撮影が5月に、ほぼ一年かかってやっと終わって、3ヶ月以上、ほとんど4ヶ月くらいかかってやっと、お話が頭から最後までいちおうつながる、という形ではまとまった。
ラフカットなんて本来うちわにしか見せないものなのだが、どうせそう読者が多いわけでもないこのブログなので、「公開」というほどのことにもならないだろうというわけで、こちらにアップしておこう。
『ほんの少しだけでも愛を』ラフカット冒頭
…と言っても出だしだけ。続きを見てご意見をくださる方はコメント欄へどうぞ。
今夏の明らかに異常気象の酷暑のなかで、なにせ昨年からこればかりやっていて稼ぐことはほとんどやって来なかったので電気代を気にしてあまりエアコンもつけずに…というか、もとから広くない場所での冷房が苦手なこともあり…Mac殿はフル稼働でかなりの熱を発するわけで、気づかぬうちに朦朧としながらやっている編集作業なので、究極に超私的・超主観なのだ。
映画は公共的なものでもなければならない、ということを主張し続けたのは60〜70年代の大島渚だが、自分で演出し自分で撮影し自分で編集していると、被写体は即興なのでこちらの思い通りに動くわけではぜんぜんないとはいえ、「撮ったもの」の中身に対する客観的な判断がなくどうしても自分に閉じこもったものには、なってしまう。
自画自賛とかそういう意味ではない。「ここにはこういうことが写っているはずだ」という自分のその実「撮ろうとした」思い込みから、逃れるのが難しい。
というわけで、この超主観のいわば「生」でパーソナルな状態を、どう「公共性」、パブリック、つまりは観客の見る「作品」としてのフォルムに到達させる作業が真の編集プロセスであるわけだが、そこにはベタに人に見てもらって反応や感想を、ということが必要なのだ。
もちろん理想は、別建てで信頼できるプロデューサーがいて、かつ編集者が編集してくれることなのではあるが。
ただし「長い」というのはご勘弁を。「ここは要らない」ならいいんですが、なにせラフカットなので4時間半もあり、この次のステップは具体的にはまず、短く整理することなので、長いのは当然ですから。
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