最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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1/19/2018

スポーツの政治利用は許せない?


北朝鮮が新年早々に平昌冬期オリンピックへの参加を表明して以来、がぜん日本のメディアやネット世論で「スポーツの政治利用は」云々という言葉が飛び交っている。

まずそういうことを言うのなら、安倍総理大臣と2020年東京オリンピックの露骨な政治利用についても同じことを言わなければみっともないダブスタにしかなるまい。

たとえば「オリンピックを開催できないと言っても過言ではない」と言い張って「テロ等準備罪」を国会で強行採決したのはなんだったのか?

もちろん「スポーツの政治利用」以前に、共謀罪はオリンピックの開催とまったく関係がない。そもそも国際組織犯罪防止条約の批准のために共謀罪の導入が必要だと言うのなら、この条約はテロ対策を想定していないし、テロなど政治犯を対象とすることが厳格に禁じられているのだから安倍首相の主張そのものがただの噓でしかなかったことの方が大問題だ。

だがだからこそ、スポーツの政治利用が本来なら成立しないことで政府にスポーツの政治利用を許してしまった日本の世論はなんなんだ、という話にしかならないのに、今さらなにを、ただ韓国の悪口を言いたいためだけに、見え透いた二枚舌を始めているのだろう?

さらには2020年のオリンピックの年に合わせて改正した憲法を施行して「新しい日本がここから始まる」とか言っているのも安倍首相だ。

しかも安倍首相は、今度は韓国政府が2015年末のいわゆる慰安婦合意批判したことにヘソを曲げて開会式に行かないなどと言っているのも、五輪の成功のためには安倍にも出席して欲しいという韓国政府の足下を見て妥協を迫っているつもりである以上(そんな御都合主義な展開になるわけがないにせよ)は、この点でも日本の現政府による悪質なスポーツの政治利用こそが責められなければ、とんだダブスタにしかならない。

だいたい、オリンピックは常に政治利用されて来た。代表選手に「日の丸を背負って」などとメディアが言わせ続けているのは国威発揚の政治利用の典型だし、金メダリストに国民栄誉賞を与えるのも政権人気取りの露骨な政治利用だ。

オリンピック憲章は実は国ごとのメダルの数を競うことを禁じていて、各国のオリンピック委員会はメダル数集計を公表してはいけないことになっている。それでも「日本のメダルは◯◯個」とメディアが熱狂しているのも、露骨なスポーツの政治利用以外のなにものでもない。

2016年のリオ・オリンピックは葛藤を乗り越えての多民族の共存と環境保護、さらには自然と人間の共存という、明確に政治的なテーマをコンセプトとして掲げていて、それはブラジルの歴史を象徴的に表現した開会式でも明確に示されていた。

フェルナンド・メレイエス演出 2016年リオデジャネイロ・オリンピック開会式


浅田真央がフィギュアスケートの歴史を変えた天才であるのは間違いないが、彼女がきっかけでこのスポーツが日本でブームになったのは、同じ年生まれで一ヶ月しか誕生日が違わないキム・ヨナという韓国人のライバルがいたのでマスコミが騒いだからでもある。これは本当に彼女のスケートに感動する人にとってはまったくどうでもいいことでしかなかったが、しかしそれでも浅田真央の天才が、戦後日本をずっと蝕み続けている韓国嫌い朝鮮民族差別の下らない政治プロパガンダに政治利用されてしまっていたのもまた、残念な現実だった。

この2人がお互いを高め合うことでフィギュアスケートの女子シングルの歴史が変わった、その絶頂となったヴァンクーヴァー冬期オリンピックのシーズンなぞ、2人のライバル関係を政治利用していたオジサンたちは、実はキム・ヨナの分かり易いお色気ショーの『007』方が遥かにお気に召していたらしく、浅田真央のプログラムの凄さが理解できないまま「キム・ヨナみたいな大人の女性らしさがなくては勝てない」などと鼻の下を伸ばしているくだらないコメンテーターもうじゃうじゃいた。いやだから、あれを「大人の女性の色気」とか言ってる時点で、オジサンたちは政治的にダメダメなのだが。

またまったく別の次元で、その2009-20010シーズンの浅田真央の特にフリースケーティングは極めて政治的だ。こういう表現をフィギュアスケートでやったこともまた彼女の天才であり、それがフィギュアの表現の革命となったのもまた、優れて政治的な意味を含んでのことだ。

 浅田真央 ラフマニノフ作曲「モスクワの鐘」 ヴァンクーヴァー五輪フリー


もちろんこの演技はまず息を呑み圧倒されるべきもので、いちいち政治的なものだと意識して見るのも野暮な話ではあるが、しかし「これは政治的だ」と言われても気がつかないとしたら、それはそれでひどく鈍感だろう。

あえて野暮を承知で言っておけば、当時の浅田のコーチで、この曲を女子フィギュアでやることが夢で、振り付けも手がけたタチアナ・タラソワは、このプログラムを「世界平和のメッセージだ。真央にはそのメッセージを届けられる強さがある」と言っている。あとは出だしの、両手で自分の頬を激しく打つ仕草を見れば、これがある強固かつ普遍的な政治的主張を持った表現であることは自明だろう。

エフゲニー・キーシン ラフマニノフ「プレリュード ハ短調 作品3 第二番」


一部の…ではなく残念ながら多くの日本人が「日韓対決」という下らない政治利用でこれを消費していたのとはまったく無関係な別次元の話で、この年のキム・ヨナがスケートとして保守的な優等生なプログラムを選んだだけでなく、そこで極めて保守的なジェンダー役割に植民地主義的な価値観をまぶした女性像(というか、要するにアジア人の小悪魔娼婦イメージ)に徹して金メダルを狙ったことの、浅田真央の激しい挑戦との鮮烈なコントラストがまた、フィギュアスケートという競技の枠組みを超えた優れて政治的な「対決」をあのオリンピックのリンクに生み出していた。

今年のオリンピックの日本女子フィギュアのエース宮原知子もまた、あえて極めて豪速球かつ変化球な政治的なプログラムをぶつけて来ている。

なにしろショートプログラムはハリウッド映画『Memoirs of a Geisha(日本語題「SAYURI」)』で、フリースケーティグはあのオペラ『蝶々夫人』、つまり西洋の植民地主義的女性蔑視丸出しの「フジヤマ・ゲイシャ」な日本ファンタジーとして書かれた音楽をあえて使って、それを「女性の強さ」の表現に読み替えて見せるのだから、変化球であると同時に分かり易い過ぎるほどの豪速球な政治性だ。

それがまた、これまで「ミス・パーフェクト」「練習の虫」としてばかり褒められて来た彼女にとって、とてもパーソナルな葛藤を反映した自己イメージの克服でもあるからこそ、いっそう政治性かつ革命性を帯びた表現になっている。

宮原知子 プッチーニ作曲『蝶々夫人』2017年日本選手権フリー


技術とともに芸術性を競う採点競技のフィギュアスケートが、その芸術性において時に鋭い政治的表現力を持つのは「スポーツ」としては例外ではあろうが、そうでなくともスポーツというのは元々、よくも悪くも政治性を持って受容されるものであり、ナショナル・チームを編成して競い合う国際大会となれば特にそうだ。野球のナショナル・チームが「サムライ・ジャパン」でサッカーのナショナル・チームが「サムライ・ブルー」、エンブレムが八咫烏の平成ニッポンが、いまさら「スポーツの政治利用が」と言い出すこと自体が滑稽だ。戦後のオリンピック憲章に「政治利用」を禁じる条項が書き込まれたのは、1936年のベルリン・オリンピックがまさにこうした国威発揚の政治利用に露骨に利用されたことへの反省に基づいている。

そもそも19世紀のヨーロッパでスポーツの振興が始まったのは、産業革命の結果で過酷な労働環境に置かれた労働者が虐待的な状況下で病気も増えたアンチテーゼで、太陽を浴びてのびのびと身体を使いより健康になろう、という運動であった一方で、国民国家の成立で身体的に強健な国民が徴兵制の普及と国民皆兵的なイデオロギーのなかで「健全な精神は健全な肉体に宿る」が称揚された、近代オリンピックもその文脈のなかで産まれたものであり、これをもっとも露骨に、しかも人種主義の優生思想と結びつけてプロパガンダに利用したのがナチスだった。

『民族の祭典』『美の祭典』1936-37年

その一方でオリンピックが「平和の祭典」で、クーベルタン男爵が近代オリンピックを始めたのが植民地主義の最終局面で列強間の競争や紛争が絶えなかった時代に、古代ギリシャでオリンピックの開催期間中は戦争状態の都市国家どうしでも停戦するという国際ルールがあったことを前提にした、つまりオリンピックそのものがまた別の次元で平和と全人類の和解という政治性を持った政治的なイヴェントだ。

さらに戦後のオリンピックでは合わせて開催されるパラリンピックがより重要性がましている。スポーツの振興が健康増進の肯定的メッセージを必然的に伴う一方で、その「健康」理念自体がファシズムに陥りかねない危険性のアンチテーゼであると同時に、こと近年のパラリンピックは障がい者の「見える化」で社会のバリアフリー化の必要を意識させる優れて政治的なメッセージ性を発信している。東京都が猪瀬知事の時代にオリンピック招致に熱中したのも、そもそもが超高齢化社会を目前にしてのパラリンピックが都市インフラのバリアフリー化を進める最適のキャンペーンだったからでもある。

アパルトヘイトが終わった南アフリカでネルソン・マンデラが大統領になった時、「黒人の復讐」に怯え特権を失ったことに恨みつらみも激しい旧支配者層の白人と、政治的平等は獲得できても経済的には圧倒的に不利なままだった圧倒多数の黒人のあいだで、国は分断されていた。マンデラはそこであえて、南アフリカでは白人のスポーツだったラグビーのワールド・カップが自国で開催されることに目を付けて、ラグビーのナショナル・チームのキャプテンのフランソワ・ピナール(もちろん白人)に優勝するように密かに命じた。それもレギュラーに黒人選手が1人しかいなかったのを「黒人を増やせ」とも言わず、代わりに白人だらけのナショナル・チームが黒人の貧民街というかせいぜいキャンプとしか呼びようがないほど貧しい場所に行って、黒人の子供たち相手にラグビー教室をやらせて、その光景を全国ニュースでテレビに流したりしたのだ。

これは俳優のモーガン・フリーマンが映画化を企画し、クリント・イーストウッド監督によって映画化されている。

C.イーストウッド監督『インビクタス』2010年

もちろん現実がこの映画ほど巧く行ったわけでもないが、それでもマンデラによるスポーツの政治利用が、分断していた国民の統合に大きな意味を持ったことは確かだ。そしてこれを「政治利用だ、許せない」と言い出す者はさすがにいまい。

1995年ワールドカップ決勝戦 南アフリカ対ニュージーランド 国歌斉唱

もちろん北朝鮮・金正恩政権が、オリンピック参加を表明するタイミングのあざといまでに巧みな計算まで含めて、このチャンスを外交的に徹底的に利用しているのは言うまでもない。韓国の右派が「これでは平昌オリンピックではなく平壌オリンピックだ」と文句を言いたくなる気持ちも分からなくはない。

だが分断国家となった民族の和解がオリンピックそれ自体の持つ政治性とぴったり合ったテーマであることに異論の余地はない以上、「韓国が日本やアメリカとの連携を乱している」などと言い出すのはあまりにはしたない…というか、最低限の国際常識すら欠如している。

確かに女子アイスホッケーの南北合同チームとまで来ると、いきなり本来出場権のなかった北の選手と一緒にプレーしなくてはならなくなった韓国チームの選手は、チームワークを作り上げるだけの練習時間も与えられないまま大会に臨まなければならなくなったし、5人だか7人だかだけ参加する北の選手も大変ではあろう。しかも大統領には「人気がない競技に注目が集まる」と言われ、首相には「どうせメダルの見込みもないし」と言われっぱなしなのはさすがにかわいそうで、大統領も首相も、もうちょっと言いようがあるんじゃないか、とは思う。 
しかししょせんは、他所の国の話だ。日本のマスコミがなぜこうも事細かに報じたがるのかには、別の意図(はっきり言えば人種差別)があからさまだ。 
スポーツ選手が「これでは選手がベストが出せない」と同情することを除けば、日本人がとやかく言うことではない(それにメダルの見込みがないのは現実)し、そもそもオリピックに女子アイスホッケーがあることすら知らなかったような人達がなにを言ってるんだ、としかなるまい。

北朝鮮が見事に平昌オリンピックを外交に利用してみせているのは、金正恩の狡猾な外交手腕がそれだけ傑出していて、そのマニピュレーションに日本などの敵対国が翻弄されているだけのことだ。文句を言っているヒマがあるのなら、日本ももう少しは国際的な大義名分で通用しそうなオリンピックの政治利用法とか、多少はマシな外交的狡猾さを身につけるためのお手本としてしっかり研究でもした方がいい。

なにしろ反北朝鮮で「世界の結束」を呼びかけているつもりの日本は、そこで他国を巻き込めるだけのまっとうな大義名分のひとつも提示できていない。

バルト3国を訪問して「北朝鮮包囲網で各国の賛同を得た」かのように日本の報道を通して政府は吹聴しているが、どうとでも取れる一般論を口にしてリップサービスで賛成してもらっただけ、オリンピックを機に南北朝戦の関係が少しでも良好になれば、それが「核問題」の解決につながることを期待している国際世論から、日本だけが浮きまくっている。

まあもちろん、安倍政権が「核問題」の解決をまったく望んでいないのだから当たり前ではある。なにしろこの解決には最終的に米朝直接交渉以外の手段はないし、そこで北朝鮮の核保有をアメリカが制約しようとするのなら、今やその北朝鮮も核弾頭やミサイルを持っている以上、アメリカもまた朝鮮半島で使える核武装をある程度は削減すること以外に妥結はあり得ない。

それこそ「朝鮮半島の非核化」を言うのなら、アメリカが北朝鮮に向けている核ミサイルや、沖縄に密かに(半ば公然の秘密として)配備されてそこからいつでも韓国に持ち込める核兵器もまた全廃しなければ、「非核化」にはならない。朝鮮半島が「非核化」されるなら、日本の「核の傘」は放棄しなければ「非核化」にならない。だから朝鮮半島の非核化を北朝鮮の非核化にスリ替えているのが安倍政権だが、こんな誤摩化しは日本国内でしか通用しない。

…っていうか、それにしても2020年東京オリンピックの準備は、もう少しなんとかなりませんかね? 国際的な「平和の祭典」であることも無視し、世界中から選手が集まって来ることもそっちのけで、エンブレム選びでもマスコット選びでも、コンセプトはバカの一つ覚えで「日本の伝統」なのだそうだ。開会式・閉会式は安倍さんが大好きな『永遠の0』の監督さんだそうだが、まさか特攻隊賛美なんてやらかすんじゃなかろうか? 「維新の志士」を美化するチャンバラごっこでも始められたりとか、そもそも外国人には意味が分からないひどく退屈な独りよがりな「蝶々夫人」的エキゾチシズムの羅列でもやられそうで気が気でない。

だいたいネーム・バリューからしても、2008年北京はかつての天才・張芸謀、2012年ロンドンはダニー・ボイル(『トレイン・スポッティング』『ザ・ビーチ』)、2016年リオはフェルナンド・メレイエス(『シティ・オブ・ゴッド』)と国際的な知名度からも納得する人選だが、『ALWAYS 三丁目の夕陽』と『永遠の0』は安倍さんの趣味だけで、そもそも日本国内しかマーケットとして想定していない映画の監督というのも…これでは「政治利用」どころか私物化だ。

数年前には「音楽の政治利用は」という文句が富士ロック・フェスティバルに殺到して、そもそもロックは政治的なものだろうに「純粋に音楽を楽しみたい」などとロック世代がえらくズッコケていたこともあったが、一方で昨今の「紅白歌合戦」でも見れば、あまりにストレートな政治的メッセージ性がそのまま歌詞になっていて、またそのメッセージというのが全部同じ安直な自己肯定で聴き手を慰めているのが不気味なほどだ。

日本のポピュラー音楽におけるこうした露骨に退行的で反動的な政治的逃避の傾向の元を辿っていくと、価値観の多様性を歌って大ヒットした『世界にひとつだけの花』に行き着く(この歌は同性愛者であることが暴露されてしまった作詞作曲の槇原敬之個人にとって、極めて重要な政治的ステートメントでもあった)のだろうが、それぞれにバケツのなかでピンと胸を張っている花たちが「みんながオンリーワン」でありだからこそ「ナンバーワン」だったのが、いつのまにか聴き手それぞれが、胸を張らなくてもいいから今のままでいいよ、と言われて承認欲求を満足させていればいい堂々回りと言うのは、それはそれで立派な政治性だ(と言うか、あまり「立派」でもないが)。

「◯◯の政治利用は」と文句を言う人達こそが、スポーツでも音楽でも映画でも、歴史教育でも、それを安易な自己肯定=現政権肯定のメッセージという政治性に利用しているだけで、そこに疑義を提起されるのが気に入らないだけではないか?

1/10/2018

負け惜しみも程々に…(あまりに見苦しい日本外交と政権忖度メディア)



韓国と北朝鮮のあいだで、北朝鮮の平昌オリンピック参加に向けた交渉が始まったことに、日本政府がえらくご機嫌斜めらしい。

政府だけならまだしょうがないが(安倍さんと熱烈支持層思惑が外れて悔しいのは分からないではないが)、マスコミ報道まで同調しているのはさすがに呆れる。そんなことより、わずか一週間前には「新年早々に北朝鮮がミサイルを発射する兆候」を騒いでいたことはどう言い訳するのだろう? 案の定、完全な誤報になったではないか。

今度は「北朝鮮は韓国とアメリカや日本のあいだにクサビを打ち込むつもりで、韓国は騙されているんだ」と言わんばかりの報道というのも、自分達こそ見事に騙されたこと(「米国メディア」に踊らされてまたミサイル発射があると騒いだ空振り報道)の負け惜しみにも見えるというか、言ってることがコロコロ変わる無責任報道もみっともなさ過ぎはしないか? 北朝鮮外交が打ち出す狡猾なあの手この手の巧妙さもあるにしても、あまりに分析的な冷静さに欠如している。

恐らく昨年暮れに米メディアが「ミサイル発射の兆候」を報じたのは、無根拠なわけもあるまい。北朝鮮側がわざとそう報道させるような動きをこれ見よがしにやって見せて、アメリカ側が見事に引っかかっただけだ。金正恩は新年に平昌オリンピックへの参加を表明するサプライズ効果を高めるために、わざと真逆のことをその前に報道させるように、いわば「騙した」のだろう。 
まあ引っかかる方が間抜け過ぎるわけなのは言うまでもないが。

もちろんオリンピックは「平和の祭典」だ。そのオリンピックが偶発的な軍事衝突がいつ起こるとも分からない環境で行われるなんてあってはならないわけで、韓国だけでなくIOCも北朝鮮の参加を切望しているのも当たり前だ。

対話が続いている間は少なくとも偶発的な開戦のリスクは低下するわけで、安倍さんはなにを「対話のための対話は意味がない」などと勘違いしているのだろう? それともオリンピック開催中に当の開催国が戦争に巻き込まれることでも期待していたのだろうか?

意表をつかれたドナルド・トランプは休日に思わず不満をツイートしてしまったが、そのトランプでさえウィークデーに入って仕事モードになれば歓迎を表明し(外交常識としてこれは歓迎するしかない)、北朝鮮が自ら妥協したようにも見えることを自分が圧力をかけてきたお陰だと言うに留めた。まあこれも苦し紛れな言い訳ではあるが、アメリカ国民にとっても日本国民にとっても、オリンピックが名実ともに「平和の祭典」になるのはまず無条件に喜ばしいことだ。

ましてこの南北対話の再開でアメリカも突然の軍事攻撃などはできなくなり、当分は北朝鮮のミサイル演習も核実験もないのが確実になっただけでも、少しは安心していい朗報ではないか。アメリカが韓国に圧力をかけて会談を潰そうとすれば、国際社会で孤立するのはアメリカだ。

まあトランプ本人は「オリンピックは平和の祭典」に巧くつけ込まれ、先手を打たれて梯子を外された交渉当事者として「してやられた」と悔しい限りではあろう。北と韓国のあいだで米韓合同軍事演習の無期延期みたいな話が出て来かねず、そうなったら韓国も文在寅政権ならむしろ賛同し、アメリカは演習ができなくなるかも知れない。それでもここは「大人の対応」に徹しないことには、結局アメリカ政府は戦争をやりたがっているだけじゃないか、と国際社会からも国民からも批判が殺到しかねない。ましてトランプは北朝鮮をただ敵視するだけで、言いがかりをつけて滅ぼしたがっているのだ、とでも思われるか言いがかりをつけられるだけでも外交的な大惨敗になるし、北朝鮮に巧妙にそこまで持ち込んでしまったのだ。

韓国の国民にしてみれば、リベラル派の文在寅を支持しているのにアメリカの勝手で戦争に巻き込まれるなんてたまったものではないし、元々右派政権や軍の対米従属が支持されて来ているわけでもない(朝鮮戦争でアメリカに「守ってもらった」高齢者ならともかく、とりわけ若い世代にとっては「うちの国は本当に独立国なのか?」としか思えず、屈辱的でしかない)。

どうもここが日本では理解されにくいらしいが、どの国でも自分の政府がアメリカが超大国であるというだけで言いなりになっている姿(それもその大統領は人種差別主義の白人至上主義者に支持されているドナルド・トランプ)には、大なり小なり不満があって当たり前だ。 
まして自国主催のオリンピックの最中に、アメリカの勝手な戦争に巻き込まれるなんて、民族への侮辱以外のなにものでもない。

もちろん交渉初日からトントン拍子で様々なことが決まったのを見ても(というか、正月の訓示で金正恩が五輪参加に言及した時点で分かりきったことだが)、北朝鮮が実は最初から平昌五輪に参加するつもりで、公表するタイミングでどう有効な外交交渉カードに使えるのかが、北朝鮮の政府内で慎重に考え抜かれて来たのは間違いないだろう。

まただからこそ、北側の代表は上機嫌で「記者さんたちも興味津々のようだし、いっそこのまま記者に公開で会談しましょうか?」と提案するほど落ち着き払っていたのだろう。一方の韓国側は、同盟国のアメリカへの配慮や、日本や中国との兼ね合いがあるのでさすがにすべて公開するのは二の足を踏むしかなかったが、これも北側に一本取られた格好だ。

「国際社会が北朝鮮を非難している」と日本のマスコミが言いたがるのはかなりの部分、日本国内でしか通用しない誤解だ。ハタ目にはしょせんこれは北朝鮮とアメリカの私闘バトルに過ぎず、北の核開発をアメリカが批判するのも客観的には「どっちもどっち」でしかない。北朝鮮が常にアメリカによる圧倒的な核攻撃のリスクに晒されていて、アメリカがそれを北朝鮮に対する「核抑止力」だと主張するなら、アメリカがその核攻撃能力をみだりに使えないようにするために北朝鮮がアメリカに届くICBMに核弾頭を搭載しようとするのもまた「核抑止力」でしかない。

国連安全保障理事会が「国際社会」を代表しているわけでもまったくなく、非難や制裁が決議されるのは、核武装を独占できる特権を守りたい常任理事五大国に安保理が牛耳られているからに過ぎず、その常任理事国が今の国連では核兵器禁止条約をボイコットしようとして孤立している。とりわけ核兵器禁止条約について同盟国に圧力をかけて反対させたアメリカの横暴に、それでも超大国なので文句も言えず、しぶしぶ付き合わされただけなのが安保理の制裁決議だ。

しかもオバマのアメリカならともかく今はエルサレム帰属問題への反対決議に人道援助の打ち切りで脅しをかけたようなトランプのアメリカだ。折しも政権の内幕暴露本「Fire and Fury」がベストセラーになったアメリカ国民にさえ信頼されていない。

そして「核・ミサイル問題」が北朝鮮とアメリカのどっちもどっちの「私闘」に過ぎないことを、南北会談で北側は、核武装はひたすらアメリカだけを狙ったもので、同朋を核で狙うなんてやるわけがない、と強調してみせた。記者会見では「核問題は南北間の交渉の対象ではない」とも述べたし、双方合意の共同宣言では「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」とも書かれている。

交渉の開始時に北側が、いっそ会談すべてを記者に公開すればどうかと提案したことに、日本のメディアは驚いたフリをしているが、驚くことなどなにもない。この交渉で北朝鮮に隠し立てすることはなにもないのだ。核武装はアメリカの核の脅威に対抗するためで、そこに裏も表もなにもない、まったくそのまんまでしかない。

北朝鮮政府がプライドにかけて吐露できない本音があるとすれば、実のところアメリカの核兵器で殲滅される脅威さえなくなり、韓国の政府が右派政権になって対米従属に徹して北を敵視することや、やはり対米従属しか能がない日本政府が国民の一部の在日朝鮮人差別を公然と支持するような態度を取ることもなくなって、国力の差はあっても対等の主権国家どうしの最低限の礼儀が守られた関係さえ築ければ、わざわざ大金のかかる核開発なんてやりたくもないし、うちは貧しい国なのだから本来ならもっと金を使いたいところはある、というリアリティだけだ。

日本のメディアは北朝鮮が韓国に五輪参加の旅費を要求するに違いないとか言っているが、選手や役員は選手村に泊まる権利があるのになにを言っているのか? 移動は板門店かどこかで38度線を超える陸路の方が政治的アピールは大きくなるし、経費も安い。むしろ韓国側が融和のアピールのために招待などの扱いにしたいわけで、それを「国連の制裁決議を守れ」と言って日米が圧力をかけるなら、国際的に白い目で見られるのはその日米の方だ。

「南北の問題は民族どうしの対話と交渉で」と言う共同宣言も、日本政府や日本のメディアは大いに不満で「国際社会を無視している」などとひどくトンチンカンなことを言っているが、これも現代の国際秩序の基本哲学からして当然のことで、反論の余地はない。国際連合憲章の基本は、民族自決権だ。ひとつの民族の内部の問題に他国はそもそも口を出す権限がないのが、現代の国際秩序の根本原理だ。

まして南北朝鮮が分断しているのは、世界史的には他国の都合に振り回されて来た結果の、日本の植民地支配と冷戦の遺物以外のなにものでもない。大日本帝国陸軍が植民地を守ろうともせずに敗走し、アメリカとソ連の都合で分断されてしまったのが朝鮮民族の悲劇であり、それを克服できるのが朝鮮民族の主体性だけなのは、その通りなのだ。アメリカを射程に納めるICBMの開発はしょせんアメリカの問題で、韓国の問題ではないのもその通りで、韓国にはここでアメリカへの配慮を見せて自国が半植民地の属国でしかないことを曝け出すなんて選択肢はない。

まだ韓国(や日本)が核兵器禁止条約に参加して、核兵器開発そのものを批判できるのなら話は変わって来るが、どちらも同盟国(宗主国?)アメリカへの配慮から投票を棄権している。ましてアメリカの「核の傘」の「抑止力」に期待しているというのなら、北朝鮮に完膚なきまでにやり込められてしまうだけだ。

一言でいえばまたもや北朝鮮の外交的圧勝で、しかも今回は韓国もまたまったく敗北はしていない。韓国には韓国の安全保障があり、北朝鮮のICBMの開発はアメリカの安全保障問題であって直接に韓国の安全保障には関係がない(韓国相手にICBMを使う必要はないし、同民族・同朋というだけでなく放射能汚染の問題もあるのだから韓国に核攻撃はまずやらない)という理屈でメンツは保たれているし、そもそも韓国側には核について北に妥協を迫れるカードはなかった。それがあるのはアメリカだけ、北が交渉できる相手は最初からアメリカしかいない。


とりあえず金正恩にとっては、朝鮮戦争が国際法上ではまだ「休戦状態」であることは変えなければ国の将来がないわけで、そのために使える外交カードが核とミサイル以外に見当たらないような状況に追い込んだのは彼が権力を継承してからの、例えば拉致問題の再調査の申し出をうやむやに誤摩化した日本の安倍政権や、韓国の右派政権、李明博と、とりわけ金正日への代替わり時点の政権担当者だった朴槿恵の対米従属・北敵視政策だった。北朝鮮から見れば韓国の右派はなぜ人種差別丸出しの植民地主義に与するのかとしか見えず、韓国ではその朴槿恵はすでに失脚して判決を待つ被告人の身であり、右派政権の過去の軍事独裁時代から本質的に変わっていない権力私物化体質の刷新を掲げて当選したのが、今の在文寅大統領だ。

ちなみにその韓国右派の源流であり腐敗体質・権力私物化の源泉でもある軍事独裁政権を支えた後ろ盾がアメリカだった過去も、韓国国民は忘れていない。共同宣言に「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」明記されたのには、こうした歴史的背景もあるのは見落とすべきではないだろう。北朝鮮から見れば南北の分断を固定化させたのはなによりもアメリカの陰謀であり、他の要因もあるにせよ、韓国を冷戦の極東における最前線にしようとしたアメリカの意向こそが南北分断の最大の原因であり続けて来ているのも、客観的に見れば確かにその通りなのだ。

いやソ連はどうなんだ、金日成の後ろ盾だったのはソ連ではないかと言うのなら、そんな国はもう四半世紀以上前になくなっている。アメリカの自由主義が共産主義に勝ったと言うのなら、勝って世界の覇者となった側に一定の責任があるのは当たり前だ。 
ヨーロッパで鉄のカーテンは崩れたのに朝鮮半島は分断されたままだったのはなぜか? はっきり言えば当時はまだヨーロッパ出身移民の子孫が中心の白人国家だったアメリカでは、極東アジアの朝鮮半島に関心がほとんどなかったことと、西ヨーロッパが曲がりなりにも民主主義国家だったのに対し、韓国は永らくアメリカの傀儡的な軍事独裁政権で、冷戦の終末期にやっと民主化が始まったばかりだったからだ(ちなみに韓国の民主化を「自由と人権」を常に大義名分にしたがるアメリカが支援したわけでもない)。

北朝鮮からみれば、韓国の政権が自分達を敵視する対米従属の右派ならまだしも、同じ民族の同朋が「平和の祭典」を開催するから祝福し、参加したいというのもこれまた当たり前で、これまた北朝鮮には隠し立てするところはなにもなく、「いっそこのまま記者の皆さんの前で公開で会談を」という提案を北朝鮮側ができたのも当然だ。むろん実を言えばたった2人、フィギュアのペアが一組だけの参加なのはいささか肩すかしではあるが、たったそれだけのことをこれだけ有効な外交カードに使いこなす(しかもオリンピックが民族の名誉だから協力したいこと自体は噓ではない)だけ、北朝鮮の外交は頭がいい、自国の交渉カードで国際的になにが通用してどう使えば有効なのかを考え抜いている、というだけのことでしかない。

逆に言えば、かつて1988年のソウル五輪の前に北朝鮮がテロ行為を繰り返したことを上げて「北朝鮮がオリンピックを妨害するはずだ」と思い込んで来た側が馬鹿を見ただけで、当時は冷戦の東西対決の末期だったわけで、今では状況がぜんぜん違う。むしろそんな時代錯誤な偏見に凝り固まった側のはっきり言えば頭の悪さが、あっけなく北朝鮮に裏をかかれただけだ。

日本のメディアの論調は北朝鮮がオリンピックを利用して韓国をアメリカや日本から分断しようとしていて、騙されている韓国はけしからんと言わんばかりだが、まさに「バカも休み休み言え」の典型だ。

軍事同盟はあっても、アメリカも韓国も日本もそれぞれに、国益も立場も異なっている。こと北朝鮮が今回の交渉で明言したように、核とミサイルの開発の標的はアメリカであって同朋にそんなものは向けない、というのであれば尚更のことだが、ぞもそも現在の懸案はアメリカに届くICBMの開発を許すかどうかで、トランプ支持者の求めるアメリカ・ファーストで言えば韓国や日本を犠牲にしてでも北朝鮮にそのミサイルの開発は許すな、という極論にすらなりかねないことにまったく危機感がない日本外交はどうかしている。

逆に言えば日本だって、日本列島を射程に納める中短距離ミサイルなら300発以上はすでに実戦配備されているのだ。韓国だけでなく日本にとっても、ICBMの開発は実はその安全保障にはなんの関係もない。なのにアメリカに届くミサイルを阻止するための軍事行動の報復攻撃で日本に核を搭載した中短距離ミサイル(これはとっくに実戦配備されている)が飛ぶことでも望んでいるとしか思えないのが、「韓国がアメリカや日本から分断される、韓国は騙されている」と言いたがっているガラパゴス安倍政権のニッポンだ。


それどころか「日米韓の結束」を自らぶち壊しにしたがっているとしか見えないのが日本政府だ。

南北会談と同日に、韓国外務省が2年前のいわゆる慰安婦問題「日韓合意」についての結論を発表した。この日程についてまで日本政府は疑心暗鬼に陥っているが、調査報告を昨年公表している以上は、南北会談とほぼ同時になったのは基本的に偶然の一致に過ぎない(強いていえば、北朝鮮が見計らったタイミングがそこも含めてだった可能性はあるが)。

この結論は極めて分かり易いものだが、日本のメディアは一生懸命に「分かりにくい」と印象操作に徹している。まず問題はあっても国家間合意なので、一応破棄はしない。慰安婦制度の被害者の皆さんの「癒し」と「和解」ならば、彼女たちが韓国国民ならばそれは韓国政府の責任なので、日本が拠出した10億円は要りません。「不可逆的な合意」はあるのでこれ以上韓国から日本にとやかくは言わないが、被害者が納得できる謝罪に務める義務が日本政府にあるのは、当然分かっていますよね、と言うこの上なくシンプルかつ当たり前のものだ。

要するに日本が、というか安倍政権が韓国に「ちゃんと謝ろうね。そしたら許してあげるから」と言われただけのことで、わざわざ「自発的で心のこもった謝罪」と言われたのがカチンと来るのは、気持ちは分からないでもない(他人から「自発的に」と言われるのは本来は矛盾していて、子供を叱るときくらいしか用いられない上から目線レトリックだ)が、これも自業自得だ。2015年の日韓合意の公表された3項目の第1は、安倍首相が「心からのお詫び」を表明することだったはずだが、日本側によればその義務は岸田外相がその文言を共同会見で読み上げただけで済んだことになっているらしい。

いったいどこが「心から」なのかそもそも理解不能だし、日本国内ではこれが合意内容の第1だったことすら無視されている。

だいたい子供の喧嘩の仲裁じゃあるまいし、一回謝ったからもう水に流してお互いに言いっこなしにしましょう、なんていうのが死亡者や事実上殺害された者も多い深刻な人権侵害で通用するわけがないだろうに、いったいなにをもって「最終的」と日本政府は言っているのか?

政府高官(と新聞で書かれるということは、菅義偉官房長官かその副長官のこと)は「一度行うと『次はこれ』『次はこれ』と要求される。そうならないために合意に『不可逆的』と盛り込んだ」と言い訳しているらしいが、今さらバレている噓になぜ固執して国民を騙そうとしているのだろう?

「不可逆的」はすでに韓国外務省の調査報告でも事実関係が確認されているが、韓国側が日本に要求したことで日本側が「盛り込んだ」ものではない。つまり河野談話による謝罪が日本政府の公式見解で、2015年末にも安倍首相が「心からのお詫び」を表明したことが「不可逆的」だと言質を取られたわけで、つまりは、もうこれはひっくり返しませんよね、「ただの売春婦」だの「でっち上げ」だのの暴論は今後は一切言いませんよね、しっかり反省してその反省を翻すことはありませんよね、という再確認でしかなく、日本政府が国内向けに印象づけようとしているような「10億円払ったんだから今後は慰安婦の『慰』の字も言うな、国民にも言わせるな」なんて意味には最初からなろうはずもない。

河野外相は韓国外務省の発表にさっそく「抗議」をしたそうだが、その中身は「さらなる措置を求められることはまったく受け入れられない」だというのだからトンチンカンな言いがかりもほどほどにして欲しい。そんな「さらなる措置」なんてまったく要求されていないどころか、日本政府の「措置」のつもりだった10億円も「要りません」と言われただけだ。

日本政府には抗議する理由なんてどこにもない。安倍首相が「心からのお詫び」を表明するのが合意の中身なのだから、「自発的で心のこもった謝罪」が期待されるのは理の当然だ。これ以外に韓国外務省は日本政府になにも求めておらず、10億円も「要らない」と言っているのに、なにが「さらなる措置を求められること」になるのか? だいたい安倍自身が「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」がいたと認めている(戦後70周年談話)ではないか。確かにこの受動態の一文の主体は曖昧だが、まさか「日本軍の被害者のことではない」、戦後の占領下での米軍のレイプ被害者のことだとでも、いきなり言い出すのだろうか?



いくら安倍だってまさか「お詫び」はするが「謝罪」ではない、という意味不明な詭弁でも始まるのか、というのはさすがにないとは思うが、朝鮮民族は儒教の伝統があり、敬老精神が文化の重要な一部になっている。韓国が北朝鮮に、その高齢の、それも戦時性暴力の被害者をこうも侮辱して植民地支配についてなんの反省もない日本の言いなりになるのか、と言われれば…というか言われる前から、韓国政府は沽券にかけても、安倍の「お詫び」ないし「謝罪」をうやむやにする態度を許容できるわけがないし、国際社会にも支持されない。

これでは対北朝鮮の「連携」が必要なときに、自国の身勝手どころか総理大臣の個人的な趣味だけで日韓を分断させているのは、一方的に日本側ではないか。それどころか安倍の訪米時に慰安婦制度被害者に対する不誠実な態度を批判したのはアメリカでも特に与党共和党だし、#MeToo というセクハラ被害者女性の告発が大きなうねりになっているのに、安倍はセクハラ疑惑がささやかれ性差別主義者だと批判されているトランプとなら「個人的な信頼関係」が築けるとでも思っているのだろうか?


それに韓国外務省は要するに、10億円なんてどうでもいいので自発的な謝罪を、と言っているのだ。はっきり言ってしまえば日本にとってはタダで済むことでもある。安倍さんとネット上の熱烈支持層が悔しがって前後の見境のつかない興奮状態に陥ること以外に、日本国民にとってなにも損をすることはない。

1/05/2018

新年早々、北朝鮮の「打ち上げ花火」(は多分ない)


新年あけましておめでとうございます…

広重 名所江戸百景 霞かせき 安政4(1857)年

…と始まった新年のニュースでさっそく、米メディアが北朝鮮がまもなく大陸間弾道ミサイルの発射実験を行う可能性を報じたと騒いでいる。「めでたさ」本来とは別の意味でのいかにもオメデタイ話にうんざりするが、まずそろそろ、いい加減学習してもいいのではないか?

昨2017年中に17回ミサイルが発射されたなかで、なにかの記念日に合わせてミサイルが発射されるのではないか、というメディアや識者の “予測” は、ことごとく外れている。

記念日に合わせての発射だったのは、アメリカの独立記念日のお祝いだとアメリカ合衆国本来の国是でありその独立戦争の正義にわざと言及して痛烈な皮肉を飛ばした時と(確かに超大国の力任せに北朝鮮のような小国を押さえつけるのは、アメリカそれ自体が体現するはずの理想への裏切りになる)、帝国主義時代の日本による朝鮮半島侵略が完成された1910年の日韓併合の記念日に合わせての発射だけだ。この時には北朝鮮政府がその旨を明言して自国に向けられた非難を今の日本の歴史無視・歴史修正主義批判へと、鮮やかにひっくり返してみせた。

この後者については、日本メディアは懸命に言及を避けているが、そんな国内引きこもり的な独りよがりでは、かえって北朝鮮に一定の正当性を与えてしまうだけだ。 
過去の日本が東アジアと世界の平和に挑戦し乱そうとした加害国であることは変えようがないし、しかも当時の日本は、今の朝鮮労働党体制どころではない軍国主義国家だった。北朝鮮はその直接被害国だ。 
その反省を前提にしない限り、日本がどう北朝鮮を非難しようが、返す刀で「お前が言うな」と国際的に認識されておしまいなのだ。 
逆に言えば、毎年の終戦記念日などで口先だけでいいから反省を明言して、現代の民主主義国家日本はかつての侵略国家日本とは違うと明示さえし続けていれば、それだけで(はっきり言えばタダで)済むことなのに、なぜそんな簡単なことが出来ないのだろう? 

どうせ報道されたとたんに結果として虚報になる(つまり大きなニュースに既になっているのだからわざわざやらない)公算が高い以上はまったく重要性のない、それも別に独自取材でもなく外国の同業他社の受け売りで、新年早々にこの大騒ぎとは、いかにも志が低くて幸先が悪い上に、頭の悪さとヒステリックな妙な共感性依存体質ばかりをなにもわざわざさらけ出すこともあるまいに。

北斎 富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図 19世紀

これまでミサイル発射がある度に、日本政府はまったく意味がないJ-アラート(弾道ミサイルが日本の「上空」ではなく「日本の上の人工衛星より高い宇宙空間」を通過するときは慣性の法則で地球の引力と拮抗する力で放物線を描いて移動しているので、日本に落ちて来るわけがない)をわざわざ発令したり、小学生に昔懐かしい防災頭巾をかぶらせて避難訓練をさせたりして危機感を煽ろうとする一方で、発射の度に「事前に察知していた」と強弁もして来た。

むろん世界最強のアメリカの軍事衛星偵察システムがあるのだから、ある程度の監視は可能だし、そこで得られた情報は日本政府も直前にもらうことが出来る。だが北側から見ればミサイル演習や実験の準備まではしても、本当に発射するかどうかは、あくまでその時々の状況とその状況から産まれる戦略的効果による。

つまり北朝鮮の一挙手一投足がここまで注目を集めているからこそ、ますます外交的に最もインパクトのある時を狙って戦略的に考え抜くのが当然なわけだし、逆に言えば一般メディアまでが「発射の兆候」を把握しているのなら、そのタイミングで撃ったところであまり(というか、普通ならまったく)意味がない。

つまり米メディアの報道にわざわざ正月のトップ・ニュースにする価値は、それが報じられたとたんにまったくなくなってしまうし、どっちにしろまかり間違って米朝開戦となるとしてもそれはアメリカが仕掛ける場合のみで、北がいきなり先制攻撃なんて絶対にあり得ないというのに、よくもまあ無意味なニュース報道で空騒ぎの火に油を注ぐものだ。

広重 名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田 安政4(1857)年

いや、もっとはっきり言えば、北朝鮮はすでに移動式の発射台などの技術を持っているのだから、本気で駆使すればアメリカの軍事衛星偵察システムからさえ兆候を隠すことも理論上は可能なはずだ。なのにたかが米メディアが「発射の兆候」を報道できるというのは、むしろ北朝鮮がそう報道するように仕向けている(つまり、わざと発射準備に見えるような動きをした)可能性も、排除しない方がいいのではないか?

つまりは金正恩がわざと蒔いた餌にあっけなく飛びついて、赤子の手をひねるようにいいように弄ばれているだけなのではないか?

英一蝶 大井川富士図 江戸時代17世紀

なんと言っても核とミサイル開発は、金正恩政権にとって日本やアメリカや韓国が自国に注目するように仕向ける最も効果的なカードになっている。しかもそのカードの有効性は、他ならぬ日米韓の3国や中国が証明し続けてくれているに等しい。

核兵器はその存在自体が道徳的に(つまり少なくとも建前としては)絶対悪であるだけでなく、実務の問題でもたいがいの核保有国にとって核兵力の維持は、とっくに大国なのにいまさら大国気取りの虚勢を張りたがる自己満足以外には、なんの役にも立たない冷戦期の惰性でしかなく、壮大な税金の無駄に過ぎない。
 
オバマが核廃絶を訴えたのも、核兵力の維持にかかる膨大な国費が財政上無視できない負担になっているという現実をなんとか変える狙いもあった。結局は絵に描いた餅で、オバマ政権下にアメリカの核軍備は更新され続けるどころか増強さえされてしまったし、最後の切り札だった核兵器使用を人道上の罪として謝罪することも、その人道犯罪の被害国であるはずの日本に(なぜか)阻止されてしまったのだが。 
だがこの北朝鮮の核武装計画の場合、確かに「核保有」は外交的に極めて効力のあるカードとしてちゃんと利用は出来ている。

北朝鮮にとっては国民生活を犠牲にして膨大な資金を注ぎ込まなければならない核開発だが(だから金正恩は就任当時、父が進めていた核開発ではなく国内産業の育成に予算を向けようとしてもいたが、諸外国に無視され続けるなかで方針の転換を余儀なくされた)、周辺諸国が大人げない対応をし続ける限り、決して「ただの無駄」にはなっていない。

むしろ代替わりの直後に韓国や日本に対して関係改善を働きかける比較的まともな外交姿勢に方針を転換しようとしても(韓国にはお互いの罵倒を止めようと提案し、日本には拉致問題の再謝罪と再調査を申し出て、第二次大戦の日本人戦争遺族を中朝国境地域への墓参に招待もした)単に無視されただけだった以上、核とミサイルというカード以外に、金正恩が国際社会のなかで中国の属国状態と偏見で見られ続けることから抜け出して、北朝鮮の未来を切り開けるカードは、他になかったとすら言える。

言い換えれば、現代の国際社会に国連憲章に謳われているような理想を少しでも尊重する姿勢があれば、金正恩政権は核やミサイルの開発ではなく他のもっと建設的な分野に国費と国力を注ぐことも出来たし、現に金正恩自身が最初はそういう改革をやるつもりだった。だが例えば拉致問題を再び謝罪して今度はしっかり調べると申し出ても、単に無視されただけで日朝関係も北朝鮮の地位も、なにも改善しなかった。

それが核とミサイルをちらつかせるだけで、周辺の諸大国は金正恩の一挙手一投足にひたすら注目する。オバマ政権はまだ「戦略的忍耐」と称してとにかくなんでもひたすら無視を決め込んだので、北がどんな騒ぎを起こそうにも不発に終わったのが、ちゃんと反応して積極的に関わろうとするトランプ政権なら、米朝交渉に引きずり出せる可能性も相当に高い。

歌麿 合惚色の五節句・正月 18世紀

冷静に、客観的に見れば、たとえば日本政府が対米従属に徹しつつ「圧力」一辺倒を口角泡を飛ばし叫びつつ、その裏で恐らくはあの手この手でアメリカ政府に働きかけて強硬姿勢に誘導すらして来たであろう(ワシントンでロビー攻勢に専念して来たとしても驚くに値しない)この数ヶ月の結果は、なんと周辺のどの国に較べても吹いて飛ぶような国力しかない、経済的・産業的にもあまりに遅れた貧しい小国でしかないはずの北朝鮮の、日本も含めた周辺諸国に対する圧巻の外交的勝利の連続になっている。

逆にこと日本の国益という観点で言えば、なんの戦略性も出口戦略もなかった「圧力」方針は、金正恩政権に着々と核弾頭と弾道ミサイルの技術開発を進めて完成に近づける時間稼ぎをみすみす許しただけだった。

いわば安倍政権がこそが、北朝鮮の目標達成に貢献して来たとすら言えてしまえそうだ。

日本から至近に核武装国が出来てしまうこと自体は、もちろん日本の安全保障にとって決してプラスではない。そんな明らかに国益に反する状況を日本政府自身がみすみす自らの無策で招いてしまっただけが「最大限の圧力」の結果だし、日朝関係の日本にとっての大懸案であるはずの拉致問題も、「圧力」を叫ぶだけで交渉パイプを自ら潰してしまっている現状では、ますます解決の見込みも遠のくしかない。

北斎 太夫の書初め 文化4(1807)年

もっとも、国民の利益ではなく政府というか安倍政権の利益から言えば、拉致は決して解決してはいけないし、被害者家族はひたすら「気の毒な人々」であり続けてもらわなければ利用価値がなくなるのも確かだ。しかも本気で解明・解決をしようとすれば、その過程で安倍政権が決定的に不利になる事実が次々と明らかになってしまう(要はなにもせず、むしろ解決を妨害し、被害者家族を選挙等にひたすら利用しつつ、その被害者家族にさえ圧力もかけて黙らせようとして来ただけなのが安倍晋三とその周囲)のが実情だ。

北朝鮮の核武装が現実化しつつあることですら、安倍政権にとっては日本の安全保障は実はどうでもよく、国内的に防衛予算の増大させたり憲法9条を改正するには確かな追い風として政権の求心力を高める効果だけを狙っているとしか思えないし、現にその効果だけは上がっている。

外交的には大惨敗としか言いようがない安倍政権の動きだが(トランプ来日でアメリカ製最新兵器の購入をあっけなく飲んでしまうなんて、あまりにみっともないし)、これが外交も安全保障も実はどうでもよく、「国難」を煽るだけ煽って政権基盤を固めようと意図したコップの中の嵐的な陰謀だったとしたら、驚くに値することは何もないのかも知れない。

渓斎英泉 書き初め美人 19世紀

さて一方の北朝鮮・金正恩政権はといえば、新年早々のミサイル発射の「可能性」に興奮していた日米をあざ笑い、その梯子を外すかのようなサプライズの新年の訓示を発表した。

まず金正恩は「核戦力の完成」を宣言し、アメリカ大統領の有名な核のボタン(大統領がどこに行くのでも携帯用の発信装置がついて行くことになっているらしい)をあてこすって、アメリカに撃ち返せる「核のボタン」は「いつでも私の仕事場の机の上にある」と述べた。

トランプはさっそく「私の机の上にも核のボタンはあるし、こっちの方が強力だ」と大人げないツイートで言い返して、またもや金正恩の計算通りに乗せられたわけだが、普通に読めばこの発言の外交的メッセージは、要するに核開発はもう「完成」したのだから北としてはこれ以上の核やミサイル発射による威嚇・挑発はやらないでもいいのだが、米韓日の側はどうするつもりなのか、とボールを投げた内容になっている。

ならばアメリカだって返すべきボールが何なのかも、それ以外の対応があり得ないことも百も承知なのに、それでは「リトル・ロケットマンの言いなり」になってしまうのが、トランプにはやはりよほどシャクに触ったのだろうか。

歌川豊春 新板浮繪七福神寶舟湊入之圖 18世紀

もちろん、ここで周辺諸国が判断を間違えさえしなければ(ただしそれは、北朝鮮の狙った通り、にもなってしまう)、この核とミサイル問題は完全な「解決」とまでは行かなくとも、偶発的な戦争が起こりかねないようなヒートアップした危機は回避されるのだし、現にトランプ政権もすぐに態度を翻すことになった。

なんと言っても北朝鮮がこれ以上、核実験やミサイル演習を続けなくなる可能性だけでも安全保障上の成果は大きい。

…というか、本音で言えば金正恩だって、これ以上核やミサイルに国費を注ぎ込み続けるのはできれば止めにしたい。その必要さえなければ、同じ資金を国内の産業整備やインフラ事業に注ぎ込めれば、それに越したことはないのだ。 
 だからこそ北朝鮮は足下を見られないように、その本音はわざと隠して来た。アメリカのメディアが新年早々にミサイルを発射する観測を報じたのも、だからこその陽動作戦だった(わざとそう見られるかのような動きをさせた)可能性すら否定はできない。
要は自国がアメリカにいつアメリカの核攻撃で全滅するか分からない、というようなリスクを排除するのと、中国が今後は露骨な属国扱いはしないこと、あとは日本が差別意識丸出しの侮蔑的な態度を今後は控えることさえ実現できれば、あえて大金を注ぎ込んでこうした敵対姿勢を続ける理由なんて、そもそも北朝鮮にはないのだ。


魚屋北渓 三升福禄壽・布袋 19世紀

この新年の訓示で本当に重要だったのはもちろん、北朝鮮がこれまで沈黙を通して来た韓国・平昌で開催される冬期オリンピック(1988年のソウルの夏期オリンピックについで2度目の朝鮮民族が主催しホストになる大会)について、祝福・歓迎する姿勢を明確にし、参加の意志も示したサプライズだ。

つまりは年末にアメリカのメディアがミサイル発射の兆候を報道した、つまりはアメリカのメディアが報道できるほどあからさまに北朝鮮がミサイルの発射を準備しているかのような動きを見せたのは、やはりこのサプライズ効果を高めるための陽動作戦というか、要するにアメリカのメディアも日本のメディアも騙され引っかかって踊らされただけだったのだろう。

韓国政府には当然ながら、これに応じて南北対話を始める以外の選択肢はない。さっそく文在寅大統領が歓迎の意を表明すると、北側はすぐに板門店の南北ホットラインも復活させ、高官レベルの会談の準備まであっというまに始まった。

日本のメディアは米朝対立がより激しくなってくれなくては困る安倍政権(北朝鮮のお陰で支持率がなんとか維持されているのが、「国難」を標榜してうやむやにできて来た森友・加計学園疑惑も再燃するし、政権に近いペジー・コンピューティングの助成金詐欺事件にリニア新幹線談合など、より巨額な「オトモダチ優遇」疑惑も山積している)を必死で忖度するように、これが北朝鮮による米韓の結束にクサビを打ち込む陰謀で、乗ってしまう文在寅は愚かだ、と言わんばかりの論調を取っているが、馬鹿も休み休み言って欲しい。

国際平和と正義の観点からして、韓国政府には北朝鮮のオリンピック参加の意向を歓迎する以外の対応はそもそも出来ないし、アメリカだってそこには反対できないのだ。

産経系の極右夕刊フジなどは「アメリカが韓国に激怒」とか、今度は米韓戦争が始まるみたいな妙な期待に染まっているが、米韓にクサビどころか韓国を使ってアメリカを交渉に引きずり出すことも可能なのが、北朝鮮の外交戦略だ。

この流れに抵抗すれば、それこそ「韓国は平和の祭典を主催するのに戦争をやりたがっているのか?」と思われるだけだし、そもそも戦争をやりたがっているのは日本であって、韓国では一部の狂った右派はともかく、文在寅は「愛国心」と彼が言う時にはそれは朝鮮民族の総体が対象で、性急な半島統一は当分は不可能でも南北朝鮮は融和すべきだ、というのが信念だし、圧倒多数の国民は、何十万人か、運が悪ければ何百万もの犠牲が避けられない対北朝鮮戦争が現実の選択肢になれば絶対に反対する。

国貞(三代豊国) 七福神 19世紀

逆に言えば、これもまたもや、金正恩のまだ30を過ぎたばかりの若さとは思えない老獪な外交手腕を示す、相手国の都合や利害や行動原理を考え抜いた上で戦略的にタイミングを見計らった一手だった。

つまりはまたもや、北の計算通りの、圧倒的な外交的勝利だ。

なにしろ米韓両国のあいだでは、「北朝鮮は参加しないだろう」という前提で、平昌オリンピック前とその期間中は米韓軍事演習は延期する、という合意の形成が昨年暮れから既に進んで来ていた。

この合意が検討され始めた時点では、北朝鮮は五輪への参加についてなにも言わず、国際オリンピック委員会からの参加の意向確認にも(恐らくはわざと)なにも返事をしていない。そこで米国や韓国の右派や日本では「北朝鮮は国際平和に反して挑発的な態度を取り続けるに違いない」「オリンピックを妨害するためにテロ事件を起こす」などとレッテル貼りに耽溺し、その対比で自らはオリンピックに参加し協力する国際社会の側だという格好を演出するプロパガンダで、北に対する道徳的な優位を(主に国内向けに)示そうとすらしていた。

金正恩はその自惚れのスキに見事につけ込んで、米韓(とくにアメリカ)の鼻を明かしてみせたわけだ。

作者不詳 江戸の正月 天保8(1837)年

アメリカにしてみれば、いかに北朝鮮に逆転されて主導権を握られ、金正恩の狙った通りの結果になるのが悔しくとも、今さら米韓軍事演習の延期を撤回するわけにはいかない。国防総省もさっそく米韓軍事演習をパラリンピックの終了までは延期すると早々に発表した。悔し紛れに北朝鮮の五輪参加を評価するのではなく、大会開催中は軍事演習による交通の制限などを避けるため、という言い訳を付け加えてはいるが、演習を少なくとも延期はしなければ平和の祭典オリンピックをアメリカが妨害した、という形になってしまうのは、いかに「アメリカ・ファースト」のトランプでもそんな状態に自らを追い込むわけには行かない。

つまり事態が北のペースに乗せられて進展することはアメリカも避けようがないし、北朝鮮はアメリカをその立場に追い込む計算で情報の出し方をコントロールして来ていたのだろう。

北斎 七福神 文化6(1809)年

次の焦点はもちろん、合同演習が今のところ「延期」であるのを「中止」するようにと北朝鮮が要求して来るかどうか(というか、これはほぼ確実にこう言って来るだろう)、そしてその要求に米韓がどう応えるかだ。

韓国の右派と、それ以上に日本は、強硬に反対するだろう(両者ともアメリカべったりの対米依存であると同時に、自分たちの憎悪の対象をアメリカが撃滅してくれることで自分たちの権威権力が担保されるのだと、あらぬ期待を抱いている)が、文在寅政権は「無期延期」か、年内は見送るくらいまでは本気で検討するだろう。もともと米韓合同軍事演習は、文在寅にしてみれば断る理由も見当たらないのでアメリカや国内右派に合わせるしかなくやって来たことに過ぎないのが、これで平和の祭典のオリンピックが断る大義名分になったのだ。

そしてアメリカに対しても、これを機に米朝対話を本格的に始めるように、という圧力が国際的にかかることにもなる。逆に言えば、このまま米韓合同軍事演習をアメリカが強行してしまうなら、世界の平和を乱す悪者になって国際的に白い目を向けられるのは、北朝鮮ではなくアメリカなのだ。

しかも米韓合同演習をただ「延期」するだけで、オリンピック後にはまた米朝対決を再開するという態度をアメリカが取るのなら、北朝鮮の態度が「ならば結構、そのあいだもこちらは黙々と核とミサイルの開発を続ける」となるだけだ。つまりは「延期」だけに留めてしまえば、米本土に直接攻撃が可能な弾道ミサイルをいよいよ本当に完成させるためのさらなる時間稼ぎを2ヶ月以上も、北朝鮮にみすみす与えることにしかならない。

北斎 見立て大黒・弁天・恵比寿 江戸時代18世紀

NHKがわざわざアメリカでも世論調査をやって脅威と感じる者が8割と報道しているが、アメリカ国内的に北朝鮮の核問題が「脅威」であるのは、単に金正恩政権が、というわけではないし、現にNHKの質問項目もなんのことはない、あくまで「米朝戦争が起こること」を脅威として感じるかどうかだった。

「なにしろこっちの大統領もトランプだし」「トランプのことだから非常識で愚かなことをやってしまうのではないか」という不安も含めて脅威を感じているのがアメリカ国民であって、しかもアメリカが深く関わり続けている中近東情勢に安定の気配がまったく見えない(むしろトランプが新たな混乱を招いてしまっている)なかで、今度は東アジアで戦争など無謀でしかない上に、理論上はアメリカ本土全体を射程に収める火星15号ミサイルも、北朝鮮はすでに持っている以上は、米本土の大都市とそこに住むアメリカ国民の声明すら危険に晒すことになる。そんな軍事行動に賛成できるのは、アメリカ国民のなかでもごく一部の、世界を知らず根深いコンプレックスに囚われている人々だけだ。

だいたい日本が期待しているような「北朝鮮はけしからん、やっつけてしまえ」などという積極的な世論は、アメリカにはほとんどない(というかそもそも北朝鮮なんてどうでもいいし、朝鮮半島がどこにあるのかもよく知らない)。

北斎 宝船の七福神 19世紀

アメリカが東アジア外交でもっとも重視しなければならない相手国は当然ながら中国であり、トランプにとって幸いなことに、習近平もそこを深く理解してトランプ個人との信頼関係をしっかり構築して来た(それに有能な豪腕政治家の習近平は、トランプにとって個人的に敬意も抱くし話も合う相手なのは、安倍とは大違いだ)が、その裏では中国政府にとっても、今の北朝鮮は最大のアキレス腱のひとつになってしまっている。

なにしろ父の金正日の時までは事実上の属国だったのが、息子の金正恩はまったく言うことを聞かないどころか、むしろわざとことごとく北京の意向に反対し、「図体がでかいだけの間抜けな周辺諸国」とまで痛烈に罵倒して、徹底的に馬鹿にして来ている。大国としての立場とアイデンティティを鮮明にしつつあるのが今の中国なのに、その盟主を気取る習近平がたかが北朝鮮すら従わせられないという現実が明らかになってしまえば国家の沽券に大いに関わり、チベットや新疆ウイグル自治区の独立運動などを勢いづけてしまうだけでも大変なリスクだ。

ここはなんとしても米中が連携して北朝鮮をねじ伏せなければいけないのだが、北京にとってさらに厄介なのが、その国際的な手段には経済制裁しかないことだ。

今の中国の国民は経済発展こそが国のためであり自分達国民のためだと考えている。北朝鮮との付き合いが現に金儲けになっていて、それが今後の商売の上でも重要だと考えれば、政府の命令になぞ従わないし(というか中国国民はそもそも、自国政府をそんなに信用もしていないし権威も感じていない)、ましてアメリカの言いなりになぞもっとなるわけがない。国民の本音レベルでは一歩間違えれば「政府はなにを馬鹿なことを言っているのか」としか思われなくなる経済制裁への参加は、北京政府も実効性が元々担保できないのが実情で、とはいえこうも反抗的な北朝鮮に対する国際的な制裁に参加しないのは中南海の沽券に関わるので、だましだまし参加するしかない。

その上北朝鮮と国境を接し、もっとも関係が深い旧満州はもともと漢民族の土地ではなく、満州族、モンゴル人、朝鮮族など少数民族が多く北京政府への不満も不信も元から強い。政府の都合にそう従順に従ってくれる人々ではないのだから、その不満を長引かせるわけにはいかない。

つまり習近平にしてみれば、今のところはできるだけトランプに歩調を合わせはするが、協力するから早く金正恩とカタをつけてくれ、というのが本音だ。

窪俊満 七草 19世紀

ロシアのプーチンにとっては、とにかくウクライナ問題以降の経済制裁を主導するアメリカの権威を失墜させ「アメリカ側」の陣営を瓦解させることが重要な外交目標なので(そのアメリカのヘゲモニーを破壊しなければ、ロシアは二流国扱いのままになる)、北朝鮮問題がどちらに転ぼうが、それをアメリカの愚かさや不道徳さをあげつらう手段に用いるに決まっている。

魚屋北溪 七草売り 19世紀

北朝鮮はつまり、国際的にも米国内的にも「トランプいいかげんにしろ」という声の方がいつでも沸き上がりかねないタイミングを見計らって、平昌オリンピックへの参加の意向を明らかにしていたことになる。

しかもとたんに急ピッチで話を進めることが出来ていると言うことは、一ヶ月前になって突然オリンピックに参加することになったかっこうの選手たちのトレーニングも含めて、海外に察知されないように万端の準備を重ね、あとはこの五輪カードを切る最良のタイミングを考え抜いて来た策謀だったのだろう。

金正恩は元々、代替わりの直後には韓国の、38度線からたいして離れていない平昌でのオリンピック開催が決まったのを見込んで、38度線のすぐ北にスキー場を建設させている。つまり共同開催も視野に入れていたわけで、右派系の(というか軍事独裁者・朴正煕の娘である)朴槿恵の敵視政策で断念していた。日本もまた朴槿恵以上に北朝鮮を敵視するというか、差別意識丸出しの安倍政権なわけで、この2国が金正日から金正恩への代替わりが関係改善のチャンスだったことを見逃していなければ、そもそも今の核・ミサイル危機は起こっていない。

オバマ政権も韓国と日本を無視するわけには行かないから、「戦略的忍耐」つまり「なにもしないこと」以上の対応は出来なかった。現状を冷静に見れば、要するに米日韓の3国にはそのツケが突きつけられているのだ。

魚屋北溪 三十六禽続・犬 19世紀

朝鮮半島は南北合わせた全体で見ても、人口の面でも面積でも小国でしかない。歴史的にもはっきり言ってしまえばほとんどの場合、中華帝国にひたすら付き従う朝貢国・衛星国でしかなかった。

それでも現代の韓国は経済発展と、東アジア・東南アジア圏を中心に世界に向けた文化輸出政策を民主化後の国が強力に後押しして来たことで、かなりの国際的なプレゼンスを獲得しているが、もう一方の北朝鮮は、大国が主導する国際政治の枠組みのなかで、こう言っては悪いが吹いて飛ぶような存在感しかない国だ。

その北朝鮮がこれだけの国際政治上の注目を集めるよう巧妙に立ち回り、「綱渡り」「瀬戸際外交」と大国のメディアがいかにムキになって揶揄し貶めようとしようが、しっかり自らの地位と発言力と国益を確保し、国内でいかに深刻な貧困や食糧不足や政治弾圧などの問題を抱えながらも、外交的には連戦連勝を重ねて来ているのだ。

しかもその指導者はまだ30を過ぎたばかりの若者のはずが、その外交は老獪で狡猾極まりなく、しかも大胆で、しっかりと計算どおりの結果も出している。

金正恩の政治能力が高いからだ言われれば、ドナルド・トランプや元側近のスティーヴ・バノンですらそう認めている通りなのだろうが、それ以上に日本が(曲がりなりにも大国だというのに)あまりに無能にして非常識でプライドのかけらもなく、あまりに情けなさ過ぎはしないだろうか。

広重 名所江戸百景 高輪うしまち 安政4(1857)年

他に使えるカードが他にないから核とミサイル、という選択は、もちろん倫理的には大いに問題だ。こと唯一の戦争被爆国である日本の国民としては許せないのはその通りだ。

しかし日本がそれを言うのなら、自らがアメリカの「核の傘」が必要だなどとはそれこそ建前だけでも絶対に言ってはいけないダブルスタンダードにしかならず、日米安保があるからと言って、そこまで卑屈になって自国民の被爆者をあからさまに裏切り侮蔑してまで媚を売る必要はない。

日本列島にとって「北朝鮮の核武装は脅威」なのもその通りだが、それを言うならアメリカが在日米軍基地、とくに沖縄という足がかりを持っていて、いつでも北朝鮮の全土を壊滅できるだけの核攻撃が可能な体制を維持している(日本政府への通告義務がないので、現状で沖縄の核弾薬庫に再び核弾頭が持ち込まれているのは十分にあり得る、というか当然持ち込んでいると考えるのがまともな軍事安全保障上の思考)ことも、日本国民ならば許してはならないはずだ。

礒田湖龍斎 水仙に群狗 18世紀

それに北朝鮮が本来なら持っていた、外交上の他の「使えるカード」として、日本相手なら拉致問題の再謝罪と再調査を申し出て来たのは北朝鮮だし、その当時には安倍政権下で在日朝鮮人や朝鮮総連に対する露骨に人種差別的な言動が政権の熱烈支持層から出て来ていたり、政策面や司法の動きでもそうした人種差別が補完されていた(たとえば朝鮮学校の高校無償化からの除外、たとえば朝鮮総連本部ビルの差し押さえ)こともあえて直接明言はせずに、日本政府に在日朝鮮人の人権の保護を今後もしっかりお願いする程度の言い方で済まして来ていたのを、不誠実さ丸出しに無視して、新たな拉致被害者救出の可能性すら潰して来たのは、安倍政権の日本政府だ。

浄瑠璃寺十二神将像 戌神 鎌倉時代13世紀

あえて極論を言うならば、今の北朝鮮をめぐる国際状況を作り出したのは、国内引きこもりで外交を国内向けの、それも自分の熱烈支持層(これがまたまったくロクでもない人々で、普通の日本人なら「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言いたくなるような、人格がぶっ壊れたとしか思えない不道徳な差別主義者の噓つき集団)へのアピールと、とってつけたようなうわべだけの自慢と言い訳の手段としかみなして来なかった安倍政権の、呆れるまでの非常識に彩られた外交無能ぶりにも大きな原因があることを、たとえば日本の大手メディアなども、そろそろはっきり言うべきではないのか? 

北朝鮮が本当に「脅威」で「国難」があるのなら、それを少しでも解消・緩和に導くことこそが本来なら日本国民の利益、つまりは日本の本当の国益のはずだ。

しかしだからこそ、トランプのアメリカが北朝鮮を殲滅でもしてくれることに淡い期待だか夢だかを抱いている安倍が総理大臣でいる限り、平和裏で解決できる問題でもあえてぶち壊しにして「集団的自衛権」を行使したくてウズウズしている安倍が邪魔するのだろう。

円山応挙 朝顔狗子図杉戸 天明4(1784)年

日本は経済的にも文化的にも、そして実のところ軍事力においても立派に、世界屈指の大国だ。だから(アメリカ以外の)世界中の国々は日本に最大限の配慮を欠かさないというのに、日本政府はなぜこうも外交がヘタクソで外交的惨敗を続けるばかりで、自国の利益がどこにあるのかすらロクに把握できていない外交上の奇行を繰り返すのだろう?

そんな情けない大国の日本と比較したとき、北朝鮮の外交は、その国自体は偏見で見られ続けているし実際に時代錯誤な独裁国家ではあり、国力の規模としても吹いて飛ぶような小国でしかないからこそ、自国のカードとして使える強みとその効果・効力を冷静に評価して、もっとも有効なタイミングでそのカードを切る深い戦略性で一貫していることは否定のしようがない。

相手を小国だと見くびって、日本人(それに中国人もそうだが)ならば差別対象である朝鮮民族だからという偏見に染まったまま、優越感の自己満足に耽溺しようとし続けた結果、もはや日本の国内ではムキになって差別意識に満ちた罵倒を共有してかりそめの優越感と集団ヒステリー状態に浸ることしか出来なくなっている。

なんと言っても安倍政権のうわべだけ強行路線の実態は、ひたすらアメリカ頼り、それも国務省のスタッフも未だロクに揃えられず外交不全状態が続くトランプ政権に依存するだけで、トランプが金正恩をやっつけてくれることに淡い期待を抱いているだけ(で、トランプ自身はそもそも、そんなことやる気ゼロ)の空虚な強がりでしかないのは、あまりに情けない。


その日本にとってはますますおもしろくないことだろうが、このまま平昌オリンピックを成功に導くことができれば、現状の北朝鮮危機…というか米朝危機は、それなりの解消に向かって行く可能性は多いにある。

まず韓国の現政権はそのつもりだし、そろそろ収束に持ち込むことは北朝鮮にとってだけでなくアメリカにとっても、そしてむろん中国にとっても、共通した利害なのだ。

そしてその流れにはロシアも乗るであろことも目に見えている(なにしろアメリカが妥協する、という結論に表向きはなるのだから)。

…というか、日本の国民にとってだって、そうならなくては困るはずだ。

在日朝鮮人をどうしても差別し続けたいからその正当化のためには北朝鮮は「悪」でなくては困るなんて人はごくごく一部しか、実際の日本国にはいないはずなのだ。

円山応瑞 狗子図 18世紀

もちろん安倍政権の「圧力!圧力!」のバカのひとつ覚えの結果、ICBMはまだ実用段階では実はない(金正恩はあえて「完成された」と明言したが、要するに「ここで止めてもいいですよ」というジェスチャー)にせよ、北朝鮮が核弾頭を持ち、日本列島を射程に収めるミサイルならとっくに実用段階になっている現状は、それはそれで非常に困った問題だ。

だがこれを「日本は核兵器を持っていないのに北朝鮮が核武装なんて悔しい」という劣等感と罪悪感の裏返しとしての差別意識から来る歪んだ欲望を満たしたいだけの、およそ現実離れしまくった願望とスリ替えてはなるまい。

日本こそがうまく立ち回って米朝交渉を速やかに始めさせていればまだ結果は違ったろうが、もはや現実問題として北が核武装を手にしている以上、解決の構図は北朝鮮とアメリカの間の対話というのは、双方の核軍縮交渉にしかなりようがないのだ。

アメリカが認めようが認めまいが北朝鮮は現に核武装してしまっているし、しかも日本が核拡散防止条約で核兵器の保有を認められた五大国の核武装を支持し、この条約違反のインドの核政策にすら協力し、自国の安全保障にアメリカの「核の傘」が必須だと裏でこっそりの本音ならまだしも公言してしまっている以上、北朝鮮に核武装それ自体の放棄を迫ることなんて、現代の世界秩序が主権国家の平等と公平性を一応の基礎としている以上は筋が通らない。よほど札ビラを切って援助ばらまきを押しつけでもしなければ(まあこれが安倍の言う「地球儀を俯瞰する外交」の唯一の手段なのだが)誰も賛同してくれないような無理な相談でしかないことに、そろそろ日本国民は気付いた方がいい。

もちろん日本がここで核兵器禁止条約の発効に積極的に動き出し(ヒロシマ、ナガサキの被爆国なんだから当然のこととして、本来なら期待されていたこと)、日本とその周辺の東アジア地域そのものの非核化を主導し始めるようなことがあれば、つまり「唯一の戦争核被爆国」という最強の外交カードを巧く使いこなせるようになれば、話はまったく違って来るのだが…。

広重 薔薇に狗子 19世紀

9/10/2013

東京でオリンピックを本当にやっていいのか?


2020年のオリンピックが東京に決まった。石原慎太郎が都知事だった頃に東京が立候補したときには、ほとんど誰もがあまり真面目に相手にしていなかったし、招致に至る過程もメディアは冷ややかに報じていた。

それが今回は、決まる前から大変な盛り上がりでニュースはこれ一色、首相はシリアへの軍事介入問題もあり、世界的な経済状況が一向に回復しない今、とても重要なG20会議の日程を半分で切り上げ、背水の陣と言わんばかりの決死のムードでIOC総会の行われるブエノスアイレスに乗り込み、メディアもその必死さが伝染したような熱狂ぶりだった。

東京に決まったからいいようなものの、せっかく衆院選参院選に大勝したばかりだというのに、外れていたら首相の辞任にすらつながりそうに思えた。まあオリンピックを再び東京で、というのは、それだけなら悪い話ではないんだし、素直に喜んでもいいはずなのだが…

いやメディアがここまでオリンピック招致に染まったのは、日本にとってあまりいい内容になりそうになかったG20隠しでしょ?麻生さんが国際公約と言っている消費増税に(いやそんなこと言ってない、公約したのは財政規律の正常化のはず)、逆にG20で懸念が出て来るんだから。 
アベノミクスだってまるでよくは見られてないし(金融政策の禁じ手である人工ミニバブルが警戒されるのは当然)、しかも既に停滞に陥りつつあるので当然「それ見たことか」と言われるわけだし、「これで景気を冷え込ませる消費税増税をやって、本当に大丈夫なのかよ?」と懸念されているわけで。 
しかもシリア軍事介入がらみで、安倍さんがオバマさんに会わせてもらえたのはいいが、正当化する理屈が見つからないことで、戦争大好きな安倍さんに余計なこと口走られても困るわけで。 
だから霞ヶ関は安倍さんにペテルブルグに長居をさせなかったわけで。

しかし安倍晋三さんって、ほんと運だけはもの凄くいい人である。


ところで今日紹介したかったこちらの画像は、東京オリンピックの公式ポスターである。え?もう決まったの、と慌てないでよく見て欲しい、これは第12回大会、年号は1940年だ。

東京がオリンピックの開催都市に選ばれるのは、これが2回目ではない。3回目だ。

1936年7月の国際オリンピック委員会(以下IOC)総会は、1940年大会を東京で行うことを決定した。アジア初のオリンピックは、白人国家の圧倒的な優位が続いていた当時、大変な快挙である。

東京は今と同じくらい、いやそれ以上に晴れがましい思いで、盛り上がっていたことだろう。

だが翌37年7月には、日本は盧溝橋事件を起こし、中国大陸での戦争を激化させた。平和の祭典の開催を誇らしく思っていたはずの国は猛烈な勢いで首都南京を攻略し、国民はオリピック決定以上の熱狂でこれを歓迎した。だがそこで起こした大虐殺事件の報が、命からがら脱出した米国人宣教師手で伝えられ、世界を駆け巡り、日本は世界中からの猛烈な非難に晒され、態度を硬化させる。

1938年、日中戦争が泥沼化するなか、政府はオリンピックの中止を決定した。翌39年9月にはドイツ第三帝国がポーランドを侵略、英仏が対抗して宣戦布告し、第二次世界大戦が始まる。こうしてアジア初の平和の祭典は、人類が未だかつて知らなかったような血みどろの戦争にとって替わられ、幻となった。

安倍晋三首相はこの負の歴史を、知っているのだろうか。いや日本オリンピック委員会(JOC)のウェブサイトは、英語版でしかこの幻の東京大会に触れていないし、知らないかも知れない。

とはいえこの24年後には、今度は本当にアジア初のオリンピックを、歴史に残る名大会のひとつとして成功させた東京だ。いかにその戦争の歴史を美化したい首相でも、73年前のような失敗を再び繰り返すようなことはないと思うが。

幸い、この国の憲法は戦争を禁じているし、今の中国だってそんな介入を許すような混乱した国ではまったくない。習金平・李克強の新しい政府の体制もしっかり安定しているし、あえて急激な経済成長にブレーキをかけられるほどに堅実だ。まさかまた中国と戦争を始めて日本が五輪をキャンセル、なんてことはあるまいが(でも安倍さん達、戦争したがっているように見えるよ)。

とはいえ、開催決定に至る過程を見てしまうと、あまり素直に喜べない五輪招致である。

東京がすべての面で最もとどこおりなく大会を行える都市であることはIOCも百も承知というか、そんなの世界の常識だが、画龍点晴を欠くというか、肝心の開催理念はどうしたの、と問われ、とってつけたように持ち出したのが、開催期間に8月6日と9日が入るので、平和を訴えられるという。

ならば広島なり長崎でやればいいじゃないかと思うが、この二都市が立候補することは「オリンピックの政治利用に当るのでは」と難色を示して来たのが、日本政府であり、とくに自民党であり、その影響が強い日本オリンピック委員会だ(…っていうかあれ、右翼だし)。

「平和」だけではいかにも弱いと思ったのか、持ち出したのは震災復興である。

被災地からしてみたらきょとんとしてしまう話だ。ならば仙台ででもやればいいではないか。いっそ石巻オリンピックではどうだ?都合のいいときだけ思い出したように震災を持ち出されるのも決して愉快な話ではないし、東京でのスポーツ大会がどう震災復興に結びつくのか?

いやちょっと待て。だいたいオリンピックは7年後じゃないか。

まさか7年後でもまだ復興に向けて夢だの希望を語らなければならない状況なら、その方が困る。オリンピックで浮かれている場合ではない。

聖火リレーが被災地を駆け抜けるって、政府や東京都では津波で破壊された廃墟に住民たちが立ってランナーを応援する図でも想像したのだろうか?いや7年後にはそれが町になっていなければ目もあてられない…のだが、どの被災地でもその目処はほとんど立っていない。オリンピックは結構だが、復興の夢と希望を与えたいのなら、他にまずやることがあるだろう?

最終決定が近づくなか、福島第一原発の事故現場で、冷却中の事故を起こした原子炉から海に流出する高濃度汚染水(つまり溶けた燃料を直接冷やした水)が、一日300tであると突然公表された。

実は量が確定していない以外は、最初から分かっていた話だ。もう皆さんすっかり忘れているのだろうか?2011年3月末には海への流出が発見され、排水溝に急速に固まるポリマーやおがくずを混ぜて流し込んでなんとか止めようとして、なにも分かっていない東京のメディアがおがくずを冷笑していたことも(実は技術的に正しい選択だった)。

汚染水が地下水脈にも達している可能性が高いことも、もう数ヶ月前には確実視されていた。地下水ごと堰き止めたら逆流して建て屋内が水浸しになって被ばくリスクが高まり、ますます事故処理が困難になる可能性もあり、ずっと現場が頭を抱えて来た問題なのだ。

さらに、これは外に流出させずに済んでいる高濃度汚染水の話になるが、水からの放射性物質除去が追いつかず、仮設のタンクをどんどん増設して溜めて来たのだって、本当は誰でも知っていておかしくない。

だが日本のメディアが報ずることはほとんどなく、ほとんどの人は、今や福一の広い敷地がほとんどタンクで埋められていることを、そのタンクからも水が漏れていることが分かったのと同時に知らされたのである。別に誰かが隠蔽したわけではない。メディアが意味が分からず興味を持たなかっただけだ。事故当時の所長だった、先頃亡くなられた吉田さんが、何度も何度も「この事故は水との闘いだ」と訴えていたのに。

それが今度は、日々流出が確認される量が増えては後追いで報道、これは最悪の情報管理だ。実際以上に危険性を誇張し、なにがなんだか分からないが不安をかき立てるやり方にしかなってない。

いつ漁業を再開出来るのか、すでに諦め半分になっていた沿岸漁業者には青天の霹靂である。むろん実は汚染水が海に流れ出てしまっていることは彼らだって知っていたが、情報の出し方が拙過ぎるし、量自体が思っていたよりもずっと多い。

福一沖の海流は、ちょうど黒潮と親潮がぶつかる故に豊かな漁場であったこの辺り、基本的に離岸流だ。広い太平洋だし沿岸漁業にそこまでのダメージにはならないので、そっとしておいて欲しい、試験的に穫った魚の放射性物質含有量には種類に応じてばらつきがあるが(タコやイカはまったくなにもなかった、など)総じて低く、もう少し辛抱すれば風評被害に苦しめられることもなく、いずれ再開も出来るという希望もまだあった。それが最悪の情報の出し方で、すべてが潰え、この2年以上の忍耐はまったくの無駄になってしまったのだ。

しかも汚染水流出は、実は今止めるわけにもなかなかいかないのである。

汚染水自体を止めるか、少なくとも減らすためには、原子炉内に直接水を注ぐ体制をやめて、溶けた核燃料に触れた水を循環させる、たとえば炉心は密閉して内部の冷却水の熱は熱交換器で取り除くシステムを、早く構築しなければならない。そうやって汚染水がでること自体を抑制しないと、ただ水を堰き止めるだけでは逆流し、事故を起こした原子炉の管理はより困難になってしまうし、今それを堰き止めてしまえば、そのシステムは構築出来なくなるかも知れない。

それがニュースではオリンピック招致の最大の懸念が汚染水問題だと報道され、現場と地元はますます頭を抱える。「なんだまた俺たちのせいにされるのか?」

もちろん海への流出は決していいことではないが、これだけが喧伝されれば、事故の収束は却って遠のくし、その汚染水の問題自体が延々と長引くことになるのに。

そこへ来て招致の中心人物である竹田JOC委員長、元は皇族の竹田宮の、とんでもない発言まで飛び込んで来る。ブエノスアイレスの記者会見で、宮様(まあ元ですが)は「東京は250Kmも離れているから安全だ」と繰り返してしまったのである。

宮様、このオリンピックは、復興を応援するのではなかったのですか?

そのための五輪だといいように自分達をダシにしながら、本音は「離れてるからうちは安全、関係ない」かよ? もはや怒りを通り越して、皆さん呆れたに相違あるまい。政府や、東京の人々は、やはり自分たちを見棄てるつもりなのだ、いやもう見棄てている、なにも考えていないじゃないか。

これが元とはいえ皇族から出た言葉だからより重い(まああれでも皇族、なんて知っている人は今では少ないだろうが)。 
腐っても宮様、皇族が常に慮るべきはずの日本の民草から、被災者、とくに原発事故被災地は除外されたことに他ならない。皇居では今上の聖上の明仁さんが頭を抱え、旧立川基地跡の地下では先の聖上の裕仁さんが悶絶し、皇太子夫妻も心を痛めるあまり、雅子さんのストレス性の病気がますます…。秋篠宮一家だけは今日も能天気だろうが。

名目上「警戒区域」はなくなったものの、復興や再建の目処などなにも経っていない。避難解除準備地域と言われながら、楢葉町は昨年8月半ばから、南相馬市の小高は昨年3月末から、富岡町などの一部は今年3月末から、昼間は自由に入れるが、夜泊まることは許されない状況がずっと続いている。そして帰れるかどうかの決定をまだ5年は待たされる帰宅困難区域。もう諦めて新しい生活を選ぶべきか、希望を絶やさないか、その判断材料すらない。

それが7年後のオリンピックで夢や希望を持てだの、しかし本音は、東京は250Km離れて安全、つまりは無関係で知ったことではないという。

オリンピックは結構なのだが、ものごとには順番というものがあろう。

いや逆にそっちで一生懸命になって、自分達のことなど忘れられ、延々と後回しにされるのではないか?政府が決めるべきことを決め、きちんと補償もされる体制がなければ、どんなに気を強く持っても、自分達が出来ることはあまりに限られているのに。

さて安倍首相が、そんなIOCの不安というか自分達にとっては絶望を払拭するために、G20を途中で切り上げて(それはそれで大問題なんだが…)ブエノスアイレスでの最終プレゼンテーションで、この問題を語るという。

さて何を言うかと期待して最終プレゼンテーションの生中継を見た人は、驚き呆れたことだろう。復興を支える希望のオリンピックのはずが、福島に至ってはフクシマのフの字も聞こえない。

え?うちの復興は関係ないの?(気仙沼出身のパラリンピック選手は確かにいいんだけどさ…でも宮城だけ?)

そしてやっと原発事故を語った、つまり唯一福島に触れることは触れた安倍首相は、いきなりすべてアンダー・コントロール、ノー・プロブレムと、分かり易過ぎるカタカナ発音の英語であまりにも能天気に表明した。だから東京は安全だ、と。なんだ結局は「250Km離れた東京は安全、関係ない」じゃんか。だいたいその根拠はなんなんだ?なにがアンダー・コントロールなのか?

汚染水の海洋流出を止めるには、先述の通り溶けた燃料の冷却を、今の垂れ流し型ではなく、循環型にしなければならない。だがその水のコントロールをいつ確立出来るのかも、まだよくは分からない。ただ水を止めるだけでは、かえって事故処理が遅れるのだ。

なのに首相は追加の質疑で、さらに誰も知らないことを誇らしげに、今度は日本語で語った。

日本語だから聞き間違いはないはずだが、汚染水の影響は港湾内の0.3Kmで完全にブロックされている、と確かにいいましたよね?なんだそれは?海底ホットスポットだって見つかってるべ?なにその「完全にブロック」って?

まったく初耳である。だいたいそんなこと可能なわけがない。300tの汚染水が毎日流れ出ている上に、タンクから漏れた水も地下水脈に達して、海に流れている可能性が高い。完全にブロック?ならすぐに溢れますよ。

それでも首相は自信満々だ。しかし科学的、技術的な根拠は一切言わなかった(言えるわけがない、そんなのないんだもん)。とにかく自分の政府が約束する、と断言する。

このプレゼンテーションをリアルタイムで聞いた者は、誰もがここまで噓をついてしまっては、東京オリンピックは絶対にないと思ったことだろう。テレビで解説や感想を述べた者達は、どう見たって政府よりに口止めされているが、なにしろこの事故を少しでも関心を持って見てくれば、すべてが噓だと分かり切っている。

ところが東京は勝ってしまった。いったい何が起こったのだ?

メディアは首相の自信に満ちた発言が切り札で、汚染水の問題への不安は完全に払拭、東京が圧勝した、とナショナリスティックな興奮に酔いしれている。

「自分達はどうなるのだ」という、この事故のいちばんの被災者たちの押し殺した不安と怒りと諦めの声など、誰も聞いてくれないのだろう。

もうブエノスアイレスで安倍が語った約束に、「それでも約束はした」と一縷の望みをかけるしかない。いや安倍がまた突然政権放り出しをやったって、世界のメディアがいい加減なことは許さないよう監視するだろうし。

実はそのどっちも、なにも期待できない、信用ならない、とこれまでの経験でもううんざりするほど分かってはいても。

「なあに、何も変わらなかっただけさ」と、虚しい言葉でお互いを元気づけるしか、本気で言えることはないだろう。その「何も変わらないこと」の連続が、実はいちばん耐え難いのだが。

それにしてもなぜ、東京が勝ったのか?

IOC委員達が本気で福一の汚染水問題に関心があれば、安倍首相の自信満々の噓は通用したはずがない。むしろどうも本人が本気で信じているらしいことが、却って不安になる。「こいつ大丈夫なのか?」「首相がなにも分かっていないらしいが、日本は大丈夫なのか?」

実は安倍首相はメディアの手放しの、というか実は必死の賞賛とは真逆に、秘かに世界に馬鹿にされ、恥を晒しただけである

だって噓なんだもん。なのに誰だってだ噓と分かることを、首相だけは本気で信じ切ってるんだもん。

タネを明かせば、IOCは東京五輪の開催について、福島第一の汚染水問題などまったく気にしていなかった、ただこれだけのことだ。そりゃそうだ、東京にちゃんと視察に来ている。

IOCはただのエクスキューズとして、日本の首相の言質が欲しかっただけ、これで「日本の首相がああ言っているだろう」と、不安や批判をなだめられる(…っていうか責任は日本政府に押し付けられる)。東京五輪万々歳、これは最初から結果が見えた出来レースだったのだ。

首相のプレゼンで日本が五輪を勝ち取ったなんてことはないし、それにここで「勝った」と叫ぶことは、それがなければ「東京よかったね」と言おうと思っていた、選ばれなかった他の二都市、とくにイスタンブールの人々の神経を思いっきり逆撫ですることにしかならない。

東京は総力戦で戦っただの、祝勝会だの、マドリードはともかく本命イスタンブール相手では、世界でもっとも豊かな国のひとつが、あまりにはしたない。

なぜ東京は選ばれたのか?

東京はオリンピック開催それ自体だけで言えば、最初から最有力候補、もっとも優等生な候補都市だった。成熟した高度資本主義先進国の首都、発展し清潔で安全な都市で、運営上なんの不安もない上に、都と政府が大盤振る舞いする資金も潤沢だ。IOC委員個々人にとってさえ、懐が温まったりしそうな話であり、事前の視察での豪華絢爛で贅沢過ぎるおもてなしぶりは、委員たちのハートを既にがっちり掴んでいた。

それでも、2020年のオリンピックは、本来ならイスタンブールで開催されなければならなかった。誰がどうみても大本命はイスタンブール、他は本来あり得ない。

事前に最大のライバルはマドリードと報じていた日本のメディアは、よほど物事がなにも分かっていないとしか思えない。大本命はやはりなにがあってもイスタンブール、そうでなくてはならない以上、なにかの不都合で代わりに東京はあり得ても、マドリードだけは絶対にない。

前IOC会長サマランチの子息がマドリード招致の有力な決め手とまで報じられていた以上、ますますもってマドリードはない。IOCが不正直なコネに支配された組織だと、世界に喧伝するハメになるだけではない(まあ実際はそうなんだけど)。五輪を経済的に利益すらあがるイベントに仕立て上げたサマランチはいわば功労者ではあるが、だからこそ彼の負の遺産である金銭優先イメージを、IOCはどうしても払拭したい。 
もっと困った問題がある。サマランチ氏の正体は、1936年のベルリン大会、1940年の幻の東京大会と並ぶ、オリンピックの闇の歴史なのだ。 
サマランチ時代の末期には、この男が何者であったのかが世界に向けて明らかになってしまっている。スペイン内戦でナチス・ドイツと結び、世界初の一般市民への無差別爆撃をゲルニカで行い、その後40年以上君臨した独裁者フランコの、側近のなかでも極端なマッチョ軍国主義全体主義者、いわば元ナチスかそのシンパである。

なによりもまず、マドリードはヨーロッパの都市である。

だから中近東、イスラム圏初のオリンピックを差し置いて、かつての植民地侵略帝国の首都マドリードを選んでは、世界平和を揺さぶる問題にすらなる。

それこそオバマ政権あたりが「それだけは絶対に止めてくれ」と裏から圧力だってかけていてもおかしくない。

第一回投票で、最大のライバルと自分達が報じて来たマドリードの得票の意外な低さに驚く日本のメディアは、もはや国際情勢の報道で、まったく信用してはならない。絶望的になにも分かっていない。

しかも日本のメディアはあれだけ今回のオリンピック招致にからめて1964年東京大会を引き合いに出しているのに、その東京五輪の意味すらなにも分かっていないのだ。つまり歴史をなにも理解していない。どうもこの国に蔓延する歴史修正主義極右、ネオナチ病の流行は、戦争と植民地支配のことだけではないらしい。

イスタンブールとマドリードが第二位決定の再投票になり、イスタンブールが勝ったとき、中国では新華社と中央電視台が、イスタンブールに決まったのだと誤報してしまった

これをあたかも中国が日本を嫌っているから誤報したのだと言わんばかりに報じる日本のメディアこそ、もっとタチの悪い誤報をやっている。そんなに中国が憎いのか?隣国を一方的に敵視するこの今の日本のどこが、平和の祭典にふさわしいの?

中国の代表的な二つのメディアは最初から、前々回は自分たち、次はリオデジャネイロだし、ならばその次は当然イスタンブールだと、当たり前の歴史認識と良識ある世界平和理念への期待で、そう思っていただけである。

いや世界中で多少なりともまともな人は、シリア情勢が悪化しそうなのが懸念材料だが、しかしだからこそイスタンブールだっていい、オリンピックが掲げる本来の理念からして、なんだかんだ言っても当然イスタンブールだろうと思っていたし、またイスタンブールになることを期待していた。

日本のメディアは本当にどうしようもない。

2008年大会の招致で北京と争った大阪は、勝つ見込みがあったのがロビー活動で負けたのだという。

そんなバカな話はない。2008年は最初から北京だと分かり切っていた。

中国でよほどの大問題が突然起こらない限り、つまり1940年の東京五輪を日本が自分で潰したようなことがない限りは、絶対に北京だった。

大阪は最初から勝つわけがなかった。「ロビー活動で負けた」って、どうせ札ビラちらつかせてたくせに。

2016年はシカゴが本命だったのに、意外にもリオデジャネイロが獲得した、だから五輪招致争いは先が見えない、と日本のメディアは言う。

そんなバカな話はない。

自ら総会に滑り込みで駆け込んでシカゴの招請スピーチをやったバラク・オバマですら、シカゴが取れるとはまったく思っていない。なにかの間違いでシカゴになってしまったら、オバマ自身が慌てふためいたことだろう。

他はまだありえても、リオデジャネイロを差し置いてシカゴ、ラテンアメリカを差し置いてアメリカ合衆国は絶対にない。ブラジルだけでなくラテン・アメリカ全体の神経逆撫でし過ぎだから、世界平和の理念に反し過ぎるからだ。

まったく同じ理由で、2020年はイスタンブールのはずだった。オリンピックの掲げる理念、オリンピックがなんのためにあるのかを考えれば、当たり前のことだ。

2008年になぜ北京が選んでもらえたのか、その理由をもちろん分かっているし感謝もし、誇りもある新華社と中央電視台は、だから当然、なんだかんだ言ってもまずイスタンブールだと思っていた。まあ中国にとってそんなに重要なニュースでもないし、だから「イスタンブール」と読み上げられた時点で、これで決まったね、と勘違いしたのだろう。

それをなぜ日本のメディアは理解できない?どこまで外交音痴の世間知らずなのだ?

だいたい2008年が北京で、2016年がリオデジャネイロで、1988年はソウルで…と言うのが最初からIOCの下す当たり前の選択であった理由を作ったのが、他ならぬ1964年の、日本が大成功させたあの名大会、東京オリンピックではないか。

当の最大の功労者である日本人が忘れている、オリンピックをしょせんは欧米列強のおたのしみに世界平和を名前だけ貼り付けた植民地主義のイベントでなく、真の世界平和のイベントにしたのは、我々日本人がそれを成し遂げ、今でも誇りに思い懐かしみ、戦後の日本の発展のメルクマールだとみなす東京オリンピックなのだ。

なぜそれが分からないのか?

私たちがあのオリンピックをどれだけ誇らしげに思い、喜び、祝い、感動し、「こんにちは、こんにちは、世界の国から」と歌ったその意味を、なぜ現代の日本人は忘れてしまったのか。

1964年の東京オリンピックがあったからこそ、世界中が、この地球がいずれはあらゆる人間が平等で平和に生きられる場所となるだろう、と夢見ることが出来たのだ。

1964年の東京オリンピックこそが、世界中の、当時は後進国とされた白人の国でない国々に、努力して自分たちの国を平和に発展させよう、戦争や武力でなく、知恵と技術と日々の努力で、今は貧しく虐げられ馬鹿にされ差別されていても、いつかは白人でなくとも世界の平等な一員になれる、そのために頑張ろうと思える確かな希望を与えたのだ。

1964年の東京オリンピックこそが、世界に平和の希望を与えた真のオリンピック、恐らくこのイベントの歴史のなかで最も重要な大会、オリンピックを本当にオリンピックにしたオリンピックだったのだ。

それは一度はアジア初のオリンピックを自ら放棄し、平和の祭典の代わりに誤った残虐な戦争を起こし、その結果欧米列強に大敗し、二発の原爆まで落とされ、それでも立ち直った日本、戦争を放棄したまま、平和国家のままでも世界の一流国と呼ばれるまで、たった19年で復興どころかさらに大成長した、その日本という国だからこそ産むことができた希望、世界に日本が与えた希望だったのだ。

イスタンブールでオリンピックが開かれれば、トルコだけではない、中近東すべての国が喜ぶ、希望と夢を持つ。

イスンタンブール五輪は、東京五輪が世界のすべての非白人国に与えたのと同じ希望、ソウルが、そして北京が継承し、今後はリオデジャネイロがこれから引き継ぐ希望を、今の世界の不公平さにあえぐ中近東に与えられたはずだった。

それはアラブ世界と、そこを植民地支配で侮辱し搾取し続けて来た欧米との対立を和らげ、今頓挫しつつあるアラブの春に再び命を吹き込む力すら持ったはずだ。

5月のトルコの反政府デモは、逆に懸念材料ではなかった、だからこそIOCはイスタンブールを支持すべきだったのだし、アラブの春からまだ二年しか経っていないのだし、だから現にロゲ会長らは「民主化が進んでいる証拠」と問題にしなかった。

IOCの人たちが正しい判断さえしてくれていたら、今いつ起こるかわからないシリアの内戦の泥沼の大戦争への道すら、阻止出来たかも知れない。

だが絶対にイスタンブールでこそ2020年にオリンピックが開催されなければならなかったから、それが本心では絶対にイヤな人たちも、絶対にトルコで、中近東でなんてオリンピックをやりたくない人たちも、まだこの国際オリンピック委員会という組織には少なくない。

はっきり言えば、人種差別だ。ええ、IOCなんて未だにそんなもんです。

中近東のイスラム教徒たちには、それがアラブ人でなくトルコ人でも、絶対に彼らにそんな名誉を与えたくない。絶対に対等に扱いたくない。

IOCは元々、こう言っては悪いがその程度の人たちの集まりでもあった(だからサマランチって元ナチスみたいなもんだってば)。それでも少しずつには改善して来たが、今回の招致都市選考だって結局は、イスタンブールについてちょっとでも懸念があれば、あるいはその懸念を血眼であら探しをしてでも、「やはりイスタンブールなんて駄目だ」と言いたかった人たちが、この組織にはまだいっぱいいるのだ。

白人ばかりがメンバーではないといっても、こういう差別性が残る組織にいれば、差別される側こそが差別する側に染まりがち、差別する側に都合のいい配慮をしてくれる、元々従順な被差別者、いわば「名誉白人」を目指しそうな人こそが、こういう組織には残りがちなのだ。そんな人たちは結局は、元の植民地支配者に負けてしまいがちで、自分達より下位なものを探し、叩いてしまうこともある。

それにしても、イスタンブール五輪は美しい夢だった。 
ボスポラス海峡のアジア側沿岸にメイン・スタジアムを作り、ヨーロッパ側に面した一角はあえて客席を下げ、海に開かれ、その向こうのヨーロッパが見えるという演出。 

アジアとヨーロッパの架け橋、ビザンチウム、コンスタンティノープル、そしてイスタンブールと2000年以上に渡り変遷を遂げ、時に激しい戦争の舞台となりながらも、多様な文化の出会う場であり続けた都市。東ローマ帝国のキリスト教の大伽藍として作られたアヤ・ソフィアが、そのあまりの美しさと高い建築技術から、決して破壊されることなく、ちょっとした改造でモスクとなり、それがその後のモスクの基本様式に踏襲されたことに象徴される、世界の文明が出会い、多様な歴史が混ざり合って継承される都市。 
ヴェネチア風やジェノヴァ様式の家々が並ぶ旧市街を持つ、オスマン・トルコ帝国の首都。海と陸路の双方で世界につながった文明の十字路。海を臨むトプカピ宮殿の正殿のバルコニーや、スルタンの小さな礼拝堂を見れば、いかにオスマン帝国が世界の文明が出会い混ざり合うほんものの帝国として自らをみなしていたかは肌で感じる。
オリンピックはトルコが、つまり中近東のムスリムの国でも、世界の一流国の仲間入りが出来ることを示すだけではなかった。
民族共和国として成立した現代のトルコが、実はかつての大帝国であり多民族国家であることを受け入れ、今抱えている国家観の矛盾を糾す効果もあった。だから首都アンカラではなく、歴史都市イスタンブールなのだ。 
もっともオリンピックに伴う大規模開発で、この世界でも有数の美しい街が損なわれてしまう、どこを掘っても遺跡が出て来るこの街で、五輪開催にあわせた急ピッチの開発で、そこにまだ埋もれた過去の素晴らしい遺産が損なわれてしまうかも知れないのは、個人的には心配だらけではあるのだが…。


イスタンブールでオリンピックが出来なくなったことで、世界人類の平等な平和という理念、夢、その希望は、10年は後退したことになると、やはり言わなければならない。

もう一回、東京でオリンピックでやること自体はいい。

だが今回、東京が勝ってしまったこと、それもなりふり構わぬ下品なやり方を「総力戦」と称し、メディアが大声で「ロビー活動」を推奨する、つまり露骨に札ビラをみせつけて、最後にはIOCのなかの未だに白人至上主義の尻尾を引きずった、サマランチのような元ナチの影響から抜け切れない連中とカネの力で手を組んで獲得したこのオリンピックで、我々は64年の東京オリンピックを、自分たちの先人が確かに築いた理想も夢も希望も、全て裏切ることになりそうだ。

1940年のアジア初のオリンピックを日本の軍国主義が潰したことと並ぶオリンピックの歴史上最大の汚点、1936年の、ナチスのプロパガンダに利用されたベルリン・オリンピックの再来にすら、なりそうだ。

おまけにこの国で今いちばん希望や夢を必要としている人たち、被災地の人々の心まで、足蹴にしてしまった。

猪瀬都知事は、復興支援のオリンピックとは、アスリートが被災地を訪れ子どもたちを励ますことが、心の支援になるという。おいおい、オリンピックは7年後なんだよ?

安倍首相が「日本を取り戻す」と言っているのは、祖父が首相だった頃に始まる高度成長時代どころか、地方を足蹴にした中欧集権体制で、行き着いた先は植民地侵略の朝鮮民族差別の、明治維新の日本を取り戻すということだったのか?

折しも今年のNHKの大河ドラマ『八重の桜』は、その明治維新がいかに日本人が日本人を虐げて来たかを、その虐げられながらも強く生き抜き、本当の日本を再生させようとした人たちを通して見せるドラマなんですけどね…。 
会津戦争があんな暴虐な国内植民地侵略戦争だったなんて知らなかったし、維新の戦災で荒廃し、明治政府に棄てられた京都を復活させたのが、その会津の山本覚馬だったなんて、まったく知らんかった。 
首相、見てないんだろうなあ。あ、そう言えば明治維新の諸悪の根源、長州閥か。

それにしても、勘違いしたはしゃぎっぷり満載の、SF映画の宇宙船みたいな玩具みたいな新国立競技場のプランだとか、いったいなんなんだ? このままなら、とてもではないが喜ぶ気がしない。

4/27/2008

愚の骨頂…

平和の祭典の聖火ならぬ騒動の火種が、我がニッポン国長野を通過して行きました。いやまあ留学生を大量動員かける中華人民共和国大使館というのも凄いのだが、チベットに平和と自由を訴える亡命チベット人の皆さんとその支援者に、いつのまにやら中国が嫌いなだけの右翼まで入って騒動のメインを担ってるというのも、同じくらい低レベルの話で困ったもんだ。チラっとしか写りませんでしたが、4月8日のこのブログで取り上げた、ニュース23が取材していた映画『靖国』で銀座の映画館シネパトスに街宣をかけた右翼の坊やも、中国人留学生の集団に果敢に襲いかかってましたねぇ。我ながらつまらんところ見てるもんだが。

なんというか、他人様の大変な不幸を、自分たちのどーでもいいような鬱憤のはけ口に利用しないでもらいたいもんだ。

とはいえ中国人留学生の皆さんの無知と傲慢と恥知らずも、他人様の国のことながらあきれ果てる。どうもあの方たちは、中華帝国の歴史も知らないらしいし、まして民族自決権の理念(最近は孫文先生の三民主義なんて教えてないですかねぇ…)なんてまったく理解しておらず、ただ自分たちのことしか考えられず、他人からどう見えるかなんて想像も及ばないようだ。そりゃ日本の右翼も同じといえばその通りながら、まだ日本では少数でしょうし、外国に行ってまでやらんやろ、さすがに。映画『靖国』の右翼活動家相手の試写の後のディスカッションで、「外国の人に日本の神道を理解してもらえるとは最初から思ってない」とそれなりに賢そうな右翼の人が言っていて、まあ「理解してもらえるとは最初から思ってない」ってのもいくら民族宗教とはいえ説明不足過ぎるが、少なくとも他民族に強引に押し付けないだけまだマシか(もっとも、我がニッポン帝国は植民地支配した土地には押し付けましたが)。

たぶんなんの基礎知識もないところで、インターネットでいい加減な知識を仕入れて知ったフリをしてるんだろうなぁ、ちっとも思考能力も使わずに(苦笑)。まあその点では「中国嫌い」だけで長野に行ってらっしゃるプチウヨの皆さんも同じようなものなんだろうが。

中華帝国というものが歴史上どういうものなのかまったく知らないらしい…。明朝の正史には、あたかも明がチベットの宗主国であったようなことが書いてあります−−ってそれを言うなら、足利将軍だって明朝から「日本国王」に奉ぜられてますよ。日本は中国の一部ですか? 違うでしょうに。まだ足利将軍はちゃんと国書を送ってますが、チベットの側では商売とか、お坊さんが訪問しているだけで、そのお坊さんたちだって別段政治的実権があったり、ダライ・ラマの命令で、なんてことは一切なく、ただ自分の意思で中国旅行をしただけ。それを明朝が格好がつかないからダライ・ラマの公式の使者であるかのように公式記録に書いただけ。だいたい、大昔から中華帝国は外交使節が来たら、実態は対等の外交関係で通商を行うだけでも、自分たちの側では「朝貢」ということにして、属国であるかのように自分たちの側では装う、という見栄っ張りの歴史をお持ちなんですけどねぇ。学校で教わらなかったのかな? 清朝の時代には実質保護領みたいな関係だったが、それは愛親覚羅皇帝一族がラマ教の檀家だからってだけで、檀家が宗教上のお師匠さんをお守りするという関係。チベットとしてはダライ・ラマを元首とする宗教政府が続いていても、中国と喧嘩してもしょうがないから中国側が北京や南京であたかも皇帝の支配領域であるかのように記録しているのには目をつぶっていたし、北京や南京でもチベットが実はぜんぜん属国でも領土でもないのを百も承知で、ただタテマエではそう装ってたってだけの話。

一見「大国」という自信をつけているように見えて、実のところかつての「帝国」の幻想を非常に薄っぺらに自己内で再生し、その幻想以外につながっている理由を見失っている超大国。彼らにとってオリンピックは、幻想の自己内確認の手段にしかなっていないし、だからこそあそこまでヒステリックになるのだろう。だがどんなにヒステリックになったところで、中華帝国という幻想自体が、そもそもが広大な国土のなかで限られた交通・通信手段、コミュニケーションが限定されていたことによって成立していたものであって、現代の高度情報通信社会では意図的に盲目になる以外に幻想としてすら成り立たない。だからこそ無理にでも周縁部であるチベットなど少数民族地域を実効支配しようとしているのだろうが、実効支配した瞬間にそれがリアリティの問題、他者とどう関わるかの問題になって、その現実を前にしたときに、幻想なぞは打ち壊されるものでしかない。だから必死に逃避するしかない。そもそも中華帝国のオブセッションである「中央集権」自体が、あの国土の広さでは、リアリティの問題として無理がありすぎたのだ。リアルな中華帝国の歴史とは、帝国の統一の歴史であるよりは、せいぜい皇帝にして一代か二代の最盛期だけ強引に中央集権体制を作り、あとは何世紀かかけて腐敗し崩壊しバラバラになっていくという、そうとうに虚しい繰り返しでしかない。ちなみに漢民族の皇帝でそれに一応は成功したのは唐の玄宗くらいしかおらず、元や清といった異民族王朝の方がまだちゃんと機能していたというのもまた、「中華帝国」の厳しいリアリティ。しかも清はまだほぼ漢民族化/中華化した王朝で傅義だとか満州語もできなかったそうで実態もまあ「中華帝国」だが、史上最強帝国のひとつモンゴルの大ハーン帝国において、「元」「大元」というのは中国人相手にそう名乗っただけの一行政地域に過ぎません。

だいたい、仮に本当に中国の属国であったとしても、その少数民族が民族としての独自性をちゃんと維持していれば、異なった民族なんですってば。単に現在の国際社会の理念がそうなっているだけでなく、そもそも他者は他者でしかない。どう逆立ちさせようがチベット人は「中国人」にはなりようがないのだ。いっそ「中国はモンゴルの一部です」とか「中国は満州の一部です」とかいって、中華人民共和国の独立そのものを否定してやろうか、まったく。そういう理屈に過ぎんじゃない、「チベットは中国の一部」っていうときのあなた方の根拠は。だいたい公平性とか善悪の普遍性とかいうことが、まったく頭から抜け落ちてるとしか思えん。だが抜け落ちていても当たり前といえば当たり前−−過度に自己中心的で他者について盲目にならなければ、かの国をつなぎとめている幻想はそもそも維持できないものなのだから。

ちなみに中国を支配した帝国がそれなりの統治なり支配なり軍事的勢力範囲を実際にチベットにまで及ぼしたのは、モンゴル帝国(ただしその行政区分上、チベットは「元」ではありません)と清朝と、現在の中華人民共和国だけだ。中華民国にいたっては、だいたい実質上国内統一すらできていないし、四川省、青海省あたりの国境紛争のなかでパンチェン・ラマ10世の指名に無理矢理介入しただけ。ダライ・ラマ14世を中華民国が指名・了承したという中華民国のデマ報道を本気で信じて「チベットは中国の一部」だと主張するんだから…。なんか凄い歴史教育をしてるんだなぁ、中華人民共和国って。パンチェン・ラマ11世誘拐行方不明事件に至っては、ダライ・ラマが転生児童を指名したことを「ダライ・ラマにそんな権限はない」とか主張するんですから…。あのぉ、阿弥陀如来様の化身である偉いお坊さんの生まれ変わり先を捜すのは宗教的な能力の問題であって、「権限」の問題じゃないでしょ…。それなりのお告げというか宗教的な予兆と判断されることに基づいて、「仏様のお導き」で転生した先の子どもを捜すという教義であって、そもそも無神論の共産党、世俗の人間の組織がそんなことやるのがおかしいじゃない。なんでそんな当たり前のことに疑問すら抱かないんだろうか? いったいなにを勉強してるんだ、そんな基礎的な思考力もなく。それに活仏の転生児童とはいえ6歳の子どもを家族共々拉致するって、そういうむちゃくちゃをやる政府になんの疑問も抱かないのかなぁ。

あげくの果てに「ダライ・ラマの支配下でチベットには奴隷がいた」んだそうです。これは恐らく、英訳とかなんとかが入り込んで誤訳の連鎖で完全に混乱してるんだろうなぁ…。昔、中華人民共和国がチベットに侵攻したときにプロパガンダで言ってたのは「農奴」がいたってことね。で、「農奴」ってのは普通の歴史および経済用語では「小作農」、英語でいえばpeasantを、わが日本の共産主義者がマルクシズムっぽくかっこよく訳した言葉が、中国共産党に輸入されてるだけ。どっかのバカが昔の共産党のプロパガンダを英訳したときに「奴隷」の「奴」だから「slave」と誤訳して、それが中国人留学生の脳内妄想のなかで飛び交ってるのか、それとも「農奴」という用語すら知らんのか? マルクス主義の用語すらちゃんと知らないって、中国共産党はどういう教育をしてるんだ? だいたいチベットには確かに小作と地主の制度はありましたけど、自作農が余った土地を土地をもたない人に貸すというような小作が多く(現ダライ・ラマの実家とか)で、中国の地主制度の本格的な農奴搾取よりはかなり穏やか。しかも遊牧民の方が多かったんだから。

んでもって、1940年代までのチベットに近代化・民主化の改革が必要だったかどうかと、それが中国共産党による押しつけであるべきかどうかは、まったく別次元の問題。ダライ・ラマの政府は13世の頃から近代化改革に着手してますがな−−13世のときは成功はしてなくてむしろ内政の混乱も招いたみたいだけど。なんというか、満州に5族共和の王道楽土を作ろうとしたニッポん帝国主義とほとんどおなじ理屈じゃないか。

なんで「愛国」を叫ぶ人ってどこの国でも無知で思考能力がないんだろ? だいたい長野まで聖火の応援に来るのは分かるけど、そこで自分の国の国旗を振り回すか、普通? 五輪の旗とか、北京オリンピックのシンボルマークの旗でも振るなら分かるけど。いったいこの人たちはなんのために外国に留学してるんだろ?

いやなにが嫌だと言って、東アジア文明特有の見栄と建前の文化というか、名目上はそういうことにしておくけど本当はどうなのか暗黙の了解、阿吽の呼吸みたいな「言わずもがな」でお互いの顔を立てる伝統がいいのか悪いのかはともかく、そういう文化的伝統があることもまったく知らず、従ってその意味するところもまったく理解できない若者が増殖していて、そういうのに限って「我が国の独自性」とか主張してるんだから滑稽すぎます。ただ「中華」とその昔「中華」が「吐藩」とか呼んでた「中華」から見れば周辺・辺境に当たる地域およびそこを故郷とする民族との関係の場合、この無知無理解・民族的根無し草の絶望的なアイデンティティ希求の滑稽さが、その単純アタマと無理解と無知のせいでとんでもない悲劇と破滅に向かっているのが、なんとも…。

時事通信の報道だと、こんな動きまで出ているらしい。

-----【時事通信、4月26日】-------【北京26日時事】中国チベット自治区ラサの旅行社によると、6月に同自治区内で行われる北京五輪の聖火リレーを参観するツアーが人気を呼んでいる。旅行社が中国国旗やそろいのTシャツも用意。3月の暴動の影響が懸念されるラサの聖火リレーだが、当日は成功を支援する「赤い旋風」が巻き起こりそうだ。
 聖火リレーは6月19日に同自治区の山南地区を、20~21日にラサを通過する予定。これらのルートでリレーを参観する団体旅行を扱う西蔵中国青年旅行社は、注文があればリレー応援に必要な国旗や衣服のほか、横断幕なども提供。既に国内の旅行客から多数の参加申し込みを受けているという。
 一方、聖火到着に合わせラサの観光名所ポタラ宮では、旅行社などにより数万人規模の愛国集会が計画されているもようだ。

…喧嘩売っているというか、自爆行為にしか思えないのだが…。もう、これはどうなるんだろう? アメリカの大学でチベット支援の学生運動に襲いかかろうとした中国人留学生を、やはり中国人の女性留学生が「冷静に話し合いましょう」と呼びかけただけで、「裏切り者」と中傷され、実家がとんでもないことになっているというし。政府がやっとダライ・ラマの代理人との直接対話を始めると公表したが、自分たちが煽った「愛国心」で今度は政府がおっかなびっくり、対話を始めたとたん「腑抜け」とか国内の突き上げが怖くなってる感じもする。12億人の未来は本当に大丈夫なんだろうか。冗談でもなんでもまく、このまま人類史上最大のマッチョ衆愚に堕落するつもりなんだろうか?