7/07/2014

まともな議論が出来ない国民の『集団的自衛権』論議


まず憲法条文では一切の例外への言及なしに「国権の発動としての戦争と武力による威嚇又は武力の行使」を永久に放棄する、と明文化されているので、その解釈で集団的自衛権をどう容認するのか、論理的にあり得ない時点でこの議論自体がバカバカしい、というのは先のエントリーで触れた通りだ。

安倍晋三は最近、「法の支配」といえば中国へのいやがらせになると思い込んでいるらしく、天安門事件の記念日でも当然「自由と民主主義」と言わねばならないところを、自分達には日本の自由と民主主義を守る気がないと無自覚に自白でもしてしまったのか、官房長官が「法の支配」とか言ってしまって失笑を買っている。

およそ正当とは思えないにせよ、天安門事件の鎮圧が中国の国内法に基づいた権力の行使だったことは確かであり、「法の支配」では批判したことにもなんにもなりはしない。これではむしろ、天安門で自由と民主主義の理想・理念のために命を落とした(「非合法」活動家の)学生達への冒涜だ。 
そんな彼らが中国の一部の少数民族が弾圧や差別抑圧、同化政策に苦しんでいることを持ち出して中国を批判している気分でいるに至っては(チベットでも新疆でも、独立運動は国内法では「非合法」だ)、もう笑い話にもならない。

そんな安倍晋三が「法の支配」とか言いながら、憲法の条文をどうひっくり返したってあり得なさそうな「新解釈」を違法性の高い手段で強引に閣議決定し、その理論を一切提示することもなく「私には思えない」という感情論だけで押し付けている。

「人々の幸せを願ってつくられた日本国憲法が、こうした事態にあって国民の命を守る責任を放棄せよと言っているとは私にはどうしても考えられません」安倍晋三 
…ってなんなんだ、このあまりに軽薄なオコチャマな言い草?

これのどこが「法の支配」なのか、さっぱり理解できない。

南沙諸島の領有権では中国と対立関係にあるベトナムに対しても「法の支配」とか言って中国との対決を促したようだが、南沙諸島における中国の立場は、尖閣諸島についての日本の立場と同じ、係争のある領土を実効支配している側だ。

「法の支配」を言うのなら国際法の運用は公平で公正でなければならず、中国でも(南沙諸島)日本でも(尖閣諸島)韓国でも(竹島)実効支配している側に同じルールが当てはめられなければ、「法の支配」とは絶対に言えないはずなのに、安倍はいったいなにを言っているのだろう?

さすがにアメリカのバラク・オバマ大統領はもうとっくに気づいているようだし(国賓として来日した際の態度でも明白だ)、中国の習近平主席もオバマに言われたのか、気づき始めたようだ−安倍晋三とは要するにひたすら愚かな、どうしようもなく頭が悪い、話が通じない、何も分かっていない人物だ。はっきり言えばただのバカである。

そう考えないと安倍の一連の外交における行動は辻褄が合わないわけだが、「集団的自衛権」の後に開かれた中韓首脳会談では、習主席も朴大統領も、日本の歴史修正主義や異様な外交展開は「適当にあしらう」、ないしちょっとからかう、という態度のように見える。公式の会談と会見ではわざと一切話題にせず日本側をやきもきさせておいて、最終日の私的昼食会での厳しい言及をプレスにリークしたのだ。

だが問題なのは、もはやただ安倍晋三とそのオトモダチ達だけではない。

日本では集団的自衛権の行使を認めるという「憲法の新解釈(になってない)」をアメリカが歓迎したかのように報じているが、実際には国防総省が簡単なコメントを出しただけだ。

アメリカが唯一の同盟国である以上、日本の集団的自衛権はアメリカの “自衛” 戦争に協力する意味しか持たないのに、その自分達の将来の戦争に協力するという決定について、ホワイトハウスがなにも言わない。

これで「アメリカが喜んでくれた」と思うなら、日本人の対米従属の奴隷根性も落ちるところまで落ちたと言わねばならない。

それどころか日本に行ける/働けるビザ枠の拡大を匂わされて、移民労働者の送り先としての期待が膨らむフィリピン以外は、どの国も政府は公式には安倍の決定を無視し、プレスではこぞって危惧し批判する論調が世界中から吹き出ている。

この「集団的自衛権」で得するはずの唯一の国である米国の、保守系のメディアですら、「緊張を和らげなければならないはずの東アジアでいたずらに緊張を高めるだけだ」として安倍政権に厳しい批判を投げかけ、そのプロセスがどう見ても非合法であることに疑問を露にしているのだ。

これでは日本の安全保障にも国際的な地位にもなんの貢献もしないどころか、信頼を失い安全を損ねることにしかならない。なぜこんな理の当然のことすら、日本では反対を表明するメディアでさえはっきり言わないのだろう?

「集団的自衛権」で「普通の国」になることは、冷戦の末期から日本の保守系政治家のオブセッションであった。だがそれはもう20年以上前の話だ。その20年以上のあいだに集団的自衛権が行使された代表的な戦争は、NATOによるユーゴ空爆、湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争、アラブの春でリビアへの介入、と言った事例が挙げられるが、どれひとつとして世界の安全保障に貢献したとは言い難く、むしろ禍根を残しその地域を不安定化させ、イラクとアフガニスタンとリビアに至っては惨憺たる結果しか招いていない。

「集団的自衛権に基づく武力行使」自体が、もはや時代遅れの安全保障論なのだ。

一方で2007年には、小沢一郎がより革新的な憲法の新解釈を提示している 
国連が完全に主導して世界の安全を守るためなら、国権の発動とは言えず、むしろ前文と9条に明記された「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言からして、日本は積極的に参加すべきである、との論だ。ところがこれに対して当時の自民党から出た反論もどきは、国連の軍事活動は前線での活動も含むので、自衛隊員が死ぬ、危ない、という話だった。 
いやもう…なんという卑怯で臆病な自己中心的発想しかない、理念も矜持もなにもない「政治」なのだろう? 
小沢の主張は、単に日本の軍事力行使の話ではなく、世界に向けて国連中心の新たな安全保障体制の確立を訴える画期的な、少なくとも「かっこいい」ものだったのだが。

オバマ政権はブッシュ政権の失敗を反省するあまり、継続した介入や政治的圧力が必要だったイラクのマリキ政権からも手を引いてしまい、国内の宗派に基づく対立を放置してしまったほどで、日本に集団的自衛権の行使に基づく戦争協力を要請する可能性なぞまず当分はない。

まだブッシュ政権、小泉政権とその後の安倍、福田、麻生の自民政権のときにこういう決定をしていれば、違憲性が高く反発と警戒は当然招くにせよ、これを強引にでも通す理由は分からないでもなかった。 
だが今やることには、周辺諸国へのいやがらせの虚勢で警戒心を抱かせる以外に、なんの国際政治上の意味ももち得ないのが、この「集団的自衛権」なのだ。

しかもアメリカの国益からしても今もっとも安定してくれていなければ困る東アジアにおいて、いたずらに緊張を高めて来た日本が、「集団的自衛権を行使出来るように」と言ってこれまでの平和主義を覆すことを言い出しているというのが、国際政治の文脈における今の状況だ。

しかもその中身は、実は集団的自衛権の話ではないのだから、安倍晋三がやっているのは二重の詐欺でもある。実際に閣議決定された中心は自衛権の行使に関する新しい三つの要件だ。

①我が国に限らず、密接な関係の他国が攻撃された場合でも、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある
②(危険を排除する)ほかの適当な手段がない
③必要最小限度の実力行使にとどまる。

集団的自衛権の行使なら、「我が国の存立」はそもそも関係がないはずだ。他国の自衛戦争に介入することが集団的自衛権なのだから。そこを安倍政権は「集団的自衛権の行使は限定的で」と詭弁で誤摩化して一見わけが分からなくなっているが、よく見れば①と②は実は、一方的に他国を敵国と認識して先制攻撃を行うことも自衛権の行使として容認する、という意味であり、③はただの言葉の上での言い訳に過ぎない。 

自衛のために先制攻撃が許される、という暴論で「大量破壊兵器」を理由にイラクを侵略したのが、アメリカのブッシュ政権である。今回の閣議決定は、まさにその同じ理屈で自衛隊による武力行使を容認する内容に、実はなってしまっている。

こんなものはアメリカにとってすら(「限定的」であくまで「日本が危険」でしか行使されないのであれば)はっきり言えば「ありがた迷惑」どころか危険でしかないし、そもそも今のアメリカはいわゆる普通の「日本の集団的自衛権」すら必要としていない。

まるで外交の戦略性の欠如したタイミングの愚行でしかなく、実は恐ろしく危険なのが、今回の安倍政権の決定だ。

アメリカだけではない。東アジアと東南アジアのあらゆる国々、ひいては世界中にとって、急速に成長を遂げた中国の巨大経済を抱える東アジア圏は、是が非でも安定してくれなければ困るのに、安倍はその安定をぶち壊すことばかりしている。

それもそのもっとも中軸となるのが、既に巨大経済大国である日本と中国の関係が安定し、順調であることであり、それは日本の経済にとっても死活問題であるはずなのが、安倍晋三のやっていることはまったくわけが分からない。

日本国内でだけは、あたかも中国が尖閣諸島を狙っていて、これまでも主張して来た領有権を強引に実態のあるものにしようとしているかのように思っている。

だが実際には、現状はどう贔屓目に見てもどっちもどっちであり、日本のメディアがたとえば「尖閣諸島の接続水域に中国軍の艦船が」とヒステリックに報道しているのは、日本側が主張する国境線の中国側領海で人民解放軍が展開しているに過ぎず、実は領海侵犯でもなんでもない。

ちなみに少なくともタテマエでは、尖閣諸島の周辺の日本が実効支配する海域空域に入っても、中国や台湾の立場ではそれは「領海ないし領空侵犯」にはならないが、両国ともそんなことは慎重に避けている。

それを言うなら、これまでの「棚上げ」約束を反古にし、さらに米国からも「やるな」と言われていた(それも前原・クリントンの外相会談で、はっきりと)、自衛隊の艦船および航空機の尖閣諸島周辺での展開を実はやってしまっていたのが日本であり、しかも「自衛艦がレーダー照射された」と大喜びで騒ぎ出し、その約束違反をうっかり公表してしまったのが安倍政権なのだ。

しかも現状の尖閣諸島をめぐる対立自体が、日本側の二度に渡る約束違反の、客観的に言えば挑発でしかない行動が原因だ。

まず菅政権の際に、民間の船は警告して追い返すだけ、上陸した場合は逮捕するが即座に強制送還、という約束を破って密猟の漁船を拿捕し船長を逮捕、それも日本の国内法の刑事手続きに違反して長期勾留したことがある。

日本では「体当たりして来た」と報道されているが、実際には突然包囲され拿捕された漁船がなんとか逃げようとするのに、海上保安庁の船がわざとその航路に立ちふさがってぶつけさせたのが真相だ。

そしてこの時も、中国は日本の法定の拘置期限が切れるまでは静観し、アメリカの圧力で日本が拿捕監禁した船長を釈放した後は、関係修復の努力を続けたのは一方的に中国側だった。

ところがこれに懲りずに日本側は、次の野田政権の時に一方的に尖閣諸島の国有化を宣言し、国連で野田自らが、なにもしていない中国をあたかも国際法違反であるかのように言いがかりをつけて挑発する演説をしてしまった。

その前に東京都知事だった石原慎太郎が「都が買う」と言ったのが悪い、と野田を擁護する人もいるかも知れない。 
だが慎太郎がその動きを見せたときには、中国政府は「日本国内の経済取引に我が国が口をだす謂れはない」とだけ外務省報道官が述べ、静観を表明していたのだ。日本が実効支配している事実は尊重し、そこで日本国民がたとえなにかの設備を建設しようが、それは日本国民の私有財産権の範疇であり、中国が批判すべきではない、という国際的には極めて当たり前の態度を貫いたのも中国だった。

野田の挑発行為に対しても、中国はこれまた外務省報道官のコメントだけで済ましている。

もっとも「現代の国際法は第二次大戦の結果の世界秩序に基づく」というたかが報道官のコメントで完全論破されてしまっては、野田首相の面目はまるつぶれではあるわけだが。

これ以降、尖閣諸島をめぐる状況はまったく動いていない。

いわば完全に外交的に敗北した日本が国内に引きこもった状態で、オバマとしては政権の交替による打開を期待したら(野田の自爆解散はオバマに再選祝いの電話を断られたから、が真相だ)、その結果が安倍晋三という悪夢のような想定外になってしまい、ひたすら硬直状態、さらには安倍政権の歴史修正主義による挑発東アジアの緊張が高まる結果になってしまった。

これも日本の報道はほぼ無視しているが、安倍はアベノミクスの宣伝のために呼ばれたダボス会議での演説で、中国との戦争も辞さない、としかとれない演説をしてしまい、欧米の保守系メディアがこぞって批判どころではない、警戒を露骨に表明している。

その安倍政権の詭弁に、今回もまたメディアも協力しているせいで、国民は完全に誤解しているようだが、仮に尖閣諸島を防衛する必要があっても、それは集団的自衛権にはなんの関係もない、個別的自衛権の範疇だ。

安倍が「抑止力」と言っているのに至っては、完全なナンセンスで、ただ「より日本がフリーハンドに戦争が出来るようになった」という漠然とした不安を周辺諸国に与えるだけだ。それが「抑止力」というのなら、それは憲法が禁じる「武力による威嚇」でしかない。

これまで日本国内で行われて来た「集団的自衛権」をめぐる議論自体が、客観的に見れば違法であり違憲、しかも現実の国際情勢に照らし合わせて意味不明であり、ただのバカかキチガイとしか思えず、しかもこの場合は文字通り「キチガイに刃物」にしか見えないというのが、ミもフタもない今の日本をとりまく国際情勢の現実なのだ。

これだけ尖閣諸島に熱狂しながら、実際にその領土領海を利用する気すらまるでない日本は(これも馬鹿げたこととして、日本人が上陸することも禁じられ、周辺の日本側漁民の操業も許されていない)、この領土係争がなぜあるのかすら理解していないらしい。

実効支配をしながら国民が利用することもない領土領海に、こうも異様に執着すること自体、ただ隣国に対する不条理な敵意が動機の嫌がらせにしか、ハタ目には見えない。 
というか実のところ、それだけが日本側の動機なわけだが、要するに中国が経済規模で日本を抜いたことがコンプレックスで、差別意識を丸出しにしているだけだ。

だいたい最初から中国側、周恩来が自国にとって不利なはずの「棚上げ」を田中角栄に提案し、台湾とも話をつけてくれたわけで、中国にとってタテマエでは領有権を主張せざるを得ないものの、この島々に領土的野心はないし、そこになんのメリットもなく、リスクばかりが大きいのが現実でもある。

中国および台湾の主張は、これは清朝から日本が植民地侵略の過程で奪った領土であり、終戦とともに中華民国に返還されるべきものだ、と言うことである。

相手の主張も理解せずに外交だの安全保障が出来ると思うのは、重度な引きこもりだとしか言いようがない。中国と台湾(中華民国)は、それぞれにサンフランシスコ講和条約で領土が返還される国と国民の主権の継承者として、その領有を(たかが無人島であり、建前に過ぎないとしても)主張しなければならない立場にある。

だがこれは言い換えれば、日本がもし領有権を放棄するなら、その瞬間に中華人民共和国と中華民国のあいだでこの島々の領有をめぐる、国家のプライドを賭けた衝突が始まる、ということでもある。1972年の時点ですら北京も台湾もそんなことを望んでいないから「棚上げ」になったわけであり、現代では中国と台湾の密接な経済関係があるなか、下手すれば台湾海峡で軍事衝突の危機すら覚悟するような状況は絶対に避けなければならない。

つまりはっきり言ってしまえば、尖閣諸島を巡る危機というのは菅、野田、安倍の三代の日本の政権が勝手にマッチポンプで騒いでいるだけであり、安全保障上の危機でもなんでもなく、個別的自衛権が発動される対象にすらならないのだ。

米中首脳会談では、オバマが習近平に、中国が自らの主権を主張することは、合法的で武力行使を伴わない限りは支持する、と言ったことが報道されている。つまりは国際司法裁判所に持ち込んでカタをつけてはどうですか、と日本の同盟国であるはずのアメリカが奨めているという意味にしかならないことを、日本のメディアでは誰も言わない。

「国際法上明らかに日本領」という、しょせん日本政府が言っているだけの、客観性の皆無な話を、必死で尊重だかカルト信仰でもしているつもりなのだろうか?

だが日本の公式見解は、既に昨年このブログで指摘したように、実際にはかなり脆弱なものだ。もっとうまい主張があり得るのに、このままでは絶対に負けるようなことしか言っていない。

1895年から日本領?いやそのずっと前から琉球王国の重要な交易航路上に位置し、周囲は豊かな漁場で、琉球人がずっと生活に利用して来た、が主張の根幹じゃなければおかしいのに、1895年以前は「無主地」?日本は自国の歴史も知らない、東シナ海の交易ルートが日本という国家と民族の成立に密接に関わっていることすら知らんのか? 
尖閣諸島が「無主地」であったことなど、日本の歴史記録に残るそれ以前からあり得ない話だろうに。 
これは竹島でも同様で、日本政府の主張内容はまったく馬鹿げている

本気で尖閣諸島を守りたいのなら、せめて公式見解を見直してもう少し説得力を持たせる努力をした方がいい。だいたい中国にとって今もっとも重要な世界相手の商売を投げ捨てる覚悟で、いきなり武力侵攻なんてするはずもないだろうに。もし本気で領有権を狙って来るなら、まず国際司法裁判所に決まっている。

尖閣諸島の領有をめぐる日本の主張が植民地主義時代の時代錯誤、もう100年前の理屈だろう、と言われるような周回遅れであるように、今の「集団的自衛権」をめぐる議論も圧倒的に周回遅れな話でしかない。なぜ世界に冠たる経済大国の先進国、しかも教育水準の高さでも尊敬を集めるはずの日本が、こんな奇妙な時代錯誤をやっているのか、まるで理解不能である。

ところが日本国内で大真面目に交わされる話を見ていると、もっと面食らってしまう。

確かにいかに実効支配しているとはいえ、南沙諸島の開発を始める中国のやり方はいささか強引だし(とはいえ騒いでいるのは日本のメディアだけだ)、それ以上に中国との経済関係は自国の経済成長に不可欠ではあっても、あまりに巨大過ぎるその経済と商売のやり方の強引さに、「中国に飲み込まれるのではないか」という危機感もまた東南アジアに広まっている。

韓国でさえ先の首脳会談で、金融が中国に飲み込まれる危険性を含む協定を受け入れてしまった。台湾では馬英九の国民党政権が中国と締結したサービス協定に学生が台湾の労働環境の破壊に繋がるとして国会を占拠する抗議活動が盛り上がった。
そこで「中国経済に飲み込まれる」危機感を抑え、アメリカの言いなりになって板挟みにならないためにも、本来ならより関係を密接にしてバランスをとりたい大切な国が、日本のはずだ。だが日本はそんな近隣諸国の期待に気づきもせず、安倍晋三などは就任早々、自国が加盟するかどうかも決まっていなかったTPPへの加盟を薦める珍妙な行脚をやって、途中で立ち行かなくなってアルジェリアの人質事件を口実に日本に逃げ帰っている。

だがそうした中国の「脅威」があるとしても、およそ軍事的なものではないし、戦争なんてデメリットしかないことをどこの国も考慮すらしていない。むしろ徹底して回避する。

一方で中国や韓国を含む東アジア、東南アジアの国々にとって、日本は今でも最重要の経済パートナーのひとつであり、もっとも憧れる国でもある(敗戦のどん底から平和国家の経済大国として復活を遂げたこと自体が、近代史において特筆すべき偉業なのだ)。経済成長を遂げた中国や韓国以外の、たとえば東南アジア諸国では、だから現代の日本との関係を重視し、戦争中に侵略されたこと、その支配の暴虐については、なるべく言及して来なかった。

ところが日本ではそれを「親日国家」だと思って有り難がるのならまだいいのだが、植民地から解放してやったのだから感謝して当然だとか、挙げ句に中国に対抗して連携しよう、そのために集団的自衛権だ、などと本気で言い合っているのである。

開いた口が塞がらない。

タイ、バンコク、サイアム広場
たとえばインドネシアで「日本がオランダの支配から解放してやった」なんて言ったら呆れられる。日本はただ侵略しただけであり、日本支配の三年間はオランダの250年よりひどい、とすら言われている。従軍慰安婦問題はインドネシアにもあり、その被害で一生を奪われながら、今も生き延びている女性たちもまだ生きているし、「Ianfu」という言葉が一般に知られてさえいる(教科書にも載っているそうだ)。また戦後を通じて日本の経済が大事だった一方で、それが独裁体制を支えていたことも認識されている。

インドネシア、ジャカルタ

ミャンマーでもフィリピンでもヴェトナムでもタイでもマレーシアでも状況は同じようなものだ。ただ今の日本との関係を悪化させたくないから黙っているだけ、日本人に気を遣ってくれているから言わないだけだ。

しかも一緒に組んで中国と対抗する?

平和ボケの裏返しのパラノイアの、常軌を逸した軍事力崇拝もたいがいにするべきだ。そもそも世界史において、軍事力に頼って自国を守って来れた大国なんて数えるほどしかない。

人口だけでも巨大国家で、今や経済大国である中国と軍事的に対決する力なんて、東南アジアのどの国にも最初からないし、今後持つこともあり得ない。下手にアメリカの後ろ盾などに頼ったところで、ヴェトナム戦争の悲惨の再現になるだけだということを、日本のような平和ボケ幻想に浸ってはいられない国はどこでも理解している。

バンコク、旧市街、王宮前の市場でも中国語の看板
バンコク、路地裏
だいたい、東南アジアのどの国にも、中国系の住民がいて、社会のなかで重要な地位も占めている。東アジア、東南アジアは歴史的に中国文明圏であることを忘れられては困る。
バンコクの反タクシン派デモ現場でも中国語
バンコク、街のあちこちに見られる中国文化

ジャカルタ、中華街
巨大化を続ける中国経済に飲み込まれないためにも、東南アジアも台湾も韓国も、日本との密接な関係を期待しているのは確かだし、自動車から電子機器から無印良品やUNIQLOの日本ファッション、コンビニエンス・ストアや牛丼などの外食チェーンまで、日本の商品やサービスは高給イメージで生活に浸透し、日本との関係は今でも密接だ。

バンコクのショッピングモール。まるで日本テーマパーク
武力に頼らず大国として復活したこと、武士道が平和主義を含んだ世界でも稀な武人の哲学でもあることから、『ドラえもん』や『一休さん』などのアニメや、恐らく世界でもっとも多くの人が親しんだテレビドラマであろう『おしん』も含め、文化的にも憧れの的だ。

だが間違っても、軍事的な結びつきを強め、中国を一緒に敵視することなぞ、誰も求めてはいないし、そもそも現実的にあり得ない。

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