最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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3/10/2017

「教育勅語」が日本の伝統なのか?



安倍晋三首相の夫人が「名誉校長」まで務める癒着っぷりが効果を発揮して、国有地が異常な大値引きお買い得価格で(しかも異例なことに分割払いで)払い下げられた大阪の学校法人・森友学園の運営する塚本幼稚園では、子どもに教育勅語を集団で暗唱させている。

これは自民党大阪府連が提案したことだそうで、またその幼稚園での講演会や、親向けの配布物に名前や文章が出ている面々が、分かりやすく「日本会議」の重要メンバー、天皇の退位の意向をめぐる有識者会議やそこにヒアリングで呼ばれた、なんの専門知識もない「専門家」とまったく同じ人脈であることとか、これでも払い下げについて「関与していない」「無関係だ」「政治的な働きかけはない」と言い張る安倍氏の無茶苦茶は相当なものだ。

「日本会議」系の政治家による口利きがあっただろうと誰でも想像がつくところへ、金銭の授受つまり賄賂まで介在した可能性すら出て来ているが、それがなくとも総理やその周辺に連なる人脈があるというだけで議員が官庁に口利きをしてくれるというのでは、政治の公平性が根幹から崩壊する。

そんなものは近代民主主義の法治理念以前の問題で、過去の、歴史上の名君とされる者は常に不公平の排除に腐心して来た。 
公平であることは政治倫理の一丁目一番地のはずであり、封建制などの身分制社会であってもその身分内での公平性を担保できない、為政者が公私混同に陥った政治は、常に結局のところ瓦解しているのが歴史の教訓だ。

財務省もついに「様々な働きかけ」に政治家も含まれる “可能性” は否定できなくなったが、議員が陳情を聞き入れるならば、あくまでその中身に正当性が見出せた場合のみのはずだ。

ところがこの森友学園の場合、教育内容が教育基本法や憲法に反しているとも指摘できるのに、妻が名誉校長をやっていた安倍首相でさえ、この学校法人をなぜ支援して来たのかの理由すら議論の俎上に乗せることから逃げている。

当の安倍首相に至っては、最初は森友学園について「教育方針が素晴らしい」と聞いていたはずの、「私の考え方に共鳴している方」だったのが、掌を返したように理事長が「しつこい」人で自分の妻は名誉校長職を押し付けられただの、一時は「安倍晋三記念小学校」だったのも「名前を勝手に使われた」とまで言い出しているが、ならば総理の名が騙られていたこと自体が国民の不利益になる以上は、とっくの昔に出入り禁止・絶縁くらいはしておかなければ筋が通らないし、それも出来なかったのでは国政を左右する大きな責任を負った政治家としての資質そのものが疑わしい。

繰り返すが、広く国民の生の声や要望を聴くのは議員の仕事だが、取り次いでいいのは正当で政治的に必要だと判断するものだけだ。それとも議員たろうものが陳情を官庁に自動的に取り次ぐ使いっ走りに成り下がっているのだろうか?

ならば公選制の政治家なんて不要だ。近い将来には政治は人工知能に任せるのがいちばんいい、ということになる。

森友学園のように学校法人の陳情を取り次ぐのなら、最低限でもその教育内容や方針に賛同するか価値を認めていなくてはならないし、賄賂を持って来られて「無礼者!」と痛罵したという鴻池参議院議員のように、相手に人格上の明らかな問題があると判断すれば「出入り禁止」にするのが筋だ。逆にそのような自立的な判断能力も持たない人間に、誰が議員としての職権を信託するというのか?

有権者を愚弄するのもほどほどにして欲しい(松井大阪府知事、あなたのことです)。

陳情を受け官庁に取り次ぐ側が側について、一部のメディアでは「金銭の授受がなければ問題がない」「陳情を受けるのは議員の通常の業務」などと言い出す者たちまでいるに至っては、現代の日本の政治には、為政者は常になによりも公平性に腐心すべきというモラルが欠如しているのだろうか?

たとえ金銭の授受がなくとも、身内だから、知り合いだからと言うだけで優遇をしてしまうだけでも政治家失格であり、政治道徳の欠如そのものだ。

だいたい、あらゆるまっとうな宗教の倫理体系は、人間は生まれながらには平等であると説いて来たはずだ。

仏教となると、人間だけに限らずあらゆる生命が、究極的には平等になる。

陳情して来た側の理念を共有したり支持するのであれば、その理念を堂々と述べてその正当性を論じないことには始まらない。議会制民主主義ならば、その行政府の政策はまず立法府の監視を経なければならないのに、そうした正論のルートではなく国有地払い下げ手続きをねじ曲げて悪用するようなやり方は、あまりに姑息過ぎる。

賄賂を拒絶したと証言した鴻池議員はそこまでの党内権力者ではないものの、「任侠」的にざっくばらんなぶん親切な人柄で人望は篤いと言われる。

賄賂を持って来たのを「無礼者」と追い返したような相手であれば、鴻池氏は党内の同僚議員にも「あんな奴とつき合ってはならん」くらいのことは忠告していると思われる。なのに鴻池事務所が断ったはずの森友学園の働きかけは、ことごとくその思い通りの結果を実現している。

ならば鴻池氏の忠告も無視されるほどの党内権力の意向が働いていないとおかしいわけで、ではそれが誰かといえばもちろん、最大の容疑者は妻が「名誉校長」をやっているほどこの学園との関係が密接な自民党の最高権力者、安倍晋三首相だ。

安倍自身が財務省や国交省に働きかけるとは、いくらこの首相が愚かだからといってさすがに考えにくいが(と思っていたら安倍自身が、妻が「名誉校長」になる二日前に、異例なことに財務省の担当の理財局長を、財務大臣を飛び越えて自ら呼び出しているらしい)、それでも森友学園側がこの安倍とそこに連なる日本会議人脈をひけらかすだけでも、財務省や国交省が特別な配慮を考えざるを得なくなるのは当たり前だ。

籠池氏の人脈に安倍夫妻が直接含まれる時点で、すでに関与は十分にしている。まして首相夫人が「名誉校長」をやることの影響力も考えられないほど愚劣な世間知らずなのか、と思えば、なんと総理夫妻の名が出ることで忖度されることなどあり得ない、実例の証拠を出せ、という呆れた答弁まで飛び出した。

いったいなにを言っているのやら。

安倍首相の「正論のつもり」が一般市民の感覚からかけ離れが絵空事でしかないことは呆れる他はないし、安倍内閣の閣僚でも若い頃に下着泥棒をやっていたのが、国会議員の息子だという「忖度」で被害者が泣き寝入りになっている事例まであっただろうに。

だが「警察が事件化していないのだから証拠はない」と言い出しそうなのが安倍総理だ。「関与があれば首相どころか国会議員も辞任する」というのも、自分の権力があれば証言が出て来たり官庁から証拠文書が発見されることはない、とたかをくくっているのではないか?

だとしたら、この総理大臣には倫理観がまったく欠如し、主体的な倫理観と規則への盲従を混同している。法制度を運用するのが責務の行政府の長としてまったく不適格だ。

森友学園をめぐる疑惑の関係者の参考人招致も「違法性があるかどうか分からない」と拒否しているのが自民党だが、その理屈を真に受けるなら、この人たちは道徳で自らを律するということが一切なく、法律の縛りさえなければどんな反社会的で非人道的なことでもやり出しそうだ。

ちなみに違法行為が見つかれば国会の国勢調査権では済まない。もう検察と裁判所の仕事だ。この人たちは国会議員のくせに、三権分立、立法府と司法の役割分担も分かっていないのか?

かくも不道徳で自らを律する意識に欠けた人たちが、「教育勅語」に書かれた徳目は正しいので、子どもに暗唱させるのは素晴らしいのだという。ここから分かることは、教育勅語にどんなに立派な徳目が書かれていようが、道徳教育の効果がほとんど認められない、ということだろう。

安倍は自分の名前を冠した名称を「知らなかった」「すぐに断った」はずが、フジTV系がすっぱ抜いた幼稚園側の内部映像では、たとえば2014年4月の段階でも園児たちが「安倍晋三記念小学校、よろしくお願いします」と園長に言わされる姿に、安倍昭恵氏が涙ぐんで喜ぶ姿が映っている。これでは夫が総理になったから昭恵氏に断わられたという森友学園側の説明にすら矛盾するはずだ。
首相は森友学園の籠池理事長とほとんど面識がないと言うが、籠池氏側は安倍首相が幼稚園を訪れていることも過去におおっぴらに言及…というか自慢しているし、昭恵氏が2014年12月に幼稚園でやった講演では、彼女がそう言っている。首相は妻や籠池氏が噓つきだというのか? 
噓をついてまで自分の名前を利用されたのなら、最低限でもとっくに絶縁・出入り禁止にしていなければおかしいし、ならば国会に呼び出し白黒をはっきりさせなければ、それこそ首相の名誉が問われる。

安倍夫人の昭恵氏によれば夫が「素晴らしい」と言っていた(首相は妻が噓つきだとでも言うのか?)教育方針の「教育勅語」の暗唱だが、その信奉者を見る限り道徳教育の効果がまったくなさそうであるだけでなく、政治的刷り込み以前の問題で、幼稚園児にやらせる、それも集団での暗唱を強要するなら、それだけでも発達心理学、児童心理学、精神医学の見地から、立派に虐待でしかない。

子どもの教育はその年齢年齢での発達段階に合わせて体系的にやらなければ無理が出て虐待になるなんてことは、西洋では18世紀には完璧に理論化されていることだ(アンリ・ルソーの『エーミール』)。

また別にそんな教育学や啓蒙思想の歴史を知らなくとも、まともな感覚さえあれば、よほどの天才児でもない限り擬古文調・擬漢文調の教育勅語を現代日本語で育っている幼児にいきなり強要するだけでも無理があると分かるだろう。

しかも塚本幼稚園では明治維新の「五個条御誓文」まで集団で暗唱させているという。 
国家という概念が意識されているとも言い難いどころか、江戸幕府があって明治維新のクーデタによる政権交替と体制変換があったという歴史理解や、150年前とか200年前という時間感覚すらまだ未発達な幼児に、文脈もなにも示さずに教え込むのもおかしい…というか無理があり過ぎる。

「神道に基づいた日本の伝統を教える」のなら、「古事記」のなかから「因幡の白兎」でも子ども向けに書き直し、集団で暗唱させたいのならこの話を基にした小学校唱歌の「大黒さま」の合唱ならまだ分かる。


大きなふくろを かたにかけ
大黒さまが 来かかると
ここにいなばの 白うさぎ
皮をむかれて あかはだか 
大黒さまは あわれがり
「きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれ」と
よくよくおしえて やりました 
大黒さまの いうとおり
きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれば
うさぎはもとの 白うさぎ 
大黒さまは たれだろう
おおくにぬしの みこととて
国をひらきて 世の人を
たすけなされた 神さまよ 
小学唱歌「大黒さま」作詞 石原和三郎 作曲 田村虎蔵


因幡の白兎と大国主命をめぐる物語では、意地悪な兄の神々が全身に怪我をした兎を騙して体中の傷に塩を塗り込ませ、それで激痛に泣き叫ぶ兎をやさしい大国主命が哀れんで、正しい治療法を教わった兎の傷はめでたく全快する。

このお話ならばまだ、子どもに道徳を理解させ教えることになるだろう。

ちなみに実際の「古事記」では、大国主命に救われた兎は突然カミ的な存在になり、大国主はそのお告げに従って妻を娶る、という展開になる。今では大国主命を祀る出雲大社が「縁結びの神さま」になっている由縁だ。 
まあここまでは、幼稚園児に教えることもあるまい。

この逸話のメッセージは「弱いものにやさしくしなさい」なのだろうが、しかしそれをただお題目として覚え込ませるだけなら、中身がどんなに正しいことだとしても、幼児相手には押しつけでしかない。

幼児にはその道徳がなぜ大切なことなのかの因果関係や因果応報、良い行いがどんな良い結果を産むのかをまず理解させなければ、それが「良い行いである」という説得力を持たないし、だからこそ物語の形式、童話というかたちが幼児教育では重要視されて来たのが、人類共通の普遍的な知恵ではないのか?

教育勅語に並んだ徳目は親孝行や勤勉など立派なことばかりじゃないか、と言い張るのはあまりに「教育」が理解を出来ていない時点で、そんな者たちがこと幼児教育に口を出すこと自体がすでに虐待の構図だ。

しかもその人々は、文章はまずその字面に書かれた内容を把握するという当たり前の読解能力も欠如しているし、いかに擬古文調ないし疑似漢文書き下し調の、現代人にはなじみのない文体で書かれているとはいえ、文法構造も理解できないらしい。

教育勅語のロジックは、単に列挙された徳目を、一人称の主語「朕」(つまり天皇)が守れと国民に命じているだけだ。「なぜ」そうすべきなのかの理由と来たら、まず日本が天照大神以来の長い歴史を通じて徳を樹立して来た国だったから云々と言っているに過ぎない。まずそれ自体が史実に反する上に、抽象的過ぎてそもそもなんのことか、国家どころか社会の認識すらまだまだ未成熟で抽象概念の理解も育っていない幼児には、分かるはずもない。

そもそも、教育勅語でただ列挙されただけの「十二の徳目」とやらは、ちっとも日本のオリジナルではない。


基本、儒教の引き写しで「論語」から理論・論理構成を無視してただ題目のスローガンだけを引き写し列挙した劣化ダイジェストでしかなく、十二番目に至っては「義」の解釈がおかしい。

「義」は普遍的な道徳概念、正義であって「国」を超越するものだ。むしろ国家の統治を担う側が「義」を体現しなければならない、とするのが儒教の論理なのが、教育勅語ではその逆に、「皇国イコール義」となっている。

使われている言語の点でも、教育勅語の擬漢文調の悪文を無理矢理覚え込ませるくらいなら、まだ本物の漢文で文学性や韻律の上では名文の「論語」を暗唱させた方が遥かにマシだろう(だとしても幼稚園児には無理で、どんなに英才教育でも小学生が限度、現代なら早くとも小学校高学年だろう)。

賛否や好悪はともかく、儒教がひとつの政治的思想の道徳体系として歴史的に大きな役割を果たしたことは否定しようがなく、また論理的にも破綻しないように構築されているからこそ、それが可能だった。

一方「教育勅語」はといえば、そもそも論理的な根拠に乏しく、たいした論旨展開もないにも関わらず、歴史的な儒教とその受容の伝統に反する上に、思いっきり論理的な欠陥も露呈している。

なにしろ儒教倫理を援用・列挙しながらその全体の論理構成が非儒教的というか、儒教のロジックのもっとも肝心な部分が欠落しているどころか、倒錯的に逆転しているのだ。

長幼の順や親孝行などの家庭内の私的レベルに始まって、忠義などの社会的レベルまで上下関係により人間社会の全体をヒエラルキーで理論化しているのが孔子の思想の基本だ。だからこそその権威・権力の最上位(ヒエラルキーの頂点)がどこに定義され、それが人間であるのなら、その行動がどう道徳的に規制され得るのか抜きには、儒教は政治思想としても哲学としても、成立もしなかっただろうし相手にもされなかっただろう。

上下関係を基本に社会を見た場合、そのなかでひとつの権威・権力が恒久的に上位にあるのなら、それが専横に走ることに歯止めがなくなるし、そんな権力体系のなかでは、逆に下位にあるものが上位に従う理由が恐怖か抑圧への隷属以外にはなくなってしまう。

むろん実際の政治に当てはめれば、これでは腐敗と政治体制の硬直・形骸化、ひいては独裁と没落の温床にしかならない。

孔子がそこで導入したのが「義」と「仁」を追及することの「徳」と「天命」、そして「易姓革命」の原理であり、ここにこそ儒教の本質があるとすら言える。

ただ「上にある者は偉いのだから従え」だけなら、孔子の思想は無能な独裁専制君主以外にはおよそ相手にされなかっただろうし、そんな王朝は早晩死に絶えたはずだし、実際に中華帝国の歴史では、一時は優れた政治で隆盛を極めた王朝であっても、やがて淘汰されては交替を繰り返して来た。

例えば前の王朝の臣下が忠節の義務を覆して新王朝を樹立することをどう正当化し得るのかといえば、最上位の権力・権威を皇帝が持ち得るのは自らの「徳」によって「天命」を受けるからであり、「徳」を失った瞬間にその権威は消失し、別の一族(姓)が天命を受け、「徳」を失った皇帝とその一族は新たな「天命」を受けた新王朝に淘汰されるのが「易姓革命」だ。この原理によって儒教は権力の淘汰と更新を理論化し、権力者にこそより厳しく道徳的な抑制を課すことで、辛亥革命までの数千年にわって中華帝国の統治理念として機能し続けた。

日本に儒教が伝わったのは「日本書紀」の記述によれば5世紀だ。

より後の6世紀に伝来した仏教の方は、排仏を唱えた敏達天皇が疫病で急死したことへの畏怖もあり(この辺りがいかにも日本的だ)、また尊仏派の蘇我系の皇子・厩戸王(聖徳太子)が四天王に祈願したところ物部氏との内乱に勝利したことが決定的になり、7世紀初頭にはすっかり定着していたことが明らかだ。それも当時の国家中心だった大和地方(奈良県)に残る、蘇我氏の氏寺だった飛鳥寺とその系譜を継ぐ奈良の元興寺や、聖徳太子ゆかりの法隆寺や、摂津の四天王寺だけではない。

元興寺極楽本坊金堂 外観は鎌倉時代
元興寺極楽本坊金堂 鎌倉時代の和様建築だが内陣の柱などは奈良時代
元興寺 金堂と禅堂の屋根瓦の一部は飛鳥寺のものだと言われる

全国各地でも長野の善光寺はもちろん、なんと東京の浅草寺も推古朝の時代に遡る。

そんな仏教の受容定着の早さに較べて、伝来はより遡る儒教はといえば、本格的に統治原理に導入されたのが確実だと言えるのは8世紀初頭まで待たなばならないだろう。天武天皇の命で編纂が始まった「古事記」がその妻の持統天皇の代に完成されたはずが、そのほんの数年後には「日本書紀」が新たに作られて正史となった経緯は、律令国家の完成期に儒教が本格導入されたことを示唆していると考えられる。

「日本書紀」は完全に儒教のロジックに則った歴史書であり、その編纂によって排除された「古事記」とは、世界観や善悪の概念がかなり異なっているのだ。

結果、「古事記」は永らく私的文書として省みられないか、カミ信仰の縁起としてのみ生き残った。 
今でも多くの神社の由来が「古事記」に基づいていること、つまり民俗信仰と深く結びついていることからも推測できるように、儒教的に論理化された「日本書紀」に較べて、「古事記」はより文化的な潜在意識というか、民族的な集合記憶に親和性が高い物語体系と価値観を表現しているとも言えるだろう。
それがいわば「神道」の起源であり、その論理は必ずしも儒教的なものではない。
というか儒教とはかけ離れている面こそ多々あるわけで、ヤマト王権に滅ぼされたり淘汰された出雲系の神々もいるし、その長の大国主命は儒教的な長幼の順に反して末っ子だ。後にカミとなった者も、朝廷に左遷された菅原道真を祀る天神信仰や、逆臣だった平将門が神田明神の祭神、金比羅信仰は廃位・流島に処せられ狂い死にした崇徳天皇が祭神、と言った具合だ。

だが儒教に併せて書き直された神話と古代史とみなせる「日本書紀」の、つまり律令国家の完成期のロジックでも、「易姓革命」だけは受け入れていない。

天皇の地位が「古事記」的世界観の、カミの子孫という神秘的な位置づけで維持されたままでは、その血統が「徳」を失えば淘汰されるという原理とは相容れないからだろう。

「易姓革命」がない儒教を統治理論とすることは一種のダブルスタンダードであり、また厩戸王(聖徳太子)の推古朝から律令期、奈良時代を経て平安時代の半ばまで、日本は対外的には中華帝国の朝貢国でありながら、国内的には土着の神話体系に基づく祭司王を「天皇」としたことにもダブルスタンダードが見られる。

逆に言えばだからこそ、カミを先祖とする天皇家が「徳」を失うことを許さないのが、このダブルスタンダードを破綻させないための日本の統治原理となった。

天皇が天皇だから偉いのではなく、天皇だからこそ「徳」を保ち続けなければならない。私欲ではなく民の幸福を願い臣下に耳を傾け、徹底して無私で、自らの利のための罪に手を染めるなぞもっての他となり、もし天皇が「徳」を失っても、淘汰されるのでなく自らが身を引かなければならないことにもなった。

中国の三国時代の歴史に基づく「三国志演義」は儒教的な世界観、政治観が凝縮された物語だが、とりわけ日本で人気がある劉備玄徳は、日本で受容されたその無私で仁愛にあふれたイメージがかなり「天皇的」だとも指摘できるだろうし、だからこそ三国の君主のなかでとくに人気があるとも思われる。 
実際の三国時代で最大の覇権国は曹操の魏だったし、オリジナルの中国では三国それぞれの君主の勇敢さや知略、政治力や「徳」がかなり平等に受容・評価されている。 
もちろんそれでも、諸葛孔明や関羽など、道教で神格化された臣下を持った劉備は、その意味ではやはり別格だが。

まず日本の律令制が完成したときには、中華帝国の統治制度の模倣でありながら、肝心の天皇には、権力が集中するようには必ずしもなっていなかった。

最高権力者として機能するよりは、権力の直接行使から一定の距離を置くように制度が作られていたのだ。権力闘争からある意味切り離された天皇であれば、権力闘争の主役・主導者とはなりにくいので自らの個人的野心から権力を行使しにくくなるので、その「徳」つまり道徳的な権威を維持するには、むしろ都合がいい。

現に7世紀後半の、天智天皇の没後であれば、壬申の乱でその天智帝の弟が兄の子を滅ぼして天武天皇となったように、まだ天皇家の内部で直接に殺し合っていたのが、8世紀の長屋王の変では天皇家それ自体が皇位継承をめぐって手を血で汚したわけではなく、長屋王を滅ぼしたのはあくまで臣下の立場の藤原氏だ。

つまり天皇が直接に、権力行使に伴う「悪」に手を染めることを避けることができ、天皇が自分の野心や権力欲で行動することもなければ、「無私の、有徳の権威」としての天皇の地位が守られるわけだ。

その藤原氏の娘を皇后とした聖武天皇は、即位の直後には首都を内政、外交、宗教という三つの機能に分けて三つの都を設けるといった自分なりの国家像を具現する野心もあったようだが、その計画が疫病や天災で頓挫すると、大仏造営を発願し、権力の行使よりは国とその国民の安寧を祈った天皇のイメージが強い。

東大寺大仏殿 度重なる戦火を経て江戸時代の再建

言い換えれば、「象徴天皇制」はなにも戦後憲法で出て来た新しい概念ではない。

むしろ日本という国家の原型ができあがったときにはすでに天皇は多分に象徴的な、世俗権力よりは神仏と連なる道徳権威を担う君主になっていたし、歴代天皇で「親政」を敷いたと言える例が数えるほどしかいないのを見ても分かるように、天皇は権力の行使や権力をめぐる闘争の主体とはならないことでこそ「徳」を保って来られたのだとも言えよう。

平安時代の大半で政治を主導したのは藤原摂関家だし、平安末期の社会とその経済構造の転換期にその律令的な官僚制が機能不全になると、退位した元天皇(上皇・法皇)が政治を主導したのも、絶対的な「徳」を維持しなければならない天皇位にあっては政治権力を左右することが難しかったからだったとも考えられる。

戦国時代に政治的に無力だった朝廷の 後奈良天皇宸筆の般若心経
先ごろ皇太子が誕生日会見で言及した

後醍醐天皇の建武の親政を最後に、天皇が自ら政治的野心を持つことは事実上の禁忌となり、国民になにかを命ずる存在というよりは、「徳」を保ち続けることで実態権力を握った政治的支配層の倫理的権威付けとなると同時に、その倫理的な歯止めとしても機能し、ふだんは学問や風流に専心し教養を高めることで自らの「徳」を保ち範を示す存在であり続けたのが、幕末の孝明天皇までの役割だった。

紫衣事件で徳川幕府と対立して退位した後水尾上皇の修学院離宮
普段の御座所である壽月観 洗練はされているが簡素な造り
皇位を退いた後水尾上皇は風流・趣味の世界に没入したとも言えるが
この離宮は一般庶民にもしばしば開放されていたという
修学院離宮には水田も広がり 農家が耕作に当たっている
奥に見えるのは上御茶屋・浴龍池を形成する堰 石垣は緑で覆われている
上御茶屋・浴龍池 実は山の中腹に水を堰き止めて造営された人造湖
後水尾上皇が具現化した詩歌と風流・文化の理想郷
上御茶屋の御座所 窮邃亭 風景こそが最大の贅沢とはいえ極めて簡素な造り

孝明天皇に関しては、過去に流布した俗説では尊王攘夷運動はこの天皇が西洋人嫌いだったからと言われがちだが、史実はかなり異なる。孝明帝はむしろ西洋列強の進出で幕府の権力基盤が流動化したことを憂慮し、国民のために平和が続くよう幕府や諸大名を戒め、政治の安定を求め続けたという方が正確だろう。

後水尾天皇の中宮 徳川秀忠の娘・徳川和子建立の鐘楼 京都 六地蔵

最初は以前からの決まりごとだからと鎖国政策の維持を求めた孝明天皇だが、それは非現実的だと一橋慶喜に説得されると納得し、妹の和宮を14代将軍家茂の妻とする公武合体に同意し、慶喜が15代将軍とって徳川家を中心としつつ外様の有力大名も加えた新体制の成立を模索したことにも協力を惜しまなかった。

だがその孝明天皇が急死し、少年だった明治天皇を味方につけて(「傀儡にした」という方が精確かもしれない)、その先帝の信頼が篤かった徳川慶喜の江戸幕府を倒したのが明治維新だ。

その政府が明治21年に天皇の名で出したのが「教育勅語」である。

すでに述べた通り、そこに列挙された(「皇国」の子どもが守るべきとされた)徳目は、最後のひとつを除いて儒教の引き写しだ。江戸時代でも朱子学は武家の公式学問だったので、一見歴史伝統を引き継いでいるように見えるが、基本的な一点で決定的な逆転があることに気づく。

江戸幕府が朱子学を学ぶように定めたのはあくまで武家相手、つまり支配階層に対してだ。

儒教的な論理が最初に直接日本史に登場するのは「日本書紀」に書かれた聖徳太子(厩戸王)の「十七条憲法」だが、これも官吏の服務心得であって、国民に向けて発せられた国家理念ではない(この辺りは現代では誤解が多い)。

聖徳太子の古代から(ただし「十七条憲法」は「日本書紀」の創作とみなす説もある)江戸時代の朱子学まで、儒教の倫理はまず支配階層相手のもの、統治する側が自らを律し範を示すものであって、統治者の側から一般人に課されたものでは必ずしもない。

だいたい、その道徳に従えば敬われることになる側が「これが道徳だから従え」というのでは自己撞着の手前勝手に過ぎるし、江戸時代に寺子屋で論語の素読が一般庶民レベルで普及しても、それは「聖賢の教え」だから将軍家が筆頭になって(範を示して)尊重したのであって、上位にある者が自らに従えと言いたいことの自己正当化で儒教の徳目の遵守を命じた(押し付けた)わけではない。

だが教育勅語は、こういう当たり前の論理にはまったくなっていないのだ。

まず「朕」つまり天皇自身が、2600年近く日本という国が存続したのは天皇家(つまり自分の一族)が君臨したからであり、そこで儒教引き写しの徳目を列挙した上で、国民がそれを守ることで天皇家が今後も維持され栄えることに貢献せよ、と結んでいる。

何重にも奇妙な話だ。

天皇とその一族に「徳」があるとしたら、その「徳」はその行いから自然ににじみ出るものでなければ「徳」とは言い難いはずが、逆に自分たちが栄えるために国民は道徳を守れ、と命じていることになっているのが、教育勅語の転倒した論理だ。

これでは「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」とも喩えられたような日本的な「徳」からはほど遠い。あまりに厚かましくて「徳」どころではなく、「あさましい」し、あまりに「はしたない」。

明治政府が公式に信じていたことにしていた通り、天皇家が2600年間(記紀の記述を単純計算で加算すると、初期の天皇が極端に長寿なのでこうなる)日本の単独王朝として維持されているとしても、それは歴史上の然るべき、複雑にからみあった理由が積み重なっているからであって、天皇がいたから日本が2600年続いたというのではまるでカルト信仰だし、ましてこれだけ続いたのだから天皇の系譜には(自動的に?)徳があると言うのでは、話がアベコベの論理倒錯だ。

今の政界でこれもひどく揉めていて、これまた自民党の特に右派にとってはおもしろくないらしい「天皇の生前退位」問題にしても、明治維新の以前には天皇は退位できるのが当たり前だった。
ほとんどの場合、その理由は「徳がなくなった」、つまり自らが天皇の位にふさわしい「有徳の君主」であり続ける自信がなくなったから位を譲ったとされている。 
だいたい謙譲の美徳も確か教育勅語に入っていたはずだが、なのに命じている天皇が「自分には生まれからして絶対的で不滅な徳がある」とふんぞり返っているのなら、なんとも謙虚さに欠けた増長慢・傲慢でしかないだろう。

そもそも徳目を尊重することで自らを高められるから道徳、モラルというのであって、上位にあるものが「これを守れ」というのはただのルール、命令で、従ったところでその本人の「徳」とはなんの関係もない。

「徳」とはあくまで自らの内から発するものだからこそ他者からの尊敬に値するわけで、命令に従うだけならその本人の人格の良し悪しにはなんの関係もなく誰でもできること、本来「徳」とは無縁の話だ。

まただからこそ、儒教は本来なら封建的社会構造においてまず統治する側に課せられた倫理規範だったわけでもある。従うだけの統治される側が「徳」を持つことは、そもそも原理的に不要だった。

江戸時代には朱子学の倫理観から不貞は「不義密通」として処罰対象だったが、これは武家および一部の格式を与えられた豪商には適用された罪だったが、一般庶民は自由恋愛を楽しんでいた。 
夫に愛想を尽かした妻から切り出した離婚の成立も、考えようによっては現代よりも通り易かったとさえ言える。

近代の意識変革で、明治政府が個々の国民が「徳」を高めれば結果として社会全体がうまく行くはずだと考え、それを国民に提案したのならまだ分かる。

だが教育勅語では十二番目の徳目つまりは最重要の結論の位置づけで、天皇の国家をなぜか「義」として論理を歪め、そのためにいざというときは死ぬことを「徳」とみなしている。天皇が自分とその一族のために死ねというだけでもおよそ「有徳の君」とは言い難い厚かましさであり、「義」の概念を自分の一族が繁栄することと掏り替えているのは公私混同も甚だしい。「有徳の者」となることを命じられた国民の側にしても(そもそも命令するものではない)、普遍的な社会的正義(「義」)ではなく天皇自身の私的な一族のために、それも死んでしまうのでは、なんのインセンティヴもなければ本来の「義」つまり社会正義にも貢献できないわけで、ますます持ってえらく厚かましい公私混同、天皇家による国民の私物化でしかなく、「徳」のかけらもない。

歴史的な天皇制の(それ自体人間的には不可能に近い)原理は、天皇が完全に「私」を棄てて「公」の存在になることを要求するものだったと言えるが、明治の新体制のなかで教育勅語はこれを逆転させて、国とその民の「公」を天皇とその一族の「私」にスリ替える公私混同に基づいている。これでは、それが国民に道徳的な範を垂れる天皇の言うことか、という話にしかなるまい(もちろん一人称が「朕」つまり天皇であるのは、単に天皇がそう「言わされている」だけだろうが)。

まっとうな信仰や宗教といわゆるカルトをどう見分けるのかにはいろいろな価値基準があり得るが、まず不合理があからさまで論理的に破綻しているもの、そして教組なりなんなりの教団トップが自らを神と同一視して、その身勝手を神格化によって野放しが許されてしまう、崇拝される側の人間に一方的に都合が良いものを、危険なカルトとみなすことには、まず異論はないだろう。

だとしたら「朕」つまり天皇の一人称で国民に命じる形で書かれた教育勅語のロジックは、カルトそのものだ。

だいたい「自分のために死ね」というのを道徳として言って来る側こそえらく不道徳ではないか、としかならないわけだが、それ以外の(儒教模倣の)11の徳目にしても、個々に文句をつけるほどのものでもない一方で、およそ絶対的なものでもないのも分かり切ったことだ。

親孝行が道徳だからと言ってDV虐待親だったり反社会的な犯罪者だったりしたら「親に従え」もその限りではないし、夫婦和合でもそれが夫唱婦随を前提とするなら、夫の側が自制心(つまりは徳)を持っていて始めて成立するものだろうし、どちらも逆にうまく行っている家庭ではわざわざ言うほどのことでもない。

だいたい、いくら親孝行が道徳と言ったところで、親が子、特に父親が子らに親孝行を直接に要求するのは控えめに言ってもあまりに手前勝手ということになろうし、一方では子が親を、とりわけ男子が父親をなんらかの形で超えることは、少なくとも父権優位の社会では成長の過程で避けられないと同時に、それがなければ社会の進歩もない。

儒教の孔子のロジックに立ち返れば、孝養の義務は子にある一方で、より大きな社会的な大義や天命があれば、横暴な父が子に排除されることもあり得るはずだ。

ちなみに今では戦国武将といえば織田信長や豊臣秀吉が圧倒的な人気を持っているが、かつてもっとも尊敬され崇拝された戦国大名は軍神・武田信玄だ。 
その武田晴信(信玄は出家後の名)は父・信虎をクーデタで排除した「親不孝もの」でもある。さらにちなみに言えば、信虎が亡くなったのは信玄の死の翌年だ。 
親より先に死ぬのも、まあ親不孝そのものだろう。

教育勅語に列挙された徳目それ自体にしても、「日本人として当然」でもなければ、決してそんな絶対的なものでも、反論の余地がないものでもないのだ。

道徳的な項目というのは自ずから限界があるか、普遍的な倫理規範であってもそれを解釈する個々の人間の側の限界の壁が常に立ちはだかる。だから儒教ですら「易姓革命」のロジックを組み込んで道徳の絶対的な金科玉条化は避けているし、それでもおよそ普遍性のある思想とは言い難いのが率直なところだ。

たとえば仏教のようなより普遍的な思想体系は、より成熟した哲学体系にこそ裏打ちされている。歴史的に生き残っている思想や宗教の体系は、基本論理や基本的な倫理は絶対的かつ普遍的であるとしても、現実への援用は常に相対的で解釈の幅を持つと同時に、その人間による解釈はどれひとつ絶対的にならないように出来上がっているのだ。

ではそういったさじ加減(釈迦によれば中庸の道、中道)を見極める知恵はどこから得られるのかと言えば、その規範こそが倫理道徳の本質であり、近代科学以前には哲学と宗教が担って来た領域だ。だからこそ倫理・道徳的なメッセージは古代の神話以来、常に物語や説話にこそ託されて来たのでもあって、倫理道徳を説く説話構造の物語というのは、なにも子ども相手に限ったことでもない。

本当に子ども達に道徳を教え込みたい、現代の教育には道徳観が欠如していると危機感を抱くのなら、幼児には幼児に分かるレベルの物語(それこそ「因幡の白兎」だっていい)を教えた方がいいし、もっと言えば自分達が教わった道徳が現実の世界で有用であることを大人が範を示すことで理解させなければ、どんなに立派な「道徳ルール」を連ねようが、子どもだましにしかならない…というよりも、子どもこそ騙されないだろう。

いやこの森友学園をめぐるスキャンダルを見ていると、教育勅語だの五個条御誓文だの、あるいは「十七条憲法」よりも遥かに簡単に子どもが覚えられる日本的なモラルがあったことを思い出さずにはいられない。

「噓つきは泥棒のはじまり」

この極めて単純な道徳が、日本では危機に瀕しているどころか、完全に崩壊してしまっている。

12/22/2014

茶番の総選挙後ニッポンを生き延びるための良識


終わってみれば自民党は議席を減らしている。史上最大議席を誇る与党にとって最初から分かっていた通りなんのメリットも大義もない「解散総選挙」にしかならなかったその結果は、しかしなぜか「圧勝」と報道され、しかも「圧勝」のはずなのにその余波が報道からあっと言う間に消えて、2014年は終わろうとしている。

強いて言えば、減った数議席ぶん以外の与党議員たちは2年後までが任期だったのがこれから4年に、つまり2年ぶん延長され、任期満了後の選挙だったら惨敗しそうだったところそれが先延ばしになった、というメリットはあったのかも知れないが、仮にこの解散がなく2年後に任期満了で総選挙になったとしても、今回のような選挙報道だったら、結局はやはり与党が勝つのではないか?

争点もなにも報ずることもなく、選挙戦で野党から当然出て来る与党批判を国民の耳に入れないために選挙それ自体をほとんど報道しない、というやり方の結果は、当然の帰結としての史上最低投票率だった。

なのにその大手メディアがしたり顔で「国民の無関心」をなじるのだから、どこまでご都合主義な自己欺瞞で、空威張りを続けたいのだろうか?

近頃のブンヤは読者を「愚民」とでも決めつけてエリート気取りでふんぞり返っているのだろうか? あるいは「自分たちはエリートだ」というプライドにしがみつくため読者を愚民扱いしなければ、自我が根底から崩壊してしまうのかも知れない。

まあしょせん、日本で東大出であることでもっともエリート面して威張り散らすことのできる世界といえば三つあって、霞ヶ関と、築地(朝日新聞)と、代々木(日本共産党)である。 
この三つの世界での東大卒バリューは、当の東京大学の学内よりも大きいほどだ。

なにしろ安倍が解散を発表した時点で言い出したのは、もはや誰も反対できない「消費増税10%の先送り」という争点にならない争点だったし(内需と消費に関する経済指標がこれだけ悪ければ、財務省ですら強行は不可能だ)、公示前はさすがに報道せざるを得なかった行き過ぎた円安のダメージやアベノミクスの明らかな失速も、選挙戦中は報道が激減して、今度は空前の原油安で円安による燃料費値上げが相殺されるかのような話までさんざん喧伝され、なにを判断すべき選挙なのかの問題意識は徹底してぼやかされ、隠蔽されていた。

もちろん実際の選挙期間中には野党候補からアベノミスクの問題点や、安倍政権のやって来たことで明らかに誰もが疑問を持つであろう問題も、ちゃんと提示はされていたのである。ただそれが報道されなかっただけだ。

みんなの党の政策ブレーンだったはずがいつのまにか維新の江田憲司氏は、安倍政権になって公共事業が5兆から10兆に倍増していることを暴いた。さんざんもてはやされた「アベノミクス」は確かにこれまでの常識では考えられない異常な金融緩和政策だったが、しかしそれで一時は景気が上向いたかのように見えたのすらただの幻想で、昔ながらの公共事業で実態経済に税金から真水が注入されたから、ということになる。

しかもその前には、「震災復興」と称してやはり相当量の真水がすでに建築業界を中心に注入されているのだから、アベノミクスによる景気回復と成長路線というのがまったくの当て外れだったのだ、と言わざるを得ない。 
昨年は比較的数字がよかったのだって、金融緩和の結果の金あまりが、消費増税前の駆け込み需要で建築関係を中心に使われたからだろう。 
不況時の経済政策の定番であるはずの金融緩和がほとんど効果を示さないのは日本では今回に限ったことではなく、バブル崩壊後の度重なる金融緩和だって一度として期待された効果を上げたためしがないのだが、前代未聞のアグレッシブな金融緩和でさえ日本経済についてほとんどなんの効果もなかったことになるのだから、きちんとした検証が必要なはずだ。それこそインフレ・ターゲット論の最初の本格実験がアベノミクスだったのにそれがうまく行っていないのなら、経済記者はいったいなにをやっているのだ?

ミスター年金こと民主党・東京七区の長妻昭氏は、かつてバブル期に年金が株に投資されて「消えた年金」となった苦い過去があるというのに、安倍政権になってから年金積み立て基金がすでに半分以上株に投資されていることを暴いた。

「このままでは今度は消えた年金基金になりかねない」という危機感はその通りだが、これもまったく報道されないので、危機感が国民に共有されることはまずない。

●メディアは今年夏の黒田日銀による「追加金融緩和」(その結果がもはや歯止めの効かない行き過ぎた円安)の内容を決して分かり易く報道はしようとしなかったが、生活の党代表の小沢一郎氏は「もはや公定歩合を下げるだけでは足りず、日銀にお札を刷らせてそれで債権を買わせている」と分かり易く本質を解説した。

これもそう説明されれば、中学校で習っている程度の経済学の基本で「危ないのではないか?」と普通に気づくことなので、メディアはわざと難しい言葉で本質をぼかし、挙げ句に選挙戦の報道すら控えてしまっていた。

さらに始末が悪いことに、これらの問題はいずれも、本来ならとっくの昔に新聞やテレビがすっぱ抜いて報道しておくべきだった話なのだ。つまり政治ジャーナリズムが怠けに怠けて来た事実がばれないように、今度は選挙報道すら怠けてしまったのだ。

安倍官邸の圧力を恐れて政権に不利な報道をずっと控えて来た大手メディアは、政権の問題だけでなく自分たちの不作為というか報道機関として明らかに問題がある自分たちの怠慢も隠蔽しようとして選挙報道自体をほとんど怠けてしまうことでさらに状況を悪化させている。

選挙中に安倍が海外のメディアに対して発信していたことも、日本のメディアはまったく無視している。

公示後まもなく、安倍は英国の経済紙Economistのインタビューに応じているが、そこで彼は総選挙の目的を、政権の権力地盤を固め確かな経済政策を行えるようにするためだと論じ、具体的に「何十年も改革出来なかったことを改革する」と言って電力自由化、さらにはなんと農協の解体、そして高齢者医療や終末期医療の改革と雇用制度改革まで目標として挙げている。

インターネット上で英語とはいえ誰でも読めるような首相の重要インタビューで、首相が争点とみなすものが語られているのを、選挙中の国内メディアがまったく無視するとはいかなる珍事なのか?

むろんこと農協解体は、国内で報道されたとたん自民党の地方における組織票のかなりの部分が瓦解する。 
高齢者医療や終末期医療の改革はよほど丁寧に内容を説明し決して国民の生命それ自体に関わるようなことにはならないと保証出来なければ、高齢化が進む都市部でもあっという間に自民票は激減したはずだ。

選挙戦が終わった途端、安倍は開票速報番組で改憲を進めて行くことを力強く(自慢げに)強調してしまったそうだが、安倍に選挙を(一応は)勝たせることが改憲推進になり得ること自体、メディアは選挙期間中ずっと国民から隠して来た。

2012年総選挙でも翌年の参院選でも、メディアは改憲論集団的自衛権特定秘密保護法も、安倍政権がそれを推進するのが分かっていながら選挙中に争点として報ずることはしなかった。それで安倍を勝たせておいてギリギリになって反対論を社説に書いたところで、今さらなにを、でしかない。

別の選挙速報番組では、いわゆる保守系メディアのはずのTV局のニュースキャスターが、アベノミクスの将来について当たり前の疑問を問うただけで、安倍はイヤホンを外して一方的にまくしたてたという。本来ならこの醜態は翌日朝刊の一面を飾っておかしくないスキャンダルなのに、とりあげたのはごく一部のウェブ媒体だけだ。

まったくもって、とにかく政権に不利そうなことは一切メディアが報じないのでは、史上最低投票率でなんとなく安倍が「圧勝(ではない、議席数は減っている)」してしまうのも無理はないし、それは安倍とその政策が支持されていることをまったく意味しない。

国民にはこの政権、この首相についてどう判断するかの十分な材料すら与えられていないのだから、支持するかどうか以前の問題だ。

じゃあなんのための選挙だったのか?750億もかかったそうだが。

この責任はまずなによりも、報道業界の怠慢にある。はっきり言えば日本の報道は、もはや死んでいる

メディアや識者と称する人たちが安倍に支持が集まっているかのように装って「右傾化」を危惧するかのように言うのは、半ば以上欺瞞でしかない。「右傾化」しているのは国民ではない、あなた達だ。 
国民に問題があるとすれば、あなた達が進んでいる危険な方向性に疑問すら持たないことなのだが、しかし疑問を持つもなにも、そもそも知らされていないのだからしょうがない。

日本のメディア、ジャーナリズムの堕落が決定的になったのは、いわゆる慰安婦問題について、朝日新聞が官邸の圧力に耐えられず、90年代初頭に朝鮮半島の女性を慰安婦になるよう強要したことに関する初の元日本軍関係者による直接証言(吉田証言)の報道を自ら否定し、「誤報」「虚偽」と言わされてしまったこと、その論理のおかしさを他の新聞がまったく批判すらせず、金太郎飴のように「慰安婦問題は朝日が捏造しただけで存在しない」とまで言い出しかねないことだ。

本来なら、いわゆる保守系で吉田証言を報じた朝日とは立場が相容れないかのように見えるメディア(たとえば読売新聞や産経新聞)でさえ、ジャーナリストとしての職業意識さえあればあの朝日の「撤回」は批判しなければならなかった。 
右だ左だ以前に、ジャーナリズムとしてやっていること、言っていることが、あまりにおかしいのだから。

朝日の当初報道で問題があったとしたら、慰安婦制度やその問題点についての認識が当時としてはやむを得ないこととして、研究が進んだ現代からすればいささか杜撰だったことと、当時には直接的な裏付け資料が見つかっていなかったことに過ぎない。

朝日が報道した時点では吉田証言を完全な事実として確証を持って報道する根拠がいささか足りなかった、という批判はまああり得なくもないが、曲がりなりにもある人物の証言内容を「虚偽」と断じてその報道を「誤報」などと断言する根拠こそ、現代の朝日新聞社はまったく持っていないし、少なくとも朝日が「訂正」「撤回」と称した記事には、その根拠が一切提示されていない。

吉田氏はすでに鬼籍に入っているが、こんなことが本来なら許されるはずもなく、根拠もなく嘘つき呼ばわりされた氏が朝日新聞社を名誉毀損罪で訴えてもおかしくない。

実名で証言した取材対象に対するジャーナリズムの側からのひどい信頼関係の冒涜以外のなにものでもない。 
お人好しにもスクープの中身を提供してやったのにこんな侮辱を受けるのでは、誰も新聞の取材になんて応じなくなくなる。

こうして官邸の圧力に屈して報道の矜持を売り渡しただけの朝日と、金太郎飴のようにそれに追随した現代の日本大手メディア(リベラル系、保守系のかつてあった区分けを問わず)の態度のさらなる問題は、その報道があった当時の歴史的文脈すら完全に無視し、いわば「現代の価値観で過去を断罪する」の典型をやってしまっていることだ。

第二次大戦で日本兵だった人たちがまだ多く存命だった時代には、日本軍が朝鮮人女性を慰安婦になるように強要して性的に搾取したなんてことは、おおっぴらに語ることこそはばかられる恥であったものの、当たり前の認識だった。

吉田証言が出て来た文脈とは、誰もがそうであったに違いないと思っていても確定的な証言・証拠は誰も明らかにしていなかったことに、初めて匿名告発ですらなく自らの実名を名乗っての証言が出て来たことに過ぎない。

つまり当時の一般的な受け取り方では「吉田証言に裏付け」が必要だったのではなく、吉田証言の登場の方こそが、みんなが実はそう思って来たことの「裏付け」だったのだ。

さらに馬鹿げた話なのは、直接的に吉田氏が自分が関わったと証言した件についてならともかく、より広範な意味での「裏付け」、つまり慰安婦徴集に強制性があったことを示すか、強制であったと解釈するのがもっとも合理的な資料も証言も、この20年のあいだに大量に出て来ていて、そこにはアジア女性基金による綿密な歴史学的手続きを踏んだ調査の成果だけでなく、日本政府が(しぶしぶながら、遠慮がちに、明らかにやる気なさそうに)調査の上開示した公文書も含まれているのが、現実であることだ。

吉田証言が発表された時点では、日本政府は当時の公文書の調査すらしていないし、それらの資料を公開・開示もしていなかったのに、その当時について「資料的な裏付けが」とか言い出すこと自体、倒錯したナンセンスもいいところであることも指摘しておく。 
まさに事実関係の時系列の認識がひっくり返っていなければ思いつかないような話だ。

しかし河野談話やその準備のためもあって、政府がしかたなく当時の公文書で現在も残存しているもの(慰安婦制度関連の公文書は終戦時にほとんどが破棄され証拠隠滅されていて当然であるにも関わらず)を調査した結果、政府がギリギリの詭弁の言い訳でなんとかでっち上げられた公式見解は、せいぜい「強制を直接に命じた文書は見つからなかった」でしかなかった。

こんな「見解」が実質的な意味皆無の下手な言い訳でしかないことは、子どもだって本来なら分かる。

まったくもって、常識で考えればこんな公式見解は見え透いた詭弁の言い逃れで、なにも意味しておらず否定も出来ていないのは言うまでもない。

文献学としての歴史学の基本すら、この人たちは理解出来ていないのだろうか?

過去において起きた事実がすべて記録されていることなぞあろうはずもなく、当時に書かれた膨大な記録のなかで現存が確認できるのはごくごく一部に過ぎないのは、歴史学では当然の前提だ。現存してないからそうした記録が「なかった」、記録がないからその「事実がなかった」などと言えるわけもなく、まして一次資料である当事者証言があるのなら、よほど非常識で素っ頓狂で現実的にあり得ないものでもない限り、まず事実を踏まえたものだという前提で考えるのが当たり前だ。

ちなみに、例えば先ごろ朝鮮総督府の木っ端役人だった人が「慰安婦が強制されたことなんてない」と “証言” したそうだが、こっちは「よほど非常識で素っ頓狂で現実的にあり得ない」の典型になる。慰安婦になるよう強制されたのは現場でであって、総督府の役人の耳に直接入らない、見えないように、知らないフリが出来るようになっているのが、役所として当たり前の組織論だ。
実を言えば安倍晋三自身、先にも触れたEcominist紙のインタビューで、強制があったことを認めている。ただし「当時に兵隊たち個々人がやった犯罪行為ならあっただろう」、つまり軍が命令に基づき組織的に関与したのではなく現場で兵士が勝手にやったこと、という言い訳になってない言い訳で逃げているわけだが。

慰安婦制度の運用の実態については、まず仮にそんな直接命令の文書記録があれば、終戦時の混乱で紛失している場合が多いどころか、可能な限り破棄・証拠隠滅されていて当然だ。

朝鮮総督府や陸軍20師団などが出した命令書の全体で、破棄されたり終戦時に紛失せずに残っているものはいったい何パーセントあるのか、最低限でもそれくらい同時に公表しなければなんの意味もない。

しかも当時の日本の国内法でも、直接的に女性に慰安婦になるよう強制・強要すれば、それ自体が違法行為だ。そのような命令は軍法会議で証拠採用されてしまうので、口頭や暗黙の了解で済ますのが当たり前で、最初から文書になぞしない。その程度の知恵も働かないほど間の抜けた軍隊、軍事機密を守る意識が皆無の無能な司令部なぞ、前代未聞の笑い話にしかならない。

しかも日本政府が極めて消極的な態度で手近な公文書を調査しただけでも、その目的が「慰安婦になり、慰安婦として働き続けるよう強要するため」と明記されていないだけで、徴集時の立ち会いに始まりいわゆる慰安所の警備・管理を軍が直接やっていたのはもちろん、慰安婦の健康診断(というか妊娠や性感染症の管理)まで軍医がやっていた、あらゆるレベルで軍が関与していたことまで証明されてしまっている。

「立ち会い」がただの傍観者であったと言い張るとしたらあまりにバカバカしくてお話にもならないし、「命令の目的が強制だとは書いていないから強制はなかった」と言い張るようでは、子どもにさえ馬鹿にされる。

安倍政権を中心とする慰安婦問題を矮小化ないし無視しようとする側の論理は、日本軍が並外れて純真で無邪気過ぎて、軍事組織としてはあまりに世間知らずの幼稚さゆえにまるで無能だったとでも仮定しない限り、まるで成り立たない子どものへ理屈に過ぎない。

ところが彼らはこんな帝国陸海軍チョー無邪気お子さま軍隊説と並行して、当時の日本では借金のカタに貧農の子女を強引に娼婦にするのが横行していたことや、日本に限らず軍隊に性の問題はつきもので戦時性暴力はどこの国の軍隊でも問題を起こしているではないか、と主張するのである。

馬鹿げた矛盾のダブスタもたいがいにすべきだ。

悪徳女衒が横行していたらしい国の軍隊だけが、世界じゅうのどんな軍隊でも当然ながら大なり小なり犯していたはずの罪とまったく無縁の、純粋で純朴な正義の味方で性欲ゼロの貞節な童貞集団だった、とでも言い張るのだろうか?

だが日本の大手メディアはすべて、まともな知能と現実社会の理解さえあればバカバカしくてお話にならない、詭弁にもなっていない詭弁を金太郎飴のように鵜呑みにし、朝日新聞がよりによって政権の圧力に屈してジャーナリズムの最低限の矜持と取材源の確保を担保するルールをぶっ潰したことを批判すらせず(なんの根拠も示さずに自らの取材に応じてくれた相手を嘘つき呼ばわりとは、こんなことをやっていてはもはや誰も新聞記者を信用して証言しようなどとは思わなくなり、ジャーナリズムが自らの首をしめるようなものなのに)、しかもたったひとつの、確かに今からみれば詳細が曖昧で不正確な部分もあるようにも見える古い証言ひとつを否定するだけで(取材者の認識不足で質問が未熟だったのは明らかだ)、過去20年の間に調査も研究も進み証言も多々出て来ている慰安婦問題そのものを否定できるという論理倒錯すら、通用すると思い込んでいるのだ。

もちろん同じバカバカしさの先頭を切っているのが我らが安倍総理大臣閣下であるのは言うまでもなく、朝日新聞は日本の名誉を毀損したことを国際版で謝罪しろとまで息巻いているそうだが、こんな倒錯したナンセンスで報道機関に圧力をかけようとする(しかも恥ずかしげもなくそれを公言してしまっている)政権にまったく無批判なようでは、新聞記者も新聞社の経営陣も安倍と同罪、同レベルの愚かしさ、いや自らの職業に対する裏切りでしかない。

安倍が問題なのはもちろんだが、本当のガンはメディアにあるように思えてならない。

今の日本のメディアは大手を中心に、フリーランスの多くに至るまで、いくつもの面でジャーナリズムに必要な最低限の認識が欠けている。

1)大手メディアがここまで官僚機構や官邸、政治家とりわけ与党のそれ相手に弱くなってしまったのは、情報源のほとんどをそこに依存してしまっているからだ。政治報道のネタのほとんどが会見か官僚や政治家の「オフレコ懇談」では、情報源を握られてしまってその機嫌を損ねるようなことは一切言えなくなってしまう。情報源がジャーナリズムにとって死活問題なのは分かるが、これでは報道に絶対不可欠な客観性を担保しようもない。

こうなってしまうのも、記者たちの取材能力それ自体が極端に低下してしまっているからだ。 
記者が調査能力も鍛えず、分析能力も持たず従ってまともに質問も出来なくなるようでは、ただ会見やオフレコ懇談でもらった情報をそのまま垂れ流すだけで、報道の独立もへったくれもない。

2)報道の社会的役割に関する認識も明らかに欠けている。そもそも報道機関がサービスを提供する相手はあくまで読者・視聴者であるはずが、これでは新聞社は民間企業のくせに無償で政府広報機関を引き受け、その経費を国民に押し付けているような話にしかなっていない。

3)なによりも問題なのは、「事実とはなにか」についてのもっとも基本的な哲学的な認識や思考が、あろうことかその事実を探り当てて報ずることが使命であるはずのジャーナリズムから欠如してしまっていることだ。

言うまでもないことだが、過去に起きた事実は、現在の人間がどう逆立ちしようが変えることはできない。 
過去の事実についての誤った認識を糾すことは出来るが、起こった事実それ自体をその時点から見て未来になる現在から変えられるはずもないのに、これでは因果関係の時系列すら分かっていないことになる。 
「報道がなければ事実がなかったも同然になる」のはジャーナリズムの側の能力不足や怠慢の結果論で、単に報道されるべき事実が無視されたか、無能故に誤報になっていることに過ぎない。

4)事実とその事実の記録や記憶の関係性もまるで認識出来ていないのも問題だ。証言は信用ならず公文書記録しか史実およびその解釈として認めないなんて馬鹿げた話もなく、文書として記録される内容がなんなのかすら分かっていない愚昧な主張で相手にする価値もない。

極端な話「日本書紀」は律令国家の公式歴史書だからそこに書いてあることはすべて史実で日本書紀の解釈が絶対に正しい、などと言い出したら「みそ汁で顔洗って一昨日来られても迷惑だからそのまま永久に眠ってろ」と罵倒されたって文句は言えないはずだ。

ある事実についての記録は、その記録している主体が政府だろうが誰だろうが、単に記憶の証言を記述したものに過ぎず、こと司法ならともかく行政府・行政機関の残す記録なぞ、ありのままの事実ないしその証言を過不足なく精確に残していることなぞ、まずあり得ないに決まっているではないか。

権力の直接行使を担当する者は、どんなに真面目で正直であっても常にその権力の行使を自己に対してもパブリックに対しても正当化する必然を抱えている。むしろ真面目で職務に忠実な人間ほど、完全に正当化できなければ権力の行使を躊躇してしまうからこそ、逆に不都合な側面を無自覚に無視してしまう傾向が出て来るのが当たり前ではないか。こと行政組織に所属してその組織の権力行使を担うものは、真面目にその組織への忠誠を考えれば考えるほど、どうやったって恣意的な偏向解釈に走りがちなものだ。だからこそ民主主義国家では三権分立が肝要とされている、ということにすら気づけないようでは、近代民主主義では「第四の権力」とも称される報道を担う資格なぞない。

実際の世界では権力の行使が完璧に無謬でなんの負の側面もない、などということはあり得ない(そんな完璧さが人間的に可能なら、民主主義それ自体が必要なくなる)。そこにも気づけないのなら、今の日本のジャーナリストの大半は恐るべき世間知らずか、さもなくばとんでもない盲目さだ。現実社会の権力の行使に関わる際には、どこから見てもまったく間違いのない完全な正義の状態なぞ、そもそもあり得ないというのが、まともな大人の社会人の認識ではないか?

だからこそ、ジャーナリズムが権力の行使に常になにかしら批判的な眼差しを向けることの意味があるのではないか。 
なのにそのジャーナリストたちが「日本の公文書に直接の証拠がない」という政府見解を無批判に鵜呑みにするのか?

まして慰安婦の強制も、あるいは南京大虐殺なども、当時の日本の国内法でさえ本来なら違法になる。公文書ではその違法性が隠蔽されるか無視され、記述することが忌避され、適当なでっち上げのいいわけで誤摩化されるのは、当たり前のことではないか。

5)歴史認識や時代感覚の変遷を理解認識出来ていない、というのも恐るべき不勉強だ。現代の価値観で過去を判断してはいけない。

第二次大戦や十五年戦争の最中の日本がどんな社会で、日本軍がどのような組織だったかについてまったく無知でなければ「慰安婦を強制したはずがない」なんて言えるわけがない。むしろ強制が当たり前だったのだ。鉄や金属器の供出を断れた人間なんて内地の日本国民ですらあり得ず、勤労「奉仕」だってタテマエではボランティア、特攻隊だって志願扱いでも実際には断れるはずもなくつまり強制だったのに、植民地の、それも貧農の娘やその家族が「軍への奉仕」を断れたはずもかなろうに。

6)人間関係の権力性の認識もあり得ないほどの幼稚な無邪気さで欠如していて、現実の世界についての報道として成立出来ていない。

まず軍が立ち会っている慰安婦の徴集なら、軍の存在自体が強制力を自動的に発揮する。「業者の違法行為を監視するために軍や警察が立ち会った」なんて絵空事を本気に出来るだけで頭がおかしいし、また実際にその任務に当った兵士が手ぶらで帰還して「業者が不正をしないように我々が監視したところ、慰安婦を志願する女性は一人もいませんでした」と報告することなぞ出来るわけもない、とすら気づかないのはどうしようもない。まったくもって、現代の価値観で過去を判断してはいけない。 
むしろ軍が同行して不正を防止とは、軍の存在自体が逆らえない圧力になるから、騙す等の不正の必要がなくなる、という意味にしかならない。再三繰り返すが、現代にしか通用しない価値観でみだりに過去を判断してはいけないのだ。

7)ある事実やそれを伝える情報、あるいはある発言がパブリックになったとき、それが他者からみてどのように解釈され得るのかの多義性を考えられない、という点でも、安倍は政治家失格だし日本の大手メディアのほとんどはジャーナリズム失格だ。日本はただの敗戦国ではなく、その戦争犯罪や人道に対する罪が処断されながら、その過去への反省を戦後70年ちかくずっと曖昧にして来た国だ。その日本の政府が人道犯罪として批判されている過去の史実を、理屈にならないへ理屈で否定しようとしているだけでどれだけ印象が悪いか、それだけで日本への批判や反発が起こって当然であることを、この人たちはまったく考えられもしないらしい。

口先だけでは「村山談話河野談話を継承する」と言いながら、東京裁判は勝者が敗者を裁いた不公平だからと言い張ってその事実認定すら認めないと国内ではうそぶくのは、二枚舌にすらなってない幼稚な詭弁というかただの嘘つきにしか見えない。

で、挙げ句に「韓国の反日宣伝が」となるのなら寝言もたいがいにしてほしい。NYタイムズに「慰安婦はただの売春婦」などという広告を出すなんて、普通なら「日本の悪印象を振りまこうとする悪ふざけか?もしかして工作員?」と疑っておかしくない。

一部には日韓基本条約に付随する賠償に関する協約をタテに、韓国人の元慰安婦が被害を訴えていることを韓国政府が(民主主義主権国家の当然の義務であり、自国のかつての軍事独裁政権の過ちの償いの意味も込めて)支援する立場を明白にしていることを「国際条約違反だ」などと言い張る者がいる。いや実際、この協約を盾に日本では裁判所ですら裁判を門前払いにして来ているわけで、それだけでも印象最悪なのだが、この協約自体が客観的に見れば不道徳で公序良俗と社会正義に反する不平等条約であることに気づけないのだろうか?

他国政府に気がねして自国民個々人の財産権を勝手に放棄してしまう独裁政権も問題なら、それをその独裁政権に札ビラを見せつけて強要した相手国(しかも力関係として明らかに強国の側)はもっと問題にされる。そんな協約を日本が独裁政権相手に結んだこと自体、日本側の傲慢で無反省な植民裡主義と倫理観の欠如が問われてもおかしくないのだ。

しかも慰安婦問題を否定したがる人たちは、慰安婦は民間業者がやったことで軍の管理・雇用ではない、と言い張りながらこの協約を持ち出すのだから、ここでも完全に矛盾している。日本政府の権限で請求権をチャラに出来るのは日本政府に本来なら支払い義務がある給与などに限定され、実際にこの協約で放棄されたのは旧日本軍人および軍属への未払い給料と恩給に限られ、民間業者による未払い給与や民間業者が賠償すべき損害は含まれ様がない。日本はいつ市民の財産権と民間の経済活動の自由を公式・法的に否定したのだ?ここでも安倍やその周囲の人々の主張は完全に自己矛盾しているし、これではハタ目には下手ないいわけで責任を誤摩化そうとしている不誠実さとしか解釈され得ない。

8)だいたい慰安婦問題を日韓関係の問題だと勘違いしていることからして、ものごとの認識がなっていないし世の中の仕組みと言うものが分かっていない。

確かに現実には慰安婦問題は日韓の外交マターとして交渉対象にもなっているが、韓国側の立場はあくまで自国民のこうむった損害を主権国家としての責任で代弁しているという論理である。タテマエはあくまでも、自国の独裁政権が過去にその被害者たちを徹底して無視どころか儒教道徳を振りかざして侮辱までして来た反省に立っていることも含め、問題にしているのは個々の被害者の受けた損害への償いであり、個々の被害者への謝罪だ。 
国家レベルでは日本政府の誠意と過去の過ちへの真摯な反省が問われているだけであって、「日韓」の喧嘩ではない。慰安婦問題とはあくまで人権を侵害した加害国政府と、尊厳を踏みにじられた被害者の間の問題なのだ。 
それをあたかも日韓の二国家間の問題であるかのように装い、韓国の一部の極右勢力をあげつらって「どっちもどっち」であるかのように論じて「両論併記」する欺瞞自体が、ハタ目にはただの姑息な欺瞞で、しかもひとめで誤摩化しがバレてしまうような稚拙な独りよがりにしか見えない。

繰り返しになるが、慰安婦問題でもちろん第一義的におかしいのは安倍やその周囲、および支持者を自称するらしき人たちの倒錯だ。だが彼らの倒錯はあまりに馬鹿げていて、およそまともな社会、まともな大人同士の議論として通用するものでなく、真面目に相手にすべきものですらない。

子どもの駄々レベルの独りよがりで論理的な整合性にも社会常識にも客観性にもまるで欠如していて、本来なら真面目に批判することすらバカらしい、恥ずかしい笑い話レベルのものだ。

なのに一流の報道機関を自認しているはずの日本の大手メディアはもちろん、識者や著名人と称する人たちですら、「そもそも言っていることがあまりに無知で非常識でおかしい」ことをすら批判できず、あたかも日本側と韓国側(ではない、あくまで被害者である元慰安婦と加害者であった日本国との関係だ)を両論併記すれば「公平な報道だ」とか思い込んでいるらしい。

挙げ句に朝日新聞などは「韓国側で反日だ」という馬鹿げた言いがかりをつけられることを本気で恐れているかのようなみっともない態度に終始してしまっている。 
これでクオリティ・ジャーナリズムが務まるのだろうか?

極めて皮肉なのは、「議論の対象にする以前のバカらしさ、そんな “意見” は口にするだけ無価値」という、本来なら健全な民主主義の運営において当然の大前提であることが(そうでなければあまりにも時間の浪費になる)、この国ではもはやまったく機能していないことであり、なぜそうなるのかと言えば「小学校からそう教育されているので価値観が歪んでいる」という解釈がもっとも妥当に思えてしまい、ならばその主体であり最大の責任者が安倍たちの仇敵であるはずの日教組であることだ。

こんな歪んだ価値観がなぜ育ってしまうのかと言えば、70年代半ばから日教組が学級運営の手法として推奨して来た「学級会」の欺瞞と、教師の質の低下が思考力を伸ばすことではなく単に言われた通りの正解で点数を稼ぐことしか教えられなくなった現実の不健全で矛盾した野合の当然の結果、とみなせば説明はついてしまうのだ。

安倍やいわゆるネトウヨが日本の歴史問題について言い張ることを「議論の対象にする以前のバカらしさ」とはっきり言えないのは、「『みんな』の意見に価値があるのだから無視してはいけない」からだけであり、要は運動会の徒競走で「ビリの子か傷ついてはいけない」から「みんなで手をつないでゴールイン」と同じ発想である。

中途半端でその実欺瞞でしかない「個性」の尊重、実は点数主義の「正解」教育しか出来ていないのに「みんなの意見はみんな正しい」と学級会や読書感想文では推奨することで「正解」を出せない生徒を甘やかして不満をガス抜きした妙なダブスタで子どもを洗脳して来た当然の結果、と言ってもいい。

これも安倍たちが「反日」と言いたがっている日教組が普及/蔓延させたことだ。70年代以降に教育の現場で日教組がやった甘やかしの欺瞞がなければ、安倍のような主張が真面目に相手にされる余地すらなかっただろう。

なにが事実でありなにが正しいのかすら「みんなで決めること」にしてしまい、なのにルールは「それが正しい、ないし公正さの維持に必要だから」ではなく「みんなで決めたことだから」守らなければいけないという妙な教育の結果、「事実とはなにか」の認識が持てなくなるのは、ある意味で当たり前である。

既に起こった事実は「みんな」だろうが誰だろうが、「決められる」はずもないのに。

たとえばある学級でいじめが起こっているという事実があったとする。

ところが日教組の推奨した「学級会」式の学級運営では、いじめが起こっているかどうかすら「みんなで決めたことが正しい」になってしまうわけで、それでもさすがにいじめが起こっている事実が被害者の具体的・身体的な傷害や登校拒否などの現実で隠せなくなると、今度はなぜいじめが起こったのかを「みんなで決めましょう」になる。

その「みんな」の圧倒的多数が加害者側なのに、いじめをめぐる正確な事実関係がこれで把握できるはずがない。

さらに「みんなの意見はみんな正しい」的な読書感想文的価値観の「国語教育」で「作者の気持ちを考えてみましょう」をやっていては、いじめ被害者が現に深く傷つけられていることと、加害者側が自分の非を咎められて「傷つく」ことすら等閑視されてしまう。

まさに「ビリの子を傷つけないためにみんなで手をつないでゴールイン」の発想そのもので、そこに「みんな」の妙な多数原理を場違いに持ち込んでは、自業自得で「傷ついた」などと泣き叫んでいる場合でなく本来ならきちんと反省しなければならない加害者側が「傷ついた」ことばかりが問題にされ、いじめの「解決策」は被害者をその体現する不都合な事実といっしょに排除しよう、という結論にしかならない。

この陰惨極まりない結果として、もはや日本社会全体が共有する欺瞞として繰り返されるのが、いじめ被害者におためごかしに「逃げること」ばかり強要する恐ろしく残酷な偽善である。

過去の日本の侵略戦争とそれにともなう人道犯罪、失敗した植民地支配に伴う植民地住人に対する不当な搾取、つまり日本の戦争責任・歴史責任の問題は、実はこの日教組が推奨した「学級会」とまったく同じ論理で、今の日本国内では処理されてしまっている。

学級会の「みんな」がしょせんその学級という閉塞された集団内の話でしかないのと同様、この場合の「みんな」は最大でもしょせん、日本国内のコップの中の嵐でしかない。戦争犯罪と歴史責任は日本国外の、他国の人たちに与えてしまった被害の問題だというのに、その肝心の被害当事者である「他人様」も、実際の過去に起きた事実も、予め排除されてしまっているエセ議論だ。

しかもこの「事実とはなにか」と「他人様」がまるで無視された倒錯は、慰安婦問題や戦争責任を問うて安倍や自民右派などを批判するかのように見える側でさえ共有されている。

要は皆が自分が所属する「みんな」という半径5m程度の内輪集団の多数派がいかに「傷つかない」で済むかのへ理屈を一生懸命に捏造しているだけで、他者である被害者の尊厳は無視され、その人格を尊重し損なわれた尊厳を回復することも、自分たちの責任を自覚し、社会の一員としてその社会をより良くする責任を担うことも拒否され、「歴史修正主義」を批判する側の圧倒的多数ですら、悪者を叩くことで自分の正当性を相対的に担保することにしか、実は興味を持っていない。

たとえば「ヘイトスピーチ」をめぐって「法規制を」という話なぜかなってしまうのも、実はこの種の歪んだ論理の典型になっている。 
なにが差別偏見の流布で憎悪を煽動する発言になるのかを「みんなで決めましょう」と、構造的に差別する側であるマジョリティの「みんな」が決めて、その「みんなで決めたルール」に反するたとえば「在日特権を許さない市民の会」を排除しよう、という発想なのだ。

絶望的なのは、しょせん自分の属する「みんな」の内輪しか見えておらず、そのなかの対立回避と「みんなが傷つかないこと」ばかりが最優先されていることであり、それがもっとも顕著に現れているのは、実は安倍氏の周囲や今の自民党とその支持層以上に、大手を中心とするがもはや大手だけとも限らないメディア、報道の業界だ。

報道の本来の役割からすれば、まったくとんでもない話である

公正で正確な報道の第一歩とは、まず取材対象に対して一定の他者性をきちんと担保する一線を守ることだ。そうでなければただ盲目的に、言われたことを右から左へ、情報源の側が目論んだ通りに報道する広報機関にしかなり得ない。

ところが昨今のジャーナリストはフリーランスでさえ、なにかを事実として報道することについて自ら判断し責任を担うことから逃げて、最悪ネット生中継頼り、「誰かが言った正しいこと」を仲介することにのみ専念する有り様だ。
こんな「取材」には迂闊に応じない方がいい。それこそ朝日新聞が吉田氏に対してやったようなひどい裏切りで、後で自分だけが一方的に傷つくことになりかねないですよ。

あるいは一般市民を取材対象にするのでも、相手があくまで他人様であることの認識が前提になければ、まともに質問すら出来ず、この場合は相手が主張することをいちいち事前に準備して暗記していはいないので、その言わんとしていることすら満足に引き出せないで終わる。このように他者性が認識できないインタビューは、結局一般の取材対象を、自分たちの幻想する主張を補完するコマとして搾取することにしかならない。

たとえば震災や原発事故の報道では、いや報道に限らずドキュメンタリー映画ではなおのこと、「被災者」は取材する側の思い込みの投影としてしか表象されていないのがほとんどだ。

さらに言えば、既に述べた通り報道がまず「事実」を伝えることを第一の目標としているのなら、報道している時点で既に過去になっている「事実」とは、報道したり伝えたりする側にとってさえ、決定的に他者的なものだ。

たとえ自分自身のことであっても、過去に起きた事実は現在の自分の都合で変えられるものではなく、事実それ自体は過去において確定しているはずだ。

その実際に起こったことの概要をどこまで正確に把握できるかどうかはともかく、事実それ自体は事実であって今になって変えられるものではなく、報道する側や報道の受け手の思い込みや願望とは無関係に存在しているはずだし、それを追及することが報道の本来の役割でなければおかしい。

むろん、自らが所属する社会や組織、集団の権力構造を認識してその構造に配慮してしまうことを極力排除しなければ、事実を出来る限り正確に把握したりきちんと論理的に解釈することは出来ない。

残念ながら我々には自分の立場や生活やプライドを守らなければならない強迫観念が常にある以上、得てして自分の保身のために無自覚に自分の解釈を歪めてしまうものだからこそ、自分から半径5mの「みんな」しか見えていないのでは困るのだ。

所属する集団の権力構造にとって都合の悪いことを指摘した結果自分の立場が危うくなるのなら、それを本能的に避けてしまうのが人間というものではあり、だがそれはことジャーナリズムの場合、報道の本来の目的や社会に対して持っている役割を決定的に裏切ることになる。

ところが今の日本のジャーナリズムの大半は、大手を中心にもはやフリーランスやネット上メディアでさえ、右も左も関係なく「ボクたち正義」を自分たちの内輪で確認しあうことを優先してしまい、自分たち自身の立場の持つ危うさを気づこうとすらせず、うっかり誤報をしてしまったらそれを糊塗するために誤報を増幅させてしまう有り様だ。

たぶん今の安倍政権下の日本で起きていることの本当の問題は、「社会の右傾化」などではない。

本当の問題は幼稚化、社会のあり方の基本的価値観や行動原理が小学校の学級会並みに退行してしまっていることであり、とりわけ政治家や官僚や大企業社員、そしてなによりもジャーナリズムに属する人々が、自分たちが「傷つく(それも実害を受けることよりも感情論、要は偉そうな顔ができなくなる劣等感に苛まれること)」ばかりを恐れる保身に凝り固まっていること、そして「事実」「現実」の認識をめぐるもっとも基本的な哲学的概念すら理解できなくなっていることなのだ。

社会のあり方やその価値観が学級会並みになっているだけではない。その成員のなかでもとくにエリート層であるはずの人たちもまた、いわば「しょーがくせー」、ただ「ボク悪くないもん」と威張りたいだけの幼稚な動機のまま大人をやっているのだ。

勝ったはずの選挙の報道番組でキャスター相手に逆ギレして、イヤホンを外し(つまり相手の言うことを聞かないぞ、と駄々っ子のような意思表示をした上で)自説をまくしたてた総理大臣というのは、この「エラいはずの人たち」ほどどんどん幼児化していく日本という国家にとって、まことふさわしい政治指導者なのかも知れない。

なお安倍がいつのまにか選挙の争点にしていたらしい「改憲論」に関しては、僕自身は実はそんなに危惧はしていない。 
少なくとも今の自民党の、安倍の周辺で作っているような憲法草案なら、いちばん心配なのはあまりにもバカバカしい中身であることがバレてしまった瞬間に彼らが「傷ついた!」と泣き叫んでどんなヒステリックなバカ騒ぎが始まるのか、まったく想像がつかないことだ。 
そしてメディアは、そんなヒステリックな馬鹿騒ぎをなんとか正当化しようと(安倍さんたちを「傷つけ」まいと)、ますます虚報に虚報を重ねるのだろう。こうして世論の劣化がどんどん進んで行くことの方が、あり得るはずもない改憲よりもよほど危険だ。

9/01/2014

映画が「自己表現」とは、どう言うことなのか


晩年のレンブラントは「画家は結局、自画像しか描けない」と言った。

その言葉を好んで引用するのはアニェス・ヴァルダだが、ここで注意すべきは「しか描けない」と言うこと、結果としてそうなるのであって、「自己表現」が目的ないし最終目標であるわけではない。

レンブラント・ファン・ジン、自画像 1660年
ロバート・アルトマンは大っぴらには、しばしば映画の「作家主義」自体にすら疑問を呈していた。

「結果としてすべてが私というフィルターを最後には通るから、私の映画がなんとなく『私』というフォルムを持っていることは認めるが、それは私にとってあまり重要なことではない」

レンブラント・ファン・ジン、自画像 1658年
前項で「僕も映画監督のはしくれですが、セルフは絶対に撮らない」と自己紹介すればよかった、と書いたが、これはこれでまったくの事実である(ことドキュメンタリーの場合、僕の映画はひたすら「他人様」を撮り、「他人様」の話を聞くものだし、映画を作りることはその話を聞きたい欲望の言い訳になってすらいる)と同時に、矛盾もしている。

『フェンス』や『無人地帯』では藤原がそこらじゅうに写っているではないか、と見ている人にはすぐ指摘されそうだ。土本典昭のアップで押し通した『映画は生きものの記録である』でさえ、それでも冒頭で撮影の準備中に指示を出している監督が写っている。


フィクション映画の『ぼくらはもう帰れない』では俳優として出演もしている(頭でっかちで賢くない映画評論家役)。 
一切出ていないのは(これはまだ誰も見ていない)完成間近の『ほんの少しだけでも愛を』だけだ。監督と撮影とキャメラ・オペレーターを兼ねているのでさすがに出演しようがない。

ドキュメンタリーではある意味、監督が写ってしまうのはやむを得ないのではないか? 物理的に避けられないし、無理に避けると不自然になりかねない。

多くの場合ドキュメンタリーは実は「現時点でキャメラの前で起こっていること」よりも「過去にあったこと」が語られる構成を持ち(「原発事故直後」の福島で撮った『無人地帯』ですら、津波と事故発生は話を聞いて撮影するひと月前だし、映画はどんどん「それまであった福島浜通りの生活」に向かう)、その話を聞く立場で、撮影は別人がやっていれば、その話し相手として監督本人は画面に入ってしまうし、それを排除する方が不自然ですらある。

たとえば小川の『辺田部落』でも、土本の水俣シリーズのほとんどでも監督が写るのは、「(他者の)話を聞くこと」「対話すること」が、演出の基本的なスタンスであることからの自然な派生だ。

小川紳介『三里塚・辺田部落』

実時間ではそんなに写っているわけでもないが、かなり長いインタビューをそのまま長めのショットで見せて、その一部でちらっと写ったりするから、出ずっぱりのような印象を持たれてもおかしくはない。

小川の『辺田部落』の冒頭の長廻しがそうだし、写っているのが実時間では5秒でも、印象としては、たとえば『無人地帯』ならいちばん長いシーンは10分まるまる長廻しで、そのあいだは監督本人がシーンの中にいることになる。

『無人地帯』ラッシュ 10分間長廻し

だが前項で触れたアヴィ・モグラビの映画で写っているアヴィが自作自演の登場人物としてのアヴィ・モグラビであって、その時のキャメラの=映画の視点が、背後に人のいない固定キャメラであるのとある意味同様に、『フェンス』でも、そして『無人地帯』ではより明確に、映画の視点、映画の構造から浮かび上がる思想は、キャメラの前にちらちらと映りながら話を聞いて相づちを打っている本人とは別人格として見られるべきだし、そのことは演出で狙ってさえいる。

『フェンス 第二部 断絶された地層』

映画に限った話でもあるまいが、作品とは作家の私的な表現であると同時に、完成され見られたり体験される時点で、作家とは独立した別の「人格」とも言うべきものを持つはずだ。

その作品のなかにきちっと存在する表現されたものを踏まえる限りにおいて、観客の解釈もまた、作品の創造の一部に実はなる。

ひとつの作品に、あらゆる観客が同じ解釈や同じ感想を持つことは本来あり得ないはずだ。 
ここがたとえば「観察映画」の大きな問題だ--「客観観察」を装うがゆえに同じ観察結果に観客が到達することが前提になっているし、その「みんなと一緒」の安心感がそうした映画を見る体験を支えているのだが、本当にそれが「映画を見る」体験だと言えるのだろうか?

実は恐ろしく不自由ななかに、作り手と観客が共謀/共依存で落ち込んで行っている気がする。

 フレデリック・ワイズマン『メイン州ベルファスト』 
そんな「観察映画」のネタ元であるフレデリック・ワイズマンの映画であれば、アメリカ人が見たときと外国人が見たときだけでも、より注目して見るところやその解釈は、まるで異なっていてもおかしくないのだが、その和製模倣は、むしろ逆を狙っているように思えてならない。

こと映画の場合は、共同作業が必須になる。デジタル化の進行でほとんど一人で映画を作ることだって可能のようでいて、それでもキャメラの後ろ側の撮り手/作り手に対し、映画に写るのはキャメラの前の他者であり、自分でキャメラの前に立ってしまえば、こんどはキャメラの方が明らかに作り手から独立した存在になる。

自分の場合はしかも、アヴィ・モグラビの映画とも、原一男の映画とも違い、ドキュメンタリーを撮る場合には僕は自分では撮影はしない。最初から映画のなかにあるものがすべて自分の表現であるわけでもない。

こと自分でもその気になればキャメラは廻せるからこそ、ドキュメンタリー映画を撮る時には最高クラス、ということはそれなりの強い個性も持った撮影監督でなければ…というわけで『フェンス』では大津幸四郎、『映画は生きものの~』と『無人地帯』及びその続編『…そして、春』は加藤孝信のキャメラで、このクラスの撮影監督ともなると、演出はほとんど口出しも出来ないし、現にやらない。

その結果、大津も加藤も意地悪なので、僕がいやがるのを承知で、絶対にカット出来ないところで、ちゃんとインタビュー中の監督をフレームに入れてしまうわけだ。
『フェンス 第二部 断絶された地層』澤元逗子市長と筆者

そういう作家本人に限定されない複数の視点、複数の中心が映画のなかにあることが、自分の作品ではいちばんうまく行っている『無人地帯』は、だからこそ特に今の日本では「安心して観ていられない」映画になるのかも知れない。

週刊金曜日に出た映画評。そんなもんなのかなあ…?
なにしろ最終的な完成作品は監督自身の表現であることは避けられないとしても、キャメラそれ自体の視点は撮影監督の担当だから微妙に、しかし意識的に演出家の視点からズレているし、なによりも観客が安心して信頼し同化できる「正しい」ないし「みんなと同じ」視点が、まったく映画のなかに存在しない。

だいたいそんな立場が、あの震災と原発事故を前にあり得るのだろうか?そのこと自体が最初から疑問だった。



ナレーションはあえて英語で女性だし、状況説明はするので最初は一見高所から達観しているようにも聴こえながら、外部の視点から映像を見ている立場の彼女(アルシネ・カーンジャン)も画面には写らないもう一人の登場人物であり、はじめは撮影の背景事情や補足情報を客観/第三者的に伝えているようでいて、次第に見えている映像から想起される彼女自身の思考を語り始める。



そして解答や結論めいたことはなにも言わず、最終的に到達するのは「日本とは本来こういう国だった」という彼女なりの発見だ。

それは一見、外国人が日本を発見するように見えながら、実は現代の日本人でもほとんど忘れていること、農耕民族だった日本人に独特の、アニミズム的な自然観のことである。 
「それがこの風景における神聖さなのだろう」「日本が侍の国であったことはない、常に農民の国だった」



観客が期待するであろう「福島原発事故」や「反原発」に関する「メッセージ」性は、最初から入れる気はなかった。



だいたい原発事故の被害地域と、避難させられたそこの住民を撮る映画である。わざわざ「原発事故はこんなにひどい」とか言葉にする必要もないだろうし、その見える破壊と見えない破壊の被害は、写ってされいれば、それ以上言う気にもならない。



というかもっとはっきり言えば、『八月 爆発の前に』におけるアヴィ・モグラビの一人三役がイスラエル社会のカリカチュアであるように、映画のなかに写っている作家自身だけでなく、映画それ自体にそこはかとなく現れる作家の有り様は、決して映画の「メッセージ」(なんてものがあるとすれば)の担い手ではないはずであり、たとえば監督がキャメラの前に立った瞬間に客体化されるはずだ。

映画という表現されたもの、作品の完成形の前では、その作り手自体が客体化され相対化される。



「なにかメッセージがあれば、電報会社に行け」という大プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンの言葉を好んで引用するのはフレデリック・ワイズマンであり、「メッセージを届けるのは郵便局の仕事だ」と言ったのはベルナルド・ベルトルッチだ。

電報の方が早いのがさすがアメリカのユダヤ人…なのだろうか?

もう大昔だが、ベルトルッチのインタビュー集『クライマックス・シーン』が翻訳出版されて読んでみて、驚いたことがある。「え、そういうつもりだったの?」と思ってしまう発言だらけなのだ。

ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』撮影ヴィットリオ・ストラーロ
正直、この人の場合は、監督本人よりも映画が「語って」いることの方が数倍魅力的だ。

また重要な相棒であった撮影監督ヴィットリオ・ストラーロも、映画撮影芸術のグルとしてあらゆる色彩に意味付けをして滔々と語る姿に圧倒されるが、よく考えると「そんな理屈は聞かない方がおもしろかった」と思ってしまいかねない。



映画はたとえば、政治的・社会的メッセージを担わせることには、あまり向いていないと思う。社会を直接変えたいのなら、映画なんて作っているよりは政治運動をやった方がいい。

フランシス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録』撮影ヴィットリオ・ストラーロ
フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』は元々はエンドクレジットがなかったが、拡大公開時に必要になった際、最初はアウトテイクだった(というか、撮影後にセットを壊す際、念のために撮っておいた)爆発シーンが背景に使われた。

そこでウィラード(マーティン・シーン)達が去ったあとカーツ(マーロン・ブランド)の本拠地が空爆で破壊されたという解釈が広まり、コッポラ監督は慌てて黒字に白い文字のクレジットに差し替えたと語っている。

コッポラとしては、カーツを暗殺したウィラードが刀を棄て、それを見守っていた山岳民族も武器を手放し、ウィラードがランスの手をとって歩き出すことで、平和への希望をラストに込めたつもりだったというのだ。

『地獄の黙示録』Redux版、マーロン・ブランドとイロコイ族の子どもたち
2001年に発表された1時間長い「Redux」版では、音響効果で山岳民族たちが武器を投げ棄てる音が強調され、コッポラの「メッセージ」がより明瞭になったとも言えるが、しかし両方のバージョンがDVDになってコッポラがつけた副音声解説では、彼は「平和」とは言わず「戦争の次の段階」という慎重な言い方をしている。


偶然にも9.11と相前後して発表された「Redux」版では、フランス植民者の農園のシーンが追加され、「ヴェトコンはアメリカが作った」という告発が、アルカイーダが元々CIAがムジャヒディン運動に出資したことから始まっていることとパラレルに聞こえ、戦争と平和の問題がより強調されたかのように受け取られがちだったし、プレスでのコッポラの発言も当初の公開時以上に平和主義的な面を強調しがちだった。


だが作品の全体像で見たとき、ふたつの『地獄の黙示録』の差異が意味するところはむしろ逆ではないかと思えて来る。


1979年に発表された『地獄の黙示録』が戦争の狂気についての映画だったのに対し、「Redux」版で追加されたシーンの多くは西洋文明と東洋、限界をさらけ出す文明とジャングルの対立であり、文明が去勢していた野性が、戦争によって暴力という歪んだ形で放出され、それが東南アジアの自然と人間性と対峙していく。


こと最後の、カーツの支配する土地では、設定上は彼に従っていることになっている山岳民族の存在感が、およそアメリカ人に従っているようには見えない方向性で強調されている。


とくにほとんどが裸の、子どもたちの肌の輝き、それにカーツが囲まれている姿は、前半に追加されたプレイメイトとの性的なシーンと呼応しつつ、まったく対照的に健康な官能性を発散しているし、「Redux」版が光化学写真技術でなく染料を使った印刷技術によるカラーのフィルムで公開されたことで、山岳民族の肌の輝きの鮮やかさと闇との対比の官能が、より際立っている。



「Redux」版は最後には、ヴェトナムについての映画ですらなくなる。実際の撮影地はフィリピンであり、「Redux」ではフィリピンの山岳民族イロコイ族の存在感が最後のパートで極端なまでに強調される。


いやだいたい、21世紀に見直せば、もはやアメリカ対ヴェトナムよりも、西洋と東洋、東洋と対峙した西洋の限界と暴露されるその『闇の心』として見られるべき映画だろう。

『地獄の黙示録』のような巨大で、雑多な要素を取り混ぜて、あえて混沌とした映画を「メッセージ」で読み解き「作家の言いたいこと」を探るべきなのかどうか自体に疑問はあるが、1979年版がヴェトナム戦争の狂気についての告発だったしたら、「Redux」版は文明の意味を問う旅となった。東南アジアの川をさかのぼるその航路は、現代の文明人が自分の内に押し込められた野性に向き合う、自らの「Heart of Darkness 闇の心」への旅路なのだ。

『地獄の黙示録』Redux版
その意味で、これは「自分探し」の映画だとは言えるし、『地獄の黙示録』の創造の過程自体がコッポラにとって自らの「Heart of Darkness 闇の心」への旅路であったことは映画史上よく知られている。

だがそれは「そうなってしまう」、作品を作ることの必然的な宿命であり、「自分を認めて欲しい」と思って自分の思い込みに過ぎない自己イメージを観客に共有して欲しいと願望することではない。

『地獄の黙示録』Redux版、マーロン・ブランド
『地獄の黙示録』は極端過ぎる例だとしても、映画作品における作家とは作家自身にとってすら謎めいたものであり、あたかも「作家の想い」や直接的な政治性を帯びた「作家のメッセージ」を想定した上で、ただそれを観客に共有して欲しいという欲望が映画的であるとは、僕にはあまり思えない。

エレノア・コッポラ『ハート・オブ・ダークネス、コッポラの黙示録』

むしろ『地獄の黙示録』で最終的に観客が向かい合うのは、「映画とは何か?」であり「我々は何者なのか?」だ。

それに観客にとってにしても、「作家の言いたいこと」に安心して共有する気分になるだけでは、発見も驚きもサスペンスもなく、映画を見る体験が退屈になるだけではないのか?

 だからこそ「サスペンス」を映画的に定義づけたヒッチコックが史上もっとも尊敬される映画作家の一人になるではないのか?
アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』

むしろある方向性に期待を持たせつつ、それを映画の展開とともに、俗にいえば「梯子を外される」状態になるようにすることが、映画の現代性ではないのか(やり過ぎると「分かりにくい」と言われるリスクはあるが)。

フィンセント・ファン・ゴッホ 『耳に包帯をした自画像』、1889年
…というか、こうして自己分析的なことを書いているだけでも自分が困惑し混乱してしまうのが正直なところだ。言葉で書いて伝わる「メッセージ」なり「私の思い」なら、わざわざ映画にする必要もあるまい。

文章にした方が早いし確実だと思うし、だいたい人間にとっていちばんよく分かっていない「他者」とは誰かと言えば、それは自分自身だろう。映画作家にとって「自分」なんてものは、自分が作った作品の中からそこはかとなく浮かび上がって来るものでしかない。

あらゆる映画がある意味、監督の「自己表現」になるとしたら、恐らくはその意味においてであろう。アルトマンの言ったように「結果としておぼろげながら私というフォルムを持つことになる」とは、実は相当に怖いことでもある。

8/13/2014

「悪所」の研究


たとえば遊郭があった江戸の吉原のような場所を、昔は「悪所」とも言った。

広重、名所江戸百景、よし原日本堤
現代風に考えれば、売春が行われていたり賭場があった場所だから、「良くない場所」、金銭で性が売り買いされたり身を滅ぼすような場所だから「悪」なのだろうと、現代の日本語での「悪所」という文字列は受け取られがちだろう。

だが江戸時代の文化や生活風俗の、明治以降の道徳律や人工的な歴史観を排した歴史学的な研究が進むにつれ、今風の日本語で言うところの「悪い」ところとは、たとえば吉原は違ったらしい、ということが明らかになって来ている。

新しい国家や民族像を作り出してそれを国民に刷り込むには、過去の価値観を否定的に見るように教育や文化政策、それに生活上の習慣儀礼を通じて仕向けなければいけない。植民地帝国主義の時代の最盛期に開国・明治維新・近代国民国家化を進めざるを得なかった日本の場合、それは恐ろしく急激で乱暴な、文化と意識の大改造として行われた。 
過去を知る手がかりとなるものでさえ、たとえばかつて生活に密着した信仰体系だったはずだと誰もが思う寺社仏閣は、寺と神社が分かれていること自体が明治の捏造だ。日本の伝統信仰だと我々が思い込んでいる「神道」なるもの自体が、社殿の様式から礼拝の作法から、ほとんどが近代の急ごしらえなのだ。 
たとえば、我々は神社には鳥居があるものだと思い込んでいるが、あんなものは明治以降の決まり事に過ぎない。三拍手なども明治以降に仏教の礼拝との差別化を計ったものでしかない。一方、社殿の代表的な建築様式である「権現作り」には、神仏分離が土台無理な話で徹底できなかった矛盾が現れている。 
「権現」とは密教的な仏教の用語で、仏が日本で日本の神の形をとっていることだ。だいたい明治以前の日本のカミ信仰には言語化された理論体系がなく、あったのは仏教に基づいた仏と日本のカミの関連の説明だけだ。 
日の丸・君が代に国家イメージを仮託し、それを教育現場であたかも道徳的義務のように強制するに至っては、悪い冗談である。日の丸は元来、ただ太陽を表すおめでたい図像に過ぎないし君が代は雅歌。いやだいたい、国旗国歌なんてこと自体が明治初期に西洋の儀礼に合わせて慌てて決めたものに過ぎない。

吉原は流行の最先端発信地でもあり、決して「夜の街」だけでなく、たとえば桜の季節には大通りに運ばれて来た桜がずらりと並び、ただ遊女を買う場であったわけでなく、女子供も花見に興ずる、それは賑やかで華やかな祭りの場であったという。

歌川国貞「北郭月の夜桜』
今の相撲の国技館と江戸東京博物館のある両国も、「悪所」と呼ばれた場所のひとつだ。だいたい相撲は祭りであり見せ物である。

明暦の大火のあとに死者を慰霊する廟が江戸市中から見て隅田川の向こう岸にあたる両国に建てられて以来、次第にその周囲に見世物小屋や芝居小屋が立ち並び、江戸の一大エンタテインメント・センターとなった。大相撲もそうした見せ物のひとつとしてここで興行していたのが、今の国技館の由来である。

「川向こう」、つまり「彼岸」である。橋を渡ることは古来、日本人にとって特別な意味があった。

ぶっちゃけ、幽霊や魔物が出て来たりする場が橋であるのは、たとえば牛若丸(源義経)と弁慶の京・五条大橋の伝説を見れば分かる通りである。 
その鴨川の四条河原付近に中世から近世にかけて見世物小屋や遊女が集まったのが「かわらもの」の語源と言われるが、川を超えれば八坂神社と、祇園や島原遊郭。一方河原を南に下がれば、そこには刑場が置かれた。
広重、島原遊郭の大門
 現代語では春分、秋分の日の前後の墓参りシーズンくらいの意味しかない「彼岸」とは、生死を隔てる川の文字通り「向こう側」が本来の意味だ。川という天然の境界(とは限らない。たとえば神田川は人造だし、現在の隅田川や利根川の経路も江戸幕府が人工的に作り出したものだ)は、日本の都市文化において極めて重要な意味を持っている。遊びや文化は日常の延長であると同時に、生死を隔てる意味ももつ川の「向こう側」にあるものなのだ。

両国が明暦の大火の死者の慰霊の廟から遊び場になったことが典型なように、遊び、享楽は「死」の世界に近づくことでもある。

江戸城から見て吉原の遊郭の方角、谷中の巨大墓地から、上野の寛永寺と東照宮(現在の恩師上野公園はこの境内地に当り、明治維新で徳川将軍家から天皇家に移り、東京市に下賜された)に浅草や吉原からさらに隅田川を超えて新吉原、刑場のあった骨ケ原といった地域は、江戸の聖地であるとともに「悪所」の密集地帯であり、その名残は今でも明らかだ。

明治以降に発達した銀座のような商業地に今でこそ地位を奪われているが、明治時代の東京の最初の繁華街・歓楽街といえば浅草であり、日本初のデパート、日本初の遊園地(浅草花やしき)、日本初の映画館などもここに作られた。

つまり「悪所」の「悪」とは元はどういう意味なのか、ということだ。確かに「いかがわしい」かも知れないが、だから拒絶し忌避すべきなのかと言えば、いかがわしさは神聖なるものと共に「彼岸」ないしその境界に置かれて来た。ちなみに上野・浅草の方角は、江戸城からみて陰陽五行の方位学で鬼門にあたり、つまり上野を中心とする江戸周縁の聖地と悪所は、鬼門封じにもなっている。

広重、『上野不忍池雪の景』
日本史の教科書で「悪党」という用語が出て来て、それが決して「悪い奴」という意味ではなかったことを覚えている人もいるだろう。 
むしろこの場合の「悪」は「強い」、かつ既存の支配「体制外」で要は標準や基準の「外」、という意味で、たとえば平安時代であれば後の武家階級の起原のひとつである。
広重、名所江戸百景。上野・清水観音堂の月の松と不忍池
日本の都市文化は、実は「悪所」でこそ発達して来たものだ。

その「悪所」は、江戸の場合の上野から吉原方面や両国のように、都市の中心でなくその周縁部や川向こうにあった。京都なら四条河原がありその向こうが八坂神社と祇園だ。南に下れば、同じ河原は刑場になる。

大坂(今の大阪)となると今でこそ大阪駅と、阪急や阪神の梅田駅などが集中しているので大阪の中心地に見える梅田近辺は、本来なら大坂の街の端っこで巨大な墓地だった所である。

JR大阪駅北側の貨物基地と、再開発で高層ビルが建った元の北ヤード。
この辺りが明治以前には梅田墓地だった
日本橋から難波、天王寺方面は大坂の南の端で、天王寺の先には鳶田(今の飛田)の巨大墓地があり、吉本のなんばグランド花月がある千日前は、かつての千日寺とその巨大墓地の門前町だから「千日前」という。

地図で見てみると分かり易いだろうが、大阪の繁華街はどれも、歴史的な町の中心地域にはない。現在の大阪環状線は過去の大阪の市域の外周部にほぼ沿うように走っていてその沿線が多い。

難波宮大内裏の遺構。上町台地には平城京以前に二度、都が置かれていた。
奥にはNHK大阪放送局と大阪府庁。この右手に大阪城(旧・石山本願寺)

都市の中心地域は大坂城(江戸期には幕府の西国出先機関)などの政治中心の上町台地や経済中心の問屋街・船場であり、上町台地は今でも府庁や府警本部やNHK大阪放送局が集中するいわばお役所街(というか東京中央集権の出先機関)で一応は発展しているが、かつての大坂経済どころか日本経済の中心であった船場の廃れようと言ったらない。

大坂と呼ばれていた近世までの大阪は、7つの巨大墓地に囲まれていた。その墓地のほとんどは、今では跡形もない。わずかに阿倍野の市設南霊園にその面影が見えるが、この近くにかつて鳶田の巨大墓地があり、市設南霊園自体は他の墓地から明治時代に移転したものだとも言われるものの、鳶田(今の飛田新地)との関係も含めて由来が実はあまりよく分からない。

大阪・阿倍野にある巨大墓地
鳶田は墓地が撤去され、明治後期の大火災で難波にあった遊郭が移転して現代に至っている。いわゆる飛田新地・遊郭である

飛田新地・遊郭。かつての鳶田墓地
西洋の都市や中国大陸などと日本の歴史都市の、一目で見て分かる違いは、町が城壁で囲まれていなかったことだ。大阪が墓で囲まれた街であったのとは対照的に、パリでもローマでもロンドンでもウィーンでも、城壁が近代化にあたって取り除かれ都市郊外も発展しているが、城壁があった場所は今は大きな環状道路や環状鉄道が走っていて過去の境界が今でもはっきり分かる。

 映画『ローマ環状線 めぐりゆく人生たち』予告編 

日本の場合、城壁がなかったので、都市の周縁はたとえば江戸の場合元からかなり曖昧で江戸の外れの田園や自然の風景も庶民が親しむものだったし、近代化と人口増加で都市化は際限なく外側へと進み、今ではほとんど見分けがつかない。

だが日本の歴史都市に城壁がなく、都市境界が外の世界と曖昧につながっていたことと並ぶもうひとつ顕著な特徴は、西洋や中国大陸の都市と異なり中心があまり賑やかでない、むしろ空虚ですらあることだ。これは京都からしてそうで、政治と権威の中心である内裏とは、禁裏、つまり立ち入れない場でもあり、平安時代末期に政治中心の機能も失ったからこそ、京都はその後も成立し続けて来た。今の東京は、中心は皇居という巨大な森だ。

そうした都市の歴史を知らなければ、今は東京の大きな中心のひとつに見える新宿が、実は江戸と東京の歴史では端の部分だったことにも気づかないかも知れない。

現在の東京都庁展望台から見た中野方面
それでも地図を見るだけか、ただ新宿西口の高層ビル街だけではなくちょっとその脇へと足を伸ばしてみれば、そこが上野や浅草と同じ空気を持った場所であることに気づくかも知れない。

たとえば、新宿から池袋にかけては、案外と寺社仏閣と墓地が多い。高層ビル街はかつての淀橋浄水場でその一部が新宿中央公園になっているが、平安時代の創建と伝えられる熊野神社がその一隅にあり、この辺りは十二社という旧地名が今でも残っている。

広重、名所江戸百景、角筈熊野十二社
(現在の東京都庁、新宿中央公園近辺)
歌舞伎町には花園神社を始め、大小の神社が実はかなりあるし、高層ビル街の麓や新宿二丁目にはお寺や墓地が今もある。その北、今の大久保、新大久保界隈では百人町という地名が今でも公式の行政区分になっているが、これは江戸幕府の鉄砲百人隊が由来だ。鉄砲、つまり火薬と鉄を扱う、通常の武士とは異なった特殊技能の持ち主が、かつての江戸の西側の周縁部に置かれていた地域とその周辺が、今では東京のコリアンタウンになっているし、百人町にはハラル・フードつまりイスラム諸国の人たちのための食料品店もある。

新大久保駅付近
その北の高田馬場は今ではこっそり東京のリトル・ヤンゴン、ミャンマー(ビルマ)人コミュニティが出来上がっていたり、外国人経営の外国料理店(それも西洋ではなく東南アジア、インド、西アジア)が多い。


日本では東京つまり江戸にせよ、大坂(大阪)にせよ、あるいは京都でも鴨川の川向こうに祇園など、大なり小なり昔からある都市では、華やかな文化中心は中央ではなく都市の周縁部、西洋や中国の都市だったら城壁があったであろう部分に位置しているのだ。

華やかな一方で貧富の格差も明白でしかも隣接し混在している、というか現代では経済的な一等地で立地からして地価も高いはずにも関わらず、未だに基本的に高級住宅街ではなく区割りの狭い、いささか雑然とした、決して豊かとは言えない場所と隣接している。いやその賑やかに繁盛していそうな街でさえ、地価の高さにも関わらず必ずしも高価な商売が行われている場所ではない。


新宿西口から靖国通り、西武新宿駅近くにかけてのガード沿い地区、通称「しょんべん横町」ないし「思い出横町」は典型だろう。

二つのターミナル駅に挟まれながら安物紳士服と一杯飲み屋に焼き鳥屋などが路地に面して集中しているこの場所は、10数年前に大火災があり、更地にされて再開発が入って商業ビルでも立つのだろうと思われたのが、結局は元に戻っている。

東京の北への玄関口となる上野駅周辺も同様だ。駅ビルこそきれいに改築され、かつて映画館などがあったところには真新しい商業ビルが建ったものの、やはり上野は上野だ。

改築が済んだ上野駅
アメ横近辺には今ではタイ料理、台湾料理やトルコ料理の屋台に、中国系の食品店なども目につき、都内で数少ないアジア的なストリート・ライフが楽しめる地区になっている。

上野、アメ横界隈の、道にまで進出した飲み屋
最近ではこの中国系の食料品店など、日本以外の店が増えている
そう、今でも東南アジアに行けば通りには屋台や行商がひしめき合っているが、かつての日本にもあったそうした生活文化が、上野には残っているか、新たに再生しているのだ。
タイ、バンコク、シローム地区

品川も江戸の端で、東海道の一の宿場だったが、宿場には「飯盛り女」と呼ばれる遊女がつきものだったのが江戸時代である。

広重、東海道五十三次、品川宿
丘陵に一面桜が植えられた花見の名所だった高輪がお屋敷街になり、再開発で高層のオフィスビルが建ち並んでいるにも関わらず、ちょっと歩けばいささか雑然とした街並がすぐ目に入る。その向こうはかつて、海と陸との茫漠とした境界だった。

広重、名所江戸百景、高輪うしまち
明治維新以降の日本の歴史学では、西洋風の科学的な唯物史観を重視して宗教的ないし風俗的な面は恣意的に無視されて来たきらいがあるが、昨今の研究では上野に寛永寺があり不忍池があり東照宮が建てられたことが宗教的な理由、つまりは鬼門封じであったこと、不忍池と寛永寺が京都における比叡山と琵琶湖の位置関係を模したものであることも、ちゃんと論じられるようになっている上に、さらにおもしろいことが近年、徐々に明らかになっている。

京都に対する比叡山と琵琶湖を模して東叡山寛永寺と不忍池、さらに清水寺を模した清水観音堂、というと上野のお山一帯は江戸開府にあたって新しく、人工的に作られたものと思いがちだ。
広重、名所江戸百景、清水観音堂から不忍池
だが実は上野公園内、東照宮のはす向かいに当る擂鉢山が、古墳であることが明らかになった。上野の山は江戸期よりも遥かに昔から、霊的な意味を持っていたのだ。

ちなみに大阪の天王寺公園内にある(つまりかつての大坂市域の南の端)茶臼山は、大坂夏の陣に真田幸村が豊臣方の最前線を置いた場所だったが、ここも実は古墳だ。

上野公園の今は博物館が並んでいる辺りから東京芸大にかけて、実は掘れば江戸以前からの墓地や礼拝施設などの遺跡が、縄文期にまで遡ってかなり出て来るという。その歴史が文書ではまったく残されていないため、永久にその意味は解明不能だろうが、また意味論的に完全に把握されてしまっては、曖昧なること、判然としないが故に魔性であり神性であることにならない。

いずれにせよ家康が江戸に幕府の首府を定めた時には、今の銀座から築地にかけて大規模な埋め立て工事を実施して(その土を運び出したのが神田川)半ば人工都市として江戸を作り上げる一方で、その歴史的かつ霊的なパラメーターがきちんと踏襲されていたことが伺われる。

いやむしろ、もしかしたら古代からの霊場との位置関係に応じて、江戸城の造営拡張が進められたのかも知れない。

そしてその、実は歴史的に予め定まっていたことも最近は分かって来た江戸と言う都市の周縁部に、いわゆる「悪所」とも呼ばれる、祝祭と祭礼の場所があったり、新たに発展したりして行ったし、そうした場所は江戸から東京への大改造、さらに関東大震災と東京大空襲という二度の破壊と復興を経ながら、結局は昔と同じ役割を今でも担っていたりもするのである。

たとえば、なぜ将軍家菩提寺の寛永寺の門前町だったり境内だったりしたはずの鴬谷がラブホテルだらけなのかも、歴史的な経緯によるものなのだ。
寛永寺墓地より鴬谷、上野方面。遠景に深川の東京スカイツリー
元を糾せば都市の内側、つまり人間の社会と、その外側の世界、つまり自然神と霊魂が支配する世界の境界であり、いわゆる通常の日本人の人間世界とちょっと異なったもの、区分けが判然としないもの、身分制度など支配体制の枠組みから外れた「曖昧なるもの」の場であり、それ故に魅力的な場所だったのだ。

新大久保のコリアンタウン化が典型なように、そこに「外国」といっても西洋ではなくアジア的なもの、つまり日本と西洋の「あいだ」にある、普通の日常的「日本人」とはどこか違うがそんなに異なるわけでもない、あるいは過去の日本人に通ずる存在が集中するのも、実は歴史的な必然だと言えよう。そして江戸時代というと「鎖国」というイメージに反し、当時の日本人は無類の外国好きの新しいもの好き、鎖国しているからこそ外の世界への好奇心に旺盛な民族だった。

エキゾチックなものは日本人にとってエンタテインメントであり、エロチックでもあった。

年に一度の朝鮮通信使の長崎から江戸を往復する行列は、沿道に人だかりが常であり、行列の面々を描いた浮世絵版画がいわばブロマイドのようにバカ売れした人気だった。

両国の見世物小屋には、虎やラクダやゾウまでいたという(本物かどうかは定かではないが)。その役割が今では上野の動物園のパンダ人気へと引き継がれているのかも知れない。

開国と同時にフランスで印象派を驚愕させた北斎や広重の浮世絵表現は、実は長崎経由で入って来た西洋の絵画技法である遠近法を独創的に取り入れたものであり、「ベロ藍」と呼ばれた特徴的な深い青はプロシアン・ブルー、ドイツで開発された化学染料だ。

葛飾北斎、富岳三十六景、神奈川沖浪裏
日本人の多くが忘れているが、世界初の麻酔を活用した外科手術は江戸時代の日本で、華岡青洲が執刀している(全身麻酔で、乳がんの切除手術を成功させた)。昔の歴史教科書では杉田玄白らの『解体新書』(医学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳)くらいしか出て来ないが、江戸時代には日本の医学者のあいだで一大解剖ブームが起こっている。


西洋渡来の解剖学の書物の研究が、すぐに刑死した遺体の解剖で実践的に確かめることへと関心が移り、医学だけでなく、大衆見世物小屋での解剖人形でも、相当に精確なものが人気を集めた。


日本人は死を恐れ穢れとして忌み嫌う、という俗説は実はそうとうに嘘っぱちであるか、明治以降の近代に、西洋に「野蛮人」と思われないための捏造だろう。日本人は死者と祟りを本気で恐れる民族ではあったが、それは人間以外、あるいは人間を「超えた」ものへの畏れであって、死を拒絶したり忌避したわけではない。

とはいえ、そうした死とかかわるものが漫然と日常のなかにあったわけではない。

墓地も、葬祭の場も、刑場や刑死遺体の解剖も、解剖人形の見世物小屋も、いわゆる「悪所」に属し外の世界との境界に置かれるものだった。外の世界と人間世界の内側の区別が曖昧になる領域は、カミとヒトの混然とする、生と死との境界であり、祭りが行われる場でもあった。

 深作欣二監督『必殺4 恨みはらします』

これは80年代に大ヒットしたテレビ時代劇『必殺!仕事人』の映画版だ。当時はけばけばしい風俗描写やエロチックなのぞき細工の設定などが、現代風のパロディにしても時代劇なのにやり過ぎで荒唐無稽だろう、とあまり褒められなかった記憶がある作品である。

暗闇の映像美で売ったテレビ・ドラマのスタイルに忠実で、そこにリアリズムの暴力描写を加えて殺人稼業の悲哀と倫理的葛藤に深く切り込んだ工藤栄一監督による重厚な映画第3弾にくらべ、華やかな色彩に満ちた昼間の屋外シーンが多いスタイルも含め、この深作監督作品はあまり評判が良くなかったと記憶している(というか、テレビの映画版ということだけでも、映画評論家は真面目に相手にさえしなかっただろう)。

たとえば旗本愚連隊の、いわゆる「かぶき者」風の衣装や化粧や髪型は、髪を赤く染めたり金ぴかの衣装だったり、時代考証にうるさい人が怒り出しそうにも思える。


この映画の台詞を借りれば「鼻血がトサカに昇ってプッツン」来そう…と当時の流行語を平気で放り込んだことでも、評判はますます芳しくなさそうだ。


真田広之演ずる南町奉行と来たら、ホモセクシャルないし半陰陽の雰囲気を存分に発散し、およそ公開当時の80年代に普通に思われていた江戸時代の「武士」イメージではない。

東映のヤクザ映画に実録風のリアリズムを持ち込んで絶賛された『仁義なき闘い』の深作欣二監督が、いったいなにを血迷ったのか、とすら思われたであろうこの映画、しかもメインの舞台となる江戸の外れのあばら長屋「おけら長屋」が立ち退かされ、無人になりった廃墟が決闘の場となると、「深作は西部劇のゴーストタウンをやりたかったのか?」などと揶揄されたものである。



当時、その深作監督は、この映画を「お祭り」と呼んでいた。それは「お祭りなんだからなにやってもいいだろう」的に派手で商業的な悪ふざけを導入する開き直りのように思われがちだった。

だいたい、テレビ・ドラマの映画版といえばまったくの商業的な企画なのだし…と思ってしまえばそれで済みそうだが、これまで江戸時代の都市における「悪所」の痕跡を辿って来た文脈で考えると、まったくそうではないように思えて来る。

深作は別にテレビシリーズが大ヒットしたからテレビ局のための「お祭り」をやったのでもなく、だから悪ふざけで旗本愚連隊に当時の暴走族かグラム・ロックのような格好をさせたのでもない。

藤田まこと、真田広之
濃厚なエロティシズムと、とくに真田広之演ずる南町奉行が濃厚に漂わす同性愛と両性具有の官能は、決してただのエログロナンセスの商売目当てではない。すべて深作欣二ならではの深い日本文化への理解に基づき、それを現代に映画としていかに具現するかを考え抜いた表現だったのだ。

いや実のところ、テレビのファンがいるだけで一定の宣伝効果も興行的成功も最初から見込めるだけに、テレビの映画化というのはやりようによっては、現代の日本映画産業で逆にもっとも作り手が冒険できるジャンルなのかも知れない 
それにテレビのおなじみの人物設定を拝借しているぶん、キャラクターの説明に時間を割く必要がないだけでも自由だ。ハリウッドのアメコミの映画版で、主人公がヒーローになる原作の設定をいちから丁寧になぞったりするのとは大違いである。

いや西洋文明の物差しならばエログロナンセンスの下品な金儲けとみられがちなことこそが、日本の本来の文化では、人間世界と人間外の死と自然神の世界との曖昧なる境界、聖と俗が判然とせず渾然一体であることにおいて神性を帯びるのである。相撲だって一歩間違えれば畸形人間ショーに近いはずが、だからこそ神事の意味を持つのだ。そうした「ヒトを超えたもの」の神性が立ち現れる場こそが「祭り」なのであり、「悪所」とはその祭りの執り行われる場でもあった。


深作の映画はその原理に極めて忠実に作られている。

この映画で半陰陽/両性具有的な真田広之(かげま、つまり男娼あがり。江戸時代に衆道つまり男性の同性愛は普通のことだった)がいわば「ばけもの」となるは、性別の境界が曖昧なる者であるがゆえに魔性の魅力を持つからだけではなく、実は将軍家斉に手ごめにされて井戸に身を投げた大奥の女中の、その亡霊の恨みを背負った復讐者であるからでもある。


その女中の名が「お菊」であることは、有名な怪談『番町皿屋敷』を明らかに踏まえている。江戸の番町(今の千代田区番町、地下鉄の半蔵門駅あたり)と地名を語呂合わせで変えているが、元は播州姫路城の池田藩で起こった実話だ(「播」が「番」に言い換えられた)。このお菊は家宝の皿を割った罰で殺されたことになっているが、そこに性的なメタファーを読み取る解釈もあり、深作はストレートにその方向でこの映画の脚本に組み込んでいる。


深作がこの後に映画化に執念を燃やすことになる『東海道四谷怪談』もそうだが、日本の怪談は、西洋のモンスターが悪魔の化身であったりする悪魔払いによるキリスト教的秩序の回復の説話とは構造がまるで違う。亡霊とは不当に殺された者たちの恨みであり、悪であるのはむしろ亡霊の復讐を受ける人間たちの側であり、怪談は秩序がすでに腐敗して壊れているからこそ成立する、化けて出て来る理由が産まれるのだ。 
そしてこと江戸時代の怪談もので恨みを持って不当な死に遭うのは、ほとんどが女性であり、その物語にはほとんど常に、武家の支配体制の横暴に対する猛烈な批判が込められていた。 
そして、そうした物語が歌舞伎芝居などで演じられ、語られたのもまた、支配体制の枠外にあった「悪所」であり、楽しむ側の観客は、武家支配の社会でも、「悪所」である異界では、男女が平等だった。

「おけら長屋」が風と砂塵の吹きすさぶ江戸と江戸の外の境界なのは別に西部劇の模倣ではない。まさに人間界と自然界の境界領域そのものであり、しかも入り口の両脇に石灯籠が置かれていることからして、ここはカミ的領域でもある。

深作監督はそこに貧しくはあってもある種のユートピアを設定した。

仕官にあぶれた、つまり支配体制としての武家階級からこぼれ落ちた浪人が心機一転で傘作りに励む姿は、ふっきれているためか哀れさを感じさせないし、同じ長屋には老人もいれば子どももいる。

そして子どもの遊んでいる側にはごく自然に、最下級の遊女である夜鷹(よたか)たちもいる。

これも恐らくは、深作が江戸時代の春画を研究して来た反映だろう。春画つまりセックスの場面を描いたエロ絵画だが、しばしば庭先で遊んでいる子どもや犬猫も描き込まれているし、男女(ないし男どうしや女どうし、北斎のタコと女を描いた傑作のように、動物相手の場合もある)の睦言だからといって、庭に面した障子が閉ざされているわけでもない。

江戸時代は性について、明らかに現代よりもおおらかで、性そのものを罪悪視する傾向は、むしろ近代化で西洋から持ち込まれた、キリスト教起原のものだ。 
だいたい日本の伝統的な神事祭礼が、性と切っても切り離せないものだし、江戸時代どころか、それこそ『源氏物語』や『万葉集』や『古事記』の昔から、日本の恋愛表現は性に関しておおっぴらだった。

「おけら長屋」の住人達は、幕府やその奉行所の権力から保護はまったくない、つまり社会制度的には不平等の最下位あたりに置かれていそうなのに、身分が遥かに上の旗本愚連隊に、気概では決して負けず堂々と対決すらする者達として描かれている。

権力と社会権威の枠外の、人間界の周縁にある境界だからこそのユートピアが、この「お祭り」つまり祭礼としての映画の主たる舞台になる。


その片隅にはちゃんとお墓があり、その墓のひとつが将軍に手ごめにされた女中お菊の伝説を伝える地蔵、という深作の持ち込んだ設定は完璧だ。

殺し屋稼業「仕事人」の元締めがふだんは琵琶を弾く乞食の女越世、背中に観音をも思わせる弁天像を刺青した「弁天」(岸田今日子)であり、そのねぐらが、おけら長屋のそばの川につないだ小舟であるというのも、徹底している。


そしてこの異界/境界としてのユートピアが、この場とのつながりを隠した魔性のものの陰謀によって立ち退かされ、殺人稼業どうしの決死の決闘という、生と死の祭礼としてのアクションの場となり、千葉真一演ずる子連れの殺し屋の、死と引き換えの贖罪の場となる。


一方で、将軍家所縁の寺に秘密に設けられた性ののぞき部屋が、エロティックな仏像神像の調度そのままに、もうひとつのクライマックスのアクション、怒り猛け狂うあまりに魔性のものとなったカミ的両性具有者を鎮める血の祭礼の場面になるのも見事だ。

性的にデフォルメされた仏像神像が、だからこそ観音の慈悲の神性をクライマックスでは帯びることになる。


性と死の一致において現世の道徳律を凌駕する魂鎮めのクライマックスを設定することを、深作欣二は後に『忠臣蔵外伝・四谷怪談』でより華やか、かつ破滅的に繰り返すことになるだろう。

この寺の場所の設定が谷中だが、谷中から日暮里にかけても、江戸の鬼門封じとなった上野方向の「悪所」ゾーンに含まれる。

谷中墓地、千人塚(いわゆる無縁仏)
谷中といえば戦災でも震災でも焼け残った故にノスタルジックな観光地に今はなっているが、巨大墓地があるここは、ただ「古い建物や街並」であるだけで郷愁を誘うわけではない。

なにしろ谷中霊園と寛永寺墓苑が渾然一体となった霊的空間には、最後の将軍慶喜を始め、将軍家や老中職、それに伊達家などの有力諸大名の墓所もあれば、明治の世に希代の悪女と言われた高橋お伝もここに葬られている。


高橋お伝。重病の夫や愛人達を次々と殺して「毒婦」と言われたお伝は、しかしなぜか明治庶民のヒロインにもなった。昭和に同じように庶民の不思議な人気と同情を集めたいわゆる「魔性の女」に阿部貞がいるが、貞の事件を『愛のコリーダ』という映画の事件にした大島渚は、このお伝のことも映画に出来ないかと関心を持っていた。


深作欣次は、実はテレビの『必殺』のもっとも基本的な構造をこの映画で再確認もしているのかも知れない。

法が裁かぬ悪を、死者の恨みの籠った金と引き換えに殺す、という裏返しの勧善懲悪が人気を集めたのは、裁かれない巨悪や理不尽も多い現代社会のルサンチマンの解消となる反権力性とニヒリズムが、バブルの時代にマッチしたからだと普通には思われるだろうし、だから人間社会に裁けなかった悪を裁くそのリーダー格であり主人公が、ふだんは完全に官僚化した奉行所勤めの小役人の裏の顔、というのがあまりにサラリーマン社会への風刺として気が利いていたため、藤田まことが「中村主水」を演ずるシリーズが、こと大いに人気を集めたのだろう(元は池波正太郎の小説『仕掛人・藤枝梅安』が原案)。

だが法が裁かぬ悪が法的には許されない手段で裁かれる、という裏返しの勧善懲悪の構造は、江戸時代から日本人にとっておなじみの、歌舞伎や人形浄瑠璃の構造を再現するものでもある。

そうした日本人の慣れ親しんだ庶民の演劇とは、法や社会道徳の矛盾が産んだ非業の死が、死者自身が浄瑠璃の太夫や歌舞伎役者の口と身体を借りることで語られるものだったり、江戸末期に増える大泥棒や法の及ぶ範囲外にあるヒーローを描くものだった。

水戸黄門や大岡政談の、権力側の義人が「正義」を実行する勧善懲悪は、読本や講談では江戸時代でも人気がなかったわけではないが、映画や大衆演劇で大々的にとり上げられるようになったのは明治以降だ。 
歴史的にみれば、日本人がこういう権力側の貴種による「正義の裁き」を有り難がる民族だとはとても言えない、むしろ近代化で押し付けられた、刷り込まれたものだろう。江戸時代に好まれたのは、正義が社会で実現し得ず権力権威がその力を持たないこと、勧善懲悪への疑問を呈し人間世界の秩序の限界を探るエンタテインメントだったのである。

また荒唐無稽にも思えるトリッキーな殺人技巧は、実は殺しの行為のもっとも完全な儀礼・儀式化の面も備えつつ、しかもそれは簪であるとか錐であるとか鍼灸師の鍼であるとかの、日常の道具の非日常への役割変換でもある。

恐らく州崎辺りの設定であろう、千葉真一演ずる殺し屋が住処とする江戸の外れ
それにしてもこの映画の「おけら長屋」が体現している「悪所」、ないし人間界と人間外の世界、生と死の境界とは、どのような場所なのか?

広重、名所江戸百景、深川州崎十万坪
江戸時代の終焉とともに、近代化の荒波で消えてしまったかのように見える日本文化の本当の原点でありエネルギーの源とも言える場は、しかし深作だけでなく多くの日本の映画作家を魅了して来た。

たとえば遺作『御法度』から遡れば、大島渚のフィルモグラフィのほとんどすべてが、こうした生と死と性が接し曖昧となる異界・魔界をめぐるものだと分かる。

大島渚監督『青春残酷物語』

大島の映画では、死に行くものが「彼岸」へ向かう道行きという伝統話法までが長編デビューの『青春残酷物語』で既に取り込まれているし、『太陽の墓場』『絞死刑』『帰って来たヨッパライ』『愛のコリーダ』『愛の亡霊』、そして『御法度』でもその構造は明らかだ。大島は中年以降日本的なものに惹かれるようになったのではない。むしろ、最初からだった。

内田吐夢の映画はとくに戦後の、アイヌを取り上げた野心作『森と湖のまつり』といわゆる芸道三部作(『浪花の恋の物語』『恋や恋、なすな恋』『妖刀物語・花の吉原百人斬り』)、そして『飢餓海峡』と、はっきりとこの境界、マージナルな場に凝縮される人間の愛憎のドラマツルギーを意識し神性化するものへとなって行く。


Le détroit de la faim - Tomu Uchida - Trailer 投稿者 k-chan 内田吐夢監督『飢餓海峡』予告編

深作や戦後の内田吐夢と同じ東映で活躍した加藤泰の映画についても、ほとんどの作品にこの関心が指摘できる。だいたい加藤が得意としたヤクザ映画のヤクザ、任侠とは、いずれもこうしたマージナルな人物、境界にいる存在だし、『東海道四谷怪談』のもっとも忠実な映画化『怪談お岩の亡霊』は加藤の最高傑作のひとつだ。

 加藤泰監督『怪談、お岩の亡霊』

近年では宮崎駿のアニメーションは、壮大な環境哲学的宇宙観を示した『風の谷のナウシカ』、子ども向けの里山ファンタジー『となりのトトロ』から、「たたら」つまり山のカミから鉄という特別な力を頂く資格を持った特殊集団を描く『もののけ姫』に、文字通りカミガミの湯屋に少女が迷い込むことで大人の世界の決まり事から解放されて成長する『千と千尋の神隠し』にいたるまで、その多くが実はこの日本人の精神構造の境界領域をめぐるものである。


深作欣二の『必殺4』では、お面をもった二人の子どもが善と悪、生と死の両義性を担った曖昧な存在として重要な位置を占めている。

「子ども」もまた、文明と自然のあいだにある不確定な、性別が確定しない、世俗の枠組みに収まり切らないものを象徴する「曖昧なるもの」であり、故に神性と暴力性を秘めてもいる。

 少年少女の不確定が故の危うさ、相米慎二監督『台風クラブ』

相米慎二の映画世界はほとんど常に、生と死の境界に少年少女の性の成長が微妙に交叉する状況を舞台としており、『台風クラブ』では台風という天変地異がそのカミ的な危うさを少年少女達から引き出し悲劇的な死の祭礼で終わり、『お引っ越し』に至っては、いつのまにか少女は文字通り「彼岸」の世界に迷い込んでしまう。

相米慎二監督『お引っ越し』

あるいは小栗康平の処女作『泥の河』は豪速球に川のこちら川と向こう側の物語であり、主人公の二人の少年はその境界にあるが故に曖昧にして魔をも秘めた存在であるし、小栗は『眠る人』で日本の自然と朝鮮半島の東南アジアの赤道直下の自然を結びつける世界観を提示した。

小栗康平監督『泥の河』抜粋

いやなにも、いわゆる芸術的な、作家性の強い映画だけではない。

たとえば大映で市川雷蔵が人気シリーズにした『眠狂四郎』シリーズは、狂四郎が転向キリシタン神父の落としだねで紅毛であることも、円月殺法も、境界にあり判然とせず曖昧なる魔性を秘めたものこそがヒーローとなることを示しているし、狂四郎の周囲には常に子どもが出て来るし、それは西洋的なヒーロー説話で子どもを救うため、という単純な位置づけではない。

 三隅研次監督『眠狂四郎勝負』

明治維新は日本人という国民性を、真面目で勤勉で権威に従順なものとして再定義したかに見えたが、一方でその権威を相対的なものとしてしか見なさずに、人間社会の矛盾をそこを超越している周縁の境界から見ることや、そうした境界の「悪所」にある曖昧なるものやそこから向こう側に見える外にあるものにこそ魅了されるという、本来の日本人の文化的DNAは、我々の無意識にはまだ確かに刻印され続けている。

その片鱗は映画にも、そしてたとえば東京の実は古来より「悪所」である場によく観察すれば確かに見いだされるし、今日でもしばしば復活したり、再生産すらされている。

広告代理店やテレビが作り出す人工の、商業目的の流行は一時は儲かりはするが、しょせんは地価上昇や地上げなどと同様一時的で相対的なものだ。 
新宿西口の「しょんべん横町」が火災で焼けても元のままに復活し、ゴールデン街がゴールデン街でありつづけるように、商業戦略や経済性を超越した「日本人を魅了するもの」は、確かに生き続けている。

平たく言えば、日本人は確かに今では勤勉で真面目で、権威や所属集団に過度なまでに従順であることを要求され、社会ではそこに忠実でなければ生きにくくはあるのだが、それでも未だに、一方で恐ろしく享楽的な民族ではないのか。

好奇心旺盛で享楽的、こと食べ物には目がないからこそ、新大久保は韓国料理で繁盛し、高田馬場にはミャンマー料理やタイ料理やトルコ料理がやたらと食べられる街になるわけでもある。趣味に熱心で恐ろしく知識やうんちくを溜め込むことでより楽しんだりもするし、また日本的な娯楽は「知れば知るほど深く楽しめる」面が強い(歌舞伎などは典型だが、なにも古典芸能だけではなく、いわゆる「オタク」文化もだからこそ生まれたのだろう)。

鈴木春信の春画
明治以降の軍国化が強要したマチズモ的な「侍」の男性像が、だからといって実際に日本でスターになるわけでもなく、むしろ半陰陽的な男性の魅力は市川雷蔵がそうだったし、現代ともなればジャニーズ事務所でも、韓流スターでも、その傾向は明らかだ。女性的とも言えるしなやかな肉体と少年のような無邪気な純粋さ、なのにエロチックでもあることがスターになる日本は、ジョン・ウェインがスターになるハリウッドとはずいぶん違う。


だいたい深作欣二が半陰陽の妖しい南町奉行を演じさせた真田広之だって一応アクション・スターのはずだが、そのアクションの肉体の躍動は、力強さよりも軽やかなしなやかさを発散するものだ。


今では大衆ファッションでも、近年UNIQLOが積極的にゲイのデザイナーアーティストのデザインや意匠を取り込むことで、「男らしさ」をマチズモよりも男性の官能的で性的な魅力で再定義し、それを「かわいく」表現することが、いつのまにか流行になっている。


男性ファッションの官能化、セクシャル化、肉多岐的、性的な魅力を引き出すことの積極化に対し(また男たちの側でも積極的に受け入れている)、女性のファッションが華美なブランド主義に毒されただけでどんどん衰退しているのはかなり残念だが、しかし日本は江戸時代以前から男女ともに、むしろきれいで官能的な、なにか異質なものを持つが故に色気のある男にキャーキャー言う性的文化を持った国でもある。美人だけでなく、しなやかな男性の肌の露出が多い艶やかさも、街の花だった。

鈴木春信「雪中相合傘」
性欲と食欲は未だに、日本人が古来・本来の自分にもっとも正直な分野なのかも知れない。この本質からして享楽的で無意識に大いに支配されている部分だけは、明治以降140年経っても日本人は未だに、完全には西洋化されていないのだろうし、むしろ近年目に見えてアジア回帰すらしている。

ただ他の部分では、日本人の意識レベルが強引かつ中途半端に西洋化されることで、我々はずいぶんといびつな民族になってしまっている。

実は濃厚に性的な意味を持つ文化表象については未だにおおらかでも、性それ自体に関してはだからこそ、かなりいびつに抑圧され、去勢すらされる一方で、極端に刹那化もしている。

麻薬的なものの管理が厳しいのは近代以降ずっとそうだが、「脱法ドラッグ」が「危険ドラッグ」と名称を変えて取り締まりが厳しくなる一方で、人工の薬品で健康を維持しようとする傾向もどんどん進行している。よく考えれば矛盾していることに、かつての日本人ならすぐ気づいたはずだ。

江戸時代の医学が「養生訓」、つまりなにごともほどほどが生活習慣病予防に役立つという結論に至ったのとはえらい違いだ。元々日本人は、たとえば植民地主義時代から対日戦争期にかけての中国のように阿片が大流行するようなことがない、そういう極端さを好まなかった民族だったのだが。

こと戦後に広まった核家族的な家族観は親子が社会から孤立する状態に陥り、今や崩壊ギリギリの状態にある。子どもがまず親、祖父母親戚、そして隣近所と、何重もの内と外との関係性によって守られながら徐々に社会に出て行く構造が崩壊してしまったのだ。そうした教育が思春期の持つ暴力性を含む両義的な危うさに向き合うことも忌避してしまって来た結果、青少年の教育にも完全に失敗してしまっている。

こうした教育の失敗をなんとか穴埋めするため、無意識に共有されるが故にその限界性も許容されて来た日本の社会規範が、成文化され余裕や曖昧なところのないルールの杓子定規な施行に置き換えられる傾向が、いっそう進行することになるだろう。

子どもが大人になる過程で徐々に社会規範を身につけて行くプロセスが壊れてしまえば、成文化され、曖昧さを拒絶する「決まり事」や権力構造しか認識できなくなる。たとえば安倍政権が推進しようとしている「道徳教育」は、倫理的な価値観を権力権威に置き換えてしまう、極めて非日本的で、不自由にして狭量で、「悪所」に育まれたしなやかな知性を排除している。

かつて無類の新しもの好き外国大好きでエキゾチシズムに官能的にも知的にも魅了され、他者に対して蔑視や差別よりも好奇心と向学心丸出しだった国民性はどこへやら、政治的には今の日本は恐ろしいほど差別的な言説が平気で横行しているし、それも西洋上位の対白人のコンプレックスの自己差別と、他のアジア諸国への差別・蔑視や憎悪の狭間で迷って引きこもるだけの、周辺諸国を無為に敵視しつつ今さら先方にとっても迷惑な対米従属の板挟みで、まるで身動きがとれなくなっている。

西欧の新技術や新知識に興味津々でそこからさらに独自の知的発展を得意としていた日本のインテリゲンチャーは、いつのまにか西欧コンプレックスの奴隷、ヨーロッパのアカデミズムの引き写しが習い症になってしまった。

なぜこうなってしまったのか?

本稿のテーマである「悪所」、その具体的な地理的な条件や地名、そうした場所の現状に、そのヒントがあるかも知れない。

いやこのこと自体がもはや日本の言論界で完全にタブー視され、もはや地名を見ても気づく人も少なくなってしまっているかも知れないが、ここで触れたいわゆる「悪所」、境界、生と死、人間世界と人間外の世界の区別が曖昧となる場とは、はっきり言えばいわゆる被差別部落のことだ。

たとえば百人町の由来である鉄砲百人隊は、鉄砲を専門に扱うということは宮崎駿の『もののけ姫』の「たたら」とほぼ同じことだ。
高田馬場、鉄砲稲荷神社
だからこそ近代には外国人が入り易い場になり、今はコリアンタウンとして繁盛するのもある意味当然である一方で、百人町の公共住宅や戸山団地などは、恐らくはいわゆる「同和対策」住宅の性格も持っていて、そして近年では高齢化と限界集落化が指摘される。 
若い世代が差別を恐れて出て行ってしまうのは、関西のはっきりと同和対策住宅である団地などでも起こっている現象だ。

日本人という民族は、あろうことか自分達の文化、国民性やその知性、感性の原点をこそ差別対象とし、しかもその差別対象の存在すら無視、差別を語らないことによる黙認しつつ加担する形で徹底させながら、近現代を生きて来てしまったのだ。

「差別はいけません」と口先だけは言いながら、現代の日本が差別を決してやめられない社会になってしまうのも、むべなるかなではないか。

自らの拠り所を失ったものは、他者との差異化の優越感くらいでしか自らの立ち位置を認識できなくなるだろう。ならば日本人が日本人だという意識は、身近な他者との曖昧な境界があたかも明確であるかのように思い込み、その他者を差別排除することでしか、担保され得なくなってしまいそうだ。