1/12/2013

日本は本当に「危機」なのか?

安倍晋三の新しい内閣は自称「危機突破内閣」なのだそうだ。

海外メディアでは欧米を中心に「極右歴史修正主義者の首相」とさんざん報じられ、「河野談話」見直しが危惧されてニューヨーク州議会では「従軍慰安婦は人道に対する罪」との決議まで出てしまい、そっちの方での日本の国際的な信用失墜と外交的な孤立の方がよほど危機だと思うのだが、日本のマスコミが注目するのはもっぱら、「危機的な経済」に対応すると称する政策ばかりである。

ここまで政府よりの報道にしか徹しない政治マスコミの存在理由もよく分からないが、参議院選挙まではこうして「安倍政権の大規模な経済対策」賞賛に話題が集中するのだろうし、「景気」はたぶんに気分の問題だから、この“イケイケどんどん”に乗せられて経済の指標は多少は上がるのだろう。

忘れてはいけないのは、2014年4月に予定される消費税8%増税は、この6月までの景気回復を見極めて最終決定となるわけで、だから増税したい財務省はどんな数字のトリックを使ってでも、「安倍新政権で景気が回復」を演出するに決まっている。

一方で、日本経済は危機なのだという認識は一般に共有され、だから安倍氏の「経済対策」に期待が集まる構図なのだが、果たして本当に日本はそんなに「待ったなしの危機」なのだろうか?

確かに雇用はあまりよくない(といって失業率4%代は、国際的にみて圧倒的に低い水準だ)し、給与所得の平均はどんどん落ちている。

だが安倍氏が選挙中にぶち上げた「大幅な金融緩和」や、自民党がずっとやりたがっている大企業の法人税減税、インフレ・ターゲットなどが、本当にそんなに有効な施策なのだろうか?

大企業が潤えば雇用が回復するという絵空事を信じられている時点でどこか話がおかしい。大手製造業に工場等の投資を増やす余裕ができたとしても、それを日本国内に投下するとは考えにくい。

子供でも分かる話で、輸出産業で日本の国際的競争力がどうしても低下するのは、日本が世界有数の裕福な、所得水準の高い先進国であるため、当然人件費が高いからだ。オートメ化が進む現代の大手メーカーの生産工程なら、国内ではなく人件費が安い中国や東南アジアに工場を持って行くに決まっている。

パナソニックがサムスンに脅かされるのも、韓国の方が日本よりもずっと物価も、人件費も安いからなのだ。そこでサムスンがパナソニックに負けない品質のテレビを生産するようになれば、工場を日本国内に置く限りは、価格競争で勝ち目はないし、そこで低価格競争をやれば、雇用の人数は確保できるにしても給料は上がらない…から小泉政権の時代から、大企業でも期間限定の非正規雇用を中心の労働力にシフトせざるを得なかったのである。

この正規雇用と非正規雇用の格差が、またキャッシュの偏在をまねき、デフレを招いているのだ。多くの人が非正規雇用の低所得になれば、100円ショップが必要になるし、安いのだから高所得の正規雇用の人だって、同じ物なら100円ショップで買う。するとその生産拠点は日本ではないのだから、日本の雇用は減って当然である。

正規雇用の人たちはこの、社会的にも名誉になるし福利厚生も保証された自分たちの立場を保守したくなるのは当然だろうが、しかしこのいびつな雇用体制は是正しなければ、デフレ脱却など無理な話だ。この課題は小泉時代からもうそろそろ10年くらい提示され続けているのに、なんら抜本的な改革はなされていない。

その改革がなされなければ、日本のセーフティーネットの根幹になる健康保険制度も、年金制度も、破綻する危険性がぬぐいきれず、潜在的に大きな社会不安の要素になっているのにも関わらず、である。

そもそも日本にキャッシュが足りないわけではまったくない。預金量で世界最大のメガバンクは、未だに日本の都市銀行である。高齢者やサラリーマンを中心とする膨大な預金額は、ここ10数年ずっと続いている低金利政策にも関わらず、ほとんど減っていない。

当然のことだ。民主党が掲げた年金の制度改革も共済年金を死守したい公務員や厚生年金の有利さにタッチ出来なかったことで失敗してしまった以上、高齢者が将来の老後に不安を感じて預貯金を取り崩さないのも、当たり前の話である。

その高齢者は人の親であり祖父母でもある。保育園の待機児童問題もまったく解消されず、幼稚園保育園の一体化で無駄を省くこともままならず、公教育の現場はいじめ問題や教師の質の低下で不安だらけであれば、子供のため、孫の教育に必要になるかも知れない貯金を守るのもまた当然だし、そこまでお金がなくても、当然ながら「子どもたちに迷惑はかけられないから」という話になる。

だからこの膨大な預貯金は銀行か、下手すればタンス預金になって、マーケットに流通せず、実体経済に流通するキャッシュは当然減ってしまう。

銀行にはキャッシュが実はだぶついているし、その投資先が実はないことの方が問題なのだ。

中小企業では銀行にお金が借りれなく資金繰りに苦しんでいるところが多いのだが、これは決して不景気だから銀行が貸し渋っているのではない。

ウォール街中心の国際金融資本の基準に融資の可否を合せてしまっているので、優良な中小企業でもなかなか条件が満たせず、その資金は国債や、金融マーケットに流れるしかない。

今の日本経済の問題は通貨供給量ではなく、実態経済分野への通貨流通量なのだ。

企業の経営構造が、これも国際金融資本の基準に変わってしまったことの問題も大きい。かつての日本型大企業経営は、収益が上がればそれは従業員の給料や、下請けへの支払いに還元された。こうして企業への忠誠度を高めて成功したのが、いわゆる「日本株式会社」の高度成長の奇跡だったのだ。

今ではこれがまったく異なる。

企業は収益があがれば、それは株主に還元することを真っ先に求められるのである。金融緩和で大企業に株式市場からの資金が廻るようになったところで、わざわざ従業員の給料を上げる経営者などもはやいない-制度的にそれが許されない、時価総額が上がることが企業の価値になり、役員の最大の義務になってしまったのだから、その総額が減るような人件費増なんて、簡単には出来ないのだ。

しかも経営役員の制度も高給化し、報酬の一部を自社株で、というのも定着しつつある。そこで収入が増える役員達が、従業員の給料を上げることなんて考えるだろうか?よほどの善良な経営者でなければあり得ない話だろう。

だから「インフレ・ターゲットでデフレ脱却」なんてやったところで、実体経済がよくなり我々の収入が増えて内需も伸びて日本が元気になる、なんて、実はあり得ない話ではないのか?

そもそも、大企業を中心にした景気対策に意味がないのは、今では企業従業員や下請けが一種の疑似家族を形成することで成長して来た日本型経営がなくなってしまっているからだけではない。

パナソニックやシャープやソニーがどうしたって国内に工場を置く限りは苦しい一方で、日本製品は今でも確実に売れ続けている。

なるほど、スマートホンにしたって日本のメーカーは完全に出遅れている…ように見える。だがアップルの iPhoneでもサムソンでもブルーベリーでも、部品の大部分は日本製なのだ。

高度で緻密な加工技術の精確さと、細かなところで不可能を可能にしてしまうイノベーションの技術力の高さでは、日本の製造業は未だに世界のトップクラスであり、これは高い人件費を払っても十分にその価値があるものなのだ。

あるいはソフトウェア開発でも、作りが丁寧で不良品やバグ率が少ない日本製品は国際的に評価が高いという。ただしこの業界も十分な資金繰りを得られているとは言えず、労働環境も悪く、優秀な労働者が過労で鬱病で倒れる話がとても多いのも現実だ。日本の経済の未来を支えうる優良業種を、この国の政策や経済体制はみすみす潰しているのである。

単純労働者やオートメ化した生産ライン管理しか必要としない最終的な組み立て工程を担う大企業・元請けだけを見ている経済政策だから、実態として日本の力はまだまだあるのに、それを全体の経済に生かせていないだけなのだ。

そうした優秀な部品の生産加工やソフトウェア開発を担う中小企業に、銀行にだぶついた資金がうまく廻っていないから、というのがこのデフレ不況の実態ではないのか?

あるいは医療光学機器で世界的にトップのシェアを実は握っていたオリンパスが、アメリカ発の「告発」でよく考えればなにがなんだか分からないスキャンダルに巻き込まれたことも記憶に新しい。

通常の民生用品とは比べ物にならない精度が要求される医療機器にも、日本の技術や日本のノウハウ、日本の質の高い労働力や開発能力、日本製の質の高い部品は欠かせないのだ。なぜ政治もマスコミも、こうした有望な業種をきちんと評価できず、あぶく銭の名前だけのIT企業か昔ながらの製品やサービスをやっている大企業ばかりに注目するのだろう?

だから安倍政権が参院選での人気取りに向けた「大規模な経済対策ぶち上げ」は、おそらく我々の実際の生活としての実態経済の回復には、ほとんど寄与しないどころか、第二のバブルを招くことになりかねない。

安倍首相の「大幅な金融緩和」を「危険だし、必要がない」と判断した白川日銀総裁は、自民党のプリンスのご機嫌を損ねたためにたぶん更迭は免れ得ないだろう。

だが白川さんは確かにもう少し「金融の番人」としての積極的なプレゼンスは欲しい人ではあるかも知れないが、まったく間違っていない。

日本の経済は確かに、決して安泰とはいえない状態にある。これから高齢化はもっと進行するのだし、給与水準が下がったところで、安価な労働力で価格競争と言ったような輸出産業立国はもはや立ち行かない。この点では新興国に対抗のしようがないのだし、成熟した先進国になってしまっている以上、バブル以前のような急成長はもはやあり得るはずもない。

だが新興国を脅威と感じる、追い抜かれると思って警戒すること自体が馬鹿げている。中国も韓国もどの新興国にとっても、成熟した先進国である日本は重要なマーケットであり、ビジネス・パートナーなのだ。その成長を上手にお互いに利用しなければ、むしろ日本経済が悪くなるのが当然なのだ。

今必要なのは第二のバブルを起こすことでも、付け焼き刃の公共事業で資金を大手ゼネコンに投下することでもない。バブル崩壊時からそのまま放置して来てしまっている、成熟した先進国としての国と社会の新しいあり方のビジョンを提示し、そのために必要な合理化や改革を政治的なイニシアティブで決めることなのだ。

…といって、霞ヶ関ですらそのことが分かっていないし、その霞ヶ関の言いなりになるしかない、能力の欠如した安倍晋三の自民党政権に、その新しいビジョンの提示を期待するだけ無駄なのかも知れない。今やマスコミで話題のネタに人気取りで飛びついて「やります、やります」という以外に、この新政権が国民のためにやっていることはなにもないのだから。

<本稿の補足はこちら http://toshifujiwara.blogspot.jp/2013/01/blog-post_13.html

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