最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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7/07/2016

バングラデシュの「外国人」人質立てこもりテロ事件はなぜ起きたのか


「なぜ日本人が襲われたのだ?」と憤りに震えて問うのは、容易い。だがその問いに答えるのはもっと簡単だ。

外国人と、ごくごく一部のもの凄い金持ちのバングラデシュ人しかいないダッカ市内最高級住宅地の、自国では普通の収入でもバングラデシュ人の圧倒多数と較べれば「もの凄い金持ち」になってしまう外国人が相手の、先進国なら普通やや高めの値段でも、バングラデシュ人にとってはべらぼうに高いレストランだ。


そのバングラデシュは近年経済成長が目覚ましいとされるが、裏を返せば貧しいから安価な労働力を狙って外資が入り込んで来ているからこその成長でもある。

なのにこのレストランでテロ事件に遭うことを「Why?」と問うのは、あえて冷酷な現実を言ってしまえば、むしろ「Why not?」じゃないか、と気づかない方がおかしい。

現代の日本人が全般的にもの凄く苦手なのは、多様な視点を持つこと、異なった立場から多角的に物事を考えることだ。 
多様性の尊重などは本来の意味を失ない、他者に「多様性を認めろ」と迫る、つまりは他者の立場や価値観を無視して自分の感情や見方が認めて欲しいという以上の意味を持ち得なくなっているのが、今の日本の根深い病理だとも言える。 
「みんなの意見」を聞くことは、「みんな」が自分と一緒であることを再確認する作業に過ぎず、こと相手が日本に対するバングラデシュがそうであるように、より弱い立場である時には無神経なまでの傲慢さで「自分」と一緒である「みんなの意見」を強引に当てはめるか、無自覚に賛同しろと押し付けてしまう。 
自分のたかが半径5m程度の「みんな」以上の客観性は持てない、その周囲の顔色や、そこから嫌われるかどうかの恐怖が、善悪の判断基準にすらなってしまう国で、国際的なテロリズムの潮流にどう向き合えるのか、あまりに心もとない。

7人の日本人が犠牲になったことを「バングラデシュに尽くそうとした志半ばで」と形容するメディアの姿勢には、被害者に安易に集団同化することで日本人全般の自己正当化を担保しようとする自己満足の欲望があまりに露骨だ。裏返せば自分たちが憎悪の暴力を向けられてもやむを得ない立場になってしまっている現実を、どうしても認めたくないだけなのかも知れない。

犠牲者・被害者となると途端にそこに同化することが「絶対正義」になり、「志半ばで」亡くなった「発展途上国に尽くす誠実な人たち」への同情を強いるように、その被害者がFacebookなどに、(はっきり言えば、誰に見られても当たり障りのないきれいごととして)書いていたであろうことや、知り合いの証言ばかりがメディアにあふれている。

そんな被害者の「志半ば」を讃えることが、しかも無節操かつほとんど自動的に「日本は最大の援助国だからバングラデシュは親日でなければならない」という集団性の自己満足に横滑りしてしまっている。「善意の被害者」への自己同化による自己正当化の裏では、自分たちはこの事件が起こるまでバングラデシュなんてどこにあるのかすら知らなかった、なんの関心もなかったことはきれいに忘れ去られているし、ついこないだまで自分たちが日本政府の発展途上国への援助を「日本人の税金なのに外国に使うのは許せない」とか批判したつもりになっていたことなど、一顧だにされない。

念のため確認しておくと、今回犠牲になった7人はいずれもJICAの事業の下請けとして現地に行っていた民間人で、こんな事件さえなければ「日本人の税金を外国で使っている」として無理解にさらされ怨嗟の的にされ、その「志」が右派勢力に揶揄されて来た人たちでもある。

日本政府の対応はさらにひどい。テロ事件を国内の参議院選挙向けのパフォーマンスに利用する、それに役立つテレビの画を撮らせることくらいしか、考えていない。

まず日本人が人質になった立てこもり事件が起こっている最中だというのに、首相も官房長官も参院選の遊説を最優先し、突入作戦が始まる連絡がバングラデシュ政府から入ったとき、官邸ではどちらもが留守だった。危機感や政府としての責任感がえらく欠如した話だが、それ以上に人質が殺されたと分かった後の動きがひどい。どうせなら人質事件が進行中ならまだ分かるが、後になって国家安全保障会議の閣僚会合を開いたところで、いったいなにを決めるのか? ところがここで決めたことと言ったら、普通ならわざわざ官邸が指示するまでもない当然の手続きとして、外務省が速やかかつ粛々と航空便を手配して遺族を現地に向かわせ、現地大使館に万全のケアを指示し、メディアにあまり注目されないようにするのが当然の手続きなのを、これ見よがしな大げささでわざわざ政府専用機を仕立て「被害者に寄り添う」パフォーマンスに熱中し、しかも事務方の仕事なのに外務副大臣にわざわざ遺族を先導させることになった。

昨年のイスラム国人質事件ならば、まだ現地で人質解放交渉の指揮を執らせる副大臣の派遣は分からないではない(もっとも、当時の中山副大臣は身代金交渉の絶対守秘すらロクに維持できず、日々大使館前で記者に囲まれてぶら下がり会見をやるのが主な任務で国内向けアピールで情報垂れ流しという、どうしようもない無能っぷりを晒しただけだった)。だが今回は副大臣を派遣する時点ですでに終わった事件であり、捜査はバングラデシュ政府の管轄だ。遺族への遺体の引き渡しをサポートしてバングラデシュ政府の説明を聞くだけの仕事に政治家が立ち会う必要もないし、そもそも外交プロトコルが不得手な政治家がやる仕事でもない。

だがなによりも酷かったのは、その外務副大臣との会談を、わざわざバングラデシュ首相にゴリ押ししたことだ。

たとえ最大の援助国で裏では日本の言いなりにならざるを得なくとも、バングラデシュは建前だけでも対等な独立国であり、外務大臣や全権大使ならともかく、たかが外務副大臣では外交プロトコル上あまりにも釣り合いがとれない。それでも日本がバングラデシュにとって最大の援助国で最大の投資国のひとつで、この事件を機に日本人や日本企業に引き上げられては困るバングラデシュ政府の足下を見た、あさましくも傲慢なやり方がひどい。

しかもその会談の目的といえば、日本国内で「政権はこんなに頑張っている」と報道させるためのパフォーマンス以上の意味はなく、しかも木原誠司副大臣はその会談で、わざわざ日本がバングラデシュにとって最大の援助国であることを念押ししたという。

あまりにもあさましい傲慢さだ。しかもなんの意味もない。

突入作戦の前なら、人命がかかっていることでもあり、非常時に治安維持と「敵」の掃討を最優先しがちな国軍の行動を抑制させる圧力をかけるのは分からないでもない(ただしあくまで極秘裏にやらねばならない)。だが安倍首相はバングラデシュ首相との電話会談で、就任直後のアルジェリアでの人質事件のときと同様にむしろ「テロと断固戦う」を主張することで、人質の犠牲を厭わない突入作戦にお墨付きを与えていた。その突入作戦による掃討鎮圧の事後で、すでに被害者の死亡も確認されている時にこんな態度に出るのは、ただ援助国が宗主国気取りで無理難題を押し付けて威張り散らしているだけだ。

政府専用機を飛ばすだけでも、相手国の弱みに付け込んで特別扱いを要求する圧力に見えかねないのだ。日本政府がこんな態度を続けてしまっていては、外国で日本人が憎悪と怨嗟に晒されるのは「Why not?」になってしまうのは時間の問題だ。

日本人が7人も犠牲になったのは我が国にとって痛ましい事態であるし、その犠牲者たち個々人の善意を疑うわけではないが、JICAの協力事業は別にただの人道援助ではない。援助計画で立案されたインフラの整備事業の受注を日本企業が独占する利権や、さらには日本企業の進出条件を有利にするなど、見返りも含めてやっていることだ。少なくともその二面性があることを、我々のはなぜこうも都合よく無視してしまいがちで、我々の政府の傲慢な振る舞いに無批判なままになれるのだろう?

「日本が最大の援助国」ということは、バングラデシュを食い物にして搾取している、いわば外国人支配層(バングラデシュ一般国民から見れば、政府は自分たち国民よりもその外国人の利害を代表している)のなかでも最大勢力であることも、意味しかねないのだ。

「バングラデシュは親日国」を喧伝するために、その国旗が日の丸に似ていることまでメディアで取り上げられた。確かに日本向けのリップサービスにせよ、そういう説はあるのだが、別に最大の援助国の日本に感謝するのだか、属国気取りではない。人口過多で大きな近代産業がなく、隣には核武装もしていて敵対関係にある大国のインドもあるバングラデシュで、日本の戦後平和主義と、資源もなく狭い国土でも工業国として大成したことに憧れ、日本をお手本にしようとした、という話なのだ。「最大の援助国だ」などという無神経な恩着せがましさの誤解は、いいかげんにするべきだ。

だいたい、亡くなった7人と重傷の1人の、この事件の被害者となった日本人の個々人はまじめで善良な人たちで、バングラデシュの発展に尽くそうともしていたことに間違いはないとしても、それでもあくまで、その個々の人たちの美徳でしかない。

日本政府の仕事はその人々や家族のサポートであって、彼らが援助事業に携わっていたのをいいわけにバングラデシュ相手に恩着せがましく威張ることではない。

それに実際にやったこととその結果の是非をとりあえず置いておき、動機と志だけを見るのならば、氏名や顔写真も含めて公表されて20代前後と分かっている5人の実行犯(ちなみに当局発表で当初7人とされた実行犯のうち1人は人質になっていたレストラン従業員が誤って軍に殺されたと判明し、もう1人は拘束されているが詳細は分からない)もまた、同じように純粋でまじめな若者たちだった。

まず「卑劣なテロは許せない」とは、日本人から見ればそう断言するのは容易いように思えるが、そもそも命がけの(自殺覚悟の)武装闘争は「卑劣」ならできるはずがない自己犠牲だ。

安倍首相が絶叫して糾弾するように「テロリストを忖度」をするまでもなく、バングラデシュ人の立場からその本音の、決して口にはされない深層心理を「忖度」するだけでも、物事はまったく異なって見えてくる。

なるほど、日本の報道陣に応えるバングラデシュ人は「こんなことをするのはイスラム教徒ではない」「許せない」「日本には感謝しているのに」と口々に言っている。

だがそれは「最大の援助国」であり、もっと言えば最大の投資国つまりバングラデシュ経済の生殺与奪権を握る日本の、視聴者や読者を意識して言っていることだ。日本に嫌われて投資や援助(これも実態は投資の一種だ)を打ち切られでもすれば、世界でもっとも人口密度が高くしかも自立した産業を持たないバングラデシュの経済は、餓死にまで追いつめられかねない。

だからこそ外国人の振る舞いがいかに傲慢で無神経で、露骨に人種差別的でさえあっても怒りは口にできない、外国人に不満を言ってはならないのが、ほとんどのバングラデシュ人に刷り込まれた立場だ。

自分たちの政府が自分たち国民ではなく外国人の利害を代弁する組織として機能し、むしろ外国の利害のために自分たち国民を弾圧するのが分かっていても、そんな政府にこそ選挙では投票してしまうし、そうせざるを得ない。バングラデシュの現状はそんな国であり、単に貧困や格差だけでなく、その貧困や格差を生んでいる歴史や現代世界の構造が、この事件の背景動機としてある。

今回の実行犯の、主犯とみなされる5人の若者のうち3人は裕福な出身で、与党幹部の御曹司や、外資系通信会社幹部の息子もいたのだが、そうなると途端に「貧困が動機ではない」と安易な結論に飛びつくメディアが多いのはなぜなのだろう? まるで日本と較べるとバングラデシュがとんでもなく貧しい国であるという不公平に、なるべく触れまいとしているかのようだ。

イスラム国系の通信社が発表した実行犯5人

そんな報道番組やワイドショーに招かれたいわゆる専門家が、イスラミズム過激派運動の指導者はエリート層の出身が多いこと(まずオサマ・ビン・ラディンからしてサウジアラビア屈指の大富豪で巨大建設グループ創始者一族の出身)、過激主義に共感して運動に身を投じるのも、むしろ金持ちの子弟や海外で学んだり育った者が最初から多かったことまでは指摘するのだが、残念ながらそれ以上には踏み込まないので、むしろ貧困や格差、人種差別がこうした過激主義にまったく関係ないかのような誤解が広まってしまっている。

だが歴史的な社会構造を見れば、元々が英国植民地時代の恣意的な民族・宗教分断支配の政策に端を発し、その旧宗主国の都合による人心操作にインドの独立運動が抗しきれなかった結果産まれたのが、インドの東西にあるパキスタン、バングラデシュというイスラム教徒の国だ。

ことバングラデシュは狭い国土に今では1億6000万にまでなった膨大な人口が押し込められ、ながらく極度の貧困に苦しみ、貧しいからこその安価な労働力を狙った外資製造業が大きな力を持つ国になっている。そんな国のなかで特権的に裕福な階級に生まれ育った若者たちであれば、お坊ちゃん育ちで純粋でまじめであればあるほど、自分の恵まれた環境がいわば祖国の人たちを裏切り続ける不公正の上に成り立っていて、真の支配者である外国人(かつ異教徒)に寄生することで保証されている現実に、気づいてしまう可能性も高い。

たとえば、実行犯で最年少の18歳の少年はバングラデシュ人の平均収入ではとても授業料が払えないような英語教育のインターナショナル・スクールの中学高校に通っていた。

18歳だったミール・サメー・モバシール容疑者(ISに参加前)
歳上の実行犯にはバングラデシュと較べれば遥かに経済先進国になるマレーシアの大学に留学していた者もいるし、ダッカの大学でも教育のかなりの部分は英語だ。

バングラデシュに進出した日本企業の人たちは、テレビに識者として招かれるとこの国を褒めるつもりで英語ができて優秀な労働者が多い、と語る。そこに他意はないのだろうが、まったく無意識かつ無自覚な無神経さがあることは指摘せざるを得ない。この無邪気な褒め言葉のつもりは、バングラデシュ人から見れば自分の国で自分の言葉を使っていてはまともな仕事が得られない、社会の経済構造からこぼれ落ちて貧困層にとどまってしまう現実も、また意味している。

イスラミズム過激主義はなぜ生まれ、なぜこうも急成長を見せているのか?

たとえばイスラム国の場合なら、そのブレーンに入り込んでいるのは元は非宗教民族主義運動であった旧イラクのバース党の残党だ。つまりサダム・フセイン政権だろう、ならば暴虐な「悪」だろう、と断言するのもまたあさはかで、バース運動はもともと特に英国と戦後はアメリカ(と、その援助を受けたイスラエル)による中近東アラブ人への抑圧支配に対抗する、反植民地主義の革命思想だった。

バース党運動の系譜にあるからこそ、現代でもイスラム国のもっとも中核的な主張のひとつは、イラクをイギリス、シリアをフランスが勢力圏に置き続けるよう第一次大戦中に交わされた密約であるサイクス=ピコ秘密協約の打倒であり(つまりイラクとシリアの統一)、イスラミズム過激主義が急速に成長した背景には、アラブ諸国の政治体制が自国民よりも旧宗主国先進国の利害を代弁するような半植民地政権の独裁ばかりであり続けた現実がある。だからこそアラブの春のような民主化運動が起こり、それが結局は西洋先進諸国の利害から弾圧され潰された結果(たとえば今のエジプトの軍事政権はアメリカの援助を受けている)、さらに熱を帯びた過激主義の波がアラブ=イスラム諸国を中心に吹き荒れている。

同じような半植民地的な政治体制が、グローバリズム経済に急速に取り込まれつつあるバングラデシュや、あるいはマレーシアのような東南アジアのイスラム教国にもある。

つまりテロの背景は宗教的な理由よりも、根本にあるのは政治経済上の世界の構造的な問題だ。

現代の世界の覇権構造が19世紀の植民地主義の延長上にあり、(日本も含めて)旧植民地宗主国が相変わらず「先進国」であり続け、直接政治支配の植民地こそ独立運動で淘汰されたものの、経済的な植民地主義が旧来の格差を利用して支配する側であり続けている結果として、バングラデシュのような国がある。

バングラデシュのような極度な人口集中と貧しさまでは行かずとも、中近東アラブ諸国やアフガニスタンなども同じような中途半端な独立国の歴史を歩み、パレスティナなどは独立も許されないうちから自治政府は腐敗して住民の不信を買っている(ヤセル・アラファトは西洋で人気があったが、パレスティナ人には信用されていなかった)。

そんななかで起こったのが、例えばエジプトの無血革命だったものの、結局は欧米により都合のいい軍事政権が(欧米の意向で)返り咲いてしまった。しかもエジプトの場合、復活した軍事政権の下で一時は激減した主要産業である外国人観光客や、外国が主導する考古学調査は復調もしているのだから、国民にとっても「背に腹は代えられない」とならざるを得ない。

我々が「テロ」と呼び危険視・敵視する動きの根底には、こうした現代世界のあり方そのものへの不満や怒り、いや怒り始める以前に当然の素朴な疑問が出発点にあることは、いかに先進国の側がそのことを無視しようとしても…いや、無視しようとすればするほど、その素朴な疑問がやがて不満や怒りになり、こうした過激主義運動を存続させるエネルギーにもなり続けるだろう。

イスラミズム過激派の暴力に賛成する人は多くないし(そこはたとえばかつてのパレスティナ・ゲリラが集めた支持とはまったく違う)、イスラム法支配でさえ支持者は多くなく、それが暴力的に強制されるなんて冗談じゃないと思っている人が圧倒多数だが、それでも根底にある疑問、不満、そして怒りは、決して特別なものではないし、どんなにイスラム国を嫌う人でも、その支配地域に住む人たちがロシアやアメリカの空爆で焼き殺されることを喜ぶ者もいない。イスラム国やアルカイーダの暴力の犠牲になった外国人を心から悼むからといって、その先進国の「テロとの戦い」を支持するわけでは全くない。

自分たち自身が深刻な貧困層ならば、日々の暮らしにひたすら懸命にならざるを得ないから、直接のテロの温床にはなりにくい。不満や怒りは治安を悪化させ組織犯罪も横行につながるが、反政府的な運動にはあまり至らない。

むしろそうした過酷な貧困がすぐそばにあっても自身は恵まれた環境にあって考える時間もあり、考えるための情報も得られ、しかも自身の生存のためのやむを得ぬ身勝手さに徹する必要がないだけ特権的に裕福な若者の方が、いわば「純粋なお坊ちゃん」であればあるほど、たとえば「貧しい人、発展途上国のために尽くそう」と志を立てることにもなり得るし、同じような動機からたとえば世界を変える革命運動に熱中することにもなり易いのは、イスラム文化圏に限ったことではない。1960年代の欧米や、その前の中南米がそうだった。チェ・ゲバラは裕福な医者の息子だ。

その意味では今回の事件の直接被害者の日本人と直接の実行犯は、同じような純粋な動機で、どこかで道の選択が違ってしまっただけの違いしかないかも知れないのに、その一方を「志半ば」と美化し、一方を「卑劣なテロリストを許さない」と断罪することは、それ自体が差別構造の社会的な共有と、その社会構造に自己同化を強める差別意識の内面化にしかなってないし、そんな自己欺瞞の二重基準(ダブルスタンダード)を言い募ることこそが、発展途上国の側からみれば手のつけようがない、お話にならない傲慢にもなる。それがイスラミズム過激主義と先進国側の「テロとの戦争」に見られるような負の暴力の連鎖を加速することになる。

あるいは、宗教はもちろん無関係ではないが、それはイスラームが特殊な、危険で暴力的な宗教だという意味ではまったくない。

あらゆる普遍宗教、一時のカルトではなく時代を超えて存続するまっとうな宗教なら、必ずなんらかの平等主義、神や仏や世界の真理を前にあらゆる人間には生まれながらの分け隔てがなく、人の価値はその個々人の良心にのみかかっていることを説いている。イスラームもまたまったく、そうしたまっとうな宗教であり、むしろ聖典の文書レベルに明示された哲学と、その実践としての戒律で徹底されている点では、成立した当時としては驚くほど完成度が高い、洗練された宗教でさえある。

ちなみにイスラームの聖典はコーランだけでなく、ユダヤ教の聖書とキリスト教の福音書も含まれる。

またイスラームの教義上の平等主義が徹底しているからこそ、現代の世界の構造の根源的な不公平と衝突することにもなるのだ」

9.11を発端にアメリカを中心に先進国が始めた「テロとの戦争」は、いっこうに勝てそうな気配がないまま、イラク戦争が惨憺たる結果に終わり、アラブの春が先進国のヘゲモニーには不都合だったために結局は潰されてしまった今、どんなにアメリカやロシアがイスラム国支配地域に空爆を続けようが、イスラム国本体の支配地域が狭まった程度の成果しか挙げられず、テロの方は拡大の一途をたどっている。

今回の事件は直接に日本人を狙ったとは考えにくいが、日本人もまた(先進国の、金持ちの)外国人であるだけで狙われることは避けられない。火に油を注ぐように、こと昨年早々に安倍首相が(外務省の警告を無視して)カイロで「イスラム国と敵対する国々に」と演説してしまった結果、日本人を殺すことはイスラム国に限らずイスラミズム過激派の武装闘争にとって喧伝できる大手柄になってしまっていて、今回のダッカの事件でも「バングラデシュのイスラム国」の出した犯行声明ではその安倍のカイロ発言を明らかに念頭においた言及で、日本人を殺したことが「成果」として喧伝されている。

そんななか、「卑劣なテロを許さない」と叫べば国民に「頼もしい」とみなされると思い込んでいるらしい安倍首相は、参院選の遊説で「アメリカや、国際社会と手を携えてテロと戦う」と自慢げに吹聴してしまった。

わざわざ「アメリカ」を挙げたことで、ますますイスラミズム過激主義にとっては日本人を殺すべき敵とみなす口実が補完されることなぞ、この人には想像も及ばないらしく、むしろテロ事件を追い風にはしゃいでいるようにすら見える。

遺族の気持ちを尊重すればなるべく静かに済ますべきところで政府専用機を出して外務副大臣まで派遣する「やってます」アピールのパフォーマンスのもっともグロテスクなオチは、遺体を載せた専用機が羽田についたときだった。


貨物室から取り出された遺体を滑走路わきに並べ、しばらく野ざらしになった棺の前に外務大臣やJICA理事長らが到着する。もったいぶったセレモニーは、海外で戦死した米兵の遺体が本土に送還されたときの儀礼の珍妙な猿真似だった。「発展途上国の発展に尽くした志なかば」の人たちが、いつのまにかバタ臭い「愛国の英雄」扱いになってしまったこの悪趣味は、いったい誰のアイディアだったのだろう?

勘ぐるならば、イスラム圏の国で働いている人やその家族なら、誰もが安倍のカイロでの発言に危機感は抱いていた。それまで日本は援助の実績や戦後の平和主義があり、イスラム圏を侵略支配したことが第二次大戦中のインドネシア支配以外にはほとんどなく、ムスリムをことさら差別した歴史もなかったがゆえに、先進国のなかでは狙われる理由が比較的少ない立場だった。だがイラク戦争に小泉政権が参戦し、そしてとくに安倍の「イスラム国と敵対する国々」発言以降、日本人が狙われるのは「『外国人』全般の一部としてたまたま」ではなくなってしまった。

今回のダッカの事件でも、すでにイスラム国側はその安倍の発言へのあてつけを含めた犯行声明を出しているのは先述の通りだ。通常の、遺族の心情に最大限に配慮した対応だけでは、遺族から安倍政権への疑問が出てくる可能性は十分にある。それを恐れての政府専用機を使った囲い込みや、妙に大げさに「政府の哀悼の意」を見せつけるやり方だったのではないか?

しかし皮肉というかなんというべきか…日本人が犠牲になったテロ事件は、その報道に割かれる時間や話題性の大きさで参議院選挙の報道が減っただけでも、その原因の一端に責任がある安倍政権に有利な国内状況を作り出している。しかもその安倍政権の国内向けパフォーマンスしか考えていない対応が、「親日国」であるバングラデシュ政府や、同じような立場の発展途上国の神経を逆なでする無神経で傲慢なものであったことにも批判は出ず、犯行声明が明らかに安倍のカイロ発言を念頭に置いた内容であったことすら無視されている。

まさに先進国側の、自分たちそれぞれの国内しか見ておらず、「テロとの戦争」を人気取りのために言い続けてしまう無神経な態度こそが、ますます国際テロ事件の温床になっているのだが。

もう一点、ダッカの事件では日本人が7人、イタリア人が9人殺されたことで大きな話題になっているが、立て続きにバグダッドで起きた149人が殺される自爆事件はほとんど報道されない。その前に起きたイスタンブールのアタテュルク空港の襲撃・自爆事件も、外国人観光客が訪れたり、トランジットのハブ空港機能があるので外国人利用者が多いことから、死亡者数はバグダッドの3分の1でも、「外国人」がからむだけで扱いは大きかった。

イスラームもキリスト教も仏教も、日本の民族信仰の神道ですら、宗教は人の命が平等であることを説いている。だが現実の世界では、人の命はまったく平等でも等価でもなく、ムスリムの多い国々では、自分たちよりも「外国人」の命の方が “高価” であることを嫌というほど見せつけられて来た。そんな世界では、「イスラム国のようなテロリストはごく一部で、ほとんどのムスリムは穏健派」という説明すら、実のところ先進国の都合の欺瞞でしかない。テロリズムには共鳴せずとも、イスラミズムが戦っている(たとえそのやり方がどんなに残虐に見え、また実際に道徳的・宗教的にも誤っているとしても)ところの不平等に、素朴な疑問を持たざるを得ない人々は世界でどんどん増えている。

一方で、イスラミズム過激派の方でも、外国人を殺した方が「成果」をアピールできるならその殺し方をどんどん進めるだろうし、旧来の西洋キリスト教白人国家に新たに加わった「日本」という敵の国民の命は、より「殺す価値」が高いものにすらなっている。倒錯して狂った、悪魔的な発想だが、それを作り出してしまったのは先進国であり、その「テロとの戦争」なのだ。

ラマダン(断食月)の前夜に今度はサウジアラビアで起きた自爆テロ事件は象徴的だ。死亡者数は4名という点では大きな事件ではないが、場所がメディナだったことの意味は本来ならもの凄く大きく、今後のイスラーム諸国の動向を考える上でも注目されるべき事件だ。なのにダッカの事件の方ばかりが注目されてメディナの事件は無視されがちなことで、未だに世界の覇権を握る先進国の側がいかに無知というか、そもそも自国のこと以外に関心がないことが、分かりやすすぎるほどにあからさまになってしまった。

メディナはイスラームの三大聖地のひとつ(あとの二つはメッカのカーヴァ神殿と、エルサレムの岩のドーム)で、ムハンマドが布教の中心を置き、最初のイスラム帝国の首都だったところだ。

そのメディアでイスラム国がテロを起こすとは、なにを意味するのか?

だがメディナがそもそもイスラームの歴史のなかでどんな場所で、この街がなにを意味するのかを考えもしないし知ろうともしない欧米や日本の先進国では、たった4人の、それもムスリムの死者は、無視して平然としていられるものなのだろう。

そんな状態が続けば続くほど、イスラム国やアルカイーダなど、イスラミズム過激派組織は「外国人」を殺し続けることになる。かけ声だけの「テロと断固戦う」には、実際にはなんの防ぐ手段もない。

2/07/2015

イスラム国による人質事件の真相


ヨルダンが日本に巻き込まれる展開になったイスラム国人質事件は、巻き込んだ側の日本がイスラム国の巧妙な心理戦で完全に蚊帳の外に置かれたまま後藤健二氏が殺害されるに至ったが、今度はヨルダンのアブドラ国王が訪米中(日本の圧力とはいえ、「テロリストとの取引」に応じかけたのを気にしたのだろうか?)に、昨年12月24日以来イスラム国の捕虜となっていたヨルダン空軍のカサースベ中尉が、アメリカの言いなりで同じアラブ人のムスリムを空爆した(つまり焼き殺した)罰を受け、自らも焼き殺された、という筋立てのビデオが公開されるに至った。

後藤氏殺害映像の後は、今度はイスラム国は中尉が米軍の空襲で殺されたと発表するのでは、と言うのが僕の予想だったのが、さすがに想定外の結末は、はるかに凄惨だった。しかもこのビデオは、どうも予め入念に準備されていたらしいことが、その凝った演出を見ても明らかで、およそヨルダンとイスラム国の人質交換交渉が決裂した1月29日からの数日間だけで準備出来るものには見えない。

そしてヨルダン政府は、中尉はすでに1月3日に殺害されていたと発表した(根拠は今のところ明らかにしていない)。

このヨルダン政府の発表が事実であれば、イスラム国の要求に日本がヨルダンを巻き込んでしまってからの展開は、中尉が最初から亡くなっていた前提で、一から検討し直す必要があるだろう。

現時点では、日本をはじめ海外メディアの取材でも、ヨルダン国営放送でも、ヨルダンの人たちは「焼き殺すなんてイスラムに反する」と言った程度のコメントしかしていない(出来ない)が、イスラム国の出したビデオの実際のロジックには、教義的にほぼ完全な整合性がある。

ビデオはアラブの同胞であるスンニ派ムスリムをアメリカに命じられた空爆で焼き殺した中尉が、その罰として同じ目に遭う、かつ呪われた罪人が神に焼き殺されるべきであるから、正統カリーフを名乗るイスラム国が代わりに焼き殺した、神罰だ、という構成になっている。

実際に、ヨルダン空軍も参加している有志連合の空爆は、イスラム国支配地域で生活している普通のアラブ人も焼き殺している現実がある(国際メディアは一致して無視しているが)。中尉はその罪をまず告白し、自分たちがやった空爆で破壊された場所を見て、そして自分が落とした爆弾の犠牲者と同じように(目には目を、の同罰賠償原則に従って)殺される。

ヨルダン人を始め、アラブ人のなかには、このビデオのメッセージ性をただ「残虐」とだけ受け取っているわけではない人も、決して少なくないだろう。なるほど、イスラム教では遺体を焼くことですら基本はタブーだが(とはいえ火葬をする国や地域だってある)、それは「焼き殺す」ことが、「神」が「罪人を」に限られるからだ。

中尉が焼き殺されたのはただ「残虐」なだけではなく、また「死者に対して侮辱的」とのみみなされるわけでもない。一方では「神罰」の意味も持っているのだ。

神学的に唯一問題なのは、神でなく人である彼らが神に反した「罪人」を焼き殺したことが、人が神の領域を犯した冒涜になるかどうかだけというのが、あくまで理屈ではそうなる。

あくまで理屈では…というのは言い換えれば、理論的にはそうなっても、敬虔な宗教者の感覚で至れるロジックでもあるまい。このビデオの製作者はイスラムの教義を旧約聖書からコーランまで、知識と教養として熟知してはいるが、心から信仰しているわけではないように思われる。

イスラム国はその名称から宗教原理主義の運動と受け取られがちだし、その前身がイラクの聖戦アルカイーダだったとなれば、ますます「狂信的なテロリスト」の印象を一般には持たれるのだろうが、今はアルカイーダとも訣別しているイスラム国において、宗教支配は実際にはひとつの「いいわけ」でしかないのではないか?

むしろイスラム国を宗教原理主義に基づく過激派だとみなすのは、恐らくあまり正確な認識ではない。理屈では宗教的に整合性はあるが、感覚的には敬虔な人ほど受け入れ難いこのビデオを構成している論理にも、それは現れているように思える。

この「建国運動」を実際に動かしている中枢の権力構造は、 旧フセイン政権つまりイラク・バース党の残党であり、アメリカのイラク戦争とその庇護で成立したマリク政権に追われた元官僚、元政治家、元軍人たちが掌握している。バース党運動は元々、非宗教・世俗主義のアラブ民族主義運動だ。その主張は汎アラブ主義であると同時に反ヨーロッパ、反植民地主義、湾岸戦争後には明確に反米も加わり、たとえば具体的には第一次大戦中に英仏が交わしたサイクス=ピコ密約(英国が支援したはずのアラブ独立運動を裏切った二枚舌外交である)に基づく現状の打破という主張は、そのままイスラム国に引き継がれている。

この点で、イスラム国を「テロリストだ」「過激派だ」というレッテルで見くびるのは根本的に間違っているし、危険な傲慢さでさえある。イラクは英国の決めた国境線の不合理で、民族や宗派宗教が複雑に入り組んだ人口構成ゆえにほとんど統治不能とも言わる国だし、現に今や完全に破綻国家になってしまっているが、その国を数十年に渡り、民族や宗派間の勢力バランスを巧妙に利用して統治してきた「独裁」が、サダム・フセイン政権だった。

イスラム国にはその政権を支えた戦略や方法論、奸智までがそのまま引き継がれていると考えた方がいい。

なにしろイスラム国の支配地域には報道が入ることがかなり難しく、全体像は分かりにくいとはいえ、倫理警察や宗教裁判、さらには公開処刑も駆使した恐怖政治の一方で、配給など民生部門を充実させる統治手法は、警察国家であったと同時に社会の平等性に配慮して福祉などは重視し、湾岸戦争後の経済封鎖の下では配給を充実させ、民衆の人気も集めていたイラク・バース党の手法を、そのまま踏襲しているようだ。

相手を「野蛮なテロリスト」だと見くびっていた日本政府が、この人質事件を通じて一貫してただ翻弄されただけたったのも無理はない。相手は独裁体制の統治に極度に習熟し、人心操作には経験豊富であるだけでなく、外交や謀略、心理戦や情報戦にかけても、そして戦争についても、プロ中のプロの、狡猾で有能な官僚や軍人の集団なのだ。

ヨルダン政府の発表を信用するなら、その彼らは1月3日までにはこのカサースベ中尉殺害の映像を撮影し、凝った編集や特殊効果を加えつつ、最適の発表のタイミングを待っていたことになる。いやこの明瞭なメッセージ性を持ったシナリオの準備から考えれば、中尉を捕縛した時点ですでにこのビデオの製作は動き始めていたのかも知れない。

ちなみに一般にメディアでは中尉が捕縛された時点の姿として報道されて来た写真は、実際には空爆の被災地を見るよう強要されている写真だそうだ。

カサースベ中尉殺害が明らかになったのを受けて、ヨルダン政府が即座にその死を1月3日だったと公表したのは、ひとつには後藤氏の殺害後に中尉も殺されたとなると、いかに多額の援助を受けて来たとはいえ、いやだからこそその札ビラで恩を着せた傲岸不遜な日本政府の言いなりになって奔走し、最後の最後で国のプライドを前面に押し出し中尉の安否確認を優先させて死刑囚を釈放しなかった結果、逆に中尉まで死なせたアブドラ国王の、かなりだらしなく、行き当たりばったりにしか見えなかったやり方が、国民の不信を買いかねないからでもあろう。

ヨルダンは、民主主義の国だとはおよそ言い難い。

歴史的に交通の要衝で、イスラエル独立後は多くのパレスティナ人も受け入れて来たこの国は、様々な部族が入り交じり、およそ強固な団結や政権基盤があるとは言い難い。権力の基盤が弱いからこそ言論の自由を担保できず、大っぴらには政府を批判する言説が口にされることが珍しい一方で、国民はアメリカの言いなりになる政府や国王を本音では「しょうがない」とは思いつつも、ほとんど信頼していない。

そんなヨルダンで既に、まだ散発的とはいえ政府批判のデモや暴動が起きている現実は、日本や欧米のメディアが「ヨルダン国民がイスラム国に怒っている」と一生懸命に自分たちに都合良く報じていることよりも、はるかに意味が重い。たとえばカサースベ中尉の出身地ですでに警察署が怒った民衆に焼き討ちされたりしているのだ。

いや一見、政府と国王を支持しイスラム国に復讐を誓うように見えるデモでさえ、国民のあいだにたまった不満が噴出しているそのハケ口に、今は形だけ政府支持の看板を掲げているだけだとみなすぐらいの慎重さも、今はむしろ賢明に思える。

やがてはこの「殺害ビデオ」が実際には「天罰ビデオ」であることも、じわじわヨルダン世論に効いて来るかも知れない。

少なくとも、ここまであからさまなメッセージ性に目をつぶって、ただイスラム国は残虐だ、残虐だと舞い上がりながら、ヨルダンで日本が引き起こしてしまったことの結果に、自分たちに都合のいい楽天的な解釈だけを当てはめることは、およそ賢いことではない。

この際、日本ではしっかり冷静に反省すべきことがある。

果たして日本を含む世界のメディアや、日本政府は、イスラム国の狙いや意図を正確に把握した上で論評したり、対策を練ったりすることが出来ていたのだろうか?

結果から見れば、事実はまったくの真逆だ。

まず最初の脅迫ビデオから、中身をよく見れば身代金要求声明だと断ずるのは難しい内容だった。あくまで安倍がカイロで「イスラム国と戦う国に2億ドル」と演説したことを、ムスリムの家を焼きムスリムを殺すための2億ドルと断じ、その2億ドルは自国民二人(湯川氏、後藤氏)に使え、と迫っているだけで、自分たちに払えとなどは一言も言っていない。

なのに政府もメディアも身代金要求だと思い込んで、そう断言した前提でしか予測や推論が出来ていなかった。

身代金の支払いに関しては、日本政府の立場からすれば絶対に公言は出来ないことであり、メディアが配慮して報道を控えたのも当然とはいえ、後藤さんの同僚や仲間でもあったフリージャーナリストを中心に、本当に日本政府には身代金を払う気がないのだと思い込み、身代金交渉の仲介をおおっぴらに申し出た人も出て来たり、猛然と批判やデモまで始めた者までいたのも、まったくの勘違いであり世間知らず・国際常識無視の間違いだった(よくこれでジャーナリストが務まるもんだ)。そもそもそれ以前にイスラム国には身代金など最初から興味はまったくなかった点で事実誤認でしかなく、一方で日本政府の方こそ、ここで人質を殺されては政府の支持率が下がるのを恐れ、なんとしてでも身代金を払って解決しようとしていた。

イスラム国が要求は身代金でないと確認(要求を変えたのではなく、誤解をといただけ)し、改めてリシャウィ死刑囚の釈放を要求すると、今度はこの死刑囚がイスラム国にとって重要な同志であるテロリストだから救いたいのだ、とテレビに出る「識者」たちや新聞報道は言い続けた。

結果からすれば、これも完全な間違いだった。

むしろイスラム国は、ヨルダンが報復として彼女を即座に処刑せざるを得ないほどの強烈なメッセージ・ビデオを最初から準備していた(つまり彼女の生死は最初からどうでも良かったのだ)。

つまりイスラム国の目的は最初から身代金でもなかったし、「同志」である爆弾テロ実行犯生残りを釈放させて救出することでもなかった。

日本への脅迫はひたすら日本政府をキリキリ舞いさせ、愚弄し、もてあそび、要するに安倍首相を徹底的にバカにすること、ヨルダンが巻き込まれて以降はひたすらヨルダンの国民感情を刺激してヨルダン政府を追いつめることが目的だったのだ。

こんなのは最初から、冷静に考えればすぐに気づいたはずのことだ。こういうと自慢めいて聴こえてしまうだろうが、現に僕は事件の顕在化当初から、一貫してそう指摘し続けている。

なのになぜメディアに登場する識者の皆さんまで、まったく見当違いのことを言い続けたのだろう?

少なくとも自分たちがなぜまったく間違った分析(というか露骨な偏向報道)に固執してしまったのか、政府の対応だけでなくメディアの在り方、世論の動きも、この際冷静に再検証しなければなるまい。

それも出来ないようでは、安倍首相が言い張っているような「テロと断固と戦う」「屈しない」「許せない」「償わせる」、そんな全てが日本国内の内輪で響き合うだけの空虚なかけ声にしかならず、かえってイスラム国の仕掛ける巧妙な心理戦の術中にどんどん嵌って行くだけだ。

ところでヨルダン政府がカサースベ中尉の死を1月3日だと言っていることに関連して、日本側の動きについてどうしても考えなければならないことがある。

外務省からの最近のリークによれば、政府と首相官邸が対策本部をアンマンに置くことに合意したのは、カサースベ中尉とリシャウィ死刑囚の交換交渉があったのを知っていて、ヨルダン政府の持っているパイプを利用できるのではと考えたから、と言うのだ。

にわかには信じ難い話である。

ヨルダン自体が中近東のいわば「ふきだまり」、スエズ運河が出来る以前は地中海から紅海に抜けるほぼ唯一のルートであった海のシルクロードの重要な港アカバもあり、アンマンはエルサレムにもダマスカスにもバグダッドにも古代から街道で繋がっている交通と交易の要衝だった。現在のヨルダンはイスラエルとすら国交のある全方位外交の国でもあり、その首都アンマンでは中近東の各国政府の諜報機関だけでなく非合法組織を含む様々な組織・運動体の人間が入り混じり、イスラエルのモサドさえ出入りするいわば「スパイ天国」になっている。だからこのような事件の現地対策本部を置くならアンマンというのが常識だ。

ところが内閣と官邸では、どうもトルコと結んでアンカラの駐トルコ大使館に対策本部を置くべきだ(トルコは「親日国家」だから、とか?)という意見が強かったらしい。トルコ諜報部はイスラム国とのパイプを持つと噂され、以前には自国の領事館員49名を解放させた実績もあるとはいえ、アンカラにいれば入って来る情報はトルコ政府が日本に供与しようとしたものに偏って限定されてしまい、完全におんぶに抱っこになってしまう。だいたいトルコ政府が日本に協力しないと判断すれば、なんの情報も入って来ずまったくのお手上げだ。

官邸が本当にそんなアンカラ案を主張したのだとしたら、「特定秘密保護法」まで決めたはずのこの人たちは、スパイについても国家の機密情報についてもあまりにもド素人でなにも分かっていない。 
彼らの無知なのに呆れるほどの暢気な傲慢さは、国家を危機に晒しかねない。

外務省の中東担当部署からすれば、常識的にアンマンが対策本部を置く最適地と判断するはずが、国会での安倍首相の答弁を聞いて耳を疑った。首相はトルコの大使館(つまりアンカラ)の選択肢にも言及した上で、「ヨルダン軍の高い情報収集力」を信頼してアンマンと判断した、というのだ。

そうなると、日本が最初からヨルダン政府とイスラム国のあいだに一応あった、捕虜となったカサースベ中尉と自爆テロ事件生残りの死刑囚リシャウィの交換交渉を、いわば乗っ取るか横取りする狙いでアンマンに対策本部を置いたのだ、という普通なら冗談にしか思えない、およそ現実性に欠如した与太話に見えたことも、がぜん信憑性を帯びて来る。

安倍首相が外交や国際政治、安全保障の常識から乖離した “不思議ちゃん” の面目躍如で「ヨルダン軍の高い情報収集能力」と言ったのは、このヨルダンが抱えていた人質交渉を差した発言以外には考えられない(「ヨルダン軍の高い情報収集力」ってなんだよそれ?タチの悪い冗談か?)

いやそうは言っても、日本の政府がいくらなんでも、ヨルダン軍将校よりも日本人の人命優先だと言わんばかりにヨルダンに協力を迫るほど傲慢であこぎだったとは考えたくないのだが、このリーク内容が事実だとすれば、イスラム国がリシャウィ死刑囚との交換をいきなり出して来たという、どこから出て来た発想か分からずあまりに突拍子もなかった展開も、確かに辻褄は合うのだ。

日本政府が最初から身代金支払いの仲介を探してアンマンで奔走していたのは確かだ。日本政府はもちろん認めない(これは当たり前のことなので政府を責めるには値しない)し、日本のメディアもほとんど報道しなかったが、最初の72時間の期限内に安倍は英国との電話首脳会談でキャメロン首相に直接「身代金を払うべきでない」と牽制されたことはその英国政府がメディアに明かしているし、米国のケネディ駐日大使は公式に日本政府にそう申し入れをし、安倍はオバマとの電話首脳会談でも釘を刺されている。日本に身代金を払う気配がなければ、かくもおおっぴらに日本政府に圧力をかけ牽制を諮るなんて非礼な真似は、英国だって米国だって曲がりなりにも主権国家相手にやりはしない。

そして後藤氏殺害後、ヨルダン下院の外交委員長が日本のメディアの取材に応じ、安倍政権が見殺しにしたのではないかという憶測の批判に対する日本政府擁護の親切心から、日本側がほんとうに一生懸命で、身代金ももちろん準備していたことを明かしてくれている。

だいたいイスラム国側が日本をあざ笑うかのように出した第二の声明で、身代金が目当てなどではないと明言した上で、ヨルダンの死刑囚の釈放という、普通の外交常識では無理難題に過ぎる条件をぶつけて愚弄して来たのも、日本が身代金を払うつもりだったことが前提でないとなかなか出て来ない発想だ。

いやもう、こうなると安倍首相はひたすら、イスラム国にしてみれば、お手軽な玩具扱いだったのだろう。

このあまりに突拍子もない条件には、日本側が驚きパニックになったのもある程度はやむを得まい(逆に言えば「バカにされていた」だけだと気づく人もいた)。

それだけ意表を突き、しかも無理かつ無茶苦茶な話ではあるが、だからこそ、この人質を用いた脅迫の心理戦におけるイスラム国の動機であり目的が、とにかくカイロで妙に自慢げにイスラム国敵視を演説した安倍を徹底的にバカにすることであった以上、その狙いには完璧だったと納得はできる。

しかしそれでも、この途方もなく意表を突いた発想はどこから出て来たのか、さすがによく分からなかった。

だが日本政府がかなり初期(当初の交渉期限72時間以内に)から、ヨルダン政府にカサースベ中尉よりも日本人二人をリシャウィ死刑囚と交換しろ、と水面下で迫っていたとしたら、イスラム国がそのリシャウィ死刑囚と後藤さんの交換をいきなり言い出し、その時点で湯川さんを殺していた理由も、すべて辻褄が合う。

つまりイスラム国にその情報は当然ながら筒抜けになっていて(アンマンだと言うのにいったい何をやっていたんだか)、ヨルダンの軍人より日本人を優先しろと迫っていた日本政府の非人道っぷりを懲らしめるために、わざと他国の死刑囚を釈放しろ、つまりは他国の主権を侵害しろと無理難題を押しつけ、しかも「そんなに人質交換が望みなら、一対一の交換だったら応じてやろう」と言わんばかりに、菅官房長官などとも関係があった(民間軍事会社を夢見て自民右派との支援もあった)湯川氏の方をあえて殺し、後藤氏一人だけを残したのだ。

どうせ国際的にはすでにバカ右翼と皆が承知済みの安倍晋三首相を、この際徹底して愚弄するための、極めて効果的な心理戦の攻撃のひとつだったのだ。

すでに別の場所で詳細に論じたことだがこの時点以降、少なくともおおやけになる場では、日本政府は「いかに日本人の命が懸かっているとはいえ、テロリストの要求に応じてヨルダンの主権を侵害することは出来ない」と引き下がるべきだった。間違っても「全力を尽くしている」アピールなんてするべきではなかった。

それが外交、国際政治の常識であり、最低限のルールだった。
安倍氏は国民の失望と支持率低下を覚悟してでも、すべてはヨルダン政府に任せるしかない、自分にはもうなにも出来ない、と宣言するべきだったのだ。

日本政府がそうやって下手に出ていれば、水面下ではいかに強圧的な交渉をやっていうようが秘密さえ厳守していれば、アブドラ国王の面目は保たれ、国王の(「イスラム教徒としての慈悲」でも「日本との友情」でも、どんな名目でもいいが、要は国王とヨルダン政府の主体的な意思としての)人道的な配慮に基づき、リシャウィ死刑囚を釈放して後藤健二氏を救出する、と言うこともまだ出来なくもなかったし、ヨルダン国民からもそこまで不満は出なかっただろう。

他国の圧力、それも経済大国の金をちらつかせた圧力に屈するのなら、それはヨルダン国民にとっては恥辱でしかない。 
だが王自らが慈悲や人道を考慮してあえて、というのならそれはヨルダンの名誉になったのだ。

カサースベ中尉がイスラム国支配地域に不時着して捕虜になったのは昨年のクリスマス、その中尉とリシャウィ死刑囚の交換という話はすぐに出て来ていたはずだが、そのまま止まっていたのは、ヨルダン政府がどうもあまり乗り気でない、国民の感心が低かったからだと言われていたのだが、ヨルダン政府がすでに中尉が亡くなっているとみなしていたのなら、積極的でなかったのも無理はない(なのにその話に飛びついたつもりでアンマンに対策本部を置くと決めたのが安倍晋三だった、ということになる)。

それがいきなりカサースベ中尉が「ヨルダン国民の息子」「英雄」となったのは、日本の政府の露骨な圧力に、日本のメディアまでが同調してヨルダンへのこれまでの経済援助額を報道したりしたその上に、中尉と後藤健二氏に対してリシャウィ死刑囚という二対一の人質交換案まで、日本政府がメディアにリークしてしまったからだ。

もちろんこちらの側から勝手に「二対一」とか言って相手側が乗る保証なぞまったくないし、ならば「日本人のジャーナリストなら我々のパイロットが先だ」とヨルダン国民の関心がにわかに高まったのは、経済援助をカタに恩着せがましく迫った日本側への反発も含めて、当然のことだ。

安倍政権はよせばいいのにいたずらにアブドラ国王(もともと決して人気のある王様ではない)を追いつめ、まだ少しは残っていた後藤健二氏の救出の可能性を自らぶっ潰してしまったことになるのだが、しかも日本人人質事件が発生した時点でカサースベ中尉が既に亡くなっていて、ヨルダン政府がこの時点ですでに知っていながら公表できないままだったとすると、ますます持って日本政府のやってしまったことは、とんでもない見当違いだった。

言うまでもなく、よほどの信頼関係がない限り、そんな情報をヨルダンは日本に提供できなかったはずだし、日本政府はまったく知らなかったからこそ、無神経にもヨルダンに「要請している」と大っぴらに繰り返したのだろう。

リシャウィ死刑囚との交換という交渉の最終段階でヨルダン政府が態度を頑にし、まず中尉の生存確認がない限り死刑囚は動かさない、と言い張ったのも、中尉が実は死んでいるという情報をヨルダン政府が把握していたのならば、一層のこと筋は通る。

すでに亡くなっているのなら強硬姿勢に反発してイスラム国が中尉を殺すというリスクはもはやないのだし、中尉が亡くなっていると公表するタイミングを逸していた以上、そのことをイスラム国側に発表させた上で、涙を呑んで後藤氏のために死刑囚を、とやるのでもない限り、後藤さんを救うにもヨルダン政府にはそれが出来る立場がなく、国民から猛烈な反発を買い、暴動や政府転覆にさえつながりかねない。

まさにそれこそが、なんと安倍政権が本気で、それもオープンなチャンネルで、メディアに向かってペラペラと、ヨルダン政府に圧力をかけていることを、それも繰り返し公言し始めてしまった時点で、明らかにイスラム国側がこの人質事件の狙いと定めたことでもあった。

ヨルダン世論に揺さぶりをかけ、ヨルダン政府の立場を危うくし、有志連合から脱落を余儀なくさせること、ヨルダン国内に自分たちへの支持勢力とまでは言わずとも、現政府への批判層を増やすことだ。

繰り返すがイスラム国は「イスラム教統治の国家」樹立を目指す宗教の運動ではない。汎アラブ主義、民族主義の政治運動であり、明確に反米、反欧州、反植民地主義の武装独立闘争だ。賛同者を増やすのはアッラーと預言者ムハンマド(とその後継カリフを称するバクダディ)への忠誠では実はなく、それこそサイクス=ピコ密約以来ずっと西洋がアラブ人をいいように弄んで来たことへのアラブ人全般からの不満と反発であり、その欧米列強に対する以上に、半ばその欧米のいわば植民地代理政府として国民をむしろ抑圧して来たアラブ諸国の政府への批判と攻撃であり、民主的な手段によってアラブ民衆の主体性を取り戻そうとした「アラブの春」を欧米が結局は潰しにかかって、結果として元から不安定だったイラク戦争以降の中近東の、さらに極端な不安定化を招いてしまった現状があるとき、暴力や威嚇を手段に用いることをただ「暴力反対」や「人命の尊重」でそれを否定することに、あまり説得力はない。

イスラム教スンニ派の教義解釈で高い権威があると言われるアズハルがイスラム国を弾劾したからと言って、エジプトにあるこの機関の見解をそう素直に受ける人は、日本人が思い込まされているほど多くはないだろう。

なにしろそのエジプトはアラブの春の人間の尊厳の革命を潰した軍政の下にあり、この日本人人質事件が起こる直前にはムバラク元大統領を無罪放免にし、カサースベ中尉殺害映像の公表の前日には183人ものムスリム同胞団メンバーに一度に死刑判決を出している。アズハルは最高指導者がそのエジプト軍事独裁体制の大臣である組織だ。

日本人人質事件の最中にもイスラム国系の武装集団エルサレムのアンサール団がシナイ半島でエジプトの軍・警察施設を襲撃し、30人以上を殺害している。

このすべてが彼らにとっては独立・建国・領土拡張(国土回復)の戦争であることを見落としては、対策もなにも建てようがない。みすみすその挑発と心理戦に弄ばれるだけだ。

だから「日本の悪夢が始る」と宣言されたからと言って、日本がテロ対策に狂奔する必要は、まだほとんどないとも言える。アルカイーダと違ってイスラム国の目的は国家建設であり、こんなに離れイスラムの国でもない日本本土を攻撃するメリットはまずない。 
逆に「テロを水際で防ぐ」と称してアラブ系の人への入国審査を厳格にしたり、警察が重点的に職務質問を始めたりすることが、これまで先進国のなかでは日本をある意味いちばん信頼して来た人たちに、日本への不満や反発を持たせ、欧州諸国がほとんどパラノイアにさえ陥っているホームグロウン・テロリストが日本でも産まれてしまうことにさえ繋がるかも知れない。

アラブ世界の政治的な混沌と破綻の諸悪の元凶サイクス=ピコ密約を妥協して受け入れたメッカのファイサル皇太子、後の初代シリア国王にして初代イラク国王にもなり、絶望と後悔に苛まれ死んだと言われるファイサル一世と同じハシーム家の王朝で、自らも不安定な国境線と脆弱な政権基盤からアメリカやイギリスの言いなりになって来た感が強いのが、他ならぬヨルダン王家である。

つまりはイスラム国の政治的理念からして、もっとも狙われ易い政府のひとつでもある。

結果からすれば‪安倍晋三‬の日本政府は、その無責任体質と分不相応な妙な目立とう精神(人質事件の関係閣僚会議に冒頭で記者とテレビカメラを入れるなんて非常識にも程がある)、そして外交常識すら知らず現実的な計算もなにも出来ない無能っぷりから来る稚拙な失策の連続の結果、イスラム国がカサースベ中尉の殺害映像を公表するのにもっとも効果的なタイミングまで、単に首相が支持率の低下と自分の誤りを認めたくない意地っぱりだけが動機の、度を越した非常識とわがままで提供してしまったことになる。

日本政府が中尉とリシャウイ死刑囚の交換交渉に割り込まなければ、中尉が捕虜になっていたこと自体ヨルダンでそんなに注目もされていなかった。だからこそイスラム国は、カサースベ中尉の死をもっとも効果的に使えるタイミングを今まで探っていたし、あわよくば自ら演出する気で準備していた。そのタイミングを、日本政府の人質事件に対する「対応(になってない)」が作り出してしまったのだ。

ヨルダン国王訪米を狙った、それも国王は当初オバマに会ってもらえる予定ではなかったというのだから、恐るべき奸智に満ちたタイミング設定だった。オバマはこんなことが起これば当然国王と急遽会談するが、その結果アブドラ国王の「米国の飼い犬」っぷりはますます印象づけられる。

追いつめられたヨルダン政府は、今はカサースベ中尉の死への復讐・報復を謳い、反イスラム国でなんとか国内をまとめようとしている。

だがイスラム国そのものは決して支持しないヨルダン国民でも、アメリカ相手にせよ、今度は日本相手にせよ、先進国に対してあまりに弱腰で卑屈な態度しかとれない国王と政府が、いかにイスラム国との対決という大義名分があろうが、実際には同じスンニ派ムスリム…いやなによりも同じアラブ人の一般市民も焼き殺している現実は、決して心から支持できるものではない。その当然ではある批判や不満を「テロリストを支持」として押さえ込もうとするのは、場合によっては火に油を注ぐことになりかねない。

しかも反イスラム国を半ば国内引き締めのため、半ば欧米列強への配慮で主張せざるを得ない現段階のヨルダン政府は、イラク軍つまりスンニ派を弾圧し虐殺までして来たシーア派のマリキ政権との共同歩調まで言い出してしまっている。 
いわゆる国際メディア(つまり欧米)はほとんど報じなくとも、ヨルダンの人たちはイスラム国の一方で、マリキ政権下のイラクがどうなっているのかも知っているのだ。

これは英国の委任統治領からの独立を許されて以来のヨルダンという国が歩んで来た、多分に屈辱的でもあった歴史への不満にも、そこから発する王制そのものへの批判にも、いずれ結びつくのかも知れない。少なくともそれこそが、イスラム国が本当に狙っていることであることは、カサースベ中尉の殺害を伝えるビデオを見れば明瞭に現れている。

「残虐で野蛮なテロリスト」とイスラム国を侮るだけで済ます限りは、我々の側の国内や、せいぜいが有志連合の内輪に引きこもった自己満足でしかない現実が、この殺害ビデオで改めて突きつけられたことだけは確かだ。

1/25/2015

イスラム国と日本と「身代金」と


イスラム国による日本人二人人質事件は、‪期限の72時間が虚しく経過したところで、安倍‬首相がどうも本気で身代金を払いたがっていそうな展開らしい。

記者の質問に副総理の麻生太郎氏は苦虫を潰した顔で「聞いてくれるな」と言わんばかりだし、アメリカとイギリスは露骨に警戒し、アメリカは国務省も大使館も露骨に牽制発言を繰り返し、イギリスに至っては電話首脳会談の内容を(外交ルールに反してまで)リークして、安倍の日本政府に釘を刺そうとしている。

その「テロと断固戦う」側のすったもんだをあざ笑うかのように、イスラム国は湯川氏が殺害されたらしいと思わせる、湯川氏の遺体と見える写真を後藤氏に持たせた動画を公開した。どんなに安倍が口先だけは「許し難い暴挙」と言ったところで、これで後藤氏まで殺害、となればその安倍がなにをやり始めるのか、想像もつかない。

日本政府はいわば、自分で自分を追いつめてしまっていて、イスラム国側はそれを利用している。こと安倍氏自身の困った性格は、そんなイスラム国側の情報心理戦にみごとつけ込まれている。

そもそも後藤・湯川両氏は数ヶ月以上イスラム国に拘束されてはいても、特段の迫った生命の危機にはなかった(イスラム国では宗教裁判とはいえちゃんと裁判をする手続きをやろうとしていた)状態だった。それが、突然殺害予告の脅迫ビデオが出る事態の急展開は、安倍首相が中東歴訪中にイスラム国敵視を公言してしまったからこそ起きた。

だが日本のメディアはその安倍氏の稚拙な外交的失態から国民の目を逸らそうと、イスラム国が残虐な「テロ組織」で「過激派」だと強調する一方で、二人の被害者のうち一人、フリー・ジャーナリストの後藤健二氏を一生懸命美化して来てしまった。

紛争地の子どもたちの境遇に胸を痛め、それを日本に伝えて来たジャーナリストとして氏を賞賛すればするほど、政府が後藤健二氏を救出しない(出来なかった、という以上にそもそも最初はやる気がなかった)で見殺しにしてしまえば、もはや安倍政権の浮沈に関わりかねない。

日本が機密費でこっそりと身代金を拠出すること自体は、政府の内部で当然検討されていてしかるべき選択肢だし、あくまで極秘裏を貫く限りはそう非難されるべきことでもない。外交、安全保障とはそういうものだし、だからこそ国家機密を守らなければならないのだ。過去には小渕首相が身代金提供を決断して人質を解放させた(そして徹底して秘密は守った・最近鈴木宗男氏がやっと明かした)事例だってある。

ダッカ事件で日本政府が取引に応じたことも、間違いだと一方的に叩かれているのは日本国内だけだ。

「テロ組織と取引はしない」ことは、確かに国連安保理の決議にもなってはいる。

しかしそれもまたタテマエに過ぎず、国家にとってもっとも大切なのはやはり、目の前で命の危機に晒されている自国民であり、完全に秘密を守るか、その政府が公には「身代金なんて絶対に払っていない」と言い続ける限りは無視するのが、国際社会の紳士協定のようなものなのだ。

それでも今、アメリカやイギリスがあからさまに牽制までするほどに本気で危惧しているのは(そしてそういう常識が一応は分かっている麻生太郎氏もえらく心配していそうなのは)、なにしろ安倍晋三のことだから自分の手柄にしたい、とにかく威張りたい、内外から浴びている批判に対抗したいだけで、「私の決断で後藤さんの命を」とか、おおっぴらに言い出しかねないことだろう。

外交が実際には国益や国際社会の信義、ないし利害よりも、国内世論への対応で左右されるのも、これまたどこでもある話ではある。とはいっても安倍政権の場合はそれが極端過ぎる、すべてが国内向け人気取りにしかなっていないどころか、首相の子どもじみた自慢や、首相とその周囲のごく一部の人たちのご機嫌取りだかのために、外交が左右されてしまうことがあまりに多いのは、由々しき問題だ。

実際、この人質事件にしても、安倍政権のやっていることは最初から、途方もなさ過ぎる平和ボケの、勘違いの連続なのだ。

それまでイスラム国にいわば「未決囚」として勾留されていた湯川・後藤両氏が突然「人質である敵国民」になってしまったこと自体、安倍が得意気に「テロと戦う自分」をアピールしたくてイスラム国敵視を明言した上で周辺国を敵対国とみなして資金供与を言ってしまったからだ。

時系列を見れば明らかなことを誤摩化そうとして「人道支援だ」「誤解だ」と、国内からの批判に一生懸命に反論したつもりになっていること自体、この政権の外交があまりに幼稚過ぎることの好例になっている。そもそも「反論」として成立していない後付けの言い訳に過ぎず国民を馬鹿にし過ぎだし、だがもっと重大なこととして、こんな子どもじみた「反論」もどきでエゴを発散したところで、イスラム国に対しても、イスラム国を決して快くは思っていないムスリム諸国相手にも、今さらなんの説得力もない。

国内的にはその首相の失態を誤摩化すために、被害者のうち後藤健二氏をしきりと立派な、純粋な人だと持ち上げることを報道にさんざんやらせた結果、いまさら後藤氏を見殺しにもできず、本気で身代金支払いを考えざるを得なくもなって来ている。だから政府は一生懸命、イスラム国と交渉するためのルートを探して情報収集に励んでいると公言しているが、売名行為や、詐欺まがいの手法で「240億円」という巨額な身代金のおこぼれにあずかろうとして交渉仲介を名乗り出る者たちに翻弄されるだけだろう。

そもそも本気で身代金が欲しくてイスラム国が2億ドルと言っていると思うのだろうか?「2億ドル」という要求が本気に見えるのだろうか?

2億ドルというのは安倍がカイロでイスラム国周辺諸国をその敵対国とみなして資金供与を言ってしまった総額とぴったり同じ金額で、つまりイスラム国側のメッセージははっきりしているし、2億ドルもの金をどう受け渡しする(イスラム国側から見れば「受け取る」)と言うのだろうか?

ほんとうに、度を越した平和ボケもたいがいにして欲しい。

日本政府とたとえ間接的にでも交渉に応じるということは、イスラム国側からすればその支配中枢の居場所を敵国(とくに米国)に察知されるリスクを伴う。日本側との交渉に間接的にでも応じて人質の安否や所在を伝えるだけでも、その情報はすぐに米国に伝わるだろう。「普通の国」ならそこも含めて、とくに米国が同盟国だからこそ絶対に情報を漏らさないように細心の配慮を徹底させるが、これまでの外交・国際政治上の経験則からして、こと日本にそれを期待するお人好しはいない。

イスラム国にとってのその危険は、米軍などの空襲が続く中、かつてどうもフランスが実はこっそり身代金を払って自国民の記者を解放させたらしい時とは、比べものにならないほど大きい。今までアメリカの「テロとの戦争」に一定の距離を置いて来たそのフランスが今はその戦争をやりたくてしょうがない、というだけでも、今回の人質事案は、これまでのケースと根本的に状況が違うのだ。

イスラム国の高官と人脈があるというジャーナリスト等が仲介を言っているのを政府が無視している、という非難も一部では高まっているが、そっちもそっちで本気で言っているとしたらよほどズレている。記者会見などで公言してしまったのだから、イスラム国側が彼らと今後接触はしない。ただでさえ人質・身代金事案は極秘裏で進めるのが常識であるだけでなく、現状のイスラム国は圧倒的な力を持つ複数の「敵国」相手に戦争状態にあり、この人質事件がその結果起こっていることが理解できていないのだろうか? 紛争地帯の報道で名を馳せたジャーナリストのはずが、そんなことすら踏まえられないのか?

イスラム国は今、日々米軍などの空襲に晒されているのだ。

取引場所に現れた途端、どころかなんらかの形で返答を伝える、当然CIAなどにマークされているジャーナリスト相手にそれこそメールを使うだけでも、居場所を探知されて米軍のドローン(遠隔操作の無人対地攻撃機)にピンポイント攻撃されるかも知れない。

イスラム国側にそもそも日本と交渉する気がないという可能性がもの凄く大きいことは当然考慮に入れなければならない。どう見ても今回の人質事件・脅迫・殺人予告の最大の目的は、身代金ではない。これは彼らからすれば、日本との「戦争」であり、しかも「戦争」を仕掛けたのは(カイロで安倍があんな演説をやってしまった)日本側なのだ。

だがそのこと自体を安倍政権はなんとか誤摩化したい、安倍がカイロで自慢げにやってしまった演説がとんでもない失言だったと認められないせいで、日本の対応も日本の世論も、これが外交の問題であるはずなのに、どんどん国内限定の堂々回りに陥るばかりだ。

それにしても「あくまで人道支援だ」と強調するのなら、「日本はイスラム国を敵視したつもりはない」と声明を出さなければ筋が通らないのだが、この人たちは本当になにを考えているのだろう?