最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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3/15/2016

5年経った「復興」の正体



3月11日はいわき市のJR泉駅近くにある、富岡町の仮設住宅で慰霊祭に顔を出して来た。2012年に最初の慰霊祭を撮影させてもらった時には、5周忌にまだここに来るとは思ってもいなかった。仮設住宅は本来2年の使用を前提に設計されているから「仮設」であり、法制度上もそうなっていたはずだ。



この仮設から出て行っていわき市内に家を構えた人も多く、住む人はどんどん減って、高齢化も著しいのは否定のしようがない。

慰霊祭の手配や司会を取り仕切っていた自治会の世話役である、ほぼ同世代の友人も、すでに小名浜に家を持ち、いわき市内で新たな職を得て熱心に働いている。

富岡町では来年4月に、引き続き帰還困難になる以外の地域の避難は解除されるが、「普通だったらいわきに車で通勤することも出来なくはない」とはいうものの、帰還困難の線引きはその元の家からわずか200m先だし、その区域に入る大きな道路や町の設備は使えないままだ。町内でいちばん日常で使う大きなスーパーも帰還困難区域の手前の国道6号沿いで再開の目処が立たないまま、確か自衛隊だったか東電関連企業に貸されたか買い上げられている。



そして町のかなりの部分(桜の名所の夜の森も含む)が、今後もいつまで人が住めないままなのか分からない場所になり、北隣の大熊町、その北の双葉町は大部分が除染廃棄物の「中間貯蔵施設」になってあと30年は人は住まない。

これで本当に「復興」できるのか?いや単純に、帰って生活できるのだろうか?



富岡町の南隣の楢葉町では昨年に避難が解除されたが、帰った人は400人強で人口の6%だそうだ。

楢葉の場合は、主な日常の買い物に行く先が富岡町だったし、地震で痛んだ上下水道や道路などのインフラ、さらには医療などの生活の基盤はまだまだ整っていないし、しかも4年、5年と放置せざるを得ずに痛んでしまった家をどうするのか?

楢葉町の仮設住宅 いわき市内郷白水
兼業農家が多かった双葉郡で、これからなにをして暮して行けばいいのだろうか? 避難先の、たとえばいわき市や郡山での生活がやっと落ち着いて来ていることは、どうすればいいのだろう?

決して故郷に愛想がつきたわけでもなく、見捨てたわけでもないのに、実際問題として帰るのは難しい。町にあった商店で再開したところもあるが、原発や除染の作業員相手が中心の商売で、そこで暮らす基盤となるようなやり方をとろうにも経営が成り立つ目処がないという。

部外者は、放射能があるから帰らないのだと思いがちだが、楢葉町はもちろん、富岡町でさえ場所によっては線量は元から低いし、宅地や農地の除染も(膨大な公共予算を使って)かなり徹底して行われた。


元々、東電の二つの原発と広野町にある火力発電所で2万の直接雇用があったのが、人口8万の双葉郡だ。放射線や放射能に関する知識は元から東京などとは比べ物にならないほど詳しい人が多いのも忘れてはならない。「直接の被曝影響が出る可能性は低い」という一般的に示された見解の意味も正確に理解されているのに、それでも帰らない・帰れないのが、4年も5年も故郷を放置させられて来た人たちの現実だ。

また放射能や放射線について東京などとは比べものにならないほど詳しいということは、除染の限界についてもちゃんと理解されているということでもある。

一応科学データの根拠があるとはいえ、帰還困難のままになる場所との線引きはあくまで行政の恣意性で引かれるもので科学ではなく、この線を超えたらいきなり危険になったり安全になったりするわけがないし、宅地や農地、平野の部分は除染が行われたが、山と森林はその限りではなく、放射性物質が降り注いだままの常緑樹や、落葉樹でも放射性物質は地面に留まったままで、自然に崩壊して減るのを待つしかない。

それに福一それ自体は「冷温停止」と政府が宣言していようが、放射能漏れが完全に止まったわけではないし、溶融した核燃料の所在が確認されて安全が完全に確保されたわけでもないことも、これまで原発で働いて来た人も多いからこそ、よく分かっている人もまた多い。

ここへ来て、また不安な報道が最近出て来ているし、むしろこれまでよりも遥かに深刻だ。

「福島で鼻血が」といった荒唐無稽なデマはただ迷惑でありウンザリするだけだったが、4年、5年と経って福島県内で徹底して行われている子供の甲状腺検査の結果、これまで甲状腺がんについて言われて来た人口当りの発症率のだいたい30倍の患者数が出て来たと言われているのだ。

新聞は律儀に「両論併記」で、関係性は論証出来ないという学者と原発事故由来だと主張する学者の見解の双方を付き合わせているが、となると前者は公的な立場にある側の見解でもあるので、どうにも後者がより信じられそうに見えてしまう。なんと言っても子供の健康と生命に関わることだし、若い世帯を中心に慎重になるのはやむを得ない。

これは関係がない(ないし、「なさそう」)と言っている側の言い方も悪い、説明も足りないのかも知れないし、それ以上に、なぜ「ない」と考えられるのかの理屈に興味を持たない(ないし理解できない)ので説明を報道しないジャーナリズムの問題が大きい。

もちろん、甲状腺がんの原因物質となる放射性ヨウ素が多く環境中に存在していた(半減期は8日と、とても短い)震災と事故発生直後の個々人の被曝量を正確に把握することはとても難しい(どこに何時間いてなにを食べたかを正確に思い出せるかどうかも怪しい)が、ごくごく一部(たとえば福一の敷地内)を除けばそんなに大量に放射性ヨウ素がある環境下にいたり、放射性ヨウ素を多量に含むものを食べた可能性は極めて低いし、仮にそんな過酷な状況が例外的に福島県内にあったなら、はっきり言えばもっと大量に甲状腺がんが見つからなければ理屈に合わない。

言い換えれば、甲状腺がんが見つかった子供が集団でまとまっているのならともかく、だいたい同じ環境で行動していた(たとえば、同じ避難所にいた)子供のうちで患者が一人だけと言うのなら、放射線の影響は考えにくい。ほぼ同じ被曝量ならば、甲状腺がんが発生する確率も、そう個人差で左右されるわけではないはずだ。

個人情報に関わることでもあり、福島県の具体的にどこで子供の甲状腺がんが発見されたのかの詳しい分布を出すわけにもいかないのかも知れないが、原発事故の放射能漏れによる汚染が強い地域と甲状腺がんの発生数の相関関係でも示されれば、恐らくほとんどの人は「なるほど、確かにあまり関連があるとは思えない」と考えるのではないか。恐らく、だからこそ医学者・研究者の圧倒多数が「関連性は考えにくい」という見解になるのだろうが、その根拠をなるべく分かり易く一般に知らしめることについては、十分な努力が成されているとは言い難いし、専門家だけでなくメディアの責任も大きい。

「関連性がない」という研究者の言葉に納得出来ないのなら、とことん質問してまず自分が理解できるまで説明してもらうのが、ジャーナリズムの仕事ではないのか?

だが風評被害や不安が収まらないことについて、もっと大きいのは政府や行政の稚拙な世論対応の責任だ。どうも福一事故の放射能の拡散やその影響は(おそろしく幸運なことに、つまり遥かにひどいことになっていてもおかしくなかった)そこまでは深刻ではないようだ、というデータを見る限り科学的にほぼ精確な見解でも、原発の再稼働に躍起な政府がお墨付きでも与えたつもりになればなるほど、かえって信用出来ないのも当たり前だ。

山下俊一博士が事故当初にさんざん謂れのない中傷でバッシングされたのがいい例だが、ただ研究者・医師として誠実に言ったことでも、政府や行政がそれを支持してしまうだけで、かえって痛くもない腹を探られ邪推されてしまうのも、3.11以降の歴代首相が誰一人として在任中に原発政策の抜本的な見直しなどを口にして来ていない以上、当たり前なのだ。

菅直人氏に至っては、首相を辞めたとたんに反原発の主張を公言するようになったのだから、これではますます行政が信用できなくなって当然だろう。

今はまず福一事故の収束と検証を最優先し、原発政策の今後はその結果を見て決めるという、本来当たり前の態度を示しすらしなかったのが菅、野田の民主党の両総理で、しかも菅氏のあんな掌を返したような退陣後の豹変っぷりがあるのなら、政府のなかではよほど原発について語ることがタブーで、官僚が必死で脱原発の動きや福島第一の事故に関する “真相” を隠蔽しているのだ、と国民が疑ったとしても、むしろ当たり前だった。

なんとも足下のふらついた民主党政権が倒れ、安倍政権は特定秘密保護法や安保法制と並行して原発の再稼働も世論の反発を無視して強行しようとしている。これでは政府発表の中身でも時には事実に基づいて正確であっても、信用しろというのは無理がある。

菅政権の時には元TBSアナウンサーの下村健一氏がメディア担当の補佐官になったり、劇作家の平田オリザ氏が鳩山首相のスピーチ執筆に協力したり、菅政権でも官邸からの依頼に応じたりしていたらしいが、その割にはメディア対応の基本すらなってなかったと言わざるを得ない。安倍政権に至っては世界に冠たる大広告代理店の電通が広報を全面的にがっちりサポートし、膨大な国費で儲けてもいるというのに、世論がどう形成されるのか、人の心理の基本すら考えていないのでは税金の無駄遣いもいいところだ。

風評被害はもちろん、「福島で鼻血が」とか言いふらした人たちに直接の責任はあるとはいえ、総体で言えばそうしたデマが収まらない理由には政府のやり方があまりに稚拙だったことが無視出来ないのが、安倍政権に至っては再稼働こそが最優先、そのためには都合の悪い情報を隠蔽することこそ自分達の使命だとでも思い込んでいる態度に見える。これではしっかりと科学的な反論ですら「政府の意向だ」と邪推されるだけで、風評を打破どころか、なんとか押さえ込むことさえ、無理な相談ではないか。

これだけの過酷事故が日本の原発で起こったのだ。今後の原発政策のありようや、原発を再稼働させるかどうかは、まずこの事故を終息させる目処が立ち、なにが起こっていてなにが問題だったのかのきちんとした検証を経て、いちから考え直すべき問題でなければおかしい。

もしポーズだけでもそうした態度を菅直人政権の時点で鮮明にしていれば、実際には「隠蔽」もなにも圧倒的な情報不足(福一では停電でほとんどの計器が止まっていた)で隠せる情報すらなかった段階でも、国民の信頼を得ることは出来たはずだ。

だが菅・野田の民主党政権、そして自民党の安倍政権を通じ、一貫して政府はその誠実な努力のカケラすら見せていない。これでなし崩しのまま再稼働だなんて、まともな民主主義社会であれば正気の沙汰ではない。

むろん、原発事故とはどういう非常事態なのかを報道して来たはずが、放射能はなにが危険なのかもあやふやなままのメディアの責任も大きいし、これはそれぞれの社や個人が原発に批判的なのか推進派なのか以前の、報道の基本中の基本の矜持の問題のはずだ。

はっきり言ってしまえば、政府も地方行政も報道も、自分の「立場」だか「意見」だか以前に、まずみなさんちゃんと自分の仕事の基本をやって下さい、ということだ。それなしには福島県が風評から救われることもないし、どんなに金を注ぎ込んだって「復興」もあり得ない。

その肝心の、福島に限らず震災と津波被害からの復興の方も、いつのまにかこの5年で国費26兆円が注ぎ込まれ、それがこれからの5年は5兆円しかないそうだ。これも「いつ決ったの? もっと早く言ってくれよ、それ」と思わざるを得ない上に、「前向きに」とか「故郷を忘れない」とかの上辺の精神論にばかりにメディアも世論も乗せられて来たあいだに、その26兆円の使われ方のほうもいつのまにか、ずいぶん凄いことになっていたのが、5周年になってやっと国民にも知らされ始めている。

いわき市 久之浜 2011年12月
いわき市の場合、もっとも被害がひどかったのは久之浜、薄磯、豊間、永崎といった海岸の地域で、久之浜は津波被災後の大火災で町の海側が丸ごと消えてしまったし、薄磯も山のふもとのごく一部の高台を除いて町がほぼ流されてしまい、震災一年後に撮影に行ったときも凄まじい廃墟の風景だった。

久之浜 津波に流された家の基礎と、稲荷神社 2012年4月
その久之浜は、今はこんな状態である。



三周年の時点で家の基礎などの廃墟はすべて取り払われ、少し高台にあって津波にも火災にも耐えた稲荷神社が残っていたのが、いまや稲荷神社は周囲の地面と同じ高さになり、海側の巨大な丘から見下ろされるかっこうになる。この丘の向こうには、津波で壊れていた以前の堤防よりもはるかに大きな堤防が建てられている。

久之浜 2014年

大地震の影響で海岸地帯全体で地盤が下がっていて、かさ上げが必要だとは言われて来た。

久之浜 2016年3月11日
二度と津波で死者を出さないため、というかけ声でこれだけの大規模土木工事が行われ、なるほどこの土地は安全になったかも知れない。だがそれでも、ここは「津波が危険」ということで、居住は禁じられ、公園になるそうだ。



福島県に限ったことではない。

たとえば、宮城県女川町は新しい駅舎が完成したり商店街がオープンしたりで4周年からは「復興のシンボル」的に報道されることも多かった。もともと中心市街地が津波に浚われたのだが、そこに高台の土地を造成しても、住むことは「津波が危険だから」できない。店舗兼住居が当たり前だった地方で、商店主は都会のように通勤することになる。住宅はもっと奥地でないと建てられないと政府の方針に応じて決められている(そうでなければかさ上げ・造成計画に国の予算が出ない)のだ。

津波危険地域は住んではいけないので、津波に耐えて修理すれば住める家でも立ち退かざるを得なくなり、代替地は今後分譲されるものの、5年も待って疲弊した被災者のうちどれだけの人が、自己資金でそこに家を建てる気力を持っているのだろうか?

女川でも(原発があるおかげで町の財源は豊富なのに)人口流出は止まらないという。災害復興状宅は集合住宅の形式なのに一戸あたり建物だけで3千数百万というが、空き部屋も多いそうだ。

再び、いわき市の津波被災地に話を戻そう。



これはかつて、日本の海水浴場百選に入っていたという薄磯の、5年後の姿だ。

震災後しばらくは校庭が瓦礫置き場にされていた豊間中学校は、今やどこにあったのかも分からなくなってしまった。道路自体が作り替えられているのだ。

いわき市薄磯 豊間中学校 2012年3月11日

動画の後半は、塩谷崎灯台を挟んで南側に隣接する豊間だ。



僕たちが2011年4月に撮影した『無人地帯』で、津波の直撃を受けても耐えた築140年の家と、そこに住んでいた四家さんご夫妻に出演して頂いた場所だ。

この先祖伝来の家を修理して住むつもりだったのが、市の方針に左右され続けて修理も始められないまま、結局は取り壊しが決ったことは、2014年の2月に連絡を頂いていた。

2012年3月の四家邸 いわき市豊間
ここの道路は以前のままなので、「ここだったはずだ」ということだけが、辛うじて分かった。



一方、JRいわき駅の周囲の平地区の田町は、元から少しガラが悪い(失礼!)飲屋街だったが、それがずいぶん繁盛している。歩いていると、あちこちから「マッサージどうですか」とカタコトの、中国やフィリピンの訛りの日本語で声をかけられる



堤防造りにかさ上げの大規模土木工事と、さらに原発事故の収束作業や除染の拠点になるのもいわき市で、しかも原発事故での避難者で人口も増加し、交通渋滞などが増える一方、経済はとても潤っている。

田町から外れた、駅前の大通りの反対側にも、こんなアジアン・パブが出来ていた。



一方で、以前にはよく行っていた、富岡町から避難していたタイ料理店「サラータイ」が見当たらない。その店舗には「お化け屋敷」という、なにやら怪しげな店が入っていた。

中国やフィリピンの出稼ぎ女性たちの生き抜く、稼ぐ意志の強さは逞しいと感じ入りつつ、ふと思う。

富岡町にあった「サラータイ」も含め、かつて福島浜通りには東南アジアからやってきて日本人と結婚して暮らす女性が多かった。震災直後には、北の南相馬のほうでは、奥さんと子どもたちをフィリピンに帰した酪農家の男性が命を絶ち、この原発事故の最初の自殺者の一人となった。

今はストリップや風俗業や「マッサージ」つまりは売春でお金を稼ぐために、東南アジアや中国から女性たちがこの事故を起こした原発から南に40Kmの町で、生きている。

そこはかつて、決して豊かではないが、日本本来の農村的なコミュニティのおおらかさが辛うじて残されていた地方だった。



しかし一方で、いわき市のかつての主要産業が石炭で、今は双葉郡にふたつの原発があり、浜通り全体では火力発電所が4つある、国のエネルギー政策と、浜通りはとくに首都圏の電気を支える地方にもなっていた。

福島県が東京の電力の供給基地になったのは、昭和3年の地震と津波の「復興」政策がきっかけだったという。

福島に限らず、それまで東北地方では地元ベースの小規模な発電所が多かったのが、当時の軍需産業に必要な電力を京浜工業地帯に供給するために大規模に組織化され、「復興」は昭和6年の満州事変で始まった15年戦争と軍国主義の国策に組み込まれて行き、養蚕という明治期の大きな産業が次第に凋落していた東北地方は、さらに都市の工場で働く出稼ぎ労働者と、陸軍の歩兵の多くの出身地にもなり、戦後も一貫して差別的な扱いを受け「後進地帯」扱いに甘んじて来た。

21世紀の未曾有の大震災と津波被害、さらには原発事故まで起こった三重災害の「復興」は、今どこに向かっているのだろう?いや、最初から本当はどこに向かっていたのか、そう問うた方が正確だ。

はっきり言えば、この震災の「復興」は、実は最初から被災地ではなく日本経済の「復興」を考えてプログラムされていたことが、今や誰の目にも明らかだろう。

「絆」や「前向き」「故郷」というかけ声の陰で、実際に粛々と進められていたのは、大規模土木工事への財政出動だった。その総額26兆円、「アベノミクスの成果」をしきりに吹聴して来た安倍政権だが、なんのことはない、ここまで大量の“真水”を注入していれば、実態経済がいずれ上向かない方がおかしかっただけの話である。

第二次安倍政権の初期には実際に景気が少しはよくなったように見えたのは、安倍政権の功績でもなんでもなく、菅・野田の両政権が「復興」「絆」のかけ声で国民を騙してくれたお陰に他ならなかった。

いやだったら、最初からそのつもりだと正直に言ってくれていたら、まだよかったのではないか? 26兆円の使い方にしても、もっと日本の景気を建て直すのにも有効で、かつそこで造られたモノが被災地の復興に役立つように計画できたはずだ。

原発事故の発生当時には「政府の隠蔽」がさんざん疑われたが、実際に隠されていたというか誤摩化されていたのは、政府が隠蔽するほどの情報も持っておらず状況をほとんど把握できていなかったことだ。だがその一方で、「復興」と称する政策の不正直さは、みごとに国民から隠されて来た。

残されたのは大堤防と盛り土で津波から「安全」になったはずなのに住んではいけない海沿いの土地であり、これまた莫大な公金をかけて住む人がいないかも知れない高台移転の造成地であり、妙に建築費が高価だった割には変に都市的で被災者たちの生活文化とはちぐはぐな復興住宅と、そのぶ厚い鉄筋コンクリートの壁と鉄のドアのなかで孤立を深める高齢化した被災者たちであり、一方には26兆もの公金投入にも関わらず一向に上向かない日本全体の実態経済があり、もはやマイナス金利にまで踏み切った日銀大盤振る舞いの金融緩和…は黒田総裁が就任当時から「金融緩和は止めるタイミングが難しい」と言っていたのが、本当に止められないまま、まるで金融緩和というカンフル剤の薬物依存症になったかのような日本のマーケットの現状がある。

『無人地帯』(本編配信 Netflixもあり

東北地方の人たちは寡黙で、本音を言わない、という偏見が以前から根強かった。かくいう僕自身が家系的には父方は上方・兵庫県母方はさらに西の広島と山口の太平洋岸という素性で、そういう東北への思い込みに囚われがちな方だった。それがこの原発事故を機に『無人地帯』(2012)という映画を作り、その続編も撮影は終え、浜通りの人たちと接する機会を持って、まったくそんなことはないと分かった。

この土地の、津波や原発事故の被災者の人々はむしろ饒舌だし、その言葉は雄弁だし説得力もあるのは、それが正直でやさしい言葉だったからだ。

その正直さとやさしさこそが、この「復興」と称する過程の全体構図には欠如していたことに、5年経った今気付く。震災は、人命や奪われた土地や漁業・農業の生活以上に大切かも知れなかったものを、この日本という国から奪ってしまったのかも知れない。

いやそれは、天変地異が奪ったのではない。これは僕たち日本人の精神の人災だ。

いわき市 豊間 四家夫妻の家の跡 2016年3月12日 

6/14/2014

「中間貯蔵」施設という欺瞞


なかなか福島県浜通りに足を運ぶ機会がなく、『無人地帯』とその続編『…そして、春』(まだ完成資金を集め中)でお世話になった皆さんには申し訳ないことになってしまっているが、いつのまにか除染廃棄物の「中間貯蔵」施設はここまで計画案が進んでいるらしい。


報道が少なかったからとはいえ、「いつのまにか」と言っていいことでは本当はない。決定的に重要なことなのだから。

さらに申し訳ないのは、これだってよく考えれば「いずれこうなるのは分かっていた話ではないか」だということだ。

除染をやってしまえば、置き場所をどこにするかといえば、双葉町と大熊町以外にはあり得ないことも分かり切っていたはずだ。

まさかより汚染が少ないところ、それこそ福島県外に持って行くわけにはいかないのだし、それはただ除染の廃棄物のことだけではない。

使用済み燃料や廃炉解体した原子炉などの核廃棄物の最終処分施設も、青森県六ヶ所村などを政府は一応候補として上げているが、合理的な判断として「今安全なところよりもすでに汚染されているところ」になるに決まっているのに、六ヶ所の人たちに押し付けるのも無理があることは、自分達がすでに同じ目に遭わされている双葉や大熊の人たちには、分かっているだろう。

ここが「中間」で済むわけがないし、「中間」と言ったってそのタイムスパンは数十年単位だ。

いや「中間」と「貯蔵」という言葉が仲良く並んでいること自体に、矛盾と欺瞞が目に見えて現れている。そんなこと当事者の人たちは最初から分かっていただろう−−いや、その人たちだけしか真剣に考えて来なかった。この点でも政府の対応は極めて不誠実で相手を馬鹿にしたものだったが、十分に批判したり止めようと議論しなかった我々の責任も逃れ得ない。

しかし「国民を騙す不誠実な政府」というのは歴史上あまたあるが、すでにバレているような分かり切った噓を言い張って国民を黙らせる今の日本政府のような不誠実さというのは、さすがに希少例だろう。

どうしても誤摩化してはならないことがある。

双葉と大熊の海側に除染の中間貯蔵施設が出来るということは、原発事故で当分は帰れない、何年待つことになるのか、あるいは「皆さんが早く帰れるように一生懸命除染します」と政府が言って来た今までの状況とは、まったく違った話だということだ。

まず「中間」といって何十年か分からない、いや「中間」で済むわけがない「中間貯蔵」施設が出来るということは、大熊の夫沢であるとか原発の直近の人たちが「いつになったら帰れるのか」ではなく、「もう永久に帰れない」ということだ。大熊町では交渉の上では、恒久施設にするなと政府に圧力をかけるために買い上げでなく借り上げを主張はしているが、何十年後かに返還されたところで、住むこともできないしまして農業なんて、と実際にはみんな分かっている。

『無人地帯』より、大熊町夫沢に住んでいた中野さん
強いて言えば借り上げであれば、避難先の人たちの定期安定収入にはなるので、今さら土地をどこかに買っていちから、というのが無理な人たちにはその方がいいかも知れない。だがそれなら、相当な金額を国は準備すべきだ(といって国が払うのか東電なのかも曖昧なままだ)。 
あとこれが恒久施設だと明言されれば、大熊と双葉の地方行政、町役場は存在する意味がなくなり、大熊町と双葉町自体が消えてしまうことになる。

さらに重要な、無視されがちなことがある。

「中間貯蔵」施設が出来れば「帰れなくなる」のは、原発事故がまだ不可抗力の、致命的な過失ではあっても決して意図されたわけではない、要は「事故」であり偶発的だったこととは、まったく次元が違う。これからは双葉や大熊の人たちが「帰れなくなる」のではなく、誰かの主体的な意志で「帰れなくする」のだ。

他に選択の余地がないからといって責任逃れは許されない。ここに「中間貯蔵」施設を作ると言うことは、その土地を社会が全体の利益のために犠牲にしているのだ。

除染には効果がない、という決め付けにも大いに問題があって、もともと今回の事故の「除染」はなぜか農村がモデルでなく、都市近郊住宅地を想定したマニュアルになっていたから、もっとも汚染が危惧される双葉郡の大部分や飯舘村ではあまり効果がない(そんなに効果が出るはずがない)のだが、中通りの郡山市や福島市の市街地や住宅地域なら、確実に効果は出るはずだったし、現に(取り残しのホットスポットはまだ多々あるにせよ)出ている。

それはきちんと評価すべきであり、「福島は危ない」「住んではいけない」と、事故発生当初のパニックの自己正当化で言い続け、挙げ句に未だに「鼻血が」などで騒ぎが起こるのも、ずいぶんと無責任な話だ。

一方で2011年半ばから、福島県の各地で自治体が除染に熱中して不必要な除染まで行われ、結果として必要以上の除染廃棄物が出てしまったかも知れないのも、事故発生直後の社会情勢からして責められることではない。とにかく「福島は危険だ」と大騒ぎが始まり「逃げろ逃げろ」の大合唱が、福島がどれだけ広い県でどれだけ複雑な地形を持っているかも無視して、挙げ句に米軍のとりあえず50マイルを「アメリカは80Kmと言っているから日本政府は安全デマ」という無茶苦茶な話まで飛び出し、放射能汚染の風評が全国を駆け巡ったなかでは、実際の放射性物質以上に「放射能で汚染されている」というレッテルを、農業が今でも重要産業の福島県各地の人々が恐れたのは当然の話であり、差別される立場になった人たちがまずその差別の直接理由を取り除こうとするのは、当たり前の反応だ。

また福島県の各地で、ほとんどの場合事実に反する「福島県には住んではいけない」的な困った言い草の流布への反発から、原発事故を理由に移住することを「故郷を捨てるのか」と批判する、反発を持ってしまうことも十全に理解はできる。

福島県は元々の日本の行政単位ではひとつの「国」ではなく、江戸時代の潘で言えば複数の寄せ集めで面積も広いだけでなく、多くの山で各地域が隔てられている。平野と違って、しかも大量の粉塵が成層圏に舞い上がるほどの大規模爆発ではなかった福一事故の場合、山で隔てられて放射性物質がそんなには広がるわけではないのだが。 
福島県全体が「放射能が」と言う前に、地図と歴史くらい勉強したっていいだろう。

だから決して責めるのでも批判するのでも、「あなた達のせいだ」というのでもないが、だが残酷な現実として無視してはいけないことがあるだろう。

「中間貯蔵」施設が双葉と大熊に作られるということは、他の福島県の諸地域でより安心して生活できるようになるのと引き換えに、双葉と大熊が犠牲になる、ということであり、その予定地に住んでいた人たちが「もう帰れない」と覚悟を決めるのは、故郷を捨てたのではなく故郷を奪われるのだ、ということである。

それが必要だった、避けられなかったという意味では決して安易に責めていいことではないが、それでも「中間貯蔵施設」というのは要するに、原発立地に放射能で汚染されたものを文字通り「押し付ける」ことなのだ。

そこは忘れてはならないし、そこを忘れてしまっては、この原発事故が福島県の全体に作り出してしまった亀裂が、回復不能なまでに大きくなる。

原発事故というのは、「誰某が悪い」と言ったところで始まらない、ほとんどなんの解決にもならない。むしろ誰かを批判することで自らの安全圏を確保し、同じ主張の仲間を増やした気分になることは、問題をより大きくし、直接の被害者の置かれた状況をより残酷なものにすることに、ほとんどの場合つながってしまう。

この私たちの文明と社会が産んだ大変な災厄を前に、「私たち(だけ)は正しい」と言える立場などあり得ない。原発というのはそういう意味でも、人智や人間社会の諸制度を超越してしまっているものなのだ。

この宇宙が存在しているそもそもの根源にあるエネルギーの一端を、人類が「たかが電気」や「たかが戦争」「たかが大量虐殺」のために利用しようとしたのが原子力開発だ。そして戦争や人殺しはともかく、電気のために原子力を使うことは、今の世界では未だに避けられない選択なのかもしれず、他に地球上のすべての人類が少しでも「豊か」に暮らせるのに使えるエネルギー源はないのかも知れない。

なんと56基もあった原発を止めてしまっても、3年近く電力供給を間に合わせられるだけの余力を持っていた経済大国の巨大産業文明立国の日本が、これから膨大なエネルギー源を必要とすることになる発展途上国に「原発は止めるべき」と言ったって、説得力はなかなか持てないだろう。「あんたの国は豊かで権力もあるから。だがうちの国では」と反発されることも、覚悟しなければならないと思う。

実は自分ではずっと中国によるチベットの核開発に反対しているダライ・ラマ14世は、2011年の震災直後の来日時にあえてこの問題を日本人の記者達に投げかけている。 
http://news.nicovideo.jp/watch/nw142265 
さすがは超一流の宗教者だ…。ちゃんと答えられない日本の「フリージャナリズム」は、しょせんその程度のものだった、ということだ。

だがそれでも、その「豊かさ」の結果今福島県で起こっている複雑な矛盾だらけの現実を前にした時、あえて問わなければならないだろう。

人間とその社会の能力を実は遥かに超えていたエネルギー源である原子力に、人類が手を出してしまったことは、本当に正しかったのだろうか?

原発を利用しそれをいわば僻地に押し付けるのは、究極のコロニアリズムである。その人間中心主義の傲慢さで、先進国がこれだけの豊かさを享受して来たことは、全面的に肯定されていいのだろうか?

発展途上国に我々と同じ豊かさを認めないのは、明らかな不公平であり人種差別だ。だがそれをやってしまえば、地球がもたなくなる。

こうした問題を考えること、そしてこの教訓から新しい人類の未来の在り方の指針に到達するには、まずはこの原発災害が引き起こしている複雑さをきちんと把握することから始めるべきだろう。

「誰某が正しい」「誰某が間違っていたからそのせいだ」という図式化のために状況を恣意的に利用するのではなく、まず何が起こって何がどうなってその結果どうなったのか、をきちんと客観性を持ってものごとの全体像を把握すること、恐ろしく複雑で残酷な事態に我々も責任の一端を負っていることから、眼を背けないこと。

もう3年と3ヶ月が経ってしまった。そろそろこの事故の意味を本気で、真剣に、自分達の問題として考え始めなければ、あまりに遅過ぎる。

5/16/2014

三年経ってまたもや「鼻血」騒動の不毛

まずこの際、はっきりさせておいた方がいい。放射線被曝の症状として「鼻血」というのは、ある意味完全な間違いである。

広島・長崎の最初の原爆症、つまり急性放射線障害の症状として実際に現れたのは鼻および歯茎からの大量出血と全身に紫斑が現れたことであり、ほとんどの患者は数日以内に死亡している。

実際に被爆者の身体に起こっていたのは、大量の放射線で血管細胞や造血細胞それ自体が破壊されたことによる大量の内出血であり、鼻粘膜と歯茎が、その出血が体外にもっとも出易い部位だったに過ぎない。

決して「被曝したから鼻血が出た」のではなかった。見た目には「鼻血」もあったが他の症状も同時にあり、そして実際に起こっていたのは、決してただの鼻からの出血ではなかった。

被爆者の証言や、身近なところでは『はだしのゲン』を見ても「鼻血が」だけとはまず書いていない。鼻と歯茎からの出血と体中の紫斑、それに脱毛(これは放射線で毛管細胞が破壊されたことによる)などが同時で起こり、ゲン(作者の中沢啓治氏)のような極めて稀で運がいい例外を除けば、ほとんどが数日中に命を落としている。

私事でいえば、これは医師であった祖父にとって人生最大のトラウマだった。 
熱線によるケロイドなどの外傷がなければ、とても元気に見えた広島市内からの避難者が、突然大量の内出血を始め、毛髪が抜け落ち、なにが起こっているのか祖父にはなにも分からないまま、手のほどこしようもなく、みな数日以内に亡くなってしまった。  
名医との賞賛も欲しいままにし、また自分でも腕に自信があったプライドの高い祖父にとって、手も足も出せないまま患者を死なせてしまったことはあまりに重い記憶であった。 
祖父が開業していたのは、広島と山口の県境の和木町(元々この地の郷士の家系)、山陽本線での最寄り駅は大竹で、広島市内から30Kmほど離れている。この距離を原爆を受けた多くの避難者が、かなりの部分歩いて来た。丸木俊・位里夫妻の原爆絵本『ひろしまのピカ』でも主人公の少女は歩いて宮島口まで辿り着いているが、昔の人は健脚だったことを割引いても、原爆症の症状が出る被曝直後からのタイムラグのあいだは、それだけ元気だったのだ。 
祖父は僕が小学校一年生の時に亡くなっているが、被爆者を診察した体験は何度も話してくれたし、原爆ドームと平和記念資料館にも幼稚園の時に見学させられた。末期がんで入院していたのは広島日赤病院で、病室の窓の向かい側はいわゆる原爆病棟だった。自分の病気のことよりも被爆者と原爆症のことを丁寧に話していたのが祖父だった。 
その祖父が1950年代には原爆ドームの保存に反対だった、「あんなもの壊してしまえ」と言っていたと知ったのは、亡くなって何十年も経ってからだ。

福島第一原発事故では即、被曝=鼻血という誤ったステレオタイプが無節操に流布し、「鼻血が出た」という“証言”らしきものが、匿名で、事実確認なぞまったくないまま飛び交った。当然ながら急性放射線障害による死亡例は一切ないまま、いったんは収まったかと思えば(かつての)人気漫画(でありこれまでも何度も問題を起こして来た)『美味しんぼ』で、三年目にしてまた騒動になっている。

福島県内で鼻血が多発しているという事実もなく、むろん福一で事故収束に懸命に当っている現場の労働者にも、特段そんな症状が現れているという話も聞かない。

被曝=鼻血というステレオタイプ自体が実は誤りなのだから当たり前の話だし、福島県民や原発事故による避難者にしてみれば「またか」とうんざりするだけだ。



福島の皆さんの「もううんざり」にはとても及ばないにせよ、僕らだって現実に被害はある。 
原発事故後の浜通りについて真面目な映画を作るよりも、「鼻血が」とか「甲状腺の膿胞が」とか、科学的根拠の薄いセンセーショナリズムに走り、「政府が噓をついている」という安直なプロパガンダに徹することを、国内外の出資するプロデューサーに要求されてしまうのだ。 
映画作家の最低限の良識として「そんなことは出来ない」と言えば、それで企画が成立しなくなってしまうのが、我々の現実である。

抗議の声があがるのは当たり前なのだが、政府関係者や閣僚が鬼の首でもとったように批判を連発するに至っては、逆効果にしかなっていない。

なにしろ通り一遍の「風評被害だ」と「福島県民が」の感情論しかないのである。そうすると『美味しんぼ』が福島県内の農業の取り組みなども取り上げているから「作者も福島県のことをちゃんと思っている」という類いの、これまた幼稚な感情論で反論にもなってない抗弁が持ち上がり、「政府が都合の悪いことを隠そうとしているのだから『美味しんぼ』は擁護すべきだという、これまたひどく子どもじみた二項対立の善悪二元論に終始する。


もう「フクシマの人たちを思っています」を自己正当化のへ理屈に利用するのはいい加減禁止した方がいい気もして来る。これは在日コリアンいわゆる同和など、被差別者をいわばダシにした自称「良心派」の偽善すべてに敷衍できる話でもある。

はっきり言って『美味しんぼ』は批判されるべきである(そしてこの漫画のこうした問題が決して今に始まった話ではないことも検証すべきだ。もっと直接的な被害を受けた農業者や食品関係者も多い)。


単に勉強不足のリサーチ怠慢、差別的な先入観の偏見に囚われたまったくの間違いなのだから、「間違いだから問題」「とるに足らない幼稚な虚構」とはっきり言えば済むことだし、この原作者の(以前からしょっちゅうある)拙速な偏見だらけの権威の偽装による決め付けにふんぞり返る拙劣さをあげつらう余勢で「政府に都合の悪いこと」の隠蔽に利用しようとしたところで、そんなことは通用しないどころか逆効果であることくらい、安倍内閣の閣僚たちは気づくべきだ…

…ってそれは無理なんだろうな、首相以下驚くほど世間知らずで実務能力のない人たちだから…

また安倍晋三首相や政府を批判する側も、幼稚な二項対立に囚われて『美味しんぼ』を「言論の自由」などと言って擁護すべきではない。

そもそも公表された作品が批判されることは言論の自由の範疇であるのだから論理倒錯も甚だしいし、少なくとも左派リベラルを自称するのであれば、デマや偏見の決め付けが昔から多かっただけでなく、人物設定からして笑っちゃうほどの保守父権主義の男権的/女性蔑視的な権威主義まみれのこの漫画を、今さら擁護するのも馬鹿馬鹿しいではないか(ちなみにこの漫画が本当に人気漫画だった20年以上前には、多くのフェミニズム論者がこの呆れるほど時代錯誤の甘ったれたマチズモの説話構造を厳しく批判していた)。

だがこの三年経って何を今さらな「鼻血」騒動の最大の問題は、雁屋哲なるいい加減な権威主義者の幼稚な思い込みと不勉強な差別偏見に基づくデタラメな表現それ自体ではないだろう。

いかに20年、30年前の人気漫画で映画化まで(三國連太郎と佐藤浩市父子が、父と息子役で初共演したことも話題になった)されようが、今さら時代錯誤のマンネリズムで「まだやってたの?」という、日本の漫画界が新しい創造に関して恐ろしく脆弱になっている現実が「困ったもんだ」であるものの、本来なら今さらとるに足らない、無視していいはずの代物だ。

それがここまで話題になってしまっている、日本の世論構成自体がそこまで幼稚化していることこそが、問題なのだ。

もっとはっきり言えば、現実に原発事故が直面している問題や、原発事故の直接の被災者の現実が無視され、たとえば仮設住宅暮らしが4年も5年も続くことがいつのまにか決まり、将来に関する目処がほとんど立ってすらいないことはメディアで話題にすらならないのに、こんな下らない漫画のこととなると全国紙の記者や東京のテレビ局がわざわざ福島県に取材に行く。

今さら福島第一原発事故についての関心なんてほとんど失っていた人たちが、こんな時だけ「フクシマの人たちが」と言い出す、そのご都合主義で絶望的に東京中心主義の、他者も当事者も見えていない無責任っぷりこそが問題なのだ。

福島県と原発事故が全国的に話題になるのなら、もっと話題にすべき重要な、当事者の生活に直接関わることがいくらでもあるはずだ。

またこれが雁屋哲なるいい加減な権威主義者の、表現者としての最大の問題でもある。もっとも安直に俗受けすることで「福島の真実」などと称し売名だか掲載誌の部数を伸ばすことを狙うなどとは、さすがに無責任に過ぎる。

「福島は安全」とみなすか「フクシマは危険」とみなすか以前に、放射能による被害の危険性に警鐘を鳴らしたいのなら、真面目に取材さえしていればよほど重要な「福島の真実」は幾らでも掘り出せたはずだ。



今年一月に、フランスのアングーレム漫画フェスティバルの主催者側企画展示で、韓国の従軍慰安婦をテーマにした作品群が展示されたことに対して、一部の日本人が勝手に「日本ブース」を立ち上げ『慰安婦の真実』なる展示を始め、問題になったことがある。 
これがその「日本側の主張」の展示だそうで、主張の中身以前に漫画作成ソフトにいい加減に自分達に都合良く恣意的に引用した他人の発言を切り貼りしただけのやり口が、そもそも漫画を馬鹿にしている、と当然ながら批判を浴びたわけだが、曲がりなりにもプロであるはずの雁屋哲なる人物が「福島の真実」と称しているものは、この「慰安婦の真実」と称する素人細工とまるで同レベルだ。
唯一の違いは、市販アプリケーションに付随のキャラではなく、かつて自分が創造したキャラを使っただけ、あとはおよそ「漫画表現」と呼ぶに値しない杜撰なつまみ食いの切り貼りでしかない。


放射線被曝による健康影響でも、ただの誤解の差別的なステレオタイプに過ぎない「鼻血」などとは異なった、現実に起こりうる健康リスクをこそ、ちゃんと話題にすべきなのだ。

またこのもっとも安直に俗受けすることに体もなく乗ってしまう世論もまた、これでは手塚治虫以来、漫画が日本では文化としてそれなりの地位を築き芸術表現としても認められるようになって来たはずが、「なんだしょせん漫画の読み過ぎで一億総白痴化しただけではないか」と言われても文句は言えまい。

こんな幼稚化した世論の騒動は、現実にある問題や十全に想定すべき今後の問題からの逃避にしか、実はなっていない。

東電の賠償責任をどこまでに設定すべきかの議論すらなおざりにただ「鼻血が」では、「『美味しんぼ』を批判することで東電を擁護するのか」的な言いがかりも、実はまったく成立していない。

…というのも、福一事故レベルの放射性物質の環境内への放出でもっとも危惧される甲状腺がんをめぐる問題すら、かなり複雑な医学的な知見を要する議論になるせいもあるのだろうが、「鼻血が」というそもそも実は単なる間違いであることの話題性に隠されたまま、まるで論じられてすらいないではないか。

甲状腺がんは見つけにくいがんであり、成長も遅い。仮に一部の細胞ががん化しても、そのまま免疫で排除されがんにはならない場合が多い、とも言われている。いずれにせよ放射性ヨウ素が甲状腺に取り込まれたことによるがんを発見し確定するには、4年から5年待たなければならない、と言うのが医学的な定説であり、福島県ではその4年後を目標に十全な検査体制を整え早期発見の準備を進めている。

…ということすら全国規模で話題にはまるでならず「鼻血が」なのだから、そりゃ福島県民はウンザリすると思いますよ…

そしてこれから約1年後、可能な限り万全の検査体制が整えられれば、福島県内では確実に甲状腺がんの発生が見つかるだろう。

いや決して「原発事故で必ずがんが起こる」と断言しているのではないので誤解なきよう。統計的には人口に対する一定の比率でこのがんは見つかっているわけで、その比率よりも高い割合であれば「原発事故が原因」と特定出来るだろうが、ほぼ同じかより低い割合であっても、甲状腺がんの患者それ自体は多かれ少なかれ見つかるはずなのだ。

『美味しんぼ』のような騒動は、このような現実の問題を隠蔽し議論を先延ばしにする効果しか持っていない。そのことこそが現実社会における最大の問題だ。

4年後、5年後に福島県で(ほぼ確実に)見つかるであろう、2011年3月4月前後に始まったとみなされる甲状腺がんの数が、一般の平均値とほぼ同じかより少なければ、統計的・疫学的には「原発事故由来のがんの存在は認められない」という結論が出されるだろうし、それ自体は間違っていないし、福島県民にとっては一安心できる材料になるだろう。

だが一方で、実際にそのがんが見つかった患者さんやその親御さんは、それで納得出来るかと言えばそんなはずはないし、納得しないことを「非科学的」と断ずる根拠もない。統計データだけでは個別例で「原発由来ではない」と証明されたことにはならないのだから、個々の発症例はやはり原発事故による放射性ヨウ素が原因かも知れないのだ。

その時こそ、東電の健康被害に対する賠償責任はどうなるのかについて、大変な議論が巻き起こるはずだし、今から議論の下地づくりくらいはしておくべきなのだ。

賠償額を少しでも減らしたい東電は、発生率が低ければその統計データを盾に詭弁を交えて「原発事故由来であると確定は出来ない」を「原発事故由来ではない」にスリ替えるだろうし、現状の自民党政権が(安倍であっても次の内閣でも)継続するのが確実なので、政府もその東電と同じ主張を繰り返すだろう。

それでいいのだろうか?

少なくともそこで甲状腺がんが見つかった患者さんやその親御さんは納得すまいし出来ないだろう。納得しないまま泣き寝入りを強要されることも目に見えているが、それは恐ろしく非人道的な話であるし、実は決して科学的な態度でもない。

目に見えて甲状腺がんの発見率が来年の今頃あたりに増加していれば東電の賠償責任は明確になるはずだが、それでも個別のケースについて逆に東電側が争うことは決して不可能ではない。個別発症について「原発由来だとは断言できない」ことは、裏を返せば「他の原因であるとは断言出来ない」も意味するし、これをひっくり返した詭弁で裁判を争うことは充分に可能なのだ。

「なるほど、全体的に原発事故によって甲状腺がんが発生したことは確かかも知れないが、あなたの場合がそうだとは断言できない以上、当方の賠償責任は証明出来ないでしょう」という話にだって、なりかねないのだ。

これがあと1年以内には、福島県で現実になる。だからそれまでに、東電の賠償責任や政府の責任についての社会的なコンセンサスを作っておかなければならないはずだ。

たとえば僕自身の考えでは、原因の特定・確定が出来ない以上、4年後5年後に福島県など放射線値が2011年3月4月の段階で高かった地域(つまり半減期8日の放射性ヨウ素がその線源とみなされる場所)での甲状腺がんの発生は、一律東電が健康被害の賠償責任を負うべきだとするのが、人道的・倫理的にもっとも正しいと思う。

この僕の考えが正しいかどうかは議論を要するとしても、こうしたことをきちんとルール化しておかなければ、いざ甲状腺がんが(どれだけの数にせよ)見つかり始める時に、混乱は避けられず、ただでさえがんが見つかってショックを受けた人たちを、さらに苦しめることにしかならないではないか。

「鼻血が」などと(そもそも関係性の薄いことで)騒いでいる場合ではないと心底思う。

なお「実際に鼻血が出たと言っている人がいるじゃないか」という何を今さらな話については、病気についてプライバシーは尊重されるべきにせよ、まず医学者がしかるべき発生データをまとめて、鼻血を訴えている人が主にどのような社会的な立場にある人なのかをきちんと示して欲しい。 
それだけで充分に社会学の興味深いデータになる。同調圧力がこと日本人の社会においてどのように個々人に作用するのかの研究対象としては、もって来いの話ではないか。 
言うまでもなく、実際に鼻血が出た人だっているだろう。 
なお個人的にはなぜ「歯茎からの出血」を訴える人が皆無なのかが謎ではある。歯槽膿漏の潜在罹患率は日本ではかなりの数になるのだし出血は多いはず…と言ってよく考えてみれば「被曝=鼻血」という誤ったステレオタイプを信じ込むわりには、鼻だけでなく歯茎からの出血があったことを、雁屋哲氏であるとか知りもしないのだ。
別に原発事故の有無に関わらず、鼻血なんて日常茶飯事で出ることであり、こと子どもの場合は心因性だとほぼ分かっていても、わざわざ原因の特定なんてしないのが当たり前だ(たとえば興奮状態で鼻血が出るなんて、こと子どもではよくある)。 
ただそれを「放射線が原因」とみなす理由なんてなにもないし(原爆症の症状が「鼻血」という思い込み自体が間違いなのだし)、実際に増えてもいないのならそれで話は終わる(で、ごく一部・特定の立場の、それもほとんどが匿名の人たちを除けば、「増えた」という信頼できる証言すらまずない)。 
いやさらに突っ込んだ研究をしたら、もっと興味深い結果だって出る可能性がある。ただしそれは放射線医学等とはほとんどなんの関係もない、心理学と精神医学の研究対象としては、である。 
もっとも、かなり教科書的な結論にはなる気はする。つまり「自己暗示」の効果のテストケースの検証に適した話、いわゆるプラセボ(偽薬)効果のバリエーションとして研究する価値はあるかも知れない、ということだ。

3/13/2014

3.11、あれから3年


10日まで新作『ほんの少しだけでも愛を』の編集でタイのバンコクに居たのだが、帰って来た翌日にはやはり三周年ということで、去年、一昨年に引き続き、いわき市の泉駅からほど近い富岡町の仮設住宅の慰霊祭にお参りさせてもらって来た。


あれからもう3年、という言葉の意味合いは被災者と、東京から顔を出す程度の我々とではもちろん、今では普通のいわき市民にとってすら、大きく異なって来ている。

東京はけっきょく、当日に電車が止まって帰宅するにも困ったのと、その後1、2週間は電力の問題で交通網がなかなか回復しなかった程度のこと。反原発デモも一時はブームになったが、過ぎてみれば何も変わらず、震災前の生活が戻り、これだけ恵まれている大都市のはずなのに、なぜか我々はちっとも幸福を感じていない

当初は「兵糧攻め」とまで言われ物資の流通もおぼつかなかたいわき市も、今ではむしろ “復興特需” で栄えている面さえある。なにしろ福島第一原発それ自体も含め、20km圏内の復旧工事や除染など、ほとんどのベースはいわき市だ。宿がとりにくいのはこの3年間ずっとだし、全国から集まった作業の人たちで不動産の値段も上がり、飲食店などのサービス業や小売りも順調だ。

だが仮設や借り上げ住宅で暮し続ける人たちは、まったく違う。


手狭で不便な仮設になかなか慣れない、非日常が日常になったままに、最初から急普請の安普請だし昨年の今ごろにはもうガタが来始め、若い世代を中心に、もう諦め、覚悟を決めて自らいわきに家を構える人も少なくない。ぶらぶらしているわけにも行かないから仕事を見つけてしまえば、その勤めはいわき市に住み続けた方が便利ということにもなるし、一方で仮設の次の段階のはずの復興住宅は、建設用地の目処すら立たないのがほとんどだ。


小名浜に復興住宅のモデルハウスができたという。だが「結構だね。で、どこに出来るのこれ?」で話は終わってしまう。

3回目の慰霊祭に仮設住宅の集会所に向かうのは、いささか複雑な気分になる。1年ぶりにお会いする人も多く、こういう機会でもなければなかなか顔も出さないようになってしまったのは、いささか心苦しい(映画の撮影が続編の『…そして、春』も終わっているのだから、どうしてもそうなってしまうのだが)。

いやだがなによりも困るのは、

「仮設住宅って確か、2年と決まってたはずですよね」

三周年の慰霊祭ということは、その2年はもう過ぎてしまった。「でも来年もまだここだよ。慰霊祭が出来るかどうかは分からないけどね。今年で終わりかも知れないね」


若い人がだんだん減って行き、仮設ははっきり言えば、文字通り姥棄て山になりつつある、という人すらいる(1年目に書かれていた佐藤紫華子さんの詩集『原発難民の詩』にはすでに「仮設という姥棄て山」という作品があった)。そして空いた仮設には、埼玉に避難していた双葉町の人たちなど、いわきに居住を希望する他の町の人たちを入れる話もあるらしい。

なにも変わらない3年間のあいだに、徐々にいろんなことが崩れて来ている。それを防げるのはただ、皆さんの意思と精神の強靭さだけだ。双葉郡の人たちは強いし、明るい。でもそれにも限界はある。いや3年も経ってしまえば、もう限界のギリギリかもしれない。


3年も経ってしまうと、当事者にとってさえ慰霊の儀式自体は淡々としたものになる。

この日にも、慰霊祭には顔を出さずに壊れてしまった仮設の一部の修理工事をやっている人たちもいた。

駐車場の一部がネットで区切られ、子どもたちの遊び場に改造されている。そこで元気な声が響くのも、いつも通りなのだろう。


これも被災者の皆さんと “その他の日本” が決定的に違うことなのだろう。三周年の記念日は、当事者にとってひとつの区切りでしかなく、日常になってしまった非日常は続く。だがその他の日本全国では、この日だけが被災者のことを思い出す日になってしまっている。

その被災者が直面する問題として報道される内容が、実は昨年となにも変わっていないことにすら、私たちは平然と無頓着で居られる。

なにも変わっていないこと自体が、恐ろしいことなのに。


総理大臣は現場も見ず声も聞かないまま、口先だけ「復興は進んでいる」と言った。いやこの人の場合、本気でそう思い込んでいる、そして自分の思い込みに反する現実はいっさい視野に入らないか、「反日プロパガンダ」「サヨクのマスコミが」かなにかに見えてしまうらしいのだから、なんとオメデタイというか、始末に負えない。


除染の中間処理施設の建設を急ぎ復興に弾みを、と首相は言うが、除染はいったん線量が下がってもすぐ元に戻る、実際には風雨や日中の時間帯だけでも変動が激しいことは地元の人はもうイヤというほど分かっているし、こと原発の直近地域では、そんなに多量ではないとはいえまだ放射性セシウムは福一の原子炉から放出されている。

すべてが実は「税金の無駄」、「やってます」というためのポーズに過ぎないことは、分かる人間が見れば分かってしまう。「田舎」と決めつけてなめてはいけない、避難させられている人たちこそが皆、ちゃんと「分かる人間」ばかりなのだ。


賠償の問題は帰還困難区域だけはなんとか然るべき補償の目処がやっと立ちつつあるのだが、困るのは居住制限や避難解除準備区域だ。

富岡町の場合、この区分けのやり直しがあってそろそろ1年だが、もっと前に決まっている楢葉町や南相馬の小高の「避難解除準備区域」だって、未だに宿泊すら出来ないまま1年も2年も経っているではないか。

これでは蛇の生殺しに等しい。ところがまだ実際の生活なんてなんの目処もないのに、固定資産税を復活することすら検討されている。

「もう無理だ」と諦めようにも、新しい生活を始めようにも、補償されるかどうかも分からない。いずれは「居住制限」が外れるかもしれない、いつかは「避難が解除になります(いつかは分かりませんが)」では、そんな土地を今さら買う人はいないから、売れもしない。

放射線値が低くても、それだけで生活が成立するわけではない。


このままでは、いずれ避難や居住制限が解除されても、あまりになにもない、「究極の田舎で都会の生活をしろという話」になってしまう。つまりは今政府などで考えている「復興」の構想はファンタジーに過ぎず、どだい無理なのだ。

そしてこうなってしまったのは原発事故のせい、つまり第一義的には東京電力の責任なのに、その当たり前の理屈も通らず、然るべき賠償も生活の補償もすべてが宙ぶらりん、今までの精神的負担に対する賠償分すら「合理的な理由」がなければ返還させられるかも知れない、という。またその「合理的」を判断するのが、賠償する側の東電であり政府なのだ。


こんな理不尽の最中に人を押し込めておいて、なにが「心の復興」だ。被災地の子供をオリンピックに招待するのがその目玉だなんて、人を馬鹿にするのもたいがいにしろ、と言いたくもなる。福島浜通りの人々は慎ましいので、そんな乱暴なことは口には出さないが、そう思っていてもおかしくない。


こんな状況がなにか変わらない限り、「心の復興」なんてあり得ない、安心して生きていくことなんて、できるはずもないではないか。

政府主催の慰霊祭は、安倍政権の体面を保つための見栄の行事として完全にお膳立てされているはずだった、だがそこで今は衆院議長を勤める京都選出の自民党の大古参、伊吹文明氏が唐突に、そんな欺瞞をひっくり返すことを追悼の挨拶として言った。

被災された方々、また福島での原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた方々のお気持ちを思うとき、月並みなお見舞いの言葉を申し上げることすら憚られるのが率直な心境です。

今まで政府側でもメディアでも、支援のボランティアの多くさえ、誰もこれを言わなかっただけでも、考えて見たら日本という国と文化の在り方として、恐ろしく変な話である。まさに「月並みな」美辞麗句だけを並べて、実は被災地を放置して来たのが、この3年間の実態だ。

伊吹さんは

震災から3年が経過し、被災地以外では、大震災以前とほぼ変わらぬ日々の暮らしが営まれております。

と続け、被災地と「そこ以外の日本」の落差、実はなんの苦労もしなかった後者が、前者をもはや忘れがちであることに厳しい(自責も含めた)言葉を、あえて続けた。

電力を湯水の如く使い、物質的に快適な生活を当然のように送っていた我々一人一人の責任を、全て福島の被災者の方々に負わせてしまったのではないかという気持ちだけは持ち続けなりません。

この本来なら最初から肝に銘じるべきだった当たり前の気持ち、良心こそが、この3年間「そこ以外の日本」からまったく抜け落ちて来たのではないか?

この事故に懲りて原発政策を見直すべきだ、原発を止めるべきだと主張する人たちですら、この当たり前のことを考えるのを避けて来た。だから双葉郡や飯舘村の故郷を追われた人たちは、この3年間、風評や被曝差別に晒されるか、ほとんど無視されて来たのが本当だ。

だから黙祷の合図とその前の君が代斉唱だけはTVの生中継を頼りにしていた富岡町・泉玉露仮設の慰霊祭でも、黙祷が終わるとすぐにTVは消してしまい、浄土宗のお坊さん(北海道から車で来たという)によるご詠歌の卒塔婆供養に移った。


政治家の挨拶なんて聞いてもしょうがない、腹が立つだけだと、この2年、3年のあいだにみんな痛いほど分かっている。それだけに伊吹さんの、本来の「保守」ならではの言葉は貴重ではあったが、もう少し早く言って欲しかったと思わずにはいられない。

思えば、私たちの祖先は、自然の恵みである太陽と水のおかげで作物を育て、命をつないできました。 
それゆえ、自分たちではどうすることもできない自然への畏敬と、感謝という、謙虚さが受け継がれてきたのが日本人の心根、文化の根底にあったはずです。  
科学技術の進歩により、私たちの暮らしは確かに豊かになりましたが、他方で、人間が自然を支配できるという驕りが生じたのではないでしょうか。そのことが、核兵器による悲劇を生み、福島の原発事故を生んだのだと思います。 

伊吹文明衆院議長の「追悼の辞」全文はこちら http://blogos.com/article/82142/

今さら言われなくても、これがいちばんよく分かっているのが、元は農家であり漁民であった浜通りの、今原発事故に直面している人たちだ。

そしてそれは、この日本という豊かな国土が育んで来た、日本人本来の伝統の知恵だったはずだ。


だが現代の日本の権力中枢では、「田舎の百姓」の言うことなど、一切相手にしようとしない。そこではなにかとても大切なことが見失われている。

唐突に本来の「保守」の言葉を発した伊吹さんであるとか以外には、「保守」がこの国から消えてしまっている。

日本の中枢にいるのは自分たちでは「優秀なエリート」だと思っている人たちや、世界でもっとも豊かな国のひとつなのになぜか中国や韓国が脅威であるらしく、自分達の生活や利益よりもそうした隣国相手の下らないプライドごっこで「日本は一番だ」と言いたがる輩、どちらも恐ろしく幼稚で妙に子供っぽい者たちばかりが、政治や社会や経済を動かしている。

南蛮貿易で日本を訪れたルイス・フロイスら宣教師たちは、日本の教育水準の高さに賞賛を惜しまなかった。 
幕末の開国で日本に来たヨーロッパ人たちも、一般庶民レベルでほとんどが読み書きが出来るだけでなく、礼儀正しくおおらかで洗練された、人懐っこく親切な日本人の教養レベルに愕然とした。 
戦後まもなく「軍国主義に走ったのは教育水準が低いからに違いない」と信じ込んで日本に来たGHQも、まったく予想が外れていたことに驚愕した。 
日本は昔から、普通の人たちが他のどの国とも比較にならないくらい教養があり、文化的で、一般民衆のレベルが極度に高い国だった。 
それを支えたのはまさに伊吹さんが指摘した、日本人本来の謙虚と自然への畏怖、人間の驕りを厳しく律して来た文化伝統のはずだ。

だが近代化から140年、日本人はタガが外れた、傲慢で身勝手な人間中心主義、自己中心主義の国になってしまったことが、この震災の、「そこ以外の日本」の振る舞いで明らかになってしまったことなのかも知れない。

僕たちの映画(もう3年前の春の記録である)『無人地帯』の最後のナレーションは、あえてこう締めくくった。


“すべてが神”ではなく あらゆる物がそれぞれに神 
災害も 破壊ですら 神々のなせる業であり 
“すべてが神々” 
人間にとって幸となるのも不幸となるのも 
神々の力の結果を人がどう受け取るかの
深い謎であり続ける 
農民と漁師には分かっている 
この世界の謎めいた力と共に生きて 
同じ自然現象の恵みを受け 時に苦しめられて来た 
日本は侍の国ではない 
農民の国だった 
だが今は違う 
近代日本は西洋文明を崇拝し 
世界は私たち人間のために存在すると信じた 
そして原子力を選び 今は扱いきれていない 
もはや農民の国ではない 
ここを除いて… 
この人たちを残して…



富岡町の皆さんの慰霊祭は淡々と終わり、しばらくいろいろな人に挨拶したり話して、夜は知り合いの歯医者の先生(奥さんの実家が浪江)に連れられて、浪江の人がやっているいわき駅前の小料理屋「スプーン」で浪江の銘酒 “磐城壽” を飲みながらいろいろ魚を食べ、いわきの事情や、浪江のこと、今は山形県でこの酒を作り続けている鈴木酒造店の大輔さんのこと、今も福一で働くご主人夫妻の息子さんのことなどで、話に華が咲いた。


というか “磐城壽” はうますぎる酒なので飲み過ぎてしまい、いわきに一泊して、翌日にもう少し3年が経った今の様子を見て来ることに。


日本の現代の地方のご多分に漏れず、浜通りも自動車がないとなかなか不便なところだ。だがちょっと自分の健康状態からして車の運転は控えた方がよく、常磐線の各駅停車で行けるだけ行ける行きつく先、そこから先は運行が止まっている広野まで行って来た。


広野は20Km圏内から外れるかどうかの場所だ。だが30Km圏には完全に入ってしまうので、震災の直後にはこの町も避難した。

幸い3月15日の巨大放射能漏れの際にはほとんどこの方向には風は吹かず、線量も高くない。町の避難は解除され、帰還の方針はとっくに決まっているはずが、実際にはなかなか帰れない人、今さら帰らない人も多い。


立派な家でも、閉め切ったままのところが、駅の周辺でもやたら目につく。


昼時についたのに、飲食店のほとんどが「準備中」の札を出したままだ。


閉店したスーパーや閉じた診療所には、ゼネコンや電機メーカーの現地事務所や作業員の基地が入っている。車は多少は行き交うが、ほとんどが業者の車か、町役場関連だ。

常磐線はいわきを過ぎると途端に不便になり、そして今はこの広野から先は運行を停止している。




それに広野には東京電力の大きな火力発電所があるが、それ以外はとくに、今後生かせる産業や雇用もなにもない。

九割が兼業農家の町だったが、今さら農業ではなかなか、安全な作物が収穫出来ても、買う人がいない。


そして東京の電気を作り続ける火力発電所だけが、モクモクと煙を上げているのが、町の中心街や、海岸の津波被災地域のどこからでも目に入る。



常磐線から海側のかなりの部分が、津波被災地域だ。かつては家があったり、農地だったところは、雑草だけが生え、茫漠たる空き地として、ただひたすら広がっている。


ここの河口の堤防や橋は、3年前の4月に『無人地帯』の撮影に来た時には、もう復旧作業が始まっていたはずだ。2012年に『…そして、春』の撮影に寄ったときも、工事は行われていた。


だが今は工事の作業員や車もまばらで、壊れたものは壊れたままだった。



真言宗のお寺の修行院は、ご住職一家は今もいわきで避難生活を続けながらお寺に通う日々だと言う。

住職の復興ブログ http://hironoshugyoin.blog.fc2.com/


地震で本堂は無事でも庫裏は大きな損害を受けたそうだが、墓石が倒れた墓地も含めて、今ではきれいに復旧されている。


帰って来ている人たちが、お墓参りと掃除をしていた。


このお寺には、戊辰戦争の広野の戦いで戦死したいわば敵方、長州藩の兵士も手厚く葬られている。その墓石は地震でかなり痛んでしまったそうだが、今はきれいに元通りにされている。

その墓地の裏では、作業員の宿舎なのだろうか、新築工事が進んでいた。


これは復興住宅なのだろうか。家も新築されている。


道路工事もあちこちで行われている。とはいえ前に来たときもこんな感じのままだったような気もするが…。


ただ工事の現場だけは、多い。

それにまだ、除染事業もある。

福一の作業に当る人も、この町に泊まる人も少なくない。


その人たちが泊まる設備が、こうやってどんどん建てられもする。

だがこうやってよそから一時的だけこの町に来る作業の人たちが増えても、地元の生活が復旧・復興するわけではない


この町をぐるぐると歩いていて、漠然とした不安に胸が押しつぶされそうになった。


このままなにも変わらないのではないか?

この町の本当の悲劇は3年前に起こったような突然の変化としてでなく、このまま緩慢と、少しずつ、この町は消えて行ってしまう、死んでしまうことなのではないか。

それでも、ここで生活する人たちを見捨てることで、“ここ以外の日本” にとっては最初からここにはなにもなかったかのように、ただ忘れて行くことが許されてしまう。


そして町の人たちは、あるいはここを離れ、あるいは老いて、いずれはいなくなるだろう。



そういう緩慢な変化を食い止めることほど、難しいことはない。「時代の流れ」のひとことで済ませば、誰も関心すら持ってくれない。


中学校の校庭に、少しだけだが、子どもたちがいた。


帰りに、いわき市の久之浜で途中下車してみた。


久之浜の海岸部は、3月11日の津波のあと大火災が発生し、こないだまでは無惨な焼け跡がまるで古代の遺跡のように姿を晒していた。


その被災した家の土台などもあらかた撤去され、盛り土も進み、ほとんどが更地になっていた。


震災の時には稲荷神社だけが、まるで奇跡のように、津波にも耐え火災も逃れた。今では唯一残ったそのお社だけが、ぽつんと立っている。

それ以外は、本当になにもなくなってしまった。


壊れた堤防のそばを、近所のおばあさんが散歩していた。毎日、つい海まで歩いて来てしまうと言う。家は奇跡的に津波被害から外れていて、ずっと住んでいるという。


「寂しくなったよね。もう誰も戻って来ないらしいよ。だからこうやって工事しても、その後はずっとこのまんまだと思うよ」

「ここはいい所だったんだけどねえ。子どもたちも最初は山の方にいたんだけど、やっぱり海のそばがいい、と言って越して来たんだけどね」


だが今では、本当になんにもなくなってしまった。瓦礫どころか家々の、生活がそこにあった痕跡すら消え、殺風景な盛り土の更地には、かつての廃墟とはまた違った寂寥感が漂う。

確かにこの、一応すべて撤去して更地になる段階に到達したところで、工事は事実上中断しているように見える。


ひたすらなにもない、なにも見えない。

過去は消え、未来を指し示すなにかも、ここにはまだない。それは今後も、永久にここに現れないのではないか、という不安が頭をよぎる。


おばあさんの言うように、ずっとこのままで終わってしまうのではないか?そして誰の目にも留らなくなるのではないか?


三年が経ち、被災地は「このまま何も変わらない」段階に入ってしまったように見える。そしてこのまま、忘れられて行くのだろうか?

駅前には、どうも市の復興ビジョンはこういうものであるらしいと示す華やかな看板が立っている。

だが絵に描けばきれいに見えるとしても、ここに示される久之浜の未来は、ものすごく薄っぺらで、空虚で、ゾッとするほどに寂しい。