稽スレスレの造形で、海老蔵というのはまさにキャスティングの妙)だ。

市川海老蔵の織田信長

だがそれ以上に見事な作劇の妙は、11ヶ月間かけてじっくり「戦国時代」というか中世末期の日本社会の現実のロジックと当時の価値観をできる限り再現してでドラマを構築して来たことだ。それも武家だけでなく農民や商人、僧侶、果ては流浪民まで含めて当時の社会の全階級をほぼ網羅しながら、である。

直接的にはこの直前まで、徳川信康自刃事件をじっくり見せ、そこに小さな井伊家をこれまで何度も襲って来た悲劇を丁寧に重ね合わせてもいたので、今さら説明がなくとも明智光秀(光石研)が今川氏真(尾上松也)に「共に信長を殺しましょうぞ」と言うだけで、いきなり出て来た意外性はあっても、「誰が殺しても当たり前」とすぐ納得できてしまう。

ところで明智光秀は唯一残っている肖像画(上掲)が若い頃の、おっとりした童顔にも見えるものなので、これまでの映画やドラマではかなり誤ったイメージが流布されて来た。実際には本能寺の変の時点で数えで56歳、初老どころか当時ならとっくに隠居していてもおかしくない。

だから『おんな城主直虎』で白髪の老人になっているのは正確だし、まただからこそ本能寺の変を若気の至りの思いつきの突発的謀反であるかのように演出して来た既存の定型には無理があった。

史実の通り思慮深い老人としての明智光秀(光石研)

明智光秀は丹波亀山の城主として善政を強いた有能な人物だったし(ことその河川整備は今でも十分に役に立っている)、思慮深い教養人でもあった。今川氏真と親交があったというのは脚本家のフィクションだろうが、文化人で連歌・和歌にも堪能だったのだから、徳川家に仕えるようになっていた今川の、当時すでに隠居・出家していて京都に遊ぶことも多かったであろう氏真と懇意だったか、少なくとも顔見知りだったのもあり得る。

大枠でいえば『おんな城主直虎』は本能寺について、一応は「徳川家康黒幕説」を取っていることになるが、単純化された陰謀論に陥らないのは、あくまで光秀が主体的に考えて徳川に持ちかけた話にしているところだ。それも明智が信長暗殺計画を今川を通して徳川に持ちかけるのに十分過ぎる理由を、しっかり史実を元にしながら、このドラマではすでにおなじみになったうがった逆転の「実はこうだった」発想で設定している。

本能寺の変が起きたとき、家康は主要な家臣たちとわずかな供のものだけを連れて堺にいたのは、よく考えれば奇妙で異例な事態の不運な偶然だ。家康たちはこの前に信長の招待で安土城を訪れ、これから織田の案内で京都見物も楽しむことになっていた。

織田と徳川の力関係から言えば、接待する側の織田から主要家臣もねぎらいたいと言われれば、こういう体制でしか動けなかっただろう。万が一の身辺の警護も考えて軍勢を引き連れてというのは、信長がこの前にやったように駿河や遠江を訪れるのならその軍勢も含めて接待を要求できるが(というか要求をするまでもないが)、家康がそれをやろうとすれば「織田が守っているのに信用しないのか?さては離反を企んではいないか?」と痛くもない腹を探られるだけだ。

信長は本当に家康たちを接待したかっただけなのかも知れないが、大きくなり過ぎた徳川をこの際厄介払いしてしまおうと考えていてもおかしくはない。殺すことを狙ってわずかな供だけでいいと強要したわけではないが、強要するまでもなく家康には反論が出来ないのだから、どっちにしろ同じことだ。

現在の京都市内の本能寺(その後移転されている)

『おんな城主直虎』はこの信長の家康接待を家康暗殺計画と捉え、それを任された明智光秀が今川氏真を通して徳川に内通し、信長を逆に暗殺する、という仮説を取っている。もちろんそんな根拠は史料にないが、荒唐無稽な陰謀論と片付けられることでもない。

テレビドラマとして普通にうわべだけ見ていても、信長がなにを考えているのか分からない魔神のような人物として演じられているので、今度は家康を殺そうとしていても視聴者は納得するし、この脚本はそれだけで済ましていないところが見事だ。冷徹に利害関係だけを考えれば、信長がそう判断したとしても、それは信長なりの合理的判断でしかない。

織田・徳川連合軍の甲斐攻めが成功した祝いというのなら、ならば家康はこの一連の流れの中で3年前に信長の言いがかりに抗しきれず、嫡男・信康とその母の正室・築山殿の首を差し出しているのだ。

徳川幕府を開いた偉人のあまりに陰惨な過去なのでタブーになり過ぎて、従来はその禍根や影響の大きさすら十分に考慮されずに済まされがちだったが、考えてみればこの事件が織田・徳川双方に残した怨恨の深さ、徳川に残した傷は、とてつもなく大きかったはずだ。

家康が建立した松平(徳川)信康の霊廟 清龍寺

この徳川信康の粛清事件をクロースアップしたのも、『おんな城主直虎』が戦国時代劇として革命的と言えるところだ。最初から、少女時代の築山殿が後の井伊直虎と親戚の幼なじみという重要な登場人物で、井伊家を襲う数々の悲劇ですらこの信康事件の一種の伏線としてドラマが構築されて来た。

だから徳川方も今川氏真も、そして井伊にとってすら、信長を密かに恨み仇とみなす十分な理由があるし、だからこそ徳川が恨んでいてもおかしくないと百も承知の信長が、この禍根を未然に取り除き、関東・小田原の北条を使った両面作戦で三河・遠江・駿河という温暖で発展の可能性も大きい地方を直接手中に収めようとすることにも、なんの不思議もない。

信康事件は直接には信長の気まぐれのように見えながらも、決してそれだけではないように演出されていた。井伊家がかつて当主・直親(三浦春馬)を今川方に暗殺され、後を継いだ信虎にはそれでもその仇を討とうなどと考えることすら出来ない状況だった。ひたすら今川氏真とその祖母(義元の母)寿桂尼(浅丘ルリ子)に恭順の意を示して当主として認められなければならなかった彼女の過去と、信康と築山殿を殺さなければならなかった家や寸の悲劇が、執拗なまでに重ね合わされて来たのだ。

その上で、氏真が明智光秀の信長暗殺計画に乗るのも「瀬名(築山殿)と信康の仇」と言う。

今川氏真(尾上松也)

こうした悲劇が「戦国時代」では当然のロジックでもあったのだと再確認しながら、それを口にする氏真もまた井伊にとっては「直親の仇」でもある。だからこそ直虎は「ゆえに誰が仇かということをわたしは考えないようにしております」と返答する。ここまで「戦国時代」が実際にはどんな時代だったかを見せ続けたことで、信長の暴虐が単に信長個人の「キャラ」の問題ではなくこの時代の権力の論理的な必然であると同時にその限界を示し、だからこそこんな世を終わらせることの意味と、その難しさがテーマとして浮かび上がって来る。

つまりとりあえずは、その「戦国時代ロジック」の究極形である今の信長は排除されなければならない。

ただしそれだけで戦国時代が終わるわけではない。

実際の歴史では織田政権はまず豊臣秀吉に引き継がれ、「戦国時代の終わり」がようやく見えて来るのは本能寺の変の21年後、家康を天皇が征夷大将軍に任命するまで待たなければならない。なお井伊直政は関ヶ原の戦いの最後の最後で重傷を負った傷が元で、この前年に亡くなっている。

じゃあこの大河ドラマはどうやって終わらせるつもりなのか、というのはともかく、晩年の織田信長がかくも冷酷で残虐で横暴だったのは、必ずしも最初からこういう型破りな人物だったわけではない。

狩野永徳 織田信長像 大徳寺総見院

後代の、結果を知った上での歴史観だと、信長も秀吉も家康も最初から天下人になる野心があったかのように思われがちだが、『おんな城主直虎』は家康についてそんなことはまったくなかったであろう現実をかなりはっきり示して来た(むしろ直虎と万千代が、泰平の世を造るために家康に「天下人になるべきだ」と説き伏せる展開)。

実は同じことは、織田信長についても言える。

結果を知っている後代の発想では、織田信長が足利義昭を立てて京に上ったのは、足利将軍家の権威を利用した野心的行動に見えるし、義昭がその信長を討てと諸大名に密命を出したのは、信長に利用される形だけの将軍であることに怒ったか、信長の野心を見抜いて止めようとしたかのように思えてしまう(し、我々の世代の学校の日本史ではそう習っている)が、実際にはそうではなかった。

実際には信長は義昭の要請があったので、その時点の実力ではまだまだ相当に無理があったのに、それでも将軍家の頼みだから応じたのであって、しかもそうやって京に上った信長は、義昭の将軍権威の復興に懸命に尽くしている。

それも大変な熱意でだった。新たな将軍のための御所を造営する際、信長は建設工事を自ら指揮したどころか、自分でも人夫人足たちに混じって工事そのものに参加までしているのだ。

足利義昭が密かに諸大名に信長に敵対するよう煽動したのも、自分が形だけの将軍で信長の専横が目に余ったからではない。むしろ義昭の身勝手で、自分に近いお気に入りばかりを優遇するやり方で政治が混乱し、信長がそんな義昭に将軍として自覚を持って欲しいと懸命に諌めたことが煩わしかったからだし、実際に義昭の治世はかなりメチャクチャだった。

その足利義昭の裏切り(それも二度も)による織田包囲網の危機を乗り切った信長は、それでも義昭を最後まで殺しはしていない。

秀吉が建立した信長の菩提所・大徳寺総見院

つまり信長は将軍の権威で天下が再びまとまるようにと期待して献身的に協力し、要請された時点ではまだまだかなり無理があったのに、それでも義昭を立てたと考えた方が説明がつく。この時には「天下布武」という旗印もその使い方の意味が違っていて、自分の「武」で「天下を」ではなく、むしろ「武」の棟梁たる将軍の権威による全国統治の復興、という標語に読める。

なお明智光秀が信長の家臣になったのはこれがきっかけで、元々は足利義昭に仕えていた。 
光秀はどちらかと言えば保守的で真面目な性格だったと言われる。信長が義昭を諌めた意見書を出した元亀3(1572)年の時点で、すでに光秀は40代半ばの分別盛り、その光秀が主君を替えたのにも、やはり義昭についてよほどのことがあったのかも知れない。

それより以前に、濃尾平野を平定した信長は、その全体が見渡せる岐阜城に本拠を置いている。逆に言えば濃尾平野全体から見える山頂にある岐阜城を、あえて目立ち飾り立てるように改造しているのも、武力の直接行使よりも「戦わずして勝つ」、つまり戦おう、歯向かおうとは思わせない演出だろう。

山頂の居城では行政になにかと不便を来すので山の麓にも館を置き、この館の方には見事な庭園や豪華な建造物を配していたのも、同じような政治的効果を狙ったものだろうし、城下町も整備して特産品の生産を奨励し、楽市楽座制度で商業の発展も計っている。

足軽を城下町に住まわせる兵農分離も、確かに軍団の強化にもつながっただろうが、足軽に給金を保証して生活を安定させることと、農民に軍役が課されて農作業や生活が阻害されるのを防ぎ、さらに侵攻した地域で下級武士が略奪や虐殺を繰り返すことも防ぐ二本立ての意味合いだって、決して小さくはなかったはずだ。

むろん経済的な豊かさは軍事力の強化にもつながりはする。 
逆に甲斐の武田が信玄の下で「戦国最強」になったのは、信玄が野心家だったというだけではなく、領地の拡大が山間部で冬は雪深い土地で領民が少しでも食べて行けるようにするための選択でもあった。

信長が岐阜の居館に見事な庭園を設けたりしたこととの関連で言えば、千利休を重用したのも、茶の湯はいわば接待のとてつもなく有効な政治的手段だった。

利休のすべてを削ぎ落としたかのような美学は一方で、たとえばにじり口の二畳台目の茶室は武力ではなく腹を割った話し合いで問題を解決する場所としても設計されている。

千利休 二畳台目茶室「待庵」

刀を持ち込むことが出来ないし、その中では客と主人のあいだに上下関係が成立しないのが元々のコンセプトだ(より広い茶室となると上座や下座や陪席などの席次が設定されるが)。

 大井戸茶碗 銘「信長」 織田信長・豊臣秀吉・古田織部所用 畠山記念館蔵

信長は信長で、始めは少しでも戦争を避けよう、戦ではない手段で繁栄しよう、戦乱で民を泣かすことなく少しでも暮らしやすい社会を造ろうという意思もあって、室町幕府を建て直して秩序ある世の中にしようとも思っていたのではないか、とも考えられるのだ。

だとしたらその信長が変質したのは、具体的には足利義昭に裏切られたこと、より大きな視野で言うなら幕府の復興による秩序の回復は非現実的な夢でしかない(足利将軍家はおよそその器ではない)と気付かされたからだった、とも言えるのかも知れない。

総見院は明治の廃仏毀釈で襲撃され 創建当時のまま残るのはこの鐘楼と門だけ

さて、同じく後代の、結果を知っている故の歴史観では、本能寺の変が無謀に思え、それも「最大のミステリー」と言われる理由のひとつになっているのは、そのクーデタ計画の実現可能性が問題になるからだ。

つまり、明智光秀は俗に言う「三日天下」で終わって、わずか十一日後に山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れている。

芳員『粟津ヶ原の戦い』  弘化四年(1847)~嘉永五年(1852)
山崎の合戦で敗走する光秀を木曾義仲に見立てた浮世絵

確かに、光秀にとって信長を討つことは大きな賭けだったが、まったく勝算がなかったわけではもちろんない。

信長の嫡男で名目上はすでに家督を継いでいた信忠も二条城で討っているので、織田家臣団の誰でも謀反人である自分を殺すことで織田家中の最大の実力者というか事実上の天下人の後継者になれる…というか、結果として豊臣秀吉がそうやって天下人になっているわけだが、これも後付けの歴史観の偏向した思い込み過ぎないのかも知れない。

実際には、光秀は秀吉に討たれるまでの十一日間になにもしなかったわけでは無論ない。

即座に安土城も攻め落とす一方で、朝廷に働きかけて自らの行為と地位は早々に正当化しているのはいかにも折り目正しい光秀らしく、当時の価値観で言っても定石だったし、好意的な返答には至っていなくとも、織田の他の家臣たちを説得しようともしている。

「光秀でなければ誰がやってもおかしくなかった」のがその家臣団の現実だったのであれば、光秀にだって普通に考えれば相当に勝算があったことになるし、その意味で「黒幕説」、つまり光秀が誰かに踊らされて主君を討ったという俗説はナンセンスだ。

だいたい経験も豊富で教養人としても知られる有能で老獪なベテラン政治家だった明智光秀が、そう簡単にそそのかされたり、まして「若気の至り」の野心の暴発的にこんなことをやるとも思えない。

むしろ秘密裏に周到に準備され、考え抜かれて計画されたクーデタだったはずだし、証拠となる文書記録が残っていないから根拠がないと言っても、たとえば密かに共謀関係だった相手がそんな文書を残すわけがない。

徳川家康(阿部サダヲ)

逆に言えば、『おんな城主直虎』では井伊家が主人公なのでその主家である徳川が明智の密かな共謀者という仮説を取っているが、本能寺の変が光秀の独断先行ではなく有力な共謀者さえいれば、これは無謀な賭けではなく、それでも相当にハイリスクではあるが、しかし実現可能性が十分にある計画になる。

その共謀の可能性が高いのは誰かと言えば、例えば3年前に信長の横暴で妻子を自らの手で殺すまで追い込まれ、それでも信長に臣従を続けて(面従腹背?)駿河まで手に入れた徳川家康だろう。

羽柴(豊臣)秀吉

結局は光秀を倒して信長の後継者候補ナンバーワンに躍り出た羽柴(豊臣)秀吉にしてみれば、光秀が乱心して主君を討ったというくらいの話にしておいた方が、いろいろ自己正当化の上で都合がよくもあった。

もちろん光秀があてにした共謀者が羽柴秀吉で、秀吉が信長を裏切った上でしかも今度は光秀も裏切った、という「真相」だってまったくあり得ないわけではない。 
…というか、後述するような秀吉の性格を考えれば、これもまた大いにあり得る。

また秀吉が光秀を討ってしまえば、もともと仲間の信頼で結び付いたというよりもライバル関係だった他の織田家臣団にしてみれば、「光秀でなければ自分がやっていた」「信長は自分達にとって危険な主君だった」なととはおくびにも出さなくなる(決して言えなくなる)のも当然だ。

そしてなによりも、明智光秀の立場から見れば、毛利攻めで備中高松城包囲戦の真っ最中だった羽柴秀吉が、まさかこうも速やかに自分を倒しに戻って来るなどとは、まったくの想定外だったことを忘れてはならない。

むしろ水攻めの兵糧攻めという時間のかかるやり方で戦争中だった秀吉は、光秀から見ればノーマークでもおかしくない相手だった。

ところが秀吉は、高松城攻防戦をあっというまに和睦に持ち込み(毛利側に信長の死を知られる前に、というギリギリの交渉術の離れ業)、その軍団に全力疾走させて、それこそあっというまに備中(岡山県)から山城(京都府)まで戻って来るという「中国大返し」をやってのけた。

そして最終的には、もっととんでもない想定外の積み重ねが、光秀の計画を破綻させることになった。

月岡芳年 「大日本名将鑑」より『織田右大臣平信長』明治時代

本能寺で寝込みを襲われた信長はすぐさま宿泊する客殿に火をつけているので、どのように死んだのかの模様はまったく分からない(これまでの大河ドラマでもおなじみの、森蘭丸がどうこう等は基本的にすべて後代のフィクション)。

自害はしたのだろうが、まず光秀にとっての第一の想定外として、遺体が見つからなかった。

大徳寺総見院の信長の墓 ただしこの下には遺体も遺骨もない

光秀が計画通りに信長の首をあげていれば、状況はまったく異なっていただろう。

しかも遺体が見つからなかったことを、秀吉が早々に察知しただけでは済まなかった。この情報に飛びついた秀吉が、信長は生きていて無事本能寺を抜け出し、中国からとって返している途中の自分に合流する、という手紙を各所に送りまくるなんてことは、光秀にとっても(もし共謀があったとしたら家康にとっても)まったく予想などしていなかった事態だったに違いない。

総見院 加藤清正が朝鮮出兵で持ち帰った石を寄進したとされる井戸

この秀吉の「信長は生きている」デマだけで、他の家臣団や同盟諸侯はまったく動けなくなった。

光秀に共謀者がいても、これではその共謀自体がなかったことにする他はない。光秀が信長を殺してくれて実はほっとしていても、そんなことは絶対に言えないし、共鳴して味方として動くなんてもっての他だ。

かと言って他の有力家臣の多くがすぐに秀吉側についたわけではない。ただ、動かなかっただけだ。

それにしても、こんな大噓をこの状況下で思いつける(いきなり主君が謀反に倒れただけでなく、自分は最前線で持久戦の真っ最中で、しかも遠く離れていた)秀吉というのも相当なものだ。

この後、秀吉が信長の後継者として執り行なった葬儀も凄い。遺体が見つからなかったので等身大の木像を棺桶に収めて火葬にしたのだが、その木像はわざわざ貴重な香木の沈香で造らせたのだ。ちょっと炊いただけでも強い香りを放つ沈香を大量に燃やしたわけで、その香りは北の大徳寺の方角から京中に広がった。ド派手なパフォーマンスを、それも見せるのでなく匂いで印象づけたわけだ。

織田信長坐像 大徳寺総見院 火葬された木像の写しと思われる

織田信長は今で言うサイコパスだったのではないかという見解は根強く、今回の市川海老蔵演ずる信長でその印象はさらに強くなるのだろうが、サイコパス性では秀吉も負けてはいない…というより、よほど本格的なサイコパスではないのか?

なおサイコパス、非社会性パーソナリティ障害というのもかなり誤解されている現象で、この『おんな城主直虎』で最後の方になって突然出番が増えた信長がただ怖い、常軌を逸していて血も涙もないだけで「サイコパス」と断言できるものでもない。 
むしろ足利義昭を最終的に追放するまでの信長が妙に真面目と言うか、かなり浮世離れした正義感の強そうな行動と、それ以降のあまりもの極端な切り替えの早さの方が、サイコパスだった可能性を示唆するところだったりもする。 
「サイコパス」は端的に「良心がない」と形容される。この俗流定義はもちろん、では「良心」とはなんぞや、という禅問答にすぐに陥ってしまうわけだが、「良心」という曖昧模糊とした概念は、足利将軍家の末裔を立てて「天下布武」で秩序の復興、というような明快な「正義」とはかなり異なったものだ。 
その意味で「正義」は合理主義で明快に理論化して割り切れるものだが、「良心」はそうではない。 
たとえば「正義」に反する者は殺していい、いや殺すべきだ、というのは、その「正義」を信奉する者の内面では理論的な合理化が可能だが、そこで殺人自体に躊躇する本能的な心の動きが「良心」だ。「サイコパスには良心がない」ないし共感能力がない、人間性がない、というのはこういう意味で、現に晩年の信長の行動でさえ、戦国時代のロジックのなかで完全に合理的ではあった。 

秀吉が「信長は生きていて」という大噓を平然と流布して他の織田家臣や同盟諸侯を動けなくしたのも、戦略的には完全に合理的な判断ではある。だがいわゆる普通の人間には、そこで「嘘をつく」ということに対する本能的な躊躇が働き、ここまでは出来ないだろう。

結局一般人にいちばん分かり易い「サイコパス」の判断基準は、この秀吉のように自分の目的のための合理性さえあれば平気で噓をつける人というのは、相当に危ない。

総見院は明治の廃仏毀釈で略奪に遭いほとんどの堂舎を失った後
大徳寺の修行道場として使われた 本堂はその大正時代の禅堂を改装したもの

歴史的な出来事について「現代の価値観で過去を判断してはいけない」という教訓めいたことを言うのは、たいがいは歴史を知らず過去の価値観も理解できていない(し興味もない)人たちが反論できなくなった時に無責任の言い訳か、自分の現代の身勝手な価値観を押し付けている場合がほとんどだ。戦時中に日本軍がやったことの多くは普遍的にあきらかに酷いことであって「みんな(他の国)もやっていた」は言い訳にならない。

晩年の織田信長がひどい虐殺魔だったというのは、信長にはそうなる理由もあったにせよ、だからといって正当化できるわけではないし情状酌量の余地もあるとは思えず、もちろん当時の日本の道徳では許されたなんてこともない。単に信長に逆らえなかった、現実と妥協するしかなかっただけだ。

信長にとってそうした残虐行為が「当時では仕方がなかった」というのなら、それは「戦国時代」がそれだけ、当時の人間にとってもひどい時代だったというだけのことだ。

信長が父・信秀の菩提所として建立し秀吉が再建した大徳寺黄梅院

そうした色眼鏡を排して言うのであれば、明智光秀というのはもっと評価されていい人物だし、本能寺の変はただ「動機が分からない、しかも無謀」だから「日本史上最大のミステリー」と言うのも、そこで光秀の動機についていろいろと俗説を空想するのも(「土岐氏の再興」に至っては「そういうこともなかったと断言はできませんがねえ…」としか言いようがないし)、趣味としてはおもしろいかも知れないが、あまり意味はない。

むしろそうなるに至った事態の推移と、そうした事態を醸成した「戦国時代」の武家社会のあり方をまず分析的に見るべきだし、その時代と社会の全体像をちゃんと見ることからなぜそうなったのかを考えてこそ歴史が教訓になるのが、真の意味での「現代の価値観で過去を判断してはいけない」のはずであって、秀吉が信長の後継者というイメージを巧妙に利用するために構築した後付けの歴史観で明智光秀の行動を云々することの方こそ「現代の価値観で過去を判断」でしかあるまい。

信長の比叡山焼き討ちも本願寺派大弾圧・大虐殺も高野山襲撃計画も、普遍的な道徳として虐殺は虐殺だし、「当時の価値観」を言うのなら敬虔な仏教国では「罰当たり」「天も恐れぬ」の極みだ。 
単に信長がそうした人間的な価値観というか良心の躊躇を超越した極度な合理主義者だった、つまりサイコパスだったというだけのことで、そういう信長に強制されたからって家康が信康や築山殿の死に自らの罪や責任を感じなかったわけもない。
戦時中の日本軍の慰安婦制度などというのはもちろん当時の軍に求められた正義感でこそまったく不道徳な暴虐であり、だから軍専用のただの(強制)売春制度を国が大掛かりに運用していた不道徳の極みを誤摩化すために、将兵の「慰安」をもっともらしく装った「慰安婦」なる呼称をでっち上げたのが「当時の価値観」の実際だ。軍の内部だとかでは皇軍の兵士に性奉仕するのは当然だなどと実は思われていたとしても、そんな価値観は当時でもおよそ社会的に許容されるものではない。
まして武装した兵士がやってきて脅して強引に慰安婦をリクルートなぞ、完全に当時の一般的な価値観や道徳観に反して大問題(というか立憲国家では許されない組織犯罪)だからこそ、公式な命令書に「強制連行しろ」と明記なぞ最初からしているはずもない。 
国民相手には「八紘一宇」の「大東亜共栄圏」という偽善プロパガンダを吹聴していたからこそ、南京攻略時に大虐殺をやったことだって隠蔽するしかなく、だから「証拠がない」「被害者数が分からない」ようにしたのが実態だ。それを現代の価値観というか都合で「証拠がないからでっち上げだ」などというのは、「現代の価値観で過去をねじ曲げる」の典型でしかない。

そうすることでこそ、たとえば光秀がなぜ信長を討とうと決意したのかも、自ずから見えて来るはずだし、具体的な契機などについては史料が残っていない以上は謎のままでも、史料で抜け落ちている部分で起こったであろうことも、抽象的なレベルでは自ずから輪郭が浮かび上がって来るだろう。

黄梅院の庫裏 天正17(1589)年 小早川隆景による建立・寄進

もちろんそのような抽象的な推論のレベルでは、映画やテレビドラマの時代劇にはならないわけで、その部分を巧みに構築されたリアリティ性の高いフィクションで補っている『おんな城主直虎』での本能寺の変の展開は、これまで日本人が漠然と、後世の後付けの合理化を鵜呑みにして信じて来た歴史観を鋭く問うてもいる。

これからも「大河ドラマ」でNHKが、つまり公共放送が日本史上の出来事や人物を取り上げ続けるのなら、近現代に国家政府の都合いろいろねじ曲げられて来たことも多い我々の歴史観を、このように問うものであるべきだろう。

「戦国時代」ひとつとっても、我々が思って来たようなイメージは、史実や歴史的な現実とはかなり異なっている場合も多いのだ。

それにしても記録上の史実ではこの本能寺の変の直後に亡くなっている井伊直虎の話を、脚本家はどうやって終わらせるつもりなんだろう? 
井伊直虎(柴咲コウ)
これまでも信虎が考え抜いた計画が、思わぬ番狂わせでひっくり返ってしまう展開が相次ぎ、井伊家は先祖代々の所領である井伊谷(いいのや)まで失ってしまった。 
そして最後のクライマックスの本能寺の変もまた、豊臣秀吉の想定外・奇抜過ぎる発想と行動の番狂わせで、明智光秀や家康や万千代、直虎が願ったような結果にはならない。 
もしかして直虎が「井伊直虎」としては亡くなったことにして、家康の影の側近として供に泰平の世を目指すことを決意する、というようなラストにでもなるんだろうか? 
その直虎の下には明智光秀の幼い息子も預けられているのも、この子はいったいどうなる(誰になる?)のやら… 
直虎については、まさかとは思うが…家康の身近には確かに、彼女が「井伊直虎」の名を捨てて(死んだことにして)この人物になった、と言えそうな側近はいて、徳川の平和統治の理念的な礎を築いた大功労者ながら、その前半生がよく分かっていない。 
家康・秀忠・家光の三代に渡って徳川家を理念的に支え、とりわけ家光に深く慕われた天海(慈眼大師)だ。 
天海僧正坐像 喜多院慈眼堂 寛永20(1643)年
天海の没する数ヶ月前に生き写し像として作られたと言われる
 
川越喜多院・天海を祀る慈眼堂
ちなみに天海については「実は明智光秀だった」という俗説もあるのだが、「実は女だった」でもこのドラマなんだから構わないのではないか、と…。 
いや天海は天台宗で、井伊次郎法師は臨済宗の尼僧だったんだから、とは言っても、いくらなんでも直虎が実は以心崇伝になった、というのはさすがに年齢的にもあり得ないと思いますが…。
天海が家康の一周忌に法要を行った仙波東照宮