10/08/2012

社会派映画作家としてのジャック・ドゥミー


Romantic love、「ロマンチックな愛」と訳してしまうと、今では別の意味でとらえられてしまいそうなので、「ロマン主義的な愛」と言うべきかも知れない。「あなたなしには生きて行けない」、愛し合うことが生きることに不可欠、生のもっとも根幹であり、故にその愛が死に至るものにもなる、という考え方である。

『シェルブールの雨傘』でカトリーヌ・ドゥヌーヴ演ずるジュヌヴィエーブは、召集令状を受け取った恋人に「あなたなしには死んでしまう」と歌い続ける。

『シェルブールの雨傘』別れ

これこそ普通の意味で「ロマンチックな愛」として甘味な涙の名シーンとなり、この映画は世界的なヒット作になったわけだ。

むろん実際にはジュヌヴィエーヴは恋人の帰りを待たずに、その子供を自分の子として育てようと申し出たダイヤモンド商ロラン・カサール(マルク・ミシェル)とあっさりと結婚してしまう。

この映画の撮影中の題名は「不貞、あるいはシェルブールの雨傘」だった。

「ロマンチックな映画」(その実ドゥミーにとっては反戦映画であった)として大成功を納めたこの傑作は、その実「ロマンチックな愛」の不可能性を描き出した映画なのである。

ジュヌヴィエーヴの夫となるカサールは、ドゥミーの処女作『ローラ』の主人公である。

彼が恋心を抱く幼なじみのセシル(アヌーク・エメ)は米水兵相手のクラブの踊り子で、芸名はローラ。

彼女は妊娠を告げたとたんに去った恋人を愛し続けており、カサールは最後には諦めて旅に出る。

一方、セシルは財産を築いて帰って来た恋人と再会し、結ばれる。

『ローラ』セシルとアメリカの水兵フランキー

かといって彼女が「恋人に貞節を守って来た」わけでは決してなく、しかし生活のために身体を売っているわけでもないのが、この映画におけるドゥミーの女性像の先進性だろう。

またそれは究極の、世俗の倫理観などは超越した「ロマンチックな愛」の表現でもあったのかも知れないが、ドウミーはその後、富豪となったはずの恋人と渡米したセシル/ローラのその後を、映画化している。

『モデル・ショップ』(1969)抜粋

ここで見せられるのは、「ロマンチックな愛の実現」だったはずのその後の、痛ましい幻滅である。

ラジオ放送で度々明示されるように、舞台はベトナム戦争中のアメリカだ。

戦争から戻ったものの恋人のもとには戻れない自分を抱えた主人公(「2001年宇宙の旅」のゲイリー・ロックウッド。ドゥミー自身は当時無名のハリソン・フォードを希望していた)は、やはり「居場所がない」空気感を漂わせた、今はストリッパーとなったローラ/セシルと、心の交流がない故の心の交流を感じる。

ローラ/セシルのその後の、「ロマンチックな愛」の崩壊の残滓としての人生は、戦争すら目に見えないものとなった人間性の喪失した時代における、愛の不毛、愛の再生すら不可能になった寂寥だ。

『モデル・ショップ』ラストシーン

この映画の終わりに、男に残されたのは「人間は試すことだけはいつでもできる」とひたすら繰り返すことしかない。

ここで一点、あまり指摘されないドゥミー映画に一貫する特徴も指摘しておくべきだろう。

『シェルブールの雨傘』は、アルジェリア戦争の「銃後」のフランスをめぐる物語だ。ジュヌヴィエーヴが信じたはずのロマンチックな愛が崩壊するのは、戦争によってだ。

『ローラ』が映し出すのは、第二次大戦後の、実態は「アメリカ軍の占領下」だったフランスの心象風景である。ここで登場人物たちが「愛」と思い込んでいるものは、戦争によって失われた過去のイノセンスへの憧れでしかない。

『モデル・ショップ』は、ヴェトナム戦争の「銃後」としてのアメリカを強烈に意識した作品である。

ドイツの有名な童話を(英語で)映画化した『ハメルンの笛吹き』では、一方に疫病に対してまったく無力な教会の抑圧的権力と、もう一方に疫病の根絶を研究しようとしたユダヤ人の老錬金術師や、疫病の蔓延する土地を見て来た(教会からは蔑視対象の)旅芸人の一座がある、差別と抑圧を強烈に意識した政治性の強い構図が採用されている。

『ハメルンの笛吹き』(1972)全編

ドゥミー映画はミュージカルが多く、華やかな色彩の洗練された現代風の、いささかキッチュ趣味も交えた様式美が賞賛されがちだ。

それはおよそ「リアリズム」とは、かけ離れたものに見える。

そのせいかまったく無視されがちなのだが、ジャック・ドゥミーの映画は常に明確な社会への眼差しを内包し、純真過ぎるほどの政治意識が明確に、彼の独特のやり方で、反映されたものでもあるのだ。

ドゥミーがその映画で繰り返して来た構図は、社会のさまざまな形での抑圧と、そこに押しつぶされる個人たちの愛や自由の希求、その挫折・幻滅、敗北の悲しみ、そこに徹底して寄り添い、時に冷酷に突き放し全体を見せるものでもある(だから彼の映画は、ほぼ常にフルショットで終わる)。

「社会派映画作家としてのジャック・ドゥミー」と言うと、驚くかも知れない。

だが「ロマンチックなミュージカル映画作家」と一見相反するように見えて、その実ドゥミー映画の本質の核をなしているのは、それがロマンチックな社会派映画であり、それを音楽と華麗で現代的な映像美にのせて演出すること、そのものなのだ。

いわば「政治映画」の文体そのものを革命しようとしていたのが、ジャック・ドゥミーなのかも知れない。

『ベルサイユのばら』(1979)

完全な「注文仕事」とはいえ、日本の人気漫画『ベルサイユのばら』をドゥミーが映画化した際も、結局彼の作家的な関心がもっとも集中したのは、どうみても映画の後半の革命の描写である。

『ベルサイユのばら』革命のシーン

このシーンの演出に明白なように、ドゥミー映画における華やかな色彩の使用は、実はドラマチックな意味づけを伴ったものでもある。

『ハメルンの笛吹き』でも同様だが、色彩は社会階級や「善/悪」に応じて、明確に使い分けられてもいる。

また一見、華やかな様式美に見えるドゥミー映画のスタイルが、あくまで現実の延長として構築されたものでもあることも、『ベルサイユのばら』には如実に現れている。

実のところ、この映画のセットも衣装も、常連の美術監督のベルナール・エヴァンによる極めて綿密な時代考証を踏まえているのだ。

『シェルブールの雨傘』
ベルナール・エヴァンによる主人公の部屋のスケッチ


人気作の『ロバと王女』にしても、一見無邪気なファンタジーに見えるが、その実、シャルル・ペローの童話に様々な現実の、現代のディテールを組み込むその突飛さこそが、おもしろおかしいのだ。

『ロバと王女』、妖精が「近親相姦はダメよ」と諭すシーン

なおこの映画は、シャンボール城(世界遺産)を含めた各所でロケーション撮影されているが、ドゥミーが当初構想した、ベルナール・エヴァンによる美術プランは、高価過ぎたためプロデューサーに却下されている。
これは実現しなかった映画のひつとだが、ロシア革命を背景にしたミユージカル・ドラマ『アヌーシュカ』という企画にも、晩年のドゥミーは相当な精力を注ぎ込んでいた。

旧共産圏の崩壊が起こっていた時代のことである。

『都会のひと部屋』(1982)全編

1982年の『都会のひと部屋』は、そんなドゥミー作品のなかで、未だにもっとも無視されがちな映画だ。

しかしナントの美術学校以来の友人で、主要作品のほとんどで美術監督を務めた、ドゥミーにとってもっとも重要な創造上のパートナーと言えるベルナール・エヴァンによれば、「ジャックのやりたかったことがもっとも完璧に視覚化された作品」である。

またしばしば港町を舞台に選んでいるドゥミーの映画だが、ドゥミー自身の出身地ナントが舞台であるのは、『ローラ』と、この映画だけだ。

『シェルブールの雨傘』で一瞬だけ回想で挿入される、ナント名所のパッサージュ・ポムレイ。ここにはドゥミーが通ったナントのシネマテークもあった。

『都会のひと部屋』のパッサージュ・ポムレイ


『都会のひと部屋』。エディット(ドミニク・サンダ)の夫エドモン(ミシェル・ピコリ)の経営するテレビ販売店は、パッサージュ・ポムレイに設定されている。

『都会のひと部屋』がなぜドゥミーのフィルモグラフィで無視されがちなのだろうか? 

公開当時には、商業的に完全な失敗で、その後のドゥミーは創作の自由がかなり制約されることになる(『アヌーシュカ』は実現出来ず、『パーキング』は人気歌手を主演に採用してもなお予算を削られエヴァンの美術デザインを採用出来ず、イヴ・モンタンの主演ということで『想い出のマルセイユ』が辛うじて実現し、遺作に)。

音楽がミシェル・ルグランではないから、という説明もないわけではないのだが、でも映画の評価なんだから…(それにミシェル・コロンビエの重厚な現代オペラとしてのスコアは、この映画にはむしろ極めて適確だ)。

恐らくもっとも簡単な説明は、まずいきなり冒頭シーンが、「ジャック・ドゥミーの映画」と言われたときに観客も批評家もまったく予想せず、当然期待もしていないような映像だったからではないか?

『都会のひと部屋』冒頭シーン。ナント大聖堂前。

あまりにも見事な、美しいシーンである(そして同じ光景は映画のクライマックスで繰り返され、いわばこの映画の様式的な枠組みとなっている)。

同種のシーンとしてこれほどの純粋さ、美しさ、様式美に到達したものといえば、『戦艦ポチョムキン』くらいしか思いつかない程だ。

と同時に、この見事な労働オペラ演出が、1980年代の観客にとってまったく意表をつくものであったのも、また事実であろう。80年代は、トリュフォーを筆頭に、ヌーヴェルヴァーグの、ドゥミーの同世代作家達が、フランス映画のいわば「王道」の地位を獲得した時代でもある。

「作家主義」の公式化は、一方で個人的な、しばしば自伝性の強い内容で、言い換えれば普通の「個」の生活のドラマの、ストーリーの流れよりは個々のシーンの繊細さの描写に、評価されるべきフランス映画の主題性が矮小化されたことも意味する。

それに対して、『都会のひと部屋』は冒頭からいきなり、壮大すぎるし、物語の構図の大きさも同時に提示されている。

『都会のひと部屋』労働者たち

どうみても「個人映画」の規模ではないどころか、大作オペラの風格である−−言い換えれば、これは時代錯誤にも見えただろう。

デモの場面から、舞台はその光景を自宅から見下ろしていた元女男爵の大佐夫人(ダニエル・ダリュー)に切り替わる。そこにデモのリーダーの一人であった間借り人の男ギルボー(リシャール・ベリ)が帰って来る。

大佐夫人は、デモにギルボーが参加していたことをなじる。「アナーキストを家に置くわけにはいかないわ」

男が間借りしているのは、結婚した彼女の娘エディットの部屋だ。「金目当てにテレビ商人と結婚した」と、大佐夫人(元女男爵、つまり貴族出身)は成金ブルジョワへの軽蔑を隠さない。

労働者階級、ブルジョワジー、貴族。冒頭5分足らずで、ドゥミーは一気に、このドラマの階級的な構図を提示してしまう。

1980年、フランスでは新しい大統領フランソワ・ミッテランの社会党政権が始まる。 
60年代に隆盛を極めた戦後ブルジョワジーの勃興は、ここに終わったのだと、フランス人たちは思っていただろう(そして実際、今のフランスに「ブルジョワ階級」というべきものは、まあ、もうないよね)。 
そんな時代なのに、『都会のひと部屋』は、ある意味であまりに古典的とも言える階級闘争構図をドラマの基盤にしているとも見えただろう。 
この映画がオペラである以上、背景図式を単純化するのは当然の美的選択のはずなのだが、とはいえドゥミーがここで見事な手際で紹介した構図は、60年代70年代の政治映画の潮流から見れば、あまりに図式的で幼稚にも見えてしまうかも知れない。

実はこれはただ冒頭の提示部に過ぎず、決して映画自体がそんなに単純ではないのだが。

『都会のひと部屋』は社会派映画ではあるとしても、極めて抽象化されたそれであり、決して「階級闘争」を直接描こうとしたものでは、まったくないのだが。

これは『シェルブールの雨傘』がドゥミーにとっては「反戦映画」に他ならなかったことにも共通する。

ドゥミーが注目したのは戦争によって直接命が奪われ、生活が破壊されることではなかった。

ロマン主義者が人間のもっとも純粋なあり方として称揚した「愛」が、現代の戦争によっていかに不可能なものとなってしまったのか。

『シェルブールの雨傘』は直接の戦争の被害がないかに見える「銃後」にも、人生そのものを破壊される悲劇があったこと…いや、それが悲劇にすらなり得ない苦いものであることを描いた映画でもある…

−−というか、ドゥミー自身にとっては、それこそが本質だったはずだ(本人が「これは反戦映画である」と度々繰り返している)。

ある意味でその「対局」にあるファンタジーが『ロシュフォールの恋人たち』だ。 
ブラトンに遡る「純愛」の伝説、世界には大昔に離ればなれになった自分の分身に近い「愛の対象」がいて、それと運命の出会いをすることこそが究極の恋愛である、という神話性が、このドゥミー作品でも最もファンが多いであろう映画の、プロットの基本である。 
『ロシュフォールの恋人たち』 ほとんど冗談のような出会いの連続

なおよく見れば、ドゥミーの演出は必ずしもその神話を全面肯定してはいない。むしろかなり皮肉な、距離を置かせる要素は、たびたび介入しているのではあるが…。


だが『シェルブールの雨傘』が実は戦争を告発する映画であると意識した観客はあまりいないであろうのと同様に、いやむしろ真逆の構図として、ジャック・ドゥミーが「階級闘争」を冒頭に押し出した映画が、拒絶されるのは、ある意味当然だったのかも知れない。

とはいえこの表現が「時代錯誤」に見られたであろう製作当時から30年後、今見直すと、この冒頭の10分間だけでも、あまりに見事な映画演出の集中力であることに、感嘆せざるを得ない。


…っていうか、あまりにも一瞬一瞬、すべて「ドゥミー印」ではないか…。



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