6/02/2010

誰が鳩山由紀夫を嗤えるのか?

辞めるには最悪のタイミングである。

国外ないし県外が対米交渉で困難となった…というか実務者協議で外務省も防衛省もその提案をまともにアメリカにぶつけてすらいなかったのがわかった時点で、指導力不足の責任で辞意、ならよかった。

あるいは、参院で問責が出て、社民党が賛成し民主の沖縄や鹿児島選出などの一部が造反して可決となってから辞めるなら、官僚主導で潰された鳩山自身の公約、最低でも県外か国外を、辞任と引き換えに元のスタートラインに戻し、かつ日本の民意で沖縄県内への移転は無理なのだとアメリカにメッセージを発せられたし、それは鳩山が掲げた日米安保の見直し再定義をスタートさせることにも、なったはずだ。

それが変節の果てに「私のクビと引き換えに、沖縄のみなさん我慢して下さい」となりかねないタイミングでは、政権交代して大騒ぎして、職を賭してまで、何も変えないことに力を尽くしたことにしかならない。

これでは現状の固定という最悪の敗北でしかなく、政権交代の意味すら無効化する。

それでも、本気で鳩山由紀夫を嗤える人間は、今の日本にどれだけいるのだろうか?

首相辞任を受けてTwitterで経営コンサルタントの宋文州氏が、自称「過激なつぶやき」を連発している。

任期中の総理辞任はもう癖になってしまった。これだけの数になるとリーダーの個人資質で片付けないで国民も反省したほうがいい

今の日本。リーダーが生まれないのは日本人が根っこからリーダーを望んでいないからだ。子供が生まれないのは日本人が根っこから子供が欲しくないからだ。しかし、皆が他人に嘘をいう

そんなによいリーダーを望むなら、なぜ子供達に将来「普通のサラリーマン」になりたいというだろうか。それは親の影響ではないだろうか。要はリーダーには何のメリットもないと考えているのでは。

リーダーは他人を傷付けることを避けられないよ。少なくとも保守勢力とやる気のない人を。日本人の優しさといえば反論できないところもあるが、リーダーへの配慮も優しさではないか。

公平にいうが、どこの国にも似たような輩が大勢にいる。しかし、こんなにもゴロゴロリーダーが辞める社会は外国だけではなく、日本自身の史上にも珍しい。原因は他人に原因を求める今の社会にある。

俺は日本の総理になりたくない(もちろん失格であるが)のはメリットがないからだ。金銭はなくていい。忙殺されてもいい。だけと、せめて同僚(議員)や部下(国民)から励ましをいただきたい。生き甲斐と尊重を得たい。

自分の会社の中でヒラメに徹底しているマスコミ社員。彼ら限って世論の隠れ蓑から「勇敢」に目立つ目標を攻撃する。ベンチャー経営者、官僚、政治家、総理大臣・・・日本にリーダーが居なくなるまで。

辞めろといってきたマスコミの社員達が社内の老害社長に同じことを言えたたろうか。特に84歳のトップに。なぜ言えないだろうか。

「下克上」。これは本当は恥ずかしいことだよ。こんなことを自慢するやつが日本の保守的組織にたくさんいる。下が上を克ったからといってその下が上になって組織を何とかすることがない。また次のカモ(上)を待つだけ。


あまりにその通りなので、つい笑ってしまった。

宋氏ご本人は中国人であるだけにさすがに、こういう本当のことを(しかも「外国人」が)言うとすぐにバッシングが始まるこの国の怖さを知ってるからか、「日本に素晴らしいリーダーがたくさん居るし、障害を乗り越えて何人も子供を育てる人が一杯居るし、組織から独立して尊敬に値する人も大勢にいる。この私の過激つぶやきを読む人は殆ど私に言われる筋がない。心情が害された方はお許しください」と一連の“つぶやき”を締めくくってはおいでだが…。

ホント、だからこの国はこんなに駄目になっちゃうんだよ。

この“つぶやき”も、けだし名言ではあるが、現代の日本人でこの意味を理解できる人はたぶん少数派だろう。

「滅私奉公」なんかは典型的な偽善。私が滅びたらどうやって公に奉仕するだろうか。実はこれが中国の文化大革命時代によく使われた言葉だ。聞くだけで社会主義と全体主義を連想する。

自分の経験ばかりいって恐縮ですが、忠誠心も文化大革命の時によく使われた言葉。共産党、毛沢東と国家への忠誠心を求められた。今、その中国でも死語になっている。まだ使われているのは日本と北朝鮮だろう。

自分を大切にすることは他人を大切にすることと同様、いや以上に重要なのだ。自己中心ではない。倒れそうな人間が他人を助けるなんて無理だし、迷惑な道連れだ。


まあしかし、なんせ以下のような、こんなおかしな価値観を刷り込まれてる国民ですから…

ある売れない営業マンがいつも残業する。何をしているかと聞くと仲間の手伝いをしているという。「他人を助けている」というふりして自分の努力不足、あるいは無能を誤魔化す

入社したばかりの社員がいった。「早く会社に貢献できる人間になりたい」と。「会社のことを心配してくれなくてもいいから、はやく自分の給料を稼げる人間になってくれ」と私はいった。なぜこんな偽善な言い方を覚えてくるだろうか。

キリストも仏陀も孔子も自分を大切にすることを説く。「汝を愛するように他人を愛しなさい」というのがせいぜい。自分を大事にしていることに気付かないと、他人のせいにする癖ができてしまう。


確かに、本当は自分こそが大事なのを誤摩化して他人に尽くす振りをしたあげく、うまくいかなければなんでも他人のせい、にしてるよね。

今や日本における協調性とは、お互いに責任をなすり付け合える微妙な関係を維持することでしかなく、その心底の動機は、自分が責任を負うことを極端に恐れるからでしかない。

「他人のため」はひたすら、そのような「いい人」と見られることと、責任回避のための、装いに過ぎない。

だいたい他人を批判するからには、自分は同じことで批判されるようにはしないよう心がけるのがまともな大人というものだが、どうにも「団塊の世代」以降、そんな倫理の基本すら分かってない人間が「大人」のフリをして、宋氏のいう「こんな偽善な言い方」を若者や子どもに押し付けて言わせているのが、現代の日本である。

鳩山由起夫自身が団塊の世代なわけだが、そのなかで彼はまだマシな方だ。謝れるだけ、自分で辞任を決断できるだけ(タイミング最悪だけど)。

いったい彼を嗤える人間が、どれだけいるんだろう? いや自分でも同じことをやるか、もっとひどいことをやりながら、それでも「あいつはダメだ」とか平気でけなしたり嗤ったりするのが、この国の「大人」たちである。

そんなのに騙されないように、少しは警戒した方がいいと思う。彼らの大半は鳩山のように「愚直」にすらなれない、小賢しく他人のせいにする癖ばかり発達させてるエセ大人なんだから。

そのクセ偉そうな顔だけはしたがるんだから始末に終えないわけだが。

まだ現実的に経済とか経営上の損失が出る立場なら分かるが、単に歳上だといばりたいだけの「立場」の保守で責任逃れをしまくるような人ばかりに囲まれてしまっていては、宋氏ではないが「リーダーは他人を傷付けることを避けられないよ。少なくとも保守勢力とやる気のない人を」となるのは、当然である。

普天間移転をめぐる大失策はもちろん謝って済む問題ではないのだが、それでも沖縄に行って必死で謝ることができただけ、まだ鳩山はマシである。

だって謝るしかない、謝ったほうがどう考えたっていい状況でも、いいわけにならないいいわけばかりして絶対に謝らないのが昨今の日本人。

かといって喧嘩する度量も自己正当化を論証する能力もなく、やることと言ったら関係を絶って陰口をふりまくだけ−−20代の若者のことではない、50代のいい歳した大人がそうなのだから、そんな人々に果たして鳩山を嗤えるのか?

もっとも、その50代以下の世代だって、上の世代がそうだからってそこに盲従して同じ行動原理になってしまえば、しょせん同じことではあるのだが。


とはいえ鳩山由紀夫も、どうせ泥をかぶって引責辞任なら、問責決議を食らうことで「普天間を沖縄県内に移設することは日本の民意として無理」というメッセージを発してから辞めるならまだ本気の「滅私奉公」として評価できなくもなかったのだが。

このままでは逆に、「米軍基地の問題に触れたら最高権力者といえどもクビが飛ぶ」というメッセージを、国内に発しただけである。

1 件のコメント:

  1. 渋谷 昌利6/10/2010

    ま、確かに国民の質はここ数十年で悪くなる一方ですな。
    自分のことは棚に上げて人のせいばかりする。
    アンタは一体どうなんだと言いたい。
    よく改札で客と喧嘩する駅員であります。
    駅員と言えども一人の人間ですから理不尽な要求には答えられないのです。

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