9/17/2009

イスラエルから、お笑い系政治闘争映画?

アヴィ・モグラビ監督が映画作家本人とプロデューサー、さらに妻の三役を演ずる『8月 August』(2002)

アヴィ・モグラビ監督作品『Z32』山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペティション部門に出品される(傑作!)のに合わせて、東京日仏学院で同監督のこれまでの軌跡を追う特集上映が開催されます。

アヴィ・モグラヴィ特集

2009年10月02日(金) -2009年10月03日(土)
東京日仏学院エスパス・イマージュにて

上映作品:
『ディテール11、12、13』
『8月、爆発の前』
『待って、兵士たちが来た、もう電話を切らなきゃ』
『わたしはいかにして恐怖を乗り越えて、アリク・シャロンを愛することを学んだか』
『二つの目のうち片方のために』
『国外追放』
『ハッピー・バースデー、Mr.モグラビ』
『リリーフ』
『アット・ザ・バック』

後援・協力
Culturesfrance
アヴィ・モグラヴィ
ドック&フィルム インターナショナル
ロザンジュ・フィルム
在日フランス大使館
山形国際ドキュメンタリー映画祭


http://www.institut.jp/agenda/festival.php?fest_id=67

おもしろいですよ〜。

        アヴィ・モグラビ、NYにて。

9/15/2009

女が女であることの、人間性の揺らぎ、哀しさ、そして悶え〜ソクーロフ『ボヴァリー夫人』



「私は今も世界に数多くいるエマたちのためにこの映画を作った」
〜アレクサンドル・ソクーロフ




ソクーロフはめったに“女”を描いて来ていない映画作家だ。彼の映画はむしろ男性の“男らしさ”のゆらぎ、その弱さの瞬間にたち現れる人間としての繊細さをフィルムに焼き付けたいという、その欲望をこそすべての出発点にして来たように見える。我々が見て来た彼のフィルム群のなかで女性といえば、デビュー作『マリア』のロシアの大地を踏みしめる農婦を例外とすれば、『ドルチェ』、『チェチェンへ アレクサンドラの旅』、『エルミタージュ幻想』の女帝エカテリーナに代表される老女たちであり、その年輪を積んだ人間的な叡智を、彼は丹念に写し取って来た。

『モレク神 Moloch』1997

一方で、女性がもっとも“女”である年代と言えば、政治的怪物と化したヒトラーをそれでも人間の男として愛することをやめない『モレク神』のエヴァ・ブラウンくらいしか、これまで思い浮かばなかった。

「女が女である」、この優れて映画的な主題が、なぜこの映画こそが自分自身の生そのものであるかのような純粋映画作家のフィルモグラフィから欠落しているように見えて来たのか? その問いへの答えがついに明らかになる。旧ソ連の崩壊期、ソクーロフにとって30代後半の、若手の鬼才から成熟した真の芸術家へと脱皮しようとしていた時期に撮られながら、体制移行期の混乱の最中だったせいか、あるいは彼自身がそのバロックな凶暴性を封印して来たのか、“幻の映画”になっていた『ボヴァリー夫人』を、20年の老成を経たソクーロフが、再編集の手を加えて最新作として再び世に出ることを許したのだ。

「泰西文学」というような言い方が昔はよくされたわけで、フロベールの『ボヴァリー夫人』もそういった教養的なくくりで読まれて来たのだろうし、ニッポン人のヨーロッパ文明への憧れが、田舎医師に嫁いだエマ・ボヴァリーの上流階級への憧れと二重写しになって来たのだとしたら、ソクーロフのこの映画はそういった“文芸映画”として見てはいけない。エマを取り囲む環境、彼女の見る事物、彼女の体験のひとつひとつを克明かつ冷徹に記述していくフロベールの文体それ自体が極めて映画的であり、ジャン・ルノワール、ヴィンセント・ミネリ、クロード・シャブロルといった優れて知性と教養あふれるリアリストたちがその映画化に取り組んで来たわけだが、フロベールがフランス文学を革新した詳細なディテール描写は、忠実な映画化において克明に再現されたときに時代と階級社会の抑圧的な枠組という解釈に陥りがちであり続けて来た。わずかに監督自身の「人間好き・女好き」の本能が暴走したルノワール版の後半のみが、映画自体を破綻させることで、19世紀上流階級への憧れと階級闘争構造という図式性の呪縛から逃れ得ている。

ジャン・ルノワール作品『ボヴァリー夫人 Madame Bovary』1933

ソクーロフが集中するのはフロベールの写実主義でも、そこに浮かび上がる民主革命と王制の階級的伝統のあいだで揺れ動く19世紀後半のフランス社会でもない。凶暴なまでの大胆さで時代設定と写実主義をはぎとり、ソクーロフは時にロシアの山林地帯、時にコーカサスの半ば砂漠化した荒野の風景に、エマ・ボヴァリーの悶える身体を配置する。

「泰西文学の名作」といった教養主義や時代と場所の設定の表層をとっぱらったとき、なるほど、エマの物語はどこにでもある不貞の物語にもなりかねない。だがソクーロフはあえて、その平凡な女の平凡な悲劇を、荒涼たる風景のなかにむき出しに見せつける。ロシア人の男でありながら、エマの自殺のくだりを執筆中に口のなかにヒ素の味を感じたというフロベール自身と同じくらい、恐らく完全にエマという女を理解しているのだろう。女であることの衝動、とりわけその性に突き動かされ続けるエマの身悶えは、不惑を目前にしたサーシャ自身が感じていた悶えだったのかも知れない、とすら思わせられる。

     エマ役のセシル・ゼルヴダキ Cecile Zervudacki

だからこそ『救い護りたまえ』という祈りの言葉(原題の直訳)とともに、ソクーロフのキャメラは心理描写を説明して彼女を代弁するのでもまるでなく、ひたすらエマの性の悶えと金銭的に追いつめられていく狂気に、確信をもって寄り添い続け、“女が女である”ことの、なまめかしくもあまりに哀しい人間性の揺らぎ、女が女として生きようとするときの生きづらさに身悶えるエマにこそ、映画は脇目も振らずにひたすら集中していく。

なるほど、ソクーロフがこの映画のあとほとんど女を撮ろうとしなかったのもうなずける。自分という男がもっとも“男”であった30代の終わりに、彼はこの究極に女が女性である映画を撮っていたのだから。


「救い護りたまえ」という祈りの言葉を冠した映画から二十年近くを経た『チェチェンへ』で、ソクーロフは同じコーカサスの荒涼のなかに、ヒ素自殺を生き延びて年輪を重ねたエマのその後とも思える女を見いだす。生き延び成長した女は人間として完成し、老女であると同時に女として、人としての叡智を体現するかのように、不完全な人間たちの起こす戦争という過ちを見つめていた。その彼女はソクーロフのファーストネーム、アレクサンドルの女性形である、アレクサンドラという名前を持っていた。

       『精神の声 Духовные голоса』1995

なるほど、中央アジアの戦場に兵士達と共に生きた傑作ドキュメンタリー『精神の声』(1995)と、その同じ撮影素材から作られた短編『兵士の夢 Солдатский сон』1995を経て、ここにコーカサスの荒野のなかに女の姿を見いだすというそのフィルモグラフィの円環(サークル)が完結している。だからこそソクーロフは今になって、この『ボヴァリー夫人』に封印された自らの狂気にも似た身悶えと凶暴さが、解禁されることを許したのかも知れない。

『チェチェンへ アレクサンドラの旅 Александра』2007

アレクサンドル・ソクーロフ作品
『ボヴァリー夫人 Спаси и сохрани』

<2009年再編集版>

2009年10月3日(土)より 
シアター・イメージフォーラムにてロードショー
連日 10:40/13:15/15:50/18:25

大阪〜 シネ・ヌーヴォにて今秋ロードショー


*アレクサンドル・ソクーロフの公式サイト “ソクーロフの島”