1/21/2009

Barack Hussain Obama, January 20th, 2009

ついつい徹夜で生中継を見てしまった就任式。テッド・ケネディ上院議員が議会昼食会の最中に倒れるという心配なハプニングはあったものの、就任式は「演説の名手」ということである程度は期待はしてた予想以上に、見事な演説でした。

就任演説全文
http://www.whitehouse.gov/blog/inaugural-address/



abc撮影のビデオ

http://abcnews.go.com/Politics/Inauguration/story?id=6689022&page=1


強いて言うと、ジョン・F・ケネディの「国が自分のためになにをしてくれるかではなく…」というような単一のキャッチフレーズが目立つ演説ではなく、そこらじゅうに名文句が連なっているので、代表的な名文だけで記憶されるというのが難しいのが問題だろうか。ケネディ演説はこの名言以外はあんがいたいしたことのない演説だったりするのだが、今回のオバマ演説は全体が非常によく出来上がっている。

しかも就任式のお祭りとは思えないほど冷静な現状分析で、アメリカ社会全体に対する厳しい批判も随所に織り交ぜ、現在の経済危機の原因を「一部の強欲と無責任さだけでなく、我々全体が難しい選択をできなかったが故の失敗」と明言。とりあげている話題だけみれば悲壮感が漂ってもおかしくないほど暗い中身で、過剰なまでの支持と期待を巧妙にかわしながら、それでいてなぜか非常に楽観的な印象を与える演説になってしまっているのだ。

こちらのネット投票でも、圧倒的に希望を感じている模様だし、否定派も「depressing」、「暗い、気が滅入る」という評価が一割弱で、中身自体の批判はゼロパーセントなのもおもしろい。字面だけ読んだらこれってかなり気が滅入りますよ。言うべきことはきっちりと言っておきながらかえって国民を鼓舞できるって、けっこうしたたかな戦略家のタヌキかも知れない、この一見爽やかな顔した初の黒人大統領は。少なくとも知的であることは、演説を見れば一目瞭然だが。

演説に先立つ就任の宣誓では、緊張してちょっと焦ったのか、自分が繰り返す番が来る前に「I, Barack Hussain Obama」とフライングしちゃったり、そしたら宣誓を担当する連邦最高裁長官の方も文言を間違えちゃったり、そこでニコっと笑って好感度アップ、夫人がそれを暖かく見守る目線でさらに好感度アップというのも、ぜんぶ演出だったりして。そういう演出で、相当に厳しい現状認識だらけの演説をアメリカ国民がそれでも「希望」として受け止める素地を作っていたのか。それとも本当に修辞に走らず真っ正直だったから成功したのであって、僕がひねくれ過ぎているだけだったりして(それはそれであり得る…)。

日本のいわゆる「アメリカに詳しい」知識人とかはいささかオバマ政権に懐疑的というかあんまり喜んでおらず、政府や経済人などの権力側に至っては民主党政権だと日米安保に依存した共和党とのコネみたいなものがない、すわ「ジャパン・パッシング」、中国が重視されて日本はアメリカ様のお目もじも構わなくなるんじゃないか、と慌てふためいている論調が目立ち、我々のような一般人がまずはオバマ氏の大統領就任を素直に歓迎しているのとは対照的だ。

知識人となると人間としての直感的反応を意思表示するのははばかられるのかも知れないけれど、だってあのアメリカ合衆国でついに非白人の大統領って、それだけでもどれだけ大きなことか、やはり非白人の日本人だって嬉しくないはずがないではないか。

ついこないだまで、我々だってアメリカに行けばそりゃ差別されてるのを感じてムカつくことはしょっちゅうだし、日本にいて白人のガイジンと仕事でつきあったりしたらもっとそう感じるし、白人上位の構図を受け入れてしまう自分に腹が立つことだってあるだろう。そういう感情を押し殺して日本人の特徴とされる曖昧な微笑みを顔にベッタリ貼付けて耐え抜くことも、多いかも知れない。

僕自身が10数年前に住んでいて、以来ずっとなんらかの関わりを持ち続けて来た国のことだからより強くそう思うのかも知れないけれど、そんな我々日本人にとってすれば、黒人のオバマ氏が、それも空前の支持率でアメリカ合衆国大統領、初の非白人大統領って、そのこと自体はやっぱり文句なしに嬉しいのが自然じゃないだろうか? オバマ氏が今後、どのような方向にアメリカ合衆国を導き、それが世界やわがニッポン国の運命をどう左右するかはともかく、なんだかんだ言ってもまだまだ白人上位・白人支配の現代世界の構図からすれば、いきなり黒人のアメリカ大統領ということ自体が、素晴らしいチェンジだとは素直に喜びたいところだ。

就任演説のなかでも、「変わりゆく世界のなかで我々アメリカ人も変わらないければならない、自分たちが何者なのかに立ち戻り強い意志で世界に貢献するアメリカを再建しなければならない」というような言葉が繰り返されているのだが、確かに黒人の大統領が出て来るようになっただけでも、アメリカが少しは正しい方向へと変わりつつあることだけは確かだ。そのチェンジ自体はやはり祝福してしかるべきことだと思うし、オバマ氏が今後思ったような成果をあげられないとしても、彼が大統領になるような国にアメリカが変わったことだけは、明らかに「いいこと」だと思う。ご本人が率直に繰り返したように困難山積みの現状を前に、まだまだ今後どうなるかはお手並み拝見だが、イラク撤退とグアンタナモ閉鎖は大賛成、核廃絶を最終目標にした軍縮を唱えるのも被爆国として歓迎だし、ただアフガンについての公約は考え直して欲しいけど…。

とりあえず、演説は本当にうまい。だいたい今まで頭に来るほど傲慢だったアメリカ白人エリートたちが、今やオバマ氏の知性にひれ伏しているように見えるのも、なんだか痛快。

1/14/2009

『スタンダード・オペレーティング・プロシージャー』上映

昨年6月にこのブログでも論じた2008年のドキュメンタリー最大の問題作、エロール・モリス監督の『スタンダード・オペレーティング・プロシージャー』が、アムネスティ・インターナショナル日本支部主催の映画祭で上映されます。

   

18日(日) 15:10 上映開始予定
会場:新橋ヤクルトホール

http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1961

ただ入場券が1日券と2日通し券しかない(だから結構なお値段になる)のが、ねぇ…。

他の上映作品は正直なところ、“善意の映画” であることは認めますが、ここは仮にも映画監督のやってるブログですから、そんなにお薦めできるものでもないし…。


でもやっぱり、去年見逃した人は必見です。

1/01/2009

謹賀新年



あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。本年もよろしくご指導・ご鞭撻・ご支援のほど、よろしくお願いできましたら幸いです。

2008年には二年越しの企画だったドキュメンタリー新作『フェンス』が11月にやっと完成し、英国のシェフィールド・ドキュメンタリー祭 でワールドプレミアを済ませて参りました。神奈川県逗子市の旧・池子弾薬庫、現在の池子米軍住宅をめぐる映画です。

製作のきっかけは2006年に逗子市の委託で短編作品を作ったことですが、短編ではとても収まりきらない主題・題材だったたけに長編ドユメンタリーとして取り組んでみるとどんどんと話は膨らみ、二部構成といういささか変わったフォーマットで、合計167分という大作になってしまいました。

撮影に大津幸四郎氏、音響監督に久保田幸雄氏、それに安岡卓治プロデューサーをはじめ、ぜいたく過ぎるほどの最高のスタッフの布陣で、ドキュメンタリー映画でやりたいと思っていたこと、現代映画としてのドキュメンタリーはこうあらなければならないだろうと思っていたこと、日本の近現代史について考えていたことを、やりたい放題にやった映画です。上映や公開で敬遠されそうな規模になってしまってさあこれからが大変ですが、今年中には日本国内で上映できればと思っていますので、その折にはぜひご覧いただけましたら幸いです。

またさすがにこの規模では上映にいろいろ困難がありそうなので、二部構成の完全版とは別に、2時間弱程度の公開バージョンを再編集することが新年の最初の仕事になります。

完全版は主に映画祭や、ヨーロッパで二回に分けてのテレビ放映(現在交渉中)などで、見せて行くことになると思います。

世界初上映のシェフィールドでは、巨匠・大津幸四郎撮影の映像が切り取った逗子市池子と旧・柏原の、日本の風景と人々の美しさは、大変な好感を持って受け入れられました。今年は上映がもっと他の国にも広がっていけばいいのですが。

この映画に映っているような日本が、いずれは消えてしまうであることを考えるにつけ、そして最初はほとんど偶然に舞い込んで来たこの企画に感謝せずにはいられません。なによりも日本海軍の弾薬庫建設のために故郷を後にし、今は米軍兵の住宅になっているその土地に戻ることが許されない旧・池子村、旧・柏原村の旧住民の皆さんにお会いでき、そのお話を記録することができたことは大変な幸運でした。そこから出来上がったのは基地問題を超えてある種の日本人論、日本社会論になっているかも知れない映画であり、個人的には大げさに言えばある意味で、半分は海外育ちの自分自身と “日本” との和解として位置づけられる映画かも知れません。

思いのほか時間のかかってしまった『フェンス』が出来上がり、『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』と本作と、過去と歴史をめぐるドキュメンタリーが続いて来ましたが、この年末より今度は現代日本を扱うフィクション作品の脚本を2本、並行して書き始めています。一本は現代といってももう13年前の地下鉄サリン事件をモデルに大都市の無差別テロ事件を体験した人々を描こうとする群像劇、もう一本は6月の秋葉原無差別殺傷事件をモデルにしたストーリーを構想しています。

2006年にベルリン国際映画祭で初上映して以来海外ではそこそこに評価を得て来た『ぼくらはもう帰れない』は、7月に横浜の「黄金町映画祭」で日本では初めて上映いたしました。現在の日本の配給・興行の難しい状況は、自力で劇場公開するにも自己資金でどうこう出来る余裕もなく、さてどうしたものかと困ったものです。この映画を完成させる際にご支援頂きました皆様には、非力をお詫び申し上げざるを得ない次第です。その上に今度はそれ以上に公開が難しそうなドキュメンタリーの大作を作ってしまったのですから我ながら凝りないというかなんというか…。

2007年に東京で公開が始まった『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』は、昨年中は名古屋、京都、神戸、大分などで地方公開が始まりました(…らしいです。監督にはまるで報告がないので…)。ですがその一方でこの映画の主人公であり、深く敬愛していた土本典昭監督が6月に享年79歳で亡くなられたのは大変に悲しく、また今でも寂しさに耐えなければならないことです。しかし晩年に人間として円熟の頂点に達していたその時期に映画で撮らせて頂いた、怖じけづいているこちらを撮るように励まして下さった土本監督に心から感謝しつつ、先に進まなければならないのでしょう。でないと草葉の陰から叱られそうな…。

一昨年には佐藤真監督が帰らぬ人となり、9月に追悼特集で講演を依頼されてあらためて佐藤さんの不在の重さを噛み締めることになり、昨年には映画批評をやっていた頃にお世話になった市川崑監督も亡くなられ、学生時代の恩師で元MGMのメーキャップ部門チーフのウィリアム・タトル氏も天寿をまっとうされました。また2005年にミュンヘンの映画祭でご一緒させて頂いた市川準監督の突然の訃報には愕然といたしました。ロバート・アルトマン監督、エドワード・ヤン監督、僕を映画批評デビューさせて下さった編集者の田畑裕美さんと、思えば『フェンス』を製作していた二年間に身近であったり親しくして頂き、多くを教えてもらった大先輩や師が何人も鬼籍に入られたことになります。

私生活の方では、10月にアパートの階下の部屋から出火し、軽度の一酸化炭素中毒と気管の炎症で入院いたしました。幸い屋内にはほとんど被害はなかったものの、ベランダがすっかり延焼してエアコンや給湯が二ヶ月以上使えなくなるなど、映画の完成時期と重なって大変な騒ぎになってしまいました。その折にご心配頂いた方々には改めてお礼申し上げます。

世間に目を転じればもっと大変なことになっていて、いいニュースはアメリカで黒人大統領が誕生することくらいしか思いつかないほどです。『フェンス』の撮影開始時には当時の安倍首相にあやかって「この映画のテーマは『美しい国、日本』だ」と冗談を言っていたものですが、出演者のお一人の「今の福田さんのお父さんの頃に」と言っていた “今の福田さん” も過去の人になり、いったいどうなっているのやら。いろいろと大変な西暦2008年でしたが、新しい2009年は皆様にとっても世の中にとっても災い転じて福となす、実りの多い年となることを心よりお祈り申し上げて、新年のご挨拶とさせて頂きます。

2009年元旦