11/25/2008

メンツと発想の限界(警察の場合)

「すわ年金テロ」と連日新聞紙面とテレビ報道を独占し、政府高官が「テロだとしたら許せない」と口走り(そうじゃなくて政治テロだろうがいかなる理由があろうが、殺人は許せないんだろうが)、首相が「よく知らネェけど」とのたまわった厚生元次官夫妻連続殺傷事件は、犯人出頭で一応の解決となった。

もっとも警視庁および埼玉県警にとっても、政府にとっても、なかなか「一件落着」にはならない話だ。指紋は採取できず足跡から靴底は特定できても大量生産・大量流通品なので犯人特定には結びつかず、おおがかりな聞き込みをかけても、都市およびその近郊の住宅密集区域だというのに目撃情報は乏しく、埼玉の件は殺害翌日まで事件自体が発覚せず、ずさんなまでに乱暴な犯行に見えるわりには手がかりがなくて新聞には「長引くかもしれない」という担当刑事の不安も報道されていた、その晩に、まさに人を食ったように、警察の鼻をまんまと明かしたように本人が、それも堂々と桜田門の警視庁にいきなり出頭したのだ。警察のメンツ丸つぶれ、犯人にいいように右往左往させられた挙げ句、「ホラ、お前らじゃ俺は捕まえられんから、出て来てやったぞ」と思いっきり馬鹿にされたような格好になってしまった。彼はわざわざ「年金テロなんて関係ない」とも、供述で明言してしまっているらしいのだから、ますます警察も政府高官も当て外れ、メンツ丸つぶれである。それはもちろん、「年金テロ」と報じ続けたマスコミも同様だが。

警察幹部OBがあたかも予測していたかのようにテレビでは偉そうに言っているが、連休中の夜遅くに出頭されたので大慌てになっている様はしっかり報道に映っているし、小泉毅容疑者が住民票を持参していたという誤報までリークしてしまい、公式記者発表でわざわざ否定しなければならなかったほどである。産經新聞にでた警視庁元幹部のコメントでは「報道を見て逃げられないと観念したのではないか」と言っているが、実際に報道されていたのは(つまり警察がマスコミに発表していた内容は)犯人は自分に結びつく手がかりをほとんど残していないどころか、「年金テロ」説が警察当局・関係者や政府首脳の見解で、佐々淳行氏なんて「僕なら社会保険庁で懲戒免職された人間のアリバイを調べる」と言い切ってたほど。それには違和感があると疑問を呈していたのは、一部の作家やジャーナリストが主だった。

報道によれば容疑者は動機として少年時代に犬を保健所で処分された、彼の立場からすれば「(家族を)殺された」ことの積年の恨みを挙げているという。警察はこの動機を「信用できない」と言っており、報道でも「理解できない」とあたかも裏があるはずだという態度は共通し、コメントしている警察OBのなかには彼の動機の供述は嘘だと決めつけて公安部がかならず何か見つけるはずだとまで言っている者までいる。まるであくまでも当初想定した組織犯罪、思想的テロでないと当局の沽券にかかわる、絶対にそうだと思い込みたいと意地を張ってるみたいにも見えて来るが、果たしてどうなのだろうか? もちろん今後の取り調べを待つべきだとは言っても、今のところ組織性の匂いは、まったくしないのだが。もちろん念のためにそっちの捜査もするべきだろうが、一方で動機を解明したいのなら早くやった方がいいのは精神鑑定だ。

夜10時少し前の出頭だったわりには、容疑者の父親はもちろん、住んでいるアパートの大家さん、近所の住人まで翌日の朝刊に間に合うようにインタビューされているのだが、そこから見えてる来る小泉毅という人物像は、少なくとも論理的な推論として決して「理解できなく」も「不可解」でもないし、犬を殺されたからという動機も、確かに常識的には突飛に見え、意表を突かれたことではあるにしても、そう言われてみれば十分にあり得る話でしかない。

それどころか今分かっている限りのことから判断するだけなら、現代の犯罪心理学からすれば非常に明解な説明はとりあえずついてしまうのに、警察OB、それも捜査一課だとかの関係者が思いついてもいないとしたら、あまりにも間が抜けている。

もちろん、誤解や偏見を招きかねないからうかつにおおやけに口にすべきでない推論だと判断しているのかも知れないのだが、だからってなにも強硬に組織犯罪・思想テロ説を主張する必要もないはずだ。まさかカムフラージュってこともないだろうし。となるとやっぱり気がついてないのか?

とりあえず分かっていること、報道されているころから動機を推論するのなら、最近は教育問題であるとか、あるいは青少年の “不可解" な凶暴な犯罪、たとえば親殺し事件でいささか使われ過ぎで偏見を呼び起こすほど繰り返されているタームを考えざるを得ない事件だ。容疑者が46歳だからといってそれを思いつかないとしたら、医学的に言えば年齢が高いぶん環境要因が複合的に絡んで来ているから特定は難しくなるにしても「よくなる」とは限らないし、そう推論すべき兆候はすでにさんざん報道されている。子どもの頃は明るく活発な子だった。高校生のころから数学に抜群の才能を発揮していた。だが大学ではなぜか留年を繰り返し8年を経て中退、その後はコンピューター関係に就職するも「人間関係」に失敗して退職。職を転々としながら常に人間関係で失敗し、10年間は親とも連絡をとっていない。出頭時にもまるで罪悪感のそぶりもみせず、テレビに映った連行される姿も堂々としている。これだけ揃えばとりあえず高機能自閉症、なんらかの発達障害、とくにアスペルガー症候群を疑って精神科医に診察か鑑定を依頼する条件は、すでに揃っている。

警察は46歳無職という容疑者の経歴に偏見を持って、彼の知能を過小評価しているのだろうか? OBなどが「厚生行政に詳しくなければ分からないはずだ」とか繰り返し、だから背後に思想的なテロ組織がいるはずだと言い張っているのだが(んでもって「公安部」って、発想があまりに安易に思想弾圧的で、戦前の特高の時代からぜんぜんメンタリティが変わってないのだろう)、小泉容疑者の犯行に必要な程度の情報は、厚生行政、厚労省の諸問題を論じているサイトをネットの使い方に長けた人間が調べ上げれば出て来るはずだ。とくに年金問題批判の議論はネット上にはあふれているし、だから年金行政の中枢にいた二人の次官経験者、それも現在の基礎年金制度作成にこの特定の二人を名指しで批判しているサイトだってあるだろう。報道によれば合計10名ほどのターゲットも考えていたことが分かったそうだが、今現在、「官僚は悪いやつら」、とくに犬を殺した保健所への恨みで厚生官僚を狙うのなら、被害に遭ったお二人は、真っ先に住所まで含めて出て来るだろうし、それだけの理由でこの順番になるのも、別に理解できないことではない。

あるいはいわゆる小泉改革が結果として日本社会にずいぶんとダメージを与えてしまったことへの怒り(容疑者がいわばフリーターか、派遣労働に近い立場にあったこともあり得るし)も影響しているとすれば、小泉が厚生大臣を二度勤めていることと、「犬を殺された」保健所を所管する厚生省と結びつけて、いずれも小泉厚生大臣の次官だった二人を狙うというのだって、論理の飛躍に見えるかもしれないがアスペルガーの特徴のひとつはそういう言葉の「字義通り性」に基づいた発想と論理の展開だというのも、とくに犯罪心理学では注目されていることのはずだ。

そしてなによりも、アスペルガーは確かに社会性が低くて人間関係で失敗することが多いから出世する可能性は低いかも知れないが、知的能力にはまったく関係ないどころか極めて優秀な人間が多い。んでもって、お父さんのインタビューを見る限り、小泉毅容疑者は知的能力、とくに数学的、論理的能力は傑出しているらしい。46歳の容疑者の社会的地位の低さから彼の能力を過小評価して、だから「組織的なはずだ」「思想テロ」の背景があるはずだと思い込んで単独犯の可能性を排除するのは、少なくとも警察の捜査としてあまりに稚拙だ。最初に「思想テロだ」「組織が動いている」と思い込んだ警察当局のメンツを保ちたい心理が、彼らの目を閉ざしているとしたら、そりゃ捜査を担当する立場としてあまりに頼りない。

もちろんアスペルガーなどの発達障害をすぐに犯罪と結びつけるのは原因と結果を混同した論理的倒錯に基づく偏見に過ぎない。だがそうした精神構造の特性を理解もせず、ただ偏見だと言われるのを恐れて、このような特徴的な犯行パターンの場合にそれを考えないのも、同じくらい論理的に倒錯した偏見だと言わざるを得まい。

3 件のコメント:

  1. お医者様でもない人が
    責任ももてないような持論を先に述べるのは危険ですよ。

    餅は餅屋

    監督は映画のことを思い切って語ってください。

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  2. > お医者様でもない人が

    医学の問題でなく、刑事事件に関わる、主に捜査のあり方と法理論の問題なのですが。つまり医者の話でなく警察の話です(で、警察を運営しているのは税金ですから、メンツにこだわって無駄なことをやられては困ります)

    > 餅は餅屋

    いわゆる発達障害は日常の社会生活に関わることですから、一般的な認識が広まらないことには偏見が偏見を生むだけです。「餅は餅屋」じゃ困るんです。

    > 監督は映画のことを思い切って語ってください。

    映画というのはこの世界の現実一切に関わることであり、また関わらなければならないことです。

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  3. > 責任ももてないような持論を先に述べるのは危険ですよ。

    責任もなにも、ただ精神鑑定が行われればいいというだけの話です。逆にその可能性に気づいているのになにも言わないで精神鑑定が行われないまま裁判になって有罪判決になったら、そっちの方に責任を感じるべきではないでしょうか?

    逆に本職の医者であれば言ってしまえば可能性の指摘であるものを「診断」と誤解される危険があり、よほど責任のとりようがなくなります、残念ながら(そういう世の中がおかしいのですが)。

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