11/29/2008

裁判員を辞退するコツ


最高裁判所が裁判員候補名簿に載った人への通知と調査票を昨日発送したそうだ。この調査票に記入した後で今度は実際の裁判になったら改めて呼び出しがかかり、ってのもえらく手間のかかる話で、郵送と事務経費だけでも税金が…なんてつい考えてしまうのだが、世論調査などだとえらく評判の悪いこの制度、裁判所も神経を尖らせてるからこそ、ここまでバカ丁寧にやるんでしょう。

世論調査だと過半数が消極的、というわけで辞退の理由もずいぶん寛容に認める方向で、「本人がいないと支障が出る」という辞退理由にはナンバーワン・ホステスでも当てはまるんだとか。確かに法の目から見て職業に貴賤はないのだから、そのホステスがいなければ店の営業が成り立たないのなら、辞退を許され…って夜の仕事で裁判は日中だから大丈夫じゃないんですか、とか言われたらどうするんだろう?

辞退する理由はいろいろ認められるらしいが、どうしてもやりたくないのならまず確実に採用されないやり方もある。「死刑制度絶対反対」「自分は絶対に死刑に反対する」と面接で主張すること。代用監獄制度などなど、日本の刑事手続きで指摘される様々な問題、刑法上はやっちゃいけないはずなのに実態は自白偏重であることとかに対して、強い懸念を表明して「公正な裁判などそんな状況ではあり得ない」と言うこと。

あとは裁判官の性格にもよるが、過去何年間かのどうにも疑問の残る判決を列挙して「裁判官は信用できない」「非常識」と断言すること。

まあこれは一種の論理倒錯にはなるんですが、つまり極端にいえば裁判官が「信用できない」「非常識」だから市民の裁判員で常識を裁判所の判断に取り込みましょう、というのが制度の趣旨なのですから、「現状では公正な裁判などそんな状況ではあり得ない」と言うくらい極端に疑り深い人がいてこそ意味があるのだけれど、果たしてそういう裁判員に裁判官が耐えられるかといえば、やはりそれは人情ということになってしまう。あとは裁判官の人格に任せるということになってしまうのだが、とはいえこれはもともと裁判所よりの人間ばかりが裁判員になるという危険性をはらむ制度ではないか? すでに裁判所と検察、あるいは警察とまで癒着というか、そういう偏った判断がしばしば指摘されるなかで、公平な裁判員制度を維持できるのか?

あるいは逆に、極度な厳罰主義を主張して「こんな犯人は絶対に死刑だ!」と叫んだら、いかに検察・国家権力べったりの裁判官でもさすがに採用しないでしょうが。

逆に言えば、裁判員になりたかったら、面接でよほど猫をかぶらなければいけないのかも知れない。なんて軽口はともかく、この裁判員の選定プロセスも、制度上の大きな問題ではないだろうか? 裁判員制度導入の現実的な理由のひとつが、裁判の結果がしばしば「非常識」で市民感覚からかけ離れていること、とくに検察と裁判官の癒着とまでは言わないが、同じ法務省の所属だし人事交流もあるしで、刑事裁判の判断があまりに検察よりになりがちなことだとされる。日弁連では日本の有罪率が異常に高いこと、とくに検察の立証が充分とはいえないのに恣意的な有罪判決が少なくないことを挙げている。ならば裁判所に選任が一元化される裁判員で本当にいいのか?

一方で、アメリカの陪審制と違って裁判官と裁判員市民の合議制なので、ただでさえ裁判官が判断を主導しがち(つまり裁判官は「プロ」であり、判例など挙げてを説得されれば市民はそれに従ってしまう)なのに、そのうえ裁判員選定の段階で裁判官が自分の気に入らない人間を排除できるシステムになっている。これだと検察側に判断が偏重しがちだと指摘される有罪判決の多さに、ただ一般市民の参加が形式的な「いいわけ」として正当化に利用されることになりかねない。

また裁判員参加の裁判が殺人、傷害、危険運転致死罪などに限られ、国家賠償訴訟や贈収賄が対象になっていないのも解せない。つまり一般市民が裁くのに参加できるのは、一般市民が犯した(かもしれない;推定無罪原則で、合理的な疑いを排除して確定できるまでは『犯した」と断言はしてはいけない)犯罪に限られ、国家や権力者を裁くことはないというのでは、市民の司法参加としてはあまりに国家や権力者にとってご都合主義じゃないか。

参加したがる市民が少なくて不人気の新制度であるがための妥協の数々も、ここまでやってしまうとちょっと危険だ。拘束期間はそんなに長くないとアピールするために、平均して三日しかかからないと法務省では言っているのだが、こと裁判員裁判の対象となるいわゆる重大犯罪、たとえば殺人だと、動機を含めて複雑な事情が絡んで来ている場合が多い。

このブログでは元厚生次官宅連続襲撃事件を数日にわたってとりあげたが、さてこの事件にしたってたった3日、三回程度の評議で、この犯罪の特質を理解して量刑まで決められるのか? 考慮すべきことはずいぶんありますよ。たとえば僕自身が疑っている可能性を裁判員が指摘したとき、その要請で精神鑑定はやってくれるのか? やったとしたら三日では決して済まないだろうし。まあ二人殺したから自動的に死刑、っていうんであれば3日どこか3時間で済むんでしょうが、だったら裁判員制度なんてそもそも要らないわけだし。

裁判を短期間で済ませるために公判前手続きが行われて論点が整理されることになるのだが、これが公正に行われるものなのかも疑問が残らないわけではないし。

折しも死刑制度廃止の世界の趨勢に逆らうかのように、日本では厳罰化をマスコミがあまり節操があるとは言いがたい単純な感情論で求める流れが強く、世論の8割が死刑制度を支持していることになっている。たった3日、三回程度の評議なら、感情論が勝って死刑判決が乱発されるかも知れないが、近代法治主義国家としてそれでいいのかといえば、司法への市民参加が実質上の市民リンチになってしまうとしたらそれは極めて危険なことだ。

だが一方で、マスコミが「死刑です! 死刑です!」と興奮して報道し、刑が軽ければ全紙・全テレビががっかりしたような批判的論調に染まる風潮を国民が支持してるんだとしたら、裁判員になることを躊躇する風潮、「他人を裁きたくない」から辞退したいというのは、自分が不特定多数の「社会」の一部である限りには死刑を喜ぶのに、自分が個人として裁判に関わるのは嫌だというのでは、あまりに無責任で身勝手な話ではないかとも思う。

とりあえず死刑判決に限っては、多数決でなく全員一致でないかぎりは出せないという法改正はしてほしい…って、数ヶ月前に国会で話題になったはずだが、どうなったんだろう? やっぱりこれが通らない限り、裁判員にはなりたくないのは正直なところだ。

いくら一審だけで再審で覆る可能性があるとはいえ、死刑ほど取り返しのつかない判決まで多数決というのは…。しかも裁判官が評議を主導する可能性が高い…。しかも世の中の流れは無節操なまでに「死刑にしろ!」。しかも裁判官の考え方は基本的に検察よりで、立証が多少不確かでも、被告が犯行を否認していると「反省してない」で厳罰って、もし本当に無実で、自白は代用監獄で強制されたものだったら、どうするんだ?

元警察官僚の亀井静香代議士が、「ほとんどは代用監獄で拘禁反応が出て精神的にボロボロになったところで自白調書に署名する」とテレビで言ってたんだぞ。

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