10/22/2013

画家は絵を描く、ただそれだけである〜モーリス・ピアラ監督『ヴァン・ゴッホ』


ピエール=オーギュスト・ルノワール『浴女たち』

この秋にたまたま、印象派と呼ばれたフランスの絵画運動の末期を…というかその代表的な画家二人の最晩年を描くフランス映画が二本、日本で公開される。というか一本はもう公開してるんだっけ?

一本はピエール=オーギュスト・ルノワール、もう一本はフィンセント・ファン・ゴッホ。一本はまったく見る価値もないどうしようもない通俗、もう一本は「画家とはいったい何者なのか」に迫る、恐るべき、まさに途方もない傑作だ。

『ルノワール 陽だまりの裸婦』(公式サイト http://renoir-movie.net/)というこれまたセンスのない日本語題の映画は、なんでこんなもん誉める人がいるのかさっぱり分からない。「ルノワールの光を見事に再現した」なんていう評に至っては、ルノワールの絵を見たことがないんだろうね、この人は、と言いたくなる。

 

いやだって、ルノワールの晩年の光なんて、この映画のどこにも映っていないではないか。

キャメラマンは台湾の名手リー・ビンピンなのでつい期待していたが、侯孝賢の『憂鬱な楽園』や『珈琲時光』のときの卓越した自然光の柔らかな使い方がずっとルノワール的だったと気づく。

 侯孝賢監督『憂鬱な楽園』

ことさら南仏の光の描写に必要もないのに、やたら使われる午後遅めの光線は、ただの凡庸にしかなっていない。デジタル上映で画が固く見えるせいもあるのだろうが、およそ晩年のルノワールの、溶き油をたっぷり使って絵の具を薄くカンバスに広げることで得られる、奔放な淡色の積み重ねの調和と豊饒を思い起こさせることはなにもない、絵はがき写真の色で、空気感もなにも感じさせない。その南仏の空気感こそ、晩年のルノワールのおおらかな官能の調和と豊饒の源泉なのに。

太陽光の大気に対する入射角の問題なんだから、この午後遅めの光の色が欲しいなら、北に行った方がいいですよ。それこそベルイマンみたいに。

陶器の絵付け出身の、職人肌の画家は「ルーベンスは女の脂肪を描いた。私は肉を描く」と毒舌を奮ったと言われるが、この映画は美肌化粧品のCMのモデルのような女優の肌をツヤたっぷりに撮っているだけ、無駄に多用される午後遅くの黄金色の光は、ただその肌に反射しているだけだ。

…っていうかこの映画の関係者は、画家の息子ジャン・ルノワールが同じルノワール旧邸付近で撮った映画『草の上の昼食』も見とらんのかね? 
その映画で、息子は確かに父の撮ったように「脂肪でなく肉」を撮り、父やポール・セザンヌが自分の絵画にもっとも理想的だと選んだ南仏の光を撮っている。 

一見軽やかに、奔放に、しかし恐るべき直感的速度の緻密な計算で。
ちょうど父ピエール=オーギュストが、リウマチで手の自由が効かなかったというのに、大変な手早さでないと描きこなせない、溶き油をたっぷり使った特殊な技法を発展させたように。

お話の中心は、ルノワールの最後のモデルとなったデデ、後の女優カトリーヌ・エスランと、老いてリウマチで手足が不自由になった画家、そしてこの次男ジャンの「三角関係」なのだが、この映画の監督や脚本家たちは、画家の作品だけでなく、後にフランス映画史最大の映画作家となるジャン・ルノワールの作品も、ロクに見ていないのだろうか?

 ジャン・ルノワール監督、カトリーヌ・エスラン主演『女優ナナ』

時代は第一次大戦中、負傷したジャンが実家に戻って来る−−この20年後にこのジャン・ルノワールのもっとも有名な傑作となる『大いなる幻影』の、そのインスピレーションが産まれた時期でもあるのだが、そんな体験を若きジャンが既に背負っていたことも…この映画の関係者たちは『大いなる幻影』すら忘れているらしい。

…っていうか、戦争を体験したことすら感じさせない甘えた現代っ子の、ただの勘違いした不満たらたらなガキじゃん、これじゃ。

この戦争での負傷が元で終生びっこになり、晩年にはそれが映画作りに支障を来たし、文筆に転業したジャン・ルノワールは、自伝と、父ピエール=オーギュストの評伝を書いているが、映画評論家のなかにはジャンがそうした著書で決して書かなかった父との葛藤をこの映画が見せている、と感動する人がいる。

申し訳ないがいったいどこを読んでいたのか、と言いたくなる。

晩年になってなお、ジャン・ルノワールの文章には「天才の息子に産まれてしまった不幸」をめぐる葛藤が溢れ帰っている。ただルジャンがそこに恨み言を発散して憐れみを乞う下賎で愚かな男ではなかっただけ、むしろその葛藤も含めて自分という存在を受け入れているだけだ。その知性があるからこそジャン・ルノワールはジャン・ルノワールになった。

ジャン・ルノワール監督『河』

それでもジャンがはっきり書き、二冊の本の底流に流れているアイディアは、あまりに偉大な父の芸術を前に、若き自分がなにをやったら生きていけるのか、さっぱり掴めなかったことだ。

偉大なる表現はすべて既になされてしまった、自分になにが出来るのか分からない、それこそが現代映画の地平を切り拓いたジャン・ルノワールの、その現代性の原点にある。

実はあまりにジャンの映画が素晴らしい、楽しいので、多くの映画ファンさえ、なかなか気づかないことがある−−ジャンの映画が映画的なのは、それが本質的に反映画的であり、ある意味映画を「信用」はしてはいない、新しい創造の手段としての映画に最初から見切りをつけているからである。
彼はヌーヴェルヴァーグのずっと前に、偉大な芸術表現はすべてやり尽くされてしまったこと、映画それ自体はオリジナルな芸術表現たりえない、そのことこそが映画的なのだ、と気づいてしまっていた作家だった。

この映画の関係者がさっぱり分かっていないのは、そうした煩悶を自分の内なる葛藤として受け止めるのでなく、ただ普通に父との葛藤に転嫁してしまうようでは、ジャン・ルノワールはあのような天才にはならなかったし、ピエール=オーギュストはそう簡単に息子が反発出来る類いの父でもなかったことだ。

いやこの映画の関係者も、それが自分たちがなんの苦もなく共感できるルノワール父子像だからと思って喜んでしまう人も、天才というものが恵まれた才能の賜物を持ったただの人なのだと思い込んでいる…そう勘違いしている。

天才の才能とは、本人にとって決して天才ではない。

自分の天才を信じることまではもしかしたら出来るかも知れないが、実感することは本人には不可能なのだ。天才とは凡庸と通俗の虚栄を突破する、凡俗な目には常規を逸したように見えるかも知れない、妥協のかけらもなく、度を超した、冷酷ですらある自らとの戦いの末に、努力を突き詰めた結果産まれる奔放な自由以外の、なにものでもない。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『ジャンとガブリエル』

身体がだんだん不自由になるのに反比例するように、50年代末か60年頃から、ジャンはおしゃべりな人になった。

あまりにユーモラスでおおらかなその喋りっぷりに、多くの人は、批評家も含めて誤解したのだろうが、ジャン・ルノワールはその実、自分に対しても他人にも相当に厳しいし、恐ろしく頑固で、必然としてかなりの毒舌家でもあった。

たとえば『黄金の馬車』の音楽に用い、この映画の演出上の最大の協力者と呼ぶイタリア・ルネッサンスの作曲家ヴィヴァルディについて、ジャンはこう言っている。

「だいたい最良の協力者というのは、何世紀も前に死んだ人です。こちらの言うことに絶対に反論しないので、喧嘩になりませんから。なんでも言うことを聞いてくれます」

ちなみに『黄金の馬車』は最近、オリジナル・ネガからデジタル修復され、
半世紀以上失われていた本来の色彩が取り戻された。

晩年のジャンは、フランソワ・トリュフォーと共に自分の映画を見直して「この歳になって初めて、自分の映画がいかに父の影響から産まれたものかが自覚出来る」と漏らしたという。

そんなジャンが直接に父との葛藤を、たとえば直接の憎しみとか反発の形で書けるわけもない(隠すのではなく、単に意識が及ばない)以前に、この父子が通俗な親子の葛藤を生きているはずがない。

まずそんな下品で自分が見えていない人間が、あんな優れた人間洞察力にあふれた映画を遺すわけもなく、実際にサッシャ・ギトリが撮影している父子の姿は、とても仲が良い。

  サッシャ・ギトリ『祖国の人々』より

芸術家である父の偉大さを誰よりも認めていたのはこの息子であろうし、だからこそこの天才がいかにその愛する父が巨匠であったことのコンプレックスに苦しんだのかは、自伝と父の評伝を読めば一目瞭然だ。

この映画がえらく通俗な息子の反抗期にしてしまったジャンの苦悩は、そんなケチな承認欲求ではない。父親が天才であること、なんだかんだ言いながらその七光り(とくにお金の面)があったから映画監督になれた天才というのは、こんなに単純じゃない。

そしてサッシャ・ギトリが撮影した映像や、他ならぬ晩年の絵画作品それ自体に現れた、リューマチで手の自由も利かないのに、包帯で縛り付けた絵筆を喜々として奮う老画家の境地もまた、こんな通俗であるはずがない。

この映画は現代インテリの通俗が、芸術家とはその実職人の究極形、自分の仕事である自分の創作にこそ生きる存在であったことを理解できないことの、その無惨さの証明にしかなっていない。ここにあるものを「人間ルノワール父子」と錯覚してはいけない。小人、小物に変換されたルノワールでしかない。

もう一本の映画は、実は20年以上前の作品だ。

10年前に亡くなったモーリス・ピアラの『ヴァン・ゴッホ』、療養のためオーヴェール・シュール・オワーズに移り住んだゴッホが自殺するまでの最後の三ヶ月を描く。

個人的には、21年前の製作当時にアメリカ公開で見ている。 
それ以来見直す機会もなく(フランスでDVD化されているが、とてもではないがDVDでは再現され得ない、あまりに映画的な表現なので)、その時がいやまあ、これくらい客が入ってない映画館も珍しいという状態で、そしてほとんど一人で見て、これほど重い混乱と衝撃を受け、見直すわけでもないのにずっと強烈な印象が残っている映画も滅多にない。

予告編、配給はザジ・フィルム

ゴッホといえばヴィンセンテ・ミネリ監督の名作『炎の人』や、ピアラの少し前にはティム・ロスがフィンセントを、ポール・ライスがテオを演じたロバート・アルトマン監督の『ゴッホ 謎の生涯(原題は「フィンセントとテオ」)』がある。芸術家の内面の葛藤の探求を通して「精神の自由への闘い」を見せようとした、それはそれで美しい二作品は、しかしピアラの作品を前にしては、あまりにロマンチシズムに耽溺して見えてしまう。

とはいえ、そこはミネリでありアルトマン、決して上記のルノワールについての映画のような凡俗なロマンチックではない。

ヴィンセンテ・ミネリ監督『炎の人』より 
それでもロバート・アルトマン自身は自分のゴッホ伝を、「ちょっとロマンチックになり過ぎてしまった。仕方がないよ、私は芸術家を愛しているので」と認めていた−−自分を「芸術家」とは決して言わなかった巨匠が、である。

ジャック・デュトロン演ずるゴッホは、一見ただの人だ。

流れるようになめらかな、しかし力強い動きで青い絵の具をカンバスに塗る、その運動の秘めた激しさを追う素晴らしいファーストカットが、オーヴェールの駅に到着する列車の運動を追う力学的なキャメラワークへと連鎖する、その青いカンバスに VAN GOGH というタイトルがそっけなく、しかし堂々と現れる瞬間を見逃してしまえば、これが美術史上もっとも愛される画家のひとりの伝記であることすら、忘れてしまうかも知れない。

フィンセント・ファン・ゴッホ『オーヴェール・シュール・オワーズの村』

終の住処となる宿屋についたゴッホは、主人にまずはお近づきのワインを勧められ、そっけなく「酒は飲まない」とだけ言って女中に自室に案内させる。

精神病院を出たばかりで、医者に飲酒を禁じられていただけで、これが守られるわけではないことはゴッホの生涯に多少なりとも知識がある者なら知っているが、ピアラはこの禁酒がいつ破られるのかをサスペンスフルな仕掛けにするわけでもない。

フィンセント・ファン・ゴッホ『オーヴェールを臨む葡萄畑』

そう、ピアラの演出には内なる狂気との葛藤に苦しみながら、その内面と目の前の世界の化学反応を理想化した、元牧師志望の宗教的求道者の画家の分かり易い姿はまるでない。

フィンセント・ファン・ゴッホ『庭のガシェ嬢』

ゴッホが同時代の画家でセザンヌだけは圧倒的に評価していたことが知られているが、主治医ガシェ(有名な絵画コレクターで後期印象派の支援者でもあった)の家に飾られたセザンヌを見ても、「悪くない」程度しか言わず、ガシェをがっかりさせる。

えっと一応、中期セザンヌの最高傑作、フランスの国宝の一枚、「首吊りの家」です。いいのか、これ? いや「悪くない」のか…
同じオーヴェールで描かれたポール・セザンヌの『首吊りの家』

もっとはっきり言えば、ピアラの描くゴッホは、「とりつくシマもないイヤな奴」にすら見える。

ミネリの映画でカーク・ダグラスが演じた情熱の人でもなく、イライラして無愛想である以外にはことさら感情も見せず、そんなゴッホを見せる映画もまた一見、淡々としている。

「情熱と狂気の画家」を期待するとなにごとかと思うその淡々っぷりは、しかしガシェに頼まれて、その娘がピアノを弾く姿の絵を描くシーンで覆される。

フィンセント・ファン・ゴッホ『ピアノを弾くガシェ嬢』

…というか、これがまた最高に一見淡々とした場面で、ゴッホがまさに「イヤな奴」なのだが、ひたすら描く絵にだけ集中し、イライラしながら、

「そんな弾き方ではダメだ。君はピアノを弾くのが楽しくて弾いているのか?」

…とモデルを平然となじる。

相手は一応、世話になっていて、患者だけでなく友人として迎え入れてくれた主治医の娘である。

「じゃあどう弾けばいいのよ?」
「そんなこと僕が知るわけがない。いいからちゃんと弾け」

かと言ってゴッホがピアノを弾く彼女の内面に興味があるようにも見えない。気にしているのはあくまで彼女の腕の線、背中の線である。

いやこれは凄い。この瞬間にこそまさに、ピアラは絵を描くことの本質を豪速球で見せてしまっている。

「内面」なぞカンバスの表面にも、フィルムの乳剤の光化学反応にも、移し替えることが出来るはずがない。画家が描き、映画作家が撮るのはひたすら形、フォルムである。そのフォルムが内面を伴った真実、画家や映画作家が選びとり納得するだけの「美」がそこになければ、芸術家は仕事にならない。


完成された絵は、見る者の人生を豊かにする。だがだからって、絵を描くこと自体が博愛的であろうはずもない。

作品とは究極にわがままな存在だ。「自己表現」なんてただの勘違いの幻想であり、芸術家の人生も含め、すべてが作品のためにこそ奉仕しなければならない。創作の本質とは、そういうものだ。

モーリス・ピアラは映画作家であり、画家でもあった。このありのままのゴッホの姿は、ピアラの映画作家として、画家としての自画像でもあろう。

フィンセント・ファン・ゴッホ『オーヴェールのレ・ヴェセノ集落』

ピアラが見せるゴッホの最後の三ヶ月に、ロマンチシズムのかけらもない。ただ「絵を描く人間」がポンとキャメラの前に放り出されているかのようだ。

ゴッホの「狂気」がどんなものなのかも、ピアラは分かり易く説明しようとしない。それは一目見てわかる並外れた情熱や感情でもないし、主治医であるガシェですら本当に精神病なのか分からん、ただの不摂生だとまで言い出すほど、ただ単にとりつくシマもなく黙々と、かなりイライラも見せながら、ひたすら絵を描く無愛想な男である。

こうも心を閉ざされ、なにも把握する糸口すら掴めなければ、精神科医は仕事になるまい。 
そりゃ「こんなやつは病気じゃない」と、つい言いたくもなるでしょうよ…。

フィンセント・ファン・ゴッホ『オーヴェールの市役所、7月14日』

ゴッホほど生前はほとんど絵が売れることもなく、死後その天才が大逆転のように賞讃された画家も少ない。

だが画商であった弟テオとの往復書簡などの史料や遺された作品を、ロマンチシズムを排して丹念に検証すると、それは決してゴッホが時代の先を行き過ぎた孤高の画家だったからでも、誰も彼の絵画を理解しなかったからでも、ゴッホがそれだけ素っ頓狂な「狂気の天才」だったからでもない。

敬愛したジャン=フランソワ・ミレーの主題に基づく『種まく人』

独学で、美術学校などに一切関わりがなかったことで誤解されがちだが、ゴッホは古典から同時代に至る絵画の技法だけでなく、その理論を極めて論理的・知的かつ実地的にマスターしていて、恐らく議論すれば誰にも負けなかったことだろう。

ただこの映画でジャック・デュトロンが演じているような、ひたすらイライラした、そっけない感じで絵画論をぶつけられ、論難されてしまえば、相手は立場がまったくなかったに違いない。

そりゃ嫌われるわ、これ…。

安藤広重『名所江戸百景・亀戸の桜』に基づく模写

そしてフィンセント・ファン・ゴッホの絵画は、あまりの創作のスピードにこれまた誤解されがちだが、決して情熱と勢いだけで描かれた、ただの本能の絵画ではない。

むしろ丹念な先行作家や同時代作家の研究にも基づき、時には模倣を繰り返し、フォルムと色彩の実験と考察を重ねながら、美的なだけでなく知的にも積み上げられた、緻密な努力の結晶でもある。


ガシェ医師の肖像・第一版
ガシェ医師の肖像・第二版
モーリス・ピアラの映画はこの両版の両方を見せる

そうした史料・史実と実際の作品から考えると、ゴッホが生前ほとんど売れない画家だったのは、有名な耳切り事件(ピアラの映画はそこは描かない。それはこの映画のだいぶ前の話だ)などから想起される、情熱的すぎる狂気の画家に時代が追いつかなかったから、ではない。

アルトマンが自分の映画の冒頭で見せた、資本主義的なマーケットに浸透する前に死んでしまった、ということならまだあり得る。

ロバート・アルトマン監督『フィンセントとテオ』 
なにしろ宣伝をやる気がないのでは、印象派以降の時代、つまり産業革命が起り資本主義化が一気に進行した世界ではなかなか…ではあるし、ゴッホの自殺に至った狂気の孤高イメージのロマンチシズムこそ、その意味では最高のマーケティングになった。

フィンセント・ファン・ゴッホ『夜の白い家』
白い家は、ガシェ医師の邸宅だった
ピアラの映画の実際の挿話にはフィクションも相当に含まれる(現存しない絵を描くシーンもあり、一方でオーヴェール時代の有名作は、「ガシェ医師の肖像」以外はわざとほとんど登場させない)が、その精神はおそらく事実に相当に近い−−この映画のフィンセントは単に、えらくそっけなく無愛想で人付き合いが下手な男であり、それでも彼に(作品も含め)魅了はされる周囲の人間は、距離を置くことか、戸惑うことしか出来ない。

いちばんショッキング(でもあくまでそっけなく、冷徹に見せられる)なのは、通常は深い愛情で兄と結ばれていたと解釈される弟テオの、妻への告白である。

「ルノワールがファン・ゴッホのような絵を描き始めたら、幾らでも売ってみせる。兄がルノワールのような絵を描けば売れっ子になるだろうが、私には売れない、売りたくない」

ゴッホの絵は当時でも決して売れないはずの絵ではなかった(これは今の研究者や愛好家の目から見れば確かに、その通りなのだ)。最先端ではあるが、決して理解されない絵ではない。

フィンセント・ファン・ゴッホ『オーヴェールの平原』

理解されなかったのはフィンセントという人間の方であり、最愛の弟だったはずのテオが理解せず、嫉妬すらしていた、というのがピアラの解釈だ。テオがフィンセントを支援し続けたのは、実は嫉妬し憎しみすらあった兄への、優越感を保つためですらあった。

そうして理解されることもなく、また人間としての自分個人を理解されたいとも思わなかったかのように見える画家は、ただ絵を描き続ける。モーリス・ピアラはただその、カンバスの上以外では心を閉ざし続ける画家を、見せ続ける。

芸術家の孤高というのはこういうものだ、とピアラは言っているかのようだ。そしてその存在そのものを見せることこそが、純粋な映画なのだと。



途方もない映画である。20年前に見た時は、ひたすら一見淡々としてそっけないように見えるこの映画の、凄まじいまでの重みに、恐怖すら感じた。あれから少しは自分も大人になったのだろうか、ゴッホの絵が少しは見えて来たのか、これが絵描きというもの、芸術と言う行為なのだと、受け止める気になる。

絵描きの仕事とは、ただ絵を描くことである。そのことにのみ、画家として、芸術を営みとする人間の姿がある。後はただの虚栄だ The rest is vanity。

ゴッホの遺作と言われる『カラスの飛ぶ麦畑』

その虚栄がなければ、画家の仕事は社会的に成立しないのかも知れない。だが、その虚栄をフィンセント・ファン・ゴッホは拒絶した。あるいは、受け入れ演ずることが出来なかった。

なぜなら彼は、ひたすら絵を描く人だったのだから。



モーリス・ピアラ監督特集・公式サイト
http://www.zaziefilms.com/pialat/

『印象派を超えて〜ゴッホ、スーラからモンドリアンまで』展
国立新美術館
http://km2013.jp/

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