11/08/2011

被災地で映画を撮るということ


まず告知です。福島第一原発の事故で避難を余儀なくされ「住めない土地」とされてしまった風景と、そこに暮して来た人々をめぐるドキュメンタリー最新作『NoMan's Zone 無人地帯』のワールドプレミアは、東京フィルメックス映画祭(11月19日〜27日)です。


日時:11月25日(金)午後3時半〜
会場:有楽町朝日ホール (地図はこちら)
 前売り券の購入はこちらから

この春の大震災という、下品な言い方をしてしまうなら極めてタイムリーな題材を映画にすることについて、いろいろ訊ねられることは想定されるだろう。先日の山形国際ドキュメンタリー映画際でも震災特集の特別プログラムがあって、そこで森達也、安岡卓治他監督の『3.11』などの作品を中心に議論になっていた。

『無人地帯』はしかも、ただ震災だけではない、原子力発電所の事故をめぐる映画なのだから、よりそうした議論の対象となるのだろうし、東京フィルメックスでの初上映で多くの人が見た段階で、当然ながら僕自身もいろいろ尋ねられるのだろうと思う。

その予行演習というか、出来ることなら同じことを繰り返すのを避けたいためにもこの場で書いてしまうのなら、我々が『無人地帯』でとったスタンスは、これまで自分が映画でやって来たこととなにも変わらない。強いて言えば、これまで以上に徹底してやったというだけだ。


少しでもよりよい映画、作品としてある意味で自己充足した完成度を持ち、その映画の持つべき美しさに到達した映画にすること、まったくこれだけであり、そのためにはドキュメンタリー映画ならばドキュメンタリー撮る基本中の基本に徹することだけだ。

時事的な話題を扱った場合、それも現実を切り取るドキュメンタリーの場合、映画にはその社会的な寿命というか、どうしても「賞味期限」がある。ある社会的な問題を扱った場合、その問題が解決されてしまった瞬間、その賞味期限は切れ、映画はその社会的な役割を終える。

『無人地帯』の場合、その「賞味期限」は短ければ短いほどいい。


この映画の主人公たちは、事故により無人の場にされてしまった(浜通り・20Km圏内)、あるいはこれからされようとしている(飯舘村)、またはこれから様々な理由で−−必ずしも「放射能」が理由ではない−−そうなってしまうかも知れない(いわき市の津波被災地)土地と、そこの人々だ。

問題が解決し、映画の「賞味期限」が切れるのは、そこの人々が土地に戻って、安心してとまでは言わないにせよ、まあ生活を(仮に不完全にせよ)取り戻せること、そこが「無人地帯」という残酷な名前で呼ばれないで済むことだ。

それは出来る限り早い方がいい。

「賞味期限」なんてことはそれで、まったく構わないどころか、この映画に出て下さった人達が早く戻れることを、我々は心から願ってやまない。だがそこで映画が役割を終えてしまうのならそんなに真面目につくる必要ないじゃんか、速報性を重視した方がいいじゃんか、という話にもなる−−問題解決とともに映画が役割を終え、見る必要もなくなるのならば。

実際、すでに震災をめぐって作られている映画の多くが、よくも悪くもその即時性の粗雑さを背負って作られている。実際、速報性だけが問題なのであれば、それはたまたま映画館なり映画祭のスクリーンを彩っているだけであって、「映画」である必要もなく、短命でいいのだ。

飯舘村での撮影の最終日、長泥地区の墓地で出会った男性は、インタビューの最後に小さな声で「またね」と言って去った。


「またね」、いつか彼も、また我々もそこに戻って再会し、自分を取り戻して行く飯舘村を撮影できることは、我々も切望している。たとえそれが現実的に極めて困難になるとしても、どうしても、ぜひそうなって欲しいと、心から願うことなしにその人達を撮ることはできなかったろう。


だが映画というのは、たとえ現実の記録であるドキュメンタリーであっても、そんな単純なものではない。あくまで作品は、作品であり、それは短命であっていいわけではない。

たとえば我々が今、土本典昭『医学としての水俣病・三部作』を見るときの興味が、水俣病の医学的な知見だけならば、これはせいぜいが入門にしか役に立たず、研究はもっと進んでいるのだから最新の論文でも読んだ方がいいということになる。だが無論、『医学三部作』を見ることの意味は、現代においてまったく皆無ではない。むしろ逆だ。

あるいは『不知火海』を見るにしても、30年、いや40年近く経った今では、もはや「現実を伝え報告する」機能はほとんどないのだろうが、歴史文書みたいなものだと思って見るのは大きな間違いだ。土本のこの記念碑的な傑作群は、今では「水俣病」の現実を学ぶための資料よりも、「人間とはなにものであり、いかにして生きるべきなのか」を伝え、考えさせることを真のテーマとして、普遍的な作品として屹立して存在している。

土本典昭『不知火海』キヨ子さんの話を聞く原田医師

『不知火海』ならば土本がつきあい続けた患者さん達の生き様そのものは、既に普遍的な「人間がいかにして巨大な不幸と苦難を前に生きて行くのか」をめぐる普遍的なドラマだ。

とりわけ月浦の岸壁で原田正純医師を相手に、自分が生きていることそれ自体が無味なのではないかという苦悩をせつせつと語る胎児性患者キヨ子さんの知性と哲学に、我々は深く学び、感動せざるを得ない。

『不知火海』でキヨ子さんが問うているのは、もはや水俣病という事象を越え、人間が生きて行くことの根源的な疑問に他ならない。キヨ子さんは胎児性患者にも関わらず…いや胎児性患者だからこそ、人一倍の誠実さでその疑問に向き合っている、その時に原田医師ですら彼女の鋭い知性と真摯さに、言葉を失う。

そして我々は、思春期にこの実存の苦悩に真摯に向き合っているからこそ、彼女は生き続けていく、生き延びていくことへの確かな確信と共に、キヨ子さんの背中の美に魅了される。

それが映画というものであり、土本と比較するのはおこがましいとはいえ、我々もまた現実に生きる人達を撮影させてもらい、その人達が故郷として来た大地を訪ね、そこで撮ったものを、やはり現実のなかでそれぞれに悩みながら生きている人達に見てもらう以上、少しでも近づくよう自分たちの仕事のクオリティを高める責任があるのは、当然のことだろう。

映画とは、なによりも美しくなければならないし、映画もまた芸術である以上、美とはその作品が人間存在のある真実、あるいはある真理に、どこかで到達する可能性の糸口を、その作品内に秘めているからに他ならないはずだ。

それはラスコー洞窟の壁画以来、人類の歴史のなかでなにも変わっていないはずだ。作品を作るという行為は、その大きな歴史のささやかな一端に責任を持つことでもある。

 ヴェルナー・ヘルツォーク『忘れられた夢の洞窟(原題)』予告編

あるいは信仰の道具として作られた寺院や聖像が、時代を超えた今だからこそ、その信仰を共有しない我々にとってもある美しさ、ある人間存在や世界のあり方の真実や真理を内包し、だからこそ今、芸術として生きているのと、同じことだとも言えるだろう。

つまりは、ただ原発事故がアクチュアリティである状況に対しての映画を、いわばテレビの延長で(一応、「テレビではタブー」等で「映画でないと出来ない」といういいわけじみた理由づけは出来るのだろうが)訴えるだけの映画ではなく、現実の今後の進展とは無関係にでも独り立ちしていけるだけの映画を目指すしかない。ならばとりもなおさず、出来ること、やるべきことは他の映画と、なんの変わりもない。

フランシスコ・デ・ゴヤ『5月3日の虐殺』

折しも上野の西洋美術館でゴヤ展が開催中だが、この『5月3日の虐殺』にしても、その絵画としての重要性は、もはやナポレオン軍のスペイン侵略という歴史とは関連づけられるものではない。絵は今では、絵として存在するだけであり、だからこそ「古典」なのだろう。そしてこの絵画を単なる虐殺の記録でなく、古典たらしめているのは、両腕を上げて敵兵に立ちふさがる、立ち向かう男性の、絶望的な最後の抵抗の仕草の力がなによりも大きい。

途方もない困難や絶望的な状況を前に立ち向かう、自分を失わないだけの強い人間性を持った人物というのは、それだけでその困難だったり絶望的だったりする社会状況以上の意味を、芸術として持ちうるものだ。土本典昭の撮った水俣病の患者たち、たとえば『不知火海』のキヨ子さんが美しいのも、彼女もまたこのゴヤの描いた白いシャツの男のように、単に犠牲者・被害者に留まらない「人間」だからだ。

恐らく同じことが、我々が浜通りや飯舘村で会うことができ、撮影させてもらった人達の一人一人について言えるはずだ。だから我々もまた、決してその人達をただ「被災者」としては撮らなかった。


そして我々が出会うことが出来た一人一人の、慎ましやかだが強固な福島の【庶民】たちは、ただ震災と原発事故の被害者という時事性・即時性を越えた存在なのだと思うし、だからこそこの映画もまた、「震災がありました、原発事故がありました、だから映画を撮りました」という時事性を越える作品でもなければならない。

『無人地帯』はフランスとの合作映画であり、ナレーションは英語版とフランス語版がつく。今回のフィルメックスでの上映では英語版で、声の出演はアトム・エゴヤン監督の妻でその映画で常連の女優であるアルシネ・カーンジャン(現在はカナダ国籍だが亡命アルメニア人の家系で、出身地はレバノンのベイルート。内戦の激化で17歳の時に故郷を離れる)だが、フランス語版の方では、名は伏せるが一時期にはフランスのさる大女優も候補に上がっていた。

アトム・エゴヤン『アララトの聖母』のアルシネ・カーンジャン

その大女優は、高齢になるとともに非常に強烈な個性に磨きがかかり、声だけでも大変な存在感なのであるが、編集のイザベル・インゴルドに一度、「人物の個性として、彼女だと強過ぎて映画の登場人物がかすむことがあるかどうか」と訊いたことがある。イザベルの返事は明快で「そんなことはない。この映画に出てる人はみんな、そろって彼女と同じくらいの強さがある」だった。

この人達の強さと気高さが、果たして元からそういう人達だったのか、それとも震災と原発事故という終わりの見えない困難を体験しているからこその強さなのかは、分からない。だがひとつだけ言えるのは、そうした困難が人間にとって試練でもあり、そしてそうした試練を前にした時こそ、人間はその真価が問われるということだろう。


『無人地帯』の撮影は、あえて通常の映画製作ではまず考えられない撮り方で行った。製作部にとっては悪夢とも言える方法論で、つまりスケジュールは一切なしの、いわば行き当たりばったり方式で、自動車で移動しながら、家があれば門を叩いてみたり、たまたま見かけた人に声をかけて話を聞く、ひたすらこの繰り返しだ。事前にリサーチをかけてめぼしい人にあらかじめアポイントをとって、ということはしていないし、なにか特定の人脈を利用したりして予め「狙い」があって、ということも一切ない。

そうした偶然の出会いの連続なのだから、ここに出る人達は揃って「普通の人」のはずだ。そうした「普通の人々」の生活がいかにこの災害で振り回され、そこで何が失われたのかを見せることが、この地震と原発事故を映画に撮る上で最初の目標だった。

しかし我々が撮ることができたのは、それを遥かに越えるものだったと思う。だからこそこの映画は、ただの時事性・即時性や、「反原発」かどうか等の政治的党派性を越えたものにしなければならなかった。そしてそのスタンスこそが「本気で映画として作る」ということでもあったのだ。


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