1/24/2010

不完全でなければ存在理由を持ち得なかった映画

承前、あるいは「壊れた映画」の可能性について〜

     --I N / O U T --

映画の根本とはある空間と時間を、フレームとショットの時間的長さで切り取る行為にある。そこに写し出されるのはそのフレームの枠内のことについて、そのショットの持続時間についてのことであると同時に、そのフレームの外側にあるもの、ショットの始まる前と終わった後の時間を、常に意識させるものでもある。その中にあるものと外にあるもの、見えるものと見えないものの緊張関係にこそ、映画の本質があるとも言えるはずだ。

小津安二郎『東京の女』

あるいは、映画が複数のショットによる構成のなかでストーリーを語り始めたとき、その映画作品とは物理的にいえば空間をフレームの枠組みで捉えたものの時間的断片の羅列に過ぎない。物語とは、その断片と断片の接合部のそのなかにこそ存在する、というよりもその狭間に観客が読み取るものに過ぎず、映画そのもののなかに実はストーリーはないのだとも、言ってしまえるだろう。

 『東京の女』(1933)

映画の物理的な存在の本質がそういうものだからこそ、映画史とは「表象不可能なもの」、映画に直接写せないものをどう撮るかに挑戦して来た歴史でもある。その意味で第二次大戦前の映画でもっとも先鋭的かつ映画的な映画を撮って来たのは、「ドアの向こうにすべてがある」と言わんばかりのエルント・ルビッチであり、『ミカエル』における謎めいた「大いなる愛」、『裁かるるジャンヌ』における「信仰」、『吸血鬼』における「恐怖」(怖いものを見せて観客を怖がらせるのではなく、恐怖という感情を分析する映画)と、映画が決して撮ることができない精神・内面・魂を撮ろうとし続けたカール・Th・ドライエルであり、小津安二郎なのかも知れない。

エルンスト・ルビッチ『極楽特急』

カール・Th・ドライエル『ミカエル』

そしてこと第二次大戦後の映画史は、その戦争で人間たちが犯した二つの「表象不可能な悲劇」に取り憑かれている。ひとつはもちろんホロコーストであり、「再現」を試みた映画はことごとく通俗で陳腐な偽善的な駄作になって来ており、もう一方の、より表象不可能性に満ちあふれた主題に、原爆がある。


アラン・レネ『二十四時間の情事

「君はヒロシマでなにも見ていない」「うそよ、私はすべてを見たわ。原爆資料館も、被爆者の入院している病院も」、アラン・レネの『二十四時間の情事』、本来の題名は『ヒロシマ、わが愛 Hiroshima, Mon Amour』はその表象不可能性にこそ取り組むことで描けないものとしての広島を、理解不能のヒロシマ(フランス人にとっての)/語り得ない広島(恐らくは被爆者であることを隠している日本人にとっての)の交歓と衝突のなかに浮かび上がらせるドラマだった。

レネはその前にホロコーストを扱った『夜と霧』を作っていて、ここでは記録フィルムのなかの光景とレネが撮影した時点での現在のアウシュヴィッツの風景のはざまに、見えざるホロコーストが浮かび上がる映画である。この映画における記録フィルムの使用は誤解されかねないスレスレのものであり、実際にしばしば誤解されているのだが、あの記録フィルム引用もまたホロコーストは写していない。写っているのはあくまで、連合軍が入ってそれが終わった直後の、「事後」の悲惨でしかなく、強制収容所をなんとか生き延びているか、そこで殺されてしまう人間たちではない。殺されたあとの冷たい骸だ。人間が人間を極限まで虐げるその姿は、フィルムに写せていない。そのなかでどう人々が生き、死んだのかも写せないまま、映画はかつてはそうした人間であった物体がモノのように扱われなければならなかったことだけを、見せる。

アラン・レネ夜と霧(英語字幕版)

『夜と霧』でホロコーストを表象しているのはジャン・ケイロルの手になるナレーションのテクストのみにおいてだが、この文章もおよそルポルタージュでもリアリズム文学でもなく、ひたすら詩的な韻文があえて選択されているし、聴いているだけで実は字幕翻訳なしでもじゅうぶん見てられるし、聴いていられる。そしてもしかしたら、本当にこの映画がホロコーストを描けないことで描き切った映画の傑作になっているのは、ハンス・アイスラーの音楽が最も大きな役割を果たしているのかも知れない。

映画とは「見るもの」であるはずなのに、レネがホロコーストを描き得たのはこれを「見えない映画」であるがための「聴く映画」にする決断があったからこそなのかも知れない。

とは言うものの、フランス人であるアラン・レネは、ナチス・ドイツのホロコーストと、アメリカが落とした原爆によるヒロシマ(と、ナガサキ)の、その双方において当事者ではないし、まして加害者の側ではない。

だからこそ「見せられないことについての映画」であるために、マルグリット・デュラスの脚本による映画『ヒロシマ我が愛』は、ヒロシマという男性に対してフランスのヌヴェールという女性が対置し、ヒロシマ(岡田英次)についての映画である以上にヌヴェールという女/ヌヴェールと呼ばれる女(エマニュエル・リヴァ)についての映画となっている。占領下のフランスでドイツ兵と恋に落ちたが故に、フランス解放時に恋人は殺され,自らは対独協力者として虐げられることになった彼女の、そのフランス人とドイツ人、アメリカと日本と言った国籍に基づく対立関係ではなく、女が女であったことがゆえに耐え忍ばなければならなかった語り得ない生存の苦難だけが、ヒロシマという男と辛うじて等価の位置におかれうるものだったのだろう。

そしてだからこそ、冒頭のオフの声(画面の外から聞こえて来る声)による会話の通り、「君はヒロシマでなにも見なかった」、映画もまた撮影当時の現代の広島は見せながらも「ヒロシマ」については、なにも見せないしそもそもなにか見せられるわけもない映画として、レネの長編処女作は存在している。

その原爆の被害者である「国」の日本ではどうか? 「見せられないもの」、表象不可能なものとしての原爆に取り憑かれていると同時に、レネが一本だけ日本で撮ってそのまま日本に置いて来てしまった映画『ヒロシマ、わが愛』を、引き継いでしまった映画作家、だからこそ映画では見せられないはずのものにこそ、映画の限界にこそ挑戦して来た映画作家に、吉田喜重がいる。

吉田の『さらば夏の光』はヨーロッパを旅する男女を見せるが故にそこでは決して見せられない街・長崎についての映画であり(元の企画がJALのヨーロッパ7都市就航記念のPR映画だった)、仏リヨン市歌劇場の委嘱でプッチーニの『蝶々夫人』を演出したときには「日本人がこのオペラを演出するには、このオペラに反し、覆す反マダム・バタフライにするしかあり得ないでしょう」と言い放ち、アメリカの海軍将校ピンカートンと長崎武士の娘(なのに芸者?)のお蝶さんの植民地主義ベタベタなラブストーリーを、長崎に落とされた/ピンカートンの国アメリカが落とした原爆についてのオペラに仕上げてしまった。




吉田喜重さらば夏の光

『鏡の女たち』は元は長崎が舞台のカズオ・イシグロの処女小説『女たちの遠い夏』の映画化企画であり、この原作からの映画化が暗礁に乗り上げた時点で吉田は舞台を広島に移すことを余儀なくされたのだが、そこであえてキッチュな記号としての原爆ドームとやはりキッチュな記号になってしまった太田川の流し灯籠を前にして、岡田茉莉子が原爆体験としては絶対にありえないことが原爆の被害の科学的実態を多少なりとも知っている者にはあからさまに「これは事実ではない」と分かってしまい「おかしい」とすぐに思ってしまう、アンリアルな原爆体験をあえて語らせる。



『女たちの遠い夏 The Pale View of the Hills』の直接の映画化だった段階の脚本では、岡田茉莉子のヒロインは原爆体験を一切語らない。それが語り得ないものであり、語ったとしても理解され得ない、伝わらないもの、被爆者どうしにしか本当は分からないことだから。イシグロの小説は現代に英国で暮らしている被爆体験を持つ女性が、1950年の長崎を回想する、そのフランシュバック構成になっている。吉田のその段階での映画的野心は、現代のヒロイン(長女が動機不明の自殺をして一年後、次女が妊娠して遺伝性の被爆を恐れて出産を躊躇している)と、回想のなかの20代の彼女を、岡田茉莉子が演じ、長崎のフラッシュバックのなかの共演者はあえて岡田と同年代の俳優が演じることになっていた。




吉田喜重『鏡の女たち』

「なぜならばこれは彼女の夢なのですから、夢の中では自分も当時の知り合いも一緒に歳をとっているのです」というのが吉田の考えだった。恐ろしく大胆に、うわべではリアルに見えるひとつの完結した世界観の創造を必要とする劇映画という制度を「壊す」企画であったのは、テーマが原爆だったからだろうと同時に、それこそが映画だからでもある。それが原爆という表象不可能な、描き得ない、見せられない映画を作る映画作家・吉田の決断だった。

『鏡の女たち』という形に変容(メタモルフォース)して完成した作品もまた、フィクションであることを曝け出すことでフィクションを「壊す」ために、意図的に「壊れた」映画だ。繰り返し映し出される割れた鏡、日傘、影絵のたわむれ、イシグロの小説の映画化の段階では人物描写のなかで重要な意味を与えられていた視覚的モチーフは、『鏡の女たち』のなかに形だけ、物理的にだけは引き継がれているが、それらの物語的な意味づけはまったく剥奪され、このフィクション映画のストーリー構成のなかでは宙ぶらりんになるように意図的に仕向けられている。





母、自殺した長女、出産するかどうかを悩む次女という三人の女と、次女が妊娠しているであろう胎児の女、回想のなかに現れるパンパンらしき女とその娘の、6人の存在すると同時に不在でもある女たちも、あえて不完全で確信犯的にリアリティを欠く設定で母(岡田茉莉子)、記憶喪失で彼女の娘であるらしい女(田中好子)、その娘つまり孫(一色紗英)の三人(と同時に、田中がもし岡田の娘では実はなかったとしたら、三人の広島にいる女と、やはり不在である女一人)というあえて中途半端な設定に置き換えられて、やはり宙ぶらりんである。

この不完全のまま完成されなかった、完成され得なかった『女たちの遠い夏』と、そのメタモルフォースとして意図的に不完全なフィクション映画として作られたようにしかしか見えず、物語に頼るのではなく映画としての映像と音のリズムによってのみ構成された映画『鏡の女たち』のことを考えていて、ふと吉田の二本の旧作について思いついたことがある。

ひとつは吉田が個人的にもっとも好きだという、伴侶であり共犯者である女優・岡田茉莉子との出会いになった映画『秋津温泉』のことだ。



吉田喜重『秋津温泉』

吉田にとって『女たちの遠い夏』『さばら夏の光』の変則的な続編でもあったのだが、その企画が長崎から広島にテーマが横滑りした時に、『鏡の女たち』は実は『秋津温泉』の変則的な続編になったのではなかったか?一見完璧なメロドラマに見えるこの名作を、吉田は「わたしは女と男の出会いと分かれの繰り返しの断片を見せているだけ、観客はそこに自分で物語を見いだして、泣いて下さるんですね」とよく言っているのだが、その通りの映画として見たとき、『秋津温泉』には主人公の男女の動機付けなどが一切ない。

なんとも圧巻な昭和20年8月15日のシーンで、岡田のヒロインと母は玉音放送が聴かれている寺の門前を通るのだが、「なに言ってるんだか分からないわね」とだけ言って通り過ぎる。そして長門裕之にそれが終戦の宣言であったことを知らされて大泣きに泣くとき、彼女がなぜ泣くのかはまったく説明もされないし暗示すらされていない。あたかも吉田が、「これはあの瞬間を共有した日本人どうしでしか、分からないことです」とあっさり言い切っているかのようだ。

吉田喜重『戒厳令』

もうひとつは『戒厳令』。ほとんどが屋内と夜間に進行するいびつな北一輝伝映画のなかで、北(三国連太郎)が中国人の養子と街を見下ろす高台を散歩しながら「正午になり、戒厳令が発令される」というモノローグを語るシークエンスである。このモノクロ映画の、異様なほどまばゆい光の白さに満ちる映像が見せる東京の街(実際のロケ地は京都だったが)では、白トビしていて街そのものはほとんど見えない−−意図的に見せられていない。この太陽の光というにはあまりに明る過ぎる風景のなかで、その光によって見せられなくされている街とはなんなのか? いやここで見せられているのは光そのものではないのか? ではその光そのものとはなんの光なのか? それは2・26事件のときの1936年冬の東京であるはずがない。この光は異常に暑い晴天の日だったと言う1945年の8月15日の「正午」であり、そしてそれ以上に…北のモノローグの「正午になり」を「8時15分」に置き換えたとき、吉田のフィルモグラフィに埋め込まれた1945年8月という痕跡のすべてが明らかになるような気がする。


『秋津温泉』のヒロインは、実は広島か長崎で原爆を体験した女性なのかも知れない。いずれにせよ映画は、秋津温泉に疎開したまま住みついている彼女が戦争中、元はどこにいたのか、なにも語っていない、あえて な に も 見 せ て い な い

こちらのWeb上スチル集もごらん下さい。
http://www.facebook.com/album.php?aid=139715&id=705892077&l=ae3aafd87a

1 件のコメント:

  1. 『鏡の女たち』は本1月30日(土)深夜1時から、NHK-BS2で放映されます。

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