飯舘村、比曾地区(『無人地帯』より)
『無人地帯』を、今日はソウルで韓国プレミア上映に立ち会ったのだが、改めて考えるのは、大地震、津波、原発事故の3重の災害を巡る映画が(自分も含めて)なぜこうも多く、こうも即座に作られて来たのか、だ。
実は2月にベルリンでインターナショナル・プレミアを行うまで、そんなこと考えもしなかった。
自分がこの映画を作っている間は、他人がなにをやってるのかなんて関心もまるでなかったし、それを認識することで自分の映画が左右されるべきでもなかったからそれでいいとは思う。
だが、ベルリンでの上映後NYタイムズのデニス・リムのインタビューでこのことを問われて、自分でも初めて気づかされ、そして改めて驚いた。
誤解を恐れずに言えば、東日本大震災について、あっというまにこれだけの映画が作られた背景と動機は、ある意味で「安易」である。
本来、この3重災害がどんな意味を映画的に持ちうるのか、もっと深く時間をかけて考えるべきではなかったのか?
それでももちろん見るべき映画はある。
たとえば今回のソウル・デジタル映画祭でいっしょにコンペに出ている、3年前に同映画祭で上映した『フェンス』の助監督だった松林君の『相馬看花』は、一連の「震災・原発事故映画」のなかでやはり群を抜いて見るべき作品だと思うし、これは誤解を恐れずに言えば、ごく私的で主観的な映画というか、あえて言うならホーム・ムーヴィーだからこそ成功している。
『相馬看花』予告編
『石巻市立湊小学校避難所』予告編
今日本で公開中の『石巻市立湊小学校避難所』(監督 藤川圭三)もそうだが、デジタルによる映画がある意味ホーム・ムーヴィーの延長として撮影しうるものだからこそ、豊かな映画表現が産まれると同時に、それは震災をめぐるメディア表象の中で無視されまくってきた被災者たち自身の人間性が等身大に写っている点でも、極めて重要だと思う。
だが一方で、デジタルでの映画撮影が個人的な、極めて主観に徹する映画表現を可能にしたからこそ、その表現手法の限界を一連の震災映画が曝け出したことも否定はできない。
藤川さんや松林の映画が成功しているのは、まさに松林なら松林本人の純粋で素朴な、やさしい人柄だからこそ成功しているわけでもあり、逆にほとんどの場合(松林も4人の監督の末席にクレジットされた『3.11』が典型かも知れない)、大災害の情報だけでパニックに陥った心理のまま、ひたすら自己正当化のために「なにかしなくちゃいけない」という程度の発想で被災地に行こう、映画を作ろうとしたところで、それは作り手の身勝手さ、自己中心っぷり、狭量さを曝け出しながら、しょせんは「他人様の不幸」を搾取する表現にしかなっていない作品の方が多い。
こうした映画的な失敗である以上に人間的に堕落とすら言えてしまうことは、この震災に対して被災地以外の日本が曝け出した限界の縮図になっている点では興味深いわけだが、自分たちの「後ろめたさ」ばかりが全面に押し出された映画を、同じ後ろめたさを実は共有している都市の観客(映画の観客というだけに限らない、東日本大震災という災害スペクタクルの観客である、東京を初めとする「被災地以外のニッポン」)が、「自分達はこれでいいんだ」という安心感の共有のためだけに見られ、結果としてそれなりの観客動員を集めてしまうという倒錯にまで繋がってしまっている−−もっとも困難な立場に置かれた被災者はしばしば無視されるか、場合によっては心を踏みにじられることになりながら。
『3.11』に至っては、メイン監督の森達也が、逆にその「後ろめたさ」をキャッチ・コピーにうまく利用することで、結果からみれば震災映画のなかで数少ない興行的な成功を納めている。
よく考えれば「日本社会は、そして日本映画は、ここまで堕落して薄情な自己満足に耽溺していいのか?」が問われるべきとことでもある。
よく考えれば、倫理的・人間的にいって、極めて気持ちの悪い話だ。
「被災地」は完全に、ただ映像として消費されるカタストロフィのための装飾、お涙頂戴のためのメロドラマ演出上の消費される記号に過ぎず、観客が飽きれば忘れられる。
その被災者達の現実が1年と半年近く経ってもなにもいい方に向かわず、なにも決まらないなかで宙づりにされているのが現実だというのに。
『相馬看花』と『石巻市立湊小学校避難所』という数少ない成功は、それがいわゆる「個人映画」に留まることなく、「ホーム・ムーヴィー」に到達したからかも知れない。被写体となった被災者と撮影する側は、その区分を超えてひとつの疑似家族になっている。家族である以上、その被写体への接し方には、愛する人たち相手だからこその謙虚さ慎ましさと誠実さがあり、それが映し出される現実の厳しさ悲惨さにも関わらず、ある種の清々しい心地よさすら、観客と共有してくれるのだ。
そこに素朴な「愛」があるからこそ。
一方で作家の主観だけを忠実に表現しようとする「個人映画」とは、よく考えればそこには「自己愛」しかあり得ないではないか。
この3重の災害に直面した被災者の多くにとっての矜持が、「自己愛」とは真逆の、「自分たちよりもっと大変な人たちがいる」であったこと、だからこそ助け合わなければならない、という倫理とは、真逆の話だ。
ただしデジタル撮影による「個人的」「私的」で作家の主観オンリーな映画撮影の手法は、この3重の災害を前に、いわば震災映画を作ろうとしている場合の多くで、むしろパニック状態に陥り、結果としてその作り手の身勝手な傲慢さばかりが鼻につく映像を生み出してしまった点で、「テレビとの違い」を強調しつつ、結局はテレビと本質的なんら変わりがない話になりかねない。
これを「映画」と呼ぶべきかどうかすら、疑問だ。
そもそも「ドキュメンタリー映画ではテレビ報道で出来ないことをやるのだ」という発想自体の貧困は、今さら言うまでもないにせよ。
そもそも「ドキュメンタリー映画ではテレビ報道で出来ないことをやるのだ」という発想自体の貧困は、今さら言うまでもないにせよ。
実を言えば、震災をきっかけに作られた、いわば「震災ドキュメンタリー」は大量に作られながら、ほとんど客が入っていない。「みんなテレビでもう見たと思っているからだろう」と映画業界では分析したつもりになっているが、観客はそこまで単純に愚かではない、むしろこのジャンル(といっても差し支えないくらいの数の作品が作られている)の大半に内在するいやらしさに、人々は直感的に嫌気がさしているのかも知れない。
森達也が「後ろめたさ」をキャッチコピーにしたことは、その罪悪感をなんとか解消したい一部の人の欲望には合致したかも知れないが、よく考えれば今の日本社会、まだそこまで後ろ向きに自己中心的な人たちばかりが蔓延している、「後ろめたくていいんだ」と安心してしまうほど薄っぺらな人たちばかりであるはずがないではないか。
東京などの都市はまだ、そこで安心してしまえるかも知れないけれど、日本社会の全体はそこまで堕落しているとは思いたくないし、現にそうではないことは、いささかおこがましい言い草ではあるが、我々が撮った『無人地帯』が証明していると思う。
もちろん映画にはいろんなアプローチがあっていいし、『石巻市立湊小学校避難所』や『相馬看花』のようなホーム・ムーヴィーの延長としての親密なアプローチこそが正しい、という話ではない。我々が出会い、撮ることができた人たちは、むしろその真逆の「気高い日本人」なのだ。その全てが、我々がまったく偶然に出会えた人たちである以上、「外れ」がまったくなかった以上、福島県が例外的に素晴らしい人間ばかりなのだと無茶な仮定を導入しない限り、この国はまだそんなに棄てたものではないはずだ。
映画というメディアにとって「どれが正しい」とか、そんな受験勉強的な「正解」があるはずもないのだし。
また我々が『無人地帯』で考えたこと、やったことが、これとはまたまるで異なっているのも、言うまでもない。
藤川さんや松林の映画と共通するのは、「被災者」とされる人たちを「被災者」という枠組ではなく、まるごと人間として尊重することだ。そしてそのやり方にも、映画の撮り方それ自体と同じくらいに、多様なアプローチがある。
我々が目指したのは、藤川さんや松林君のホーム・ムーヴィーとは真逆な、むしろ徹底して「他者性」を意識したものだと思う。
たとえば我々は福島浜通りや飯舘村で、自分たちがあくまで「東京から来た人間」だと繰り返しているし、それは「40年間福一の電気を使って来ていながら、そのことを考えもしなかった東京」ということを多分に含んだものだ。
だからこそ、我々のアプローチの根本は、この3重の災害を総合的に受け止めることの難しさを自覚しつつも、あえてその全体像を映画的に捉え、映画としてのフォルムを与えることだったし、そのためには、まさに「ホーム・ムーヴィー」とは真逆に、映像はプロフェッショナルの仕事として、徹底的に美しくなければならない。
美そのものが映像をよりよく見ることを喚起するから、美そのものが薄っぺらな説明に終始しない映画の語りを可能にするからだ。
ジャーナリズムの基本として「きちんと情報を伝える」があるわけで、ところがこの3重の災害を捉えようとするだけでも、そのために必要な直接情報は膨大な量になるし、どれを落としていいわけでもない。
しかも厄介なことに、原発事故の本質とは、なにが起こっているのかを把握するための情報すらロクに得られないことにある。放射能被害は目に見えないし、事故が起こっている原子炉では、その事故を把握するために必要なデータの入手すらしばしば困難なのだ。
こと福一事故の場合、電源喪失がそもそもの事故原因であるということは、データ取得に必要な計器の類いがほとんど止まっているという意味でもあるのだ。その未だよく分からない事故の因果関係と、その結果だけを見せたところで「映画」にはならない以前に、ジャーナリズムとしても極めて未熟なものにならざるを得ない。
土本典昭の言葉に「映画は考えるための道具だ」というのがある。
作り手は映画を作ることによって考え、観客は見ることによって考える。だがこと原発事故の映画の場合、そこで「考える」べきこととは、実はなによりも自分達自身、原発の電気によって維持されて来た文明と、そのなかにいる自分たち自身のこれまでの存在のあり方だ。
東日本大震災に呼応して呼びかけられた3分11秒の短編映画シリーズのなかで、ヴィクトル・エリセの「アナ、3分前」は郡を抜いて優れた作品だった。
ヴィクトル・エリセ『アナ、3分前』
このなかでアナ・トレント演ずる女優が、アラン・レネ/マルグリット・デユラスの『二十四時間の情事』における、「君は広島でなにも見ていない」という宣告を踏まえつつ、「死者たちが見ている」という言葉を発する。
アラン・レネ『24時間の情事』
僕自身がこの短編を見たのは、『無人地帯』を完成させた後だったから、影響を受けたなんてことはあり得ないにも関わらず、エリセの「死者たちが見ている」という発想は、『無人地帯』を作り手である僕自身が理解するのに、重要な言葉だ。
映画の視点というのは、ある意味で「死者達の視線」に通じるものでもある。映画の基本原理が機械による映像記録であるからこそ、それは微妙に生者・人間である作り手の視点と微妙に異なり、それを弁証法的に超越するものでもあるのではないか?
僕たち自身が、自分たちの作っている映画に「見られている」、試されているのが『無人地帯』であり、だからこそそれは単一の視点やテーマではなく、思考が重層的に、映画というフォルムのなかでこそ居場所を見つけて発酵していくものでなくてはならなかったし、映画として完成したフォルムに至った今では、映画を見ること自体が、見ている観客が「見られてもいること」に至ってもいる。
作り手自身が「観客を問う」という、映画はすべて作家個人の主観の反映であって、作家の表現以外の何ものでもないという古典的な意味での作家主義的の文脈での挑発とは、少し違う。
映画自体が、あるいはそこに潜在的に宿る「死者達」が、作り手も観客もある意味同等に、我々現代に生きている生身の生者たちを見つめ、問う映画、我々自身が問われる映画を、僕たちは目指していたのだと思う。
この3重の災害を人間的な意味において、総合的に、その全体像を、映画として捉えるには、こうして「映画」というメディアの持つ本質的な「他者性」(あるいは、もしかしたら「死者性」)を探求するしかなかった、とも思う。
いずれにせよその答えは、もうしばらく時間が経って、我々の社会がこの3重の災害という体験を咀嚼し、真の意味で池止めるか、それとも(今まで敗戦や、地下鉄サリン事件、秋葉原の通り魔事件についてもそうしたように)忘れ去ってしまうまでは、分からないのだろうけれど。