4/08/2010

ヴェラスケスは転向ユダヤ人だった?


表題画像を、ディエゴ・ヴェラスケスの『台所の風景』(シカゴ・アート・インスティテュート所蔵)に替えてみた。複写画像だとなんとなく見過ごしてしまうが、シカゴの美術館で比較的小さな部屋になにげなく飾られたこの絵の本物の持つ迫力というかなんというか…。こういう衝撃を受けた絵画というのも、そう滅多に体験することではない。

ヴェラスケスは従来は下級貴族の出身と言われ、宮廷画家として活躍、宮廷内の役職としても昇進を重ねた出世の鬼だったこと以外に、その人生のことはあまりよく分かっていなかった。そうなると「そんな俗物になぜこんな絵画が描けたのか」というのが疑問になるほどなのだが、最近の研究ではどうも転向ユダヤ人の出身で、その出自を隠し通した人生だったらしい。

そう言われてみると…




なるほど、と思わせられる。実生活では宮廷社会で地位をどんどん上げて行った出世の鬼であった一方で、王族もそこに使える人々(なかには、皇太子の遊び相手であった道化の小人などの身障者や、黒人などマイノリティもいる)も庶民も同じ視線で描き続けたことの一見すると矛盾であることが、実は転向ユダヤ人であった出自を隠し通して生きて来たというだけで納得できるだけではなく、単に宮廷画家としての栄誉に浴しただけでは計り知れないその作品の奥深さ、日常をひたすら丹念に描きながら人間とはなにかを静かに問いかけるその精神性も、そういう出自があったからこそではないか?

『ラス・メニーナス』で自分自身を大きく描き込んでいることの意味というのも…


…ピカソは「王家の人々と芸術家が対等であることの宣言」とみなして、より画家が巨大化した翻案などを描いているのだが、一方でこの代表作、一見宮廷の栄華を描き留めたかのように見えるこの絵画でも、王族と対等に描かれているのは必ずしも彼だけでなく、マルガリータ王女を取り囲む侍女達、そのなかの一人の畸形の女性とも、また対等なのではないか?

そうしたヴェラスケスの絵画の世界観、人間観というものは…


…彼が転向ユダヤ人であったことを知れば、より複雑になって来る気がする。

この『ラス・メニーナス』に描きこまれた自画像というのが、元は横向きだったのが正面に描き直されたことが、X線調査で判明もしたらしく、そうなると貴族の証である赤い十字架をあえて胸に描き込んでいる(しかもキリスト教徒の証しである十字架をあえて…)のも、やっていることは一見すると真逆ながら、この下に画像を載せたフェリックス・ヌスバウムの自画像に通じるものにすら思えて来る。

フェリックス・ヌスバウム「ユダヤ人身分証明書を手にした自画像」1943年

「私は私として、ここにいる。迫害されようが自分で出来る限りのことをすることで生き延びて、自分の人生をまっとうしようとしている。あなた達は私という人間を、どうしようというつもりなのか? 私が私であることを、本当に奪えるとでも思っているのか?」という問いを、画面のこちら側の我々に投げかけんばかりに、我々を見つめるその眼差し。

このテーマを扱ったNHK『日曜美術館』は、今週日曜の午後8時から再放送です。

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