6/11/2011

記録映画キャメラマン・大津幸四郎

 藤原敏史×大津幸四郎『フェンス』(2008)

今では僕の映画製作におけるかけがいのない最重要スタッフ、『フェンス』の撮影監督であり、三里塚の今とその歴史を撮る企画は二人にとって数年来の懸案である。直接キャメラを担当していない作品でも常に重要な助言を与えてくれる、もっとも信頼する映画人の一人…と大津幸四郎を形容するのは、いささか厚かましい。

映画史において大津幸四郎は、二十世紀後半以降のもっとも優れたドキュメンタリーのキャメラマンとして、燦然としたキャリアを誇る存在だ。

「大津幸四郎、大津幸四郎自身を語る」聞き手:加藤孝信
http://www.yidff.jp/docbox/19/box19-1-1.html

   土本典昭×大津幸四郎『不知火海』(1975)

こと土本典昭との共同作業となった『水俣 患者さんとその世界』『水俣一揆』『医学としての水俣病−三部作』『不知火海』は、ドキュメンタリー監督とキャメラマンのもっとも幸福にして実り多い共同作業として映画史に記憶されるものであり、そして後に袂を分かつことになるとはいえ小川紳介とは『圧殺の森』『日本解放戦線・三里塚の夏』という傑作を撮り、佐藤真の『花子』『まひるのほし』そして『OUT OF PLACE』などなど、戦後の日本ドキュメンタリー史を大津抜きに語ることは困難だ。

その一方で、同じ岩波映画出身の黒木和雄の生涯の親友として、しばしばその劇映画の撮影現場に立ち会い、貴重なアドバイスを与え続けていたのも大津幸四郎の知られざる顔だ(黒木の映画の撮影は『泪橋』を手がけている)。

そんな大津幸四郎の仕事を振り返る大規模な回顧上映が、渋谷に新たにオープンした映画美学校の映画館「オーディトリウム渋谷」で開催中だ。

反権力のポジション―キャメラマン 大津幸四郎
2011年6月3日(金)ー6月16日(木)
上映スケジュールはこちら

   土本典昭×大津幸四郎『水俣 患者さんとその世界』(1971)

ただ大津幸四郎の仕事を「反権力のポジション」とはどうなのだろう?少なくとも大津の初期の作品が学生運動(『圧殺の森』『パルチザン前史』)や三里塚闘争(『日本解放戦線・三里塚の夏』)といった題材を撮ったものだから、ということから想起されるような安易な「反体制」のステレオタイプと大津の一貫したポジションは、その実まったく無縁なものである。

大津幸四郎の生き方と映画作りのやり方は、「反権力」かどうかを超越して、最初から「脱・権力」「非・体制」と言ってしまった方が僕にはすんなりくる。今の日本でのいわゆる「反権力」とは、現実にある権力機構に対抗する(そして結局はそれより遥かに脆弱に終わる)別の権力・権威への服従へとしばしば横滑りして終わってしまうだけのものだし、そんな「反権力」にでも土本はいささかのロマンチシズムを抱いたこともなくはなかったかも知れないにせよ、大津にはそんなところはまったくない。

むしろ世間の権力構造からいかに自らを脱却させ、人間存在そのものの姿をどれだけ撮ることができるのか、大津の興味は常にそこに向かっているように思える。

このせっかくの特集上映が、またまたこのブログでの紹介が遅れてしまい、土本、小川との仕事はすでに上映が終わってしまったのだが、今日は大津が惚れ込み、自らの初の監督作品『ひとりごとのように』の主役とした舞踏家・大野一雄をめぐる、『ひとりごとのように』(大野一雄の踊りと対決して自ら踊りだす大津のキャメラに、すばらしい緊張感がみなぎる)と周辺作品三本の上映、日曜日はアレクサンドル・ソクーロフの『ドルチェ』、月曜には再評価が絶対に必要な佐藤真作品二本(『まひるのほし』『花子』)が上映される。

そしてこのレトロスペクティヴの最後を飾るのが、大津幸四郎の最新作になるので当たり前なのだが、拙作『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』、16日木曜日の上映となる。

19時からは大津と僕自身との対談が予定されているのだが、これだけは困った…。いったいなにを話すのだろう?

我々二人だけならいくらでも話すことはあるのだが、『フェンス』に関してはお互いで話し合うべきこと、議論すべきことは映画を作っている最中にやり尽くしてしまったのである。

他人様を前に話すに値するおもしろい裏話などほとんどない。大津幸四郎と組むとき、キャメラのことは完全に大津に任せきりで僕はなんの指示もまず出さないからだ。事前にならさんざん議論しているとはいえ、すべてコンセプチュアルな話で、僕が言えるのは撮影ラッシュを見て期待以上のものが撮れていることに率直に驚いたことくらいだ。

他人様を前にして意味が通じる話といえば、これはハイビジョン作品だから徹底的にハイビジョンにこだわった画にしようということ、70年以上の歴史にまたがる話(それどころか過去は弥生時代まで遡る)で登場人物は80代90代も多いのだからその時間を大切にしようということ、あとは僕がかなり詳細な脚本を事前に書いて大津が意見し、それを受けて僕が書き直すという作業を、2〜3ヶ月にわたって重ねた後、撮影は実働10日という早い仕事だったこと、くらいだろうか?

あとは視覚的なスタイルとしては印象派よりはターナーだろう、ミケランジェロ・アントニオーニの映画の例を挙げて僕が『情事』と『太陽はひとりぼっち』と言うと、大津が「いやむしろ『さすらい』だろう」と言って、僕がなるほど、と思ったことくらいだ。

『フェンス』という映画自体の話になると、すぐに日米関係と日米安保、日本の外交、とくに今では菅政権大批判大会になってしまいそうで…。二人ともほぼ同じことしか言わないし…。

司会を引き受けてくれた映画批評家の葛生賢君の話題さばきに期待する他ないのだが、土本典昭の話でもしますかね…。

 土本典昭×大津幸四郎『不知火海』(1975)

大津/土本の最高峰『不知火海』の、なかでも土本映画最高の名シーンについて、あまりおおやけに語られたことのない意外な裏話とかもあるし…。

あと大津が三里塚に戻ることになる企画の話は、2005年にいちどカメラをまわしているので、そのときの撮影素材なども紹介しましょうか…。

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