そもそも安倍晋三政権が「集団的自衛権」の議論だと言って来た「解釈改憲(なんて法治国家ではあり得ない倒錯だが)」は、フタを開けてみれば集団的自衛権の話ではなかった。
今はもうこのことを、はっきりさせた方がいい。
自衛権行使の新三要件が閣議決定される前から、憲法学者や安全保障の専門家から「それは集団的自衛権ではなく個別自衛権の対象だろう」と、安倍が挙げる実例などが再三批判、というよりバッサリと否定されて来た。にも関わらず安倍がまったく方針も態度も変えないまま「それは集団的自衛権の話ではないはず」の路線に沿った内容が発表されたというのに、報道によれば国会での審議では未だに「集団的自衛権を認めるかどうか」で争っているらしい。
論理性というものが理解できない、筋道を立てた議論が出来ない人たちなんだろうか? それとも報道が議論を歪めて報じているのか?
もちろん安倍政権と与党の問題がいちばん大きいのは言うまでもないし、安倍の答弁が答弁になっていないという、毎度おなじみの問題も出て来ている。
先ほどまで参議院予算委員会で質問に立ち、いま休憩に入りました。
午前中の質問時間は13分間でしたが、1問しかできませんでした。なぜなら、質問していないことを総理が長々と答弁をされたからです。残念です。
午後1時からも頑張ります。
— 福山哲郎 (@fuku_tetsu) July 15, 2014
だが野党も野党で、新三要件の内容を「曖昧だ」程度にしか批判出来ていないまま、今でも集団的自衛権の是非ばかり論じているのだとしたら、あまりに頼りない。
もはや「いつかどこかの国が戦争を始めるかも知れず、もしかしたら日本も巻き込まれて自衛官が死ぬかも知れないから反対」なんて悠長な話ではない。
共産党などは「自衛官の命が危ない」「自衛官の家族も国会中継をテレビで見ている」と感情を煽るような質問ばかりしている。こうなるとこっちの方もかなりうんざりで、「あなたたちは本当に政治家なのか」と言いたくなって来る。
もはやそんなことを言っている場合ではない。「日本が自らの判断で、明日にでも自分から戦争を始めてもおかしくない」、これが今ここに迫っている危機なのだ。それが実際の新三要件の文言と、付随する安倍の会見から導き出される結論のはずだ。
このブログでは何度も指摘して来たが、改めて自衛権行使の新三要件のその①の文面を見てほしい。
①我が国に限らず、密接な関係の他国が攻撃された場合でも、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある
「我が国の存立が脅かされ」「国民の生命 〈中略〉 権利が根底から覆される」場合に限られるなら、これは集団的な自衛権の話ではなく個別的自衛権の適用対象で済んでしまう。安倍も記者会見で「イラク戦争のような事態に日本が参加することは今後もない」と明言しているのだし、今さら「日本がアメリカの戦争に巻き込まれる!」は議論の本題にならない。
ただしそれだけだったなら、そもそも「集団的自衛権のために」新要件を決める必要もなかったはずだ。安倍が言い続けて来たこと自体が、集団的自衛権の話ではまったくなかったのだし。
実際にはこの新要件の要点は「明白な危険がある」だけで自衛権の行使を認めていることであり、それをただ「曖昧だ」という曖昧な批判で済ますのはあまりに考えが甘過ぎる。
これはちっとも「曖昧」ではない。軍事と安全保障の常識では極めて明確に、予防的先制攻撃の容認だ。
過去にも北朝鮮のミサイル…ではない「ミサイルと思われる飛翔体(いやロケットでした)」問題を巡り、北の基地でミサイル発射準備が行われていると察知した場合、先制攻撃が可能かどうかは議論になっている。
まだこっちの方がリアリティがあり、議論の必要な話であり、「曖昧だ」批判だけではあまりに後退している。
予防的先制攻撃(「明白な危険」への対処で武力行使)の要件が、「密接な関係の他国が攻撃された場合」にのみ限定されるのなら、まだこれは集団的自衛権の話だと言えた(ただしまずあり得ない状況であって、珍妙な机上の空論の時間の浪費ではある)。
だが新要件の文言は、そうはなっていない。自衛権行使の先制攻撃が「他国が攻撃された場合」に限定されるのなら、【に限って】とでも明記されていなければ日本語としておかしい。ところが実際の文章は【でも】であり、これでは自衛権行使としての先制攻撃が発動される条件のひとつが付随的に例として上げられているだけだ。
「霞ヶ関文学」のなかでもここまで見事な欺瞞は見たことがない、最高傑作レベルで、書いた官僚の能力の高さが伺われる−−無論、悪い意味で。
「曖昧だ」という批判はむしろその前の「密接な関係の他国」に向けられるべきだ。
これは標準的な「霞ヶ関文学」、こっそり「等」をつけて定義を曖昧にする常套手段のバリエーションに過ぎない。このあからさまな「霞ヶ関文学」に気をとられてその直後のあっぱれ過ぎる欺瞞に目が行かないように出来ているのだから、本当に見事なものだ。
決して「同盟国」に限定されておらず、そして今の我が国は世界中の大なり小なりほとんどの国と「密接な関係」にある。
具体的には、世界中のほとんどの国と日本の産業は仕事をしているわけで、多くの国にはそのビジネスのために日本人が滞在したり居住したりしている上に、今回の議論で安倍が最初から実例で強調しているのが自国民保護、「日本人の命を守る」である。
アメリカの艦船で日本人母子が移送され、その艦船が他国の攻撃を受けたら自衛隊も守るべき、という安倍が繰り返す設定はナンセンスでしかないが。
安倍が「日本人の命が」と絶叫し、共産党が「自衛官の命が、家族が」と絶叫する。これではあまりに軽薄な感情論の応酬の、低レベルでナンセンスな水掛け論だ。
だいたいこの人たちは国際法の基本の基本である、国家の主権とその所在、その及ぶ範囲をまったく理解していないらしい。安倍は就任間もない外遊中にアルジェリアで人質事件が起きたとき、日本人保護のために海外に自衛官を派遣できる制度と、とまで言い出して、さすがにそのまま立ち消えになっている。アルジェリアの反政府武装勢力が日本人を拉致したからといって日本の自衛隊が「日本人を守る」と称して武力を行使すれば、それはアルジェリアの主権の侵害であり侵略行為とみなされ、完全な国際法違反だ。
紛争地帯からの自国民の脱出に関しても、出来る限り民間機や民間の船を用いるのがルールだし、米軍は他国民の移送は基本的にやらないと明言している。
仮に軍用機や軍艦を用いても、その領域の主権を持つ国家の了承のない限り、最低限の自衛以外の発砲すら許されない。ある国の治安を守る権限を持つのはあくまでその国であり、自衛隊が正義の味方のフリなんて出来ないのだ。
まったく、東大出のエリートがずらずら並ぶ霞ヶ関も、同じように東大出のエリートが大きな顔をしている共産党も、どちらもなんとお勉強が出来ないのだろう?
なぜこうも教養の欠いた薄っぺらで本質からズレた感情論に終始して、全体像を冷静に議論出来ないのだ?
これは安全保障論議であり、外交の問題ではないのか?
なのに自国民のことばかり「命が」「命が」と言い合っていること自体、客観的にはあまりに皮相で、国内に引きこもった感情論にしか見えない。
アメリカがブッシュ・ジュニアのようなおかしな政権になり、イラク戦争のようなおかしな戦争を始めた時を想定して「日本の自衛官がそんなことで死なされてたまるか」と反対するのは一応は正当だが、しかし些末な、本題からずれた問題でしかない。
通常の同盟関係に基づく集団的自衛権の行使でも、個々の戦争でそれが米国なら米国の正当な自衛の範疇と判断出来ないのなら、参加を断ることは出来るのだから、常に我々国民とその政府の「良識」「良心」が歯止めになり得るのが、まともな民主主義国家だ。
その判断を予め必要ないようにしておかなければ危険だという発想は、いささか情けない。
しかも新要件には「我が国の存立が脅かされ」「国民の…権利が根底から覆される」と明記されているわけで、「アメリカの戦争に巻き込まれて自衛官が死ぬから反対」では、議論がもはやかみ合っていない。
今回出た自衛権の行使の新要件では、日本が「他国の戦争に巻き込まれる」可能性は極めて低い。
「我が国の存立が脅かされ」た場合のみと明記されているのだ。逆にだったらなぜ「集団的自衛権」なんて言い出したのか、個別的自衛権で対応することであり、新しい要件を決める必要自体がないはずではないか?
だがそれに対し、「明白な危険」だけで自衛権を発動出来るというのは、これまでの自衛権の概念とはまったく違う。実はこれを変えたいから新三要件を決めたのだ、これこそが本当の論点なのではないか、とそろそろ気づくべきではないのか?
「明白な危険」があれば自衛権に基づき武力行使出来るというのは「曖昧」だから問題なのではない。明確に予防的先制攻撃を容認している、つまり「明白な危険」と認めた場合に先に戦争を始めるのは日本なのだ。
なぜ野党は、日本から戦争を始められるようにすることには絶対に反対する、と明言しないのだろうか?
なぜ「明白な危険」で自衛権を発動するとは、すなわち予防的先制攻撃の話だと気づかないのか?気づいていたとしたらなぜ言わないのか?
予防的先制攻撃が自衛として発動される条件として「密接な関係の他国が攻撃された場合」が必要と解釈した場合のみ、これは集団的自衛権の話になるが(但し「でも」とある以上はそれに限定はされない)、そこでも「同盟国」ではなく「密接な関係の他国」としか書かれていない。つまり「アメリカの戦争」とは限らない。
しかも「他国が攻撃された場合」の例として、安倍の会見では日本に迫る安全保障上の危機として、尖閣諸島の前にまず南沙諸島問題について「連日、ニュースで報じられている」とまで言っているのである。
安倍はその状況が現にある、「この瞬間も力を背景とした一方的行為が」と既に言ってしまった。中国が南沙諸島に関して領有権を争うフィリピンとベトナムに強硬な態度をとるならば、尖閣諸島の防衛を理由に、日本は中国に先制攻撃を仕掛ける、と事実上名指ししてしまっているのだ。
いや南沙諸島とは言っていない、南シナ海だ。尖閣諸島と明言はせず東シナ海としか言っていない、と安倍の周辺はへ理屈を述べるのだろうし、それがこの政権のあまりにも幼稚なところであるのだが。
安倍はこれを「抑止力だ」だとすら会見で明言してしまっているが、つまりは先制攻撃をちらつかせて中国を恫喝していることに他ならない。
中国にしてみれば多分に誇張され虚偽すら含む言い方で自国を危険国家呼ばわりされただけでも外交的侮辱であり、戦争をちらつかせて脅迫されたのでは、立派に宣戦を布告する理由にもなり得る。幸いにして無視して大人の対応を決め込んでいる習近平政権に、我々は感謝しなければならない。
また安倍は国会審議で、在日米軍の出動に関して「米海兵隊は日本から出て行くわけで、当然、事前協議の対象になる。日本が了解しなければ、韓国に救援に駆け付けることはできない」とも言ってしまった(日本の報道より朝鮮日報の方が客観的で正確だというのも困る)。
確かに在日米軍の出動が日本の国益や国際社会の正義に反するようでは困り、事前通知などの歯止めがあるとは言っても、こういう形でわざわざ日本の首相が公言するというのは、韓国が危機的な状況になっても、日本の一存で在日米軍の出動を食い止めることが出来る、という意味にしかならない。
韓国側からみれば「韓半島有事に重要な役割を果たす在日米軍を使って韓国を『脅迫』しようとしているのではないかと疑いたくなる」と言いたくもなるし、米国にしてみれば自国の軍事行動の邪魔をする可能性を日本が公言したことになる。
…というかぶっちゃけ、安倍にしてみれば「韓国ちゃんよりもボクたちをまず依怙贔屓してくれなきゃスネちゃうぞ」という話でしかないわけだが。
だがその動機の幼稚さとは裏腹に、やり口は狡猾だ。韓国政府が大っぴらに反発すれば、それはアメリカなしには自国の安全を守れないのだと公言することになる。普通の国なら名誉にかけて、それは言えない。現に韓国政府は公式にはなにも言っていない。
「日本人の命が」もむろん大事な話だろう。
だが今はるかに危急の大問題なのは日本が平和を乱す、日本が他国を脅迫したり侮辱して挑発する外交を繰り返している、日本から戦争を始める事態すら、いつ起こってもおかしくないことなのだ。
ところが与党は「日本人の命を守る」といい、共産党は「自衛官の命が」というだけの、自国内に引きこもった、はっきり言えば異様に自己中心的な応酬には、日本が自ら国際的な孤立の道を歩んでいる危機感がまったくない。
日本が周辺諸国から危険視されてもしょうがない、きわめてあぶなっかしい外交をやっていて、それが明らかに日本の国際的な立場を危うくし国益を損ねることを、なぜきちんと議論出来ないのだ?
これでも「政治」と言えるのだろうか?
折しも国連人権委員会で日本の人権問題が審議されたことを、日本の新聞が「ヘイトスピーチがとり上げられた」と見出しにしたら、ヒット数があがってGoogleニュース検索でも真っ先に出て来る様になっている。そうした日本の報道ではたいがい、なにがいちばん問題にされたのかの言及が避けられている。
実際に人権委員会がもっとも問題にしたのは、慰安婦問題を強制された性奴隷だと認めない日本政府の対応であり、日本代表が反論になってない反論をしたら(「我が国は慰安婦が性奴隷だったとは認めていない」としか言ってない。強制だったことを認めているはずなのに)、傍聴に詰めかけたおかしな日本人集団が拍手喝采までしたらしい。
「やーい在特会が国連にも叱られたぞー」と勘違いして喜んでいる場合ではない。
日本国内で見ればネット上のかなりおかしい一部集団がちょっと実社会にはみだしてしまった程度の、たいした意味を持たない騒ぎでも、今や日本がそのような国に見られてしまっていることに少しは危機感を持った方がいい。
この報道を鵜呑みにする人は、国連人権委員会というのがどういう場なのかも分かっていないらしい。
この委員会が勧告を下す相手は各国政府である。日本国内で日本国民の一部がやっている人種差別発言について人権委員会が言うのは日本政府の然るべき対応を促しているのであって、国連が「在日特権を守る市民の会」を断罪したなどと思っていい気になられては困るし、当然ながら報道される順序として、普通なら日本政府自身がやっている人権侵害や差別についての勧告よりも優先順位は低い。
なのに「ヘイトスピーチ」云々を見出しにするのは、明らかな恣意的歪曲の現政権擁護だ。
実態は逆で、わざわざ国連人権委員会がこれに言及したのは、こうしたネット上の匿名言動が中心の日本のレイシズムが、現安倍政権と密接なつながりがあることも看過出来ないから言っているのだと考えるべきだ。
従軍慰安婦の問題をなんとかないことにしたい、少なくとも矮小化したいと政府が煽動し、その政府がなぜかそれなりに高支持率を維持し、人気政治家が人種差別・性差別発言やナチス擁護ととられることまで言ってしまい、国会や地方議会で女性蔑視ヤジが常態化している国で、一般市民の差別運動も問題だから対応を、というのは、日本が国をあげて差別国家になっているのではないか、と国際社会が本気で危惧していることを意味しているのだ。
こんな狂った日本外交の文脈で決まったのが、「集団的自衛権」の議論を偽装しながら、実は予防的先制攻撃を容認する自衛権行使の新要件だ。この露骨に他国を差別し敵視し、戦争も辞さないと宣言してしまっている外交を、なぜちゃんと批判出来ないのだろうか?
なぜ識者やジャーナリストやネット論者にしても、このあまりに異様で危険な方向性に、警鐘を発しようとはしないのか?
いちばん怖い想定は、その「戦争を辞さない」宣言が明白に中国を対象としていて、安倍外交がとくに中国と韓国を特化して敵視路線を明確にしていることに、実は国民の大多数がむしろ賛成していて、ただ「日本が戦争に巻き込まれるのは反対」と口先だけの平和主義を装っているのではないか、ということだ。
そして国内引きこもりの重症に陥っているのは安倍や政治家だけでなく、ほとんどの国民が「日本人が死ぬのは反対」にしか最早興味がないのではないか、ということも、考えるだに空恐ろしい。