最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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8/09/2018

アントニオ・グテーレス国連事務総長、長崎・平和危険式典での演説



本日、この平和式典において、ご参列の皆様とともに、1945年8月9日に、ここ長崎で原子爆弾の攻撃で亡くなられたすべての方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げられることを光栄に思います。

今日ここにご参列の皆様、ならびに原爆のすべての犠牲者と生存者の皆様に対し、最も深い尊敬の念を表明します。

ここ長崎を訪問できましたことは、私自身にとっても大変な喜びです。5世紀近くにわたり、私の国、ポルトガルは、この街と深い政治的、文化的、宗教的なつながりがあります。

しかし、長崎は、長い魅力的な歴史を持つ国際都市というだけではありません。より安全で安定した世界を希求する世界のすべて人にとっての、インスピレーションでもあります。

この皆さま方の街は、強さと希望の光であり、人々の不屈の精神の象徴です。

爆発の直後、そしてその後何年、何十年にもわたって十数万もの人々の命を奪い、人身を傷つけてきた原爆も、あなたがたの精神を打ち砕くことはできませんでした。

広島と長崎の原爆を生き延びた被爆者の方々は、ここ日本のみならず、世界中で、平和と軍縮の指導者となってきました。彼らが体現しているのは、破壊された都市ではなく、彼らが築こうとしている平和な世界です。

原爆という大惨事の焼け跡から、被爆者の方は人類全体のために自らの声を上げてくれました。私たちは、その声に耳を傾けなければなりません。

決して広島の悲劇を繰り返してはなりません。長崎の悲劇を繰り返してはなりません。一人たりとも新たな被爆者を出してはなりません。

ご来賓の方々、ご列席の皆様、そして親愛なる子供たち。悲しいことに、被爆から73年経った今も、私たちは核戦争の恐怖とともに生きています。ここ日本を含め何百万人もの人々が、想像もできない殺戮の恐怖の影の下で生きています。

核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込んでいます。2017年には、1兆7000億ドル以上のお金が、武器や軍隊のために使われました。これは冷戦終了後、最高の水準です。世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたります。

その一方で、核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止しています。

多くの国が、昨年、核兵器禁止条約を採択したことで、これに対する不満を示しました。
また、核兵器以外にも、日々、人々を執拗に殺傷する様々な兵器の危険も認識せねばなりません。

化学兵器や生物兵器などの大量破壊兵器や、サイバー戦争のために開発されている兵器は、深刻な脅威を呈しています。

そして、通常兵器で戦われる紛争は、ますます長期化し、一般市民への被害はより大きくなっています。

あらゆる種類の兵器について緊急に軍縮を進める必要性がありますが、特に核兵器の軍縮はもっとも重要で緊急の課題です。

このような背景の下、今年5月に私はグローバルな軍縮イニシアティブを発表しました。軍縮は、国際平和と安全保障を維持するための原動力です。国家の安全保障を確保するための手段です。軍縮は、人道的原則を堅持し、持続可能な開発を促進し、市民を保護するのを助けます。

私の軍縮アジェンダは、核兵器による人類滅亡のリスクを減らし、あらゆる紛争を予防し、武器の拡散や使用が一般市民にもたらす苦痛を削減するために、現在の世界で実現可能な様々な具体的な行動を打ち出すものです。

このアジェンダは、核兵器が、世界の安全保障、国家の安全保障、そして人間の安全保障の基盤を損なうことを明らかにしています。核兵器の完全廃絶は、国連の最も重要な軍縮の優先課題なのです。

ここ長崎で、私は、すべての国に対し、核軍縮に全力でとり組み、緊急の問題として目に見える進歩を遂げるよう呼びかけます。核保有国には、核軍縮をリードする特別の責任があります。

長崎と広島から、私たちは、日々平和を第一に考え、紛争の予防と解決、和解と対話に努力し、そして紛争と暴力の根源に取り組む必要性を、今一度思い出そうではありませんか。

平和とは、抽象的な概念ではなく、偶然に実現するものでもありません。平和は人々が日々具体的に感じるものであり、努力と連帯、思いやりや尊敬によって築かれるものです。

原爆の恐怖を繰り返し想起することから、私たちは、お互いの間の分かちがたい責任の絆をより深く理解することができます。

私たちみんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう。

その目的のため、私は、皆さま方と共に全力を尽くしてまいります。

国際連合事務総長
アントニオ・グテーレス

1/19/2018

スポーツの政治利用は許せない?


北朝鮮が新年早々に平昌冬期オリンピックへの参加を表明して以来、がぜん日本のメディアやネット世論で「スポーツの政治利用は」云々という言葉が飛び交っている。

まずそういうことを言うのなら、安倍総理大臣と2020年東京オリンピックの露骨な政治利用についても同じことを言わなければみっともないダブスタにしかなるまい。

たとえば「オリンピックを開催できないと言っても過言ではない」と言い張って「テロ等準備罪」を国会で強行採決したのはなんだったのか?

もちろん「スポーツの政治利用」以前に、共謀罪はオリンピックの開催とまったく関係がない。そもそも国際組織犯罪防止条約の批准のために共謀罪の導入が必要だと言うのなら、この条約はテロ対策を想定していないし、テロなど政治犯を対象とすることが厳格に禁じられているのだから安倍首相の主張そのものがただの噓でしかなかったことの方が大問題だ。

だがだからこそ、スポーツの政治利用が本来なら成立しないことで政府にスポーツの政治利用を許してしまった日本の世論はなんなんだ、という話にしかならないのに、今さらなにを、ただ韓国の悪口を言いたいためだけに、見え透いた二枚舌を始めているのだろう?

さらには2020年のオリンピックの年に合わせて改正した憲法を施行して「新しい日本がここから始まる」とか言っているのも安倍首相だ。

しかも安倍首相は、今度は韓国政府が2015年末のいわゆる慰安婦合意を批判したことにヘソを曲げて開会式に行かないなどと言っているのも、五輪の成功のためには安倍にも出席して欲しいという韓国政府の足下を見て妥協を迫っているつもりである以上(そんな御都合主義な展開になるわけがないにせよ)は、この点でも日本の現政府による悪質なスポーツの政治利用こそが責められなければ、とんだダブスタにしかならない。

だいたい、オリンピックは常に政治利用されて来た。代表選手に「日の丸を背負って」などとメディアが言わせ続けているのは国威発揚の政治利用の典型だし、金メダリストに国民栄誉賞を与えるのも政権人気取りの露骨な政治利用だ。

オリンピック憲章は実は国ごとのメダルの数を競うことを禁じていて、各国のオリンピック委員会はメダル数集計を公表してはいけないことになっている。それでも「日本のメダルは◯◯個」とメディアが熱狂しているのも、露骨なスポーツの政治利用以外のなにものでもない。

2016年のリオ・オリンピックは葛藤を乗り越えての多民族の共存と環境保護、さらには自然と人間の共存という、明確に政治的なテーマをコンセプトとして掲げていて、それはブラジルの歴史を象徴的に表現した開会式でも明確に示されていた。

フェルナンド・メレイエス演出 2016年リオデジャネイロ・オリンピック開会式


浅田真央がフィギュアスケートの歴史を変えた天才であるのは間違いないが、彼女がきっかけでこのスポーツが日本でブームになったのは、同じ年生まれで一ヶ月しか誕生日が違わないキム・ヨナという韓国人のライバルがいたのでマスコミが騒いだからでもある。これは本当に彼女のスケートに感動する人にとってはまったくどうでもいいことでしかなかったが、しかしそれでも浅田真央の天才が、戦後日本をずっと蝕み続けている韓国嫌い朝鮮民族差別の下らない政治プロパガンダに政治利用されてしまっていたのもまた、残念な現実だった。

この2人がお互いを高め合うことでフィギュアスケートの女子シングルの歴史が変わった、その絶頂となったヴァンクーヴァー冬期オリンピックのシーズンなぞ、2人のライバル関係を政治利用していたオジサンたちは、実はキム・ヨナの分かり易いお色気ショーの『007』方が遥かにお気に召していたらしく、浅田真央のプログラムの凄さが理解できないまま「キム・ヨナみたいな大人の女性らしさがなくては勝てない」などと鼻の下を伸ばしているくだらないコメンテーターもうじゃうじゃいた。いやだから、あれを「大人の女性の色気」とか言ってる時点で、オジサンたちは政治的にダメダメなのだが。

またまったく別の次元で、その2009-20010シーズンの浅田真央の特にフリースケーティングは極めて政治的だ。こういう表現をフィギュアスケートでやったこともまた彼女の天才であり、それがフィギュアの表現の革命となったのもまた、優れて政治的な意味を含んでのことだ。

 浅田真央 ラフマニノフ作曲「モスクワの鐘」 ヴァンクーヴァー五輪フリー


もちろんこの演技はまず息を呑み圧倒されるべきもので、いちいち政治的なものだと意識して見るのも野暮な話ではあるが、しかし「これは政治的だ」と言われても気がつかないとしたら、それはそれでひどく鈍感だろう。

あえて野暮を承知で言っておけば、当時の浅田のコーチで、この曲を女子フィギュアでやることが夢で、振り付けも手がけたタチアナ・タラソワは、このプログラムを「世界平和のメッセージだ。真央にはそのメッセージを届けられる強さがある」と言っている。あとは出だしの、両手で自分の頬を激しく打つ仕草を見れば、これがある強固かつ普遍的な政治的主張を持った表現であることは自明だろう。

エフゲニー・キーシン ラフマニノフ「プレリュード ハ短調 作品3 第二番」


一部の…ではなく残念ながら多くの日本人が「日韓対決」という下らない政治利用でこれを消費していたのとはまったく無関係な別次元の話で、この年のキム・ヨナがスケートとして保守的な優等生なプログラムを選んだだけでなく、そこで極めて保守的なジェンダー役割に植民地主義的な価値観をまぶした女性像(というか、要するにアジア人の小悪魔娼婦イメージ)に徹して金メダルを狙ったことの、浅田真央の激しい挑戦との鮮烈なコントラストがまた、フィギュアスケートという競技の枠組みを超えた優れて政治的な「対決」をあのオリンピックのリンクに生み出していた。

今年のオリンピックの日本女子フィギュアのエース宮原知子もまた、あえて極めて豪速球かつ変化球な政治的なプログラムをぶつけて来ている。

なにしろショートプログラムはハリウッド映画『Memoirs of a Geisha(日本語題「SAYURI」)』で、フリースケーティグはあのオペラ『蝶々夫人』、つまり西洋の植民地主義的女性蔑視丸出しの「フジヤマ・ゲイシャ」な日本ファンタジーとして書かれた音楽をあえて使って、それを「女性の強さ」の表現に読み替えて見せるのだから、変化球であると同時に分かり易い過ぎるほどの豪速球な政治性だ。

それがまた、これまで「ミス・パーフェクト」「練習の虫」としてばかり褒められて来た彼女にとって、とてもパーソナルな葛藤を反映した自己イメージの克服でもあるからこそ、いっそう政治性かつ革命性を帯びた表現になっている。

宮原知子 プッチーニ作曲『蝶々夫人』2017年日本選手権フリー


技術とともに芸術性を競う採点競技のフィギュアスケートが、その芸術性において時に鋭い政治的表現力を持つのは「スポーツ」としては例外ではあろうが、そうでなくともスポーツというのは元々、よくも悪くも政治性を持って受容されるものであり、ナショナル・チームを編成して競い合う国際大会となれば特にそうだ。野球のナショナル・チームが「サムライ・ジャパン」でサッカーのナショナル・チームが「サムライ・ブルー」、エンブレムが八咫烏の平成ニッポンが、いまさら「スポーツの政治利用が」と言い出すこと自体が滑稽だ。戦後のオリンピック憲章に「政治利用」を禁じる条項が書き込まれたのは、1936年のベルリン・オリンピックがまさにこうした国威発揚の政治利用に露骨に利用されたことへの反省に基づいている。

そもそも19世紀のヨーロッパでスポーツの振興が始まったのは、産業革命の結果で過酷な労働環境に置かれた労働者が虐待的な状況下で病気も増えたアンチテーゼで、太陽を浴びてのびのびと身体を使いより健康になろう、という運動であった一方で、国民国家の成立で身体的に強健な国民が徴兵制の普及と国民皆兵的なイデオロギーのなかで「健全な精神は健全な肉体に宿る」が称揚された、近代オリンピックもその文脈のなかで産まれたものであり、これをもっとも露骨に、しかも人種主義の優生思想と結びつけてプロパガンダに利用したのがナチスだった。

『民族の祭典』『美の祭典』1936-37年

その一方でオリンピックが「平和の祭典」で、クーベルタン男爵が近代オリンピックを始めたのが植民地主義の最終局面で列強間の競争や紛争が絶えなかった時代に、古代ギリシャでオリンピックの開催期間中は戦争状態の都市国家どうしでも停戦するという国際ルールがあったことを前提にした、つまりオリンピックそのものがまた別の次元で平和と全人類の和解という政治性を持った政治的なイヴェントだ。

さらに戦後のオリンピックでは合わせて開催されるパラリンピックがより重要性がましている。スポーツの振興が健康増進の肯定的メッセージを必然的に伴う一方で、その「健康」理念自体がファシズムに陥りかねない危険性のアンチテーゼであると同時に、こと近年のパラリンピックは障がい者の「見える化」で社会のバリアフリー化の必要を意識させる優れて政治的なメッセージ性を発信している。東京都が猪瀬知事の時代にオリンピック招致に熱中したのも、そもそもが超高齢化社会を目前にしてのパラリンピックが都市インフラのバリアフリー化を進める最適のキャンペーンだったからでもある。

アパルトヘイトが終わった南アフリカでネルソン・マンデラが大統領になった時、「黒人の復讐」に怯え特権を失ったことに恨みつらみも激しい旧支配者層の白人と、政治的平等は獲得できても経済的には圧倒的に不利なままだった圧倒多数の黒人のあいだで、国は分断されていた。マンデラはそこであえて、南アフリカでは白人のスポーツだったラグビーのワールド・カップが自国で開催されることに目を付けて、ラグビーのナショナル・チームのキャプテンのフランソワ・ピナール(もちろん白人)に優勝するように密かに命じた。それもレギュラーに黒人選手が1人しかいなかったのを「黒人を増やせ」とも言わず、代わりに白人だらけのナショナル・チームが黒人の貧民街というかせいぜいキャンプとしか呼びようがないほど貧しい場所に行って、黒人の子供たち相手にラグビー教室をやらせて、その光景を全国ニュースでテレビに流したりしたのだ。

これは俳優のモーガン・フリーマンが映画化を企画し、クリント・イーストウッド監督によって映画化されている。

C.イーストウッド監督『インビクタス』2010年

もちろん現実がこの映画ほど巧く行ったわけでもないが、それでもマンデラによるスポーツの政治利用が、分断していた国民の統合に大きな意味を持ったことは確かだ。そしてこれを「政治利用だ、許せない」と言い出す者はさすがにいまい。

1995年ワールドカップ決勝戦 南アフリカ対ニュージーランド 国歌斉唱

もちろん北朝鮮・金正恩政権が、オリンピック参加を表明するタイミングのあざといまでに巧みな計算まで含めて、このチャンスを外交的に徹底的に利用しているのは言うまでもない。韓国の右派が「これでは平昌オリンピックではなく平壌オリンピックだ」と文句を言いたくなる気持ちも分からなくはない。

だが分断国家となった民族の和解がオリンピックそれ自体の持つ政治性とぴったり合ったテーマであることに異論の余地はない以上、「韓国が日本やアメリカとの連携を乱している」などと言い出すのはあまりにはしたない…というか、最低限の国際常識すら欠如している。

確かに女子アイスホッケーの南北合同チームとまで来ると、いきなり本来出場権のなかった北の選手と一緒にプレーしなくてはならなくなった韓国チームの選手は、チームワークを作り上げるだけの練習時間も与えられないまま大会に臨まなければならなくなったし、5人だか7人だかだけ参加する北の選手も大変ではあろう。しかも大統領には「人気がない競技に注目が集まる」と言われ、首相には「どうせメダルの見込みもないし」と言われっぱなしなのはさすがにかわいそうで、大統領も首相も、もうちょっと言いようがあるんじゃないか、とは思う。 
しかししょせんは、他所の国の話だ。日本のマスコミがなぜこうも事細かに報じたがるのかには、別の意図(はっきり言えば人種差別)があからさまだ。 
スポーツ選手が「これでは選手がベストが出せない」と同情することを除けば、日本人がとやかく言うことではない(それにメダルの見込みがないのは現実)し、そもそもオリピックに女子アイスホッケーがあることすら知らなかったような人達がなにを言ってるんだ、としかなるまい。

北朝鮮が見事に平昌オリンピックを外交に利用してみせているのは、金正恩の狡猾な外交手腕がそれだけ傑出していて、そのマニピュレーションに日本などの敵対国が翻弄されているだけのことだ。文句を言っているヒマがあるのなら、日本ももう少しは国際的な大義名分で通用しそうなオリンピックの政治利用法とか、多少はマシな外交的狡猾さを身につけるためのお手本としてしっかり研究でもした方がいい。

なにしろ反北朝鮮で「世界の結束」を呼びかけているつもりの日本は、そこで他国を巻き込めるだけのまっとうな大義名分のひとつも提示できていない。

バルト3国を訪問して「北朝鮮包囲網で各国の賛同を得た」かのように日本の報道を通して政府は吹聴しているが、どうとでも取れる一般論を口にしてリップサービスで賛成してもらっただけ、オリンピックを機に南北朝戦の関係が少しでも良好になれば、それが「核問題」の解決につながることを期待している国際世論から、日本だけが浮きまくっている。

まあもちろん、安倍政権が「核問題」の解決をまったく望んでいないのだから当たり前ではある。なにしろこの解決には最終的に米朝直接交渉以外の手段はないし、そこで北朝鮮の核保有をアメリカが制約しようとするのなら、今やその北朝鮮も核弾頭やミサイルを持っている以上、アメリカもまた朝鮮半島で使える核武装をある程度は削減すること以外に妥結はあり得ない。

それこそ「朝鮮半島の非核化」を言うのなら、アメリカが北朝鮮に向けている核ミサイルや、沖縄に密かに(半ば公然の秘密として)配備されてそこからいつでも韓国に持ち込める核兵器もまた全廃しなければ、「非核化」にはならない。朝鮮半島が「非核化」されるなら、日本の「核の傘」は放棄しなければ「非核化」にならない。だから朝鮮半島の非核化を北朝鮮の非核化にスリ替えているのが安倍政権だが、こんな誤摩化しは日本国内でしか通用しない。

…っていうか、それにしても2020年東京オリンピックの準備は、もう少しなんとかなりませんかね? 国際的な「平和の祭典」であることも無視し、世界中から選手が集まって来ることもそっちのけで、エンブレム選びでもマスコット選びでも、コンセプトはバカの一つ覚えで「日本の伝統」なのだそうだ。開会式・閉会式は安倍さんが大好きな『永遠の0』の監督さんだそうだが、まさか特攻隊賛美なんてやらかすんじゃなかろうか? 「維新の志士」を美化するチャンバラごっこでも始められたりとか、そもそも外国人には意味が分からないひどく退屈な独りよがりな「蝶々夫人」的エキゾチシズムの羅列でもやられそうで気が気でない。

だいたいネーム・バリューからしても、2008年北京はかつての天才・張芸謀、2012年ロンドンはダニー・ボイル(『トレイン・スポッティング』『ザ・ビーチ』)、2016年リオはフェルナンド・メレイエス(『シティ・オブ・ゴッド』)と国際的な知名度からも納得する人選だが、『ALWAYS 三丁目の夕陽』と『永遠の0』は安倍さんの趣味だけで、そもそも日本国内しかマーケットとして想定していない映画の監督というのも…これでは「政治利用」どころか私物化だ。

数年前には「音楽の政治利用は」という文句が富士ロック・フェスティバルに殺到して、そもそもロックは政治的なものだろうに「純粋に音楽を楽しみたい」などとロック世代がえらくズッコケていたこともあったが、一方で昨今の「紅白歌合戦」でも見れば、あまりにストレートな政治的メッセージ性がそのまま歌詞になっていて、またそのメッセージというのが全部同じ安直な自己肯定で聴き手を慰めているのが不気味なほどだ。

日本のポピュラー音楽におけるこうした露骨に退行的で反動的な政治的逃避の傾向の元を辿っていくと、価値観の多様性を歌って大ヒットした『世界にひとつだけの花』に行き着く(この歌は同性愛者であることが暴露されてしまった作詞作曲の槇原敬之個人にとって、極めて重要な政治的ステートメントでもあった)のだろうが、それぞれにバケツのなかでピンと胸を張っている花たちが「みんながオンリーワン」でありだからこそ「ナンバーワン」だったのが、いつのまにか聴き手それぞれが、胸を張らなくてもいいから今のままでいいよ、と言われて承認欲求を満足させていればいい堂々回りと言うのは、それはそれで立派な政治性だ(と言うか、あまり「立派」でもないが)。

「◯◯の政治利用は」と文句を言う人達こそが、スポーツでも音楽でも映画でも、歴史教育でも、それを安易な自己肯定=現政権肯定のメッセージという政治性に利用しているだけで、そこに疑義を提起されるのが気に入らないだけではないか?

1/10/2018

負け惜しみも程々に…(あまりに見苦しい日本外交と政権忖度メディア)



韓国と北朝鮮のあいだで、北朝鮮の平昌オリンピック参加に向けた交渉が始まったことに、日本政府がえらくご機嫌斜めらしい。

政府だけならまだしょうがないが(安倍さんと熱烈支持層の思惑が外れて悔しいのは分からないではないが)、マスコミ報道まで同調しているのはさすがに呆れる。そんなことより、わずか一週間前には「新年早々に北朝鮮がミサイルを発射する兆候」を騒いでいたことはどう言い訳するのだろう? 案の定、完全な誤報になったではないか。

今度は「北朝鮮は韓国とアメリカや日本のあいだにクサビを打ち込むつもりで、韓国は騙されているんだ」と言わんばかりの報道というのも、自分達こそ見事に騙されたこと(「米国メディア」に踊らされてまたミサイル発射があると騒いだ空振り報道)の負け惜しみにも見えるというか、言ってることがコロコロ変わる無責任報道もみっともなさ過ぎはしないか? 北朝鮮外交が打ち出す狡猾なあの手この手の巧妙さもあるにしても、あまりに分析的な冷静さに欠如している。

恐らく昨年暮れに米メディアが「ミサイル発射の兆候」を報じたのは、無根拠なわけもあるまい。北朝鮮側がわざとそう報道させるような動きをこれ見よがしにやって見せて、アメリカ側が見事に引っかかっただけだ。金正恩は新年に平昌オリンピックへの参加を表明するサプライズ効果を高めるために、わざと真逆のことをその前に報道させるように、いわば「騙した」のだろう。 
まあ引っかかる方が間抜け過ぎるわけなのは言うまでもないが。

もちろんオリンピックは「平和の祭典」だ。そのオリンピックが偶発的な軍事衝突がいつ起こるとも分からない環境で行われるなんてあってはならないわけで、韓国だけでなくIOCも北朝鮮の参加を切望しているのも当たり前だ。

対話が続いている間は少なくとも偶発的な開戦のリスクは低下するわけで、安倍さんはなにを「対話のための対話は意味がない」などと勘違いしているのだろう? それともオリンピック開催中に当の開催国が戦争に巻き込まれることでも期待していたのだろうか?

意表をつかれたドナルド・トランプは休日に思わず不満をツイートしてしまったが、そのトランプでさえウィークデーに入って仕事モードになれば歓迎を表明し(外交常識としてこれは歓迎するしかない)、北朝鮮が自ら妥協したようにも見えることを自分が圧力をかけてきたお陰だと言うに留めた。まあこれも苦し紛れな言い訳ではあるが、アメリカ国民にとっても日本国民にとっても、オリンピックが名実ともに「平和の祭典」になるのはまず無条件に喜ばしいことだ。

ましてこの南北対話の再開でアメリカも突然の軍事攻撃などはできなくなり、当分は北朝鮮のミサイル演習も核実験もないのが確実になっただけでも、少しは安心していい朗報ではないか。アメリカが韓国に圧力をかけて会談を潰そうとすれば、国際社会で孤立するのはアメリカだ。

まあトランプ本人は「オリンピックは平和の祭典」に巧くつけ込まれ、先手を打たれて梯子を外された交渉当事者として「してやられた」と悔しい限りではあろう。北と韓国のあいだで米韓合同軍事演習の無期延期みたいな話が出て来かねず、そうなったら韓国も文在寅政権ならむしろ賛同し、アメリカは演習ができなくなるかも知れない。それでもここは「大人の対応」に徹しないことには、結局アメリカ政府は戦争をやりたがっているだけじゃないか、と国際社会からも国民からも批判が殺到しかねない。ましてトランプは北朝鮮をただ敵視するだけで、言いがかりをつけて滅ぼしたがっているのだ、とでも思われるか言いがかりをつけられるだけでも外交的な大惨敗になるし、北朝鮮に巧妙にそこまで持ち込んでしまったのだ。

韓国の国民にしてみれば、リベラル派の文在寅を支持しているのにアメリカの勝手で戦争に巻き込まれるなんてたまったものではないし、元々右派政権や軍の対米従属が支持されて来ているわけでもない(朝鮮戦争でアメリカに「守ってもらった」高齢者ならともかく、とりわけ若い世代にとっては「うちの国は本当に独立国なのか?」としか思えず、屈辱的でしかない)。

どうもここが日本では理解されにくいらしいが、どの国でも自分の政府がアメリカが超大国であるというだけで言いなりになっている姿(それもその大統領は人種差別主義の白人至上主義者に支持されているドナルド・トランプ)には、大なり小なり不満があって当たり前だ。 
まして自国主催のオリンピックの最中に、アメリカの勝手な戦争に巻き込まれるなんて、民族への侮辱以外のなにものでもない。

もちろん交渉初日からトントン拍子で様々なことが決まったのを見ても(というか、正月の訓示で金正恩が五輪参加に言及した時点で分かりきったことだが)、北朝鮮が実は最初から平昌五輪に参加するつもりで、公表するタイミングでどう有効な外交交渉カードに使えるのかが、北朝鮮の政府内で慎重に考え抜かれて来たのは間違いないだろう。

まただからこそ、北側の代表は上機嫌で「記者さんたちも興味津々のようだし、いっそこのまま記者に公開で会談しましょうか?」と提案するほど落ち着き払っていたのだろう。一方の韓国側は、同盟国のアメリカへの配慮や、日本や中国との兼ね合いがあるのでさすがにすべて公開するのは二の足を踏むしかなかったが、これも北側に一本取られた格好だ。

「国際社会が北朝鮮を非難している」と日本のマスコミが言いたがるのはかなりの部分、日本国内でしか通用しない誤解だ。ハタ目にはしょせんこれは北朝鮮とアメリカの私闘バトルに過ぎず、北の核開発をアメリカが批判するのも客観的には「どっちもどっち」でしかない。北朝鮮が常にアメリカによる圧倒的な核攻撃のリスクに晒されていて、アメリカがそれを北朝鮮に対する「核抑止力」だと主張するなら、アメリカがその核攻撃能力をみだりに使えないようにするために北朝鮮がアメリカに届くICBMに核弾頭を搭載しようとするのもまた「核抑止力」でしかない。

国連安全保障理事会が「国際社会」を代表しているわけでもまったくなく、非難や制裁が決議されるのは、核武装を独占できる特権を守りたい常任理事五大国に安保理が牛耳られているからに過ぎず、その常任理事国が今の国連では核兵器禁止条約をボイコットしようとして孤立している。とりわけ核兵器禁止条約について同盟国に圧力をかけて反対させたアメリカの横暴に、それでも超大国なので文句も言えず、しぶしぶ付き合わされただけなのが安保理の制裁決議だ。

しかもオバマのアメリカならともかく今はエルサレム帰属問題への反対決議に人道援助の打ち切りで脅しをかけたようなトランプのアメリカだ。折しも政権の内幕暴露本「Fire and Fury」がベストセラーになったアメリカ国民にさえ信頼されていない。

そして「核・ミサイル問題」が北朝鮮とアメリカのどっちもどっちの「私闘」に過ぎないことを、南北会談で北側は、核武装はひたすらアメリカだけを狙ったもので、同朋を核で狙うなんてやるわけがない、と強調してみせた。記者会見では「核問題は南北間の交渉の対象ではない」とも述べたし、双方合意の共同宣言では「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」とも書かれている。

交渉の開始時に北側が、いっそ会談すべてを記者に公開すればどうかと提案したことに、日本のメディアは驚いたフリをしているが、驚くことなどなにもない。この交渉で北朝鮮に隠し立てすることはなにもないのだ。核武装はアメリカの核の脅威に対抗するためで、そこに裏も表もなにもない、まったくそのまんまでしかない。

北朝鮮政府がプライドにかけて吐露できない本音があるとすれば、実のところアメリカの核兵器で殲滅される脅威さえなくなり、韓国の政府が右派政権になって対米従属に徹して北を敵視することや、やはり対米従属しか能がない日本政府が国民の一部の在日朝鮮人差別を公然と支持するような態度を取ることもなくなって、国力の差はあっても対等の主権国家どうしの最低限の礼儀が守られた関係さえ築ければ、わざわざ大金のかかる核開発なんてやりたくもないし、うちは貧しい国なのだから本来ならもっと金を使いたいところはある、というリアリティだけだ。

日本のメディアは北朝鮮が韓国に五輪参加の旅費を要求するに違いないとか言っているが、選手や役員は選手村に泊まる権利があるのになにを言っているのか? 移動は板門店かどこかで38度線を超える陸路の方が政治的アピールは大きくなるし、経費も安い。むしろ韓国側が融和のアピールのために招待などの扱いにしたいわけで、それを「国連の制裁決議を守れ」と言って日米が圧力をかけるなら、国際的に白い目で見られるのはその日米の方だ。

「南北の問題は民族どうしの対話と交渉で」と言う共同宣言も、日本政府や日本のメディアは大いに不満で「国際社会を無視している」などとひどくトンチンカンなことを言っているが、これも現代の国際秩序の基本哲学からして当然のことで、反論の余地はない。国際連合憲章の基本は、民族自決権だ。ひとつの民族の内部の問題に他国はそもそも口を出す権限がないのが、現代の国際秩序の根本原理だ。

まして南北朝鮮が分断しているのは、世界史的には他国の都合に振り回されて来た結果の、日本の植民地支配と冷戦の遺物以外のなにものでもない。大日本帝国陸軍が植民地を守ろうともせずに敗走し、アメリカとソ連の都合で分断されてしまったのが朝鮮民族の悲劇であり、それを克服できるのが朝鮮民族の主体性だけなのは、その通りなのだ。アメリカを射程に納めるICBMの開発はしょせんアメリカの問題で、韓国の問題ではないのもその通りで、韓国にはここでアメリカへの配慮を見せて自国が半植民地の属国でしかないことを曝け出すなんて選択肢はない。

まだ韓国(や日本)が核兵器禁止条約に参加して、核兵器開発そのものを批判できるのなら話は変わって来るが、どちらも同盟国(宗主国?)アメリカへの配慮から投票を棄権している。ましてアメリカの「核の傘」の「抑止力」に期待しているというのなら、北朝鮮に完膚なきまでにやり込められてしまうだけだ。

一言でいえばまたもや北朝鮮の外交的圧勝で、しかも今回は韓国もまたまったく敗北はしていない。韓国には韓国の安全保障があり、北朝鮮のICBMの開発はアメリカの安全保障問題であって直接に韓国の安全保障には関係がない(韓国相手にICBMを使う必要はないし、同民族・同朋というだけでなく放射能汚染の問題もあるのだから韓国に核攻撃はまずやらない)という理屈でメンツは保たれているし、そもそも韓国側には核について北に妥協を迫れるカードはなかった。それがあるのはアメリカだけ、北が交渉できる相手は最初からアメリカしかいない。


とりあえず金正恩にとっては、朝鮮戦争が国際法上ではまだ「休戦状態」であることは変えなければ国の将来がないわけで、そのために使える外交カードが核とミサイル以外に見当たらないような状況に追い込んだのは彼が権力を継承してからの、例えば拉致問題の再調査の申し出をうやむやに誤摩化した日本の安倍政権や、韓国の右派政権、李明博と、とりわけ金正日への代替わり時点の政権担当者だった朴槿恵の対米従属・北敵視政策だった。北朝鮮から見れば韓国の右派はなぜ人種差別丸出しの植民地主義に与するのかとしか見えず、韓国ではその朴槿恵はすでに失脚して判決を待つ被告人の身であり、右派政権の過去の軍事独裁時代から本質的に変わっていない権力私物化体質の刷新を掲げて当選したのが、今の在文寅大統領だ。

ちなみにその韓国右派の源流であり腐敗体質・権力私物化の源泉でもある軍事独裁政権を支えた後ろ盾がアメリカだった過去も、韓国国民は忘れていない。共同宣言に「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」明記されたのには、こうした歴史的背景もあるのは見落とすべきではないだろう。北朝鮮から見れば南北の分断を固定化させたのはなによりもアメリカの陰謀であり、他の要因もあるにせよ、韓国を冷戦の極東における最前線にしようとしたアメリカの意向こそが南北分断の最大の原因であり続けて来ているのも、客観的に見れば確かにその通りなのだ。

いやソ連はどうなんだ、金日成の後ろ盾だったのはソ連ではないかと言うのなら、そんな国はもう四半世紀以上前になくなっている。アメリカの自由主義が共産主義に勝ったと言うのなら、勝って世界の覇者となった側に一定の責任があるのは当たり前だ。 
ヨーロッパで鉄のカーテンは崩れたのに朝鮮半島は分断されたままだったのはなぜか? はっきり言えば当時はまだヨーロッパ出身移民の子孫が中心の白人国家だったアメリカでは、極東アジアの朝鮮半島に関心がほとんどなかったことと、西ヨーロッパが曲がりなりにも民主主義国家だったのに対し、韓国は永らくアメリカの傀儡的な軍事独裁政権で、冷戦の終末期にやっと民主化が始まったばかりだったからだ(ちなみに韓国の民主化を「自由と人権」を常に大義名分にしたがるアメリカが支援したわけでもない)。

北朝鮮からみれば、韓国の政権が自分達を敵視する対米従属の右派ならまだしも、同じ民族の同朋が「平和の祭典」を開催するから祝福し、参加したいというのもこれまた当たり前で、これまた北朝鮮には隠し立てするところはなにもなく、「いっそこのまま記者の皆さんの前で公開で会談を」という提案を北朝鮮側ができたのも当然だ。むろん実を言えばたった2人、フィギュアのペアが一組だけの参加なのはいささか肩すかしではあるが、たったそれだけのことをこれだけ有効な外交カードに使いこなす(しかもオリンピックが民族の名誉だから協力したいこと自体は噓ではない)だけ、北朝鮮の外交は頭がいい、自国の交渉カードで国際的になにが通用してどう使えば有効なのかを考え抜いている、というだけのことでしかない。

逆に言えば、かつて1988年のソウル五輪の前に北朝鮮がテロ行為を繰り返したことを上げて「北朝鮮がオリンピックを妨害するはずだ」と思い込んで来た側が馬鹿を見ただけで、当時は冷戦の東西対決の末期だったわけで、今では状況がぜんぜん違う。むしろそんな時代錯誤な偏見に凝り固まった側のはっきり言えば頭の悪さが、あっけなく北朝鮮に裏をかかれただけだ。

日本のメディアの論調は北朝鮮がオリンピックを利用して韓国をアメリカや日本から分断しようとしていて、騙されている韓国はけしからんと言わんばかりだが、まさに「バカも休み休み言え」の典型だ。

軍事同盟はあっても、アメリカも韓国も日本もそれぞれに、国益も立場も異なっている。こと北朝鮮が今回の交渉で明言したように、核とミサイルの開発の標的はアメリカであって同朋にそんなものは向けない、というのであれば尚更のことだが、ぞもそも現在の懸案はアメリカに届くICBMの開発を許すかどうかで、トランプ支持者の求めるアメリカ・ファーストで言えば韓国や日本を犠牲にしてでも北朝鮮にそのミサイルの開発は許すな、という極論にすらなりかねないことにまったく危機感がない日本外交はどうかしている。

逆に言えば日本だって、日本列島を射程に納める中短距離ミサイルなら300発以上はすでに実戦配備されているのだ。韓国だけでなく日本にとっても、ICBMの開発は実はその安全保障にはなんの関係もない。なのにアメリカに届くミサイルを阻止するための軍事行動の報復攻撃で日本に核を搭載した中短距離ミサイル(これはとっくに実戦配備されている)が飛ぶことでも望んでいるとしか思えないのが、「韓国がアメリカや日本から分断される、韓国は騙されている」と言いたがっているガラパゴス安倍政権のニッポンだ。


それどころか「日米韓の結束」を自らぶち壊しにしたがっているとしか見えないのが日本政府だ。

南北会談と同日に、韓国外務省が2年前のいわゆる慰安婦問題「日韓合意」についての結論を発表した。この日程についてまで日本政府は疑心暗鬼に陥っているが、調査報告を昨年公表している以上は、南北会談とほぼ同時になったのは基本的に偶然の一致に過ぎない(強いていえば、北朝鮮が見計らったタイミングがそこも含めてだった可能性はあるが)。

この結論は極めて分かり易いものだが、日本のメディアは一生懸命に「分かりにくい」と印象操作に徹している。まず問題はあっても国家間合意なので、一応破棄はしない。慰安婦制度の被害者の皆さんの「癒し」と「和解」ならば、彼女たちが韓国国民ならばそれは韓国政府の責任なので、日本が拠出した10億円は要りません。「不可逆的な合意」はあるのでこれ以上韓国から日本にとやかくは言わないが、被害者が納得できる謝罪に務める義務が日本政府にあるのは、当然分かっていますよね、と言うこの上なくシンプルかつ当たり前のものだ。

要するに日本が、というか安倍政権が韓国に「ちゃんと謝ろうね。そしたら許してあげるから」と言われただけのことで、わざわざ「自発的で心のこもった謝罪」と言われたのがカチンと来るのは、気持ちは分からないでもない(他人から「自発的に」と言われるのは本来は矛盾していて、子供を叱るときくらいしか用いられない上から目線レトリックだ)が、これも自業自得だ。2015年の日韓合意の公表された3項目の第1は、安倍首相が「心からのお詫び」を表明することだったはずだが、日本側によればその義務は岸田外相がその文言を共同会見で読み上げただけで済んだことになっているらしい。

いったいどこが「心から」なのかそもそも理解不能だし、日本国内ではこれが合意内容の第1だったことすら無視されている。

だいたい子供の喧嘩の仲裁じゃあるまいし、一回謝ったからもう水に流してお互いに言いっこなしにしましょう、なんていうのが死亡者や事実上殺害された者も多い深刻な人権侵害で通用するわけがないだろうに、いったいなにをもって「最終的」と日本政府は言っているのか?

政府高官(と新聞で書かれるということは、菅義偉官房長官かその副長官のこと)は「一度行うと『次はこれ』『次はこれ』と要求される。そうならないために合意に『不可逆的』と盛り込んだ」と言い訳しているらしいが、今さらバレている噓になぜ固執して国民を騙そうとしているのだろう?

「不可逆的」はすでに韓国外務省の調査報告でも事実関係が確認されているが、韓国側が日本に要求したことで日本側が「盛り込んだ」ものではない。つまり河野談話による謝罪が日本政府の公式見解で、2015年末にも安倍首相が「心からのお詫び」を表明したことが「不可逆的」だと言質を取られたわけで、つまりは、もうこれはひっくり返しませんよね、「ただの売春婦」だの「でっち上げ」だのの暴論は今後は一切言いませんよね、しっかり反省してその反省を翻すことはありませんよね、という再確認でしかなく、日本政府が国内向けに印象づけようとしているような「10億円払ったんだから今後は慰安婦の『慰』の字も言うな、国民にも言わせるな」なんて意味には最初からなろうはずもない。

河野外相は韓国外務省の発表にさっそく「抗議」をしたそうだが、その中身は「さらなる措置を求められることはまったく受け入れられない」だというのだからトンチンカンな言いがかりもほどほどにして欲しい。そんな「さらなる措置」なんてまったく要求されていないどころか、日本政府の「措置」のつもりだった10億円も「要りません」と言われただけだ。

日本政府には抗議する理由なんてどこにもない。安倍首相が「心からのお詫び」を表明するのが合意の中身なのだから、「自発的で心のこもった謝罪」が期待されるのは理の当然だ。これ以外に韓国外務省は日本政府になにも求めておらず、10億円も「要らない」と言っているのに、なにが「さらなる措置を求められること」になるのか? だいたい安倍自身が「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」がいたと認めている(戦後70周年談話)ではないか。確かにこの受動態の一文の主体は曖昧だが、まさか「日本軍の被害者のことではない」、戦後の占領下での米軍のレイプ被害者のことだとでも、いきなり言い出すのだろうか?



いくら安倍だってまさか「お詫び」はするが「謝罪」ではない、という意味不明な詭弁でも始まるのか、というのはさすがにないとは思うが、朝鮮民族は儒教の伝統があり、敬老精神が文化の重要な一部になっている。韓国が北朝鮮に、その高齢の、それも戦時性暴力の被害者をこうも侮辱して植民地支配についてなんの反省もない日本の言いなりになるのか、と言われれば…というか言われる前から、韓国政府は沽券にかけても、安倍の「お詫び」ないし「謝罪」をうやむやにする態度を許容できるわけがないし、国際社会にも支持されない。

これでは対北朝鮮の「連携」が必要なときに、自国の身勝手どころか総理大臣の個人的な趣味だけで日韓を分断させているのは、一方的に日本側ではないか。それどころか安倍の訪米時に慰安婦制度被害者に対する不誠実な態度を批判したのはアメリカでも特に与党共和党だし、#MeToo というセクハラ被害者女性の告発が大きなうねりになっているのに、安倍はセクハラ疑惑がささやかれ性差別主義者だと批判されているトランプとなら「個人的な信頼関係」が築けるとでも思っているのだろうか?


それに韓国外務省は要するに、10億円なんてどうでもいいので自発的な謝罪を、と言っているのだ。はっきり言ってしまえば日本にとってはタダで済むことでもある。安倍さんとネット上の熱烈支持層が悔しがって前後の見境のつかない興奮状態に陥ること以外に、日本国民にとってなにも損をすることはない。

1/05/2018

新年早々、北朝鮮の「打ち上げ花火」(は多分ない)


新年あけましておめでとうございます…

広重 名所江戸百景 霞かせき 安政4(1857)年

…と始まった新年のニュースでさっそく、米メディアが北朝鮮がまもなく大陸間弾道ミサイルの発射実験を行う可能性を報じたと騒いでいる。「めでたさ」本来とは別の意味でのいかにもオメデタイ話にうんざりするが、まずそろそろ、いい加減学習してもいいのではないか?

昨2017年中に17回ミサイルが発射されたなかで、なにかの記念日に合わせてミサイルが発射されるのではないか、というメディアや識者の “予測” は、ことごとく外れている。

記念日に合わせての発射だったのは、アメリカの独立記念日のお祝いだとアメリカ合衆国本来の国是でありその独立戦争の正義にわざと言及して痛烈な皮肉を飛ばした時と(確かに超大国の力任せに北朝鮮のような小国を押さえつけるのは、アメリカそれ自体が体現するはずの理想への裏切りになる)、帝国主義時代の日本による朝鮮半島侵略が完成された1910年の日韓併合の記念日に合わせての発射だけだ。この時には北朝鮮政府がその旨を明言して自国に向けられた非難を今の日本の歴史無視・歴史修正主義批判へと、鮮やかにひっくり返してみせた。

この後者については、日本メディアは懸命に言及を避けているが、そんな国内引きこもり的な独りよがりでは、かえって北朝鮮に一定の正当性を与えてしまうだけだ。 
過去の日本が東アジアと世界の平和に挑戦し乱そうとした加害国であることは変えようがないし、しかも当時の日本は、今の朝鮮労働党体制どころではない軍国主義国家だった。北朝鮮はその直接被害国だ。 
その反省を前提にしない限り、日本がどう北朝鮮を非難しようが、返す刀で「お前が言うな」と国際的に認識されておしまいなのだ。 
逆に言えば、毎年の終戦記念日などで口先だけでいいから反省を明言して、現代の民主主義国家日本はかつての侵略国家日本とは違うと明示さえし続けていれば、それだけで(はっきり言えばタダで)済むことなのに、なぜそんな簡単なことが出来ないのだろう? 

どうせ報道されたとたんに結果として虚報になる(つまり大きなニュースに既になっているのだからわざわざやらない)公算が高い以上はまったく重要性のない、それも別に独自取材でもなく外国の同業他社の受け売りで、新年早々にこの大騒ぎとは、いかにも志が低くて幸先が悪い上に、頭の悪さとヒステリックな妙な共感性依存体質ばかりをなにもわざわざさらけ出すこともあるまいに。

北斎 富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図 19世紀

これまでミサイル発射がある度に、日本政府はまったく意味がないJ-アラート(弾道ミサイルが日本の「上空」ではなく「日本の上の人工衛星より高い宇宙空間」を通過するときは慣性の法則で地球の引力と拮抗する力で放物線を描いて移動しているので、日本に落ちて来るわけがない)をわざわざ発令したり、小学生に昔懐かしい防災頭巾をかぶらせて避難訓練をさせたりして危機感を煽ろうとする一方で、発射の度に「事前に察知していた」と強弁もして来た。

むろん世界最強のアメリカの軍事衛星偵察システムがあるのだから、ある程度の監視は可能だし、そこで得られた情報は日本政府も直前にもらうことが出来る。だが北側から見ればミサイル演習や実験の準備まではしても、本当に発射するかどうかは、あくまでその時々の状況とその状況から産まれる戦略的効果による。

つまり北朝鮮の一挙手一投足がここまで注目を集めているからこそ、ますます外交的に最もインパクトのある時を狙って戦略的に考え抜くのが当然なわけだし、逆に言えば一般メディアまでが「発射の兆候」を把握しているのなら、そのタイミングで撃ったところであまり(というか、普通ならまったく)意味がない。

つまり米メディアの報道にわざわざ正月のトップ・ニュースにする価値は、それが報じられたとたんにまったくなくなってしまうし、どっちにしろまかり間違って米朝開戦となるとしてもそれはアメリカが仕掛ける場合のみで、北がいきなり先制攻撃なんて絶対にあり得ないというのに、よくもまあ無意味なニュース報道で空騒ぎの火に油を注ぐものだ。

広重 名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田 安政4(1857)年

いや、もっとはっきり言えば、北朝鮮はすでに移動式の発射台などの技術を持っているのだから、本気で駆使すればアメリカの軍事衛星偵察システムからさえ兆候を隠すことも理論上は可能なはずだ。なのにたかが米メディアが「発射の兆候」を報道できるというのは、むしろ北朝鮮がそう報道するように仕向けている(つまり、わざと発射準備に見えるような動きをした)可能性も、排除しない方がいいのではないか?

つまりは金正恩がわざと蒔いた餌にあっけなく飛びついて、赤子の手をひねるようにいいように弄ばれているだけなのではないか?

英一蝶 大井川富士図 江戸時代17世紀

なんと言っても核とミサイル開発は、金正恩政権にとって日本やアメリカや韓国が自国に注目するように仕向ける最も効果的なカードになっている。しかもそのカードの有効性は、他ならぬ日米韓の3国や中国が証明し続けてくれているに等しい。

核兵器はその存在自体が道徳的に(つまり少なくとも建前としては)絶対悪であるだけでなく、実務の問題でもたいがいの核保有国にとって核兵力の維持は、とっくに大国なのにいまさら大国気取りの虚勢を張りたがる自己満足以外には、なんの役にも立たない冷戦期の惰性でしかなく、壮大な税金の無駄に過ぎない。
 
オバマが核廃絶を訴えたのも、核兵力の維持にかかる膨大な国費が財政上無視できない負担になっているという現実をなんとか変える狙いもあった。結局は絵に描いた餅で、オバマ政権下にアメリカの核軍備は更新され続けるどころか増強さえされてしまったし、最後の切り札だった核兵器使用を人道上の罪として謝罪することも、その人道犯罪の被害国であるはずの日本に(なぜか)阻止されてしまったのだが。 
だがこの北朝鮮の核武装計画の場合、確かに「核保有」は外交的に極めて効力のあるカードとしてちゃんと利用は出来ている。

北朝鮮にとっては国民生活を犠牲にして膨大な資金を注ぎ込まなければならない核開発だが(だから金正恩は就任当時、父が進めていた核開発ではなく国内産業の育成に予算を向けようとしてもいたが、諸外国に無視され続けるなかで方針の転換を余儀なくされた)、周辺諸国が大人げない対応をし続ける限り、決して「ただの無駄」にはなっていない。

むしろ代替わりの直後に韓国や日本に対して関係改善を働きかける比較的まともな外交姿勢に方針を転換しようとしても(韓国にはお互いの罵倒を止めようと提案し、日本には拉致問題の再謝罪と再調査を申し出て、第二次大戦の日本人戦争遺族を中朝国境地域への墓参に招待もした)単に無視されただけだった以上、核とミサイルというカード以外に、金正恩が国際社会のなかで中国の属国状態と偏見で見られ続けることから抜け出して、北朝鮮の未来を切り開けるカードは、他になかったとすら言える。

言い換えれば、現代の国際社会に国連憲章に謳われているような理想を少しでも尊重する姿勢があれば、金正恩政権は核やミサイルの開発ではなく他のもっと建設的な分野に国費と国力を注ぐことも出来たし、現に金正恩自身が最初はそういう改革をやるつもりだった。だが例えば拉致問題を再び謝罪して今度はしっかり調べると申し出ても、単に無視されただけで日朝関係も北朝鮮の地位も、なにも改善しなかった。

それが核とミサイルをちらつかせるだけで、周辺の諸大国は金正恩の一挙手一投足にひたすら注目する。オバマ政権はまだ「戦略的忍耐」と称してとにかくなんでもひたすら無視を決め込んだので、北がどんな騒ぎを起こそうにも不発に終わったのが、ちゃんと反応して積極的に関わろうとするトランプ政権なら、米朝交渉に引きずり出せる可能性も相当に高い。

歌麿 合惚色の五節句・正月 18世紀

冷静に、客観的に見れば、たとえば日本政府が対米従属に徹しつつ「圧力」一辺倒を口角泡を飛ばし叫びつつ、その裏で恐らくはあの手この手でアメリカ政府に働きかけて強硬姿勢に誘導すらして来たであろう(ワシントンでロビー攻勢に専念して来たとしても驚くに値しない)この数ヶ月の結果は、なんと周辺のどの国に較べても吹いて飛ぶような国力しかない、経済的・産業的にもあまりに遅れた貧しい小国でしかないはずの北朝鮮の、日本も含めた周辺諸国に対する圧巻の外交的勝利の連続になっている。

逆にこと日本の国益という観点で言えば、なんの戦略性も出口戦略もなかった「圧力」方針は、金正恩政権に着々と核弾頭と弾道ミサイルの技術開発を進めて完成に近づける時間稼ぎをみすみす許しただけだった。

いわば安倍政権がこそが、北朝鮮の目標達成に貢献して来たとすら言えてしまえそうだ。

日本から至近に核武装国が出来てしまうこと自体は、もちろん日本の安全保障にとって決してプラスではない。そんな明らかに国益に反する状況を日本政府自身がみすみす自らの無策で招いてしまっただけが「最大限の圧力」の結果だし、日朝関係の日本にとっての大懸案であるはずの拉致問題も、「圧力」を叫ぶだけで交渉パイプを自ら潰してしまっている現状では、ますます解決の見込みも遠のくしかない。

北斎 太夫の書初め 文化4(1807)年

もっとも、国民の利益ではなく政府というか安倍政権の利益から言えば、拉致は決して解決してはいけないし、被害者家族はひたすら「気の毒な人々」であり続けてもらわなければ利用価値がなくなるのも確かだ。しかも本気で解明・解決をしようとすれば、その過程で安倍政権が決定的に不利になる事実が次々と明らかになってしまう(要はなにもせず、むしろ解決を妨害し、被害者家族を選挙等にひたすら利用しつつ、その被害者家族にさえ圧力もかけて黙らせようとして来ただけなのが安倍晋三とその周囲)のが実情だ。

北朝鮮の核武装が現実化しつつあることですら、安倍政権にとっては日本の安全保障は実はどうでもよく、国内的に防衛予算の増大させたり憲法9条を改正するには確かな追い風として政権の求心力を高める効果だけを狙っているとしか思えないし、現にその効果だけは上がっている。

外交的には大惨敗としか言いようがない安倍政権の動きだが(トランプ来日でアメリカ製最新兵器の購入をあっけなく飲んでしまうなんて、あまりにみっともないし)、これが外交も安全保障も実はどうでもよく、「国難」を煽るだけ煽って政権基盤を固めようと意図したコップの中の嵐的な陰謀だったとしたら、驚くに値することは何もないのかも知れない。

渓斎英泉 書き初め美人 19世紀

さて一方の北朝鮮・金正恩政権はといえば、新年早々のミサイル発射の「可能性」に興奮していた日米をあざ笑い、その梯子を外すかのようなサプライズの新年の訓示を発表した。

まず金正恩は「核戦力の完成」を宣言し、アメリカ大統領の有名な核のボタン(大統領がどこに行くのでも携帯用の発信装置がついて行くことになっているらしい)をあてこすって、アメリカに撃ち返せる「核のボタン」は「いつでも私の仕事場の机の上にある」と述べた。

トランプはさっそく「私の机の上にも核のボタンはあるし、こっちの方が強力だ」と大人げないツイートで言い返して、またもや金正恩の計算通りに乗せられたわけだが、普通に読めばこの発言の外交的メッセージは、要するに核開発はもう「完成」したのだから北としてはこれ以上の核やミサイル発射による威嚇・挑発はやらないでもいいのだが、米韓日の側はどうするつもりなのか、とボールを投げた内容になっている。

ならばアメリカだって返すべきボールが何なのかも、それ以外の対応があり得ないことも百も承知なのに、それでは「リトル・ロケットマンの言いなり」になってしまうのが、トランプにはやはりよほどシャクに触ったのだろうか。

歌川豊春 新板浮繪七福神寶舟湊入之圖 18世紀

もちろん、ここで周辺諸国が判断を間違えさえしなければ(ただしそれは、北朝鮮の狙った通り、にもなってしまう)、この核とミサイル問題は完全な「解決」とまでは行かなくとも、偶発的な戦争が起こりかねないようなヒートアップした危機は回避されるのだし、現にトランプ政権もすぐに態度を翻すことになった。

なんと言っても北朝鮮がこれ以上、核実験やミサイル演習を続けなくなる可能性だけでも安全保障上の成果は大きい。

…というか、本音で言えば金正恩だって、これ以上核やミサイルに国費を注ぎ込み続けるのはできれば止めにしたい。その必要さえなければ、同じ資金を国内の産業整備やインフラ事業に注ぎ込めれば、それに越したことはないのだ。 
 だからこそ北朝鮮は足下を見られないように、その本音はわざと隠して来た。アメリカのメディアが新年早々にミサイルを発射する観測を報じたのも、だからこその陽動作戦だった(わざとそう見られるかのような動きをさせた)可能性すら否定はできない。
要は自国がアメリカにいつアメリカの核攻撃で全滅するか分からない、というようなリスクを排除するのと、中国が今後は露骨な属国扱いはしないこと、あとは日本が差別意識丸出しの侮蔑的な態度を今後は控えることさえ実現できれば、あえて大金を注ぎ込んでこうした敵対姿勢を続ける理由なんて、そもそも北朝鮮にはないのだ。


魚屋北渓 三升福禄壽・布袋 19世紀

この新年の訓示で本当に重要だったのはもちろん、北朝鮮がこれまで沈黙を通して来た韓国・平昌で開催される冬期オリンピック(1988年のソウルの夏期オリンピックについで2度目の朝鮮民族が主催しホストになる大会)について、祝福・歓迎する姿勢を明確にし、参加の意志も示したサプライズだ。

つまりは年末にアメリカのメディアがミサイル発射の兆候を報道した、つまりはアメリカのメディアが報道できるほどあからさまに北朝鮮がミサイルの発射を準備しているかのような動きを見せたのは、やはりこのサプライズ効果を高めるための陽動作戦というか、要するにアメリカのメディアも日本のメディアも騙され引っかかって踊らされただけだったのだろう。

韓国政府には当然ながら、これに応じて南北対話を始める以外の選択肢はない。さっそく文在寅大統領が歓迎の意を表明すると、北側はすぐに板門店の南北ホットラインも復活させ、高官レベルの会談の準備まであっというまに始まった。

日本のメディアは米朝対立がより激しくなってくれなくては困る安倍政権(北朝鮮のお陰で支持率がなんとか維持されているのが、「国難」を標榜してうやむやにできて来た森友・加計学園疑惑も再燃するし、政権に近いペジー・コンピューティングの助成金詐欺事件にリニア新幹線談合など、より巨額な「オトモダチ優遇」疑惑も山積している)を必死で忖度するように、これが北朝鮮による米韓の結束にクサビを打ち込む陰謀で、乗ってしまう文在寅は愚かだ、と言わんばかりの論調を取っているが、馬鹿も休み休み言って欲しい。

国際平和と正義の観点からして、韓国政府には北朝鮮のオリンピック参加の意向を歓迎する以外の対応はそもそも出来ないし、アメリカだってそこには反対できないのだ。

産経系の極右夕刊フジなどは「アメリカが韓国に激怒」とか、今度は米韓戦争が始まるみたいな妙な期待に染まっているが、米韓にクサビどころか韓国を使ってアメリカを交渉に引きずり出すことも可能なのが、北朝鮮の外交戦略だ。

この流れに抵抗すれば、それこそ「韓国は平和の祭典を主催するのに戦争をやりたがっているのか?」と思われるだけだし、そもそも戦争をやりたがっているのは日本であって、韓国では一部の狂った右派はともかく、文在寅は「愛国心」と彼が言う時にはそれは朝鮮民族の総体が対象で、性急な半島統一は当分は不可能でも南北朝鮮は融和すべきだ、というのが信念だし、圧倒多数の国民は、何十万人か、運が悪ければ何百万もの犠牲が避けられない対北朝鮮戦争が現実の選択肢になれば絶対に反対する。

国貞(三代豊国) 七福神 19世紀

逆に言えば、これもまたもや、金正恩のまだ30を過ぎたばかりの若さとは思えない老獪な外交手腕を示す、相手国の都合や利害や行動原理を考え抜いた上で戦略的にタイミングを見計らった一手だった。

つまりはまたもや、北の計算通りの、圧倒的な外交的勝利だ。

なにしろ米韓両国のあいだでは、「北朝鮮は参加しないだろう」という前提で、平昌オリンピック前とその期間中は米韓軍事演習は延期する、という合意の形成が昨年暮れから既に進んで来ていた。

この合意が検討され始めた時点では、北朝鮮は五輪への参加についてなにも言わず、国際オリンピック委員会からの参加の意向確認にも(恐らくはわざと)なにも返事をしていない。そこで米国や韓国の右派や日本では「北朝鮮は国際平和に反して挑発的な態度を取り続けるに違いない」「オリンピックを妨害するためにテロ事件を起こす」などとレッテル貼りに耽溺し、その対比で自らはオリンピックに参加し協力する国際社会の側だという格好を演出するプロパガンダで、北に対する道徳的な優位を(主に国内向けに)示そうとすらしていた。

金正恩はその自惚れのスキに見事につけ込んで、米韓(とくにアメリカ)の鼻を明かしてみせたわけだ。

作者不詳 江戸の正月 天保8(1837)年

アメリカにしてみれば、いかに北朝鮮に逆転されて主導権を握られ、金正恩の狙った通りの結果になるのが悔しくとも、今さら米韓軍事演習の延期を撤回するわけにはいかない。国防総省もさっそく米韓軍事演習をパラリンピックの終了までは延期すると早々に発表した。悔し紛れに北朝鮮の五輪参加を評価するのではなく、大会開催中は軍事演習による交通の制限などを避けるため、という言い訳を付け加えてはいるが、演習を少なくとも延期はしなければ平和の祭典オリンピックをアメリカが妨害した、という形になってしまうのは、いかに「アメリカ・ファースト」のトランプでもそんな状態に自らを追い込むわけには行かない。

つまり事態が北のペースに乗せられて進展することはアメリカも避けようがないし、北朝鮮はアメリカをその立場に追い込む計算で情報の出し方をコントロールして来ていたのだろう。

北斎 七福神 文化6(1809)年

次の焦点はもちろん、合同演習が今のところ「延期」であるのを「中止」するようにと北朝鮮が要求して来るかどうか(というか、これはほぼ確実にこう言って来るだろう)、そしてその要求に米韓がどう応えるかだ。

韓国の右派と、それ以上に日本は、強硬に反対するだろう(両者ともアメリカべったりの対米依存であると同時に、自分たちの憎悪の対象をアメリカが撃滅してくれることで自分たちの権威権力が担保されるのだと、あらぬ期待を抱いている)が、文在寅政権は「無期延期」か、年内は見送るくらいまでは本気で検討するだろう。もともと米韓合同軍事演習は、文在寅にしてみれば断る理由も見当たらないのでアメリカや国内右派に合わせるしかなくやって来たことに過ぎないのが、これで平和の祭典のオリンピックが断る大義名分になったのだ。

そしてアメリカに対しても、これを機に米朝対話を本格的に始めるように、という圧力が国際的にかかることにもなる。逆に言えば、このまま米韓合同軍事演習をアメリカが強行してしまうなら、世界の平和を乱す悪者になって国際的に白い目を向けられるのは、北朝鮮ではなくアメリカなのだ。

しかも米韓合同演習をただ「延期」するだけで、オリンピック後にはまた米朝対決を再開するという態度をアメリカが取るのなら、北朝鮮の態度が「ならば結構、そのあいだもこちらは黙々と核とミサイルの開発を続ける」となるだけだ。つまりは「延期」だけに留めてしまえば、米本土に直接攻撃が可能な弾道ミサイルをいよいよ本当に完成させるためのさらなる時間稼ぎを2ヶ月以上も、北朝鮮にみすみす与えることにしかならない。

北斎 見立て大黒・弁天・恵比寿 江戸時代18世紀

NHKがわざわざアメリカでも世論調査をやって脅威と感じる者が8割と報道しているが、アメリカ国内的に北朝鮮の核問題が「脅威」であるのは、単に金正恩政権が、というわけではないし、現にNHKの質問項目もなんのことはない、あくまで「米朝戦争が起こること」を脅威として感じるかどうかだった。

「なにしろこっちの大統領もトランプだし」「トランプのことだから非常識で愚かなことをやってしまうのではないか」という不安も含めて脅威を感じているのがアメリカ国民であって、しかもアメリカが深く関わり続けている中近東情勢に安定の気配がまったく見えない(むしろトランプが新たな混乱を招いてしまっている)なかで、今度は東アジアで戦争など無謀でしかない上に、理論上はアメリカ本土全体を射程に収める火星15号ミサイルも、北朝鮮はすでに持っている以上は、米本土の大都市とそこに住むアメリカ国民の声明すら危険に晒すことになる。そんな軍事行動に賛成できるのは、アメリカ国民のなかでもごく一部の、世界を知らず根深いコンプレックスに囚われている人々だけだ。

だいたい日本が期待しているような「北朝鮮はけしからん、やっつけてしまえ」などという積極的な世論は、アメリカにはほとんどない(というかそもそも北朝鮮なんてどうでもいいし、朝鮮半島がどこにあるのかもよく知らない)。

北斎 宝船の七福神 19世紀

アメリカが東アジア外交でもっとも重視しなければならない相手国は当然ながら中国であり、トランプにとって幸いなことに、習近平もそこを深く理解してトランプ個人との信頼関係をしっかり構築して来た(それに有能な豪腕政治家の習近平は、トランプにとって個人的に敬意も抱くし話も合う相手なのは、安倍とは大違いだ)が、その裏では中国政府にとっても、今の北朝鮮は最大のアキレス腱のひとつになってしまっている。

なにしろ父の金正日の時までは事実上の属国だったのが、息子の金正恩はまったく言うことを聞かないどころか、むしろわざとことごとく北京の意向に反対し、「図体がでかいだけの間抜けな周辺諸国」とまで痛烈に罵倒して、徹底的に馬鹿にして来ている。大国としての立場とアイデンティティを鮮明にしつつあるのが今の中国なのに、その盟主を気取る習近平がたかが北朝鮮すら従わせられないという現実が明らかになってしまえば国家の沽券に大いに関わり、チベットや新疆ウイグル自治区の独立運動などを勢いづけてしまうだけでも大変なリスクだ。

ここはなんとしても米中が連携して北朝鮮をねじ伏せなければいけないのだが、北京にとってさらに厄介なのが、その国際的な手段には経済制裁しかないことだ。

今の中国の国民は経済発展こそが国のためであり自分達国民のためだと考えている。北朝鮮との付き合いが現に金儲けになっていて、それが今後の商売の上でも重要だと考えれば、政府の命令になぞ従わないし(というか中国国民はそもそも、自国政府をそんなに信用もしていないし権威も感じていない)、ましてアメリカの言いなりになぞもっとなるわけがない。国民の本音レベルでは一歩間違えれば「政府はなにを馬鹿なことを言っているのか」としか思われなくなる経済制裁への参加は、北京政府も実効性が元々担保できないのが実情で、とはいえこうも反抗的な北朝鮮に対する国際的な制裁に参加しないのは中南海の沽券に関わるので、だましだまし参加するしかない。

その上北朝鮮と国境を接し、もっとも関係が深い旧満州はもともと漢民族の土地ではなく、満州族、モンゴル人、朝鮮族など少数民族が多く北京政府への不満も不信も元から強い。政府の都合にそう従順に従ってくれる人々ではないのだから、その不満を長引かせるわけにはいかない。

つまり習近平にしてみれば、今のところはできるだけトランプに歩調を合わせはするが、協力するから早く金正恩とカタをつけてくれ、というのが本音だ。

窪俊満 七草 19世紀

ロシアのプーチンにとっては、とにかくウクライナ問題以降の経済制裁を主導するアメリカの権威を失墜させ、「アメリカ側」の陣営を瓦解させることが重要な外交目標なので(そのアメリカのヘゲモニーを破壊しなければ、ロシアは二流国扱いのままになる)、北朝鮮問題がどちらに転ぼうが、それをアメリカの愚かさや不道徳さをあげつらう手段に用いるに決まっている。

魚屋北溪 七草売り 19世紀

北朝鮮はつまり、国際的にも米国内的にも「トランプいいかげんにしろ」という声の方がいつでも沸き上がりかねないタイミングを見計らって、平昌オリンピックへの参加の意向を明らかにしていたことになる。

しかもとたんに急ピッチで話を進めることが出来ていると言うことは、一ヶ月前になって突然オリンピックに参加することになったかっこうの選手たちのトレーニングも含めて、海外に察知されないように万端の準備を重ね、あとはこの五輪カードを切る最良のタイミングを考え抜いて来た策謀だったのだろう。

金正恩は元々、代替わりの直後には韓国の、38度線からたいして離れていない平昌でのオリンピック開催が決まったのを見込んで、38度線のすぐ北にスキー場を建設させている。つまり共同開催も視野に入れていたわけで、右派系の(というか軍事独裁者・朴正煕の娘である)朴槿恵の敵視政策で断念していた。日本もまた朴槿恵以上に北朝鮮を敵視するというか、差別意識丸出しの安倍政権なわけで、この2国が金正日から金正恩への代替わりが関係改善のチャンスだったことを見逃していなければ、そもそも今の核・ミサイル危機は起こっていない。

オバマ政権も韓国と日本を無視するわけには行かないから、「戦略的忍耐」つまり「なにもしないこと」以上の対応は出来なかった。現状を冷静に見れば、要するに米日韓の3国にはそのツケが突きつけられているのだ。

魚屋北溪 三十六禽続・犬 19世紀

朝鮮半島は南北合わせた全体で見ても、人口の面でも面積でも小国でしかない。歴史的にもはっきり言ってしまえばほとんどの場合、中華帝国にひたすら付き従う朝貢国・衛星国でしかなかった。

それでも現代の韓国は経済発展と、東アジア・東南アジア圏を中心に世界に向けた文化輸出政策を民主化後の国が強力に後押しして来たことで、かなりの国際的なプレゼンスを獲得しているが、もう一方の北朝鮮は、大国が主導する国際政治の枠組みのなかで、こう言っては悪いが吹いて飛ぶような存在感しかない国だ。

その北朝鮮がこれだけの国際政治上の注目を集めるよう巧妙に立ち回り、「綱渡り」「瀬戸際外交」と大国のメディアがいかにムキになって揶揄し貶めようとしようが、しっかり自らの地位と発言力と国益を確保し、国内でいかに深刻な貧困や食糧不足や政治弾圧などの問題を抱えながらも、外交的には連戦連勝を重ねて来ているのだ。

しかもその指導者はまだ30を過ぎたばかりの若者のはずが、その外交は老獪で狡猾極まりなく、しかも大胆で、しっかりと計算どおりの結果も出している。

金正恩の政治能力が高いからだ言われれば、ドナルド・トランプや元側近のスティーヴ・バノンですらそう認めている通りなのだろうが、それ以上に日本が(曲がりなりにも大国だというのに)あまりに無能にして非常識でプライドのかけらもなく、あまりに情けなさ過ぎはしないだろうか。

広重 名所江戸百景 高輪うしまち 安政4(1857)年

他に使えるカードが他にないから核とミサイル、という選択は、もちろん倫理的には大いに問題だ。こと唯一の戦争被爆国である日本の国民としては許せないのはその通りだ。

しかし日本がそれを言うのなら、自らがアメリカの「核の傘」が必要だなどとはそれこそ建前だけでも絶対に言ってはいけないダブルスタンダードにしかならず、日米安保があるからと言って、そこまで卑屈になって自国民の被爆者をあからさまに裏切り侮蔑してまで媚を売る必要はない。

日本列島にとって「北朝鮮の核武装は脅威」なのもその通りだが、それを言うならアメリカが在日米軍基地、とくに沖縄という足がかりを持っていて、いつでも北朝鮮の全土を壊滅できるだけの核攻撃が可能な体制を維持している(日本政府への通告義務がないので、現状で沖縄の核弾薬庫に再び核弾頭が持ち込まれているのは十分にあり得る、というか当然持ち込んでいると考えるのがまともな軍事安全保障上の思考)ことも、日本国民ならば許してはならないはずだ。

礒田湖龍斎 水仙に群狗 18世紀

それに北朝鮮が本来なら持っていた、外交上の他の「使えるカード」として、日本相手なら拉致問題の再謝罪と再調査を申し出て来たのは北朝鮮だし、その当時には安倍政権下で在日朝鮮人や朝鮮総連に対する露骨に人種差別的な言動が政権の熱烈支持層から出て来ていたり、政策面や司法の動きでもそうした人種差別が補完されていた(たとえば朝鮮学校の高校無償化からの除外、たとえば朝鮮総連本部ビルの差し押さえ)こともあえて直接明言はせずに、日本政府に在日朝鮮人の人権の保護を今後もしっかりお願いする程度の言い方で済まして来ていたのを、不誠実さ丸出しに無視して、新たな拉致被害者救出の可能性すら潰して来たのは、安倍政権の日本政府だ。

浄瑠璃寺十二神将像 戌神 鎌倉時代13世紀

あえて極論を言うならば、今の北朝鮮をめぐる国際状況を作り出したのは、国内引きこもりで外交を国内向けの、それも自分の熱烈支持層(これがまたまったくロクでもない人々で、普通の日本人なら「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言いたくなるような、人格がぶっ壊れたとしか思えない不道徳な差別主義者の噓つき集団)へのアピールと、とってつけたようなうわべだけの自慢と言い訳の手段としかみなして来なかった安倍政権の、呆れるまでの非常識に彩られた外交無能ぶりにも大きな原因があることを、たとえば日本の大手メディアなども、そろそろはっきり言うべきではないのか? 

北朝鮮が本当に「脅威」で「国難」があるのなら、それを少しでも解消・緩和に導くことこそが本来なら日本国民の利益、つまりは日本の本当の国益のはずだ。

しかしだからこそ、トランプのアメリカが北朝鮮を殲滅でもしてくれることに淡い期待だか夢だかを抱いている安倍が総理大臣でいる限り、平和裏で解決できる問題でもあえてぶち壊しにして「集団的自衛権」を行使したくてウズウズしている安倍が邪魔するのだろう。

円山応挙 朝顔狗子図杉戸 天明4(1784)年

日本は経済的にも文化的にも、そして実のところ軍事力においても立派に、世界屈指の大国だ。だから(アメリカ以外の)世界中の国々は日本に最大限の配慮を欠かさないというのに、日本政府はなぜこうも外交がヘタクソで外交的惨敗を続けるばかりで、自国の利益がどこにあるのかすらロクに把握できていない外交上の奇行を繰り返すのだろう?

そんな情けない大国の日本と比較したとき、北朝鮮の外交は、その国自体は偏見で見られ続けているし実際に時代錯誤な独裁国家ではあり、国力の規模としても吹いて飛ぶような小国でしかないからこそ、自国のカードとして使える強みとその効果・効力を冷静に評価して、もっとも有効なタイミングでそのカードを切る深い戦略性で一貫していることは否定のしようがない。

相手を小国だと見くびって、日本人(それに中国人もそうだが)ならば差別対象である朝鮮民族だからという偏見に染まったまま、優越感の自己満足に耽溺しようとし続けた結果、もはや日本の国内ではムキになって差別意識に満ちた罵倒を共有してかりそめの優越感と集団ヒステリー状態に浸ることしか出来なくなっている。

なんと言っても安倍政権のうわべだけ強行路線の実態は、ひたすらアメリカ頼り、それも国務省のスタッフも未だロクに揃えられず外交不全状態が続くトランプ政権に依存するだけで、トランプが金正恩をやっつけてくれることに淡い期待を抱いているだけ(で、トランプ自身はそもそも、そんなことやる気ゼロ)の空虚な強がりでしかないのは、あまりに情けない。


その日本にとってはますますおもしろくないことだろうが、このまま平昌オリンピックを成功に導くことができれば、現状の北朝鮮危機…というか米朝危機は、それなりの解消に向かって行く可能性は多いにある。

まず韓国の現政権はそのつもりだし、そろそろ収束に持ち込むことは北朝鮮にとってだけでなくアメリカにとっても、そしてむろん中国にとっても、共通した利害なのだ。

そしてその流れにはロシアも乗るであろことも目に見えている(なにしろアメリカが妥協する、という結論に表向きはなるのだから)。

…というか、日本の国民にとってだって、そうならなくては困るはずだ。

在日朝鮮人をどうしても差別し続けたいからその正当化のためには北朝鮮は「悪」でなくては困るなんて人はごくごく一部しか、実際の日本国にはいないはずなのだ。

円山応瑞 狗子図 18世紀

もちろん安倍政権の「圧力!圧力!」のバカのひとつ覚えの結果、ICBMはまだ実用段階では実はない(金正恩はあえて「完成された」と明言したが、要するに「ここで止めてもいいですよ」というジェスチャー)にせよ、北朝鮮が核弾頭を持ち、日本列島を射程に収めるミサイルならとっくに実用段階になっている現状は、それはそれで非常に困った問題だ。

だがこれを「日本は核兵器を持っていないのに北朝鮮が核武装なんて悔しい」という劣等感と罪悪感の裏返しとしての差別意識から来る歪んだ欲望を満たしたいだけの、およそ現実離れしまくった願望とスリ替えてはなるまい。

日本こそがうまく立ち回って米朝交渉を速やかに始めさせていればまだ結果は違ったろうが、もはや現実問題として北が核武装を手にしている以上、解決の構図は北朝鮮とアメリカの間の対話というのは、双方の核軍縮交渉にしかなりようがないのだ。

アメリカが認めようが認めまいが北朝鮮は現に核武装してしまっているし、しかも日本が核拡散防止条約で核兵器の保有を認められた五大国の核武装を支持し、この条約違反のインドの核政策にすら協力し、自国の安全保障にアメリカの「核の傘」が必須だと裏でこっそりの本音ならまだしも公言してしまっている以上、北朝鮮に核武装それ自体の放棄を迫ることなんて、現代の世界秩序が主権国家の平等と公平性を一応の基礎としている以上は筋が通らない。よほど札ビラを切って援助ばらまきを押しつけでもしなければ(まあこれが安倍の言う「地球儀を俯瞰する外交」の唯一の手段なのだが)誰も賛同してくれないような無理な相談でしかないことに、そろそろ日本国民は気付いた方がいい。

もちろん日本がここで核兵器禁止条約の発効に積極的に動き出し(ヒロシマ、ナガサキの被爆国なんだから当然のこととして、本来なら期待されていたこと)、日本とその周辺の東アジア地域そのものの非核化を主導し始めるようなことがあれば、つまり「唯一の戦争核被爆国」という最強の外交カードを巧く使いこなせるようになれば、話はまったく違って来るのだが…。

広重 薔薇に狗子 19世紀

6/29/2017

稲田朋美防衛大臣「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党として」発言の本質的な危険性



「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と言ってしまった稲田朋美・防衛大臣は、この都議会選の選挙集会の終了後、すぐに記者に取り囲まれた時には、自分が大変な問題発言をしてしまったことにまったく無自覚だったらしい。

板橋選挙区の集会だったので、隣接する練馬区に陸上自衛隊の駐屯地があるので、その駐屯地への地元の協力への感謝の趣旨だったと、まず記者に言ったようだが、そこで具体的な発言内容を問われても自分ではよく覚えていない、と答えている。

よく覚えていないというのが本気なら、逆に言えば発言の時点で自分でもよく考えずに言っていたわけで、現に録音された音声でもうわずった声で興奮気味だったし、この失言に至る発言の流れをみても、いろいろ混乱していてなにが言いたいのかさっぱり分からない。



感情に任せてこんな風になってしまうこと自体が、自衛隊という実力行使部隊、事実上の軍隊を指揮統括し、国外から侵略・攻撃があった場合に国土と国民の安全を守ることを第一の任務とするはずの防衛大臣として、まずこうした不用意なことを感情に任せて口走って性格上の問題だけでも、およそ不適格であり失格だ。

なにしろこんなに精神的に脆くて不安定、感情に走り易い性格では、軍事力を指揮する上で絶対に必要な冷静な判断力など期待できるわけがないし、言葉がこうも不自由では、命令の内容を伝えることすら大いに不安が残る。


それでなくとも稲田氏といえば、防衛大臣に就任後まもなく、8月15日に国内にいることを避けるため(公約である靖国神社参拝をやらずに済ますため)に海外出張したことを国会で詰問され、戦没者追悼式典に出席しない初の防衛大臣となったことを批判されると答弁席でぼろぼろ泣き出し、涙ながらに非を認めた人だ。泣いて謝って「もう許して」って。子どもじゃあるまいし。 
森友学園スキャンダルでは興奮して籠池泰典氏の弁護士であったことはないと断言し、すぐに京都地裁の出廷記録を出されて虚偽答弁に問われた。感情に囚われて売り言葉に買い言葉、ですらなくパニック状態で噓を言ってしまうなんて、それでは国務大臣、それも防衛省、安全保障行政のトップは務まらない。 
南スーダンPKO部隊の日報が破棄されてしまっていた件でも不安定で感情的な、そして中身もあやふやな答弁を連発し、実際には戦闘があっても憲法九条に抵触しないため「武力衝突」と呼ぶべきだ、とまで言ってしまった。この時も、この人は自分でなにを言っているのかもよく把握できないまま言ってしまったのだろう、やはり声が不自然にうわずっていた。 
自分の身辺の危機管理すらできない人間に、国家の危機管理が信任されるわけもあるまい。しかも「噓つき」である。

もっとも、この時の囲み会見でも、最初は大勢の記者がいることに稲田氏は本気で驚いたようだったが、すぐに記者に「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党として◯◯候補をお願いしたい」という発言の趣旨はなんだったのか、と質問されている。

ほんとうに覚えていなかったとしても、記者に言われた時点で自分の発言内容は把握できたはずだ。そこで「地元の協力への感謝の趣旨」と言い出したのも慌てて取り繕うためだったたようにも見えるし、笑顔を見せたと言っても、パニック状態になっている心理を誤摩化すための作り笑いか、思考停止状態でとりあえず笑顔を見せているような一種の無表情に近かった。

この6時代か7時ごろの発言がまず8時ごろ共同通信で流れ、稲田氏は官邸に呼び出されたようだ。菅官房長官は定例会見で自分が会って「誤解を招く発言は注意するように」と指示したと言っているが、実際にはなるべく早く会見をして撤回するように、と命令されたのだろう。菅長官だけでなく安倍首相にも会っていて、そこで首相が撤回するよう指示したらしい、という情報もある。

そこで午後11時半頃に急遽会見を開き撤回を明らかにした稲田氏だが、ここでの発言も問題だ。感謝を意味する言葉など皆無なのに、相変わらず駐屯地地元への感謝が趣旨だったと繰り返し、「誤解を招きかねない発言」だから撤回するとしただけだった。

だが「誤解を招きかねない発言」とはどういうことだ?

「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」には、誤解の余地なぞどこにもない。防衛省と自衛隊が組織をあげてこの自民党候補を応援しているのだ、と言っている意味にしかならない。

文字通りそのまま以外の解釈は無理だし、そこで文字通り受け取った側を「誤解」などとは、ふざけた話だというのに、撤回はしても「謝罪」も皆無だったのは、いかにも安倍政権の閣僚、それも安倍首相のお気に入りの元祖「安倍チルドレン」らしい(稲田氏は2005年の郵政総選挙の際、小泉政権の官房副長官だった安倍氏の強い勧めで、弁護士から政界に転身している)。


安倍首相も絶対に謝るのはイヤだという身勝手があからさまなのが常で、国会で追及されるとすぐに印象操作のあからさまな偏向やデマをうわずった声で強弁し、なにがなんでも言い返してやろうという欲望に支配され、時間稼ぎ目当てとしか思えないとりちらかった、やたら長い答弁ばかり続けることに、予算委員会では自民党出身の山本一太参院議員自らが「総理、簡潔にお願いします」と再三注意を繰り返している。



防衛大臣として前代未聞の大失言には、歴代の元防衛大臣や自衛隊からも「あり得ない」と言った苦言が相次いでいる。なかでも都議会選挙の真っ最中で、自民と敵対する都民ファーストの会の党首、小池百合子東京都知事は辛辣な批判を街頭演説でも繰り広げ、野党は首相に罷免を要求している。

だがしかし、問題の大きさに比して、メディアの報道はまだまだずいぶんおとなしい。

公務員は一部でなく全体の奉仕者と位置づけた憲法、公務員が政治運動にその地位を利用することを禁じた国家公務員法(なお大臣は特別職国家公務員)、自衛隊員の政治的な絶対中立(投票以外の政治参加や政治的意思表明の禁止)を定めた自衛隊法に違反する「可能性」というか、論理的には完全に法令違反なのだが、それ以上に大きな問題がこの稲田発言にあることとなると、なかなか突っ込んだ論評はない。

違法性に関しては明白なのに「可能性」であるとか「受け取られかねない」という言い回しが必ずつくのも、随分と遠慮しているし、上記の法的な形式論理の問題しか言及しないのなら、問題発言は問題発言であってもその危険性は、多くの国民にはあまりピンと来ないだろう。また、もっとも繰り返されている「自衛官に特定候補への投票を命じているようにも受け取られかねない」という形容は、さすがに実際の文言からすると飛躍し過ぎだ。だいたい、直接には自衛官にしか関係しないことだ。

これは自衛官相手ではなく一般市民の支持者集会での演説だし、その内容を伝え聞いて自民候補に投票するよう命じられたと思う自衛官がいるとも思えない。

また仮に命じられたって従う自衛官もまずいないだろう。なにしろ投票以外の政治活動の禁止と政治的な中立性は、自衛官の服務宣誓にも入っている。それに反することを言い出す大臣がいれば、問題となるのは逆に自衛官が「そんなことも知らないのか?」と文民である大臣を軽蔑し始め、防衛省内の統制が取れず、無能ゆえに信頼されない大臣によってシビリアン・コントロールがなし崩しになる危険の方が、むしろ大きい。


終戦記念日前後の外遊を国会で問われて泣き出したり、自衛艦の視察で甲板上をハイヒールで歩いていたりで、この大臣に対する自衛隊内からの信頼はとっくに失墜している。 
秋田県の自衛官募集事務所が「大臣(女性)はちょっと頼りないですが」というキャッチコピーの新規採用募集ポスターを作って問題になったほどだ。表向きは「女性蔑視」だから、という批判はただの建前だし、実際の稲田氏を知っていればこれを女性蔑視と受け取る人はいないだろう。 
そして極めつけが南スーダンPKOの報告記録を、官邸が必死に隠蔽しようとしたことだ。激化する内戦で隊員の命も危惧される状況をいかに真剣に訴えてもその文書を握り潰すようでは、つまり稲田大臣は自衛隊員の命なぞなんとも思っていないと思われても当然だ。

つまりこのような発言をしてしまう稲田朋美が防衛大臣の資質に欠ける、というのは正しいが、それはあまりに無能で人格も疑わしく、およそ部下となる自衛官の信頼を得られない、能力的な問題として日本の安全保障に重大な瑕疵を生じさせる可能性が高いからだ。

行政が公平中立の公正性を担保しなければならない、法と国家権力は政治的な立場に関わらず、平等に施行されなけれない、という大原則を理解できていないのなら、国務大臣はおろか国会議員としての資質すら疑われる(のだが、この点が大いに疑わしいのは、安倍政権では稲田氏に限ったことではない)。

だが稲田氏のこの失言について、このような建前上の形式論だけで批判するのは、問題の本質を見過ごしているし、同時並行で起こっている(同じ細田派で、安倍チルドレンの)豊田真由子議員の暴言騒動に較べて、都議会選への影響は限定されるだろうし、野党の罷免要求や臨時国会開会の要求も、野党が狙っているほどの世論へのインパクトはないように思える。



既に述べたように、この部分も含めてこの時の稲田氏の演説は、ちょっとなにが言いたいのか分からないほど素っ頓狂な内容だ。だがこれは、あまりに素っ頓狂で常識のタガが外れ舌っ足らずだから分かりにくいだけで、冷静に聞けばその言わんとするところは実ははっきりしている。

ここに至る前に、稲田氏は航空自衛隊の曲芸飛行チーム「ブルーインパルス」が東京五輪の開会式に参加するだろうと、あたかも防衛大臣として自分が決めた功績のように吹聴している。

また板橋の隣の練馬区の駐屯地について「地元の協力に感謝」などはまったくしていないが、代わりに地元が駐屯地に協力することは本来なら当然だ、と言わんばかりのことは口にし、それを自民党候補を板橋区民が支援すべき論拠として上げている。

また練馬の陸自駐屯地について都(都議会)と国(防衛省)の連携が欠かせないとも言った上で、自分が応援演説をしている候補が自衛隊と防衛省とのパイプもあると強調している。そしてそうした連携ができる自民党多数の都議会との連携がなければ、東京都民の安全を守ることはできない、とまで言っているのだ。

その上で、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党として」同候補への支援をお願いしたい、という発言が出て来るのだ。こうして見ると口先だけは「お願い」とは言っているものの、稲田氏のロジックは実はかなり明晰に、野党や都民ファーストを支持する有権者への脅迫になっていることに気づく。

つまり自衛隊と防衛省とのパイプも強い同候補が当選し、自民党が都議会の与党になって国(自民党の安倍政権)としっかり連携しなければ(というか、要は都議会が国政の言いなりにならなければ)、防衛省と自衛隊は東京都を守らない、と稲田氏は言っているのだ。



この期に及んで稲田氏の発言に問題はないとし、安倍首相を熱烈に支持し続ける、いわば彼らの「賛同者」である人達の主張と併せて考えれば、これは恐ろしい話だ。

安倍の熱烈支持層は一貫して、共謀罪に反対し、加計学園問題で安倍氏を追及する野党や一部のマスコミや日教組のような組織を、「反日」だと断じている。安倍政権で「公正であるべき行政が歪められた」と批判した文科省の前次官・前川喜平氏に対しては、官僚が総理大臣の命令に従わないのは言語道断だ、というのが彼らの主張であり、そしてその全ての背景に、中国だかコミンテルンだか在日朝鮮韓国人だかの「反日勢力」がいて、党首の蓮舫氏が日台混血の出自であることを持って「二重国籍の中国のスパイ」だから「反日」だとも断言している。

そうした危険思想のレッテル貼り…というか荒唐無稽なファンタジーのなんちゃって陰謀史観としか言いようがないものではあるが、こうした考えを民主党議員を「日教組!日教組!」と野次った安倍晋三が実は共有していることに疑念の余地はまずないし、その安倍氏にひたすら忠実な稲田氏も実は共有していると考えることにも、異論の余地はほとんどあるまい。

つまり稲田氏は、板橋区民が野党や都民ファーストに投票して自民党を「裏切る」のなら、板橋区民や東京都民と自衛隊の信頼関係が崩れる、それは「反日」であって反日の非国民を自衛隊は守らない、と言うに等しい論理を、実はこの場で展開していたのだ。

もう一点、稲田氏の演説が根本的におかしいのは、自分が防衛大臣なのだから、自衛官はすべて自分の命令に従うはずだ、という前提でこの演説をやっていることだ。「防衛省、自衛隊、防衛大臣として」候補者の支援を応援するというのは、そういう意味にしかならない。また同じ勘違いは、安倍首相が自衛隊関係で訓示を垂れる際にいつも自分を「最高指揮官」と強調することにも見られる。

ぶっちゃけ、この人達は「自分は上司でいちばんえらいのだから部下は自分の命令に絶対服従すべき」と信じて疑っていないのだ。だが官僚は上司となる政治家の命令の以前にまず法令に従い憲法を遵守する義務を負っている。内閣や大臣の政策に従うのは、あくまでその憲法と法令に定められた枠内でしかないのが法治主義の大原則だ。


小池百合子は稲田発言を批判するなかで、「私が東京都知事だからって、都庁17万の職員を代表して支持をお願いしますなんて言っていいわけがない」とバッサリ切り捨てていた。都知事が上司だからといって、都庁の職員は都知事の奴隷ではない。

自衛官なら、服務の際の宣誓の枠内でしか行動が許されないし、大臣の命令であってもその宣誓に反するものなら、命令に従う義務はない…というか従ってはいけない。

また自衛官には投票の自由は認められている。つまりどの政党のどの候補を応援するのかは、職務を離れて自衛官個々人の自由であり、大臣といえどもそこには決して介入してはいけない。

…というかこんなものは民主主義の近代国家以前の問題だ。

前近代の、封建時代の日本でさえ、君主や領主や軍の総大将など「上に立つもの」は、下位の立場にある者を慮って広く意見も聞き、厳しい讒言にこそ耳を傾け、信頼を勝ち得なければならない、ということが伝統的な日本の価値観として確立している。自分はえらいのだから下々は自分に従うべき、とする暗愚の君を許容する価値観なぞ、有史以来この日本に存在した試しがない。その統治に関するもっとも基本的な倫理をこそぶちこわしにしているのが、稲田氏であり安倍政権である。

こんなもののどこが「美しい国」なのか?「自分たちの味方をしないなら自衛隊はお前たちを守らないぞ」という稲田ロジックは、まことにはしたないだけでなく、恐ろしく危険だ。

12/17/2016

「北方領土」「日露平和条約」の同床異夢(にすらなっていない)


承前 (12/14/2016 北方領土は帰って来るのか 
        12/16/2016  山口県へのプーチン訪問と沖縄でのオスプレイ墜落の皮肉な偶然)

いったいなにがなんだったのかよく分からないが、安倍さんがどんなに「個人的な信頼」を強みにしたつもりだろうが、経済援助つまりロシアに金をバラまくのと引き換えに北方領土が返って来ることはどうもないらしい、というのがこの度のプーチン露大統領訪日の顛末のように、なんとなくは思われている。

今年の5月から安倍が言い始め、9月には「手応えを感じ」たはずの「新しいアプローチ」とはなんだったのかの正体もよく分からないが、それでも中には、今度は「特別な制度」という言葉が飛び出したことに、安倍さんがなにか凄いことをやってのける実行力があるように期待した人もいるのかも知れない…のだが、その「特別な制度」がなんなのかも、なぜそれが必要なのかもよく分からないままでは、なんとなく「安倍さん凄い」と思う国民がいることに、安倍政権は一縷の期待をかけているのかも知れない。

二日目の東京での首脳会談のあとの日露共同記者会見でも、北海道新聞の質問に安倍はまともに答えず話をそらし、「特別な制度」がなんなのかはさっぱり分からなかったし、「旧島民の高齢化が進んでいる」ので「人道的な見地」を今回の交渉の大義名分に掲げているはずが、いつ頃までに実現できるのかの目処どころか、「私の任期中にぜひ」という程度の決意や目標くらいあっていいはずが、ただ逃げて誤摩化しただけだった。

夜のTVニュースにわざわざ生出演しても「前例がないから説明が難しい」と言い逃れをしただけだ。もちろんそんな「前例」があろうはずもない。そもそもそんな「制度」自体が、あり得ない話だからだ。

すでに前夜の山口県長門市での首脳会談後に、安倍が「特別な制度」を自慢げに発表したのとほぼ同時に、ロシア側では「ロシアの法律に基づく」と大統領補佐官が発表している。即座に両者のズレが鮮明化していたにも関わらず、二日目・東京での首脳会談でも、この認識の違いの擦り合わせは行われなかったようだ。

いやそもそも日本の世論では、この北方四島での経済活動や旧島民の訪問について、なにやらロシア側の問題で四島への日本人の立ち入りを禁じているから、「特別な制度」や交流拡大の交渉が必要なのだと思い込まれているが、これは大きな誤解だ。

ソ連時代ならともかく、今でも旧島民を含む日本人が北方四島に行くことも、日本企業が経済活動を行うことも、禁じているのは日本政府だ。ただ罰則は特にないし、罰することが出来る法的な根拠がない。国への忠誠、愛国心、政府に逆うなというような曖昧な理由だけだ。

日本政府が一方的な理屈で、ロシアの国内法に基づき日本国籍者がロシアのビザを受けて北方四島に行くことは、理屈の上ではロシアの施政権を認めることになるから行ってはいけない、としているだけなのだ。

確かにパスポートには、それが正式には他国政府に自国民の法的な保護を求める文書であることが明記されているから、日本人がその日本パスポートでビザの発給を受け北方四島に行けば、ロシアの法的管轄権を認めてその保護を求める格好になる。

もっとも、領土紛争がある土地について、公職にある者ならまだしも、このような理由で自国民の渡航・入域を認めない、という例を、他に聞いたことがない。

国境線の変更で元々自国だった土地が他国のものになったり元に戻ったり、というのは世界史上どこにでもある話だが、たとえば普仏戦争でドイツ領になったアルザス=ロレーヌ地方のフランス人は、第一次大戦まではドイツの支配下でそこに住み続けたし、ヴェルサイユ講和条約でこの二地方が再びフランス領になれば、今度はそこでの生活を保護する法はフランス国内法、警察権を持ち住民を保護し治安を維持する役割を担うのはフランスの官憲となった。「ドイツ領と認めないからフランス人はそこに住んではいけない」などとフランス政府は言わなかったし、そこにフランス人がいなくなればフランス政府は戦勝によりアルザスとロレーヌの返還をドイツに求める根拠を失っていただろう。

ナチス・ドイツの時代になりヒトラーがヨーロッパ各地に領土を拡張したのも、第二次大戦の勃発以前のその正当化のロジックは、「ドイツ人が住み続けているからドイツの土地だ」だった。

北方領土には1948年以降日本人はまったくいない。だから旧島民がより自由に行けるようにして、企業の経済活動で足場をつくる、そのための「特別な制度」という安倍のロジックは一見もっともらしく聴こえるが、これは二つの点で荒唐無稽だ。

まず第一に、当たり前の感情論として、将来的に日本領にするためにまず旧島民の日本人と今の島民のロシア人の交流を深め、旧島民がより自由に渡航できるようにして、日本企業の経済活動をやれば、ロシア人も日本の支配を受け入れてくれるはずだ、なんてことがあろうはずもない。

いったいどこの国に、「これからお宅の領土を乗っ取ります」とやってくる外国人や外国企業を歓迎して理解し、「だから仲良くしましょう」と真に受けて交流を深める国民なんてものがいるのだろうか?

「いずれ日本領にするために日本から来ました」などと言われては、ロシア人住民が旧島民ですら受け入れるわけもなく、一部にある旧島民への同情論や、ロシア人全般にある親日本感情なぞ一瞬にして消し飛ぶし、日本企業がそんな前提で進出すれば激しいボイコットが起こって当然だ。

これは日本外交がしばしば失敗する大きな原因で、安倍政権の場合は特に顕著なのだが、他国民、他国政府のいわば他人様の立場からは物事がどう見えるか、想像力どころか当然の論理的帰結すら考えられない日本側の独りよがりが、外交で通用するわけがない。

第二に、安倍が「前例のない」というのも当たり前で、そんな「特別な制度」は法の支配の基本論理にまったく矛盾し、そもそもあり得ないのだ。

安倍は主権、施政権といった国家の権利を為政者が気ままに権力を行使することだと勘違いしているようだが、主権、施政権というのはその土地の治安を守り住民の生命財産と生活を保護する責任を意味する。安倍のいう「日本の法的な立場」がいかなるものだろうが、その土地での法的な保護が担保されないところで生活をしようとするのは狂気の沙汰だし、ロシアの法に基づく保護のないところでの経済活動とは、つまりは日本企業がロシア人住民による略奪に遭おうとも文句が言えない、ということにすらなる。

安倍が時期的な目処を言わなかったのも当然だ。どう逆立ちしようがそんな「特別な制度」なぞあり得ない、「制度」というのならその制度を施行し運用に責任を持つのは誰なのか、それが保証されない「制度」は「制度」ではない。

「特別な制度」をどちらが言い出したのか不明だが、ロシアが提案したのならそれはあくまでロシア政府が運用の責任を負う経済特区とかそういうものでしかあり得ないし、ロシアが最大限妥協しても共同統治で、これとて双方が主権を認め合う、つまり日本もロシアの主権を一定部分で認める、ということにしかならない。

首脳のみの単独会談で安倍が言い出したことならば、プーチンは「なにを馬鹿なことを言っているのだ」と呆れつつ、安倍の言うことも考えてみるとその場で話を合わせただけだろう。そもそも安倍があり得ないことを言っているわけで理解する義理すらないのだし、今回の会談については、表面的だけでも話がまとまったように見せかけることがプーチンの戦略の一つでもあり、だから「特別な制度」とはロシアの法制下での新たな制度的枠組みの話だと誤解した風を装い続けつつ、誤解を解こうとはしなかっただけだろう。

それにしても今回の日露首脳会談や北方領土の問題を巡っては、こうした基本的な前提も含めて、あまりにも日本側の(政府が分かっていないはずはなく、分かっていながら世論操作で国民を騙している)誤解が多い。

今回の首脳間交渉の結果を「ロシアの食い逃げ」と酷評するのも誤解で、これは5月以降他ならぬ安倍政権自身がさんざんそのような誤解を振りまいて来たのに、日本での首脳会談が終わったとたんに「誤解だ」と安倍自身が言い出している。

日本が提案し、今後は約束するのは決して経済援助ではなく、安倍政権が発展途上国相手に繰り返して来たバラ撒き懐柔外交とは違う。あくまで相互の経済協力であり、ロシアは日本の企業などの経済活動にロシア領内での便宜をはかり、日本は日本企業によるロシア東部(シベリアやサハリンつまり旧樺太)への投資や進出を後押しする、というのが基本だ。

「協力」つまり日本企業にとってのビジネス・チャンスを日露双方で整備し、便宜を図ることであり、「食い逃げ」批判は当たらないし、儲けのチャンスがなければ日本企業は進出しないし、ロシア側からみればことシベリアなどロシア東部には、豊富な地下資源など、日本企業にとっての十分なメリットがあるはずだ。

現に安倍政権が提案している具体的な経済協力プロジェクトには、日本企業がすでに独自に立案して進めている事業も多数含まれている。 
領土問題を動かしたいからといってこんな見え透いた欺瞞の恩着せがましさは、相手国の不信を買いかねないのだが。

ソ連崩壊後の混乱期なら経済援助もロシアは確かに必要としていたが、時代が違う。

ウクライナ情勢やクリミア併合の経済制裁は大きなダメージではあっても、大統領がわざわざ援助をせびるか懇願しに来日するほど、今のロシアは落ちぶれていない。

いや今さら安倍が「誤解だ」と言ったところで、同じ誤解に基づいていたのが、安倍が今年の5月から「新しいアプローチ」で北方領土交渉を始めたきっかけ、最初の動機だったし、今に至るまで安倍自身が同じ誤解を引きずって、ロシア側の狙いを完全に読み違えているではないか。

プーチンが狙っているのは、現在の経済的な苦境の最大の、というかロシアからみればほとんど唯一の原因であるG7を中心とした対ロシア経済制裁を崩壊させるか、少なくとも日本を籠絡して対日本に関してはその制裁を事実上無効化することだ。

それが分かっているから日本でも外務省は他のG7諸国、とくにアメリカとの関係を理由に当初から安倍のこの計画に納得しておらず、だから安倍はこと夏の参院選以降は外務省を事実上蚊帳の外におき、世耕経済産業大臣にロシア担当大臣を兼任させ、経産省ペースでこの話を進めて来た。

その結果にっちもさっちも行かなくなったのも、世耕氏にも安倍に近い経産省官僚たちにも(たとえば経産省から出向している今井首席秘書官)、そして安倍首相自身にも、そもそも現在の世界情勢だけでなく、国際法や国際常識どころか、国家とその法の基本的役割についてさえ、基礎的な理解が欠如していたことが原因だと断じざるを得ない。

安倍首相も世耕大臣も経産省も、そもそもプーチンがこの話に乗って来た動機をまったく誤解して「北方領土を取り返して人気回復できる」と思い込んでこの計画に前のめりの極致で迷走を続け、プーチンは安倍の勘違いを百も承知で利用して来たのが、5月以降の日露交渉の全体構図だ。

ではそのプーチンの狙いはなんだったのか?

まずウクライナの内戦に肩入れして以降、G7が主導する欧米、つまりEU諸国とアメリカ、いわばロシアから見れば旧西側諸国との対立関係が深まっている国際的な孤立の打破だ。

今年のG7議長国である日本が自ら擦り寄って来たのだから、こんなにおいしい話はない。

いや「国際的な孤立」というのも、あまり正確ではない。

プーチンのロシアは一方で、かつての先進国であるアメリカやヨーロッパ以外の国々との関係は必ずしも悪くない。たとえば歴史的な怨恨もあったトルコとすら、今もシリア内戦ではアサド政権を支持するロシアに対しトルコがトルコ系住民の反政府勢力を支援していたり、昨年には撃墜事件で一時は対決しそうになったことすらうまく水に流して、連携を深めている。ソ連時代には戦争にまでなった中国との領土紛争も解決した。

またロシア国内では今も後進地域である東部、シベリアやサハリンは、一方で地下資源も豊富で有望なフロンティアでもあり、プーチン政権はこの地域の開発を大きな政策方針、成長戦略としている。そこに日本と中国の資本や技術が導入できることは大きなメリットだ。

だいたい今さらヨーロッパやアメリカとの経済関係にプーチンはさほど期待していないし、はっきり敵視しているのはアメリカと、EUの盟主となったドイツだ。

ちなみにEUのなかでの対ロ強硬派は先頃離脱が決まったイギリスなどで、ドイツのメルケル首相は当初から、人道主義と民主主義の基本理念で妥協はしないものの、話し合いと説得を重視して来た。 
だがそれでも、女だから気に入らないとでも言うのか、ドイツのEU内での覇権を警戒しているのか、プーチンのメルケルへの敵意は相当なものだ。



これにはロシア国民の歴史的な怨恨も無関係ではない。ドイツはなんといっても、第二次大戦でソ連(ロシア)を侵略し、2000万人ものロシア人を殺した国だし(そしてプーチンはその最大の被害を出したレニングラードの出身だ)、東西の和解と相互の尊重による世界平和を信念として冷戦を終わらせた最後のソ連書記長、ミハイル・ゴルバチョフですら、冷戦後にロシアはアメリカに一方的に敵視・差別され、裏切られ続けて来たと考えている(これは必ずしも偏向した、誤った歴史観ではない)。

今のロシアは、ヨーロッパがあまり好きではないし、アメリカには敵視されていると考えているし、プーチン政権が中国との連携を強めるなどアジアに重点を置きつつあることには、ロシアという国と民族自体がヨーロッパであると同時にアジアでもあり続けて来た歴史的なアイデンティティが深く関わっている。

帝政ロシアはこと実はドイツ人だったエカテリーナ女帝以降、目に見えてヨーロッパ化し、そのロマノフ朝を倒した旧ソ連もヨーロッパ起源のイデオロギーに基づく国家で、結局はロシア庶民を苦しめて崩壊したのが、18世紀以降のロシアの歴史だ。


アレクサンドル・ソクーロフ監督『エルミタージュ幻想』2002年

その過程では先述の独ソ戦の惨禍だけでなく、19世紀初頭のナポレオンの侵略もあった。帝政ロシアはナポレオンを撃退したことを誇りとしつつ、風俗や宮殿建築や文化ではそのナポレオンのフランスを模倣したのだから矛盾した話だが、ロシア革命の時代となると、皇帝一族や多くの貴族はフランス語を日常語としていて、ロシア語ができなかった者すら少なくなかったと言われる。

プーチンの標榜する新しいロシア・ナショナリズムは、そうしたヨーロッパ化した過去の支配層・エリート層に一派庶民層が培って来た歴史的な反発も背景に、アジア的なものにシフトする傾向を内包しているし、それはシベリア開発や中国、そして将来的には日本との連携を志向するものでもある。

こうした直接的な実利・国益の一方で、もうひとつプーチンが対日交渉ではっきり目標としている理念がある。これは本人もはっきり、正直に繰り返している通りだが、戦後71年間棚上げになったままの日露平和条約の締結だ。

ここがまた、日露間のボタンの掛け違いというか、安倍側の大きな誤解になっている。

北方領土にこだわる日本側からみると、1956年の日ソ共同宣言も「平和条約締結後に歯舞・色丹が返還される約束」という理解に偏りすぎて、平和条約イコール領土返還だと思い込みがちだが、ロシアが、特にプーチンが求めているのは、平和条約そのものなのだ。

平和条約はぜひとも結びたい、だがそれには色丹と歯舞の返還の約束が伴う。このジレンマをどう切り抜けるのかがプーチンの悩みどころで、そこを考え抜いて来ている点では、平和条約を領土返還の手段くらいにしか考えていない日本はとてもではないが太刀打ちができないのも当然だ。

また平和条約の締結こそが日露交渉の最大のテーマであることに気づいていない時点で、日本側が常にちぐはぐに陥り話が噛み合ない失敗を繰り返して来て、それがロシアの不信を買い続けているのも当然ではある。

プーチンが言っている「信頼関係が必要」とは、そういうことだ。

そんなことすら日本側にはまったく理解されていないこととなると、さすがのプーチンでもどこまで理解できているのかは怪しい。なぜ日本側がこんな当たり前のことすら思い当たらず、人口3000人程度の小さな、こういっては悪いが「僻地」の島が最優先されているのか、客観的には相当に理解不能な感情論へのこだわりでもある。

プーチンの言うように経済協力が信頼関係において不可欠だと考えるのは、別に「金よこせ」ではない。

日露の経済関係が密接になればなるほど、日本としてもロシアとの友好関係が日本企業が儲け続けるためには不可欠になり、結果たとえば安全保障リスクも下がる、という冷静な現実主義に基づく考えであり、平和条約もまたそのためにもぜひ締結したいのだ。

平和条約の締結こそが重要なのにはもう一点、防衛政策の問題があるし、今回の共同記者会見でロシア側の記者の質問に答える形で、プーチンは安倍の目の前で臆面もなくそれを滔々と述べた。

その発言の過激さの意味に安倍が気づかず、反論すらしなかったのは日本側の利害を考えると相当に不可解だ。

その日本からみればあまりにもの過激さに、テレビ中継の日本語同時通訳も大混乱に陥っていたが、だからといって要所要所で出て来た単語だけでも、それでも安倍がさっぱり理解できなかったとしたら、この人の外交センスの欠如は呆れるばかりだ。

プーチンは日露の平和条約締結問題と領土問題の歴史を説明するなかで、はっきりとアメリカを名指しで非難した上で、今後の平和条約締結に向けての信頼関係の醸成で最大の障害になるのが日米関係だ、とまで明言したのだ。

日本の日米安保条約に基づく義務は理解し尊重するとは言いつつも、その枠内でどれだけロシアの安全保障に日本が協力する気があるのかが問われる、とも問題提起をしている。

すでに初日の晩の首脳会談で、ウクライナ問題と経済制裁以降中断している日露のいわゆる2プラス2会議、つまり双方の防衛担当相と外務大臣が定期的に会合する安全保障連絡会議の復活を提案したことからも、今回のプーチンの最大の狙いが日米関係にくさびを打ち込むことであるのははっきりしていた。

日本のメディアの分析がいずれもここを見落としているのもおかしな話だが、共同会見でプーチンはこのポイントを激しくだめ押ししている。

北方領土問題の歴史についても、プーチンのアメリカ批判は激烈だった。日ソ共同宣言とそれに基づく平和条約締結交渉を、冷戦下にアメリカ政府が妨害したと明言したのだ(言い換えれば、そのアメリカの言いなりになる過去の日本政府は信頼されなかった、という意味でもある)。平和条約締結で色丹歯舞のみの返還で納得するのなら、アメリカは永久に沖縄を返還しない、と鳩山一郎政権に裏で圧力をかけたいわゆる「ダレスの恫喝」にも言及した。

また実際、56年の共同宣言から本格化するはずだった日ソ平和条約の構想は、最終的に1960年の日米安保条約の改訂で完全に頓挫しているし、領土問題でも四島一括を日本が国是としたのはこの時からで、だから共同宣言でも色丹と歯舞の返還にしか言及がないのだ。 
この辺りでも現在の日本国内の理解は史実に反しているし、政府が国民を騙してきたプロパガンダだったという誹りは逃れ得ない。

その上で、アメリカの敵意とその軍事覇権にロシアが防衛上は対抗せざるを得ない以上、択捉島・国後島はロシア艦隊の西太平洋への出口を確保するために手放せないこと、色丹島も日米安保に基づきそこに米軍基地が作られるようなことが絶対にないと日本が約束しない限りは返還は難しいとも明言した。

日米安保があるなかで日本はどうロシアが信頼できる国になるつもりなのか、と記者団とテレビ生中継の前で安倍に迫ったに等しい。

こうした論点は95分あったという首脳どうしの単独会談(通訳のみ同席)で出て来たはずだし、そもそもプーチンから見れば当たり前の前提で、安倍がなにも考慮していなかったとしたらそれだけでも「信頼関係」とはほど遠いことになる。

ペルーのリマでの前回の日露首脳会談や、訪日直前に読売新聞と日本テレビの合同インタビューでの発言、さらに同内容のビデオ・メッセージをロシア大統領府のウェブサイトに掲載するなど、ほとんどけんもほろろなまでに極めて厳しく安倍を恫喝するに等しかった態度からすると、プーチンは大遅刻こそしたとはいえいざ日本に来たとたんに、とても愛想がよくなった。日本や長門市へのリップサービスを繰り返し、安倍にも親しみを込めた態度だったのは、すべてこうした思惑から来るプーチンの演出だったと考えるべきだろう。

記者団の前で、日露両国のテレビで生中継され、当然アメリカ国務省やEU諸国の外交担当部局でもウォッチしている共同会見で、以上を滔々と述べたことからも、プーチンの今回の訪日の目的は、日米同盟にくさびを打ち込み、はっきりとアメリカを牽制することだった。

そこに日本がどれだけ乗って来るかまでは、さすがのプーチンにも読めていないだろう。その意味ではこれは大きな賭けの大芝居ではあった。

とはいえ安倍が理解して話に乗って来るならしめたものだし、これまで十数回も日露首脳会談を重ねて来た経験則からして、安倍が自分に向かって真っ向から反論なぞしない(そんな度胸がない)ことまでは読んでいたに違いないし、共同会見でも反論も制止もなく安倍が愛想笑いに終始するしかなかった(というか頭が真っ白になっている、という表情にもなっていた)だけでも、アメリカが日本に不信を抱くことは確実だ。恐らくはそこまで、プーチンは計算している。

そんなしたたかなプーチン相手に、北方領土の旧島民の手紙を読ませたり、会見でもその旧島民の複雑な思いを安易な感情論に言い換えてご都合主義に利用した安倍が、いかに見当違いの勘違いで場違いなことをやっていたか、結果として他ならぬその旧島民を自らの外交手腕の欠如、稚拙さ、自己保身で裏切ったことの無能の罪、身勝手の罪は大きい。

だいたい旧島民の故郷への思いなら、日本が北方四島の主権に形式的にこだわるあまり、渡航を禁じたり難しくして来たのは日本政府なのだ。単に墓参がしたい、故郷の島に泊まりたいだけならロシアがビザ発効要件を緩和して旧島民に優先的な配慮をすればいいだけだし、日本がアメリカの意向なぞ二の次に、平和条約を早く締結しておけばよかった。「ダレスの恫喝」のようなことがあっても、それを国際社会相手に公表してアメリカを非難していれば、解決ないし無効化できた。

択捉・国後はポツダム宣言やサンフランシスコ講和条約で日本が領有を放棄した南千島(ロシア語では南クリル)列島の一部というのもプーチンが共同会見で明言したことだが、ソ連(ロシア)の公的な認識(ゆえに返還の対象ではなく、領土問題にならない)であるだけでなく、そもそも56年の共同宣言以前には日本側でもこの認識を共有していて、だから二島の返還しか求めていなかったのだ。

それが今では四島返還に凝り固まっているのは、「ダレスの恫喝」などを受けた対米配慮というか対米従属の方針転換で、それがあたかも日本の国是のように国民も騙して来た結果、収拾がつかなくなっているのが現状ではある。客観的にはアメリカの妨害が日露友好を阻んでいる(つまりは日本政府の二枚舌外交と対米追従が諸悪の根源)と言う指摘には、反論が難しい。

それにしても安倍はどうするつもりなのだろう?

今回の一連の事態で、アメリカは明らかに不信感を抱いているはずだ。今月末には、安倍はこんどはパールハーバーを訪問し、オバマとの日米首脳会談を控えている。

ここでも曖昧な愛想笑いで二枚舌を誤摩化し、報道に圧力をかけて国内向けに体面を取り繕うだけなのだろうか?

いや安倍は、オバマはどうせもう辞める、これからはトランプのアメリカなのだから、とタカをくくっているようにも見える。夜のニュースに生出演した際に対米関係を問われてはぐらかしたときも妙に余裕があり、そうしたニュアンスが垣間見えた。

だがトランプが選挙戦中にプーチンを偉大な指導者と持ち上げた言葉尻だけをとって、トランプとプーチンで米ロ蜜月が始まるかのように思い込んでいる安倍も日本のメディアも、あまりに考えが甘い。

トランプがプーチンを持ち上げたのは、オバマやクリントン夫妻をこき下ろす比較対象として都合が良かったからに過ぎない。

しかもトランプは人道主義や国際平和よりも自国の利益を最優先しロシアの強さを誇示するプーチンのやり方を褒めて「自分も同じやり方でアメリカ・ファーストを守る」と言ったのであって、アメリカもロシアも自国第一主義を掲げる指導者になるのなら、むしろこの両国が今後対立を深める可能性も十分にある。

プーチンは今回の訪日でターゲット、いわば「戦う相手」を日本ではなくアメリカに設定していて、だから日本との領土問題をあいまいに済ませ安倍への配慮まで見せたのも、オバマのアメリカ以上にトランプのアメリカを見据えた戦略だと考えておいた方が、「希望外交」の大きな勘違いでのちのちひどく後悔することがなくて済むだけ賢明だ。

だいたい、11月のペルーでのAPEC会合の際の首脳会談以降、プーチンが一時極めて厳しい態度を見せていたのも、別にトランプが次期米大統領に決まって米ロ関係の好転が見込まれるからなどではない。安倍がリマでけんもほろろの扱いを受けて記者団相手に半ばパニック状態で弱音を吐く状況にまで陥った原因は、その直前に安倍がNYに寄ってトランプに媚を売っていたから、その姑息な二枚舌の土下座媚び売り外交を「信頼に値しない」とやられただけである。

安倍の自称「地球儀を俯瞰する外交」では、トランプのアメリカになればプーチンとトランプが蜜月になり、そこに日本が取り入ることで「対中包囲網」ができるとでも考えているのかもしれない。だがかくも地球儀を俯瞰できていない、世界情勢がまったく理解できていない勘違いもない。

ロシアは既に述べた通り、そもそもアメリカをまったく信用していないし、歴史的にも信用できない。中国との関係も重視しているプーチンが狙っているのは、西太平洋・東アジアでのアメリカの覇権を低下させることで、その点では中国とも利害が一致している。

シリアやウクライナの情勢からすれば、日本がロシアべったりになることは国としての信義に反するのも確かだし、ことシリア問題でプーチンに擦り寄れば、日本にとって極めて重要な中近東・アラブ諸国の信頼を決定的に失うことにもつながる(ちなみに今回の首脳会談では、ロシア側は「シリアとウクライナについて両国首脳の見解が一致した」との主旨を一方的に報道させているが、日本側はこれもまったく否定できていない)。

だからプーチンの誘惑においそれと乗ることにはまったく賛成はできないが、しかし対アメリカについては、プーチンが提起して来たことを日本は真剣に考えた方がいい。日本の対米従属・対米追従外交の「戦後レジーム」は、もはや成立しないのだ。

そもそも白人至上主義の狂信者が重要な支持基盤で、国防長官にも白人至上主義者の「狂犬」が就任するようなトランプのアメリカに、安全保障や外交で依存するなどというのは、狂気の沙汰だ。まさか日本がそんなことすら理解できていないと知ったら、さすがのプーチンも呆れ、自分の読み違いに困惑するかも知れない。