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4/18/2010

映画監督・大島渚、「ぼくはスキャンダルが大好きなんだよ」


大島渚監督に会ったのは、『愛のコリーダ』が可能な限り修整部分の少ないノーカット版で公開されようとしてる年の夏だった。その初日に大島さんは発作を起こして倒れられたので、ほんの2,3ヶ月だけのご縁であり、最初にインタビューにご自宅に伺ってから、ほんの数度取材でお会いしたり、大島プロなどに遊びに行っただけである。

もちろん大島渚の映画はそれまでにもずいぶん見ていたが、その前数年のあいだ吉田喜重監督の手伝いをしていたりしたし、当時はむしろ吉田喜重の端正なラディカリズムのフォルムの追求に惹かれていたのは確かだし、『愛のコリーダ』リバイバルの前の公開作となる『御法度』では、けっこう厳しい批評を書いていたりしている。

しかし大島監督にお会いするのは、とても楽しかった。

『愛のコリーダ』は僕自身はフランスなどで完全な形で見ていたものの、このときの公開はリバイバルというより、大島渚に言わせれば、真の意味での、というか事実上の日本初公開であり、大島さんも相当な意気込みだったのだろう、病身をおしてずいぶんと取材を受けられていた。僕はすぐに「ぼくの最新作として見て欲しい」と言われたし、他のインタビューでも時代背景などの歴史的/映画史的な切り口の質問には「いいえ」とだけいってほとんど取り合わなかったそうだ。まあこちらは「最新作として見て欲しい」とも言われたし、もともと専門家でもないので、そういう質問はしなかったのだが、政治的な意図などを訊いてもたいていは「そんなつまらない見方はして欲しくないんだよね」、そうは言っても気になる庭の隅の傾いだ鳥居のことを訊いても、「そんなのあったっけ? たぶん戸田(重昌・美術監督)さんが勝手にやったんだよ」という感じである。

初回はともかく、再度のインタビューとなると大島さんは「なんだまた君か」とわざと不機嫌な顔をしながら、こっちを挑発するようなことをわざとおっしゃって来る。「負けてなるものか」とつい思ってしまいながらも別にムキになるわけでは決してなく、実は大島さんの大きなペースに乗せられながら自分のペースで自分の本当に聞きたいことを、こっちも時々挑発を交えながらどんどん言えてしまう、そういう場を作ってしまわれる大島さんは、ものすごく巧い「インタビュイー」(取材を受ける側)だった。

今思えばそれこそが大島演出だったのかも知れない。聞き手であるこちらが、見事に大島渚に演出されていたんだと。

大島渚のキャスティングの原則は、

「一に素人、二に歌うたい、三、四がなくて五に映画スター、六、七,八、九となくて十に新劇」

…なのだそうだ。なるほど、あれだけ人を乗せるのが巧いのだから、映画でも素人だからこそ本人の持ってる個性をストレートに引き出せてしまうのだろう。

もちろん、そこで問われるのはこっちにそこで引き出されるだけの価値のある個性があるかどうかではある。個性は才能でなきゃ意味がない、人を惹き付けるか少なくともびっくりさせるか、それも自分だから出来る/自分にしか出来ないことでなくては、意味がない。

そして実際、大島さんの映画では素人がものすごく巧い、というか巧いか下手かなんてレベルではなく、その素人そのものが役柄と絶妙な化学反応を起こして、棒読み台詞だろうがなんだろうが知ったことじゃない、そのこの世に二人といない「人物」が、素人を使ったキャスティングのときこそ、丸ごとスクリーンに現れる。『絞死刑』の死刑囚R、『戦場のメリー・クリスマス』のハラ軍曹(大島渚は当時「タケちゃんマン」と呼んでいた。今では立派な映画俳優兼監督だが)…。

映画を作るようになる前、映画ジャーナリストとしてのインタビュアーの体験で、ずいぶんいろんな人に取材できたのだが、たぶん一番楽しかったのが大島渚だと思う。いちばん工夫も頭の回転の機転も必要だが、話し始めたら止まらない。一瞬間があって「ではちょっと話を変えまして」みたいに話が途絶えて切り替えなきゃいけないのもよくあることだが、大島さんに限ってはそんな記憶がまったくない。

大島さんは怖いという噂は以前から聞いていたし、テレビの『朝まで生テレビ』だとかで激昂される姿を見てればそりゃ怖いだろうなぁと思っていた。今思えば、あの人はいつでもすごく本気な人、本気になったらストレートだし、相手を本気にさせる人ということだったんだろうと、思うわけだが。

この初対面の以前に、大島渚は『御法度』の前に一度脳内出血で倒れ、復帰している。この映画は車椅子にのったりして撮ったものだったはずだし、僕が会った時の大島渚には、半身に麻痺がのこり、杖をついて歩かれたり、若干の言語障害もあった。あれだけ饒舌だった人が、しゃべるのが億劫なところがあったようだ。

だからなのだろうか、インタビューの始まりでは、大島渚の返事のほとんどが「うん」のひとことだけ。

そりゃ賛同して頂けるのは光栄だし、僕の解釈に納得してもらえているんだとしたら鼻高々になって嬉しいわけだけど、なにしろインタビューである。大島渚の言葉を記事にするのが仕事なんだから、それが「うん」ばかりで時々「いや」だけでは困ってしまう。

そこで10分くらいしたところで、わざと質問をこっちの意図と少しズラして訊くようにしてみた。すると「いやそれはちょっと違うんだよ」とおっしゃって、それからバーッと言葉が続く。その話がおもしろいんだけど次の質問もあえてその話がちょっとだけ分からなかったフリをして訊くと、「いやそれはちょっと違います」でまたバーッと饒舌な大島節。

考えてみたらえらく生意気なことをやったものである。しかし大島渚は、毎回毎回少しイラっとしながらも、実に饒舌な言葉が膨大に続くので、記事にするには万々歳である。「この生意気なガキめ」って雰囲気も微妙に発しているぶんスリリングで、こっちも一生懸命にわざとズラした質問をする丁々発止状態。

あっというまに1時間の最初のインタビュー…ではなかった、予定は1時間なのに1時間半以上でやっとお庭に出て頂いての写真撮影。写真家の要請が「自然にしゃべってる感じ」だったので、庭に出ても話は続く。

写真家が「いちばん好きな映画」を訊いたときはちょっと不機嫌な大島監督、答えはない。そこで僕が「松竹に入社されたころに木下恵介監督の『女の園』をベストワンにあげられてましたよね」と訊くと、「いや、あれは違うんだよ君。『これくらいはやらなきゃしょうがない』という意味だよ!」。

その最初のインタビューの決め台詞は

「『愛のコリーダ』でぼくは燃え尽きました」

だった。

さてその後のインタビューの終わりに、よせばいいのにこれを蒸し返す僕。「あのとき『愛のコリーダ』で燃え尽きた、っておっしゃいましたよね」「うん、言ったよ!」「ではお訊ねしますが…」「なんだね?」「それでは『愛の亡霊』『戦場のメリー・クリスマス』『マックス・モンナムール』『御法度』はなんだったんですかッ!?」。大島さんは一瞬ニヤっと笑い、すぐにしかめっ面になって「イヤなこと訊くねぇ、君も」。

そんな大島さんのしかめっ面は、しかし「怖い」とか「まずいこと訊いてしまった」と思わせるところはなにもない、「してやったり」とこっちに思わせてくれるような、この人は本当に見事な『男たらし、人たらし』だった。

そんなしかめっ面のゲームはインタビュー後にまた再開、なんとその場に前のインタビューの原稿のゲラ刷りが届き、僕の目の前で大島さんのチェックが入ることに。

参ったなぁ、と思いながら神妙な顔をしていると、見る見るうちに顔が曇る大島監督。「うわ、やばっ」とさすがに怖くなると、「キミッ! ここは間違ってるよ!」と言っておもむろに赤を入れられたのは…一行目の「カンヌ映画祭」を「カンヌ国際映画祭」に訂正。「あとはこれでいいよ。おもしろかった」

もう10年くらい前の話だ。僕はまだ20代だし、年齢よりも若く、というか子どもっぽく見られるから、大島さんにしてみればただの子ども相手だったろう。相手は世界のオーシマ。でも大島さんにインタビューしているあいだ、インタビュアーとインタビュイーはまったく対等だった。

大巨匠なんだし病気もあるのだし、といった気遣いを絶対にさせないなにかが、大島渚にはあった。だからこっちは遠慮しない、遠慮なんてできない。それが楽しかった。

『愛のコリーダ』の初日は舞台挨拶があるというので、僕も配給会社の人に頼んで劇場に入れてもらってた。だが大島渚は現れないで、確か「諸般の事情」で挨拶は中止になり、映画が始まった。「実は発作で倒れられた」と知らされた。その後、大島プロからの年賀状の返事を頂き、大島瑛子さんに電話をした(よかったら連絡を、とか書いてあったかなにかだったっけ? パンフレットのプロダクション・ノートも書いたので、瑛子さんにもいろいろお世話になっていたのだが、そのお礼もかねて)。「監督はいかがですか」「あまりよくないのよ」。

大島はこのときの『愛のコリーダ』公開を、「ぼくの最新作として見て欲しい」と何度も言っていた。今となっては、その『愛のコリーダ』が大島渚の「遺作」となるのかも知れない。

それはそれで寂しいことではあるが、これが「遺作」になるとしたら、それは大島渚という映画作家にとって、非常にふさわしいことでもある。

明治維新以降の西洋文明の流入で性がタブー扱いされるようになる以前の日本の性文化のあり方に、大島は大きな興味を持っていた。それならば明治以前の日本において、性とは愛の営みである一方で、こと遊郭などの場においては生と死の儀式の面を持ち、だから遊郭は都市の鬼門封じの寺社仏閣や、墓地などとセットで存在している例が多い。そして「完璧なポルノ、女のひとたちが喜ぶポルノを作りたかった」と堂々と大島が語る『愛のコリーダ』は、究極の愛の営みとして恍惚のなかの死に至る、愛と生と死の儀式としての映画でもあった。

後日談。『御法度』のときに僕は「プレミア日本版」のレビュー欄トップ記事で、かなり辛辣なことを書いていた。別にけなしたつもりはないけれど、大島渚に敬意を表して絶賛一色だった公開時に、話題作りの巧さについてけっこう底意地悪く分析するなど、まあ褒めてる批評ではおよそない。でもまだまだ無名の駆け出しの書いたものだし、たぶん大島渚はまったく読んでないだろうと踏んでいた。「カンヌ映画祭」を「カンヌ国際映画祭」に訂正されただけだった原稿チェックでも、ぜんぜん気にしていなかった。

あとで確か大島瑛子プロデューサーと雑談してたときだったと思う。大島監督が自分の作品について出る批評は全部読むということを知らされた。「僕も『御法度』のとき、実はレビューを書いてるんですが…」「『プレミア』でしょ、大島は当然読んでるわよ」。

さらにわざわざ言う必要もないので言わなかったことだが、大島渚とはまったく馬が合わず親交もない吉田喜重の手伝いを僕がやってたことも、全部バレていたのである。バレてる上で僕に吉田喜重について挑発的なことを言って、僕にわざわざ反論までさせていたのである。恐るべし大島渚。

もう10年も前に、大島渚という人に出会えたときの体験を、最近なぜか思い出すのは、こないだやっと撮影が終わった大阪での集団即興劇映画のせいもあるのかも知れない。

撮っている最中にずっと意識していたのは、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーだった。

そしてこれからその膨大な素材を映画にまとめていこうとしているとき、迷いに迷うことも多い編集の初期段階で指針になってくれているのが、大島渚の映画であり、大島渚の書いた文章。たとえば、

「初めから解らないのはあたり前で、初めから解るならこんな映画を作る気は全然ないし、初めは解らなくても映画の最後になって初めて解る、そういう映画をオレは作りたいんだ」

あるいは、

「私は現代では使命という言葉に縛られて、可能性のある芸術家が内面的な自由さを失っていることが多い事実の方に、むしろ弊害があると思う」


そして『愛のコリーダ』の製作動機ついてあっさりと、

「ぼくはスキャンダルが大好きなんだよ」

そう言い放った大島渚、その顔と声の記憶に、今、叱咤激励されている。

タブーなんて恐れるな。タブーにぶつかってもひるむな、「スキャンダルが大好き」で戦い抜け。

2 件のコメント:

  1. いつも興味深く拝読しています。

    ところで、大島渚監督と吉田喜重監督との関係についてですが、

    ≫まったく馬が合わず親交もない

    というのは、事実と多少異なると思います。

    『わが日本精神改造計画 異郷からの発作的レポート』(大島渚、産報、1972、絶版)の第2章「少年」からゴダールまで、痔伝的ベネチア映画祭のうらおもて を以前古本屋で立ち読みしたことがありますが、そこでは、フランスのホテルで痔に苦しんでいる大島渚を、同じホテルに宿泊していた吉田喜重が、松竹時代に苦労を共にした助監督仲間として、毎日のように見舞いに来てくれた様子が、大変親しげな筆致で綴られていた、と記憶しています。
    また、そこでは、吉田監督宛てに、毎日のように岡田茉莉子さんから国際郵便が来ること、しかもその手紙の内容が甘いラブレターではなく、日本の映画界の同業者についての辛辣なレポートだったらしく、それを吉田監督が声を上げて笑いながら読むのを見て、大島渚も驚いたという、まさに驚くべき女優・岡田茉莉子の筆力と夫婦愛に関するエピソードまで記されていました。
    ちなみに、大島渚自身は、松竹の助監督時代、直接叱られたことはなかったそうですが、やっぱり岡田さんは怖かったそうです。
    http://www.mc-books.org/kobetu.php?id=1271

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  2. どうもコメントありがとうございます。吉田、大島両氏から、「松竹ヌーヴェルバーグ」ってどうだったんですか、三人とも仲良かったんですか?」について話は聞いてますが、吉田さん大島さんがそれぞれにお互いについてどう論評したかは、ちょっと公開していいのかどうか…。「会社が宣伝でやったことですからね、ほとんど付き合いはありませんでした」(吉田)、「あんなの城戸四郎のでっちあげだよ」(大島)以上は、やめとこう。ただ吉田喜重氏は極めて礼儀正しく思いやりの固まりみたいなところがあるので、病気のときはその限りではないでしょうね。
    あと茉莉子さんが甘い言葉のラブレターというのは、そもそもあり得ません、想像がつきません(笑)。

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