最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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12/29/2017

「情報の出所」について


森友学園疑惑を「朝日新聞の捏造だ」と言い張る捏造にしても荒唐無稽過ぎる書籍を、さすがに朝日新聞社名誉毀損で訴訟に持ち込んだそうだ。

いくらなんでも馬鹿過ぎるだろう、としか言いようがないのだが、この著者であるとかは「朝日新聞は “反日” だから」的な馬鹿丸出しな思い込みに…いや、こういう言いがかりは本当に「思い込み」なのだろうか? むしろ「噓も百回言えば本当になる」的に確信犯の虚偽フィクションを、自分達がそういうことを平気でやるのだから朝日新聞等々も(自分達と同様に)捏造をやっているに違いない、という無自覚な自己投影ロジックに陥っているのではないか? そうとでも考えた方が、まだ合理的な理解は可能なほどに荒唐無稽で馬鹿げている。

ひとつの同じ事実でも、立場や視点が異なればまったく異なって見えて来る実例は確かに、歴史上決して少なくない。言い換えれば、多くの歴史書がいわば「勝者の視点」ないし政治権力の自己正当化で書かれて来た結果、例えば新しい政権に打倒された古い政権はしばしば不当に低く評価されがちだ。我が国の歴史では最初に編纂された二つの歴史書の「古事記」と「日本書紀」のあいだで既にずいぶん人物の性格づけや動機、事件の解釈が異なっているし、こと明治以降の「皇国史観」では、例えば徳川幕府の評価はどう見ても不当に貶められているとしか思えない面も多い。

そうした偏向を防ぐためには多様な視点からの見方が必要だとは言え、それはあくまで客観的な史実に対する視点や見方の違い(さすがに「皇国史観」ともなるとその範疇を超えた捏造史観ではないか、と言えそうだが)でなければならないはずが、恣意的なつまみ食いを自分たちの都合で事実をねじ曲げて決めつけたデタラメは、さすがに度を越している。

もっとも、こと森友学園疑惑については、そもそも根本的におかしいポイントが、批判的な報道ですらしばしば避けて通られていることが、こうしたフェイクニュースのつけ込む余地を与えている面は否定できない。

つまりこの学校法人が作ろうとしていた小学校が自称「教育勅語に基づく」教育を標榜したカルト的偏向思想の刷り込みを目標としていること、そしてこの私立の学校に特別な配慮をした疑惑が持たれている安倍政権…というか安倍首相本人が、同じカルト的偏向思想を共有していること、そうした特定の価値観の刷り込み自体が教育基本法に違反していることが、なぜか遠慮がちにしか語られて来ていないのだ。

安倍政権がどうしてもそういう方向へと日本の教育に関する基本方針を変えたいのなら、それは政策と法制度の転換を通して堂々とやるべきことであり、まず国会で議論しなければならないし、憲法の改正も必要になるかも知れない。 
それを堂々とやる度胸がないからといって私立の学校法人を国有地の払い下げで優遇する、という発想自体が法治国家としておかしいのだ。

情報やニュースの受容においては、その情報の出所を考慮する必要がある、というのはメディアリテラシーの基本ではあるが、まったくこういう馬鹿単純なレッテル貼りの偏見決めつけの意味ではない。

昨今は、既存のニュースメディアは信用できず「ネットにこそ真実」と思い込む向きも多いようだが、大手の新聞やテレビ報道などの既存ニュースメディアはまだ一応は報道する根拠の裏取りチェックが義務化されていたり、記事やニュースになる前に複数の人間のチェックが入ったり、虚報が指摘され反論できなければ抗議も殺到して社の信用が失墜するだけに、まだ最低限の事実関係そのものについては誤りが比較的少ない、とみなす合理的な判断の方が、よっぽどメディアリテラシーの基本だ。

もちろん、そうした大手メディアの報道が、誤報どころか昨今ではクレーマーめいた苦情を恐れるあまりに「信頼性の高い情報源」の発表をただ垂れ流すだけの報道になりがちな問題はあって、近年の日本では特に顕著になって来てもいる。

たとえば犯罪事件を報道するのに最も無難なやり方は、警察発表をそのまま報じることで、現代の犯罪報道はどんどんその方向に振れて来ているが、これは誤報を防ぐためではない。間違いがあっても警察の責任に出来るからだ。

そうした警察情報に依拠した結果、日本の報道史上最悪の濡れ衣報道になってしまったのが松本サリン事件だが、この教訓が十分に反省されているとはとても言えない(むしろ逆)のが、日本の犯罪報道の現状だ。

熊井啓監督作品「日本の黒い夏 冤罪」2001年

こと最近の日本では警察に限らず、なぜか政府官庁が「もっとも信頼できる情報」を持っていて、公的な情報=正しい情報と思い込まれがちだが、基本的に政府というものは政府の都合や自国の国益に則したことか、政府の公的な立場に則したことしか言わないわけで、つまりは政府発表ほど政治的な恣意性で歪められた可能性が高い情報はない。

例えば南京大虐殺について「記録がない」「証拠がない」として「捏造」説を主張する者もいるが、これも完全なナンセンスだ。確かに当時の日本軍が作成した公的記録に虐殺行為は記録されていないが、これは喩えて言えば殺人犯はわざわざ自分の犯罪行為を日記に書かないか、警察にその日記を証拠として押さえられる前に破棄するに決まってるのと同じことだ。 
証拠を隠滅・隠蔽する権限がある国家政府が「証拠がない」なんて言い訳をしたとことで、真に受ける人間はよほど客観性に欠如して洗脳された状態であるか、単純によほど頭が悪過ぎる。 
同じことは森友学園疑惑で、国有地払い下げの経緯について財務省が「記録がない」と言い張って来たことで、よりせせこましく、まるで帝国ニッポンの子供じみたパロディのように繰り返されて来た。 
まして証拠隠滅を恒常的にやって来たことすら国会答弁で公言してしまったのが佐川理財局長(当時)で、しかもその答弁自体があきれ果てた虚偽だった。自動的にデータを完全消去するコンピューターのシステムなんてないし、ましてそんなものを政府機関が採用していたらそっちこそより大きな問題だ。


なのに「お国の言うことだから正しいはず」と妄信する国民相手に新聞やテレビが他国との外交の問題で外務省や官邸からの情報を垂れ流すだけでは、たとえば2周年になってその問題性がやっと白日の元に曝け出されつつある「日韓慰安婦合意」についての、日本の世論は完全に冷静で客観的な判断力を失っている。

なおこの件についての韓国外務省の調査結果は、さすがにまったく想定していなかった、とんでもない内容が含まれていた。

まさか非公開の秘密合意があって、そこで第三国での慰安婦像の設置を韓国政府が支援等しないようにと日本側が迫っていたとは。国家のやることとしてあまりにはしたない上に、慰安婦問題が日本の名誉を失墜させる倫理的な大問題であって国際社会からの批判に反論の余地がないことを実は日本政府もまた自覚しているからこそ、それをなんとか姑息に隠蔽したい下心がミエミエの要求を、それも秘密裏にやっていたとは、呆れる他はない。

しかもこの秘密合意は、たとえばアメリカ各地での慰安婦像の設置を「韓国の差し金に違いない」などと邪推している日本側の幼稚さまで曝け出してしまっている。

もちろん最近大阪市が姉妹都市提携の破棄などと喚き出したサンフランシスコ市などのアメリカの地方自治体が、他国政府の圧力などに屈するわけもなかろうに、他人様を馬鹿にするのもほどほどにして欲しい。 
日本ではいざ知らず(長崎市が原爆の爆心地にあった浦上天主堂の廃墟を撤去したことには、アメリカの圧力が疑われ続けているというか、長崎市ではそうに違いないと思っている人が多いし、「それもしょうがない」が暗黙の了解だ)、アメリカの地方自治では、そんなことは市の名誉にかけて決して許されないことだ。

ちょっと冷静に客観視すれば分かることだが、慰安婦問題は日韓の外交問題である以前にまず被害当事者と日本政府の問題であり、韓国政府は自国民の被害者を国家の責任として代弁しているに過ぎない。だいたい慰安婦制度の被害者は韓国人に限らないのに、それを2国の政府間だけで「不可逆的な最終解決」などと日本側が言っていること自体がナンセンスなのだが、この「不可逆的」は韓国側が言って来たことだったと、今回の調査で明らかになった。

考えてみたら当たり前のことだ。複数の被害国のうち韓国一国にだけ「不可逆的」を約束させることにまったく意味がないが、加害国ならば日本一国しかなく、その日本一国の反省と謝罪が「不可逆的」ならば、日本政府が「罪を認めたのだから今後は否定したり誤摩化したりしない」という意味で「不可逆的」は成立する。

つまりこれは、日本人が信じ込まされて来たのとまったく真逆の意味になるし、よく考えてみれば、そもそもそうでなければ「不可逆的」なんて文言が出て来るはずがなかった。

「真摯な反省とおわび」が「不可逆的」という韓国側の要求を日本政府が受け入れ再確認したとは、つまりこれは「蒸し返さない」なんて意味ではまったくなく、「慰安婦なんていなかった」だの「捏造だ」だの「高給取りの売春婦だ」などと日本側が今後言うことはありませんね、と確認されたのが「不可逆的」という文言だったわけだ。

同じ文言でも、どの文脈で誰が言ったかによって意味が変わるのは当たり前なのに、ところが昨今の日本では、そんな基本すら理解から抜け落ちているか、恣意的に操作されたり無視されている。日韓合意に「不可逆的」という文言が確かにあったのは事実だが、どちらが言ったかで意味は全然変わるし、現に日本国民の大多数は、真逆の意味を信じ込まされて来たのが、よく考えれば韓国が日本に要求したのであれば意味はあるが、日本が韓国に、であればそもそもなんの意味も成立しないではないか。

「それは誰が言ったのか?」「その情報は誰が流したものか?」、場合によっては情報は、事態の流れを変えたり、事件そのものを事実上起こすに等しい力を持つからこそ、権力闘争などでは巧妙な戦略性を持って使われて、いわば【武器】にもなるし、その威力の大きさ故に誤った情報が致命的な悲惨を国や社会にもたらすことも少なくない。

たとえばヴェトナム戦争でアメリカの攻勢を激化させるきっかけになったトンキン湾事件は、実は米海軍の連絡通信体系の混乱が起こっていて、実際にはなかった事件だった。

日本の歴史を遡れば、本能寺の変の後に信長の遺体が見つからなかったという情報をいち早く得た羽柴秀吉は、信長は無事だという偽情報を織田臣下の諸侯に送っていて、だから明智光秀には誰もが味方するのを躊躇し、そのクーデタは「三日天下」に終わった。

その秀吉はしかし、今度は情報不足どころかあり得ないレベルの無知無教養で朝鮮半島を侵略し明の首都北京まで武力で支配しようとして(そもそも地理的に不可能だろうに、そんなの)、この大失敗も引き金になって信望を失った豊臣政権は短命に終わった。

この大陸と日本列島の関係について、古代の天皇家は遥かに狡猾だった可能性もある。天智天皇のとき日本は白村江の戦いに惨敗して朝鮮半島での同盟国と重要な戦略物資の鉄を輸入する拠点を失った(日本は鉄鉱石を産出せず、古墳時代には砂鉄から製鉄する技術がなかったので鉄はすべて朝鮮半島からの輸入だった。よって初期ヤマト王権にとって朝鮮半島との交易は極めて重要だったのだ)。

ところがこの経緯にはどうも裏があるようなのだ。天智帝とその弟の天武天皇は白村江の大敗北を逆に誇張して利用していて、唐が日本に攻めて来るかもしれないと国内を煽ることで反抗的な豪族を押さえ込み、中央集権の律令体制の確立に利用した節があるのだ。だとすれば実に狡猾な情報戦略を天智帝は持っていたことになる。どうも帝自身はそんな侵攻がまずあり得ないことを察していたどころか、白村江の戦いを反対派の直接排除に利用した、つまり負けると分かっていて国内の厄介な勢力を送り込み、わざと戦死させた可能性すら指摘されている。

天智帝が急死するとヤマト王朝は一時は壬申の乱の大混乱に陥ったが、それに勝利し即位した天武帝とその皇后(のちの持統天皇)は国内体制の整備を進めて大宝律令を制定、そこで改めて遣唐使を送り朝貢関係を再開するが、その時にこれまでの「大王」「倭王」ではなく「日本」の「天皇」を名乗った。 
皇国史観の偏向を排除して客観的に言えば、「日本の始まり」はこの大宝律令が制定された大宝元(701)年で、建国したのは天武帝(と、それ以上に皇后のウノノサララ、つまり持統天皇)と考えた方が妥当ですらある。 
なお先に述べた「古事記」と「日本書紀」が似て非なる内容であるという問題は、この両者が「倭」ではなく「日本」と言う国家がまさに成立する前後に成立していることでその理由は説明がつく。つまり「古事記」は古代ヤマト王権的なアニミズム神聖政治的の価値観で、「日本書記」は律令という法の支配に基づいた、唐風の法制度による論理的支配の国家体制の理念で書かれたものなのだ。

一方その日本の近代の、20世紀の十五年戦争では、軍部はノモンハン事件(昭和14年・1939年)の段階ですでに、大敗北の情報を国民にどころか政府部内にも隠し続けることで権威権力を維持しようとしていて、以降この稚拙な詐欺的な情報操作を延々と続けてしまったた。この偽情報に依存した「大本営発表」の虚構体質が、結果としてどこまで壊滅的な事態を招いたのか、今さら言うまでもあるまい。

しかも虚偽情報に依存するわりには情報戦略どころか情報管理すらまったくなっていなかったのが日本軍で、日米開戦の前から機密情報は暗号をアメリカに解読されて筒抜けだったし、日本の敗戦はそうした諜報活動での敗北だけでなく、レーダー技術が遥かに劣っていた一事をとっても、命運が最初から決していた。

20世紀の日本の戦争は侵略行為の過程で非人道行為が繰り返されたという倫理的な問題で糾弾されるだけでなく、そもそも最初から勝てるわけがない戦争を情報不足と情報の恣意的な解釈で押し進めてしまった点でまず「亡国」としか言いようがない。日本の軍国主義については単に倫理的に非人道行為を反省し謝罪する責任があるだけでなく、あまりに馬鹿げた失敗を今後は繰り返さないようにしなければ、日本民族の総体には学習能力がない、ということになりかねない。

つまり対米戦は開戦前からそもそも情報戦で負けていたし、国内では歪んだ情報提供でいわば国民が「騙された」ことには、「騙された」側にも反省があってしかるべきなのに、昨今の日本の報道や世論形成ではその意識があまりに抜け落ちていて、政府などの「公的情報」に依存する傾向がむしろ強まっている。

だからこそ逆に冒頭の、朝日新聞社もさすがに呆れて名誉毀損訴訟を起こした一件のような、幼稚過ぎる荒唐無稽もまかり通ってしまうのかも知れない。

立証責任・挙証責任は疑惑を言い出した側にある、というのも、それは個人を相手にした場合(たとえば刑事裁判では、立証する責任は一方的に検察・警察側)であって、記録を作成することもできれば記録を非開示にして証拠の隠蔽も隠滅もできる権限がある国家権力側がそれを言い出すこと自体がナンセンスだ。

もしかして「事実・真実はなんなのか」ではなく、子供染みた「勝ち・負け」しか意識できないから、政府政権に向けられた疑惑に「立証責任は疑惑を言い出した側にある」などと滑稽な倒錯を言い出してしまうのかも知れない。 
それも大人の議論とか権力闘争のレベルの「勝ち」ないし「負け」ではなく、まるで小学生どうしの喧嘩で教師がどちらの側につくのかレベルの、極めて幼稚な社会観しかないとしたら、こうしたあまりに馬鹿げた滑稽も説明がつく。

むしろ記録・証拠をきちんと残し検証を可能にことは、別に近代の民主主義に限らず、国家政府がその公正な権威を維持するために必須の義務だ。

こと東アジア文明圏では、「史記」以来、ある王朝が中華帝国の正統継承者である証としてやらなければいけない事業が、正史を編纂することだった。それもその王朝の恣意的な都合ではない客観性のある歴史書を遺すという義務が課せられていたお陰で、考古学遺物しかない弥生時代の日本であるとかクメール朝成立以前のカンボジアについても、中華帝国の正史が基本的な歴史史料になっている。 
天武・持統朝で「古事記」そして「日本書紀」が編纂されたのも、古代神聖政治のアニミズムの「倭」がら文明国の「日本」へと脱皮するに当たって、中華帝国に倣った正史の編纂が必要だったからだ。

この点でも、まだ軍事機密ならともかく森友・加計疑惑はそもそも決定過程を明らかにすることが国家・国民の利益に反する機密になろうはずもなく、証拠となる文書記録を国会で開示できないだけでも政権側が完全にアウトになるのが本来の政治的な常識であり、政権に不利だから開示しないというのは、それ自体が国家権力の私物化に他ならないし、隠蔽と虚偽を重ねに重ねてその場限りの言い逃れを続けるご都合主義だけで出口戦略もないような政権をこのまま維持させて行くことは、国民にとってもその国家にとっても、致命的な誤りになりかねないのは、第二次大戦の惨憺たる敗戦で学習したはずのことなのだが。

森友・加計疑惑を「些細な問題だ」と言うのなら、もっとひどい稚拙で行き当たりばったりの、出口戦略なき破綻した情報戦略は、安倍政権が自画自賛する経済政策「アベノミクス」だ。「株価はこんなに高いじゃないか、アベノミクスは成功している」と言い張るのなら、その株価自体が恣意的に操作されたもの、いわば虚偽情報に過ぎないのだ。

安倍政権がなんだかんだで支持を集める大きな理由である日本の株高は、今や日銀と年金資金で政府が買い支えている人工的なものでしかない。こうした株価操作のなかでもとくに、総選挙の期間中に株価が16日連続連騰なんてバカげたやり過ぎもいいところだが、東京市場には毎日「日銀タイム」と俗に呼ばれる時間がある。投資家はこれが政権による株価操作の情報捏造であることも百を承知で、これで株価が上がることを前提に買い注文を入れているのだ。つまり噓を噓と百も承知で、政権の都合を利用して儲かるうちは儲けよう、という歪んだ共犯関係が政府の経済政策と投資家のあいだに成立していて、マーケット・メカニズムはもはやガタガタになってしまっている。

しかもこの政策的な株の高騰は裏を返せば、日銀が株の買い入れを止めるという観測が流れるだけで日本の株価はいつでも暴落しかねないわけで、この出口戦略のなさは「大本営発表」の虚偽情報を重ね続けた結果、惨敗は分かっていても終戦に持ち込むことが極度に困難になってしまった1943年以降の日本政府と日本軍と同じくらいに愚かで危険なものなのだ。

森友学園疑惑に話を戻せば、発端は地元豊中市の市議会議員で、つまり情報ソースはそもそもが「反日の朝日新聞」ではなくその議員の木村真氏だった。もっと言えばこの木村市議は国有地に建設予定の私立小学校のポスターが、教育勅語に基づく教育を謳うなど、あまりにあり得ない話(ごく当たり前に教育基本法に違反する可能性が高いので)に驚いたわけで、元々のソースは森友学園のいわば自爆行為だ。

加計学園疑惑は、大手新聞やテレビで話題になるずっと前から、夕刊紙などでは森友学園疑惑の追及のあいだに「もうひとつの森友疑惑」的に指摘されていたことで、これも問題視して騒ぎ始めたのは今治市の地元市民団体だ。

だいたいどちらの学校法人をめぐる疑惑も、公表されている売却家格であるとかそれこそ募集ポスターとか、すぐ分かる客観情報だけでもどこから見てもおかしな話なのだ。報道で取り上げられるまで時間がかかったのはたまたま報道機関が知らなかっただけで、知ればすぐに報道したくなるかっこうのネタではないか。それでも加計学園の場合は、大手報道各社はかなり慎重で、夕刊紙(日刊ゲンダイ)やネット上の方が情報は先行していたのに、「朝日新聞の謀略」のわけがなかろう。

文科省内部から「総理のご意向」文書がリークされて朝日新聞(と実はNHK、ただしその「クローズアップ現代」は放映されずじまい)がスクープしたタイミングは、次第に国会や報道で巷間知るところとなってからで、自分達の関わった決定に疑問を持っていた文科省の職員がリークしたと考えるのがもっとも合理的でごく当たり前にあり得る話だ。それが特段の戦略的な意図を持って流された情報だと考える根拠といえば「安倍首相に都合が悪いから」しかなく、もちろんそんな決めつけはただの被害妄想の荒唐無稽でしかない。

どちらの疑惑も、いつのタイミングで出ようが政権に打撃を与えるのは確実だし、そもそもこんなことをやっている政府が悪い、で話は終わる。出されるタイミングによって恣意的に誤解を招いたり、印象操作を行ったりなんて、やりようがない。

一方で、マスコミでは誰も話題にしないが、先の総選挙の選挙戦で、小池百合子東京都知事の立ち上げた「希望の党」と前原誠司代表の民進党の「大合流」がスクープされたのは、明らかに意図的な戦略性を持ったタイミングでリークされた情報だ。

逆に小池からすれば、この大合流の大合併は詳細まで詰めて完全な合意となったところで初めて選挙の「空中戦」での意味を持つカードだった。きちんと合意をつめていきなり民進党+小池の巨大野党を中心に、民進党と選挙協力をして来た社民、共産、自由党も連携した安倍包囲網がいきなり発表されれば、そのインパクトは凄まじかったはずが、あんな拙速なタイミングで、民進党内から反発が出るのが確実な段階で報道されたのは明らかに計算違いで、逆に大合流がうまく行くかどうかも怪しくなる。

つまりはこのリークによるスクープは、大合流そのものを潰して選挙戦を自民党有利に運ぼうとしたのか、あるいはもっとせせこましい話として民進党内のいわゆる「保守派」が、新党からいわゆるリベラル派を排除したい意図を持って流したものだとまず考えられる。

選挙の結果を知っていれば、この最大の受益者は安倍政権と自民党(最大の脅威だった小池百合子は完全に失墜した)なのだからそっちの陰謀だとも思い込みたくなるが、恐らくそうではあるまい。自民党側にこの大合流の情報が漏れていたとはさすがに考えにくく、まさか希望の党か民進党の党内に自民党のいわば「工作員」でもいたのだろうか、といった荒唐無稽な前提でも考えなければ、まずあり得ないことだからだ。

残念ながら、これは旧民進党勢力のオウンゴールというか自爆行為とみなすのがもっとも妥当だろうし、またそう疑われても当然なまでに、こういう件では民進党ならびに旧民主党には前科があり過ぎる。

政権を取ったときに鳩山由紀夫首相による、沖縄・普天間基地移設は「最低でも県外」公約を潰したのは、鳩山の「腹案」であった徳之島案が秘密交渉段階で「政府高官によれば」でスクープされたことだった。住民にもまったく知らせていない秘密交渉段階で暴露されれば、徳之島の各自治体は態度を硬化させる他はなく、県外移設は潰されたどころか、鳩山政権自体が退陣に追い込まれた。言い換えれば、これは鳩山内閣の危機管理の失敗だったのかも知れない一方で、情報は辺野古移転の強行と鳩山潰しを目的に意図的にリークされた可能性も否定はできない。

福島第一原発事故が起こった時にも、官邸から出ては行けない情報が次々と報道を賑わせて現場や被災地を混乱させ不安に陥れた。まあこれは、意図的・恣意的・戦略的というよりも、当時の官邸の危機管理能力の問題だろう。

直近の例では、先述の衆院選の直前に山尾しおり議員の不倫疑惑が週刊誌に流れたのは、「まさかまたもや、内閣調査室が尾行でもして集めた情報?」かと思えば、出所はなんと民進党内だったらしい。山尾議員が幹事長に内定したことをやっかんだ誰かがその人事を潰そうとして、だったのだろうか?

こういう過去起こったことを考えれば、今度のリークもまた民進党の「いつもの悪い癖」が出たと考えて、まず間違いはないだろう。またその後の流れを見ても、「リベラル排除」に熱中していたのは小池よりも、元民進党でいわゆる「保守系」の議員たち(すでに離党し結党に参加した者たちと、民進党から合流した議員の一部の双方)だった。

だとしたら多くの民進党の衆院議員が「希望の党」に合流しなかったのは、彼らの望み通りにはなったわけだが、そこで立憲民主党が結成されたのは「そりゃそうなるに決まってるだろう」な展開なのに、そこまで先が読めなかったのはあまりに間が抜けている。 
だいたいそんなことをやっている「希望の党」の、元民進党のいわば二枚舌・裏切り者議員なんて、有権者が信頼してくれるものだろうか? 
情報が【武器】になり得ることが分かってないか、【喧嘩のやり方】を知らない人たちはこれだから困る、としか言いようがない。またこういう人達に限って「保守」気取りで、日本の戦争放棄の憲法を変えたがっていたりするのだから、背伸びの火遊びもほどほどに、である。

11月14日に第一報が出て、ゴタゴタが年を越して続きそうな大相撲の「暴行」事件は、日馬富士が貴ノ岩を殴打し負傷させたのは10月26日の深夜だったはずだ。それが3週間、それも秋場所の序盤で、というのはいかにも恣意的なものを感じさせるのだが、ここまで「ワイドショー独占」状態なのにコメンテーターが誰もそこに触れないのは、なんとも奇妙な話だ。

いったい誰がスポ日に、この情報を流したのか? 当初は日馬富士がビール瓶で殴ったと言われ(後に誤報と発覚)、すぐに報道に乗った最初の診断書の「頭蓋亭骨折、髄液漏の疑い」という文言がいかにも重傷のように読まれてしまい、診断書を書いた医師が慌てて、あくまで「疑い」を列挙しただけでそんな意味ではない、全治10日程度の軽傷だ、と訂正する騒ぎになった。この診断書も、秋場所の休場届のために準備されたもののようだが、出所がよく分からない。

貴乃花に厳しい処分を相撲協会の理事会が決めた今頃になって、事件から発覚まで時間がかかったことで話を大きくなったとしたり顔で言うコメンテーターもいるのに呆れるのだが(いやここまで混乱して話が大きくなったのは、あなた方が連日連日、たいした新事実もないのにこの話題ばかり報じて何時間も憶測を論じ続けたからだ)、どうせそこまで言うのなら、なぜ報道が遅れたのか…というよりも、なぜ11月14日の秋場所3日目が第一報になったのかくらい、ちゃんと論じるべきだろう。

どうも「報道が遅れたのは相撲協会が隠蔽しようとしたからだ」とあてこすって無理矢理に貴乃花を擁護したいようだが、警察に被害届が出て刑事事件としての捜査が始まっていたのなら、マスコミに発表するかどうかはまず鳥取県警の判断だ。その県警は被害届を受けて協会に通知の上で捜査協力を依頼しているが、協会側の「秋場所があるので力士には相撲に集中させたい」という意向を受け入れて事情聴取を待っている。

つまり県警は貴ノ岩の被害届けによって被害の内容はほぼ把握していたし、現場には貴ノ岩の恩師である出身高校の教師なども同席していて、なにしろ鳥取在住なのだから県警は当然、そちらの事情聴取は先に済ましているはずだが、その時点でこれを発表を要するような重大な刑事事件とはみなしていなかったはずだ。協会の多分に事務的な「秋場所があるので」を受けて事情聴取を先延ばしにするほどなのだから、県警にとって緊急性が高い捜査でもなく、また協会が隠蔽工作をしたり力士たちが口裏合わせをする可能性があるとも思っていなかった。

また協会側でも、なにしろ「秋場所がある」で事情聴取などの捜査協力は後でいい、と鳥取県警が言うくらいなのだから、そんなに重大な事件ではないのだろう、と認識して当たり前だ。そんなところまで「相撲協会の体質」を批判するのは、さすがに度を越している。

まあ地方の県警はよくも悪くも保守的なので、有名力士が当事者でそのキャリアを傷つける可能性があるのだし、なるべく穏便に済ませようと考えた可能性もある。この場合、キャリアが傷つけられる可能性があるのは加害者の日馬富士以上に被害者の貴ノ岩も、という認識も、なんとなくは相撲界内部の事情も類推できる県警にはあっただろう。

つまりその判断の是非はともかく、なぜこの事件が3週間前後はまったく報道されなかったのかと言えば、まず単に県警にとって公表するほどの事件ではなかったからだ。そういう態度の県警から連絡を受けたていたからこそ、相撲協会もたいした対応はしなかったのだし、だからといって相撲界の人間ではなく第3者的な立場、ないし被害者の恩師なのでどちらかといえば被害者側の高校関係者もまた、「これは大変だ。もみ消されてはいけない」と思ってマスコミに話そうともしていない。

以上は事実として断言していいだろう。なぜなら、そうでなければとっくに、11月の初頭の、12日に秋場所が始まるだいぶ前に、この事件は明るみに出ていたはずなのだ。

ではなぜ、11月14日になって第一報が出たのかと言えば、この時期になって誰かが初めてマスコミに事件のことを(それも不正確に誇張された形で)リークしたからであり、そこには当然ながら恣意的な意図がある。

で、それは誰かと言えば、もっとも可能性が高いのは言うまでもなく(恐らくは間接的にせよ)貴乃花だ。他には事件を知っていて、それをマスコミに流そうとした、つまり報道して世に訴えなければならないと考えた関係者は、警察も含めていなかったのだ。

またリーク元が貴乃花ないしその関係者が疑われる理由はもうひとつある。「ビール瓶で殴った」「モンゴル会だった」など、事実に反する内容が多過ぎる第一報だったことだ。これがまた、日馬富士(や白鵬、鶴竜)に不利な印象操作として作用もしていた(実際には、貴ノ岩の高校の頃の留学先だった高校の関係者との会食で、3横綱はゲストとして招かれていた)。

騒ぎがどんどん大きくなったのも、報道に出た後ですぐに(「発覚後」というのは、上記の事情から必ずしも正確な表現ではない)日馬富士が親方の伊勢ケ濱を伴って謝罪に来たのを貴乃花がこれみよがしに無視して車で立ち去ったのに始まって、貴乃花が貴ノ岩の所在を協会に対してさえ明らかにしなかったり、場所後には貴乃花が貴ノ岩の診断書の提出も怠ったまま冬巡業を無断欠勤させたり、しかも本人はこれまたこれ見よがしにマスコミの前に自分の姿は毎日のように(いかにもしらじらしく)見せながらダンマリを決め込み、といった不可解な行動を繰り返し、マスコミもまたその貴乃花のゲームにのせられたのか、意図的に協力しているのか、いずれにせよ「ああでもない、こうでもない」と憶測ばかりを延々と報道し続けて来たからだ。

貴乃花の一連の「奇行」は、すべて少しでも大きくマスコミが報道すること、その状況が長引くように仕向けることが目的だったと考えれば、すべて説明がつく…と言うより、それ以外にこれらの行動には合理的な動機の説明がつかない。

つまり貴乃花はかなり巧妙にマスコミを踊らせるメディア戦略を打っていて、マスコミが見事に踊らされたのだ。考えてみればこの場合、なにも言わないことは報道の好奇心をかきたてるのに最も有効な、それもかなり高度な技で、誰ができるわけでもないが、かつて「国民的ヒーロー」だった貴乃花なら十分に条件が揃っている。

だからってそれにいいように乗せられているマスコミもどうかとは思うが…。挙げ句に協会の理事会で処分が下される直前の発売で、週刊新潮と週刊文春が共に貴乃花の「激白」を掲載しながら、中身は本人の発言がごく一部しかなく、しかも貴乃花自身は理事会に対して「週刊誌の取材には応じていない」と証言しているのだから、もうわけが分からない。

またこの貴乃花の奇行と並行して、やってることも(協会相手に)言ってることもどう考えてもおかしい貴乃花が、それこそマスコミにはなにも言わないからこそマスコミがこぞってその心のうちを勝手に忖度してまで懸命に擁護したがっているのも、相当に奇妙な事態だ。

貴乃花が警察や検察の捜査への協力を口実に、自分や貴ノ岩の協会危機管理委員会による事情聴取に応じて来なかったことを支持する意見が、一般どころか “識者” からも後を絶たないのに至っては、まず滑稽極まりない。まあこれは、この一件に限らずマスコミ報道が精確さに欠ける言い方で国民に大きな誤解を振りまいて来たことにも原因はあるのだが、警察や検察には捜査上の秘密を守る権限はあるが、よほど異例の事態でもなければ被害者側や目撃者に口封じをする権限なんてないし、そもそもそんな口封じをする理由がない。

マスコミの“識者” も含めて多くの人が勘違いしているようなのだが、加害者や被疑者が「警察が捜査中」を理由に取材に応じないのも、別に警察・捜査当局側では理由は成立しない。逆に捜査中で刑事訴追の可能性がある事案について、被疑者には自分を守るために答えない権利があるだけで、マスコミに喋らないのはその自己保身の権利を行使しているに過ぎない。

例えば国会の証人喚問で証言拒否できるのは、別に警察や検察のために「捜査中だから答えない」のではなく、裁判で自分に不利な証拠になる可能性があるから答えないでもいいのだ。

被疑者は警察の捜査そのものに対してすら、自分に不利になることは答えないでいい黙秘権すらあるし、一般市民が警察の捜査に強力するのはあくまで善意であって義務ではない。まして貴乃花が協会の聴取に応じないことで捜査に寄与できることなんてなにもなく、強いて言えば警察に対する貴ノ岩の証言と異なったことを言えば、当然どちらかが偽証となり、責任が問われるだけだ。

被害者側がわざわざ黙秘権を行使するという、ずいぶん奇妙な状況がこの一件では起こっている。それが貴乃花が弟子である貴ノ岩を守ろうとしているように見えるのは、よほど人がいいというか貴乃花に勝手に忖度しているとしか思えないし、一方で貴乃花の側にこそなにか隠したいことがあるのだという以外に考えようがない。

今年の春の稀勢の里の昇進まではすっかりブランクが出来てしまった日本人横綱の、その最後が貴乃花で、それ以前からいわば「国民的ヒーロー」で、入門前の少年時代から有名で、相撲部屋への入門自体が大ニュースになった珍しい存在だからって、いくらなんでも騙され過ぎというかいいように手玉に取られ過ぎ、ほとんど神がかり的とすら言っていい気持ち悪さが蔓延している。

いくら貴乃花という「国民的ヒーロー」の幻想のバイアスがかかっているからと言って(そして日馬富士も白鵬もモンゴル人)、こういう日本の世論形成のあり方というのはかなり不気味だ。

ぶっちゃけて言えば要するに、「日本人」の共同幻想の都合で聞きたいこと、耳障りでないことだけしか受け入れず、嫌なことは考えたくもないし聞きたくない、という歪んだ主観に染まり過ぎな気がするし、そこに相撲ファンや一部の相撲記者とのズレがあることも無視されている。

端的に言えば日馬富士本人を良く知る人や、その相撲を見て来たファンからみれば「日馬富士はそんな人ではないはずだが」というのが率直な感想なわけで。

いやだいたい、しょせんは相撲、エンタテイメント業界の一業種内のゴタゴタに過ぎないこと一色に報道が染まること自体、明らかにヘン過ぎるし、そのこと自体が情報操作の疑い、つまり政府に都合が悪いことをなるべく報道させないようにしていて、そのために大相撲騒動を誇張して報道しているのでは、という可能性ももちろん否定はできない。

12/27/2017

極右「國體」カルト洗脳の貴乃花は、いったいなにを狙って奇行を繰り返しているのか?


日馬富士が引退して姿を消しても、大相撲の「暴行事件」騒動が連日報道を賑わしている。

いわば「第二幕」の焦点になったのは白鵬と貴乃花の確執(ただしその根底にある貴乃花の「モンゴル嫌い」は一部夕刊紙・スポーツ紙以外ではまったく触れられていない)で、「第三幕」で現在進行中の相撲協会VS貴乃花一派というか、貴乃花の気まぐれで理解不能な行動と、相撲協会がどう対応するのかに話題が移っている。

そして貴乃花はその相撲協会を挑発するように、次から次へと「奇行」を繰り返している。

親方となってからの貴乃花はメディアでは角界の「改革派」と持ち上げられながら、肝心の相撲と弟子の育成はそっちのけで相撲協会内の権力闘争にばかりご執心だったが、それでもついに貴乃花部屋で初めて、貴景勝が三役昇進・次回の正月場所で小結に決まり、それを祝う記者会見があった。


こうしたおめでたい席は普通ならその相撲部屋に設けられ、取材記者はいわばお祝いに駆けつけたお客さんのようなもの、もちろん親方が立ち会って温かい目で弟子を祝福したり、緊張しているのをうまくほぐして和やかな空気を作るのが相撲界の伝統のだったはずが、貴景勝はひとりぼっちで、それも国技館で会見をやらされた。

暴力事件の被害者・貴ノ岩の扱いにしてもそうだが、この親方、つくづく弟子をいったいなんだと思っているのだろう?

結局は、密かに東京に戻されて入院していたらしいが、だったら親方はなんで診断書を提出してやらなかったのか? 祖国モンゴルでの自分の評判をひどく気にしているそうだが、せめて入院していることと、怪我の状態が良くないことを親方がきちんと公表するだけでも、あらぬ誤解はかなり防げたはずだし、巡業を無断で休むこともなくて済んだはずだ。

「入院しているのだからそっとしておいて欲しい」というだけでも、マスコミだって多少は取材攻勢を控えていただろう。

だがマスコミに取材攻勢を控えられてしまうのは、逆に貴乃花の目論みに反することだったのではないか? むしろあまたの憶測を呼び起こす奇行を繰り返して延々とこの一件を話題にし続けることが、貴乃花の狙いなのではないか?

九州場所の間、貴乃花部屋の宿舎の前にマスコミが貼付き続けたのは結局的外れだったことにはなるが、そんな取材攻勢をかけられ見張られ続けているだけでも他の弟子たちにだって相当なストレスだろうに、そんなひどい環境に置かれた先場所で、貴景勝は横綱2人大関1人を倒す快挙を成し遂げた。

今の幕内では最年少でこの出世というのは、嬉しくてめでたくてしょうがないはずだ。しかし「喜びの会見」で貴景勝は緊張と不安で冷や汗をかくばかりで、笑顔ひとつも見せる余裕もなかった。

たった21歳の若者に、これはあまりにも酷ではないか? せっかくの晴れの席なのに、彼は記者が聞きたいのが自分のことではなく親方のことだとも百も承知だろう。なんとも幸先の悪い話でもあり、なによりもこの青年がかわいそうだ。

弟子そっちのけで貴乃花が引き延ばしに熱中して来たこのスキャンダルの、その貴乃花本人も含めて誰も得をしそうにない展開に、その動機に首を傾げる人も多い。

だがこの一件、得をしている人間が少なくとも1人は、確実にいる。

相撲界にだけ気を取られていると気付かないかもしれないが、ちょっと距離を置いて考えれば答えは簡単だ。犯罪捜査でも推理小説でも常道は、最大の受益者=最大の動機がある者をまず疑うことだが、もちろんこの大相撲騒動がトップニュースになることで政治報道がテレビからほとんど消えてしまって誰よりも助かったのは、言うまでなく安倍晋三総理大臣だ。

野党側の主張で12月8日まで審議が行われた国会の議論では、加計学園疑惑についても追及が続き、その獣医学部の新設が設置審を通った背景にも、また獣医学部新設について閣議決定された4要件に違反している可能性についても重大な疑義が提起されていたのだが、新聞以外ではほとんど報道されなかった。

森友学園疑惑では、籠池夫妻が公汎開始に至らないまま5ヶ月も拘束されて保釈が許可されない理由も見当たらないのに親族すら面会できなくなっている。日本の司法制度において前例のない異常事態というか、どうみても違法な取り扱いだが、まったく騒ぎになっていない。8億円超の国有地値引きの背景についても、財務省と学園側の交渉の録音記録がリークされ、驚愕の…というか呆れた実態が分かって来ている。なんと土中の多量のゴミをでっち上げて値引きの言い訳に使ったのは財務省の発案で、事実に反することは困ると及び腰の学園側を、法の抜け道が使える文言まで提案して財務省の側こそが押し通していたのだ。なんとも安倍コベ…ではなかったアベコベな話で、ワイドショーの格好のネタになりそうなものが、なぜかまったく取り上げられていない。

天皇の退位についても、退位日程が決まった過程にいろいろ疑問があるし、天皇がわざわざ宮内庁を通して派手な式典は要らないと表明したことも、「内幕はどうなっているのか」をあれこれ憶測するのはワイドショー的におもしろいはずが、まったくスルーされている。

麻生太郎副首相と親しいと言われるスパコンのベンチャー企業ペジー・コンピューティング社長の補助金不正受給詐欺も、まったくテレビは取り上げない。この社長氏、安倍首相と極めて親しいジャーナリストでセクハラ・レイプ事件を起こし、警視庁高輪署の丹念な証拠固めで逮捕状も出たところで、なぜか警視庁上層部が強引に捜査を打ち切らせた山口敬之氏を、自分が借りている超高級マンション(週刊新潮が調べたところでは家賃200万だとか)に住まわせてもいる。確かに経産省を騙して補助金を「詐取」した事件にも見えるが、こんな手口で経産省のエリート官僚を騙せるものなのか、ずいぶん不自然ではある。なんらかの力が働いて強引に補助金が支出されたのではないか、とワイドショーが推理に熱中しても本来ならおかしくない。

JR東海のリニア新幹線をめぐる大手ゼネコンの談合不正受注に東京地検特捜部が切り込んだのも普通なら大ニュースになるはずだ。これがまた、昨年の参院選の直後に安倍首相が突然「成長戦略」と称して3兆円の財政投融資の投入を決めたいわく付きの事業でもある。JR東海は前会長が安倍首相と「日本会議」を通じてつながった極右カルト人脈で、リニア事業はこの前会長がご執心だったのが、現経営陣は採算性の見込みが立たず途方にくれていたもので、いきなり「国家戦略」としての国費の注入がたいした議論もなく決まっただけでも本当は大問題の、森友・加計どことではない巨額オトモダチ案件だった。しかも談合を主導した大林組には、なんと安倍さんと「メシ友」なお友達幹部がいるらしい。本来ならワイドショーが喜んで飛びつく大疑獄のはずだが、まったく無視されている。

テレビ的には「貴乃花をやれば視聴率が上がる」と言われているらしいが、貴乃花がダンマリを決め込んでいる以外に新しい話題も特にないのに、本当に喜ぶ視聴者がそんなにいるのだろうか? コメンテーターがああでもない、こうでもないと同じような憶測を繰り返すだけでまったく本質も見えて来ないのだし、いいかげん飽きて来てもおかしくない。

相撲協会の危機管理委員会の鏡山親方が貴乃花部屋を訪れては居留守を使われ帰って行く繰り返しだとかはまあ、おもしろおかしくはあったし(しかし鏡山もいささか間が抜けているとはいえ、同僚の親方にあんな恥をかかせてしまえる貴乃花というのもひどい)、「貴ノ岩はどこにいるのか」もミステリー仕立てのエンタテインメント性がなかったわけでもないが、なにしろひたすら思わせぶりなだけでたいした内容もないのに、スキャンダル報道だけが肥大・膨張・増幅していくのは奇妙だ。

だがよく考えれば、こうして報道ばかりが過熱して延々と引き延ばされたのは、ひたすら貴乃花の行動があまりに不可解で思わせぶりだからに他ならない。

そして一見不可解な自爆行為としか思えなさそうな貴乃花にも、実は狙いというか思惑があって、よく見ればそれが三つほど、かなりはっきり見えて来る。

第一に、事件を知った時点で警察に被害届は出しながら相撲協会には報告せず、場所が始まってからスポーツ紙にリークして不意打ちのように報道させたのは、日馬富士の暴行事件をここぞとばかり利用して、少しでも大きなスキャンダルにするためだ。「協会にもみ消されるのを防ぐためでは」と支離滅裂な貴乃花擁護を展開するコメンテーターも多いが、馬鹿も休み休み言って欲しい。もみ消しを防ぐのなら事件を知ってすぐに警察に被害届を出すと同時に協会に報告し、あわせて自分で記者会見でも開いた方がはるかに効果的だったし、貴ノ岩も少しでも苦しまずに済ませられたはずだ。貴乃花は弟子の被害に怒ったのではない。まず話を大きくして日馬富士を確実に潰そうとし、あわよくば白鵬まで狙っただけだ。自分が黙っていた方が、その意図をマスコミが勝手に忖度してくれて、話はどんどん大きくなる。

第二に、今やかつての自分を遥かに超えた、押しも押されぬ平成の大横綱となった白鵬へのバッシングを仕掛けることだ。これはある程度は成功している。ここ数年の白鵬の取り口が勝つことだげが目的の荒っぽいものになっていたこともあって、その意味では自業自得的な面もあるが、モンゴル人という出自があるからこそ日本人よりも日本人らしい愛される優等生横綱になろうと徹して来た白鵬が、考えを改めてひたすら勝ち続けることだけに集中する大横綱になろうと決意したのは、優勝記録や連勝記録を更新し続けて名実共に貴乃花を超える平成の大横綱として認められた前後からだった。「横綱がはしたない」と批判されるような物言いをつけ始めたのはもっと分かり易く、貴乃花が審判部長だった頃だ。巡業部長になってからは、移動のバスが貴乃花の命令で白鵬を置いてきぼりにしたこともある。

そして第三に、今まさに進行中の、警察の捜査が終わったら協会の事情聴取に応じるはずが「検察の捜査が」と前言を翻してみたり、自分の主張を理事会で口答ではなくわざわざ文書にして他の理事に黙読させ、その文書はしかもわざわざ回収したり、鏡山に居留守を使い続けたりもした一見不可解な行動は、ひたすらこの事件をめぐる騒動とその報道を長引かせることが目的だと気付けば、すべて説明がつく。

本当に言いたいことがあるのなら同じ文書をマスコミに渡していれば主張はより強く伝わったはずだ。だがそうやった場合、この文書の件がワイドショーの放映時間を独占するのは、木曜日の理事会のあとの夕方と夜のニュースと、その翌日いっぱいで終わって、次の展開が必要になっていただろう。

だが最初は中身がさっぱり分からず、週が明けてから少しずつ「関係者の証言」として中身が小出しにされたことで、週末の情報番組も占有できたし、週明け後も年内いっぱいくらいはワイドショーの放送時間を押さえられる(つまり、他のたとえば政治ニュースは報道されないで済む)。

唐突に協会側に帝国ホテルに呼びつけて事情聴取に応じ、その文書と同じような内容をひたすら繰り返したらしいのも、協会側が木曜日の臨時理事会までその内容は公表できないのを見越していれば、情報が小出し・断片的にしかならないぶん憶測が憶測を呼び、ひたすらこの話題を引っ張れるという計算は当然成り立つ。

つまり貴乃花の目的が「ワイドショー独占」なら、一見不可解な行動にもすべて合理的な説明がつくし、そのワイドショー独占が成功すれば衆院選挙には勝ったが支持率は低迷したままの安倍政権が助かるのだ。

ずっと貴ノ岩の所在を隠し続けたのも、冬巡業に診断書を出さなかったのも、マスコミがああでもない、こうでもない、と憶測報道を続けることを狙った計算があったとすれば、事態は確かにその貴乃花の狙った通りに進行して来ている。

早々に「入院しているので今はそっとしておいて欲しい」とマスコミに告げ、ごく普通に貴ノ岩の診断書を協会に提出していれば、ワイドショーはそれ以上は報道できる内容がなくなり、「貴ノ岩はお気の毒」「早く恢復して正月場所での活躍が楽しみ」でこの話題は打ち切られてしまい、スパコン補助金不正やリニア談合、加計学園獣医学部があやふや・うやむやなまま認可された不透明さや、森友学園疑惑の新たに出て来た真相などなど、ワイドショーの関心は政治スキャンダルに向いて行っていただろう。

もちろんただスキャンダルを引き延ばしただけでは、貴乃花本人には結局メリットはなにもない。

メディアはなんだかんだ言ってもかつての「若貴フィーバー」のノスタルジアもあって貴乃花を応援してくれているが、付き合わされている相撲協会にしてみれば、あまりに非常識で人を馬鹿にした態度に、かつての人気横綱で「土俵の鬼」だったのだから、と貴乃花を支持して来た親方衆も、さすがに呆れて離れて行くだろうし、現に横綱審議委員会が親方の行動を批判するという異例の事態にもなった。

それに弟子にとっては親代わりなのが親方の責務なのに、貴乃花の弟子の扱いがあまりにひどい。

こうも人望を失い続けるままでは、貴乃花の「改革」の野望というか相撲協会の理事長となって角界のトップに、という野心の実現はどんどん遠のいて行くだけだ。

だが誰か大きな力を持った、いわば “黒幕” がいて、貴乃花をうまくそそのかしてとにかくこのスキャンダルを引き延ばすよう頼みでもしていれば、状況はまったく変わって来る。その “黒幕” の後ろ盾があれば相撲協会内の力関係をひっくり返せるのだ、と貴乃花に思わせることさえできれば、貴乃花は喜んでその話に乗るだろう。

どっちにしろ元横綱北勝海の八角ががっちり体制を固めて、一時の度重なるスキャンダルを乗り越えて相撲人気の回復を成功させた今の相撲協会のままでは、人付き合いが悪いことで悪名高い貴乃花がその北勝海を倒して角界に君臨するなんてことは、普通ならまずあり得ない。

だが公益法人として政府の管轄下にあるのが相撲協会だ。政治権力が貴乃花を理事長に、と動き出せば状況はがらりと変わる。

幕内優勝40回に通算1000勝などなど、数々の大記録を打ち立てた白鵬も、通ぶった人々がいかに最近の荒っぽい取り口を「横綱相撲ではない」とイチャモンをつけようが、一般相撲ファンの人気は絶大だし、そのひたすら勝ちに行く攻撃的な相撲は、白鵬の柔軟で俊敏な動きの身体的な美しさもあって、確かにメチャクチャかっこいい。ファンが喜ぶのは当然だし、その白鵬を見たくて切符を買う人も増える。

11月・九州場所の優勝インタビューでなんのことかよく分からない万歳三唱を呼びかけたのも、満場の観客が喜んで応じたのを見れば分かるように、いかに「厳重注意」を食らおうが、横綱の風格というかカリスマ性の高さも、今の相撲興行からは絶対に外せないのだし、この厳重注意だって一方では、八角体制の執行部は白鵬の渾身の(掟破りの、普通ならあり得ない非礼の)訴えを聞き入れて貴乃花を冬巡業から外したわけで、むしろいかにも日本的バランス感覚の「喧嘩両成敗」の形を成立させるための方便だろう。

だが貴乃花のバックにもし例えば与党内の極右勢力とか、安倍官邸がいれば、自分たちの人種差別の排外主義をこの政権が正当化してくれることが嬉しくてしょうがない熱烈支持層も嬉々として白鵬&モンゴル勢バッシングを展開してくれるし、そうした世論も含めて貴乃花が切望する相撲界からのモンゴル勢排除の強力な後押しにもなるだろう。

今の相撲協会の主流派なら、白鵬と貴乃花のどちらを選ぶかと言えば確実に白鵬を選ぶに決まっている。まずなによりも、相撲の興行を支えられるのは白鵬であって、貴乃花を見に相撲に行く客はいないからだ。

一部の週刊誌がいかに差別排外主義的なナショナリズムで白鵬をこき下ろそうとして、ネット上でもそうした差別排外主義が露骨なバッシングに同調する者も増え、テレビのコメンテーターもかつての若貴フィーバーの延長で貴乃花を擁護しようが、白鵬を「日本をバカにしている」「反日だ」と叫ぶいわゆるネトウヨ層のツイートなんて、八角体制が開拓した「スー女」の女性ファンは見向きもしないし、週刊誌もコメンテーターも入場料を払って両国国技館や地方場所や巡業を見に来てくれるお客さんではない(テレビ中継すら見ているかどうか怪しい)。

それに確かに相撲界は保守的で、なにしろ伝統芸能の格闘技の継承者それも「国技」だからいわば「愛国的」で、政治的傾向では右翼的な人も多い方ではあるが、保守的で愛国的だからって即乱暴な排外主義の差別主義者になるとは限らない。

むしろ日本の伝統的な真性の「保守」だったら、まったく逆になる。

たとえば日馬富士の師匠・伊勢ケ濱を見ても分かることで、引退会見で親方の方が涙を流したかと思えば、気色ばんでマスコミのぶしつけな質問を封じ込めたのは、世間の評判は悪いだろうがそれでも、伊勢ケ濱がどれだけ日馬富士を愛していて、最後まで守りたかったのかは伝わった。

ほとんどの親方衆は白鵬や日馬富士や鶴竜が、モンゴル人の彼らにとっては苦労も多い外国となる日本で、人一倍努力して、日本語も学び稽古にも励んで今の地位に上り詰めた、その一生懸命な姿を見続けて来た。生身で見て、裸で接し、時には一緒に涙も流して来たであろうその彼らに、「日本人ではない」からといって排外主義的な差別の憎悪を向けるような真似ができる親方は、若い頃から相撲しか知らない人達だからこそ、まずほとんどいないだろう。

元力士の親方衆が仕切る相撲協会は、確かに現代の世間の価値観からはズレていたり、非常識だったりはする。勉強よりも相撲の稽古に青春時代を費やしただけに教養や常識がなかったりすることも確かにあろう。旧弊な上下関係の体質もあるし、しかも相撲の興行は巨額のカネが動くものでもあるだけに、そのカネをめぐる利権やら癒着やら腐敗やらもあるだろうし、繰り返しになるが伝統芸能の格闘技を継承しているのだがら保守的でしがらみも多く、一門制度であるとかの旧態依然の派閥体質も確かにある。だがよくも悪くもそうした昔ながらの価値観の、真性の日本的な「保守」で、小難しい理屈もよく分からない人達だけに、人情というものは人一倍厚い。

だがそんな中で明らかに浮いているのが、貴乃花なのだろう。

確かに現役当時には高い身体能力で天性の相撲の才能も明らかで、土俵入りの美しさなどは天下一品だった。目鼻立ちも身体の線も見栄えもするし、初代若乃花の甥で初代貴乃花の息子の血統の良さからしてもまさに生まれながらのスター力士、まるで「天皇」的な存在ですらあった。


だが今では無条件の褒め言葉のように使われている「土俵の鬼」というのも、元々はそんな無邪気な文脈で出て来た言葉ではない。

たとえば女優・宮沢りえとの婚約の破棄だとか、なにがあったのか真相は分からないが(ざっくばらんで正直だが口は悪かった宮沢の母は「漢字もロクに読めないクセに」と怒っていた)彼女が深く傷つけられながらもあっぱれなまでに気丈に振る舞っていたことだけは確かで、それに対する貴乃花側の対応がこれまたなんとも奇妙というか冷淡というか、常識をわきまえないというか血も涙もないというか、そんなスター力士の態度をなんとか擁護するために持ち出されたのが相撲のことしか分からないという理屈で、元々は叔父の初代若乃花を指した「土俵の鬼」という形容がリサイクルされたのだ。

その後も貴乃花は、子供の頃からずっと支えてくれ、かばっても来てくれた兄の二代目若乃花ともなぜか絶縁状態になったり、父の藤島親方(初代貴乃花)が「光司は洗脳されている」と告白して大騒ぎになったこともある。

今でも貴乃花の名勝負といえばすぐ持ち出される2001年夏場所の、武蔵丸との優勝決定戦にしても、あれが「横綱相撲」で本物の「土俵の鬼」の取り組みだったとは、とても言えない。

満身創痍で膝を痛めている貴乃花を相手に、武蔵丸はとてもではないが本気で「ガチンコ相撲」は出来ず、戸惑い、遠慮して、ほとんどわざと負けたようなものだ。

これ以上怪我をひどくさせてはいけないと気を遣って手加減してくれている相手を倒して「鬼の形相」だの、当時の小泉首相が「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」と誉め称えたのも自分の「改革」方針のキャッチフレーズをうまくアピールした機転にだけは感心するが、あれは明らかにおかしいと思ったら案の定、藤島親方は息子の頑固な熱意に千秋楽の取り組みまではしぶしぶ許したが、優勝決定戦になったら棄権しろと命じていたのに、無視したのが貴乃花だったらしい。

藤島親方はまともだったわけだ。単に息子で愛弟子の身体が心配だっただけではなく、あんな状態で土俵に上がられては、やさしい人柄で知られた武蔵丸があまりに気の毒だし、貴乃花がやったことは、普通ならあんな卑怯な勝ち方はない。

だが貴乃花の場合は卑怯というよりは単に、相手のことをなにも考えていなかっただけのように思える。

これは相撲と言う競技の特質からすればかなりおかしい。貴乃花は本当に、日本の相撲の精神的な特質・特徴を考えたことがあるのだろうか? 
日本の相撲はただの格闘技ではない。 
力士同士は真剣勝負で向き合っても、必ずしもただ「敵」であるだけではない。 
そうでなくてなぜ、双方の息が合わなければ試合が始まらない、なんてルールになるのだろう? 
取り組みの相手は真剣勝負の相手であると同時に、息を合わす相手でもあるのが日本の相撲なのだ。こうして対峙する相手に対してもただ勝つだけでなく同時に高度な共感能力を持つよう要求もされていることが、日本の相撲を日本ならではの独特の文化にしている。 
だからこそ相撲は神事になり土俵は祭礼のカミを喜ばせてヒトも楽しむ場と化し、そして最強の横綱は「カミ」になり得るのだ。


今回の騒動でも、自分のスキャンダルのせいでなんの関係も責任もない貴景勝のおめでたい昇進に水を差しているのだから、せめて自分のことで弟子が苦しまないようかばってやらなければ行けないはずだ。だいたい自分の責任なのだから自分が矢面に立つのが「親」だろうに、貴乃花は記者会見に「1人で行って来い」と言って送り出したのだそうだ。薄情を通り越して身勝手で無責任、そして弟子を人だとも思っていない。

貴ノ岩はもっとかわいそうだ。貴乃花は貴ノ岩が最初は「階段から落ちた」と言い訳したのを「『親』である師匠にも言えないことが起こったに違いない」「根が深い」などと言い訳しているが、根が深いのは暴行事件の方ではなく、モンゴル人の弟子が素直に話せないような圧力をかけ続けている貴乃花部屋の体質、貴乃花自身の性格と彼が染まっている歪んだ思想の方だ。

このモンゴル人の弟子がいながら、貴乃花はテレビのインタビューでも「自分の務めは日本人の強い力士を育てること」と公言したりして来ている。さらに内輪の集まりだとかでは相撲道の理想は「國體を守る」とか「國體を支える」などとまで言っているのだ。

これを誰も批判しない相撲マスコミというのは、貴乃花本人と同じくらいどうかしている。これではほとんど恒常的な精神的虐待も同然のレイシズムに日々晒されて来たのが貴ノ岩ではないか。かくも無自覚な差別意識丸出しに俺は「親」なのだとふんぞり返る親方にこそ、弟子が正直に話せるわけがない(というか、これではまるでパワハラ、虐待的依存関係の強要だ)。

そんな貴乃花が貴ノ岩に「馴れ合いになる」と言ってモンゴル人力士の先輩や同輩との付き合いを禁じていたことを美談のように伝えるワイドショーと、「それはおかしい」と決して言わないコメンテーターは、自分達もまた大日本帝国カルトの八紘一宇めいたレイシストになってしまっていると自覚できないのだろうか?

高校生で日本に留学し、貴乃花を大横綱の「土俵の鬼」と信じて入門して一生懸命に頑張って来た貴乃岩であれば、モンゴル人だからこそ必死で日本人になりきろう、日本人の言うことに従おうとしか考えられない立場に置かれて来たはずだ。

それに相撲部屋という特殊環境では、彼がそんな貴乃花の極右排外主義に逆らいようもないのだ。洗脳されてしまうことは避けようがない(そうしなくては相撲部屋の中では生きていけない)。


これは第二次大戦中に、日本軍の、それも特攻隊にあえて志願した朝鮮人の青少年や、台湾の高砂族などの少数民族出身の日本兵や、沖縄出身の日本兵に起こったこととも通底している。

藤田嗣治『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』昭和20年(部分)
例えば彫刻家・金城実は父がそうした忠実なる日本兵として戦死したことを、自らあえて厳しく批判している。その金城は、亡父が前線から母に送った、そうした言葉が書かれた父の遺書となったハガキを、今でも大切に保存している。 
日本の当時の体制下で差別されていたからこそ、日本人以上に日本人らしくあろうとすることで日本人に認めてもらわなければならない、という強迫観念が産まれてしまっていたのだ。 
さらに沖縄戦では多くの民間人も「切り込み」などと称して米軍の陣地に地雷や手榴弾を抱えて自爆攻撃までやっているのだ。 
近現代の「日本」という社会には、こうした差別やいじめと表裏一体になった不気味な同調圧力があり続けていることに、我々自身もまたどこかで同化しながら、その自覚から逃げ続けている面は決して否定できまい。 
我々はまだ無自覚でいられるが、在日コリアンの人々にせよ、相撲界のモンゴル人力士にせよ、彼らにとっては常に迫られて意識され続けさせられる圧力になっているとしても、なんの不思議もない。


そしてここにこそ、日馬富士が我を忘れるほど怒ってカラオケのリモコンで殴りつけるような暴行に走ってしまった、真の原因があるのではないか?

同じ席で、日馬富士と照ノ富士のあいだにも緊迫したやりとりがあったそうだ。

照ノ富士は「自分たちには壁があって思った通りのことは言えない」と日馬富士に訴え、日馬富士は「そんな壁はお前たちが自分で作っているんだ」と言って顔を三、四度平手打ちをしたという。

マスコミでは懸命に、照ノ富士が言った「壁」というのは下位の自分たちは横綱には何も言えない、という意味で、相撲界の上下関係の体質の問題だと決めつけようとしているが、ちょっと考えればこれでは日馬富士の返事の意味がまったく分からなくなるし、だいたい照ノ富士だってその「壁」に向かって「壁」があると言ったのだとしたらずいぶん矛盾した話だ。

だが彼らモンゴル人力士にはまた別の、思った通りのことが言えない「壁」が確かにあるし、そこに気付けば、貴ノ岩が以前に白鵬相手に金星を上げて「これからは俺たちの時代だ」と吹聴して白鵬を怒らせたことがこの事件の遠因になっているらしいとか、断片的に報じられている当日の他のやりとりとも整合性がつくし、日馬富士が「その壁はお前たちが作ってるんだ」と言った意味もすんなり理解できる。

「壁」とは、自分たちがモンゴル人力士である以上は日本人が日本の伝統だというものに逆らうことはできないし、日本人相手に本当に思っていることは言えない、まして自分たちは差別されて悔しいなどとは絶対に言えない、という「壁」だ。

一応、照ノ富士の支援者が本人で電話に確認し、「壁」というのは横綱にはモノが言えないという意味だと言質を取ったという報道はあった。 
わざわざ電話した日本人支援者も、その情報を鬼の首を取ったように喜ぶメディアもまさに何をか言わんやの滑稽すぎる話で、「壁」本人に向かって「あなた(達)が壁です」なんて言えるわけがない。

白鵬や日馬富士本人だって、その壁に実は苦しんで来たし、自分なりに乗り越えようとして来たではないか。だったら「その『壁』はお前たちが作っているのではないか」と言うのも意味はよく分かる。

だから白鵬は、モンゴル人横綱が朝青龍の時から「横綱の品格」と言われ続けていることに「勝つことが横綱の品格だ」と最終的には開き直ったというか自分で合理的な解答に達し、土俵上では文字通り「勝負の鬼」になると決意したのだし、そうでもしなければ自分たちがいくら頑張っていい記録を残しても、最後の日本人横綱だった貴乃花を引き合いに出しては日本人横綱待望論を繰り返すマスコミ報道に、とっくの昔に耐えられなくなっていただろう。

その待望の日本人横綱に稀勢の里が特例で(二場所連続優勝ではなく一場所だけで)昇進した場所が尋常ではない稀勢の里フィーバーになり、そこで普段なら力よりもテクニックで勝つ相撲が魅力の日馬富士が(というかここ何年かは満身創痍で体力的に無理があるのを、テクニックで補って来た)、柄にもなく猪突猛進型のすさまじい取り組みで稀勢の里を土俵の外に突き飛ばし、勢い余って大怪我をさせてしまったこともあった。

貴ノ岩が単に生意気な態度で白鵬を怒らせ、白鵬の代わりに日馬富士がせっかんしてしまったということだけが、この事件ではないのではないか?

同席していた日本人の、直接に相撲界の人間ではないどころか、貴ノ岩にとっては高校時代の恩師である人たちまでがこの事件について黙っていたのも、日馬富士が怒ったのにはよほどの理由があり、それが明らかになればむしろ貴ノ岩の将来が傷つくと思ったのだとすれば、説明はつく。

そしてそんな「よほどの理由」として今の日本で考えられるのは、「モンゴル人」が絡んでもいるのだし、人種差別の問題、差別発言が真っ先に思いつく。

だいたい、貴ノ岩についても真面目で実直な性格で、とてもではないが目上に対してそんな非礼で生意気な態度を取る人間ではない、というのがもっぱらの評判だ。

だが貴ノ岩が貴乃花の極右排外主義に洗脳され、その師匠を正しいと信じ込んでいたか、懸命に師匠に合わせようとしていて、師匠に忠実であろうとするあまりにモンゴル人である大横綱相手だからあえて大横綱と認めまいと反抗的に振る舞ったり、バカにした態度を取ったり、露骨に侮辱した(たとえば「モンゴル人くささが抜けていない白鵬は本物の横綱ではない」とか「日本人の貴乃花と違って横綱の品格がない」的なことを口にした)のであれば、日馬富士を知る人が誰もが首を傾げるような暴行も、引退会見でその日馬富士が憮然と「礼儀と冷静を教えた」と繰り返しただけだったことも、すべて説明はつく。

そもそも貴乃花の言う「國體」(要するに「日本は神の国」で云々)のロジックで言えば、日本人になっていない白鵬や日馬富士は(「本物の横綱」ではないので)貴ノ岩にとって「目上」ではなくなる。

ここに人種差別があるからこそ、「自分たちはモンゴル人だからと言うだけで差別されている」とは、朝青龍にも白鵬にも、そしてむろん日馬富士にも、絶対に言えない「壁」が確かにそこにあるのだ。

相撲協会の体面と相撲の伝統を守るためにも、そして自分たちモンゴル人力士が日本で相撲を取り続けるためにも、こればかりは絶対に言えない「壁」だ。

彼らがそこまでは口に出来ない立場を大半の親方衆も関取もなんとなくは分かっていて、貴乃花が異様な差別思想に取り憑かれて異様な「モンゴル嫌い」の態度を取り続けていることももちろん認識されているからこそ(たとえば、巡業中もモンゴル勢が土俵で稽古を始めると弟子を引き連れて席を外してしまうのだそうだ)、白鵬が「貴乃花親方が巡業部長では安心して相撲がとれない」と、現役力士として本来は絶対にやってはいけない親方批判をあえて言ったのも、執行部の親方衆もその場では言葉を濁しながらも、ちゃんと聞き入れたのだろう。

一部の週刊誌報道はここぞとばかりに、かつての朝青龍バッシングの再来のような白鵬バッシングにいそしみ、テレビ報道はかつてかっこいい名横綱として国民に愛された貴乃花を中途半端に持ち上げてその「真意」を忖度することを競い合っているのはいかにも気持ち悪いのだが、ちょっとネットで検索をかけて見たらなんのことはない、貴乃花は極右に染まっているどころか、極右系のエセ神道の新興宗教にゾッコンなのだそうだ。

さらにはツイッター上では、貴乃花部屋の力士が自分のアカウントで旭日旗をカバー写真にしたりして、すっかりネトウヨ化すらしているらしい。


貴乃花がこんな極右カルト人脈に洗脳され、どっぷりそこに浸かっているとなると、貴乃花の狙いがひたすら騒動を引き延ばして少しでも話を大きくしてワイドショーを電波ジャックするのが真の狙いだとしても、誰の差し金で貴乃花がそんなことをやっているのかについてまで、「いくらなんでもまさか」と思っていた極論の “黒幕” 仮説が、どうも本当に真相なのではないか、と思えてしまう。

つまり、冒頭の繰り返しだが、この事態の長期化で政治報道がほぼワイドショーから消えてしまい、重大な疑惑をニュースがまったく取り上げなくなったことで、いちばん得をしているのは(つまりこのスキャンダルの最大の受益者は)安倍首相だ。

貴乃花が極右カルトの新興宗教につながっているのなら(その新興宗教のホームページを見れば、貴乃花はこのカルトの広告塔にもなっている)、この仮説もまったく荒唐無稽とは言えなくなる。

なにしろ、「國體」を崇拝する貴乃花は要するに、かつての森友学園と同様の、安倍の「日本会議」人脈、要は歴史修正主義で第二次大戦をなんとしても正当化して南京虐殺などはなかったと噓も百回言えば本当になると思い込んでいるような、「日本は神の国」的極右カルトのネオナチ人脈に属しているのだ。

だとしたら、貴乃花が日馬富士の事件の示談を拒否し裁判に持ち込みたがっているのも、協会の処分に対しても民事訴訟で争う気満々らしいことも、彼はそれで勝てるつもりだからなのだろう、と説明がつく。

裁判所が政治家の言いなりで、だから自民党極右の権力者に有利な判断を司法が忖度するなんてことはまともな国では絶対にあってはならないのだが、相手は貴乃花なのだから三権分立の原則も知らないだろうし(なにしろ「警察」と「検察」の違いがよく分かってなかったのだし)、また安倍政権ではそういう憲法上あってはならない判決も、現にしょっちゅう出ているではないか。政権におもねるために裁判所が司法判断から逃げることすら珍しくない。

いずれも苦し紛れのへ理屈で、違法性が訴えられたのを「違法と断定はできない」と誤摩化したレベルの逃げの判決でしかないのだが、まあ貴乃花であるとか極右カルトやネトウヨさんたちの頭のレベルでは、「勝った」か「負けた」かの区別しかつくまい。 
もちろん朝鮮学校への高校無償化適用が完全に合法であることは変わらず、これは外国籍への生活保護支給も同様で、「適用しないのも違法とまでは言えない」判決はただの誤摩化しのへ理屈だ。 
最高裁は総理大臣の靖国参拝の違法性の有無を判断せず、ただ訴えた原告がその参拝によって損害を受けていないと逃げただけだ。後者は合法という判断を下さなかったというのは要するに、最高裁だって実は違法(ないしその可能性は否定できない)と思っているからだ。 
しかしそれにしても安倍政権下では、こういう論理性をあいまいにした恥ずかしい判決が極端に増えている。

自民党の極右カルト分子というか、要するに安倍官邸か、党内の安倍の側近の誰かが貴乃花の奇行と引き延ばし作戦の “黒幕” なら、確かにその権力を傘に着て貴乃花が相撲協会を乗っ取ることも…これも普通の世の中なら絶対に無理なはずだ。だが相手は相当に世間知らずな貴乃花だ。総理大臣ならそれくらいできると(しかも自分は「國體」を守ろうとしているのだし)信じ込むだろう。しかも実際に、これだって安倍政権ならやりかねない。

それにしても「國體を守る」とか言っている貴乃花の途方もない勘違いは、いったいどこから始まったのかを考えると、やはり2001年5月場所の、対武蔵丸優勝決定戦が思い当たる。

貴乃花の認識ではミもフタもなく、自分が総理大臣に「感動した」と言わせたのはハワイ人の、つまり外国人横綱の武蔵丸を倒したからだと思い込んだのではないか?

逆に言えば、武蔵丸は貴乃花が膝に致命的な怪我を抱えていたからだけではなく、相手が日本人横綱で国民的ヒーロー、それも角界の「天皇家」みたいな血統の貴乃花だったからこそ、あそこで「土俵の鬼」になって「横綱相撲」の本気の取り組みで勝ってその貴乃花に大怪我をさせるなんてことは、絶対に出来なかっただろう。

藤島親方は武蔵丸の立場をそこまで考えていたのかも知れない(っていうか、観客ならともかく角界の当事者なら気付くでしょ)し、いずれにせよあの優勝決定戦はなんとか息子を止めようとしていた。しかし貴乃花はその師匠の(「相撲道」に乗っ取った、日本人なら当然の道徳観に根ざした)制止を聞かず、当然のこととして勝たせてもらえただけなのに、勝ってしまえば誰も批判せずに国民的ヒーローに持ち上げられてしまった。

だがこの際はっきり言っておこう。江戸時代やそれ以前に遡る日本の「大相撲」の歴史をちゃんと見る限り、また相手・敵と「息を合わせ」なければ立ち会いが成立しないといった相撲の格闘技としての特徴を見ても、「相撲道」というのはそんなものではないはずだ。

国宝 一遍聖絵 巻七 正安元(1299)年より 神社の境内
牛車に乗った貴族や高僧と ハンセン病患者たちや貧民

相撲が見せ物であるからこそ神事でありお祭りであるのも、土俵が神聖で塩で清められた場所でなければならないのも、そんな狭量で邪悪ですらあるケガレそのものみたいな考え方とは、まったく反する。

「國體」とか貴乃花たちが言うのであれば、日本がそんな国であったのは明治維新以降第二次大戦までのごく限られた時代の、それも最後の方だけだ。あれはどう考えても日本史のなかであまりに例外的な、異常な、日本人が日本人らしさ完全に失っていた時代だった。