最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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1/19/2018

スポーツの政治利用は許せない?


北朝鮮が新年早々に平昌冬期オリンピックへの参加を表明して以来、がぜん日本のメディアやネット世論で「スポーツの政治利用は」云々という言葉が飛び交っている。

まずそういうことを言うのなら、安倍総理大臣と2020年東京オリンピックの露骨な政治利用についても同じことを言わなければみっともないダブスタにしかなるまい。

たとえば「オリンピックを開催できないと言っても過言ではない」と言い張って「テロ等準備罪」を国会で強行採決したのはなんだったのか?

もちろん「スポーツの政治利用」以前に、共謀罪はオリンピックの開催とまったく関係がない。そもそも国際組織犯罪防止条約の批准のために共謀罪の導入が必要だと言うのなら、この条約はテロ対策を想定していないし、テロなど政治犯を対象とすることが厳格に禁じられているのだから安倍首相の主張そのものがただの噓でしかなかったことの方が大問題だ。

だがだからこそ、スポーツの政治利用が本来なら成立しないことで政府にスポーツの政治利用を許してしまった日本の世論はなんなんだ、という話にしかならないのに、今さらなにを、ただ韓国の悪口を言いたいためだけに、見え透いた二枚舌を始めているのだろう?

さらには2020年のオリンピックの年に合わせて改正した憲法を施行して「新しい日本がここから始まる」とか言っているのも安倍首相だ。

しかも安倍首相は、今度は韓国政府が2015年末のいわゆる慰安婦合意批判したことにヘソを曲げて開会式に行かないなどと言っているのも、五輪の成功のためには安倍にも出席して欲しいという韓国政府の足下を見て妥協を迫っているつもりである以上(そんな御都合主義な展開になるわけがないにせよ)は、この点でも日本の現政府による悪質なスポーツの政治利用こそが責められなければ、とんだダブスタにしかならない。

だいたい、オリンピックは常に政治利用されて来た。代表選手に「日の丸を背負って」などとメディアが言わせ続けているのは国威発揚の政治利用の典型だし、金メダリストに国民栄誉賞を与えるのも政権人気取りの露骨な政治利用だ。

オリンピック憲章は実は国ごとのメダルの数を競うことを禁じていて、各国のオリンピック委員会はメダル数集計を公表してはいけないことになっている。それでも「日本のメダルは◯◯個」とメディアが熱狂しているのも、露骨なスポーツの政治利用以外のなにものでもない。

2016年のリオ・オリンピックは葛藤を乗り越えての多民族の共存と環境保護、さらには自然と人間の共存という、明確に政治的なテーマをコンセプトとして掲げていて、それはブラジルの歴史を象徴的に表現した開会式でも明確に示されていた。

フェルナンド・メレイエス演出 2016年リオデジャネイロ・オリンピック開会式


浅田真央がフィギュアスケートの歴史を変えた天才であるのは間違いないが、彼女がきっかけでこのスポーツが日本でブームになったのは、同じ年生まれで一ヶ月しか誕生日が違わないキム・ヨナという韓国人のライバルがいたのでマスコミが騒いだからでもある。これは本当に彼女のスケートに感動する人にとってはまったくどうでもいいことでしかなかったが、しかしそれでも浅田真央の天才が、戦後日本をずっと蝕み続けている韓国嫌い朝鮮民族差別の下らない政治プロパガンダに政治利用されてしまっていたのもまた、残念な現実だった。

この2人がお互いを高め合うことでフィギュアスケートの女子シングルの歴史が変わった、その絶頂となったヴァンクーヴァー冬期オリンピックのシーズンなぞ、2人のライバル関係を政治利用していたオジサンたちは、実はキム・ヨナの分かり易いお色気ショーの『007』方が遥かにお気に召していたらしく、浅田真央のプログラムの凄さが理解できないまま「キム・ヨナみたいな大人の女性らしさがなくては勝てない」などと鼻の下を伸ばしているくだらないコメンテーターもうじゃうじゃいた。いやだから、あれを「大人の女性の色気」とか言ってる時点で、オジサンたちは政治的にダメダメなのだが。

またまったく別の次元で、その2009-20010シーズンの浅田真央の特にフリースケーティングは極めて政治的だ。こういう表現をフィギュアスケートでやったこともまた彼女の天才であり、それがフィギュアの表現の革命となったのもまた、優れて政治的な意味を含んでのことだ。

 浅田真央 ラフマニノフ作曲「モスクワの鐘」 ヴァンクーヴァー五輪フリー


もちろんこの演技はまず息を呑み圧倒されるべきもので、いちいち政治的なものだと意識して見るのも野暮な話ではあるが、しかし「これは政治的だ」と言われても気がつかないとしたら、それはそれでひどく鈍感だろう。

あえて野暮を承知で言っておけば、当時の浅田のコーチで、この曲を女子フィギュアでやることが夢で、振り付けも手がけたタチアナ・タラソワは、このプログラムを「世界平和のメッセージだ。真央にはそのメッセージを届けられる強さがある」と言っている。あとは出だしの、両手で自分の頬を激しく打つ仕草を見れば、これがある強固かつ普遍的な政治的主張を持った表現であることは自明だろう。

エフゲニー・キーシン ラフマニノフ「プレリュード ハ短調 作品3 第二番」


一部の…ではなく残念ながら多くの日本人が「日韓対決」という下らない政治利用でこれを消費していたのとはまったく無関係な別次元の話で、この年のキム・ヨナがスケートとして保守的な優等生なプログラムを選んだだけでなく、そこで極めて保守的なジェンダー役割に植民地主義的な価値観をまぶした女性像(というか、要するにアジア人の小悪魔娼婦イメージ)に徹して金メダルを狙ったことの、浅田真央の激しい挑戦との鮮烈なコントラストがまた、フィギュアスケートという競技の枠組みを超えた優れて政治的な「対決」をあのオリンピックのリンクに生み出していた。

今年のオリンピックの日本女子フィギュアのエース宮原知子もまた、あえて極めて豪速球かつ変化球な政治的なプログラムをぶつけて来ている。

なにしろショートプログラムはハリウッド映画『Memoirs of a Geisha(日本語題「SAYURI」)』で、フリースケーティグはあのオペラ『蝶々夫人』、つまり西洋の植民地主義的女性蔑視丸出しの「フジヤマ・ゲイシャ」な日本ファンタジーとして書かれた音楽をあえて使って、それを「女性の強さ」の表現に読み替えて見せるのだから、変化球であると同時に分かり易い過ぎるほどの豪速球な政治性だ。

それがまた、これまで「ミス・パーフェクト」「練習の虫」としてばかり褒められて来た彼女にとって、とてもパーソナルな葛藤を反映した自己イメージの克服でもあるからこそ、いっそう政治性かつ革命性を帯びた表現になっている。

宮原知子 プッチーニ作曲『蝶々夫人』2017年日本選手権フリー


技術とともに芸術性を競う採点競技のフィギュアスケートが、その芸術性において時に鋭い政治的表現力を持つのは「スポーツ」としては例外ではあろうが、そうでなくともスポーツというのは元々、よくも悪くも政治性を持って受容されるものであり、ナショナル・チームを編成して競い合う国際大会となれば特にそうだ。野球のナショナル・チームが「サムライ・ジャパン」でサッカーのナショナル・チームが「サムライ・ブルー」、エンブレムが八咫烏の平成ニッポンが、いまさら「スポーツの政治利用が」と言い出すこと自体が滑稽だ。戦後のオリンピック憲章に「政治利用」を禁じる条項が書き込まれたのは、1936年のベルリン・オリンピックがまさにこうした国威発揚の政治利用に露骨に利用されたことへの反省に基づいている。

そもそも19世紀のヨーロッパでスポーツの振興が始まったのは、産業革命の結果で過酷な労働環境に置かれた労働者が虐待的な状況下で病気も増えたアンチテーゼで、太陽を浴びてのびのびと身体を使いより健康になろう、という運動であった一方で、国民国家の成立で身体的に強健な国民が徴兵制の普及と国民皆兵的なイデオロギーのなかで「健全な精神は健全な肉体に宿る」が称揚された、近代オリンピックもその文脈のなかで産まれたものであり、これをもっとも露骨に、しかも人種主義の優生思想と結びつけてプロパガンダに利用したのがナチスだった。

『民族の祭典』『美の祭典』1936-37年

その一方でオリンピックが「平和の祭典」で、クーベルタン男爵が近代オリンピックを始めたのが植民地主義の最終局面で列強間の競争や紛争が絶えなかった時代に、古代ギリシャでオリンピックの開催期間中は戦争状態の都市国家どうしでも停戦するという国際ルールがあったことを前提にした、つまりオリンピックそのものがまた別の次元で平和と全人類の和解という政治性を持った政治的なイヴェントだ。

さらに戦後のオリンピックでは合わせて開催されるパラリンピックがより重要性がましている。スポーツの振興が健康増進の肯定的メッセージを必然的に伴う一方で、その「健康」理念自体がファシズムに陥りかねない危険性のアンチテーゼであると同時に、こと近年のパラリンピックは障がい者の「見える化」で社会のバリアフリー化の必要を意識させる優れて政治的なメッセージ性を発信している。東京都が猪瀬知事の時代にオリンピック招致に熱中したのも、そもそもが超高齢化社会を目前にしてのパラリンピックが都市インフラのバリアフリー化を進める最適のキャンペーンだったからでもある。

アパルトヘイトが終わった南アフリカでネルソン・マンデラが大統領になった時、「黒人の復讐」に怯え特権を失ったことに恨みつらみも激しい旧支配者層の白人と、政治的平等は獲得できても経済的には圧倒的に不利なままだった圧倒多数の黒人のあいだで、国は分断されていた。マンデラはそこであえて、南アフリカでは白人のスポーツだったラグビーのワールド・カップが自国で開催されることに目を付けて、ラグビーのナショナル・チームのキャプテンのフランソワ・ピナール(もちろん白人)に優勝するように密かに命じた。それもレギュラーに黒人選手が1人しかいなかったのを「黒人を増やせ」とも言わず、代わりに白人だらけのナショナル・チームが黒人の貧民街というかせいぜいキャンプとしか呼びようがないほど貧しい場所に行って、黒人の子供たち相手にラグビー教室をやらせて、その光景を全国ニュースでテレビに流したりしたのだ。

これは俳優のモーガン・フリーマンが映画化を企画し、クリント・イーストウッド監督によって映画化されている。

C.イーストウッド監督『インビクタス』2010年

もちろん現実がこの映画ほど巧く行ったわけでもないが、それでもマンデラによるスポーツの政治利用が、分断していた国民の統合に大きな意味を持ったことは確かだ。そしてこれを「政治利用だ、許せない」と言い出す者はさすがにいまい。

1995年ワールドカップ決勝戦 南アフリカ対ニュージーランド 国歌斉唱

もちろん北朝鮮・金正恩政権が、オリンピック参加を表明するタイミングのあざといまでに巧みな計算まで含めて、このチャンスを外交的に徹底的に利用しているのは言うまでもない。韓国の右派が「これでは平昌オリンピックではなく平壌オリンピックだ」と文句を言いたくなる気持ちも分からなくはない。

だが分断国家となった民族の和解がオリンピックそれ自体の持つ政治性とぴったり合ったテーマであることに異論の余地はない以上、「韓国が日本やアメリカとの連携を乱している」などと言い出すのはあまりにはしたない…というか、最低限の国際常識すら欠如している。

確かに女子アイスホッケーの南北合同チームとまで来ると、いきなり本来出場権のなかった北の選手と一緒にプレーしなくてはならなくなった韓国チームの選手は、チームワークを作り上げるだけの練習時間も与えられないまま大会に臨まなければならなくなったし、5人だか7人だかだけ参加する北の選手も大変ではあろう。しかも大統領には「人気がない競技に注目が集まる」と言われ、首相には「どうせメダルの見込みもないし」と言われっぱなしなのはさすがにかわいそうで、大統領も首相も、もうちょっと言いようがあるんじゃないか、とは思う。 
しかししょせんは、他所の国の話だ。日本のマスコミがなぜこうも事細かに報じたがるのかには、別の意図(はっきり言えば人種差別)があからさまだ。 
スポーツ選手が「これでは選手がベストが出せない」と同情することを除けば、日本人がとやかく言うことではない(それにメダルの見込みがないのは現実)し、そもそもオリピックに女子アイスホッケーがあることすら知らなかったような人達がなにを言ってるんだ、としかなるまい。

北朝鮮が見事に平昌オリンピックを外交に利用してみせているのは、金正恩の狡猾な外交手腕がそれだけ傑出していて、そのマニピュレーションに日本などの敵対国が翻弄されているだけのことだ。文句を言っているヒマがあるのなら、日本ももう少しは国際的な大義名分で通用しそうなオリンピックの政治利用法とか、多少はマシな外交的狡猾さを身につけるためのお手本としてしっかり研究でもした方がいい。

なにしろ反北朝鮮で「世界の結束」を呼びかけているつもりの日本は、そこで他国を巻き込めるだけのまっとうな大義名分のひとつも提示できていない。

バルト3国を訪問して「北朝鮮包囲網で各国の賛同を得た」かのように日本の報道を通して政府は吹聴しているが、どうとでも取れる一般論を口にしてリップサービスで賛成してもらっただけ、オリンピックを機に南北朝戦の関係が少しでも良好になれば、それが「核問題」の解決につながることを期待している国際世論から、日本だけが浮きまくっている。

まあもちろん、安倍政権が「核問題」の解決をまったく望んでいないのだから当たり前ではある。なにしろこの解決には最終的に米朝直接交渉以外の手段はないし、そこで北朝鮮の核保有をアメリカが制約しようとするのなら、今やその北朝鮮も核弾頭やミサイルを持っている以上、アメリカもまた朝鮮半島で使える核武装をある程度は削減すること以外に妥結はあり得ない。

それこそ「朝鮮半島の非核化」を言うのなら、アメリカが北朝鮮に向けている核ミサイルや、沖縄に密かに(半ば公然の秘密として)配備されてそこからいつでも韓国に持ち込める核兵器もまた全廃しなければ、「非核化」にはならない。朝鮮半島が「非核化」されるなら、日本の「核の傘」は放棄しなければ「非核化」にならない。だから朝鮮半島の非核化を北朝鮮の非核化にスリ替えているのが安倍政権だが、こんな誤摩化しは日本国内でしか通用しない。

…っていうか、それにしても2020年東京オリンピックの準備は、もう少しなんとかなりませんかね? 国際的な「平和の祭典」であることも無視し、世界中から選手が集まって来ることもそっちのけで、エンブレム選びでもマスコット選びでも、コンセプトはバカの一つ覚えで「日本の伝統」なのだそうだ。開会式・閉会式は安倍さんが大好きな『永遠の0』の監督さんだそうだが、まさか特攻隊賛美なんてやらかすんじゃなかろうか? 「維新の志士」を美化するチャンバラごっこでも始められたりとか、そもそも外国人には意味が分からないひどく退屈な独りよがりな「蝶々夫人」的エキゾチシズムの羅列でもやられそうで気が気でない。

だいたいネーム・バリューからしても、2008年北京はかつての天才・張芸謀、2012年ロンドンはダニー・ボイル(『トレイン・スポッティング』『ザ・ビーチ』)、2016年リオはフェルナンド・メレイエス(『シティ・オブ・ゴッド』)と国際的な知名度からも納得する人選だが、『ALWAYS 三丁目の夕陽』と『永遠の0』は安倍さんの趣味だけで、そもそも日本国内しかマーケットとして想定していない映画の監督というのも…これでは「政治利用」どころか私物化だ。

数年前には「音楽の政治利用は」という文句が富士ロック・フェスティバルに殺到して、そもそもロックは政治的なものだろうに「純粋に音楽を楽しみたい」などとロック世代がえらくズッコケていたこともあったが、一方で昨今の「紅白歌合戦」でも見れば、あまりにストレートな政治的メッセージ性がそのまま歌詞になっていて、またそのメッセージというのが全部同じ安直な自己肯定で聴き手を慰めているのが不気味なほどだ。

日本のポピュラー音楽におけるこうした露骨に退行的で反動的な政治的逃避の傾向の元を辿っていくと、価値観の多様性を歌って大ヒットした『世界にひとつだけの花』に行き着く(この歌は同性愛者であることが暴露されてしまった作詞作曲の槇原敬之個人にとって、極めて重要な政治的ステートメントでもあった)のだろうが、それぞれにバケツのなかでピンと胸を張っている花たちが「みんながオンリーワン」でありだからこそ「ナンバーワン」だったのが、いつのまにか聴き手それぞれが、胸を張らなくてもいいから今のままでいいよ、と言われて承認欲求を満足させていればいい堂々回りと言うのは、それはそれで立派な政治性だ(と言うか、あまり「立派」でもないが)。

「◯◯の政治利用は」と文句を言う人達こそが、スポーツでも音楽でも映画でも、歴史教育でも、それを安易な自己肯定=現政権肯定のメッセージという政治性に利用しているだけで、そこに疑義を提起されるのが気に入らないだけではないか?

1/10/2018

負け惜しみも程々に…(あまりに見苦しい日本外交と政権忖度メディア)



韓国と北朝鮮のあいだで、北朝鮮の平昌オリンピック参加に向けた交渉が始まったことに、日本政府がえらくご機嫌斜めらしい。

政府だけならまだしょうがないが(安倍さんと熱烈支持層思惑が外れて悔しいのは分からないではないが)、マスコミ報道まで同調しているのはさすがに呆れる。そんなことより、わずか一週間前には「新年早々に北朝鮮がミサイルを発射する兆候」を騒いでいたことはどう言い訳するのだろう? 案の定、完全な誤報になったではないか。

今度は「北朝鮮は韓国とアメリカや日本のあいだにクサビを打ち込むつもりで、韓国は騙されているんだ」と言わんばかりの報道というのも、自分達こそ見事に騙されたこと(「米国メディア」に踊らされてまたミサイル発射があると騒いだ空振り報道)の負け惜しみにも見えるというか、言ってることがコロコロ変わる無責任報道もみっともなさ過ぎはしないか? 北朝鮮外交が打ち出す狡猾なあの手この手の巧妙さもあるにしても、あまりに分析的な冷静さに欠如している。

恐らく昨年暮れに米メディアが「ミサイル発射の兆候」を報じたのは、無根拠なわけもあるまい。北朝鮮側がわざとそう報道させるような動きをこれ見よがしにやって見せて、アメリカ側が見事に引っかかっただけだ。金正恩は新年に平昌オリンピックへの参加を表明するサプライズ効果を高めるために、わざと真逆のことをその前に報道させるように、いわば「騙した」のだろう。 
まあ引っかかる方が間抜け過ぎるわけなのは言うまでもないが。

もちろんオリンピックは「平和の祭典」だ。そのオリンピックが偶発的な軍事衝突がいつ起こるとも分からない環境で行われるなんてあってはならないわけで、韓国だけでなくIOCも北朝鮮の参加を切望しているのも当たり前だ。

対話が続いている間は少なくとも偶発的な開戦のリスクは低下するわけで、安倍さんはなにを「対話のための対話は意味がない」などと勘違いしているのだろう? それともオリンピック開催中に当の開催国が戦争に巻き込まれることでも期待していたのだろうか?

意表をつかれたドナルド・トランプは休日に思わず不満をツイートしてしまったが、そのトランプでさえウィークデーに入って仕事モードになれば歓迎を表明し(外交常識としてこれは歓迎するしかない)、北朝鮮が自ら妥協したようにも見えることを自分が圧力をかけてきたお陰だと言うに留めた。まあこれも苦し紛れな言い訳ではあるが、アメリカ国民にとっても日本国民にとっても、オリンピックが名実ともに「平和の祭典」になるのはまず無条件に喜ばしいことだ。

ましてこの南北対話の再開でアメリカも突然の軍事攻撃などはできなくなり、当分は北朝鮮のミサイル演習も核実験もないのが確実になっただけでも、少しは安心していい朗報ではないか。アメリカが韓国に圧力をかけて会談を潰そうとすれば、国際社会で孤立するのはアメリカだ。

まあトランプ本人は「オリンピックは平和の祭典」に巧くつけ込まれ、先手を打たれて梯子を外された交渉当事者として「してやられた」と悔しい限りではあろう。北と韓国のあいだで米韓合同軍事演習の無期延期みたいな話が出て来かねず、そうなったら韓国も文在寅政権ならむしろ賛同し、アメリカは演習ができなくなるかも知れない。それでもここは「大人の対応」に徹しないことには、結局アメリカ政府は戦争をやりたがっているだけじゃないか、と国際社会からも国民からも批判が殺到しかねない。ましてトランプは北朝鮮をただ敵視するだけで、言いがかりをつけて滅ぼしたがっているのだ、とでも思われるか言いがかりをつけられるだけでも外交的な大惨敗になるし、北朝鮮に巧妙にそこまで持ち込んでしまったのだ。

韓国の国民にしてみれば、リベラル派の文在寅を支持しているのにアメリカの勝手で戦争に巻き込まれるなんてたまったものではないし、元々右派政権や軍の対米従属が支持されて来ているわけでもない(朝鮮戦争でアメリカに「守ってもらった」高齢者ならともかく、とりわけ若い世代にとっては「うちの国は本当に独立国なのか?」としか思えず、屈辱的でしかない)。

どうもここが日本では理解されにくいらしいが、どの国でも自分の政府がアメリカが超大国であるというだけで言いなりになっている姿(それもその大統領は人種差別主義の白人至上主義者に支持されているドナルド・トランプ)には、大なり小なり不満があって当たり前だ。 
まして自国主催のオリンピックの最中に、アメリカの勝手な戦争に巻き込まれるなんて、民族への侮辱以外のなにものでもない。

もちろん交渉初日からトントン拍子で様々なことが決まったのを見ても(というか、正月の訓示で金正恩が五輪参加に言及した時点で分かりきったことだが)、北朝鮮が実は最初から平昌五輪に参加するつもりで、公表するタイミングでどう有効な外交交渉カードに使えるのかが、北朝鮮の政府内で慎重に考え抜かれて来たのは間違いないだろう。

まただからこそ、北側の代表は上機嫌で「記者さんたちも興味津々のようだし、いっそこのまま記者に公開で会談しましょうか?」と提案するほど落ち着き払っていたのだろう。一方の韓国側は、同盟国のアメリカへの配慮や、日本や中国との兼ね合いがあるのでさすがにすべて公開するのは二の足を踏むしかなかったが、これも北側に一本取られた格好だ。

「国際社会が北朝鮮を非難している」と日本のマスコミが言いたがるのはかなりの部分、日本国内でしか通用しない誤解だ。ハタ目にはしょせんこれは北朝鮮とアメリカの私闘バトルに過ぎず、北の核開発をアメリカが批判するのも客観的には「どっちもどっち」でしかない。北朝鮮が常にアメリカによる圧倒的な核攻撃のリスクに晒されていて、アメリカがそれを北朝鮮に対する「核抑止力」だと主張するなら、アメリカがその核攻撃能力をみだりに使えないようにするために北朝鮮がアメリカに届くICBMに核弾頭を搭載しようとするのもまた「核抑止力」でしかない。

国連安全保障理事会が「国際社会」を代表しているわけでもまったくなく、非難や制裁が決議されるのは、核武装を独占できる特権を守りたい常任理事五大国に安保理が牛耳られているからに過ぎず、その常任理事国が今の国連では核兵器禁止条約をボイコットしようとして孤立している。とりわけ核兵器禁止条約について同盟国に圧力をかけて反対させたアメリカの横暴に、それでも超大国なので文句も言えず、しぶしぶ付き合わされただけなのが安保理の制裁決議だ。

しかもオバマのアメリカならともかく今はエルサレム帰属問題への反対決議に人道援助の打ち切りで脅しをかけたようなトランプのアメリカだ。折しも政権の内幕暴露本「Fire and Fury」がベストセラーになったアメリカ国民にさえ信頼されていない。

そして「核・ミサイル問題」が北朝鮮とアメリカのどっちもどっちの「私闘」に過ぎないことを、南北会談で北側は、核武装はひたすらアメリカだけを狙ったもので、同朋を核で狙うなんてやるわけがない、と強調してみせた。記者会見では「核問題は南北間の交渉の対象ではない」とも述べたし、双方合意の共同宣言では「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」とも書かれている。

交渉の開始時に北側が、いっそ会談すべてを記者に公開すればどうかと提案したことに、日本のメディアは驚いたフリをしているが、驚くことなどなにもない。この交渉で北朝鮮に隠し立てすることはなにもないのだ。核武装はアメリカの核の脅威に対抗するためで、そこに裏も表もなにもない、まったくそのまんまでしかない。

北朝鮮政府がプライドにかけて吐露できない本音があるとすれば、実のところアメリカの核兵器で殲滅される脅威さえなくなり、韓国の政府が右派政権になって対米従属に徹して北を敵視することや、やはり対米従属しか能がない日本政府が国民の一部の在日朝鮮人差別を公然と支持するような態度を取ることもなくなって、国力の差はあっても対等の主権国家どうしの最低限の礼儀が守られた関係さえ築ければ、わざわざ大金のかかる核開発なんてやりたくもないし、うちは貧しい国なのだから本来ならもっと金を使いたいところはある、というリアリティだけだ。

日本のメディアは北朝鮮が韓国に五輪参加の旅費を要求するに違いないとか言っているが、選手や役員は選手村に泊まる権利があるのになにを言っているのか? 移動は板門店かどこかで38度線を超える陸路の方が政治的アピールは大きくなるし、経費も安い。むしろ韓国側が融和のアピールのために招待などの扱いにしたいわけで、それを「国連の制裁決議を守れ」と言って日米が圧力をかけるなら、国際的に白い目で見られるのはその日米の方だ。

「南北の問題は民族どうしの対話と交渉で」と言う共同宣言も、日本政府や日本のメディアは大いに不満で「国際社会を無視している」などとひどくトンチンカンなことを言っているが、これも現代の国際秩序の基本哲学からして当然のことで、反論の余地はない。国際連合憲章の基本は、民族自決権だ。ひとつの民族の内部の問題に他国はそもそも口を出す権限がないのが、現代の国際秩序の根本原理だ。

まして南北朝鮮が分断しているのは、世界史的には他国の都合に振り回されて来た結果の、日本の植民地支配と冷戦の遺物以外のなにものでもない。大日本帝国陸軍が植民地を守ろうともせずに敗走し、アメリカとソ連の都合で分断されてしまったのが朝鮮民族の悲劇であり、それを克服できるのが朝鮮民族の主体性だけなのは、その通りなのだ。アメリカを射程に納めるICBMの開発はしょせんアメリカの問題で、韓国の問題ではないのもその通りで、韓国にはここでアメリカへの配慮を見せて自国が半植民地の属国でしかないことを曝け出すなんて選択肢はない。

まだ韓国(や日本)が核兵器禁止条約に参加して、核兵器開発そのものを批判できるのなら話は変わって来るが、どちらも同盟国(宗主国?)アメリカへの配慮から投票を棄権している。ましてアメリカの「核の傘」の「抑止力」に期待しているというのなら、北朝鮮に完膚なきまでにやり込められてしまうだけだ。

一言でいえばまたもや北朝鮮の外交的圧勝で、しかも今回は韓国もまたまったく敗北はしていない。韓国には韓国の安全保障があり、北朝鮮のICBMの開発はアメリカの安全保障問題であって直接に韓国の安全保障には関係がない(韓国相手にICBMを使う必要はないし、同民族・同朋というだけでなく放射能汚染の問題もあるのだから韓国に核攻撃はまずやらない)という理屈でメンツは保たれているし、そもそも韓国側には核について北に妥協を迫れるカードはなかった。それがあるのはアメリカだけ、北が交渉できる相手は最初からアメリカしかいない。


とりあえず金正恩にとっては、朝鮮戦争が国際法上ではまだ「休戦状態」であることは変えなければ国の将来がないわけで、そのために使える外交カードが核とミサイル以外に見当たらないような状況に追い込んだのは彼が権力を継承してからの、例えば拉致問題の再調査の申し出をうやむやに誤摩化した日本の安倍政権や、韓国の右派政権、李明博と、とりわけ金正日への代替わり時点の政権担当者だった朴槿恵の対米従属・北敵視政策だった。北朝鮮から見れば韓国の右派はなぜ人種差別丸出しの植民地主義に与するのかとしか見えず、韓国ではその朴槿恵はすでに失脚して判決を待つ被告人の身であり、右派政権の過去の軍事独裁時代から本質的に変わっていない権力私物化体質の刷新を掲げて当選したのが、今の在文寅大統領だ。

ちなみにその韓国右派の源流であり腐敗体質・権力私物化の源泉でもある軍事独裁政権を支えた後ろ盾がアメリカだった過去も、韓国国民は忘れていない。共同宣言に「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」明記されたのには、こうした歴史的背景もあるのは見落とすべきではないだろう。北朝鮮から見れば南北の分断を固定化させたのはなによりもアメリカの陰謀であり、他の要因もあるにせよ、韓国を冷戦の極東における最前線にしようとしたアメリカの意向こそが南北分断の最大の原因であり続けて来ているのも、客観的に見れば確かにその通りなのだ。

いやソ連はどうなんだ、金日成の後ろ盾だったのはソ連ではないかと言うのなら、そんな国はもう四半世紀以上前になくなっている。アメリカの自由主義が共産主義に勝ったと言うのなら、勝って世界の覇者となった側に一定の責任があるのは当たり前だ。 
ヨーロッパで鉄のカーテンは崩れたのに朝鮮半島は分断されたままだったのはなぜか? はっきり言えば当時はまだヨーロッパ出身移民の子孫が中心の白人国家だったアメリカでは、極東アジアの朝鮮半島に関心がほとんどなかったことと、西ヨーロッパが曲がりなりにも民主主義国家だったのに対し、韓国は永らくアメリカの傀儡的な軍事独裁政権で、冷戦の終末期にやっと民主化が始まったばかりだったからだ(ちなみに韓国の民主化を「自由と人権」を常に大義名分にしたがるアメリカが支援したわけでもない)。

北朝鮮からみれば、韓国の政権が自分達を敵視する対米従属の右派ならまだしも、同じ民族の同朋が「平和の祭典」を開催するから祝福し、参加したいというのもこれまた当たり前で、これまた北朝鮮には隠し立てするところはなにもなく、「いっそこのまま記者の皆さんの前で公開で会談を」という提案を北朝鮮側ができたのも当然だ。むろん実を言えばたった2人、フィギュアのペアが一組だけの参加なのはいささか肩すかしではあるが、たったそれだけのことをこれだけ有効な外交カードに使いこなす(しかもオリンピックが民族の名誉だから協力したいこと自体は噓ではない)だけ、北朝鮮の外交は頭がいい、自国の交渉カードで国際的になにが通用してどう使えば有効なのかを考え抜いている、というだけのことでしかない。

逆に言えば、かつて1988年のソウル五輪の前に北朝鮮がテロ行為を繰り返したことを上げて「北朝鮮がオリンピックを妨害するはずだ」と思い込んで来た側が馬鹿を見ただけで、当時は冷戦の東西対決の末期だったわけで、今では状況がぜんぜん違う。むしろそんな時代錯誤な偏見に凝り固まった側のはっきり言えば頭の悪さが、あっけなく北朝鮮に裏をかかれただけだ。

日本のメディアの論調は北朝鮮がオリンピックを利用して韓国をアメリカや日本から分断しようとしていて、騙されている韓国はけしからんと言わんばかりだが、まさに「バカも休み休み言え」の典型だ。

軍事同盟はあっても、アメリカも韓国も日本もそれぞれに、国益も立場も異なっている。こと北朝鮮が今回の交渉で明言したように、核とミサイルの開発の標的はアメリカであって同朋にそんなものは向けない、というのであれば尚更のことだが、ぞもそも現在の懸案はアメリカに届くICBMの開発を許すかどうかで、トランプ支持者の求めるアメリカ・ファーストで言えば韓国や日本を犠牲にしてでも北朝鮮にそのミサイルの開発は許すな、という極論にすらなりかねないことにまったく危機感がない日本外交はどうかしている。

逆に言えば日本だって、日本列島を射程に納める中短距離ミサイルなら300発以上はすでに実戦配備されているのだ。韓国だけでなく日本にとっても、ICBMの開発は実はその安全保障にはなんの関係もない。なのにアメリカに届くミサイルを阻止するための軍事行動の報復攻撃で日本に核を搭載した中短距離ミサイル(これはとっくに実戦配備されている)が飛ぶことでも望んでいるとしか思えないのが、「韓国がアメリカや日本から分断される、韓国は騙されている」と言いたがっているガラパゴス安倍政権のニッポンだ。


それどころか「日米韓の結束」を自らぶち壊しにしたがっているとしか見えないのが日本政府だ。

南北会談と同日に、韓国外務省が2年前のいわゆる慰安婦問題「日韓合意」についての結論を発表した。この日程についてまで日本政府は疑心暗鬼に陥っているが、調査報告を昨年公表している以上は、南北会談とほぼ同時になったのは基本的に偶然の一致に過ぎない(強いていえば、北朝鮮が見計らったタイミングがそこも含めてだった可能性はあるが)。

この結論は極めて分かり易いものだが、日本のメディアは一生懸命に「分かりにくい」と印象操作に徹している。まず問題はあっても国家間合意なので、一応破棄はしない。慰安婦制度の被害者の皆さんの「癒し」と「和解」ならば、彼女たちが韓国国民ならばそれは韓国政府の責任なので、日本が拠出した10億円は要りません。「不可逆的な合意」はあるのでこれ以上韓国から日本にとやかくは言わないが、被害者が納得できる謝罪に務める義務が日本政府にあるのは、当然分かっていますよね、と言うこの上なくシンプルかつ当たり前のものだ。

要するに日本が、というか安倍政権が韓国に「ちゃんと謝ろうね。そしたら許してあげるから」と言われただけのことで、わざわざ「自発的で心のこもった謝罪」と言われたのがカチンと来るのは、気持ちは分からないでもない(他人から「自発的に」と言われるのは本来は矛盾していて、子供を叱るときくらいしか用いられない上から目線レトリックだ)が、これも自業自得だ。2015年の日韓合意の公表された3項目の第1は、安倍首相が「心からのお詫び」を表明することだったはずだが、日本側によればその義務は岸田外相がその文言を共同会見で読み上げただけで済んだことになっているらしい。

いったいどこが「心から」なのかそもそも理解不能だし、日本国内ではこれが合意内容の第1だったことすら無視されている。

だいたい子供の喧嘩の仲裁じゃあるまいし、一回謝ったからもう水に流してお互いに言いっこなしにしましょう、なんていうのが死亡者や事実上殺害された者も多い深刻な人権侵害で通用するわけがないだろうに、いったいなにをもって「最終的」と日本政府は言っているのか?

政府高官(と新聞で書かれるということは、菅義偉官房長官かその副長官のこと)は「一度行うと『次はこれ』『次はこれ』と要求される。そうならないために合意に『不可逆的』と盛り込んだ」と言い訳しているらしいが、今さらバレている噓になぜ固執して国民を騙そうとしているのだろう?

「不可逆的」はすでに韓国外務省の調査報告でも事実関係が確認されているが、韓国側が日本に要求したことで日本側が「盛り込んだ」ものではない。つまり河野談話による謝罪が日本政府の公式見解で、2015年末にも安倍首相が「心からのお詫び」を表明したことが「不可逆的」だと言質を取られたわけで、つまりは、もうこれはひっくり返しませんよね、「ただの売春婦」だの「でっち上げ」だのの暴論は今後は一切言いませんよね、しっかり反省してその反省を翻すことはありませんよね、という再確認でしかなく、日本政府が国内向けに印象づけようとしているような「10億円払ったんだから今後は慰安婦の『慰』の字も言うな、国民にも言わせるな」なんて意味には最初からなろうはずもない。

河野外相は韓国外務省の発表にさっそく「抗議」をしたそうだが、その中身は「さらなる措置を求められることはまったく受け入れられない」だというのだからトンチンカンな言いがかりもほどほどにして欲しい。そんな「さらなる措置」なんてまったく要求されていないどころか、日本政府の「措置」のつもりだった10億円も「要りません」と言われただけだ。

日本政府には抗議する理由なんてどこにもない。安倍首相が「心からのお詫び」を表明するのが合意の中身なのだから、「自発的で心のこもった謝罪」が期待されるのは理の当然だ。これ以外に韓国外務省は日本政府になにも求めておらず、10億円も「要らない」と言っているのに、なにが「さらなる措置を求められること」になるのか? だいたい安倍自身が「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」がいたと認めている(戦後70周年談話)ではないか。確かにこの受動態の一文の主体は曖昧だが、まさか「日本軍の被害者のことではない」、戦後の占領下での米軍のレイプ被害者のことだとでも、いきなり言い出すのだろうか?



いくら安倍だってまさか「お詫び」はするが「謝罪」ではない、という意味不明な詭弁でも始まるのか、というのはさすがにないとは思うが、朝鮮民族は儒教の伝統があり、敬老精神が文化の重要な一部になっている。韓国が北朝鮮に、その高齢の、それも戦時性暴力の被害者をこうも侮辱して植民地支配についてなんの反省もない日本の言いなりになるのか、と言われれば…というか言われる前から、韓国政府は沽券にかけても、安倍の「お詫び」ないし「謝罪」をうやむやにする態度を許容できるわけがないし、国際社会にも支持されない。

これでは対北朝鮮の「連携」が必要なときに、自国の身勝手どころか総理大臣の個人的な趣味だけで日韓を分断させているのは、一方的に日本側ではないか。それどころか安倍の訪米時に慰安婦制度被害者に対する不誠実な態度を批判したのはアメリカでも特に与党共和党だし、#MeToo というセクハラ被害者女性の告発が大きなうねりになっているのに、安倍はセクハラ疑惑がささやかれ性差別主義者だと批判されているトランプとなら「個人的な信頼関係」が築けるとでも思っているのだろうか?


それに韓国外務省は要するに、10億円なんてどうでもいいので自発的な謝罪を、と言っているのだ。はっきり言ってしまえば日本にとってはタダで済むことでもある。安倍さんとネット上の熱烈支持層が悔しがって前後の見境のつかない興奮状態に陥ること以外に、日本国民にとってなにも損をすることはない。

12/27/2017

極右「國體」カルト洗脳の貴乃花は、いったいなにを狙って奇行を繰り返しているのか?


日馬富士が引退して姿を消しても、大相撲の「暴行事件」騒動が連日報道を賑わしている。

いわば「第二幕」の焦点になったのは白鵬と貴乃花の確執(ただしその根底にある貴乃花の「モンゴル嫌い」は一部夕刊紙・スポーツ紙以外ではまったく触れられていない)で、「第三幕」で現在進行中の相撲協会VS貴乃花一派というか、貴乃花の気まぐれで理解不能な行動と、相撲協会がどう対応するのかに話題が移っている。

そして貴乃花はその相撲協会を挑発するように、次から次へと「奇行」を繰り返している。

親方となってからの貴乃花はメディアでは角界の「改革派」と持ち上げられながら、肝心の相撲と弟子の育成はそっちのけで相撲協会内の権力闘争にばかりご執心だったが、それでもついに貴乃花部屋で初めて、貴景勝が三役昇進・次回の正月場所で小結に決まり、それを祝う記者会見があった。


こうしたおめでたい席は普通ならその相撲部屋に設けられ、取材記者はいわばお祝いに駆けつけたお客さんのようなもの、もちろん親方が立ち会って温かい目で弟子を祝福したり、緊張しているのをうまくほぐして和やかな空気を作るのが相撲界の伝統のだったはずが、貴景勝はひとりぼっちで、それも国技館で会見をやらされた。

暴力事件の被害者・貴ノ岩の扱いにしてもそうだが、この親方、つくづく弟子をいったいなんだと思っているのだろう?

結局は、密かに東京に戻されて入院していたらしいが、だったら親方はなんで診断書を提出してやらなかったのか? 祖国モンゴルでの自分の評判をひどく気にしているそうだが、せめて入院していることと、怪我の状態が良くないことを親方がきちんと公表するだけでも、あらぬ誤解はかなり防げたはずだし、巡業を無断で休むこともなくて済んだはずだ。

「入院しているのだからそっとしておいて欲しい」というだけでも、マスコミだって多少は取材攻勢を控えていただろう。

だがマスコミに取材攻勢を控えられてしまうのは、逆に貴乃花の目論みに反することだったのではないか? むしろあまたの憶測を呼び起こす奇行を繰り返して延々とこの一件を話題にし続けることが、貴乃花の狙いなのではないか?

九州場所の間、貴乃花部屋の宿舎の前にマスコミが貼付き続けたのは結局的外れだったことにはなるが、そんな取材攻勢をかけられ見張られ続けているだけでも他の弟子たちにだって相当なストレスだろうに、そんなひどい環境に置かれた先場所で、貴景勝は横綱2人大関1人を倒す快挙を成し遂げた。

今の幕内では最年少でこの出世というのは、嬉しくてめでたくてしょうがないはずだ。しかし「喜びの会見」で貴景勝は緊張と不安で冷や汗をかくばかりで、笑顔ひとつも見せる余裕もなかった。

たった21歳の若者に、これはあまりにも酷ではないか? せっかくの晴れの席なのに、彼は記者が聞きたいのが自分のことではなく親方のことだとも百も承知だろう。なんとも幸先の悪い話でもあり、なによりもこの青年がかわいそうだ。

弟子そっちのけで貴乃花が引き延ばしに熱中して来たこのスキャンダルの、その貴乃花本人も含めて誰も得をしそうにない展開に、その動機に首を傾げる人も多い。

だがこの一件、得をしている人間が少なくとも1人は、確実にいる。

相撲界にだけ気を取られていると気付かないかもしれないが、ちょっと距離を置いて考えれば答えは簡単だ。犯罪捜査でも推理小説でも常道は、最大の受益者=最大の動機がある者をまず疑うことだが、もちろんこの大相撲騒動がトップニュースになることで政治報道がテレビからほとんど消えてしまって誰よりも助かったのは、言うまでなく安倍晋三総理大臣だ。

野党側の主張で12月8日まで審議が行われた国会の議論では、加計学園疑惑についても追及が続き、その獣医学部の新設が設置審を通った背景にも、また獣医学部新設について閣議決定された4要件に違反している可能性についても重大な疑義が提起されていたのだが、新聞以外ではほとんど報道されなかった。

森友学園疑惑では、籠池夫妻が公汎開始に至らないまま5ヶ月も拘束されて保釈が許可されない理由も見当たらないのに親族すら面会できなくなっている。日本の司法制度において前例のない異常事態というか、どうみても違法な取り扱いだが、まったく騒ぎになっていない。8億円超の国有地値引きの背景についても、財務省と学園側の交渉の録音記録がリークされ、驚愕の…というか呆れた実態が分かって来ている。なんと土中の多量のゴミをでっち上げて値引きの言い訳に使ったのは財務省の発案で、事実に反することは困ると及び腰の学園側を、法の抜け道が使える文言まで提案して財務省の側こそが押し通していたのだ。なんとも安倍コベ…ではなかったアベコベな話で、ワイドショーの格好のネタになりそうなものが、なぜかまったく取り上げられていない。

天皇の退位についても、退位日程が決まった過程にいろいろ疑問があるし、天皇がわざわざ宮内庁を通して派手な式典は要らないと表明したことも、「内幕はどうなっているのか」をあれこれ憶測するのはワイドショー的におもしろいはずが、まったくスルーされている。

麻生太郎副首相と親しいと言われるスパコンのベンチャー企業ペジー・コンピューティング社長の補助金不正受給詐欺も、まったくテレビは取り上げない。この社長氏、安倍首相と極めて親しいジャーナリストでセクハラ・レイプ事件を起こし、警視庁高輪署の丹念な証拠固めで逮捕状も出たところで、なぜか警視庁上層部が強引に捜査を打ち切らせた山口敬之氏を、自分が借りている超高級マンション(週刊新潮が調べたところでは家賃200万だとか)に住まわせてもいる。確かに経産省を騙して補助金を「詐取」した事件にも見えるが、こんな手口で経産省のエリート官僚を騙せるものなのか、ずいぶん不自然ではある。なんらかの力が働いて強引に補助金が支出されたのではないか、とワイドショーが推理に熱中しても本来ならおかしくない。

JR東海のリニア新幹線をめぐる大手ゼネコンの談合不正受注に東京地検特捜部が切り込んだのも普通なら大ニュースになるはずだ。これがまた、昨年の参院選の直後に安倍首相が突然「成長戦略」と称して3兆円の財政投融資の投入を決めたいわく付きの事業でもある。JR東海は前会長が安倍首相と「日本会議」を通じてつながった極右カルト人脈で、リニア事業はこの前会長がご執心だったのが、現経営陣は採算性の見込みが立たず途方にくれていたもので、いきなり「国家戦略」としての国費の注入がたいした議論もなく決まっただけでも本当は大問題の、森友・加計どことではない巨額オトモダチ案件だった。しかも談合を主導した大林組には、なんと安倍さんと「メシ友」なお友達幹部がいるらしい。本来ならワイドショーが喜んで飛びつく大疑獄のはずだが、まったく無視されている。

テレビ的には「貴乃花をやれば視聴率が上がる」と言われているらしいが、貴乃花がダンマリを決め込んでいる以外に新しい話題も特にないのに、本当に喜ぶ視聴者がそんなにいるのだろうか? コメンテーターがああでもない、こうでもないと同じような憶測を繰り返すだけでまったく本質も見えて来ないのだし、いいかげん飽きて来てもおかしくない。

相撲協会の危機管理委員会の鏡山親方が貴乃花部屋を訪れては居留守を使われ帰って行く繰り返しだとかはまあ、おもしろおかしくはあったし(しかし鏡山もいささか間が抜けているとはいえ、同僚の親方にあんな恥をかかせてしまえる貴乃花というのもひどい)、「貴ノ岩はどこにいるのか」もミステリー仕立てのエンタテインメント性がなかったわけでもないが、なにしろひたすら思わせぶりなだけでたいした内容もないのに、スキャンダル報道だけが肥大・膨張・増幅していくのは奇妙だ。

だがよく考えれば、こうして報道ばかりが過熱して延々と引き延ばされたのは、ひたすら貴乃花の行動があまりに不可解で思わせぶりだからに他ならない。

そして一見不可解な自爆行為としか思えなさそうな貴乃花にも、実は狙いというか思惑があって、よく見ればそれが三つほど、かなりはっきり見えて来る。

第一に、事件を知った時点で警察に被害届は出しながら相撲協会には報告せず、場所が始まってからスポーツ紙にリークして不意打ちのように報道させたのは、日馬富士の暴行事件をここぞとばかり利用して、少しでも大きなスキャンダルにするためだ。「協会にもみ消されるのを防ぐためでは」と支離滅裂な貴乃花擁護を展開するコメンテーターも多いが、馬鹿も休み休み言って欲しい。もみ消しを防ぐのなら事件を知ってすぐに警察に被害届を出すと同時に協会に報告し、あわせて自分で記者会見でも開いた方がはるかに効果的だったし、貴ノ岩も少しでも苦しまずに済ませられたはずだ。貴乃花は弟子の被害に怒ったのではない。まず話を大きくして日馬富士を確実に潰そうとし、あわよくば白鵬まで狙っただけだ。自分が黙っていた方が、その意図をマスコミが勝手に忖度してくれて、話はどんどん大きくなる。

第二に、今やかつての自分を遥かに超えた、押しも押されぬ平成の大横綱となった白鵬へのバッシングを仕掛けることだ。これはある程度は成功している。ここ数年の白鵬の取り口が勝つことだげが目的の荒っぽいものになっていたこともあって、その意味では自業自得的な面もあるが、モンゴル人という出自があるからこそ日本人よりも日本人らしい愛される優等生横綱になろうと徹して来た白鵬が、考えを改めてひたすら勝ち続けることだけに集中する大横綱になろうと決意したのは、優勝記録や連勝記録を更新し続けて名実共に貴乃花を超える平成の大横綱として認められた前後からだった。「横綱がはしたない」と批判されるような物言いをつけ始めたのはもっと分かり易く、貴乃花が審判部長だった頃だ。巡業部長になってからは、移動のバスが貴乃花の命令で白鵬を置いてきぼりにしたこともある。

そして第三に、今まさに進行中の、警察の捜査が終わったら協会の事情聴取に応じるはずが「検察の捜査が」と前言を翻してみたり、自分の主張を理事会で口答ではなくわざわざ文書にして他の理事に黙読させ、その文書はしかもわざわざ回収したり、鏡山に居留守を使い続けたりもした一見不可解な行動は、ひたすらこの事件をめぐる騒動とその報道を長引かせることが目的だと気付けば、すべて説明がつく。

本当に言いたいことがあるのなら同じ文書をマスコミに渡していれば主張はより強く伝わったはずだ。だがそうやった場合、この文書の件がワイドショーの放映時間を独占するのは、木曜日の理事会のあとの夕方と夜のニュースと、その翌日いっぱいで終わって、次の展開が必要になっていただろう。

だが最初は中身がさっぱり分からず、週が明けてから少しずつ「関係者の証言」として中身が小出しにされたことで、週末の情報番組も占有できたし、週明け後も年内いっぱいくらいはワイドショーの放送時間を押さえられる(つまり、他のたとえば政治ニュースは報道されないで済む)。

唐突に協会側に帝国ホテルに呼びつけて事情聴取に応じ、その文書と同じような内容をひたすら繰り返したらしいのも、協会側が木曜日の臨時理事会までその内容は公表できないのを見越していれば、情報が小出し・断片的にしかならないぶん憶測が憶測を呼び、ひたすらこの話題を引っ張れるという計算は当然成り立つ。

つまり貴乃花の目的が「ワイドショー独占」なら、一見不可解な行動にもすべて合理的な説明がつくし、そのワイドショー独占が成功すれば衆院選挙には勝ったが支持率は低迷したままの安倍政権が助かるのだ。

ずっと貴ノ岩の所在を隠し続けたのも、冬巡業に診断書を出さなかったのも、マスコミがああでもない、こうでもない、と憶測報道を続けることを狙った計算があったとすれば、事態は確かにその貴乃花の狙った通りに進行して来ている。

早々に「入院しているので今はそっとしておいて欲しい」とマスコミに告げ、ごく普通に貴ノ岩の診断書を協会に提出していれば、ワイドショーはそれ以上は報道できる内容がなくなり、「貴ノ岩はお気の毒」「早く恢復して正月場所での活躍が楽しみ」でこの話題は打ち切られてしまい、スパコン補助金不正やリニア談合、加計学園獣医学部があやふや・うやむやなまま認可された不透明さや、森友学園疑惑の新たに出て来た真相などなど、ワイドショーの関心は政治スキャンダルに向いて行っていただろう。

もちろんただスキャンダルを引き延ばしただけでは、貴乃花本人には結局メリットはなにもない。

メディアはなんだかんだ言ってもかつての「若貴フィーバー」のノスタルジアもあって貴乃花を応援してくれているが、付き合わされている相撲協会にしてみれば、あまりに非常識で人を馬鹿にした態度に、かつての人気横綱で「土俵の鬼」だったのだから、と貴乃花を支持して来た親方衆も、さすがに呆れて離れて行くだろうし、現に横綱審議委員会が親方の行動を批判するという異例の事態にもなった。

それに弟子にとっては親代わりなのが親方の責務なのに、貴乃花の弟子の扱いがあまりにひどい。

こうも人望を失い続けるままでは、貴乃花の「改革」の野望というか相撲協会の理事長となって角界のトップに、という野心の実現はどんどん遠のいて行くだけだ。

だが誰か大きな力を持った、いわば “黒幕” がいて、貴乃花をうまくそそのかしてとにかくこのスキャンダルを引き延ばすよう頼みでもしていれば、状況はまったく変わって来る。その “黒幕” の後ろ盾があれば相撲協会内の力関係をひっくり返せるのだ、と貴乃花に思わせることさえできれば、貴乃花は喜んでその話に乗るだろう。

どっちにしろ元横綱北勝海の八角ががっちり体制を固めて、一時の度重なるスキャンダルを乗り越えて相撲人気の回復を成功させた今の相撲協会のままでは、人付き合いが悪いことで悪名高い貴乃花がその北勝海を倒して角界に君臨するなんてことは、普通ならまずあり得ない。

だが公益法人として政府の管轄下にあるのが相撲協会だ。政治権力が貴乃花を理事長に、と動き出せば状況はがらりと変わる。

幕内優勝40回に通算1000勝などなど、数々の大記録を打ち立てた白鵬も、通ぶった人々がいかに最近の荒っぽい取り口を「横綱相撲ではない」とイチャモンをつけようが、一般相撲ファンの人気は絶大だし、そのひたすら勝ちに行く攻撃的な相撲は、白鵬の柔軟で俊敏な動きの身体的な美しさもあって、確かにメチャクチャかっこいい。ファンが喜ぶのは当然だし、その白鵬を見たくて切符を買う人も増える。

11月・九州場所の優勝インタビューでなんのことかよく分からない万歳三唱を呼びかけたのも、満場の観客が喜んで応じたのを見れば分かるように、いかに「厳重注意」を食らおうが、横綱の風格というかカリスマ性の高さも、今の相撲興行からは絶対に外せないのだし、この厳重注意だって一方では、八角体制の執行部は白鵬の渾身の(掟破りの、普通ならあり得ない非礼の)訴えを聞き入れて貴乃花を冬巡業から外したわけで、むしろいかにも日本的バランス感覚の「喧嘩両成敗」の形を成立させるための方便だろう。

だが貴乃花のバックにもし例えば与党内の極右勢力とか、安倍官邸がいれば、自分たちの人種差別の排外主義をこの政権が正当化してくれることが嬉しくてしょうがない熱烈支持層も嬉々として白鵬&モンゴル勢バッシングを展開してくれるし、そうした世論も含めて貴乃花が切望する相撲界からのモンゴル勢排除の強力な後押しにもなるだろう。

今の相撲協会の主流派なら、白鵬と貴乃花のどちらを選ぶかと言えば確実に白鵬を選ぶに決まっている。まずなによりも、相撲の興行を支えられるのは白鵬であって、貴乃花を見に相撲に行く客はいないからだ。

一部の週刊誌がいかに差別排外主義的なナショナリズムで白鵬をこき下ろそうとして、ネット上でもそうした差別排外主義が露骨なバッシングに同調する者も増え、テレビのコメンテーターもかつての若貴フィーバーの延長で貴乃花を擁護しようが、白鵬を「日本をバカにしている」「反日だ」と叫ぶいわゆるネトウヨ層のツイートなんて、八角体制が開拓した「スー女」の女性ファンは見向きもしないし、週刊誌もコメンテーターも入場料を払って両国国技館や地方場所や巡業を見に来てくれるお客さんではない(テレビ中継すら見ているかどうか怪しい)。

それに確かに相撲界は保守的で、なにしろ伝統芸能の格闘技の継承者それも「国技」だからいわば「愛国的」で、政治的傾向では右翼的な人も多い方ではあるが、保守的で愛国的だからって即乱暴な排外主義の差別主義者になるとは限らない。

むしろ日本の伝統的な真性の「保守」だったら、まったく逆になる。

たとえば日馬富士の師匠・伊勢ケ濱を見ても分かることで、引退会見で親方の方が涙を流したかと思えば、気色ばんでマスコミのぶしつけな質問を封じ込めたのは、世間の評判は悪いだろうがそれでも、伊勢ケ濱がどれだけ日馬富士を愛していて、最後まで守りたかったのかは伝わった。

ほとんどの親方衆は白鵬や日馬富士や鶴竜が、モンゴル人の彼らにとっては苦労も多い外国となる日本で、人一倍努力して、日本語も学び稽古にも励んで今の地位に上り詰めた、その一生懸命な姿を見続けて来た。生身で見て、裸で接し、時には一緒に涙も流して来たであろうその彼らに、「日本人ではない」からといって排外主義的な差別の憎悪を向けるような真似ができる親方は、若い頃から相撲しか知らない人達だからこそ、まずほとんどいないだろう。

元力士の親方衆が仕切る相撲協会は、確かに現代の世間の価値観からはズレていたり、非常識だったりはする。勉強よりも相撲の稽古に青春時代を費やしただけに教養や常識がなかったりすることも確かにあろう。旧弊な上下関係の体質もあるし、しかも相撲の興行は巨額のカネが動くものでもあるだけに、そのカネをめぐる利権やら癒着やら腐敗やらもあるだろうし、繰り返しになるが伝統芸能の格闘技を継承しているのだがら保守的でしがらみも多く、一門制度であるとかの旧態依然の派閥体質も確かにある。だがよくも悪くもそうした昔ながらの価値観の、真性の日本的な「保守」で、小難しい理屈もよく分からない人達だけに、人情というものは人一倍厚い。

だがそんな中で明らかに浮いているのが、貴乃花なのだろう。

確かに現役当時には高い身体能力で天性の相撲の才能も明らかで、土俵入りの美しさなどは天下一品だった。目鼻立ちも身体の線も見栄えもするし、初代若乃花の甥で初代貴乃花の息子の血統の良さからしてもまさに生まれながらのスター力士、まるで「天皇」的な存在ですらあった。


だが今では無条件の褒め言葉のように使われている「土俵の鬼」というのも、元々はそんな無邪気な文脈で出て来た言葉ではない。

たとえば女優・宮沢りえとの婚約の破棄だとか、なにがあったのか真相は分からないが(ざっくばらんで正直だが口は悪かった宮沢の母は「漢字もロクに読めないクセに」と怒っていた)彼女が深く傷つけられながらもあっぱれなまでに気丈に振る舞っていたことだけは確かで、それに対する貴乃花側の対応がこれまたなんとも奇妙というか冷淡というか、常識をわきまえないというか血も涙もないというか、そんなスター力士の態度をなんとか擁護するために持ち出されたのが相撲のことしか分からないという理屈で、元々は叔父の初代若乃花を指した「土俵の鬼」という形容がリサイクルされたのだ。

その後も貴乃花は、子供の頃からずっと支えてくれ、かばっても来てくれた兄の二代目若乃花ともなぜか絶縁状態になったり、父の藤島親方(初代貴乃花)が「光司は洗脳されている」と告白して大騒ぎになったこともある。

今でも貴乃花の名勝負といえばすぐ持ち出される2001年夏場所の、武蔵丸との優勝決定戦にしても、あれが「横綱相撲」で本物の「土俵の鬼」の取り組みだったとは、とても言えない。

満身創痍で膝を痛めている貴乃花を相手に、武蔵丸はとてもではないが本気で「ガチンコ相撲」は出来ず、戸惑い、遠慮して、ほとんどわざと負けたようなものだ。

これ以上怪我をひどくさせてはいけないと気を遣って手加減してくれている相手を倒して「鬼の形相」だの、当時の小泉首相が「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」と誉め称えたのも自分の「改革」方針のキャッチフレーズをうまくアピールした機転にだけは感心するが、あれは明らかにおかしいと思ったら案の定、藤島親方は息子の頑固な熱意に千秋楽の取り組みまではしぶしぶ許したが、優勝決定戦になったら棄権しろと命じていたのに、無視したのが貴乃花だったらしい。

藤島親方はまともだったわけだ。単に息子で愛弟子の身体が心配だっただけではなく、あんな状態で土俵に上がられては、やさしい人柄で知られた武蔵丸があまりに気の毒だし、貴乃花がやったことは、普通ならあんな卑怯な勝ち方はない。

だが貴乃花の場合は卑怯というよりは単に、相手のことをなにも考えていなかっただけのように思える。

これは相撲と言う競技の特質からすればかなりおかしい。貴乃花は本当に、日本の相撲の精神的な特質・特徴を考えたことがあるのだろうか? 
日本の相撲はただの格闘技ではない。 
力士同士は真剣勝負で向き合っても、必ずしもただ「敵」であるだけではない。 
そうでなくてなぜ、双方の息が合わなければ試合が始まらない、なんてルールになるのだろう? 
取り組みの相手は真剣勝負の相手であると同時に、息を合わす相手でもあるのが日本の相撲なのだ。こうして対峙する相手に対してもただ勝つだけでなく同時に高度な共感能力を持つよう要求もされていることが、日本の相撲を日本ならではの独特の文化にしている。 
だからこそ相撲は神事になり土俵は祭礼のカミを喜ばせてヒトも楽しむ場と化し、そして最強の横綱は「カミ」になり得るのだ。


今回の騒動でも、自分のスキャンダルのせいでなんの関係も責任もない貴景勝のおめでたい昇進に水を差しているのだから、せめて自分のことで弟子が苦しまないようかばってやらなければ行けないはずだ。だいたい自分の責任なのだから自分が矢面に立つのが「親」だろうに、貴乃花は記者会見に「1人で行って来い」と言って送り出したのだそうだ。薄情を通り越して身勝手で無責任、そして弟子を人だとも思っていない。

貴ノ岩はもっとかわいそうだ。貴乃花は貴ノ岩が最初は「階段から落ちた」と言い訳したのを「『親』である師匠にも言えないことが起こったに違いない」「根が深い」などと言い訳しているが、根が深いのは暴行事件の方ではなく、モンゴル人の弟子が素直に話せないような圧力をかけ続けている貴乃花部屋の体質、貴乃花自身の性格と彼が染まっている歪んだ思想の方だ。

このモンゴル人の弟子がいながら、貴乃花はテレビのインタビューでも「自分の務めは日本人の強い力士を育てること」と公言したりして来ている。さらに内輪の集まりだとかでは相撲道の理想は「國體を守る」とか「國體を支える」などとまで言っているのだ。

これを誰も批判しない相撲マスコミというのは、貴乃花本人と同じくらいどうかしている。これではほとんど恒常的な精神的虐待も同然のレイシズムに日々晒されて来たのが貴ノ岩ではないか。かくも無自覚な差別意識丸出しに俺は「親」なのだとふんぞり返る親方にこそ、弟子が正直に話せるわけがない(というか、これではまるでパワハラ、虐待的依存関係の強要だ)。

そんな貴乃花が貴ノ岩に「馴れ合いになる」と言ってモンゴル人力士の先輩や同輩との付き合いを禁じていたことを美談のように伝えるワイドショーと、「それはおかしい」と決して言わないコメンテーターは、自分達もまた大日本帝国カルトの八紘一宇めいたレイシストになってしまっていると自覚できないのだろうか?

高校生で日本に留学し、貴乃花を大横綱の「土俵の鬼」と信じて入門して一生懸命に頑張って来た貴乃岩であれば、モンゴル人だからこそ必死で日本人になりきろう、日本人の言うことに従おうとしか考えられない立場に置かれて来たはずだ。

それに相撲部屋という特殊環境では、彼がそんな貴乃花の極右排外主義に逆らいようもないのだ。洗脳されてしまうことは避けようがない(そうしなくては相撲部屋の中では生きていけない)。


これは第二次大戦中に、日本軍の、それも特攻隊にあえて志願した朝鮮人の青少年や、台湾の高砂族などの少数民族出身の日本兵や、沖縄出身の日本兵に起こったこととも通底している。

藤田嗣治『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』昭和20年(部分)
例えば彫刻家・金城実は父がそうした忠実なる日本兵として戦死したことを、自らあえて厳しく批判している。その金城は、亡父が前線から母に送った、そうした言葉が書かれた父の遺書となったハガキを、今でも大切に保存している。 
日本の当時の体制下で差別されていたからこそ、日本人以上に日本人らしくあろうとすることで日本人に認めてもらわなければならない、という強迫観念が産まれてしまっていたのだ。 
さらに沖縄戦では多くの民間人も「切り込み」などと称して米軍の陣地に地雷や手榴弾を抱えて自爆攻撃までやっているのだ。 
近現代の「日本」という社会には、こうした差別やいじめと表裏一体になった不気味な同調圧力があり続けていることに、我々自身もまたどこかで同化しながら、その自覚から逃げ続けている面は決して否定できまい。 
我々はまだ無自覚でいられるが、在日コリアンの人々にせよ、相撲界のモンゴル人力士にせよ、彼らにとっては常に迫られて意識され続けさせられる圧力になっているとしても、なんの不思議もない。


そしてここにこそ、日馬富士が我を忘れるほど怒ってカラオケのリモコンで殴りつけるような暴行に走ってしまった、真の原因があるのではないか?

同じ席で、日馬富士と照ノ富士のあいだにも緊迫したやりとりがあったそうだ。

照ノ富士は「自分たちには壁があって思った通りのことは言えない」と日馬富士に訴え、日馬富士は「そんな壁はお前たちが自分で作っているんだ」と言って顔を三、四度平手打ちをしたという。

マスコミでは懸命に、照ノ富士が言った「壁」というのは下位の自分たちは横綱には何も言えない、という意味で、相撲界の上下関係の体質の問題だと決めつけようとしているが、ちょっと考えればこれでは日馬富士の返事の意味がまったく分からなくなるし、だいたい照ノ富士だってその「壁」に向かって「壁」があると言ったのだとしたらずいぶん矛盾した話だ。

だが彼らモンゴル人力士にはまた別の、思った通りのことが言えない「壁」が確かにあるし、そこに気付けば、貴ノ岩が以前に白鵬相手に金星を上げて「これからは俺たちの時代だ」と吹聴して白鵬を怒らせたことがこの事件の遠因になっているらしいとか、断片的に報じられている当日の他のやりとりとも整合性がつくし、日馬富士が「その壁はお前たちが作ってるんだ」と言った意味もすんなり理解できる。

「壁」とは、自分たちがモンゴル人力士である以上は日本人が日本の伝統だというものに逆らうことはできないし、日本人相手に本当に思っていることは言えない、まして自分たちは差別されて悔しいなどとは絶対に言えない、という「壁」だ。

一応、照ノ富士の支援者が本人で電話に確認し、「壁」というのは横綱にはモノが言えないという意味だと言質を取ったという報道はあった。 
わざわざ電話した日本人支援者も、その情報を鬼の首を取ったように喜ぶメディアもまさに何をか言わんやの滑稽すぎる話で、「壁」本人に向かって「あなた(達)が壁です」なんて言えるわけがない。

白鵬や日馬富士本人だって、その壁に実は苦しんで来たし、自分なりに乗り越えようとして来たではないか。だったら「その『壁』はお前たちが作っているのではないか」と言うのも意味はよく分かる。

だから白鵬は、モンゴル人横綱が朝青龍の時から「横綱の品格」と言われ続けていることに「勝つことが横綱の品格だ」と最終的には開き直ったというか自分で合理的な解答に達し、土俵上では文字通り「勝負の鬼」になると決意したのだし、そうでもしなければ自分たちがいくら頑張っていい記録を残しても、最後の日本人横綱だった貴乃花を引き合いに出しては日本人横綱待望論を繰り返すマスコミ報道に、とっくの昔に耐えられなくなっていただろう。

その待望の日本人横綱に稀勢の里が特例で(二場所連続優勝ではなく一場所だけで)昇進した場所が尋常ではない稀勢の里フィーバーになり、そこで普段なら力よりもテクニックで勝つ相撲が魅力の日馬富士が(というかここ何年かは満身創痍で体力的に無理があるのを、テクニックで補って来た)、柄にもなく猪突猛進型のすさまじい取り組みで稀勢の里を土俵の外に突き飛ばし、勢い余って大怪我をさせてしまったこともあった。

貴ノ岩が単に生意気な態度で白鵬を怒らせ、白鵬の代わりに日馬富士がせっかんしてしまったということだけが、この事件ではないのではないか?

同席していた日本人の、直接に相撲界の人間ではないどころか、貴ノ岩にとっては高校時代の恩師である人たちまでがこの事件について黙っていたのも、日馬富士が怒ったのにはよほどの理由があり、それが明らかになればむしろ貴ノ岩の将来が傷つくと思ったのだとすれば、説明はつく。

そしてそんな「よほどの理由」として今の日本で考えられるのは、「モンゴル人」が絡んでもいるのだし、人種差別の問題、差別発言が真っ先に思いつく。

だいたい、貴ノ岩についても真面目で実直な性格で、とてもではないが目上に対してそんな非礼で生意気な態度を取る人間ではない、というのがもっぱらの評判だ。

だが貴ノ岩が貴乃花の極右排外主義に洗脳され、その師匠を正しいと信じ込んでいたか、懸命に師匠に合わせようとしていて、師匠に忠実であろうとするあまりにモンゴル人である大横綱相手だからあえて大横綱と認めまいと反抗的に振る舞ったり、バカにした態度を取ったり、露骨に侮辱した(たとえば「モンゴル人くささが抜けていない白鵬は本物の横綱ではない」とか「日本人の貴乃花と違って横綱の品格がない」的なことを口にした)のであれば、日馬富士を知る人が誰もが首を傾げるような暴行も、引退会見でその日馬富士が憮然と「礼儀と冷静を教えた」と繰り返しただけだったことも、すべて説明はつく。

そもそも貴乃花の言う「國體」(要するに「日本は神の国」で云々)のロジックで言えば、日本人になっていない白鵬や日馬富士は(「本物の横綱」ではないので)貴ノ岩にとって「目上」ではなくなる。

ここに人種差別があるからこそ、「自分たちはモンゴル人だからと言うだけで差別されている」とは、朝青龍にも白鵬にも、そしてむろん日馬富士にも、絶対に言えない「壁」が確かにそこにあるのだ。

相撲協会の体面と相撲の伝統を守るためにも、そして自分たちモンゴル人力士が日本で相撲を取り続けるためにも、こればかりは絶対に言えない「壁」だ。

彼らがそこまでは口に出来ない立場を大半の親方衆も関取もなんとなくは分かっていて、貴乃花が異様な差別思想に取り憑かれて異様な「モンゴル嫌い」の態度を取り続けていることももちろん認識されているからこそ(たとえば、巡業中もモンゴル勢が土俵で稽古を始めると弟子を引き連れて席を外してしまうのだそうだ)、白鵬が「貴乃花親方が巡業部長では安心して相撲がとれない」と、現役力士として本来は絶対にやってはいけない親方批判をあえて言ったのも、執行部の親方衆もその場では言葉を濁しながらも、ちゃんと聞き入れたのだろう。

一部の週刊誌報道はここぞとばかりに、かつての朝青龍バッシングの再来のような白鵬バッシングにいそしみ、テレビ報道はかつてかっこいい名横綱として国民に愛された貴乃花を中途半端に持ち上げてその「真意」を忖度することを競い合っているのはいかにも気持ち悪いのだが、ちょっとネットで検索をかけて見たらなんのことはない、貴乃花は極右に染まっているどころか、極右系のエセ神道の新興宗教にゾッコンなのだそうだ。

さらにはツイッター上では、貴乃花部屋の力士が自分のアカウントで旭日旗をカバー写真にしたりして、すっかりネトウヨ化すらしているらしい。


貴乃花がこんな極右カルト人脈に洗脳され、どっぷりそこに浸かっているとなると、貴乃花の狙いがひたすら騒動を引き延ばして少しでも話を大きくしてワイドショーを電波ジャックするのが真の狙いだとしても、誰の差し金で貴乃花がそんなことをやっているのかについてまで、「いくらなんでもまさか」と思っていた極論の “黒幕” 仮説が、どうも本当に真相なのではないか、と思えてしまう。

つまり、冒頭の繰り返しだが、この事態の長期化で政治報道がほぼワイドショーから消えてしまい、重大な疑惑をニュースがまったく取り上げなくなったことで、いちばん得をしているのは(つまりこのスキャンダルの最大の受益者は)安倍首相だ。

貴乃花が極右カルトの新興宗教につながっているのなら(その新興宗教のホームページを見れば、貴乃花はこのカルトの広告塔にもなっている)、この仮説もまったく荒唐無稽とは言えなくなる。

なにしろ、「國體」を崇拝する貴乃花は要するに、かつての森友学園と同様の、安倍の「日本会議」人脈、要は歴史修正主義で第二次大戦をなんとしても正当化して南京虐殺などはなかったと噓も百回言えば本当になると思い込んでいるような、「日本は神の国」的極右カルトのネオナチ人脈に属しているのだ。

だとしたら、貴乃花が日馬富士の事件の示談を拒否し裁判に持ち込みたがっているのも、協会の処分に対しても民事訴訟で争う気満々らしいことも、彼はそれで勝てるつもりだからなのだろう、と説明がつく。

裁判所が政治家の言いなりで、だから自民党極右の権力者に有利な判断を司法が忖度するなんてことはまともな国では絶対にあってはならないのだが、相手は貴乃花なのだから三権分立の原則も知らないだろうし(なにしろ「警察」と「検察」の違いがよく分かってなかったのだし)、また安倍政権ではそういう憲法上あってはならない判決も、現にしょっちゅう出ているではないか。政権におもねるために裁判所が司法判断から逃げることすら珍しくない。

いずれも苦し紛れのへ理屈で、違法性が訴えられたのを「違法と断定はできない」と誤摩化したレベルの逃げの判決でしかないのだが、まあ貴乃花であるとか極右カルトやネトウヨさんたちの頭のレベルでは、「勝った」か「負けた」かの区別しかつくまい。 
もちろん朝鮮学校への高校無償化適用が完全に合法であることは変わらず、これは外国籍への生活保護支給も同様で、「適用しないのも違法とまでは言えない」判決はただの誤摩化しのへ理屈だ。 
最高裁は総理大臣の靖国参拝の違法性の有無を判断せず、ただ訴えた原告がその参拝によって損害を受けていないと逃げただけだ。後者は合法という判断を下さなかったというのは要するに、最高裁だって実は違法(ないしその可能性は否定できない)と思っているからだ。 
しかしそれにしても安倍政権下では、こういう論理性をあいまいにした恥ずかしい判決が極端に増えている。

自民党の極右カルト分子というか、要するに安倍官邸か、党内の安倍の側近の誰かが貴乃花の奇行と引き延ばし作戦の “黒幕” なら、確かにその権力を傘に着て貴乃花が相撲協会を乗っ取ることも…これも普通の世の中なら絶対に無理なはずだ。だが相手は相当に世間知らずな貴乃花だ。総理大臣ならそれくらいできると(しかも自分は「國體」を守ろうとしているのだし)信じ込むだろう。しかも実際に、これだって安倍政権ならやりかねない。

それにしても「國體を守る」とか言っている貴乃花の途方もない勘違いは、いったいどこから始まったのかを考えると、やはり2001年5月場所の、対武蔵丸優勝決定戦が思い当たる。

貴乃花の認識ではミもフタもなく、自分が総理大臣に「感動した」と言わせたのはハワイ人の、つまり外国人横綱の武蔵丸を倒したからだと思い込んだのではないか?

逆に言えば、武蔵丸は貴乃花が膝に致命的な怪我を抱えていたからだけではなく、相手が日本人横綱で国民的ヒーロー、それも角界の「天皇家」みたいな血統の貴乃花だったからこそ、あそこで「土俵の鬼」になって「横綱相撲」の本気の取り組みで勝ってその貴乃花に大怪我をさせるなんてことは、絶対に出来なかっただろう。

藤島親方は武蔵丸の立場をそこまで考えていたのかも知れない(っていうか、観客ならともかく角界の当事者なら気付くでしょ)し、いずれにせよあの優勝決定戦はなんとか息子を止めようとしていた。しかし貴乃花はその師匠の(「相撲道」に乗っ取った、日本人なら当然の道徳観に根ざした)制止を聞かず、当然のこととして勝たせてもらえただけなのに、勝ってしまえば誰も批判せずに国民的ヒーローに持ち上げられてしまった。

だがこの際はっきり言っておこう。江戸時代やそれ以前に遡る日本の「大相撲」の歴史をちゃんと見る限り、また相手・敵と「息を合わせ」なければ立ち会いが成立しないといった相撲の格闘技としての特徴を見ても、「相撲道」というのはそんなものではないはずだ。

国宝 一遍聖絵 巻七 正安元(1299)年より 神社の境内
牛車に乗った貴族や高僧と ハンセン病患者たちや貧民

相撲が見せ物であるからこそ神事でありお祭りであるのも、土俵が神聖で塩で清められた場所でなければならないのも、そんな狭量で邪悪ですらあるケガレそのものみたいな考え方とは、まったく反する。

「國體」とか貴乃花たちが言うのであれば、日本がそんな国であったのは明治維新以降第二次大戦までのごく限られた時代の、それも最後の方だけだ。あれはどう考えても日本史のなかであまりに例外的な、異常な、日本人が日本人らしさ完全に失っていた時代だった。