9/15/2010

内匠頭、内蔵助、お岩さん

日本の伝統が「仇討ち」であると思うのは、中国と朝鮮半島から入った儒教倫理に従っていることに過ぎない。なのに中国や朝鮮を嫌う昨今の右翼に限って、それが日本の伝統なのだと言いたがる。日本の伝統は「仇討ち」でなく、「祟り」を恐れること。

丸谷才一は「忠臣蔵」の分析で、内匠頭が吉良に賄賂を要求されたという話はフィクションだったことを指摘している。松の廊下事件の本当の動機は分からない。その分からない動機の荒ぶる神の発露だったからこそ、浪士たちはその荒ぶる神の祟りを鎮めるために、吉良を打たねばならなかった。

浄瑠璃/歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも、真山青果の「元禄忠臣蔵」にも、溝口健二によるその映画化にも、復讐劇であるのならそのクライマックスであるはずの討ち入りの描写がないのは、このドラマの本質が仇討ちにはないからである。

溝口健二『元禄忠臣蔵』

討ち入りがない変わりに、正統的な赤穂事件の物語表象でクライマックスとなるのは、泉岳寺の内匠頭の墓前に吉良の生首を捧げる場面である。荒ぶる神を鎮める捧げものとして、吉良の首があり、そして浪士達もまた切腹によって自らを荒ぶる神を鎮める人身御供となるのである。

現代では歌舞伎の演目だが本来は浄瑠璃の演目である「仮名手本忠臣蔵」と表裏一体の関係にあるテクストとして、鶴屋南北が書いたのが怪談歌舞伎の「東海道四谷怪談」である。江戸時代の社会劇として、この二つは双璧をなす。演劇的な、ドラマチックな強度において後者が圧倒的なのは言うまでもない。

まただからこそ鶴屋南北は「忠臣蔵」と表裏一体のドラマとして「東海道四谷怪談」を書いたのであろう。ちなみに「東海道四谷怪談」こそは、北斎が19世紀絵画の世界最大の天才であったように、19世紀の世界の演劇で最高峰のドラマである。「日本に誇りを持つ」とは、そういうことである。

なぜなら「仮名手本忠臣蔵」は忠義と仇討ちのドラマに偽装した、壮大なる荒ぶる神を鎮める儀式でしかないからだ。だいたい仇討ちと忠義が重要なのであれば、浅野公に忠義を貫くためには赤穂藩士は篭城して討ち死にすればよかったのだし、復讐ならば切腹を命じた幕府相手であるべき。

しかしそれが「忠臣蔵」の本当のドラマではない。荻生徂徠らの儒学者たちが浪士達への処罰を主張したのは当然である。儒学に基づいた忠義の論理を幕府が中国/半島から持ち込んで日本で法制化して押し付けたのに対する、日本的なる「荒ぶる神」「祟り」信仰の反逆こそが、忠臣蔵事件だったのだから。

深作欣二『忠臣蔵外伝 四谷怪談』

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