晩年の黒木和雄監督が、お会いする度に「今の日本は、僕の子どもの頃とそっくりです。だから気をつけて下さい」とよくおっしゃっていたのを思い出す。黒木さんは1930年生まれ、つまり「子どもの頃」というのは第二次大戦前夜から戦争の時代にかけてのことだ。
毎年ギリギリの確定申告のついでに実家に寄ると、父親がまったく同じことを言っている。小沢一郎の「政治資金疑惑」と称するものについてである。そういえば田中義一や原敬など、戦前の自由党政権が金権疑惑でどうこう、と言うのも思い出すが、そこまで言えるかどうかは分からないにしても、検察の動きも異常ならマスコミの報道も異常、小沢による政権交代阻止を狙ってるのはほぼ間違いないとは思う。母は「日本ってやっぱり怖い国だと思ったわ」だそうだ。
新聞・テレビの日報的なマスコミは「政局オセロ」とか言って自民対民主の構図で無理矢理読み取ろうとしていて、そこに結局はとくに政権与党に情報源を依存している政治記者の都合かあるいは発想の限界が見えるわけだが、秘書の逮捕時に小沢が「国家権力」、とくに「検察権力」と言ってるのにも気がつかなかったのか? 少なくとも小沢はこれが自民党・麻生政権が背後にあって、とは見ていないし、そしてその読みはたぶん正しい。昨日や今日くらいから出ている週刊誌がそろってこの件を取り上げると、さすがに週刊誌は日々の検察リーク情報(「関係者の話によると」報道)に惑わされないぶん、事態を鳥瞰できているようだ。
小沢が最初から言ってるじゃん、とは思うけど。
結果として現政権には基本的に有利にはなる。なぜなら麻生政権は基本的に官僚にとって都合のいい、使いこなし易い政権だから。与党で狙われたのは良くも悪くも族議員、利権もあるが一方でその得意分野において官僚に指図も意見も、反論もできれば圧力もかけられるだけの実力や知識、情報源のある人々、それも自民党のなかでは官僚出身等のエリートではなく叩き上げ系統の二階氏、さらに古賀さんまで名前が出て来た模様だ。一方で疑惑で名前は出ても能力がないぶん人畜無害(その無能さでキングメーカー気取りが有害ではあるが)な森元首相には捜査の動きはない。
それどころか小沢の秘書出身の若手議員、石川氏への事情聴取に至ってはあまりにえげつない。まだ若くて将来もある人間をこうも派手に潰すかというだけでも人情としてどうかと思うが、石川氏の選挙区は酩酊会見で次の選挙で当選が危ない中川昭一と同じ。これでやはり官僚には使い易くとくに検察や公安警察にはまことに都合がいい中川氏に、恩を売ったことにもなるわけで。
まあなんともえげつない話だ。
検察は絶対の正義でもなんでもない。あくまで法務省所轄の一行政機関であり、それ自体の握っている権力もあり、権力闘争になるような力はある意味政治家以上にある。なにしろ市民を拘束してそのプライバシーを洗いざらい調べる捜査権をもった行政機関であり、しかも今の日本の裁判では起訴されればほぼイコール有罪判決、逮捕されるだけで社会的ダメージは絶大だ。
さてその検察に対し、たとえば民主党は捜査取り調べ段階での完全可視化を要求していて、部分可視化に留めたい検察と対立している。弁護士出身も多くて裁判員制度自体も見直すと言っているし、裁判員制度に向けたショーアップされた刑事裁判も問題視している。検察有利の現在の裁判や今度施行される裁判員制度にとって、民主党は批判勢力、政権につけば少なくとも現在の検察には不利だ。
さらに小沢の政権交代構想は、100人からの民主党議員を政務官に任命して格省庁に送り込んで監視することと、予算配分を旧来の各省庁からの要請額を財務省がまとめてそれを政権が認定するという自民党の旧来の方式を改め、政権の政策優先順位に沿って割り振りすると言っている。これは官僚組織にとって、マスコミがそこだけとりあげている天下り禁止と人事システム改革よりももっと怖い晴天の霹靂だ。そして他の民主党幹部はともかく、小沢一郎は少なくとも本気でこれをやろうと試みくらいはするし、それだけの知能や政治的腕力もある。だから官僚機構にとっては、小沢政権だけは避けたいことだというくらいは、簡単に分かる。なのにテレビや新聞は、これまで霞ヶ関批判を繰り返して来たというのに、あたかもこの騒動が自民対民主の政権闘争なのだ程度の報道しかしていない。
なぜなんだろ?
そして内容は捜査当局のリークに頼りっぱなし、今後の裁判員制度導入に向けていかにも不安になるような報道手法に依拠しっぱなし。
そのリークの出し方も凄い。
裁判とか法の執行よりも、政治的に小沢を葬り去ろうという情報操作があからさまだ。まず小沢事務所から「西松建設宛」の請求書を押収という「関係者によれば」報道をやらせていったんは「確認していない」と否定。そういう情報は大きく出ないところで、今度は「住所が同じ請求書」が出たとのリークを報道させる。これであたかも小沢事務所が西松に献金を無心していたかのようなイメージだけが広がるのだが、ダミーとされる政治団体は西松のOB有志の団体。ダミーでなくても企業のOBなどの団体が独自の事務所等を借りたりすることはめったになく、本社の秘書室などを連絡先住所にしていたりするのは昔からよくある話だ。法的証拠としては小沢氏の秘書の逮捕容疑である「虚偽記載」の要になる「ダミーと認識していたかどうか?」の物証になりようがない(住所が同じでも当たり前だと思うはずだから)のだが、あたかも決定的証拠のようなイメージだけは振りまかれる。
実際には、現行の政治資金規正法にのっとって収支をオープンにしようとすれば領収書はちゃんと出すし請求書だって出して手続き的にきっちりするだろうし、口約束で頼むよりもちゃんと文書で献金を頼んだ方が、本当はスッキリしてむしろクリーンなほどだ。
個人的には企業献金がいいことだとは必ずしも思わないが、現実には企業のような資本力なしに政治献金なんて出来る人間は限られているし、個人が献金するような社会では日本はない。企業献金はダメだと言う人は自分で支持政党や支持する政治家に献金する気があるのかと言われれば、答えようがない。資産があればするかも知れないが、政治よりはユニセフにでも寄付してしまう方がすっきりするし。
実際には自民党も民主党も、国民新党も、ほとんどがなんらかの企業活動や経済活動を代表する組織からの献金だろうし、それぞれの業界と縁の深い政治家に献金するのは、直接の見返りはなくてもその業界の政治におけるプレゼンスを大きくするだけで間接的にはその業界の利益になるが、それが国民にとってマイナスだから止めさせるべきだとまでは言いきれない。経済活動だって世のため人のためという側面もあるのだし、戦後日本なんてそれこそ「日本をよくしよう」と思って会社戦士たちは頑張って来てもいたのだし。その価値観自体に疑問を持って共産党や社民党のいう企業献金全面禁止を支持する選択もあるのはもちろんだけど。
でも共産党や旧社会党、社民党に政権担当能力はなんとなく期待されないのも日本の政治風土だ。差別的な言い方で恐縮だがそういう理想主義政党はやはり「女子供が支持する」みたいに見られ、現実に対応できない代わりに批判者としての役割を期待するのがぶっちゃけた話一般常識だろうし、実際にそういう政策能力がある政党では必ずしもないだろう。
一方で政治にはお金がかかるのだ。
政治マスコミは政治家に入るカネは批判しても、出るカネについては偽善に走って、選挙事務所を取材しポスターやCM作りまでテレビで流しても、そこでどれだけお金がかかっているのかは報道しない。もちろんお金のかからない選挙にした方が国民にはいいと思うが、それだと選挙期間のニュースや新聞で報道するネタが減るのはマスコミじゃないか。
いや選挙でかかるお金は減らして欲しいが、政策を作るのだって情報がなければ作れない。野党だって政府の政策の問題点や疑惑を追及するのは相当な情報収集が必要だ。与党であっても、官僚とのバランスをとるためには独自の情報網を持たなければ、官僚からの情報を鵜呑み・丸呑みにして政策立案をすることになってしまう。ちなみに共産党が疑惑追及になるとがぜん調査力を発揮するのだって、あそこにはけっこう資金源が(赤旗しんぶんの売り上げだとか、党費だとか)あるからでもある。たとえば民主・長妻議員が年金問題や建築偽装を追求するのなら、まず様々な書類を入手し、その膨大な資料を読み込まなければあそこまで出来ない。そのためにはスタッフが必要だし、スタッフには人件費だってかかる。事務所などのスペースも必要になるだろう。いずれもお金がかかることなのだ。逆にそうした資金源を断つことは、官僚が政治判断に関する情報を独占して政治の判断をも左右できる力を与えることにもなる。
そりゃ数億の資金を持って政治活動ができるのはうらやましいけれど、ポケットマネーにしてるわけでもなし、やっかんでヒステリックになってみたところでかえって国民が損することになるんじゃないか。
世の中そんなもんである、良くも悪くも。
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