12/31/2015

2016年の新年のご挨拶に代えて


今年もあと数十分を残すだけとなりましたが、喪中につき新年のご挨拶などは控えさせて頂きます。

父・藤原尊信、8月3日に肺がんで逝去致しました。昨年12月5日に脳梗塞の発作を起こし、右半身の運動機能を喪失、喉の機能も損なわれ発語、嚥下に障害が出て、年を越して1月からはリハビリテーション病院に転院したものの思うように回復は進まず、それと前後してレントゲンで悪性腫瘍らしき影が肺に写っていたものが、体力と免疫力の低下で4月末頃から急に進行を始め、そのまま手の出しようもなく死に至った次第です。

がん治療も昨今は日進月歩で進化しているものの、その治療どころか確定診断の検査にも耐えられない身体の状態では、いかんともしようがありません。急な進行が始り悪性腫瘍であることが確実になってからはもっとも恐れていた、がん性の激痛に苦しむことがなかったのは幸いでした。享年は76歳となります。

入院後まもなく母に任せておくわけにも行かない状況になり、僕も今年の初めから8月まで、ほぼ毎日病院に通うことになりました。入院しているのだからといって病院に任せておけばいいはずが、そうにもいかない状況で、毎日数時間は必ず病院で過ごすようになってから、老人介護医療というのがいかに大変なことか、その一端を思い知らされることとなりました。

父の場合は認知症、知能の低下はなかったものの、脳梗塞の損傷に伴う高次脳機能障害に伴う知覚認識の変化などに本人も対応できず、これがリハビリテーションがうまく行かなかった理由のひとつでもあろうかと推測は出来ましたし、元々お世辞にも物わかりがいい方だとは言えない性格などから僕自身には説明はついたものの、一般論で言って家人が突然人が変わってしまったかのような状態は、精神面だけでも耐えるのはなかなか難しいもののはずです。まだ自分の場合は三人兄弟の末っ子で父にとって比較的遅い子であり、仕事に熱中してほとんど家にいなかったのであまりにも縁がなかったのが、不幸中の幸いだったと言いましょうか、比較的冷静に対処出来たわけですが、なまじ親子の情愛や夫婦の絆の強い間柄であれば、その義務感・責任感の強さが仇になることもあるのは容易に想像がつくことでもあり、在宅介護の推奨を基本とする現行の日本の医療政策には大いに疑問が残り続けています。

折しも介護 “地獄” から無理心中や尊属殺人に至った事件や、老人施設での虐待事件が頻繁に報道されたのが今年でもありました。加害者とされる側を一様に責められるものなのか、その苦労のほんの一端を自分も体験しただけでも、疑問を覚えざるを得ませんし、コメンテーターが繰り返し「誰か相談出来る人を」と訴えるのも、なかなか現実的には無理があるように思えてなりません。それまで家族が抱えて来た歴史の複雑さも良きにつけ悪しきにつけ噴出する状況であり、その数十年のこじれた歴史をどうまったくの他人に説明が出来るのか、一歩間違えれば「親不孝」などと誤解され誹られかねないこともであり、あまりにもハードルが高いし、対応できる人がどれだけいるのかも疑問です。

うちの場合はまだ病院にいられたから良かったようなものの、このような状態が家庭内で延々と続けば、あるいは介護施設の職員も日々そんな状態で過重な労働を連続して強いられれば、果たしてどこまで追いつめられるのかは想像を絶するものがあります。一般には残酷に見られかねない身体の拘束も、本人の安全のために必要になる場合も多いのです。一般論でいえば介護する側がやさしさを持って、その人格を尊重して接すれば、認知症でも患者が暴れることも少なくなるはずだとはいえ、そもそも病によって自分が置かれた状況を、患者それぞれがどう受け止めるのか、人間は複雑な生物であり、ことその内面にそれまで生きて来た何十年もの人生が堆積された高齢者の場合、千差万別でしょう。

個人的には、その8ヶ月間ほぼ毎日、数時間を病院に行っていたのか、初めて父と過ごす時間であったのも皮肉なことですが、あまりよく知っていたわけでもない、ことさら親しみもなかったから、まだなんとかなったのかも知れません。父はそれだけ激しい部分がある人でもあり、身体の自由を失ったことや、高次脳機能障害による知覚や認識の変化もあって、入院中にはたびたび凄まじく攻撃的になったりもし、また医学的なことはなにも知らないし興味もなかった人なので、病状について誰がなにを説明してもなかなか納得してくれずに途方に暮れるばかりではありました。

率直なところ、みすみす自ら命を縮めるとこちらには分かっているようなことに頑固に固執する人を説得も出来ないのは、なかなか辛いことです。

僕自身のことで言えば、これまで作って来た映画はいずれも「生きる」こと、「何があっても、困難を引き受けながら生き続ける人々に尊厳を見出す」という中心的な主題を持ったもの(少なくとも本人はそのつもり)でした。それがこのような家族の状況を体験した時、心情的には疎遠であったとしてもやはり家族の価値観というものはあるはずである時、果たして自分もまたそのような映画を作り続けていいものなのかどうか、演出家として自分の映画に登場する人たちを理解出来ているのだろうか、これまで特に意識することもなくそのような主題性やドラマチックな構造をとって来た自分自身に、疑問を覚えずにはいられなくもなりました。自分にとって自然な選択だと思っていた主題性や構造が、実は自分には縁がない、とても語るべき資格なぞないものなのではないか、という疑問でもあります。

正直、そこから抜け出すことは4ヶ月経った今もなかなか難しいもので、福島第一原発事故の被災地・避難地域を撮った最新作『…そして、春』(まさに逆境にあって「自分として生きる」ことをやめない福島の人々の姿)の完成は、今暫くお待ち頂くことになりますこと、お詫び申し上げます。そうはいっても、2016年の前半にはなんとか完成の目処はつけたいと思ってはおります。

今年はまた、戦後70年の節目の年でした。

よりによってそんな年に安保法制が強行で国会を通過する、衆院での強行採決の時には父はまだ存命でしたが、なにも生涯の終わりに、6歳で神戸の空襲を経験した父が、そんな日本の激変というかていたらくを目の当たりにしなければなたない、というのも気の毒ではありました。言葉を発するのが不自由でなければ、言いたいこと、言わねばならないと思っていたことも多々あったことでしょう。

衆院を法案が通過した新聞を読み聞かせても、半ば呆れ、力なく「アホか」と言っただけの父でした。考えてみれば、戦後焼け跡派の典型でもあった父に、このようにまったく異次元の、危険な国にどんどん変貌している日本で、頑張って生き続けるよう励ましたり叱咤するのも、無理があった、残酷なだけだったのかも知れません。

その70年の節目に、僕自身としてはとりわけ、沖縄の戦争と戦後について今までほとんど知らなかったことを知らされて、愕然とさせられたのが特に印象に残った年でした。集団自決やひめゆり部隊程度しか知らなかったのが、そんなのはまだ「かわいい方」だった沖縄戦と、そこに巻き込まれ自分達を守るはずの日本軍に追いつめられ、命まで奪われた民間人の凄惨な死の実態。 戦後まもなく昭和天皇がアメリカに沖縄の返還を希望しない旨を伝えていたという、その事実が本土復帰と前後して沖縄では報道されて県民の皆さんは知っていたのが、本土の我々はなにも知らなかった。そんな何重にもひどい仕打ちを自分の国がやり続けていたことには、深く考えさせられずにはいられません。

わけても今年になって初めてその一端だけでも知る機会があった沖縄戦の現実は、一方で「これは可能な限りありのままに、映画にしなければならない」と強く思うものでもありました。

先に申し上げましたように、新年のご挨拶は遠慮させて頂きますが、皆様くれぐれもよいお年をお迎え下さい。

12/30/2015

日韓「慰安婦問題」の二枚舌な「最終決着」と、安倍外交の非常識


仕事納めの12月28日の、突然の慰安婦問題をめぐる日韓外相会談に驚かされる終戦70周年、日韓国交回復50周年の年の瀬である。11月にやっと開かれた日韓首脳会談で慰安婦問題の早期決着が合意されていたとはいえ、これで本当に「最終決着」になるとは、安倍総理大臣以外は誰も思ってはいないだろう。

意地悪な邪推をするなら、このタイミングは要するに、年末年始でテレビのニュース報道番組の多くが休みに入る時期で、たいした論評が出ないことを見越したようにも思えてしまうし、案の定、岸田外相とイ・ビョンセ韓国通商外交部大臣が発表した三つの合意内容は、普通に考えればいわば「突っ込みどころ」満載だ。

安倍総理大臣が日本政府を代表して慰安婦制度の被害者に謝罪するというのも、日本政府の責任を認めるのか認めないのかは曖昧に済まされた。事前の報道では被害者一人一人に安倍首相名義の手紙という話が日本側から出ていたが、どういう形をとるのかは結局合意に明記されていない。日本側はこれを「どんな形でも」と解釈するのだろうが、韓国側から見れば(というより、客観的・常識的には)これは謝罪なのだから、被害者が納得する形をとらなければならないのは当然だろう。「そんなのでは謝ったことになっていない」と被害者が抗議すれば、すべての約束は反故にされても文句は言えない。

事前報道では1億とされていた基金は、韓国側が要求した通り10億円になっている。しかもその基金を運用する財団は韓国政府に所属し、日本は金だけ出す、という奇妙な内容で、日本がこれをよくOKしたものだと首を傾げる。日本国民の税金から拠出される資金の使用に関して、日本政府や日本の国会がなんら権限を持たないというのだ。

邪推するなら日本政府つまり安倍晋三首相による謝罪の形式を特定せず、賠償という名目を取らないことと引き換えに、韓国政府に10億という額を、いわば巻き上げられたのではないか?しかもこれでは、客観的に見ればほとんどただの口止め料、金は出すからこれ以上文句を言うな、という旧宗主国側の傲慢な差別意識の無自覚な発露にしか見えまい。

風刺画 クォン・ポムチョル  ハンギョレ新聞(韓国)
「不可逆的」な決着、今後は日韓双方がこれを外交問題としない、という約束を、日本側では「これで韓国に二度と蒸し返させない」、もう謝罪を要求されないでいいのだ、安倍の言葉を借りれば「謝罪を続ける宿命」から解放されたとでも思い込んでいるようだが、呆れた非常識だ。

そもそも、いったん河野談話とアジア女性基金による償い金の支払いで外交的には決着したはずなのが慰安婦問題であり、再三「蒸し返した」のは日本側だ。河野談話への不満が大っぴらに公言され、2度目の安倍政権では「再検証」までなされたりして来たし、その河野談話や戦後60周年の村山談話を反故にしようと、戦後70年の安倍談話を出そうとして迷走した末、なにが言いたいのか理解不能で無駄に冗長、無惨なていたらくで大恥を晒したのが今年のことだ(参考『結局なんの意味があったのか?戦後70年談話の滑稽な茶番と意外な顛末』http://www.france10.tv/international/5291/)。

今回の合意が「不可逆的」ならば、日本国の公人たる政治家などの公職にある者は二度と「慰安婦問題はでっち上げ」「強制連行はなかった」「ただの売春婦」などと口にしてはならないし、それでも民間の報道機関やジャーナリスト、安倍自身の支持層が同様のことを口にすることを阻止する権限なぞ、誰も安倍氏に与えてはいない。

韓国側で言えば、政府の権限で元慰安婦や支援者が日本政府を非難し続けることも、賠償請求訴訟を起こすのも、阻止する権限など政府にはないし、行政府が他国と決めたことを司法を強要するのが三権分立に違反する以上は、裁判所の判断で訴訟を受け付けることも当然可能であり続けるのが、民主主義国家の基本だ。

安倍氏は日頃「価値観を共有する国々」を外交方針だといつも言い張っているが、民主主義・自由主義の基本ルールも無視してどんな「価値観」を共有しているつもりなのだろう?「いっそ北朝鮮に行けば?」と思わず皮肉りたくなってしまう。

日本側がえらくこだわった、ソウルの日本大使館前の慰安婦像の撤去にしても、これは民間団体の設置したもので、政府にこれを排除する権限があろうはずもなく、現にイ・ビョンセ大臣は関係団体に提案することしか約束していない。会見で同大臣が「努力する」としか言っていないことはさすがに日本のメディアも繰り返し実効性に疑問を提示しているが、それ以前にそもそも、日本側の要求は民主主義国家としてあり得ない話だ。

日本政府は10億というカネを韓国政府に掴ませれば韓国の国民まで黙らせられると思っているのだろうか? 勘ぐるならば、韓国政府はこの日本側のとんでもない勘違いに気付いていながらわざと放置して、まんまと10億という金額をせしめたのかも知れない。

パク・クネ政権にしてみれば、日本が当初1億と言っていたものを10億円せしめたのは、国民にアピール出来る成果だし、同政権にとって日本政府以上に都合の悪い歴史の再検証と記憶の維持は、合意の対象になっていない。この点で日本政府はパク・クネ政権の思惑を読み違えているわけで、慰安婦問題はこの大統領にとってもアキレス腱なのだ。

パク・クネの父パク・チョンヒは満州国士官学校出で、慰安婦制度の管理運用に関わった疑惑もあり、その辺りの事実関係が明らかになっては政権が崩壊しかねない。そうでなくともパク・チョンヒは対日協力者だったし、日本側が「最終的に解決」と言い続ける根拠としている戦後賠償に関する日韓協定は、他ならぬそのパク・チョンヒが結んだものであり、安倍晋三の祖父岸信介とパクが昵懇の仲だったからこそ成立したものだ。逆にだからこそ、その娘パク・クネは、慰安婦問題で日本に強行な姿勢を示す必要があった。

確かに慰安婦問題にパク・クネ政権がこだわるのは世論対策ではあるが、それは日本政府の言いなりの日本メディアがそう国民に思わせているように韓国国民が「反日」だからでもない。元慰安婦たちが韓国世論の強い支持を得ているわけでも必ずしもないどころか、むしろ逆の面さえある。

それに慰安婦問題の被害者は韓国だけではない。10億という金額を新たにその償いに当てるなら、それをただ韓国政府に渡すだけ、というのはそもそも問題の本質からズレている。

日本軍が朝鮮人、台湾人、インドネシア人を始め多くの植民地の女性を軍の慰安婦として搾取していたのは、日本では戦後ずっと公然の秘密…ですらなく、『兵隊やくざ』のような大衆娯楽向け戦争映画でも朝鮮人慰安婦が毎回登場していた。韓国だけが「反日」だからかつての慰安婦制度を問題にしているわけでもまったくなく、例えば安倍政権が「親日」だと思い込んでいるインドネシアでは長らく学校の歴史教科書に日本語の発音のまま Ianfu という言葉でとり上げられて来た。

しかも韓国で元慰安婦が名乗り出たのは、民主化が進んだ90年代に入ってやっとであり、彼女達はそれまで、韓国の、軍事独裁・右派政権のなかで無視され続けて来た。

いわば売春婦とみなされて来たが故の差別があっただけではない。戦時中の韓国人にとっても日本軍に女性たち、それも多くは少女をいわば人身御供で日本軍に差し出した恥は直視し辛い過去であり、しかも慰安婦徴集に軍や警察が立ち会うようになってから(つまり慰安婦にされた女性達が実質強制連行されるようになって以降)、その任務に当たった多くが、日本軍に志願したり戦争末期には徴兵された朝鮮人兵士であり、慰安婦の管理をやらされた多くが朝鮮人軍属や朝鮮人の女衒業者だったからでもある。

しかもパク・チョンヒを始め軍事独裁や右派政権の中枢にいたのは日本軍の教育を受け、その戦争に参加もした者達であり、つまり慰安婦制度の運用に大なり小なり責任ある立場で関わっていたし、戦後・独立後も、朝鮮戦争直後に李承晩が日本と領有権を争う竹島(韓国からみれば独島)を軍事力行使で占拠した以外は、こと岸信介と強いパイプを持つパク・チョンヒ政権以降、韓国の政治はいわば「親日」というか、日本の右派政治家と特につながりが深く配慮も欠かさないものであり続けて来た。

民主化によって元慰安婦達が名乗り出て、慰安婦問題が日韓の外交問題化したのも、だから別に世論の大きな支持があったわけでは必ずしもない。むしろ韓国社会もまた戦後一貫して彼女達を無視して来たし、だからこそ韓国が民主主義国家として生まれ変わるに当たって、その声を無視せず、虐げられた者の尊厳と人権を擁護することは、朝鮮民族の民主主義が本物かどうかが試される大きな試金石になったが、それは独裁政権下での自らの社会の罪と向き合うことも意味する。

例えば韓国のアーティストらが慰安婦を作品で取り上げるのは単なる反日プロパガンダではなく、韓国も含む現代の世界や東アジア文化の歴史のなかでの女性蔑視や女性たちの置かれた境遇を反映したものであり、こと慰安婦達を忘れようとして来た自分達の社会に対する告発でもある。

仏アングーレム市の国際漫画フェスティヴァルが
韓国人漫画家たちに委嘱した、慰安婦をテーマにした展示も

歴史の忘却を中心主題に据え韓国社会の責任も問う内容だった
そんな韓国社会のなかでの慰安婦問題の微妙な位置を、日本側はほとんど理解しようとしたことすらなく、その外交はあまりにその相手の神経を逆撫でするものであり続けて来た。日本の国際的な立場を守るためにも必要だった河野談話を出そうとする外務省と村山富市内閣に、自民党右派の一部が反発し、謝罪こそしたものの強制連行の直接の公式文書記録がないとわざわざ付記し、国家賠償ではなくアジア女性基金で募金を募る形での償い金の支給しかしなかったことは、元慰安婦達の気持ちを踏みにじっただけでなく、韓国社会がこの歴史問題について抱えている複雑な感情につけ込んだ、無自覚にせよ非常にいやらしいものだった。

それでも日本を重要な経済パートナーとしてみなす韓国が、元慰安婦達に我慢をさせてまで納得したはずの河野談話を、あたかも反故にしようとする動きや、侮蔑する発言が、かつての軍事独裁政権と深く関わっていた自民党右派から公然と出て来るのだから、これは韓国世論全体から反発があっても当然なのだが、そうした国家民族への侮辱に抗するわりには、韓国の社会や政治の対応はむしろ大人しいものでしかないことにも、日本側では気づいてすらいない。

「反日」どころか、お隣の大国である日本との関係に韓国は常に腐心し、配慮を欠かしていないのに、なおその足下を見てつけ込むかのように、さらに無理難題を押し付けているのが日本外交なのだ。

そもそも日本が旧宗主国気取りで相手を言いなりにさせられる立場かどうかといえば、これまた「希望外交」と差別意識・植民地主義の野合が、あまりにはしたない。

民族差別、差別する側ゆえの傲慢な無神経、そう指摘してしまえばミもフタもないだけではなく、この相手側を理解しようとしない拙速は必然的に外交の失敗に結びつき、国益を損ねる。今回の「不可逆的な最終決着」の合意はアメリカの圧力があったとする説を唱える人も多く、安倍政権自体がその印象をメディアを通して流布することで国民、とくに安倍の支持層を納得させようとしている節があるが、これも的外れな憶測だ。

むしろ真相は逆だろう。事前の報道では、日本側がアメリカを巻き込んで韓国側を今後黙らせる権威付けに利用しようとしていたことすら、漏れ伝わって来ていた。

日本経済新聞 12/27「慰安婦問題、首相「おわび」で調整 米に「決着声明」要請」 
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS26H2L_W5A221C1MM8000/

これも安倍政権がいかに外交の基本的な常識すら分かっていないことを伺わせる話だ。日韓の2国間の外交問題でアメリカがおおやけに「決着声明」なぞ主権の侵害に他ならないし、まして自国民ですらない慰安婦制度の被害者個々人の権利をアメリカ政府が制約したり侵害できるわけもあるまい。

アメリカ政府が慰安婦問題と、特に安倍の歴史修正主義的を憂慮して来たのは事実だが、それはアメリカの国是と理念からして(逆に言えばタテマエとして)当然やらなければならないことだからに過ぎない。日本の一部政治家が慰安婦問題をでっち上げと主張したり、一般的な戦場における性の問題に話をすり替えて「必要だった」と言うことが、現代の国際社会で通用するはずがないことを、日本人はもっと深刻に受け取るべきではあるし、国際社会で日本の信頼を著しく損ねていることにも留意すべきだが、しかし韓国と慰安婦問題で外交決着をはかることがただ「アメリカの圧力だからしょうがない」と言うのもまた、あまり正確な事実関係の把握とは思えない。

むしろ今回の急激な動きは、今月に入ってソウル地方裁判所が産経新聞ソウル支局長による名誉毀損事件に無罪判決が出したこと、さらに先述した日韓の戦後賠償の協定の違憲性に関する訴えに、韓国の憲法裁判所が違憲性の審理をしないままのいわば「門前払い」判決を下したことが、安倍官邸が動き出した大きな理由だろう。

日本側はこれらを韓国からの対日配慮と受け取り、このチャンスにつけ込むと言わんばかりに、外務省ではなく官邸・総理の側近が素早く手を打った…つもりなのだろうが、これもとんだ勘違い「希望外交」の読み違い、安倍官邸が外務省を素通りして押し進めた今回の交渉は、冷静客観的でなければならない他国との交渉に自分達の願望や期待を織り交ぜては判断を誤ってしまう、「希望外交」の典型に思える。

産經新聞の名誉毀損罪への無罪判決については既にこのブログでも取り上げた通り(12/18『産經新聞ソウル支局の名誉毀損事件の無罪判決をめぐる、日本の危険な勘違い』)だが、要はソウル地裁は名誉毀損の事実自体は認定しつつ「政権を批判する自由」を最優先して無罪と判断しただけで、判決公判で日本からの外交圧力があったとする外交通商部からの要請書を読み上げたのは、むしろ日本による非常識な内政干渉の事実を公に晒した、とみなす方がよほど現実的だ。そして憲法裁判所が戦後賠償協定の違憲性の判断自体を避けて「門前払い」(被害を訴える事実の立証が不十分、という判断)にしたことも、日本への配慮というよりは韓国国内の政治事情、とくにパク・クネ政権への配慮だ。

まずこの賠償に関する日韓協定の内容だが、日本兵や日本軍の軍属であった韓国国民に支払われるべきだった給料や恩給、遺族の年金が戦後は未払いのままであり、徴用なども含め、日本が自国民であった人々に支払うべきだった労働等の対価の請求権について、韓国政府が一方的に放棄を約束し、代わりに日本が経済援助を行う、という合意だった。こんな借金踏み倒しで「最終的に解決」と言い張り続けている日本政府も相当に恥ずかしいが、韓国政府にとっては国民の財産を国が勝手に奪った、自由主義国家において基本的人権と並んで最重要の市民の財産権を国が侵害したことになり、より問題は大きい。

合憲だったか違憲なのかを問われれば、韓国の憲法裁判所に限らずどんな裁判所でも、まともな民主主義国家の司法であれば違憲と判断せざるを得ない。だがその結果、韓国政府にも自国民に多大な賠償を行う責任が派生する可能性があるし、なによりもこの自国民の財産権、それを請求する正当な権利(なにしろ未払い給料であり日本帝国のために命を賭けた軍人の恩給、遺族年金だ。日本に支払う義務があって当然)を韓国政府が奪う、という判断をしてしまったのが、パク・クネの父パク・チョンヒである。

その父の業績(その日本の援助で韓国の経済成長を成し遂げたことが最大の功績とみなされている)について違憲判断が出れば、能力不足が指摘され不人気な政権が崩壊するほどの打撃になるし、韓国政府自体の権威や信頼性すら揺らぎかねない。

ちなみに憲法裁判所が違憲判断を下した場合、韓国政府はこの日韓協定の破棄について日韓交渉に入らなければならず、日本が対話を拒否した場合は、即座に国際司法裁判所に持ち込まざるを得ない。 
そうなった場合、日本には勝ち目はない

憲法裁判所は日本への配慮などしている余裕もなく、韓国内の政治的な安定の維持のために判断を回避せざるを得なかっただけだ。

産經新聞の名誉毀損罪については「配慮」どころか完全に日本政府や産經新聞を見下し軽蔑しているような判決だったし、どちらも三権分立の民主主義国家の構造上、行政府から独立した司法府の判断だ。

いかに日本ではその三権分立の原則がまったく形骸化しているからといって、韓国はなんでも日本以下なのだと無意識にみなしたいのか、パク・クネ政権が弱気になったサインだと思い込んだ安倍の判断は、まったく稚拙で非常識極まりない、「希望外交」のなかでも最悪の部類だろう。

そもそも安倍が2度目に総理に就任し、その数ヶ月後にはパク・クネが韓国大統領になって以来、祖父と父がねんごろだったこの二人の日韓関係は、しじゅうボタンの掛け違いだった。パク・クネが慰安婦問題については強硬な姿勢を取って来たことの意味を、安倍政権だけでなく日本の政府も政治家もメディアも、完全に勘違いしているのではないか?

パク・クネは今年の光復節(8月15日は韓国にとって独立記念日だ)には、慰安婦問題以外の歴史問題はもう日韓には存在しないとまで言っている。この明白な妥協のサインすら読み取れなかった日本外交の拙劣さ、情報分析能力のなさも凄い。

パク・クネはなぜ慰安婦問題だけを特化するのか? それだけを切り離せば日本の植民地支配と戦争の責任の全体はうやむやに出来ることが、この大統領にとってはメリットだからだ。

そんな思惑にも気づけずに、日本側が戦後賠償についての日韓協定にこだわって、慰安婦問題も含めて「最終的に解決済み」としか主張して来ていないのも、外交上とんだ愚かな悪手でしかない。パク・クネ政権がその協定と慰安婦問題を切り離しているのは、日本側が考えているように「慰安婦問題で日本の謝罪や日本の金を引き出す」ためではなく、パク・チョンヒの娘である自らの保身のためにこそ必須なのだ。

言い換えれば、日本支配をめぐる他の多々ある未解決な問題の責任を問うことは、まごうことなく最悪の対日協力者の類いで、戦後には日韓基本条約の締結では腐敗と妥協で自国民の権利を勝手に奪ったパク・チョンヒの旧罪をも、暴くことにつながりかねず、パク・クネ政権にとっても致命的だから避けたいのだ。

慰安婦問題ならば、その日韓協定と切り離される理屈が成り立つし(実際、慰安婦への人権侵害はどう考えても同協定で交渉対象になっていないし、給料・恩給などの経済損失と性的虐待・強姦・人権侵害は、法の倫理的な常識から言って別の次元の議論だ)、それ以外の問題について、より多くの韓国国民の権利にとっては明らかに不利どころか不道徳な協定であっても、パク・クネにとっては日本と同様それが「最終的に解決された」とされてた状態のまま維持することが優先される。だからこそこの政権は、慰安婦問題を同協定から切り離して考えることを明確に打ち出し、慰安婦問題だけが残された歴史問題だとさえ言い続けてさえいるのだ。

そんなパク・クネ政権に話を合わせて、世界的に女性に対する許すべからざる人権侵害とみなされている慰安婦問題さえ解決すれば、他にくすぶる様々な、日本政府と旧国民であった韓国人・朝鮮人とのあいだにある償いや謝罪の問題がチャラに出来るのだから、日本政府にとっても決して損な話ではない。

こうしたパク・クネ政権の(安倍に逃げ道をちゃんと与える気でいる)思惑にも気付かないまま、ただ「韓国は反日なんだ」と日本国内で思い込んでいるようでは、交渉の妥協点など見つかるはずもないし、パク・クネはパク・クネで、そのメッセージを日本側に伝達することにことごとく失敗し、その結果の日韓関係の悪化は韓国経済にも響いて来ている(だからって経済不振の主たる原因が対日関係悪化だから、パク・クネは妥協するのだと言い続けている日本政府や日本のメディアも、呆れるまでに差別意識と韓国蔑視に満ちて判断を誤っているのも言うまでもない。これも「希望外交」だ)。

それにしても気が滅入る過去と現在の符合だ。 
日本はかつて、自国の元兵士や軍属だった人たち個々人に支払うのが当然だった責任を、韓国政府への経済援助で誤摩化してしまった。 
そしてその協定を盾に逃げ続けた結果、またもや慰安婦制度の被害者個々人ではなく、韓国政府に金を掴ませ、かつて自国の国民でもあった個々の人たちの被害について、またもや果たすべき責任をうやむやにしようとしている。 
「個々の人間の権利」ということについて、かくも無神経で無頓着なのは、いったいどこの全体主義国家の政治家なのか? 
日韓基本条約に伴う賠償協定はパク・チョンヒと岸信介が実現させたものだったのが、今度は前者の娘パク・クネと岸の孫・安倍晋三の取引なのだから、話が出来過ぎている。

安倍晋三とパク・クネは、日本の戦争と侵略の歴史の責任の所在において、むしろ「同じ穴の狢」だ。

どちらも頭の良さ、政治能力については大いに疑問があるし思想的にもどちらもずいぶん怪しげな中途半端で薄っぺらなナショナリスト、いわば「どっちがバカかいい勝負」のこの二人だが、一点だけはパク・クネの方が賢い。彼女は父の大きな罪を認識していて、それをどう目立たさずに済ますのかを意識している。安倍の方はといえば、祖父・岸信介を偶像化し、その罪の部分さえ功績として吹聴したいのを、官邸スタッフが報道メディアに圧力をかけて報道させないよう、必死で誤摩化している有り様だ。

この日韓交渉の話が突然報道されたのも、官邸からの発表だったが、案の定、外務省を素通りして官邸が青瓦台(韓国大統領府)と直接に秘密交渉で進めて来た話だったことが、後に明らかになっている。外務省がイニシアティブをとっていたら、こんな自己閉塞した非常識を曝け出し、さして有能とも思えないパク・クネ政権ごときに手玉にとられるような失態には、さすがにならかなっただろう。

安倍首相は以前にも、外務省の指示を無視して中東歴訪中にイスラム国を敵視する文言を勝手に演説に加えてしまい、その結果が邦人二人が殺害される人質事件だった。 
明治の産業革命の世界遺産登録では予め日韓の外交当局で合意済みの内容を、UNESCOの世界遺産会議での採択直前に安倍が覆そうとして登録の採択を妨害してしまい、恥をかいただけで得られたものはなにもなかった 
こうも外交の基本常識すら踏まえられない総理大臣が、それでも「世界を股にかける外交」などと自慢げに吹聴しているのだから、もはやこの政権の存在自体が日本の危機だとすら言えてしまう。

今回の日韓合意は、それぞれの都合でどんな意味にでも取り得る内容でしかない。

いや正確に言えば、民主主義と人道主義の基本的な価値観や外交の常識を踏まえる限りは、韓国側が(安倍の愚劣さを密かにあざ笑いつつ)しているであろう解釈しか、成立しない。

・安倍氏が慰安婦制度の被害を謝罪するならば、それは被害者が納得する内容と形式でなければ無効なのは言うまでもない。

・日本政府が韓国政府に10億を渡すだけで基金の運営は完全に韓国政府の権限というのでは、元慰安婦の皆さんが納得する使われ方をするかどうか、日本政府がその責任を放棄している以上、どう使われようが文句も言えない。

・「不可逆的」はあくまでそれぞれの行政府を縛る効力しかなく、被害者にも、支援団体にも、司法にも、一般国民にも、なんの拘束力もない。

つまり日本の政府関係者か安倍氏に近い立場の民間人がちょっとでもこれまでの言い草を繰り返そうものなら、韓国は一方的に日本の約束違反を非難出来るし、そうなればこの合意自体が無効になり、韓国政府は10億円をゲットするが日本が得るものはなにもない。

だが年始早々に始る通常国会で、この失態を野党は追及できるのだろうか?

これがなかなか難しいのが、現代の日本における政治をめぐる言論の質の劣化のていたらくだ。この「決着」を批判することは、一見すると「かわいそうな元慰安婦の方々の救済を邪魔する」ことに見えかねないのだ。

その元慰安婦は若くとも80代半ば、もう諦めて安倍の中途半端な、口先だけの謝罪でも受け入れて、その印としてお金を受け取る人もいるだろうし、現実問題として彼女達の老後・余生も決して経済的に安定したものではない。

今問題なのは、言わばその足下につけ込んだような「最終決着」という不道徳を、我々日本国民がそのまま是認していいのか、ということだ。10億という額をケチるわけでもないが、やはり国民の税金だ。安倍が自分の都合だけで弄んでいいものではない。日本の過去の罪の清算なら、それがきちんと道徳的になされることを監視するのは、国民の名誉の問題であり、国会の責任である。

幼稚なナショナリズムの差別主義を振り回し過去の自己正当化にばかり関心が向く愚かな政府の下で、日本の民族と国家の名誉はなし崩しに破綻して来ている。野党や安倍政権を批判する人たちには、ぜひこの点についても意識的になって頂きたい。

12/21/2015

雪舟等楊 『秋冬山水図』(国宝)公開中、23日天皇誕生日まで


またまた展示終了前のギリギリのブログ告知で申しわけないのだが、室町時代の禅画、とくに水墨山水画の最高峰、雪舟の『秋冬山水図』が公開中だ。

雪舟等楊『秋冬山水図』秋(国宝)15〜16世紀初頭

東京国立博物館・本館2階 国宝室、23日の天皇誕生日まで

15日からの展示で、一週間強の短期間なのは、作品保護のためでもあるのだろう。

雪舟等楊『秋冬山水図』冬(国宝)15〜16世紀初頭 東京国立博物館

ちなみにこの後、1月2日からの新年の国宝室展示は長谷川等伯『松林図屏風』

『秋冬山水図』はもちろん国宝であり、同じく東京国立博物館の所蔵する『破墨山水図』と、京都国立博物館の『天橋立図』、毛利家の所蔵して来た『四季山水図巻』(山水長巻・山口県防府市の毛利美術館所蔵)と並ぶ、雪舟の恐らく晩年期に描かれた、最高傑作のひとつだ。

雪舟等伯『四季山水図巻(山水長巻)』15世紀末(国宝)
日本絵画史の屈指の傑作『秋冬山水図』は最近、裏打ちを張り替え表装をやり直した修復・大修理を経て、500年前の和紙に墨で描かれたその濃淡の無限の広がりや、雪舟の筆の勢いが、鮮烈に歳月を超えて残っていることにあらためて驚嘆させられると同時に、細部までよく見えるようになった雪舟自身の天才に改めて瞠目させられる。



いやこれはもう、単に「才能」の次元で語るべきものではあるまい。

雪舟は禅僧であり、水墨山水画は枯山水庭園と同様、ミニマルな手段のなかに世界全体ののありようを閉じ込めた、宗教的、ないし哲学的な意味を持ってもいる、瞑想の契機となるものでもある。

龍安寺 方丈石庭(史跡・特別名勝)16世紀初頭 京都市
もしかしたら密教の両界曼荼羅も意識したのかも知れない、しばしば左右対称に並べて掛けられ鑑賞される二幅の、それぞれに秋と冬を描いた縦長の、空と山と川、木、そして楼閣が、さりげなく左右対称も踏まえて配された構図のなかには、あえて春と夏が排除されているからこそ際立つ四季の循環と時間の永続姓が封じ込められつつ、かつ描かれた瞬間の筆の勢いが見て取れることから、瞬間的な即興性の表現にもなっている。



いわば密教絵画における曼荼羅か、それ以上の意味を持つのがこうした山水画なのかも知れず、一瞬と永遠が、一見なにげない二つの風景のなかに奇跡的に同時に存在していて、それが今や500年の歳月を経てなお新鮮であることそれ自体にも、またより深い、言葉になり得ぬ意識と感慨が付加されるのかも知れず、現代にこそより深い瞑想や思索に誘う絵画なのかも知れない。


雪舟は間違いなく日本美術史上のもっとも重要な画家の一人であろうが、それだけで語れる存在でも実はない。

平安朝初期に遣唐使だった空海、最澄が学んで来た真言宗・天台宗の密教が日本の公式仏教として確立し、摂関政治の最盛期には阿弥陀信仰・浄土思想が中世初期にかけて貴族から庶民まで階級を問わず流行する。その中世の日本が武家政権の時代に移行してまもなく、中国から伝来し、とくにその武家に受け入れられたのが、当時の中国でも新しい仏教の潮流だった禅宗であり、空海、最澄の時代に最先端だった密教と同様、中国からもたらされた最新の総合文化体系でもあった。

その禅の文化として伝えられたのが、ただ信仰や哲学だけではないのは、飛鳥時代の朝鮮半島からの仏教伝来、推古帝の遣隋使がもたらした中国からの直輸入の文物と技術、遣唐使によってもたらされた唐風の仏教文化が花開いた白鳳時代と平城京、そして空海・最澄のもたらした密教と同様だ。日本文化は常に、中華文化圏のなかの交易と交流の大きな流れのなかで育まれて来たものでもある。

たとえば唐様とも呼ばれる禅宗様建築では、中国風の急勾配の反り返った屋根を日本の木造建築で再現するために技術の粋が極められた。

禅宗様(唐様)建築の典型作例、地蔵堂(国宝)
金剛山正福寺 東京都東村山市 1407年
喫茶の風習も禅の文化の一部として渡来し、安土桃山時代に天才・利休の登場で茶道として独自の発展を極めるものの、本来は中国伝来であってまず龍泉窯、景徳鎮といった中国陶磁が珍重された。

青磁輪花碗 銘 馬蝗絆 (重要文化財)南宋時代 龍泉窯 13世紀
足利義政 所用 東京国立博物館
土佐光信 伝・足利義政像 室町時代15世紀
義政の書斎で書院造り・茶室の原点とされる同仁斎 慈照寺東求堂
足利義政の持仏堂「東求堂」旧東山山荘(東山慈照寺)

利休の天才のひとつは、朝鮮の民具であった陶磁器の三島茶碗、井戸茶碗に独自の美を見出したことだ。

名物大井戸茶碗 銘 有楽 (重要美術品)李氏朝鮮 16世紀
織田有楽斎旧蔵 東京国立博物館

雪舟がその頂点を極めた禅画の山水図は、南宋の宮廷画家・夏珪の創始した絵画様式が中国の禅僧・周文によって日本にもたらされたものだ。

はっきり言えば、我々がなんとなく「和」だと思っている水墨山水画は、元をただせば中国模倣以外のなにものでもなく、秋冬山水図にしても簡略化して描かれた楼閣は中国建築だし、秋の方では中景の山陰に描かれた二人、冬では前景で坂道を登る農夫、いずれも中国風俗で描かれている。

雪舟等楊『天橋立図』16世紀初頭(国宝)京都国立博物館
明治以降、急激かつ人工的な近代国民国家像を作り上げる上で強調された歴史観は、「日本独自」を強く誇張しようとしたものだが、裏返せば遣隋使、遣唐使以来かそれ以前(邪馬台国や、「漢委奴国王」の金印)から中国の朝貢国で、常に中国の影響を受けその文化を輸入して来たことを誤摩化す歴史観でもあった。

「画聖」とまで言われた雪舟の確立したものは、その後安土桃山時代には狩野派に引き継がれ(人物を中国風俗で描くといった約束事も含め)、江戸時代の文人画に至るまでその影響は明らかだが、それが中国絵画、とくに宋朝の風景表現の系譜に属するものであることは、今日に至るまで日本ではあまり意識されていない。

江戸時代後期の北斎、広重らの浮世絵風景画がオランダ渡来の西洋画の遠近法を応用しつつそれを独自に、かつ大胆に発展させたことは、さすがに昨今では知られるようになりつつあるが、その北斎や広重にしても雪舟からの中国山水の伝統もまた引き継いでいることも、なぜかあまり指摘されない。

『秋冬山水図』冬(部分)
まして雪舟自身が明朝の中国に3年ほど留学していたことでさえ、あまり注目されていないのだが、だから雪舟の作品は中国本土にも残っていて、なかには日本にはほとんどない人物画もある。

『秋冬山水図』秋(部分)
いや雪舟がただものではないのは、その作品に賛を寄せているのが、当時の明朝の最高位の禅僧や文化人だったり、皇帝自らが謁見し、その才能を称えて高い位を授けていたりすることだ。

雪舟等楊『破墨山水図』明応5(1494)年 国宝 東京国立博物館
「日本の独自の文化」に明治以降(たぶんに不自然に)固執したあまり、雪舟の作品の認知度は、日本国内と海外では日本研究者に限定されがちだった。昨今、その流れは変わりつつある。中国本土の研究者や、水墨山水画の実作者たちが、南宋風景画の完成者であり最高峰として再評価し、注目し始めているのが、他ならぬ雪舟なのだ。

だが雪舟が明朝の中国に渡ったのは、室町将軍・足利義満の始めた日明交易のなかでのことでもある。これが外交形式上柵封体制の国交であったことから、皇国史観では義満はほとんど国賊扱いだったし、現代に至るまで一般の評価は芳しくない。

この様な狭量な近代主義のナショナリズムの歴史修正主義のなかで、日本が産んだ屈指の天才・雪舟の国際的な評価が妨げられているとしたら、なんとも珍妙だし、もったいない話でもある。

12/20/2015

「夫婦同姓は合憲」判決:日本は法治国家ではない

まず真っ先に確認しておくべきだろうが、最高裁大法廷の判断はあくまで「夫婦同姓(の強要)は違憲とは言えない」でしかない。憲法の許容する受忍範囲内で違憲とまでは判断出来ない、というだけで、選択的夫婦別姓の法制化を「不必要」と断じたわけでも、まして「夫婦別姓は違憲」と言ったわけでもない。

この最高裁の判断は、法務大臣の諮問会議で選択的夫婦別姓の法制化が提言されてからもう20年前後、立法府が怠けて来たので司法の判断という流れになったのを、最高裁が立法府に丸投げで投げ返して判断を避けたという以上の意味は持っていない。要は最高裁は判断したくないので(怖いので?)国会でやってくれ、というだけのことだ。

どうにも法治国家ということ、憲法というものの機能すら理解できない人が政治家でさえウヨウヨいるのが我が国の政界の残念な実情で、最高裁が「夫婦同姓(の強要)を支持した」と勝手に思い込んで舞い上がっているいわゆる保守系議員すらいるようだが、法治国家の憲法とは、そもそもそんな機能を持つ法体系ではない

国家の行政権力・法権力の行使を制約するのが憲法の機能であって、「夫婦同姓がいい」あるいは「別姓がいい」などの方向性を決める権能自体が、法治国家の最高裁の違憲立法審査権には含まれようがない上(それこそが立法府の仕事)に、憲法の基本理念から言っても、今回の最高裁大法廷判断が個人の名前を個々人の自己同一性の認識に関わる人格権の範疇として認めている以上、その自由を最大限保証することの方が憲法の理念により合致するのは、当たり前の話だ。今回大法廷が判断したのは、結婚で姓を変えなければならない程度の不自由は憲法が保障する基本的人権の範囲内には含まれない、というだけであって、夫婦の姓の選択にあたってより幅の広く、制約の少ない選択的夫婦別姓の法制化の方が憲法の大枠の基本理念に照らしてもベターであるのは、言うまでもない。

今回の判断に至った15人の最高裁判事のうち、女性が3人でその女性はいずれも夫婦同姓の強要を「違憲」と判断していることは報道でさかんに言われている。実際には違憲判断を下した裁判官は5人で、女性3人を含むその出身は大学教授つまり有識者、行政官つまり実務官僚、そして弁護士だ。元裁判官と元検察官のいわば司法キャリアは、いずれも「合憲」と判断している(そして全員男性である)。こうなると日本の司法制度の中枢を担う人材のクオリティこそが問題にも思えて来るわけで、三権分立や司法の独立、公正な裁判制度の維持どころか、そもそも日本が本当に法治国家なのかにも疑問を覚えずにはいられまい。なにしろ裁判官や検察官が、法論理に基づく合理的な判断や、自身の判断に論理的整合性の説得力を持たせることに怠けているというか、その能力すらない、自分の主張に論理的な裏付けを構築する必然にすら気付かないか、自分達の主張にいかに論理性が欠けているのかに無自覚なのか、疑問を覚えずにはいられなくなる。

なにしろ最高裁大法廷の判断には、どうにも首を傾げるところがある。判決文は名前を個々人の自己同一性の認識に関わる人格権の範疇として認めておきながら、夫婦同姓、つまりその自己同一性の認識に関わる人格権が制約され得る憲法上の理由を、まるで提示出来ていないのだ。

日本国憲法の論理構造からして、人格権が制約され得る唯一の理由は「公共の福祉に反する」だけだ。だが夫婦同姓というたかが明治時代後期に決められた人工的な法慣習に例外を設けることのなにが公共の福祉に反するのか、「定着している」というだけではおよそ理由にならないし、一方でこの大法廷判断は通称としての旧姓の使用を推奨までしているのだ。通称として旧姓を用いればよい、つまり実生活の人間関係では夫婦が別姓で問題がないと認めるのなら、「公共の福祉に反する」という理屈は崩壊するはずだ。

法的には通称でしかない名前を社会生活上名乗る上で、本人に法的な手続きが介入する状況で多々不便が生ずること以外には(つまり本人が困る以外には)、公共つまり社会の側は夫婦が異なる姓を名乗ることでなんら利益を損なわれることがないことを、この判断は認めてしまっているのだ。だが、ならば姓の変更を受忍すべき理由がそもそもない。

社会生活上で通称の使用が奨励される、つまり夫婦が異なる姓を社会生活で名乗ることが公共の福祉に反しないのなら、それぞれの産まれた姓を法的にも名乗り続けることが許容されず、婚姻に伴う姓の変更を受忍しなければならない理由がそもそもなくなってしまう。

男女、夫と妻のどちらのかの姓に統一すればいいのだから男女平等に反するとは言えない、というへ理屈に至っては、司法が「象牙の塔」と一般に揶揄されてもしょうがないほど現実離れしているのは言うまでもない。実際に96%の夫婦は夫の姓を名乗る、それが「当たり前」とされているわけで、妻の姓を名乗るのは「婿入り」か(妻の実家に女子しか子どもがおらず姓を維持するため)、夫がよほど「理解がある」場合など、特殊な事情に限られるのが現実だ。こうも現実離れしたことを最高裁が言い出してしまっては、司法への信頼を司法自らが損ねていることになり、それこそ公共の福祉に反する。

そもそも選択的夫婦別姓に反対する人たちは、反対していることそれ自体からして、法治国家とはなにかが分かっていない。選択的、つまりは個々のカップルの自由であって、あくまで「他人様」のことなのだ。あなた達にも、あなた達の夫婦関係にも、あなた達の子どもにもなんら関係がない。夫婦でも異なった姓を維持したい他所の夫婦のプライベートに介入する権利なんぞ、いったい誰があなた方に与えたと言うのだ? 他人様の私生活に自分の価値観で介入するのなら、せめてもう少し説得力のある理由がなければおかしいだろう? その人たちが夫婦で異なった姓を名乗ったところで、あなた達にはなんの損害もないはずだ。

あなた方が結婚するときに妻の姓を変えさせることは、妻が納得する限りはあなた方の自由だし、選択的夫婦別姓が法制化されたところで、あなた方の夫婦関係はなにも変わらないはずだ。それとも妻を説得するのに法律だからと言い張ることくらいしか思いつかないほどのダメ亭主なのか?

夫婦でそれぞれに産まれたときからの姓を維持することを、そのカップルの自由選択に任せたところで、そのカップルの勝手であって、あなた方にその他人様の自由を制限する権利なんぞ、本来ならあろうはずもない。

「日本の麗しい家族制度」?そんなのあなた方の個人的な趣味でしかなく、ご自分で維持するのは勝手だが、他人に押し付ける正当性はないし、そもそもそんなに夫婦同姓が「麗しい」のなら、法律で守る必然などなく、ほとんどの夫婦は同姓を選択して「麗しい」家庭を営むであろうし、そうすることでこそ「日本の麗しい家族制度」とやらの道徳的正当性も立証されるはずだ。

もちろん実際にそんなことがないのは言うまでもない。

むしろ法的に事実婚を選択した夫婦の方が一般論で言えば仲睦まじくあるくらいで、離婚手続きが煩わしい、離婚して姓を戻すと結婚した時と同様の名義変更などの手間がかかるから、というのがいわゆる「仮面夫婦」が維持される理由のひとつになっているほどだ。夫婦が同じ姓を名乗り仲睦まじく「麗しい」家庭を築くのなら、そもそも夫婦関係なんて究極のプライベートでもあり、公的な法制度が介入しない方がうまく行くに決っている。

いささか底意地の悪い邪推をしてしまえば、だからこそああした人々は夫婦同姓を強硬に主張するのだろう。端的に言ってしまえばただの嫉妬であり、裏返せば自分達の夫婦関係や家族の絆に自信がない。だから夫婦で異なる姓を名乗ることに共闘している夫婦の姿であるとか、妻に理解を示すそうした夫達に嫉妬をぶつけているに過ぎないのではないか?

ちなみに結婚の際に夫が自分の姓を棄てて妻の姓を名乗ると「理解がある」など立派な人扱いされるのも、ある意味おかしな話だ。大部分の女性はそれを「当然のこと」として受け入れるか抵抗を覚えながらも従っているのに、女性の側が「理解がある」「立派な人だ」と言われることは皆無なのだから。

実際には別姓を維持するために法的には「事実婚」の状態を選択したり、夫が妻の姓に婚姻で姓を変更するのは、夫婦が合意してやっていることであってただ夫が一方的に妥協しているわけではないはずのに、夫婦別姓を望むことが男女の対立軸で議論されるのも、いったいどういう無自覚な全体主義社会なんだ、と毒づきたくもなるのだが、「フェミニストが」とか悪口雑言を言い張る男達にひとこと忠告しておくならば、「だからあなた達はモテないんですよ」、これでは“非モテ”の悪循環のデススパイラルにしかなっていない。

「子どもが困惑するからかわいそう」とか「混乱する」という主張も、呆れるほどの想像力の欠如というか、子どもがどう育つのかということが理解出来ていない。その程度の出来が悪い夫であり父親にしかなれないのなら、子どもに尊敬されたいなんて身の程知らずの身勝手ではないのか?

別姓の父母に育てられた子どもは、最初からお母さんとお父さんの名字が違うことが当たり前の環境で育つのだから、混乱なぞするわけもない。「周囲と違うからかわいそう」とか「いじめの原因になる」とかの主張が通ってしまうに至っては、だから日本は過去30年、十代の子どもがいじめ被害を苦に自殺するような歪み切った教育環境をなんら改善することも出来ないままなのだ、と言ってしまえば、話は終わる。

いやまったく、どこまで個々人の人格と自我の独立性を去勢したがる、どういう全体主義国家なんだよそれは、としか言いようがない暴論がまかり通っているわけだが、人格権として憲法が保証しているはずの自己同一性の認識に関わることで言えば、個々人のアイデンティティとは本来、「自分は周囲とどこが違うのか」という認識の獲得から始るはずのものだ。これでは自我の発達を人工的に阻害し、みすみす依存性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害の予備軍をシステマティックに育成しているような話だ。

記者会見で原告は選択的夫婦別姓を求める自分達の訴えが棄却されたことそのものよりも、夫婦同姓を「合憲」とみなしたその理由があまりに「チンケ」であることに失望を口にした。まったくもってもっともな感想だとしか言いようがない。「自分の名前を名乗ること」が自己同一性の認識に不可欠であるのは言うまでもなく、それが憲法の認める人格権の一部だと言うのなら、それが制約されるにはもう少し説得力のある理由を提示出来ないことには、あまりに他人様を馬鹿にしている。

どうしても夫婦同姓の法制度を維持したいと思っている皆さんにお願いがある。せめてもう少しマシな理由を考えて下さい。

12/18/2015

産經新聞ソウル支局の名誉毀損事件の無罪判決をめぐる、日本の危険な勘違い


産經新聞元ソウル支局長の名誉毀損裁判については、日本国内の報道がどうにも相変わらず、偏向を意図しているのか、そもそもよく分かってないのか、随分と「希望外交」的というか、強引に日本に有利な解釈で、恣意的に韓国を貶める話に聴こえるように一生懸命に歪曲しているので、どうにも困惑してしまう。


まず判決自体は基本、まっとうかつ妥当なものだ。


元ソウル支局長の書いたコラム自体について、外形的事実として名誉毀損が成立すること(虚偽であり特に女性にとっては侮辱的で悪質なデマ)は事実認定しつつ、憲法で言論の自由が保証されている原則(とくに政権を批判する自由)を尊重して無罪としたというのが、この判断の大筋の論理だ。


判決理由では直接には、支局長の動機つまり悪意で貶める意図があったどうか、最終的には裁判官の主観でしか判断できない内面の部分に争点をもって行った上で、大新聞による政権批判なのだから「誹謗の意図、悪意があったとは断言できない」としたことが、無罪の根拠になっている。


いささか苦しい、無理がある理屈ではあり(産経新聞グループ各社がこのコラムに限らず韓国や中国について悪意で貶める報道を続けているのは露骨なのだし)、むしろ言論の自由とくに政権批判の自由を保証するためには無罪にせざるを得ず、動機の有無を認定しなかったのはそのためであると事実上言っているに等しいのだが、このようにいささか強引にでも「疑わしきを罰せず」を徹底させたのも、あの産経の記事を「名誉毀損ではない」というには、動機つまり内面・心理という最終的には主観判断で左右できることしか論理が思いつかないから、なのだろう。


いずれにせよ判決の論理構成からすれば、言論の自由(特に政権を批判する報道の自由)を優先したが故の無罪判決であるのは明確なのに、日本のメディアでは外交通商部から裁判所に当てられた要望書が判決公判で読み上げられたことを、その意味が分からないままに妙に誇張しているのが気になる。


言うまでもないが、本当に外交通商部からの圧力で裁判所が判断を曲げるなら、わざわざそれを公判で公になぞするわけがない。


日本から韓国通商外交部にかけられた圧力は極秘裏の外交機密扱いが当然だし、行政府から司法への裏の圧力も暗黙の了解で誰もがそう思ったとしても、意地でも(というか国家の沽券と威信にかけて)公表はしないはずだ。公然の秘密として憶測としてささやかれて終わるようなこと(外交ではよくあること)をわざわざ公表したのは、むしろ不当な圧力があったことを明示するためだと見るのが、普通ではないのか?

しかも冷静に考えれば、その通商外交部の要望書や、そこに書かれた日本の圧力が無罪判決の理由だという意味には、とりようがないのだ。繰り返すが、あくまで憲法に定められた言論の自由の原則を優先したことが判決文には明記されているわけだし、現にそういう判決になっているときに、強引に外交上の思惑を推測するのには無理があるというか、韓国に日本に配慮させたいという願望と現実を混同しているのではないか? 



まさに「希望外交」、日本外交は過去に何度も、これで失敗して来ている。最たるものが満州事変から日米開戦に至るずぶずぶのプロセスなのは言うまでもない。 
例えば、あろうことか、日本政府は例えば満州国を最終的には国際連盟が承認するはずだ、と思い込んでいた。盧溝橋事件と日中戦争も、日独伊三国同盟も、日米開戦に至るまで、日本側の読みはことごとく外れている。 
昨今でも、尖閣諸島で中国と対立すれば日米同盟から米国が日本に味方してくれるだろうという「希望外交」は完全な失敗に陥っている。 


この外交通商部からの要望書の中身こそが、日本にとっては重大だ。日本の外務省からの圧力があったので、日韓関係を損ねないために配慮を、と言っているのだ。


判決公判で日本の圧力があったから外交通商部が判決に手心を加えるよう要望したことが明らかにされる、つまり日本が他国に内政干渉、それも司法判断に介入しようとしたことが、堂々と公表されてしまったことになる。

なのに現に無罪判決が出ると、安倍晋三首相はいかにも自分たちの要望が韓国司法に受け入れられて満足だと言わんばかりのコメントを、ぶら下がり会見で自慢げに語ってしまった。


いったいなにを考えているのだろう?自分の立場が分かっているのか?


日本政府のあまりに傍若無人で非常識な傲慢な動きが司法の場で、公式記録に残り、国内外で報道されるように、明らかにされてしまったのだ。なのに日本国内の政府やメディアの反応は、あまりに自己閉塞したたまで脳天気だとしか言いようがない。


産経の元ソウル支局長は恥知らずにも、まるで冤罪を晴らしたかのようなことを会見で述べていたが、繰り返し確認しておくと外形的事実として当該の記事について名誉毀損の構成要件が成立することは、産經新聞がパク・クネ大統領の密会と言う噂が虚偽であると知りつつ報道しあげつらったことも含め、判決の事実認定に含まれている。判決文を読めば分かる事実関係を無視した稚拙な自己弁護だけでも、ジャーナリストとしての見識以前に、基本的な能力すら疑われる。


繰り返し確認しておくが、事実無根の噂を、虚偽と知りつつあげつらったことそれ自体は、判決で確認されているのだ。私人としては女性の名誉を虚偽で毀損したこと自体は、間違いがない、とされているのがこの判決だ。


まったく、そのように事実認定されてしまう記事を書いてしまったこと自体、ジャーナリストとして恥ずべきていたらくであり、裁判所は無罪判決を出すため(言論の自由を守るため)に誹謗の悪意を認定するには疑問が残るとしただけで、しかも誰がみたって産経新聞の韓国に関する報道が誹謗の悪意に満ちていることは、もはやこのコラムに限ったことではない。それでも言論の自由、とくに政権を批判する報道の自由を最大限に尊重するため、極端に「疑わしきは罰せず」を貫いたに過ぎないのに、なにを言っているのだろう? それこそ仮に、無罪判決に日韓関係への配慮が働いているとしたら、それをわざわざぶち壊しているに等しいのは、この元支局長も安倍晋三も同罪だ。


なお事実関係を確認しておくと、この記事を名誉毀損だと告発したのは市民団体であり、外形的事実として名誉毀損の法的要件を満たしているので、検察は自動的な手続きとして起訴することが義務になる、いわば自動起訴であって、少なくとも外形的には、パク・クネ政権や検察に日本を「狙い撃ち」するような悪意があったとは言い難い(例えば日本の「在特会」や「日本会議」のように、そうした右派系の市民団体自体に政権の意向が働いているとしたら話は別だが)。


しかも繰り返すが、裁判所もその市民団体の告発が、外形的事実としては名誉毀損の法的要件を満たすことを判決文で確認した上で、憲法の言論の保証する自由を優先させるために敢えて動機の部分で「疑わしきは罰せず」を徹底させて、検察の主張には疑念が残るとして有罪を避けたに過ぎない。一方、裁判所としてはパク・クネ政権下の検察が、『帝国の慰安婦』の著者パク・ヨンハ教授の名誉毀損立件、韓国のアカデミズムで横行していた学術書の剽窃出版の告発など、それ自体はやはり犯罪性があるものの、政府の意向に反する言論、とりわけアカデミズムへの圧力を強めていることへの警戒もある。

そうした韓国内での右派政権の動向を牽制するためにも、この裁判は無罪判決にすることが司法にとって恐らくは前提だったのが、しかし記事の中身がまったくの虚偽でありしかも支局長も虚偽と認識していた、その内容的にも相当に悪質なものである以上は有罪にせざるを得ない(虚偽に基づき女性の不倫密会疑惑をあげつらう)。それでも有罪にしてしまえば政権に配慮した政府機関による言論弾圧が蔓延する危険がある上に、
しかもパク・クネ政権自体にはその傾向が否定できない。普通なら明らかにしないはずの外交通商部からの要望を裁判所がわざわざ公判で公表したのも、第一義的にはそんな行政の横暴に対する司法の批判であり牽制とみなすのが筋だ。

ところが日本政府、それも安倍首相自身が、日本が外交ルートで圧力をかけたことを自慢げに語り、韓国司法が日韓関係への配慮、つまりは自分のかけた内政干渉の圧力に屈したとみなして、満足を表明してしまったのである。

安倍にとっては裁判も報道の自由も他国の主権も、その程度のものでしかないことを無自覚に自白しているに等しい。


ちなみに国境なき記者団の報道の自由度ランキングで、日本(61位)は韓国(60位)よりも下位になっている。これだってずいぶん日本に甘い評価ではないか?昨年に関しての評価だし、自民党内からの暴言まで明らかになった今年は、もっとひどくなっているかも知れない。


日本の検察が安倍に対する批判的な報道を名誉毀損で訴追しない(出来ない)理由はふたつある。





日本国内でも、安保法制について厳しい論調をとったTBS系の『NEWS23』の岸井成格氏を「偏向報道」で「放送違反」だと糾弾したつもりの「市民運動」の新聞意見広告があった。これは放送法における中立公平の理念をまるで理解していない笑いぐさでしかない「批判もどき」なのでたいがいの報道機関はさすがに無視しているし(むしろ安倍政権のコア支持層の異常性が際立ってしまうからかも知れないが)、これを真に受けておおっぴらに岸井氏を降板させることはいくら安倍政権でも出来ないが、裏では政権からの圧力がTBSにかかっていることを強く疑わせることとして(今の自民党は平気で気に入らない報道への弾圧を口にする者も多いし)、岸井氏は今年度いっぱいで番組を外れると噂されている。

その意見広告に関わったり賛同して岸井氏を「偏向報道!放送法違反!」と叫ぶのと同じ人たちが、産經新聞ソウル支局長については韓国を「言論弾圧」と批判した気でいるのだから滑稽にも程があるが、繰り返すが記事の中身としては名誉毀損は法的に成立するのだから、これではダブルスタンダードどころか、話があべこべ(なにしろ岸井氏は放送法になぞ一切違反していない)でひっくり返っている。


しかし現実は、そんな自己逃避で国内に引きこもっている場合ではないのだ。


冷静に事実関係を客観的に見れば、この判決公判で、韓国の裁判所と外交通商部に、日本政府がいかに非常識なことをやっていたのかを、裁判手続きのなかで淡々と公表させてしまったのが真相だ。


「日本側が裁判に勝った」と喜んだり、無罪の理由は韓国憲法の尊重なのに日本への配慮だと思い込んで批判したりするのは、まことに呆れるまでの勘違いに過ぎない。政府とくに安倍晋三首相本人は言うに及ばず、産経や読売など政府より報道各社に限らずメディアの主流になった政権への過剰配慮が、無自覚な習い症にまでなった偏向と冷静さの欠如は、本当に困ったものだ。

12/12/2015

藤田嗣治の戦争画はプロパガンダだったのか、戦場の狂気を伝える反戦画なのか?



明日13日(日)までの展示をギリギリで取り上げるのは恐縮なのだが、藤田嗣治の東京国立近代美術館が所属する全作品が、同美術館の常設展で展示されている

宣伝広報のメインビジュアルは乳白色の時代の『五人の裸婦』だが、油絵作品25点のうちパリでの無名時代1点、乳白色の時代3点、30年代の中南米旅行時2点、日本に帰国後の戦争画でない絵画が『猫』1点、戦後のフランス亡命後作品が3点、といった構成のなかで、戦争画14点の一挙展示、つまり戦後70年企画こそが、真の目的なのだろう。

藤田嗣治『五人の裸婦(五感)』1923年 嗣治37歳
これまでも同美術館は、とくに日本の「右傾化」が危惧される昨今、昭和18年の『アッツ島玉砕』や同20年の『サイパン島同胞臣節をまっとうす』をしばしば常設展のなかで取り上げて来ている。

だが藤田の戦争画の時代は、彼が日中戦争の頃から軍の依頼で戦地に旅し、陸軍美術協会の理事長まで務め、戦後にはその「戦争協力」を咎められフランスに亡命した(まもなくカトリックの洗礼を受け「レオナール・フジタ」として81歳の生涯を閉じている)と言った史実こそ知られているものの、この画家が1920年代のパリで名声を博した「乳白色の時代」など白を基調とした画風で知られる中、この時代だけは画面が暗くまるで対照的であることが「らしくない」とみなされる程度で、あまり見られても来なかったし、絵そのものについては評価も批判も、ほとんどなされたことがない、いわばタブー扱いであり続けて来た。



「戦争協力」という1940年代前半の日本絵画の主流自体が戦後の日本美術史でタブーの時代になり、わけても肩書き的にもその中心にいたとみなされる藤田嗣治の戦争画は、美術ファンにとってだけでなく、研究者にとっても、長らくタブーそのものだったのかも知れない。

藤田自身が画壇の戦争協力の全責任を負う、いわばスケープゴートになるよう促され、「絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」と言い残してフランスに亡命、二度と帰国することなく「日本を棄てた」と言われながら、亡命に至る事情すら語るのが憚られたのは、ただ「戦争協力の画家」という過去がただ藤田嗣治本人にとってのみ汚点となるからではあるまい。

藤田嗣治『アッツ島玉砕』昭和18年 嗣治57歳
たいがいのプロパガンダ絵画やポスターが、それでも戦時下の世論操作の実例としては頻繁に例示されるなかで、藤田の戦争画の場合は作品そのものがタブーになった理由は、もうひとつ考えられる。『アッツ島玉砕』や『血戦ガダルカナル』『サイパン島同胞臣節をまっとうす』など、いずれも見るだけでも恐ろしい、目を背けたくなるほどの禍々しい絵なのだ。

小栗康平監督作品『FOUJITA』で引用された『血戦ガダルカナル』
嗣治の父は陸軍軍医総監であり(フランス留学は前任者・森鴎外の助言があったとも言われる)、もともと軍と関わりの深い家系だったのが、軍の求めに応じてこれらの絵を描いたのは、彼が軍国主義者だったのだと単純に理解することも出来なくはなく、彼の戦争画は見られないままにそうしたプロパガンダ作品として片付けられがちだったし、また実際には14点の作品のなかには「嗣治謹画」といった署名が見られるものもある。だからそういうものだと思ってしまえば楽だし、また帰国した嗣治が日本画壇にかなり冷遇されていた事実もあり、一種の過剰同化として日本的なるものを目指したこともあった彼が、積極的に愛国主義に奉仕したという見方も成り立たなくはない。

藤田嗣治『秋田の行事』昭和12年 秋田県立美術館蔵 嗣治51歳 
実際、とりわけ『アッツ島玉砕』は全滅に至った惨敗と兵士の犠牲を逆に「玉砕」として称揚した最初の事件を題材とし、この敗北の半年後に発表された時には新聞報道などでも絶賛されている。その意味では嗣治が軍情報局のいわばメディアミックス世論操作に貢献したのは、表面上まったくの事実ではある。

『アッツ島玉砕』を賞賛する当時の朝日新聞の記事
陸軍はこの絵を目玉に戦意高揚の絵画展を全国に巡回させ、50代の半ばも過ぎた嗣治自身が各地で絵の傍らに国民服姿で立ち、観客が賽銭を投げ、画家が最敬礼したという嘘のような逸話も伝わっている。

だが実際に『アッツ島玉砕』を見ると、これが本当に戦意高揚画だったとは、とても思えない。

2012年に常設展がリニューアルされた以前の展示だと、時系列展示でなんの説明もなくこの作品が目に入り、画家の名を確認する余裕もなくこの暗い画面に凝縮された凄惨な暴力と殺し合いに圧倒され、戦争の狂気と陰惨さを圧倒的な迫力で描いた作品にしか見えなかった。

明らかにこの絵には、描かれた時代背景やその成立の文脈を超えた、絵そのものとしての恐るべき力があり、時代を超越している。それは描かれているものそれ自体を見る限り、画家の創作の野心として意図されたものだ。



日本兵なのか米兵なのかも判然としない、遠景に雪を頂いた山が仄かに白く浮かび上がる以外は、暗褐色の空間のなかにひしめき合い殺し合う男達の身体、今まさに人体に突き刺されんとしている銃剣や刀、そして画面の下のいっそうの暗がりのなかには、両軍の兵士達(いやほとんどは日本兵なのだろうが)の屍が積み重なる。画面左には、倒れすでにこときれた米兵に銃剣を上から突き刺す日本兵の残虐な行為も描き込まれている。


もっとも目を引くのは画面の中央やや上の、相手の顎をつかみ刀を突き刺そうとしている男だ。刀を使っているからには日本兵なのだろうが、そこには「神兵」ないし「英霊」と言った美化はかけらもなく、暴力に取り憑かれた人間の野蛮で狂気に満ちた形相は、しかもずいぶん下卑なものでもある。


殺す側、殺される側すら判然としなくなる暴力描写の凄惨さ、プロパガンダ絵画のはずなのに敵、味方の区別すら無効化する特徴は、翌年の『血戦ガダルカナル』や『○○部隊の死闘-ニューギニア戦線』にも共通する。

これが本当にプロパガンダ絵画なのだろうか? どうやったらこんな陰惨で狂気にあふれた絵が、戦意を高揚させ得るのか? 戦争推進のためだけなら、こんな絵を描くだろうか?

藤田は愛国的な熱狂を持ってこれらの絵に心血を注いだのか? 義務感、ないし大勢に従う同化意識でこうした絵を描いたのだろうか? 普通ならそのように考えて済ますこともできようが、しかし20年代のパリでわざと自分の日本人というナショナリティを誇張して、有名な、つまり売れる画家としての売名行為にも熱心だったのが嗣治だ。ただプロパガンダへの貢献だったら、もっとうまくやったはずだ。とりあえずもっと明るく見易い画面とか、敵味方の区別くらいはいくらでも分かり易く出来ることを、あえて逆の方向にどんどん進んで行ったのが、「乳白色の時代」と対置して「暗褐色の時代」と呼んでもよさそうな、藤田嗣治の1940年代前半である。

藤田嗣治『血戦ガダルカナル』昭和19年 嗣治58歳
同時代に描かれた他の多くの戦意高揚画は、軍が求める勇ましい意匠や、戦場の悲惨さ大変さ(「兵隊さんたちのご苦労」)を大衆のセンチメンタリズムに訴えるパターンなどを、実直に踏襲している…が、絵として「たいしたことがない」のもその通りで、作品的な価値が低いことから、美術史でそれらの絵画が無視されがちだったのは、ある意味当然なのかも知れない。

だがその点、藤田嗣治の戦争画は傑出した例外だ。

まずとにかく絵画としての完成度が異様に高い。「フジタ=乳白色」だから暗褐色のトーンが「フジタらしくない」と言うような先入観を棄てたとき、これらの絵に注ぎ込まれた技量は圧倒的で、その画家としての全キャリアのなかでもっとも完成度が高く力強い作品群となっているだけでなく、戦争末期に近づけば近づくほど、暗闇の表現などの実験性も凄まじい。

藤田嗣治『○○部隊の死闘 - ニューギニア戦線』昭和18年 嗣治57歳
藤田嗣治の技法とスタイルの変遷からこの戦争画の時代を見て行くと、すぐに気付くことがある。いわゆる「乳白色の時代」と比較して、単に色調が正反対なだけでない。パリで人気を博した時には藤田は日本画の面相筆や、墨を油彩画に取り込み、女性の顔も浮世絵を思わせる線だけで表現し陰影をあまりつけないなど、意図的に東洋的と見られる画材やテクニック、意匠を用いていた。

藤田嗣治『自画像』1929年 嗣治43歳
対していわば日本的愛国表現であるはずの戦争画はすべてクラッシックな油彩画として描かれ、「日本的」あるいは「和」の要素はほとんどない。

敵味方の区別がほとんどつかないのも、ひとつには日本兵の顔を「東洋人」として描いていないことも大きい。日本軍兵士の表情がはっきりと、それなりに人間らしく描かれた絵は、14点の戦争画のなかで一枚だけだが、この『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』は日本人が主役ではない、台湾先住民族の空挺落下傘部隊を描いたものだ。

藤田嗣治『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』昭和20年(部分)
遠景を明るめにして中景を省き、前景のアクションを暗闇に沈めてほのかに浮かび上がらせる手法は、言うまでもなくルーベンスや、特にレンブラントのバロック絵画に想を得たものだろう。東京国立近代美術館の学芸員の指摘では、『アッツ島玉砕』のエンブレマチックな、相手の顎をつかんで銃剣を突き刺すポーズは、イタリアのルネサンス期の戦争画に同じものが見られるという。同じポーズは角度を変えて『血戦ガダルカナル』でも用いられている。

まだ無名だったころのパリの藤田は、毎日ルーヴル美術館に通って古典絵画を片っ端から研究したことを自ら語っていた。わざと「和」のモチーフを多用してフランスで評価と人気を獲得したのは、いわゆるエコール・ド・パリの時代には画家の個性が分かり易いスタイルが好まれることを計算して言わば自ら日本人としてのエキゾチシズムを「演じた」からでもあった。だが画家・藤田嗣治の本質、その創作の根底そして中枢にある西洋絵画史の継承者として、その西洋の同時代の画家達こそライバルとみなして勝負する表現が、もっとも結実した作品群こそが、これら戦争画なのではないだろうか?

藤田嗣治『サイパン島同胞臣節をまっとうす』昭和20年 嗣治59歳
あるいは、軍の依頼で描いた最後の作品となる『サイパン島同胞臣節をまっとうす』の中心モチーフは玉砕する女達であり、むろん参照されているのは西洋絵画のもっとも基本的なモチーフである聖母子像だ。



小栗康平の映画『FOUJITA』には、『アッツ島玉砕』を嗣治(オダギリジョー)が「ちゃんばら」と呼び、戦争画について「動きがあるから、画家の腕が必要だ」と言うシーンがある。

ちなみに名声を博した「乳白色の時代」の裸婦達には、ほとんど「動き」がない、その静的なイメージをまばゆい乳白色と面相筆の端正な輪郭線で描くことが、いわば当時の嗣治の「売り」であり、西洋絵画では中世期にはよく見られたものの、ルネサンスと同時に消滅した表現でもあり、それがまた藤田(あるいは親交のあったモディリアーニの人物画)の“新しさ”でもあった。

ルネサンスで西洋絵画はどう変わったのか? 例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』はイエスが同席する使徒たちのなかに裏切り者がいると言った直後のドラマチックな瞬間を捉えているし、とりわけ未完に終わったフィレンツェ市議事堂の壁画『アンギアーリの戦い』が好例となろう。

レオナルド・ダ・ヴィンチ『アンギアーリの戦い』の下絵とみなされる板絵
レオナルド・ダ・ヴィンチ『アンギアーリの戦い』のための習作
激しい運動の一瞬を捉え、本来なら静止した一瞬である絵画画面に、時間性と運動性をその一瞬を表現することでこそ描き込むことが、ルネサンス以降西洋絵画の王道であり続けて来た。藤田嗣治の戦争画は、題材こそ日本の「愛国」でありながら、その実あらゆるレベルでこの西洋絵画の王道をこそ20世紀に踏襲していて、およそ「日本的」な表現とは言い難い。

藤田嗣治『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』昭和20年(部分)
嗣治はなぜ戦争画に熱中したのか?

一見「フジタらしく」見えないながら、その実最も表現の技巧と挑戦に満ち、完成度も恐ろしく高く、要は「メチャクチャ巧い絵」であることにこそ、その本当の理由があるように思える。画家として、戦争は難しいからこそ最高の題材であり、西洋絵画の伝統の最高の完成度で仕上げれば仕上げるほど、ルネサンス以降リアリズムと美的バランスの端正さの出会うドラマチックさにこそ要点があった西洋絵画の根本的な在り方に忠実であればこそ、おのずから現代の戦場の狂気にこそ表現が収斂していくのは、藤田嗣治が「メチャクチャ巧い画家」であればこそ、当然の帰結だったように思える。

レオナルド・ダ・ヴィンチが『アンギアーリの戦い』で敗北の瞬間の絶望の感情にこそドラマの凝縮を見たのがその当時の戦場であったとしたら、その名を自らの洗礼名として名乗ることになる藤田嗣治、後のレオナール・フジタが画家として描かずにはいられなかったのは、現代の(とくに日本の)戦争の「狂気」だった。

『アッツ島玉砕』
戦争の本質に優れた芸術家が全力で迫ろうとすれば、当人の政治信条や愛国的感情ないし反戦意識すら超越して、戦争の真実がそこに描き込まれる以上、自ずから客観的には「反戦」にならざるを得ない。戦争とはそこまで常軌を逸し、狂った、悲惨なものであり、日本が戦った15年戦争は、とりわけそうしたもの狂った戦争だった。

ここで、もうひとつ考えなければならない問題がある。戦場の狂気そのものの表現である藤田の戦争画が、なぜ戦意高揚画として当時は絶賛されたのか?



賽銭が投げられたという逸話から、小栗康平の映画『FOUJITA』では、狂気の殺戮、つまりは死の瞬間そのものを描いたそのことで、『アッツ島玉砕』がいわば「カミ」となってしまい、そこに顕現した日本人の潜在意識に潜む「カミ」崇拝の伝統が、嗣治自身にも取り憑いていく。小栗にとってデビュー作『泥の河』への原点回帰でもあり、この映画作家の関心が向かっていくのは「狂気」よりは「死」、つまりは「彼岸」への意識だ。だから「狐」が小栗の映画の重要なモチーフにもなるのだが、そういえば『アッツ島玉砕』で銃剣を突き刺す日本兵の形相は、狐か狐馮きのようにも見える。

だが凄惨な暴力が重層的に凝縮する、その狂気の側面から藤田の戦争画の受容を考えると、より空恐ろしい仮説も成り立つ。



狂気だからこそ、この絵は見る人々をの心を動かしたのだ。つまりは当時の日本の全体が、狂気の状態にあったのではないか。

そのような集団的な、常軌を逸した興奮状態であったとしたら、悪鬼のような形相の日本兵すら、その表現が肯定的と見えるのか、忌み嫌うべき否定的な人物なのかも、意味を持たなくなるだろう。嗣治が『アッツ島玉砕』で表現したのが暴力、狂気、そして死(殺戮)そのものであったならば、玉砕、特攻、集団自決の報に興奮し、ついには一億玉砕とまで言い始めてしまっていた日本人にとってはアンフェタミン、刺激剤、麻薬の効果すら持ってしまいかねない。

そんなすべてに対して、それだけの絵を描きながら、藤田嗣治本人はどこか醒めていたのかも知れない。

そんなことも思わせるのが、例えば昭和19年の『ブキテマの夜戦』だ。

藤田嗣治『ブキテマの夜戦』昭和19年 嗣治58歳
夜の暗い林を凝視すると、夜襲に慌てふためいたのであろうか、兵士達が投げ棄てた軍装品や所持品が地面に散らばり、さらによく見るとそのなかに、まるでモノのように転がる屍に気付く。戦死者に涙したり兵士の苦難に共感させるには、あまりに突き放した表現ではないか。

まだ日米戦争が始る前、最初は海軍の依頼で日中戦争の前線を旅したりした頃の藤田の絵はまだ色調も明るく、横長の画面の大パノラマで前景に戦車や飛行機など大きな兵器を配する構図が特徴だった。

藤田嗣治『哈爾哈河畔之戦闘』昭和16年 嗣治55歳
その一枚、ノモンハン事件を描いた『哈爾哈河畔之戦闘』には、記録によれば藤田に依頼した将軍が私的に所有した別バージョンがあった。現存する公的なバージョンでは日本兵が匍匐前進する姿が描き込まれているが、その地面には兵士達の屍が累々と転がっていたという。

国内ではひた隠しにされたが、満州の関東軍が偶発的にソ連軍と衝突したノモンハンの戦闘(昭和14年夏)は、15年戦争で最初の日本軍の致命的な惨敗だった。それでも国民にはなにも知らせぬまま、日本政府はこの翌年、日独伊三国同盟を締結する。外務大臣松岡洋右は実はソ連も巻き込んだ四国体制で米英や国際連盟加盟国に対抗する構想を持っていたらしく、ノモンハンの惨敗からしても、ソ連が敵国となることは日本にとって致命的な打撃となるとの考えはさすがにあったのだが、しかしやっとその念願の日ソ不可侵条約を締結したところで、やはりソ連と中立条約を結んでいて日本の意図に同意していたかに見えたナチス・ドイツに、既に日中戦争の泥沼化でにっちもさっちも行かない立場に追い込まれていた日本は呆気なく裏切られる。独ソ戦の開始だ。



こうして日本は、妙に楽観的というか奇妙に希望的観測に固執した外交の、予め十分に予期出来たはずの失敗で、自らを追いつめて行くことになる。ただでさえ日中戦争で日本への態度を硬化させて来たアメリカの日本への不信は、三国同盟で決定的になった。

当時、日本は鉄鋼も石油もアメリカからの輸入に依存していた。つまり、アメリカ相手に戦えるわけもない。だが陸軍が東南アジアを侵略することで資源を確保出来ると主張し、それが実践されてしまう。

この日本の呆れるほどの自己中心的な動きさえ、国家の存亡を賭けているのだから日本を先進国と認めるアメリカも理解してくれるはずだという、呆れる他ない「希望外交」で、日本は国際的な孤立を決定的にする。

その結果が真珠湾攻撃、米英との開戦。平和主義などの理想を持ち出すまでもなく、単純に現実的な選択の問題として、太平洋戦争は最初から狂気の戦争だった。



フランスで画家として地位を築き、1929年のウォール街大暴落がヨーロッパに波及したことでフランスを離れ、アメリカ大陸も旅行した藤田嗣治が、日本がアメリカと戦争をしてしまうことの意味を理解していたとしてもなんの不思議もない。むしろ分かっていなかったらその方がおかしい。だからかも知れないが、真珠湾攻撃を描いた一枚は、戦争画のなかで唯一、呆れるほどに凡庸な作品だ。

それでも藤田は表面上は軍の注文に従順に応じ、戦争画を描き続けた。陸軍芸術協会の理事長すら引き受けたのは、わざと貧乏くじを引いたとしか思えない。ただその結果、物資が絶望的に枯渇する日本で、藤田が大作の油彩画を描き続けられたことも確かだ。



戦争画の時代の最後の作品となった『サイパン島同胞臣節をまっとうす』(昭和20年、嗣治59歳)は、藤田の戦争画の集大成とも言えると同時に、それまでとはいささか異なった要素を持っている。

大作の宗教画を思わせるシンメトリー構図に、人によってはここに、後に彼がカトリックに正式に改宗する意識の萌芽を見るかも知れない。



この絵の主人公は兵士ではなく民間人、とくに女たち子どもであり、『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』の台湾先住民部隊を除けばほとんど初めて、その人物達には個性と人間らしい表情が描き込まれている。

一方で、これまでの戦闘を描いた絵以上に、軍服姿の兵士の顔からは人間的な表情が排除され、まるで亡霊のようにさえ見える。

もしかしたらやはり兵士なのかも知れないが、裸の男達の筋肉の表現はこれまでの戦争画には見られなかったもので、ミケランジェロやカラヴァッジオなどの歴史画の影を強く感じさせる。


戦闘の狂気と凄惨さが凝縮される一瞬を捉えた『アッツ島玉砕』などの作品と異なり、サイパン島の民間人も巻き込んだ集団自決(昭和19年7月)を主題としたこの絵では、中景を抜き近景で肉体が壮絶に絡み合うバロックないしマニエリスム的なダイナミックな構図ではなく、横長の大パノラマ画面に大群像が左右対称で古典的に構成されており、異時同図法も用いられている(これも古典的な宗教画でよく用いられた手法だ)。

画面右の中景から遠景にはアメリカ軍に追いつめられる日本軍と日本人達が点景で描き込まれ、画面左中景色では断崖から見を投げる女達が見える。

シンメトリーの構図の中央前景を占める群像には、これから自ら命を絶とうとする者達、お互いを刃にかけるその瞬間、そして既に死んでいる者達の屍が配され、その多くが女であり、子どもだ。赤子の遺骸を抱く母親なのか、人形を抱いた女の子なのか、その腕に抱かれた幼子らしき顔だけが、暗褐色の支配する画面内に妙に青白く浮かび上がって目を射る(残念ながら写真や複製ではうまく再現できないので、実際の絵をぜひ見て頂きたい)。

前景中央の右端に描かれた少年の顔は、とりわけその真摯な眼差しが、これまで戦場の殺戮の狂気を凝縮させて来た藤田の戦争画と明らかに異なった表現として、目を引かずにはおかない。



画面の外側方向に向けられた彼の目線の先少し下には、軍刀で刺し違える半裸の男達がいる。軍服は着ていないが、軍刀を持っているからには兵士なのかも知れない、その肉体の運動は克明に描かれているが、顔の表情は虚ろだ。そのことが少年のしっかりした表情と、凝視する目を、一層際立たせている。

カンバスの外、その彼方に向けられた少年の眼差しは、なにを見ているのだろう? その顔から下に視線を向けると、彼の膝には、自決のための手榴弾が置かれている。




NHK-BSプレミアム 英雄たちの選択「藤田嗣治“アッツ島玉砕”の真実」 
12月17日夜8時〜 http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2015-12-17/10/27218/2473057/