1/13/2015

「テロ事件」後のフランスで起こっている危険なこと


1月7日にパリで襲撃された「シャルリー・エブド(週刊シャルリー)」は週刊の風刺マンガ紙で、日本の報道で「新聞社」と言われて思うのとはかなりイメージが違います。この襲撃事件についての日本の大手メディアの報道は、犠牲者を哀悼するという市民が「私はシャルリー」というプラカードを持って集まるのを賞賛し「テロと戦う」を喧伝する現地報道のほぼ受け売りですが、これにはさすがに、違和感を覚える人が多いのか、識者などを中心に疑問を呈する発言が少しずつ出ているようです。

実のところそんな違和感では済まないほど、現地はもっと加熱しているようで、イラク戦争開戦時にアメリカ相手に戦争反対で外交的大立ち回りを演じたドミニク・ド・ヴィルパン元外務大臣が「戦争の誘惑に負けてはならない」と警告する文章を、フランスでもっとも権威ある新聞「ル・モンド」に寄稿したほどです。

実際、人質4名が犠牲になった容疑者たちの立て篭りは、警察が容疑者たち全員を殺害することで終わり、パリでは軍が自動小銃を持って警戒に当るなど、今の政府や警察の対応は完全に「戦争モード」と言えるでしょうし、フランス社会の全体もそれに同調しているように見えます。

こうなると違和感どころか、危機感を持った方がいいかも知れません。

事態は2011年に米国で、同時多発テロを受けてイスラム教徒への偏見と敵意がうずまき、アフガニスタンとイラクを侵略する「テロとの戦争」へと突入し、アメリカの名誉すら失墜する大失敗になった状況とどんどん似通って来ています。皮肉なことにその当時、先進国のなかでそのアメリカにもっとも厳しい批判を向けていた国が、フランスなのですが。

お隣の英国の「ガーディアン」紙も、フランスが受けた被害には同情しつつも、「これはあくまで犯罪であって戦争ではない」と指摘し、すでに中近東からの移民が大勢住んでいるヨーロッパで安易な敵意が大きな社会不安を引き起こしかねないとの危惧を述べています。ドイツでは「週刊シャルリー」がムハンマドを風刺したマンガを転載したハンブルグの新聞が放火されましたが、現地の警察当局は慎重で、容疑者の身許の公表は避けています。しかし一方でフランスでは、「ガーディアン」紙が危惧するように、「国民追悼の日」に定められた11日の日曜日には、ヨーロッパ各国首脳がパリを訪れ、「テロとの戦争」での連携を確認し、市民を動員した追悼行進の先頭に立ちました。

この「哀悼」の行進には、フランス全土で370万人がこの行進に参加したという、これは同国の歴史でもフランス革命時よりも、第二次大戦でのドイツ占領からの解放された時よりも多く史上最大だそうです。犯人グループは一人が自首した以外は射殺、関連性があると言われる別の銃撃・警官射殺・立て篭り事件の方でも犯人は射殺されているのに、いったいなんのため、なんに抗議して、なにと戦うつもりでデモ行進をしているのか、よく考えてみれば奇妙なことです。

にも関わらずフランスは事件を犯人の死では終わらせず、すでに「イスラム国」「イスラムのテロ」と戦う気まんまんのようで、2001年9月11日の米同時多発テロ事件から「テロとの戦争」になった歴史を繰り返しかねない動きが起こっている…いや事態は、今度は舞台が、すでに中近東からの多くの移民が住んでいるヨーロッパ(たとえばフランスでは人口の8%がムスリムと言われています)だけに、より深刻になるのかも知れません。

しかし違和感を表明はする日本の一部識者でも、もはや戦争になりかねない危険な流れがあることまでは遠慮があるのか触れない一方で、そもそもの攻撃対象になった「シャルリー・エブド(週刊シャルリー)」が掲載した、いわゆるイスラム教風刺マンガについて「他宗教への配慮が足りない」程度の、浅くていささか見当違いな議論しか提示できず、これでは建前では「言論の自由」を守る戦いだと言っている、その言葉で簡単に反論されてしまって相手にされないでしょう。

おそらくはフランスの事情をよく知らないので、なぜその風刺マンガにパリで大量殺人に至るほどの反発があったのか分からない…という以前に、事件の構図そのものをあまり把握出来ていないのかも知れません。

それも無理はないでしょう。フランス政府はこれがあたかも「イスラム国」に代表されるような中近東起原のいわゆる「イスラム原理主義組織」がフランスの「言論の自由」を攻撃した事件のように報道させていて、犯人グループもまたフランス人だったこと、アルジェリア系移民の子どもでフランス国籍を持ち、フランスで育っていることを考えないようにしている、メディアもそれを追認しているのですから。

しかも日本の識者の皆さんの知識としてある「フランス」や、日本人が観光で行く範囲のフランスでは、アラブ系のフランス人も少なくない(人口の8%)ことすら、めったに目にもふれないことでしょう。

留学や仕事でパリなどに住むことになれば、さすがに郊外の集合住宅が移民スラムになっている、パリ市内にもイスラム教徒、アラブ系やトルコ系などの人が多い地区があることは気づくでしょうが、それ以上の関心はめったに持たないで終わる場合がほとんどです。

繰り返しになりますが、今回の事件の犯人グループは海外から来た「テロリスト」ではありません。フランスで生まれフランスで育ったアルジェリア系移民の二世三世です。

しかし第二次大戦後のフランス近現代史の最大の汚点だったのがアルジェリア戦争、独立運動にフランス政府が植民地在住の自国民保護の名目で大量の軍隊を動員し、独立運動を徹底弾圧し、ナチスばりの拷問までやったことであるのは、今でもフランス人は多くを語りませんし、その植民地支配の結果として多くのアルジェリア系のフランス人が今もフランス国内にいる経緯をちゃんと理解している日本人は、「フランス通」に見える人でもほとんどいません。

とはいえフランスに留学でもすれば、同じ留学生仲間でアラブ圏からの出身者に出会うことも少なくないはずではないか、とは思います。

たとえばプルーストの大作『失われた時を求めて』全訳の偉業で知られる鈴木道彦先生は、ちょうどアルジェリア戦争の真っ最中にフランスに留学されていて、パリに亡命していたアルジェリアの独立運動家の学生たちと出会い、支配する側の民族としての責任に気づき、日本に帰国してからは金嬉老事件の弁護団を支援する運動など、在日朝鮮韓国人への日本人の民族責任を自覚する活動をされて来てもいます。

現状、フランス社会のなかでは、最近は一部にエリート層に進出しつつある移民系の人たちが注目を浴びることも増えては来ていても、移民スラムで育った人間のことがその立場から語られることはほとんどなありません。

フランスの教育制度にうまく順応できた一部を除けば、差別され社会の最下層にある移民の若者たちの存在がフランス社会全体にインパクトを持ち得たことと言えば、もう10年以上前の映画であるマチュー・カソヴィッツ監督の『憎しみ』くらいしか、未だにほとんど見当たらないほどです。

マチュー・カソヴィッツ監督『憎しみ』

逆に言えば、この事件の犯人を産んだような階層の人たちがそれだけ差別され、無視されて来て、自分たちの努力だけではどうにもならない状況、自分たちのアイデンティティそのものが生きていく上で圧倒的に不利になってしまう現実に、もう何十年にも渡って不満と怒りを溜め込んで来ているのです。

はっきり言えば、この事件を「イスラム過激派の国際テロがフランスを攻撃した事件」と見ることには、相当に無理があります。

警察に殺害された犯人たちが「イスラム」や「預言者」を語ったとしても、それは彼らにとってはカッコつけに過ぎず、一方でフランス人にとっては異教徒の狂信者のせいにできるご都合主義でそうなっていることが、たまたま運悪く一致しただけでしょう。

要はフランス社会のなかで居場所を与えられて来なかった若者がいて、「平等」を旧支配者としてのフランスの権威を認める同化主義の強制にスリ替えてしまい、結局は根深い人種差別と植民地主義をまったく解消できていない現代フランスへの彼らの不満の暴発こそが、この事件が起きた真相ではないでしょうか? 僕自身たまたまフランスで東洋人として育ち、たまたまいい学校だったので自分では直接にはそれほど差別の暴力に遭うことが幸運にしてなかっただけに、率直にそう思います。

いわゆる「イスラム原理主義」は彼らの鬱屈と怒りをなんとなく正当化できるというか、不良少年が暴れているだけ、ストリート・ギャングよりは立派に見える程度の理屈を、提供しただけです。

事件後にアルカイダが声明を出していて、確かにそこからの資金の供与はあったのかも知れません。 
とはいえ「イエメンでの軍事訓練」についてはほとんど笑い話で、市街地でのこういうアクションなら、彼らは「イスラム原理主義」が国際メディアで騒がれるようになった以前はストリート・ギャングだったりした、もともと喧嘩であるとかはもちろん、銃の撃ち合いだって経験があってもおかしくない若者たちです。 
今さら砂漠のなかでの訓練なんて必要は、今回のような事件を起こすのならまずありません。

それにそのアルカイダの声明は、「ターゲットの選択は彼らに任せた」ともはっきり言っています。

つまり「フランスの言論の自由を攻撃」が「国際テロ組織」の目的というのはほぼフランス側の作り話で、フランスで育って差別にさんざん遭って来た若者が、フランスの多数派の側からすればイスラム教の権威主義を批判したつもりでも、彼らからすれば自分たちを馬鹿にすることを目的にしたようにしか見えない「風刺マンガ(と呼べるほどのものであるかも疑問です)」を何度も掲載した「週刊シャルリー」、つまり「俺たちをさんざんバカにして来た側の代表」を攻撃目標にした、と見た方がよほど現実に近いでしょう。

「異教徒への配慮」を主張するのは、彼らが真面目なイスラム教徒だったことを前提にした発想です。なかには「イスラム教は偶像崇拝禁止なのでムハンマドを絵にしたこと自体が問題」と言う人もいますが、これもうわべだけの知識だけででっち上げた作り話だと考えた方が妥当です。彼らがそこまでコーランの中身を知っているかどうかさえ疑わしい。

だいたいイスラム教というのは今でも、一日5回のお祈りであるとか食べ物に関するルールなどの生活宗教の意味合いが強いし、中近東に行けばモスクはご近所のお年寄りの集会場みたいなもの、生活習慣の一部に深く根ざしてはいても、ほとんどの場合はそう真剣に熱中する宗教ではありません。ムスリムが「アッラーは偉大なり(アッラー・アル・アクバル)」と言うのは日本語では「万歳」程度の意味合いだし、「神の御心のままに(インシャ・アッラー)」は挨拶の一方で「なるようにしかならない」、もっと言えば他人からの頼み事を断るときの常套句(「神様の意思ならば従うが、私自身はやる気がしない」の意味)に使われるような言葉です。

イスラム教徒の発想は、日本人が戦時中に「神風が吹く」と言い合っていたのとは基本むしろ逆です。


祈る=◎取るに足らないことが明々白々なたった一人の嘆願者のために、宇宙の全法則を廃棄してくれるように頼む。(アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』)


世界を創造した、世界が存在している論理そのものである絶対神というのは、そう簡単に個々の人間や一部のグループの思い通りにしてくれるはずがありません。そこもイスラムの教義にもちゃんと組み込まれていますが、それ以前に生きていく実感としてそう思う方が自然でしょう。

しかもヨーロッパに移民する人の多くは、そんなに信仰熱心でもなくイスラムの共同体意識にあまり拘泥しない人ほどヨーロッパに憧れて移民するわけで、しかしいざ移民してみるとそこで苦労することが多く仲間が必要なので、その集会場のような意味合いでモスクがあるというようなことが、むしろ実態に近い。まして今回の事件の犯人グループのような、こう言っては悪いですが元ないし現役の「不良少年」は、そんなモスクに熱心に通ってイマーム(導師)のお説教に従うような若者では、そもそもないでしょう。

ドイツのトルコ人移民、アモス・ギタイ監督
ドキュメンタリー映画『ヴッパールの谷で』より

しかし土日がお休みのキリスト教文化圏のフランスなので、アラブ系でもイスラムの休日の金曜日は働く人が多いことにすら気づかないのが、マジョリティ側のフランス人の大多数です。まして郊外の集合住宅にあるようなアラブ系などの移民の人たちの生活になんて、そもそも関心がない。そっちの側からフランス社会を見たらどれだけ差別的な国かだなんて、自分たちでは気づきたくもない、気づかされたくもないのでしょう。

そうやって自分たちを無視して来た側がいて、ここ数年フランスはひどい不況ですが、そこで真っ先に首を切られるのも自分たちであるのに、その差別して来ている側がムハンマドを揶揄する、というより単に馬鹿にした落書き同然のものを「風刺画」と称するのなら、しかもそんな低レベルな表現を無神経に出せばフランスの大衆を喜ばせ自分たちを傷つけられると思っている差別意識自体が、これは信仰心云々とほとんど無関係に、ただ「俺たちを馬鹿にするのもいい加減にしろ」と思うのが普通の感覚ではないでしょうか?

「笑い死にしなければ鞭打ち100回」と言う
ムハンマドの“風刺画”で、「週刊シャルリー」でなく

「週刊シャーリア(イスラム法)」これが本当に風刺?

これでは「異教徒への配慮が足りなかった」のではなく、フランス人のマジョリティの側が、無自覚だったかも知れないにせよ露骨に攻撃的に差別を剥き出しにして相手を馬鹿にしてしまったことになってしまいます。

逆に言えば移民している人たちの多くにとって「イスラム」とは元々はその程度のもの、今回の犯人グループのような生い立ちの青年なら、せいぜい家に帰れば母親や妻が「もっと真面目に生活して」という意味で持ち出すのが「アッラー」や「預言者ムハンマド」であるに過ぎません。 
海外の「原理主義組織」と接触があったらしい容疑者たちも含め、というか彼らほどそうでしょう。

本当の動機は、自分たちが無視され馬鹿にされ、まともな仕事もなく、なのに発言権すら奪われているし、国籍があるはずなのに存在すら認められないことの鬱屈であり欲求不満、それを怒りと暴力として吐き出すきっかけを与えたのが、2001年に始まるいわゆる「イスラム原理主義」の「テロ組織」の果たした役割に過ぎない、と昨今「ホーム・グロウン・テロ」と欧米のメディアが言って日本にも輸入されている用語を見ると、思わずにはいられません。

しかしそんな現実に元からフランスの、白人であるマジョリティ側は元々ほとんど関心がないし、今回の事件では警察が容疑者を殺害して口封じしてます。

だから今後はいくらでも「イスラム原理主義のテロだ」と言い張れる。

実は国中で、これがフランス社会の人種差別と不公平が産んだ暴力であることを忘れたい、自分たちが未だに差別する国の、差別をして来た側の一員であることから目を逸らすために、「テロとの戦争だ」と言っているに過ぎないのではないでしょうか?

問題になった風刺画が実は人種差別の表現に他ならない、しかしだからこそフランスで話題になり人気にもなったことを隠したいから「言論の自由が攻撃された」と言っているだけ、というのが現実に近い。

そんな現代のフランスを見て、そこで育って子どもの頃から差別があることは知っている、それでも学校はとてもいい学校だったので民主主義とか自由とかの理念を本当に教えてもらった人間としては、心底失望しています。

フランス人たちが「言論と表現の自由」を言うのなら、僕がフランスの小学校(この学校はほんとうにとてもいい学校でした、帰国して日本の学校がひどいのでショック)でちゃんと教わったその「自由」は、抑圧的な体制とその体制を支えるマジョリティに対して自分の意志をきちんと表現する権利のことだったはずです。

むろん殺人は犯罪ですし、暴力で他者の言論を封じることは許されないことですが、一方で僕はたまたま小学生のころから、直接の暴力ではなく陰湿な人種差別という真綿で首を絞めるような暴力で、その自由をまったく享受できないアルジェリア系であるとかジプシー(今では「ロマ」でしたっけ)の人たちも見ていました。自分だってそれなりに、学校外ではたまにはいやな目にも遭って来ましたが、その人たちに較べれば遥かに楽だ、とも子どもの頃から思って来てもいます。

なお一応言っておきますが、僕が行った学校は私立の、イエズス会の学校です。 
公立の学校は危ない、差別されるからやめた方がいい、というフランス人の家庭教師の先生の助言があったからです。

その先生と学校がよかったお陰で、僕はたとえば、訛りのないフランス語も幸い喋ることができますし、文化芸術が大きな興味の対象ですからフランスのそれも学んでいるおかげで、一見フランスに「同化」しているようにも見えるはずです(実際、フランス史でさえそんじょそこらのフランス人より詳しかったりします)。そうやってフランス社会を半分は内側から見られて来た一方で、「有色人種」の外国人として外からも見て来た、そして小学生ですでに世界人権宣言の中身などをちゃんと教わった身としては、フランス社会はこの高邁な思想をきちんと背負って存続していくことについに疲れてしまったようにも、この事件への良心と良識のタガが外れた反応を見ていて、率直に思えて来ます。

実際、2011年に映画『無人地帯』の編集でパリに長期滞在したとき既に気づかざるを得なかったのですが、この10年くらいでフランス社会はどんどん劣化しています。 
人々の態度は攻撃的になる一方で極端に俗物化し、映画産業などは極度にスノビズムなセレブ崇拝に支配される一方で、長文の映画批評などは掲載される場がどんどん減っているし、もはやほとんど読まれない。

先述の鈴木先生がパリに留学されていたころ、フランスが国をあげてやっているアルジェリア戦争に公然と反対して、その植民地主義と人種差別を批判したのは、ジャン=ポール・サルトルを筆頭に、当時のフランス最先端の知識人・思想家たちでした。フランス映画の新たな時代を切り開いたヌーヴェルヴァーグの面々も、この戦争を批判する映画を発表しています。それがフランスの「言論の自由」「表現の自由」であったはずです。

しかしそのような発言や表現に多くの人が耳を傾け納得するか従うような教養主義、文化主義は、この事件のずっと前からどんどん減退して来ています。政治的には、得票数でいえばもっともコンスタントに数字をあげている、確固たる支持層を持っているのは、極右で移民排斥を謳う国民戦線です。

今起こっている事態には、ある意味でものすごく皮肉な面があります。

「週刊シャルリー」は発行部数が平均3万前後、それが事件当日夜の追悼集会に集まっただけでも3万5000、11日の全国哀悼の日では総計370万、つまり「週刊シャルリー」の読者の単純計算で100倍もの人が、多くが「私はシャルリー」という標語を掲げて行進し、異論を述べたり警告を発しようとする人がいれば「死者への敬意」を言って黙らせる勢いで、服喪を理由に自粛を強要し、国家国民の連帯を叫んで、列国の首脳まで参加して「テロとの戦争」で盛り上がっている。

かつてのフランスだったらこの過剰で軽薄なセンチメンタリズムを煽動する不気味さの国家主義の勃興があれば、真っ先に痛烈な風刺で揶揄し批判し、怒り出す人がいるのも気に留めず完全にバカにしきった風刺マンガを発表するのが、他ならぬ「週刊シャルリー」だったはずです。

「週刊シャルリー」は言論の自由があるはずのフランスで発禁処分になったことすらあるわけですが、それはレジスタンスの英雄で戦後は大統領として権威も権力も振るったシャルル・ド・ゴールが亡くなり、国葬になったとき、それを徹底的にバカにしきったマンガを掲載したからでした。「異教徒の配慮が足りなかった」という日本人の識者の皆さんは、この事実をどう考えるのでしょうか。当時の同紙が「国民的英雄」のド・ゴールに配慮が足りなかったのがいけない、と言うのでしょうか?

しかし今や、そんなアナーキーな「週刊シャルリー」について「私はシャルリー」と名乗る匿名の群衆が、クソ真面目に(しかし自分たちの社会の問題には目をつむって)「戦争」に突っ走っている、これはもはや現実が風刺を越えるほどに不条理であるとしか言いようがありません。

これが「言論の自由」を守る「戦い」なのか、むしろ真逆にすら見えて来ます。

ですから日本人がこの状況に違和感を覚え、異を唱えるのは、むしろやるべきことです。

ただし自分の知らない文化圏やその権威を批判するのには、客観的な立場の冷静さの強みがある一方で、その批判する相手をよく知らなければ的外れにもなりかねません。

「週刊シャルリー」のイスラム批判に問題があったのもそこでしょう。的を射た批判、シャープでレベルの高い、怒るスレスレで笑うしかなくなるカリカチュアの醍醐味ではなく、ただ上っ面だけ、最初からバカにしている相手をバカにしただけのことをやっていれば、それは「言論」でも「表現」でもなくただの差別の悪口になってしまいます。

こんなときに「異教徒への配慮」だかを語って気づいたことを言うのを自粛するころを強要するのは、危険をみすみす看過することでしかない。相手が「傷つく」もなにも、放置していればその相手国はもっと自分たちで自分たち自身を傷つけることにもなりかねないのですから。

それに日本は、キリスト教の国でも、白人の国でもないし、植民地主義に染まって他国を侵略して失敗したことを、フランスがアルジェリアに対する過去を誤摩化しているのとは違って、敗戦でしっかり反省したはずです(そのはずです、どうも総理大臣をはじめそういうちゃんとした歴史の理解がない人も一部にはいます)。

しかも戦後、戦争をやらない平和国家であり続けながら奇跡の成長を遂げた日本は、アラブ諸国やイスラム圏からも尊敬され、また国際援助やインフラ整備や工場などの建設、輸出入などで深いつながりも持ち、白人でなくキリスト教国でもなく十字軍などにも縁がない、中近東で戦争をやったことがない、侵略者であったことがないぶんまだ信頼もされていますし、世界有数の経済大国、こと科学技術産業のレベルの高さでは、白人中心の欧米だって一目置かざるを得ない先進国でもあります。

今この危険な、第二の「テロとの戦争」に向かう流れを食い止めるのに最適任な国は、私たちの国なのです。

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