5/20/2010

信仰なきカルト集団としての団塊ニッポン?

カール・ドライヤー『奇跡(御言葉)』

天理教の教祖・中山みきは、毎朝誰も起きないうちにこっそりご近所の掃除をしていたとか、そうやって人に見られず知られもしないことで善行をすることを「陰徳を積む」というそうで、教祖さまはそういう立派な人だったんだと、天理教の子どもむけ教本に書かれていた記憶がある。

父の実家が神戸の天理教の教会だったもので、祖母に読まされた絵本だったんだと思うが、子ども心に素朴に疑問だったのは、誰も見ていないところで秘かにやってたことが、なんで本に書いてあるんだろう? 本気で「陰徳」を積むのだったら、教祖様たるもの、もっとちゃんと隠さなきゃだめじゃんか。

記録映画作家・土本典昭に長期に渡る連続インタビューをして、それをベースにしたドキュメンタリー『映画は生きものの記録である〜土本典昭の仕事』を演出し公開して次第に気がついたのは、演出つまり自分自身と恐らく土本自身もそうであったのに対し、製作中はこちらのスタッフ(とくにプロデューサー)や、完成後はとくに映画の専門を自負する観客、というか映画評論家その他とのあいだの認識のギャップである。

藤原敏史『映画は生きものの記録である』(2007) 予告編

演出からすれば土本が語る「ドキュメンタリーのあり方」は土本が自分自身に課している倫理的な規範であって、土本自身が自分の仕事のなかで出来る限りそれに則ったことをやろうとしていたことは確かにせよ、それは土本自身の欲望に対する自己規制であり、だから土本の「自作解説」だけでは彼の映画の本質は分からないであろうことを、前提としていた…というか「作品」というのは常に、そういうものだし。

だが「映画専門」を自負する「土本ファン」はそうは見ていない。小川プロの元製作部だったプロデューサーの伏屋博雄らも、そうはまったく思っていなかったし、「土本を尊敬する」から見に来る人々も同様だった。

だから立派なことを語り続ける土本の言葉をそのままに受け取って神のように崇め奉る。あたかもその「教祖様」に賛成=同化することで、自分の評価まで確立できるのだと幻想するかのように。

いやだって、土本は土本以外のなにものでもないし、それは終戦時に17歳だった世代ならではの疑念であり真面目さであり、あなたたちとは違うでしょう? もちろん昭和45年生まれのこの演出が、昭和3年生まれに同化できるわけもないし。


あるいは逆に、土本の発言を「きれいごと」と断じ、「きれいな部分しか見せていない」ことを批判する人もいたわけなのだが、ポートレイト・ドキュメンタリーなので「土本PR映画」かのように見える製作の枠組みにかなり無頓着だったのは反省しなければならないにしても、映画なんだから伝えている情報は言葉だけではないんだし、加藤孝信キャメラマンが執拗にアップで撮り続ける土本の顔とその発言のあいだの対位法的な画面構成と、映画の時間軸上構成で現代(2004年当時)の水俣を訪れる土本と、自宅で過去を語る土本が相互に出て来ることのはざまから、そんなに単純ではないことは見えて来るはずだ。

さらにダメ押しとして劇場用パンフレットでは土本の親友であった岩佐寿弥監督との対談で「無神論者のダライ・ラマ」という、土本本人が決して自分では語らないし語れなかったパーソナルな部分も、強調しておいたはずなのだが…。


いや「土本教」の「教本ビデオ」を見に来た人は、そんな「自分の目でちゃんと見る」なんて考えもしないのだろうし、逆にこちらが現代映画のドキュメンタリー作品、それも「映画についての映画」であるからには、対象の他者性を印象づけるよう、印象づけるように撮っているし編集もしているやり方をとったことには、不満しか持てないのだろう。

一般の観客、とくに土本が水俣作品を作ってた時期には仕事なり子育てなりに忙しくて見る余裕もないどころかリアルタイムでは知らなかったかもしれない観客(とくに女性)には「土本という人間」と「土本の世代」をちゃんと見てもらえた自負はなきにしもあらずなのだが、とくに「映画の専門」の人々相手には、無自覚にも「土本教」という宗教の「教本ビデオ」を作っていたのであり、その「教本ビデオ」としては非常に出来の悪い代物を作ってしまったのかも知れない…。

…って、元からそんなこと、もちろん狙ってなんていなかったのだけど(苦笑)。

『映画は生きものの〜』とほぼ並行して製作した
『ぼくらはもう帰れない』(藤原敏史、2006)

しかし、現代の日本では特定の宗教の信者であることを自覚している人はごく少数派であるにも関わらず、なにかの信仰を持っていることがなんだか恥ずかしいことのように忌避される社会であるにも関わらず、人々の実際の行動や言動は極度に無自覚に宗教的で、かなり簡単に宗教的な雰囲気に染まって、その同じ信仰者のあいだの暗黙の了解的な教義でしか語り合えない感覚が、こと団塊の世代以降は大きいように見えてしまうのは、僕の気のせいなんだろうか?

まあだいたい、「全共闘」なんてのはカルトの集団ヒステリーみたいなもんだし。

曖昧な集団の内輪しか許容できない転向した「団塊」が主力観客となるなかで、大島渚が「個」と「個」としての二人の人間存在に徹底してこだわった『愛のコリーダ』は海外資本で製作され、その後20数年以上海外でしかまともに上映できなくなるのも、ある意味当然の運命だった。

巨大で曖昧な「時代の空気」の宗教的恍惚のなかで、さらにそれぞれにセクト分派した小集団のなかの内輪しかなく、そのなかで集団ヒステリー密度をあげていって破綻したのが彼らだし、思想性や倫理性、その思想や倫理と個人の欲望のあいだでどう折り合いをつけるのかについて、団塊の世代以降彼らが子どもに押し付けた「ゆとり教育」まで、まったく無頓着だったのがこの国のバブル以降の失われた20年だろうが。

   藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010-編集中)

まあ現実のほとんどの宗教が、なぜか「神」という超越的存在が自分たちのご都合主義に全面賛同してくれてるという謎の思い込み(そんなわけないじゃん、「神」という究極の他者なんだから)に基づいている点では、結局はオウム真理教とも、イスラム主義過激派とも、アメリカの宗教保守派の「神は同性愛者とコミュニストとムスリムとユダヤ人を憎んでおいでである」という思い込みとも、結局のところ大差はないんだろうけど(苦笑)、その共通する問題点はそうした彼らの世界観にまったく「他者」が存在しないことなんだろう。

「社会的弱者」とやらに目を向けたフリを装うのも、だいたい「弱者」でなく単に「マイノリティ」つまり少数派が多数派が主導する社会のなかで不利な立場に置かれたり偏見で見られたり差別されるだけなんだけど、全共闘崩れが「差別はいけない」と正義派ぶったところで、その「他者」への、ニーチェの言うところの「遠きものたちへの愛」ではまったくなく、ただ無自覚な自己正当化の欲望の投影先に過ぎない。

だから一皮むくと下手すりゃ「支援してやってんだから感謝しろ」とか「感謝の気持ちがない」みたいな話にさえなりかねないわけで、全共闘の失敗以降の日本のいわゆる市民運動なんて、うまくいくわけも、ないんだけど。

『ほんの少しだけでも愛を』(編集中)のワンシーン。団塊の病弊を無自覚に引き継がされている若い世代:「他者」が見えていない情緒的自己正当化に過ぎない「差別反対」の論理

「他者」への説得の必然性とかまったく考えないから自分が他者にはどう見えるのかも考えられず、結果として自分のこともなにも見えていない。

他者から客観的に見たら批判されてしかるべきことをやってしまって現に客観的な批判を受けたとたんに「人格攻撃された」とヒステリーを起こして、議論が成立しない。「なるほど、こんな人たちだから日本のマルクシズム運動は破綻したんだ」と思わざるを得ない…ってだって、マルクシズムの哲学的にもっとも基本的な部分、「自己批判」の意味がまったく分かってないんだから。


「自分自身の他者性」という感覚がまったく抜け落ちていて、「パブリック」という客観性の次元がまったく見えていないのだろう。厳しく精神分析的な批評をしてしまうなら、精神の発達において不可欠な「他者性の認識」は本来なら思春期に経過すべきものであるはずなのが、精神年齢が中高生レベルのまま20代になって革命ごっこをやったのが全共闘の世代。

しかもなにしろ、精神の発達が中高生レベルなだけに、「自分の信念でなにかをやり抜く」ということを自身の倫理的規範として貫く修行ができてない(中高生なら普通は、まだまだ「親に/先生に言われたから仕方なくやる」のレベルなんですが、歳をとってもそこからまったく進歩してない…)から、ちょっと挫折したとたんに「マスコミの否定的報道が」とか自分の認識外の「他者」という幻影に責任転嫁にしておしまい。

敗北と、自分たちの責任をちゃんと認識できない点で、ボロ負けした大東亜戦争を「植民地主義との闘いだった」とか、「中国や韓国にはいいこともしてやったのに恩知らずだ」と言ってる極右のおバカさんたちと、いい勝負である。

さらにはあっけなく体制の従順な下僕に転向しながら、そういう転向する自分達を「現実をちゃんと見ている自分」と自己陶酔できるオメデタさ。


問い:こんな日本に誰がした?
答え:そりゃ世代の問題でいえば、明らかに団塊の世代でしょう。あなた達があまりにおかしいから、後続世代だって身動きとれなくなってるんだし。

保守体制側にこっそり転向したとたんに社会のレールにのかって三種の神器だかなんだかの先行世代の目指した平凡な中流を、まだ中流ならあったはずの慎ましさすらかなぐりすて、経済発展とともに成金趣味に肥大させ、一方で「自分たちはいつまでも青春してる若者で、大人になれないんだ」と開き直る。どこまで卑劣で無責任になれば気が済むんだか。

親になっても「子どもの反抗期を許容する」という親としての最大の責任すら引き受けられない−−のは要するに、規範や信念がないから、そこで最大の価値判断基準となる「他人に嫌われる」「批判される」ことを「下位に見られる」「立場が危うい」とすぐに思い込み、だからそれだけは病的に恐れる。

あなたたちには人間の尊厳という観念がないのか、と問いたくなるほどに、ぶざま。

いやあなたたちが尊厳を持てないのは、自業自得だろうから別にいいんだけど、たとえば社会のなかで差別されるマイノリティに属する人ほど、自分の人間としての尊厳の感覚には敏感なんだから、無神経なことはやめて下さいね…というか、そうした高貴な精神を棄ててない人々を、自分たちの堕落に引き込もうとしたり、「生意気だ」と思ったりするのって…それって露骨な差別意識だよね。

…なんて指摘したら大変なことになるんでしょう。

   藤原敏史『ぼくらはもう帰れない』(2006)

なにしろ彼らがもっとも恐れるのは、他人に批判されたり嫌われること、というか政治的ないし論理的・思想的な批判と「私怨」の問題で「嫌われた!」「否定された!」とパニックになるのがまったく同次元で認識され、それイコール自分たちが「下位」「不利な立場」になると思い込んでるんだから、始末に負えないわけで。

まして自分の子どもに嫌われたらたまらない。だから「友達のような親子関係」を子どもに押し付け、反抗期も精神的な自立を許さない…のは自分たちが精神的に自律できてないアダルト・チルドレンたちなんだからしょうがないのかも知れないけど(ってそれだったら、ちゃんとカウンセリングくらい受けてくれよな、開き直られるだけじゃハタ迷惑だから)、「封建制」を批判してたはずが単に肥大した反抗期をやっただけでその先がない以上、一皮むけば自分の子どもや、自分の身近な若者たちを自分の所有物のようにしか認識できないまま、親になって40前後の「働き盛り」にはバブルを破綻させ、その後も社会の主導権と責任を担う位置に居座っておきながらなにもせず、いまさら「封建制」と呼ぶにもあまりにも幼稚な「ガキ大将」気分のまま50代後半とか60代になってるだけなんだから、幼稚な無責任もいい加減にして欲しい。

そうそう、念のため断っておくけれど、こちとら小学校の算数レベルくらいは、さすがにちゃんと計算できる。

「戦後の焼け跡から日本をここまで豊かになったのを担って来たのが我々団塊の世代なんだ」なんて大嘘は、単純計算の問題で、通用しませんよ。

なんでそんなバレバレのウソをつくのかな? いくら団塊は人数が多くて徒党を組むとウザいからって、テレビや新聞までそんな大ウソを是認・増幅するんだろうね?恥ずかしくなんないのかな?

   藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010-編集中)

団塊のいちばん最初の、昭和22年生まれが5歳になったとき、日本はすでに朝鮮特需の奇跡の復興ペースでどんどん豊かになりつつあり、その年に占領も終わっている。

だいたい「戦争を知らずに生まれた」とか、70年代だかに歌ってたのは、あんたらやん。

なぜ日本の若者はデモとかを起こさないのかという疑問が、昨今の政治経済状況のなかではたびたび提起される。そりゃそうだ、ここまでひどい扱いを上の世代からやられていたら、普通は反抗する。

現に反抗は、実は起っている。

2008年6月の、秋葉原の加藤智大被告の絶望に満ちた反抗とか、今年に入ってはその加藤君と同世代であろう引きこもり青年の暴発・家族殺傷事件とか、その他連日報道される、数々の猟奇的殺人。

いや、それはもう、10数年前から起っていたのだ。

青山真治『ユリイカ』、「人を殺してなにが悪いんだ」という少年の問いに、「殺してはいけないから殺してはいけないんだ」としか答えられなくなった、責任ある言葉を喪失している日本の「大人」たち

もうみんな忘れているであろうが、やはり加藤智大君たちと同世代になるはずの「酒鬼薔薇」事件や、その数年後に、やはり同年代の高校生が起こした福岡のバスジャック事件などから、すでにそれは始まっていたのだ。

ではなぜそれが、組織化された運動とか、指針と目標を持った社会を変えようという行動とか、現状打破のために自分を見つめ直して自己更新することには繋がらならず、ひたすら暴力生を増すだけのフラストレーションの暴発と、自己破壊行為にしか、なり得ないのか?なぜ若手の「自主映画」とやらも、そのことをこそ自分たちの映画で見せようとすら思えないのか?

団塊の世代に「今時の若者は」とか言われると、本当は頭に来る団塊ジュニア以降の世代はいるはずだ。とくに今の20代、たとえば加藤智大君の世代の奥底には、実はその行き場のない怒りと絶望が、渦巻いていてもおかしくない。

   藤原敏史『ぼくらはもう帰れない』(2006)

ただし現代の少年がそのまま青年になったような子供たちは、そのアウトレットとしての社会的な表現手段を持てないどころか、それが持てないように去勢されて育てられ、怯えのなかに生きて行くしかないように、プログラミングされて育ってしまっている。

だから自覚的な表現行為とか政治的アクションではなく、抑圧された無意識の暴力的/自己は快適な暴発としてしか、それは表出し得ない。

現に社会的に彼らの上位にあって生殺与奪圏を握ってるように見える50代以降団塊に至る「大人」たちが、「自分たちが嫌われる」ことだけを恐れ、批判されたらヒステリーを起こすだけの姿を子どもの頃からずっと見ている以上、彼らにヒステリーを起こさせればそれが社会のなかでの居場所を失うことにしか見えないように、育ってしまうしかない。

大島渚『絞死刑』今日、この大島の傑作をリメイクするならば、主人公を在日青年にする必要はない。それでも日の丸であるとかの挑発的な意匠の数々は、そのまま使えるであろう


なんせ「大人」のくせに駄々っ子のようなヒステリーを起こせば済む、免罪されてなにも言われないで済むと思い込んでるらしいのだから(って言うか、言われたって聞かない、耳に入らないんだよね。そこまで極端な選択的不注意って、立派になんらかの精神的な障碍の症状になるんだけど…)。

「団塊」およびその後の現在のニッポンの大人たちは、恐ろしいほどに身勝手でありながら、その身勝手さに開き直って「俺たちは大人になれない世代なんだ」とか「人格攻撃された」とわめくだけである。またそのいいわけの横並びの無個性、均一性が、ひどく不気味でもあるわけなのだが。

「今時の若者は」とか言う前に、「俺たちは大人になれない世代なんだ」(ってそれは、あんたらの自業自得だろ?)とか開き直ってないで、その「大人になれない」自分たちがどのようにこの社会をねじ曲げてしまっているか、下の世代を育てて彼らに自分たちを乗り越えさせるという責任をまるで放棄し、ただ真綿で首を締めるような抑圧の下にずっと置き続けているだけであることを、少しは自覚してみてはもらえないもんだろうか?

    藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010-編集中)

戦後復興は、昭和3年生まれの土本とか、昭和5年生まれの黒木和雄とか、日本映画界では華の昭和8年生まれの大島渚や吉田喜重、有馬稲子とか岡田茉莉子とか若尾文子の世代、あるいは今の天皇の世代から、60年安保をやった世代、つまりは幼少時に空襲に逃げまどった世代(たとえば王貞治の世代)がやったこと。

中卒高卒の集団就職組ならともかく、豊かになった親に大学まで行かせてもらってそこで政治運動と遅れて来た反抗期を混同してた世代がやったのは、上の世代の高度成長の恩恵に全身で浴してバブルで無駄なぜいたくをして、バブルを破綻させ、それまでの国家や社会のあり方を変えなきゃいけない意思もまるで持てないまま、先行世代の敷いたレールに無批判にのっかったままの怠惰さで、低成長かマイナス成長のままのほぼ20年間を自己保身だけ温存させただけ。

あなた方世代が社会の主役であった過去20年間、この日本国はなにか変わっただろうか? 「永遠の若者」を気取るなら、なにかを変えようと言う意思くらい持てないでどうするんだろ?

あなたたちの作った怠惰と停滞のなかで育つしかなかった今の20代に、「夢」とやらを持つことをやんわり強要するあなたたちって、なんなんですか?

もしかしたら早過ぎた傑作であるのかも知れない、大人が子どもを食い物にする残酷--大島渚『少年』は、現代をこそ予告していたのかもしれない

    『ほんの少しだけでも愛を』(2010-編集中)

「信仰なきカルト集団としての団塊ニッポン」の信仰対象とは「身勝手なワタシたちの自己満足への絶対的な信仰」か、「自分たちは大人にならないでいいんだ」という意味不明な確信に過ぎないのかも知れない。

そのなかで自分たちが「嫌われる」「批判される」ことだけを恐れる人々––まるで幼児が親や先生に叱られることを恐れるがゆえに「いい子」であり続けるかのように。

還暦前後になっても「大人」になれないどころか、自分自身という認識すら持てない人々が作ってしまったのは、自分と自己投影先しかない、「responsibility」つまり他者としっかり応答(response)するという責任の基本が、なし崩しになった社会。

そんな夢も希望も持てない状況が子どもの頃から続いている現代日本の若者に、覇気だの夢だのって…だって彼らが生まれたときから、子どもが自分達に反抗することをひたすら恐れるあまり、子どもが子どもであること、若者が若者であることをすらシステマティックに去勢して来たのは、あんたらだろ?

   藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010-編集中)

…と、こういう「団塊」批判を展開すると、「団塊団塊と一括りにするのはおかしい」とか、論点を逸らして他人に責任を転嫁したり、「お前たちになにが分かるんだ」とか逆ギレのヒステリーを起こす「団塊」なオジさんたちが出て来るのは、目に見えているのである。

そんなんだから「団塊オヤジ」って、ダメなんだよね。「一括りにするな」って、現に一括りにしてもまったく差し支えのない横並びな問題行動に一様に走られるのが、あなた方なんですから、しょうがないでしょう?

「お前たちになにが分かる」って、あなた方がおかしいこと、議論も出来ず他人をまったく見られていないことくらいは、分かりますよ。社会的正義の問題ですら私怨にすり替わってしまうほど、いい歳して社会性が低いこともなどなども含めてね。

他人のせいにするだけのいいわけ人生じゃ、還暦まで生きてたって意味ないでしょう? ↓こちら↓の「若者」の爪の垢でも煎じて飲んでみた方がいいと、思いますよ。

『ほんの少しだけでも愛を』より、「父親」を語るシーン

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