9/01/2014

映画が「自己表現」とは、どう言うことなのか


晩年のレンブラントは「画家は結局、自画像しか描けない」と言った。

その言葉を好んで引用するのはアニェス・ヴァルダだが、ここで注意すべきは「しか描けない」と言うこと、結果としてそうなるのであって、「自己表現」が目的ないし最終目標であるわけではない。

レンブラント・ファン・ジン、自画像 1660年
ロバート・アルトマンは大っぴらには、しばしば映画の「作家主義」自体にすら疑問を呈していた。

「結果としてすべてが私というフィルターを最後には通るから、私の映画がなんとなく『私』というフォルムを持っていることは認めるが、それは私にとってあまり重要なことではない」

レンブラント・ファン・ジン、自画像 1658年
前項で「僕も映画監督のはしくれですが、セルフは絶対に撮らない」と自己紹介すればよかった、と書いたが、これはこれでまったくの事実である(ことドキュメンタリーの場合、僕の映画はひたすら「他人様」を撮り、「他人様」の話を聞くものだし、映画を作りることはその話を聞きたい欲望の言い訳になってすらいる)と同時に、矛盾もしている。

『フェンス』や『無人地帯』では藤原がそこらじゅうに写っているではないか、と見ている人にはすぐ指摘されそうだ。土本典昭のアップで押し通した『映画は生きものの記録である』でさえ、それでも冒頭で撮影の準備中に指示を出している監督が写っている。


フィクション映画の『ぼくらはもう帰れない』では俳優として出演もしている(頭でっかちで賢くない映画評論家役)。 
一切出ていないのは(これはまだ誰も見ていない)完成間近の『ほんの少しだけでも愛を』だけだ。監督と撮影とキャメラ・オペレーターを兼ねているのでさすがに出演しようがない。

ドキュメンタリーではある意味、監督が写ってしまうのはやむを得ないのではないか? 物理的に避けられないし、無理に避けると不自然になりかねない。

多くの場合ドキュメンタリーは実は「現時点でキャメラの前で起こっていること」よりも「過去にあったこと」が語られる構成を持ち(「原発事故直後」の福島で撮った『無人地帯』ですら、津波と事故発生は話を聞いて撮影するひと月前だし、映画はどんどん「それまであった福島浜通りの生活」に向かう)、その話を聞く立場で、撮影は別人がやっていれば、その話し相手として監督本人は画面に入ってしまうし、それを排除する方が不自然ですらある。

たとえば小川の『辺田部落』でも、土本の水俣シリーズのほとんどでも監督が写るのは、「(他者の)話を聞くこと」「対話すること」が、演出の基本的なスタンスであることからの自然な派生だ。

小川紳介『三里塚・辺田部落』

実時間ではそんなに写っているわけでもないが、かなり長いインタビューをそのまま長めのショットで見せて、その一部でちらっと写ったりするから、出ずっぱりのような印象を持たれてもおかしくはない。

小川の『辺田部落』の冒頭の長廻しがそうだし、写っているのが実時間では5秒でも、印象としては、たとえば『無人地帯』ならいちばん長いシーンは10分まるまる長廻しで、そのあいだは監督本人がシーンの中にいることになる。

『無人地帯』ラッシュ 10分間長廻し

だが前項で触れたアヴィ・モグラビの映画で写っているアヴィが自作自演の登場人物としてのアヴィ・モグラビであって、その時のキャメラの=映画の視点が、背後に人のいない固定キャメラであるのとある意味同様に、『フェンス』でも、そして『無人地帯』ではより明確に、映画の視点、映画の構造から浮かび上がる思想は、キャメラの前にちらちらと映りながら話を聞いて相づちを打っている本人とは別人格として見られるべきだし、そのことは演出で狙ってさえいる。

『フェンス 第二部 断絶された地層』

映画に限った話でもあるまいが、作品とは作家の私的な表現であると同時に、完成され見られたり体験される時点で、作家とは独立した別の「人格」とも言うべきものを持つはずだ。

その作品のなかにきちっと存在する表現されたものを踏まえる限りにおいて、観客の解釈もまた、作品の創造の一部に実はなる。

ひとつの作品に、あらゆる観客が同じ解釈や同じ感想を持つことは本来あり得ないはずだ。 
ここがたとえば「観察映画」の大きな問題だ--「客観観察」を装うがゆえに同じ観察結果に観客が到達することが前提になっているし、その「みんなと一緒」の安心感がそうした映画を見る体験を支えているのだが、本当にそれが「映画を見る」体験だと言えるのだろうか?

実は恐ろしく不自由ななかに、作り手と観客が共謀/共依存で落ち込んで行っている気がする。

 フレデリック・ワイズマン『メイン州ベルファスト』 
そんな「観察映画」のネタ元であるフレデリック・ワイズマンの映画であれば、アメリカ人が見たときと外国人が見たときだけでも、より注目して見るところやその解釈は、まるで異なっていてもおかしくないのだが、その和製模倣は、むしろ逆を狙っているように思えてならない。

こと映画の場合は、共同作業が必須になる。デジタル化の進行でほとんど一人で映画を作ることだって可能のようでいて、それでもキャメラの後ろ側の撮り手/作り手に対し、映画に写るのはキャメラの前の他者であり、自分でキャメラの前に立ってしまえば、こんどはキャメラの方が明らかに作り手から独立した存在になる。

自分の場合はしかも、アヴィ・モグラビの映画とも、原一男の映画とも違い、ドキュメンタリーを撮る場合には僕は自分では撮影はしない。最初から映画のなかにあるものがすべて自分の表現であるわけでもない。

こと自分でもその気になればキャメラは廻せるからこそ、ドキュメンタリー映画を撮る時には最高クラス、ということはそれなりの強い個性も持った撮影監督でなければ…というわけで『フェンス』では大津幸四郎、『映画は生きものの~』と『無人地帯』及びその続編『…そして、春』は加藤孝信のキャメラで、このクラスの撮影監督ともなると、演出はほとんど口出しも出来ないし、現にやらない。

その結果、大津も加藤も意地悪なので、僕がいやがるのを承知で、絶対にカット出来ないところで、ちゃんとインタビュー中の監督をフレームに入れてしまうわけだ。
『フェンス 第二部 断絶された地層』澤元逗子市長と筆者

そういう作家本人に限定されない複数の視点、複数の中心が映画のなかにあることが、自分の作品ではいちばんうまく行っている『無人地帯』は、だからこそ特に今の日本では「安心して観ていられない」映画になるのかも知れない。

週刊金曜日に出た映画評。そんなもんなのかなあ…?
なにしろ最終的な完成作品は監督自身の表現であることは避けられないとしても、キャメラそれ自体の視点は撮影監督の担当だから微妙に、しかし意識的に演出家の視点からズレているし、なによりも観客が安心して信頼し同化できる「正しい」ないし「みんなと同じ」視点が、まったく映画のなかに存在しない。

だいたいそんな立場が、あの震災と原発事故を前にあり得るのだろうか?そのこと自体が最初から疑問だった。



ナレーションはあえて英語で女性だし、状況説明はするので最初は一見高所から達観しているようにも聴こえながら、外部の視点から映像を見ている立場の彼女(アルシネ・カーンジャン)も画面には写らないもう一人の登場人物であり、はじめは撮影の背景事情や補足情報を客観/第三者的に伝えているようでいて、次第に見えている映像から想起される彼女自身の思考を語り始める。



そして解答や結論めいたことはなにも言わず、最終的に到達するのは「日本とは本来こういう国だった」という彼女なりの発見だ。

それは一見、外国人が日本を発見するように見えながら、実は現代の日本人でもほとんど忘れていること、農耕民族だった日本人に独特の、アニミズム的な自然観のことである。 
「それがこの風景における神聖さなのだろう」「日本が侍の国であったことはない、常に農民の国だった」



観客が期待するであろう「福島原発事故」や「反原発」に関する「メッセージ」性は、最初から入れる気はなかった。



だいたい原発事故の被害地域と、避難させられたそこの住民を撮る映画である。わざわざ「原発事故はこんなにひどい」とか言葉にする必要もないだろうし、その見える破壊と見えない破壊の被害は、写ってされいれば、それ以上言う気にもならない。



というかもっとはっきり言えば、『八月 爆発の前に』におけるアヴィ・モグラビの一人三役がイスラエル社会のカリカチュアであるように、映画のなかに写っている作家自身だけでなく、映画それ自体にそこはかとなく現れる作家の有り様は、決して映画の「メッセージ」(なんてものがあるとすれば)の担い手ではないはずであり、たとえば監督がキャメラの前に立った瞬間に客体化されるはずだ。

映画という表現されたもの、作品の完成形の前では、その作り手自体が客体化され相対化される。



「なにかメッセージがあれば、電報会社に行け」という大プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンの言葉を好んで引用するのはフレデリック・ワイズマンであり、「メッセージを届けるのは郵便局の仕事だ」と言ったのはベルナルド・ベルトルッチだ。

電報の方が早いのがさすがアメリカのユダヤ人…なのだろうか?

もう大昔だが、ベルトルッチのインタビュー集『クライマックス・シーン』が翻訳出版されて読んでみて、驚いたことがある。「え、そういうつもりだったの?」と思ってしまう発言だらけなのだ。

ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』撮影ヴィットリオ・ストラーロ
正直、この人の場合は、監督本人よりも映画が「語って」いることの方が数倍魅力的だ。

また重要な相棒であった撮影監督ヴィットリオ・ストラーロも、映画撮影芸術のグルとしてあらゆる色彩に意味付けをして滔々と語る姿に圧倒されるが、よく考えると「そんな理屈は聞かない方がおもしろかった」と思ってしまいかねない。



映画はたとえば、政治的・社会的メッセージを担わせることには、あまり向いていないと思う。社会を直接変えたいのなら、映画なんて作っているよりは政治運動をやった方がいい。

フランシス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録』撮影ヴィットリオ・ストラーロ
フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』は元々はエンドクレジットがなかったが、拡大公開時に必要になった際、最初はアウトテイクだった(というか、撮影後にセットを壊す際、念のために撮っておいた)爆発シーンが背景に使われた。

そこでウィラード(マーティン・シーン)達が去ったあとカーツ(マーロン・ブランド)の本拠地が空爆で破壊されたという解釈が広まり、コッポラ監督は慌てて黒字に白い文字のクレジットに差し替えたと語っている。

コッポラとしては、カーツを暗殺したウィラードが刀を棄て、それを見守っていた山岳民族も武器を手放し、ウィラードがランスの手をとって歩き出すことで、平和への希望をラストに込めたつもりだったというのだ。

『地獄の黙示録』Redux版、マーロン・ブランドとイロコイ族の子どもたち
2001年に発表された1時間長い「Redux」版では、音響効果で山岳民族たちが武器を投げ棄てる音が強調され、コッポラの「メッセージ」がより明瞭になったとも言えるが、しかし両方のバージョンがDVDになってコッポラがつけた副音声解説では、彼は「平和」とは言わず「戦争の次の段階」という慎重な言い方をしている。


偶然にも9.11と相前後して発表された「Redux」版では、フランス植民者の農園のシーンが追加され、「ヴェトコンはアメリカが作った」という告発が、アルカイーダが元々CIAがムジャヒディン運動に出資したことから始まっていることとパラレルに聞こえ、戦争と平和の問題がより強調されたかのように受け取られがちだったし、プレスでのコッポラの発言も当初の公開時以上に平和主義的な面を強調しがちだった。


だが作品の全体像で見たとき、ふたつの『地獄の黙示録』の差異が意味するところはむしろ逆ではないかと思えて来る。


1979年に発表された『地獄の黙示録』が戦争の狂気についての映画だったのに対し、「Redux」版で追加されたシーンの多くは西洋文明と東洋、限界をさらけ出す文明とジャングルの対立であり、文明が去勢していた野性が、戦争によって暴力という歪んだ形で放出され、それが東南アジアの自然と人間性と対峙していく。


こと最後の、カーツの支配する土地では、設定上は彼に従っていることになっている山岳民族の存在感が、およそアメリカ人に従っているようには見えない方向性で強調されている。


とくにほとんどが裸の、子どもたちの肌の輝き、それにカーツが囲まれている姿は、前半に追加されたプレイメイトとの性的なシーンと呼応しつつ、まったく対照的に健康な官能性を発散しているし、「Redux」版が光化学写真技術でなく染料を使った印刷技術によるカラーのフィルムで公開されたことで、山岳民族の肌の輝きの鮮やかさと闇との対比の官能が、より際立っている。



「Redux」版は最後には、ヴェトナムについての映画ですらなくなる。実際の撮影地はフィリピンであり、「Redux」ではフィリピンの山岳民族イロコイ族の存在感が最後のパートで極端なまでに強調される。


いやだいたい、21世紀に見直せば、もはやアメリカ対ヴェトナムよりも、西洋と東洋、東洋と対峙した西洋の限界と暴露されるその『闇の心』として見られるべき映画だろう。

『地獄の黙示録』のような巨大で、雑多な要素を取り混ぜて、あえて混沌とした映画を「メッセージ」で読み解き「作家の言いたいこと」を探るべきなのかどうか自体に疑問はあるが、1979年版がヴェトナム戦争の狂気についての告発だったしたら、「Redux」版は文明の意味を問う旅となった。東南アジアの川をさかのぼるその航路は、現代の文明人が自分の内に押し込められた野性に向き合う、自らの「Heart of Darkness 闇の心」への旅路なのだ。

『地獄の黙示録』Redux版
その意味で、これは「自分探し」の映画だとは言えるし、『地獄の黙示録』の創造の過程自体がコッポラにとって自らの「Heart of Darkness 闇の心」への旅路であったことは映画史上よく知られている。

だがそれは「そうなってしまう」、作品を作ることの必然的な宿命であり、「自分を認めて欲しい」と思って自分の思い込みに過ぎない自己イメージを観客に共有して欲しいと願望することではない。

『地獄の黙示録』Redux版、マーロン・ブランド
『地獄の黙示録』は極端過ぎる例だとしても、映画作品における作家とは作家自身にとってすら謎めいたものであり、あたかも「作家の想い」や直接的な政治性を帯びた「作家のメッセージ」を想定した上で、ただそれを観客に共有して欲しいという欲望が映画的であるとは、僕にはあまり思えない。

エレノア・コッポラ『ハート・オブ・ダークネス、コッポラの黙示録』

むしろ『地獄の黙示録』で最終的に観客が向かい合うのは、「映画とは何か?」であり「我々は何者なのか?」だ。

それに観客にとってにしても、「作家の言いたいこと」に安心して共有する気分になるだけでは、発見も驚きもサスペンスもなく、映画を見る体験が退屈になるだけではないのか?

 だからこそ「サスペンス」を映画的に定義づけたヒッチコックが史上もっとも尊敬される映画作家の一人になるではないのか?
アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』

むしろある方向性に期待を持たせつつ、それを映画の展開とともに、俗にいえば「梯子を外される」状態になるようにすることが、映画の現代性ではないのか(やり過ぎると「分かりにくい」と言われるリスクはあるが)。

フィンセント・ファン・ゴッホ 『耳に包帯をした自画像』、1889年
…というか、こうして自己分析的なことを書いているだけでも自分が困惑し混乱してしまうのが正直なところだ。言葉で書いて伝わる「メッセージ」なり「私の思い」なら、わざわざ映画にする必要もあるまい。

文章にした方が早いし確実だと思うし、だいたい人間にとっていちばんよく分かっていない「他者」とは誰かと言えば、それは自分自身だろう。映画作家にとって「自分」なんてものは、自分が作った作品の中からそこはかとなく浮かび上がって来るものでしかない。

あらゆる映画がある意味、監督の「自己表現」になるとしたら、恐らくはその意味においてであろう。アルトマンの言ったように「結果としておぼろげながら私というフォルムを持つことになる」とは、実は相当に怖いことでもある。

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