最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

9/10/2013

東京でオリンピックを本当にやっていいのか?


2020年のオリンピックが東京に決まった。石原慎太郎が都知事だった頃に東京が立候補したときには、ほとんど誰もがあまり真面目に相手にしていなかったし、招致に至る過程もメディアは冷ややかに報じていた。

それが今回は、決まる前から大変な盛り上がりでニュースはこれ一色、首相はシリアへの軍事介入問題もあり、世界的な経済状況が一向に回復しない今、とても重要なG20会議の日程を半分で切り上げ、背水の陣と言わんばかりの決死のムードでIOC総会の行われるブエノスアイレスに乗り込み、メディアもその必死さが伝染したような熱狂ぶりだった。

東京に決まったからいいようなものの、せっかく衆院選参院選に大勝したばかりだというのに、外れていたら首相の辞任にすらつながりそうに思えた。まあオリンピックを再び東京で、というのは、それだけなら悪い話ではないんだし、素直に喜んでもいいはずなのだが…

いやメディアがここまでオリンピック招致に染まったのは、日本にとってあまりいい内容になりそうになかったG20隠しでしょ?麻生さんが国際公約と言っている消費増税に(いやそんなこと言ってない、公約したのは財政規律の正常化のはず)、逆にG20で懸念が出て来るんだから。 
アベノミクスだってまるでよくは見られてないし(金融政策の禁じ手である人工ミニバブルが警戒されるのは当然)、しかも既に停滞に陥りつつあるので当然「それ見たことか」と言われるわけだし、「これで景気を冷え込ませる消費税増税をやって、本当に大丈夫なのかよ?」と懸念されているわけで。 
しかもシリア軍事介入がらみで、安倍さんがオバマさんに会わせてもらえたのはいいが、正当化する理屈が見つからないことで、戦争大好きな安倍さんに余計なこと口走られても困るわけで。 
だから霞ヶ関は安倍さんにペテルブルグに長居をさせなかったわけで。

しかし安倍晋三さんって、ほんと運だけはもの凄くいい人である。


ところで今日紹介したかったこちらの画像は、東京オリンピックの公式ポスターである。え?もう決まったの、と慌てないでよく見て欲しい、これは第12回大会、年号は1940年だ。

東京がオリンピックの開催都市に選ばれるのは、これが2回目ではない。3回目だ。

1936年7月の国際オリンピック委員会(以下IOC)総会は、1940年大会を東京で行うことを決定した。アジア初のオリンピックは、白人国家の圧倒的な優位が続いていた当時、大変な快挙である。

東京は今と同じくらい、いやそれ以上に晴れがましい思いで、盛り上がっていたことだろう。

だが翌37年7月には、日本は盧溝橋事件を起こし、中国大陸での戦争を激化させた。平和の祭典の開催を誇らしく思っていたはずの国は猛烈な勢いで首都南京を攻略し、国民はオリピック決定以上の熱狂でこれを歓迎した。だがそこで起こした大虐殺事件の報が、命からがら脱出した米国人宣教師手で伝えられ、世界を駆け巡り、日本は世界中からの猛烈な非難に晒され、態度を硬化させる。

1938年、日中戦争が泥沼化するなか、政府はオリンピックの中止を決定した。翌39年9月にはドイツ第三帝国がポーランドを侵略、英仏が対抗して宣戦布告し、第二次世界大戦が始まる。こうしてアジア初の平和の祭典は、人類が未だかつて知らなかったような血みどろの戦争にとって替わられ、幻となった。

安倍晋三首相はこの負の歴史を、知っているのだろうか。いや日本オリンピック委員会(JOC)のウェブサイトは、英語版でしかこの幻の東京大会に触れていないし、知らないかも知れない。

とはいえこの24年後には、今度は本当にアジア初のオリンピックを、歴史に残る名大会のひとつとして成功させた東京だ。いかにその戦争の歴史を美化したい首相でも、73年前のような失敗を再び繰り返すようなことはないと思うが。

幸い、この国の憲法は戦争を禁じているし、今の中国だってそんな介入を許すような混乱した国ではまったくない。習金平・李克強の新しい政府の体制もしっかり安定しているし、あえて急激な経済成長にブレーキをかけられるほどに堅実だ。まさかまた中国と戦争を始めて日本が五輪をキャンセル、なんてことはあるまいが(でも安倍さん達、戦争したがっているように見えるよ)。

とはいえ、開催決定に至る過程を見てしまうと、あまり素直に喜べない五輪招致である。

東京がすべての面で最もとどこおりなく大会を行える都市であることはIOCも百も承知というか、そんなの世界の常識だが、画龍点晴を欠くというか、肝心の開催理念はどうしたの、と問われ、とってつけたように持ち出したのが、開催期間に8月6日と9日が入るので、平和を訴えられるという。

ならば広島なり長崎でやればいいじゃないかと思うが、この二都市が立候補することは「オリンピックの政治利用に当るのでは」と難色を示して来たのが、日本政府であり、とくに自民党であり、その影響が強い日本オリンピック委員会だ(…っていうかあれ、右翼だし)。

「平和」だけではいかにも弱いと思ったのか、持ち出したのは震災復興である。

被災地からしてみたらきょとんとしてしまう話だ。ならば仙台ででもやればいいではないか。いっそ石巻オリンピックではどうだ?都合のいいときだけ思い出したように震災を持ち出されるのも決して愉快な話ではないし、東京でのスポーツ大会がどう震災復興に結びつくのか?

いやちょっと待て。だいたいオリンピックは7年後じゃないか。

まさか7年後でもまだ復興に向けて夢だの希望を語らなければならない状況なら、その方が困る。オリンピックで浮かれている場合ではない。

聖火リレーが被災地を駆け抜けるって、政府や東京都では津波で破壊された廃墟に住民たちが立ってランナーを応援する図でも想像したのだろうか?いや7年後にはそれが町になっていなければ目もあてられない…のだが、どの被災地でもその目処はほとんど立っていない。オリンピックは結構だが、復興の夢と希望を与えたいのなら、他にまずやることがあるだろう?

最終決定が近づくなか、福島第一原発の事故現場で、冷却中の事故を起こした原子炉から海に流出する高濃度汚染水(つまり溶けた燃料を直接冷やした水)が、一日300tであると突然公表された。

実は量が確定していない以外は、最初から分かっていた話だ。もう皆さんすっかり忘れているのだろうか?2011年3月末には海への流出が発見され、排水溝に急速に固まるポリマーやおがくずを混ぜて流し込んでなんとか止めようとして、なにも分かっていない東京のメディアがおがくずを冷笑していたことも(実は技術的に正しい選択だった)。

汚染水が地下水脈にも達している可能性が高いことも、もう数ヶ月前には確実視されていた。地下水ごと堰き止めたら逆流して建て屋内が水浸しになって被ばくリスクが高まり、ますます事故処理が困難になる可能性もあり、ずっと現場が頭を抱えて来た問題なのだ。

さらに、これは外に流出させずに済んでいる高濃度汚染水の話になるが、水からの放射性物質除去が追いつかず、仮設のタンクをどんどん増設して溜めて来たのだって、本当は誰でも知っていておかしくない。

だが日本のメディアが報ずることはほとんどなく、ほとんどの人は、今や福一の広い敷地がほとんどタンクで埋められていることを、そのタンクからも水が漏れていることが分かったのと同時に知らされたのである。別に誰かが隠蔽したわけではない。メディアが意味が分からず興味を持たなかっただけだ。事故当時の所長だった、先頃亡くなられた吉田さんが、何度も何度も「この事故は水との闘いだ」と訴えていたのに。

それが今度は、日々流出が確認される量が増えては後追いで報道、これは最悪の情報管理だ。実際以上に危険性を誇張し、なにがなんだか分からないが不安をかき立てるやり方にしかなってない。

いつ漁業を再開出来るのか、すでに諦め半分になっていた沿岸漁業者には青天の霹靂である。むろん実は汚染水が海に流れ出てしまっていることは彼らだって知っていたが、情報の出し方が拙過ぎるし、量自体が思っていたよりもずっと多い。

福一沖の海流は、ちょうど黒潮と親潮がぶつかる故に豊かな漁場であったこの辺り、基本的に離岸流だ。広い太平洋だし沿岸漁業にそこまでのダメージにはならないので、そっとしておいて欲しい、試験的に穫った魚の放射性物質含有量には種類に応じてばらつきがあるが(タコやイカはまったくなにもなかった、など)総じて低く、もう少し辛抱すれば風評被害に苦しめられることもなく、いずれ再開も出来るという希望もまだあった。それが最悪の情報の出し方で、すべてが潰え、この2年以上の忍耐はまったくの無駄になってしまったのだ。

しかも汚染水流出は、実は今止めるわけにもなかなかいかないのである。

汚染水自体を止めるか、少なくとも減らすためには、原子炉内に直接水を注ぐ体制をやめて、溶けた核燃料に触れた水を循環させる、たとえば炉心は密閉して内部の冷却水の熱は熱交換器で取り除くシステムを、早く構築しなければならない。そうやって汚染水がでること自体を抑制しないと、ただ水を堰き止めるだけでは逆流し、事故を起こした原子炉の管理はより困難になってしまうし、今それを堰き止めてしまえば、そのシステムは構築出来なくなるかも知れない。

それがニュースではオリンピック招致の最大の懸念が汚染水問題だと報道され、現場と地元はますます頭を抱える。「なんだまた俺たちのせいにされるのか?」

もちろん海への流出は決していいことではないが、これだけが喧伝されれば、事故の収束は却って遠のくし、その汚染水の問題自体が延々と長引くことになるのに。

そこへ来て招致の中心人物である竹田JOC委員長、元は皇族の竹田宮の、とんでもない発言まで飛び込んで来る。ブエノスアイレスの記者会見で、宮様(まあ元ですが)は「東京は250Kmも離れているから安全だ」と繰り返してしまったのである。

宮様、このオリンピックは、復興を応援するのではなかったのですか?

そのための五輪だといいように自分達をダシにしながら、本音は「離れてるからうちは安全、関係ない」かよ? もはや怒りを通り越して、皆さん呆れたに相違あるまい。政府や、東京の人々は、やはり自分たちを見棄てるつもりなのだ、いやもう見棄てている、なにも考えていないじゃないか。

これが元とはいえ皇族から出た言葉だからより重い(まああれでも皇族、なんて知っている人は今では少ないだろうが)。 
腐っても宮様、皇族が常に慮るべきはずの日本の民草から、被災者、とくに原発事故被災地は除外されたことに他ならない。皇居では今上の聖上の明仁さんが頭を抱え、旧立川基地跡の地下では先の聖上の裕仁さんが悶絶し、皇太子夫妻も心を痛めるあまり、雅子さんのストレス性の病気がますます…。秋篠宮一家だけは今日も能天気だろうが。

名目上「警戒区域」はなくなったものの、復興や再建の目処などなにも経っていない。避難解除準備地域と言われながら、楢葉町は昨年8月半ばから、南相馬市の小高は昨年3月末から、富岡町などの一部は今年3月末から、昼間は自由に入れるが、夜泊まることは許されない状況がずっと続いている。そして帰れるかどうかの決定をまだ5年は待たされる帰宅困難区域。もう諦めて新しい生活を選ぶべきか、希望を絶やさないか、その判断材料すらない。

それが7年後のオリンピックで夢や希望を持てだの、しかし本音は、東京は250Km離れて安全、つまりは無関係で知ったことではないという。

オリンピックは結構なのだが、ものごとには順番というものがあろう。

いや逆にそっちで一生懸命になって、自分達のことなど忘れられ、延々と後回しにされるのではないか?政府が決めるべきことを決め、きちんと補償もされる体制がなければ、どんなに気を強く持っても、自分達が出来ることはあまりに限られているのに。

さて安倍首相が、そんなIOCの不安というか自分達にとっては絶望を払拭するために、G20を途中で切り上げて(それはそれで大問題なんだが…)ブエノスアイレスでの最終プレゼンテーションで、この問題を語るという。

さて何を言うかと期待して最終プレゼンテーションの生中継を見た人は、驚き呆れたことだろう。復興を支える希望のオリンピックのはずが、福島に至ってはフクシマのフの字も聞こえない。

え?うちの復興は関係ないの?(気仙沼出身のパラリンピック選手は確かにいいんだけどさ…でも宮城だけ?)

そしてやっと原発事故を語った、つまり唯一福島に触れることは触れた安倍首相は、いきなりすべてアンダー・コントロール、ノー・プロブレムと、分かり易過ぎるカタカナ発音の英語であまりにも能天気に表明した。だから東京は安全だ、と。なんだ結局は「250Km離れた東京は安全、関係ない」じゃんか。だいたいその根拠はなんなんだ?なにがアンダー・コントロールなのか?

汚染水の海洋流出を止めるには、先述の通り溶けた燃料の冷却を、今の垂れ流し型ではなく、循環型にしなければならない。だがその水のコントロールをいつ確立出来るのかも、まだよくは分からない。ただ水を止めるだけでは、かえって事故処理が遅れるのだ。

なのに首相は追加の質疑で、さらに誰も知らないことを誇らしげに、今度は日本語で語った。

日本語だから聞き間違いはないはずだが、汚染水の影響は港湾内の0.3Kmで完全にブロックされている、と確かにいいましたよね?なんだそれは?海底ホットスポットだって見つかってるべ?なにその「完全にブロック」って?

まったく初耳である。だいたいそんなこと可能なわけがない。300tの汚染水が毎日流れ出ている上に、タンクから漏れた水も地下水脈に達して、海に流れている可能性が高い。完全にブロック?ならすぐに溢れますよ。

それでも首相は自信満々だ。しかし科学的、技術的な根拠は一切言わなかった(言えるわけがない、そんなのないんだもん)。とにかく自分の政府が約束する、と断言する。

このプレゼンテーションをリアルタイムで聞いた者は、誰もがここまで噓をついてしまっては、東京オリンピックは絶対にないと思ったことだろう。テレビで解説や感想を述べた者達は、どう見たって政府よりに口止めされているが、なにしろこの事故を少しでも関心を持って見てくれば、すべてが噓だと分かり切っている。

ところが東京は勝ってしまった。いったい何が起こったのだ?

メディアは首相の自信に満ちた発言が切り札で、汚染水の問題への不安は完全に払拭、東京が圧勝した、とナショナリスティックな興奮に酔いしれている。

「自分達はどうなるのだ」という、この事故のいちばんの被災者たちの押し殺した不安と怒りと諦めの声など、誰も聞いてくれないのだろう。

もうブエノスアイレスで安倍が語った約束に、「それでも約束はした」と一縷の望みをかけるしかない。いや安倍がまた突然政権放り出しをやったって、世界のメディアがいい加減なことは許さないよう監視するだろうし。

実はそのどっちも、なにも期待できない、信用ならない、とこれまでの経験でもううんざりするほど分かってはいても。

「なあに、何も変わらなかっただけさ」と、虚しい言葉でお互いを元気づけるしか、本気で言えることはないだろう。その「何も変わらないこと」の連続が、実はいちばん耐え難いのだが。

それにしてもなぜ、東京が勝ったのか?

IOC委員達が本気で福一の汚染水問題に関心があれば、安倍首相の自信満々の噓は通用したはずがない。むしろどうも本人が本気で信じているらしいことが、却って不安になる。「こいつ大丈夫なのか?」「首相がなにも分かっていないらしいが、日本は大丈夫なのか?」

実は安倍首相はメディアの手放しの、というか実は必死の賞賛とは真逆に、秘かに世界に馬鹿にされ、恥を晒しただけである

だって噓なんだもん。なのに誰だってだ噓と分かることを、首相だけは本気で信じ切ってるんだもん。

タネを明かせば、IOCは東京五輪の開催について、福島第一の汚染水問題などまったく気にしていなかった、ただこれだけのことだ。そりゃそうだ、東京にちゃんと視察に来ている。

IOCはただのエクスキューズとして、日本の首相の言質が欲しかっただけ、これで「日本の首相がああ言っているだろう」と、不安や批判をなだめられる(…っていうか責任は日本政府に押し付けられる)。東京五輪万々歳、これは最初から結果が見えた出来レースだったのだ。

首相のプレゼンで日本が五輪を勝ち取ったなんてことはないし、それにここで「勝った」と叫ぶことは、それがなければ「東京よかったね」と言おうと思っていた、選ばれなかった他の二都市、とくにイスタンブールの人々の神経を思いっきり逆撫ですることにしかならない。

東京は総力戦で戦っただの、祝勝会だの、マドリードはともかく本命イスタンブール相手では、世界でもっとも豊かな国のひとつが、あまりにはしたない。

なぜ東京は選ばれたのか?

東京はオリンピック開催それ自体だけで言えば、最初から最有力候補、もっとも優等生な候補都市だった。成熟した高度資本主義先進国の首都、発展し清潔で安全な都市で、運営上なんの不安もない上に、都と政府が大盤振る舞いする資金も潤沢だ。IOC委員個々人にとってさえ、懐が温まったりしそうな話であり、事前の視察での豪華絢爛で贅沢過ぎるおもてなしぶりは、委員たちのハートを既にがっちり掴んでいた。

それでも、2020年のオリンピックは、本来ならイスタンブールで開催されなければならなかった。誰がどうみても大本命はイスタンブール、他は本来あり得ない。

事前に最大のライバルはマドリードと報じていた日本のメディアは、よほど物事がなにも分かっていないとしか思えない。大本命はやはりなにがあってもイスタンブール、そうでなくてはならない以上、なにかの不都合で代わりに東京はあり得ても、マドリードだけは絶対にない。

前IOC会長サマランチの子息がマドリード招致の有力な決め手とまで報じられていた以上、ますますもってマドリードはない。IOCが不正直なコネに支配された組織だと、世界に喧伝するハメになるだけではない(まあ実際はそうなんだけど)。五輪を経済的に利益すらあがるイベントに仕立て上げたサマランチはいわば功労者ではあるが、だからこそ彼の負の遺産である金銭優先イメージを、IOCはどうしても払拭したい。 
もっと困った問題がある。サマランチ氏の正体は、1936年のベルリン大会、1940年の幻の東京大会と並ぶ、オリンピックの闇の歴史なのだ。 
サマランチ時代の末期には、この男が何者であったのかが世界に向けて明らかになってしまっている。スペイン内戦でナチス・ドイツと結び、世界初の一般市民への無差別爆撃をゲルニカで行い、その後40年以上君臨した独裁者フランコの、側近のなかでも極端なマッチョ軍国主義全体主義者、いわば元ナチスかそのシンパである。

なによりもまず、マドリードはヨーロッパの都市である。

だから中近東、イスラム圏初のオリンピックを差し置いて、かつての植民地侵略帝国の首都マドリードを選んでは、世界平和を揺さぶる問題にすらなる。

それこそオバマ政権あたりが「それだけは絶対に止めてくれ」と裏から圧力だってかけていてもおかしくない。

第一回投票で、最大のライバルと自分達が報じて来たマドリードの得票の意外な低さに驚く日本のメディアは、もはや国際情勢の報道で、まったく信用してはならない。絶望的になにも分かっていない。

しかも日本のメディアはあれだけ今回のオリンピック招致にからめて1964年東京大会を引き合いに出しているのに、その東京五輪の意味すらなにも分かっていないのだ。つまり歴史をなにも理解していない。どうもこの国に蔓延する歴史修正主義極右、ネオナチ病の流行は、戦争と植民地支配のことだけではないらしい。

イスタンブールとマドリードが第二位決定の再投票になり、イスタンブールが勝ったとき、中国では新華社と中央電視台が、イスタンブールに決まったのだと誤報してしまった

これをあたかも中国が日本を嫌っているから誤報したのだと言わんばかりに報じる日本のメディアこそ、もっとタチの悪い誤報をやっている。そんなに中国が憎いのか?隣国を一方的に敵視するこの今の日本のどこが、平和の祭典にふさわしいの?

中国の代表的な二つのメディアは最初から、前々回は自分たち、次はリオデジャネイロだし、ならばその次は当然イスタンブールだと、当たり前の歴史認識と良識ある世界平和理念への期待で、そう思っていただけである。

いや世界中で多少なりともまともな人は、シリア情勢が悪化しそうなのが懸念材料だが、しかしだからこそイスタンブールだっていい、オリンピックが掲げる本来の理念からして、なんだかんだ言っても当然イスタンブールだろうと思っていたし、またイスタンブールになることを期待していた。

日本のメディアは本当にどうしようもない。

2008年大会の招致で北京と争った大阪は、勝つ見込みがあったのがロビー活動で負けたのだという。

そんなバカな話はない。2008年は最初から北京だと分かり切っていた。

中国でよほどの大問題が突然起こらない限り、つまり1940年の東京五輪を日本が自分で潰したようなことがない限りは、絶対に北京だった。

大阪は最初から勝つわけがなかった。「ロビー活動で負けた」って、どうせ札ビラちらつかせてたくせに。

2016年はシカゴが本命だったのに、意外にもリオデジャネイロが獲得した、だから五輪招致争いは先が見えない、と日本のメディアは言う。

そんなバカな話はない。

自ら総会に滑り込みで駆け込んでシカゴの招請スピーチをやったバラク・オバマですら、シカゴが取れるとはまったく思っていない。なにかの間違いでシカゴになってしまったら、オバマ自身が慌てふためいたことだろう。

他はまだありえても、リオデジャネイロを差し置いてシカゴ、ラテンアメリカを差し置いてアメリカ合衆国は絶対にない。ブラジルだけでなくラテン・アメリカ全体の神経逆撫でし過ぎだから、世界平和の理念に反し過ぎるからだ。

まったく同じ理由で、2020年はイスタンブールのはずだった。オリンピックの掲げる理念、オリンピックがなんのためにあるのかを考えれば、当たり前のことだ。

2008年になぜ北京が選んでもらえたのか、その理由をもちろん分かっているし感謝もし、誇りもある新華社と中央電視台は、だから当然、なんだかんだ言ってもまずイスタンブールだと思っていた。まあ中国にとってそんなに重要なニュースでもないし、だから「イスタンブール」と読み上げられた時点で、これで決まったね、と勘違いしたのだろう。

それをなぜ日本のメディアは理解できない?どこまで外交音痴の世間知らずなのだ?

だいたい2008年が北京で、2016年がリオデジャネイロで、1988年はソウルで…と言うのが最初からIOCの下す当たり前の選択であった理由を作ったのが、他ならぬ1964年の、日本が大成功させたあの名大会、東京オリンピックではないか。

当の最大の功労者である日本人が忘れている、オリンピックをしょせんは欧米列強のおたのしみに世界平和を名前だけ貼り付けた植民地主義のイベントでなく、真の世界平和のイベントにしたのは、我々日本人がそれを成し遂げ、今でも誇りに思い懐かしみ、戦後の日本の発展のメルクマールだとみなす東京オリンピックなのだ。

なぜそれが分からないのか?

私たちがあのオリンピックをどれだけ誇らしげに思い、喜び、祝い、感動し、「こんにちは、こんにちは、世界の国から」と歌ったその意味を、なぜ現代の日本人は忘れてしまったのか。

1964年の東京オリンピックがあったからこそ、世界中が、この地球がいずれはあらゆる人間が平等で平和に生きられる場所となるだろう、と夢見ることが出来たのだ。

1964年の東京オリンピックこそが、世界中の、当時は後進国とされた白人の国でない国々に、努力して自分たちの国を平和に発展させよう、戦争や武力でなく、知恵と技術と日々の努力で、今は貧しく虐げられ馬鹿にされ差別されていても、いつかは白人でなくとも世界の平等な一員になれる、そのために頑張ろうと思える確かな希望を与えたのだ。

1964年の東京オリンピックこそが、世界に平和の希望を与えた真のオリンピック、恐らくこのイベントの歴史のなかで最も重要な大会、オリンピックを本当にオリンピックにしたオリンピックだったのだ。

それは一度はアジア初のオリンピックを自ら放棄し、平和の祭典の代わりに誤った残虐な戦争を起こし、その結果欧米列強に大敗し、二発の原爆まで落とされ、それでも立ち直った日本、戦争を放棄したまま、平和国家のままでも世界の一流国と呼ばれるまで、たった19年で復興どころかさらに大成長した、その日本という国だからこそ産むことができた希望、世界に日本が与えた希望だったのだ。

イスタンブールでオリンピックが開かれれば、トルコだけではない、中近東すべての国が喜ぶ、希望と夢を持つ。

イスンタンブール五輪は、東京五輪が世界のすべての非白人国に与えたのと同じ希望、ソウルが、そして北京が継承し、今後はリオデジャネイロがこれから引き継ぐ希望を、今の世界の不公平さにあえぐ中近東に与えられたはずだった。

それはアラブ世界と、そこを植民地支配で侮辱し搾取し続けて来た欧米との対立を和らげ、今頓挫しつつあるアラブの春に再び命を吹き込む力すら持ったはずだ。

5月のトルコの反政府デモは、逆に懸念材料ではなかった、だからこそIOCはイスタンブールを支持すべきだったのだし、アラブの春からまだ二年しか経っていないのだし、だから現にロゲ会長らは「民主化が進んでいる証拠」と問題にしなかった。

IOCの人たちが正しい判断さえしてくれていたら、今いつ起こるかわからないシリアの内戦の泥沼の大戦争への道すら、阻止出来たかも知れない。

だが絶対にイスタンブールでこそ2020年にオリンピックが開催されなければならなかったから、それが本心では絶対にイヤな人たちも、絶対にトルコで、中近東でなんてオリンピックをやりたくない人たちも、まだこの国際オリンピック委員会という組織には少なくない。

はっきり言えば、人種差別だ。ええ、IOCなんて未だにそんなもんです。

中近東のイスラム教徒たちには、それがアラブ人でなくトルコ人でも、絶対に彼らにそんな名誉を与えたくない。絶対に対等に扱いたくない。

IOCは元々、こう言っては悪いがその程度の人たちの集まりでもあった(だからサマランチって元ナチスみたいなもんだってば)。それでも少しずつには改善して来たが、今回の招致都市選考だって結局は、イスタンブールについてちょっとでも懸念があれば、あるいはその懸念を血眼であら探しをしてでも、「やはりイスタンブールなんて駄目だ」と言いたかった人たちが、この組織にはまだいっぱいいるのだ。

白人ばかりがメンバーではないといっても、こういう差別性が残る組織にいれば、差別される側こそが差別する側に染まりがち、差別する側に都合のいい配慮をしてくれる、元々従順な被差別者、いわば「名誉白人」を目指しそうな人こそが、こういう組織には残りがちなのだ。そんな人たちは結局は、元の植民地支配者に負けてしまいがちで、自分達より下位なものを探し、叩いてしまうこともある。

それにしても、イスタンブール五輪は美しい夢だった。 
ボスポラス海峡のアジア側沿岸にメイン・スタジアムを作り、ヨーロッパ側に面した一角はあえて客席を下げ、海に開かれ、その向こうのヨーロッパが見えるという演出。 

アジアとヨーロッパの架け橋、ビザンチウム、コンスタンティノープル、そしてイスタンブールと2000年以上に渡り変遷を遂げ、時に激しい戦争の舞台となりながらも、多様な文化の出会う場であり続けた都市。東ローマ帝国のキリスト教の大伽藍として作られたアヤ・ソフィアが、そのあまりの美しさと高い建築技術から、決して破壊されることなく、ちょっとした改造でモスクとなり、それがその後のモスクの基本様式に踏襲されたことに象徴される、世界の文明が出会い、多様な歴史が混ざり合って継承される都市。 
ヴェネチア風やジェノヴァ様式の家々が並ぶ旧市街を持つ、オスマン・トルコ帝国の首都。海と陸路の双方で世界につながった文明の十字路。海を臨むトプカピ宮殿の正殿のバルコニーや、スルタンの小さな礼拝堂を見れば、いかにオスマン帝国が世界の文明が出会い混ざり合うほんものの帝国として自らをみなしていたかは肌で感じる。
オリンピックはトルコが、つまり中近東のムスリムの国でも、世界の一流国の仲間入りが出来ることを示すだけではなかった。
民族共和国として成立した現代のトルコが、実はかつての大帝国であり多民族国家であることを受け入れ、今抱えている国家観の矛盾を糾す効果もあった。だから首都アンカラではなく、歴史都市イスタンブールなのだ。 
もっともオリンピックに伴う大規模開発で、この世界でも有数の美しい街が損なわれてしまう、どこを掘っても遺跡が出て来るこの街で、五輪開催にあわせた急ピッチの開発で、そこにまだ埋もれた過去の素晴らしい遺産が損なわれてしまうかも知れないのは、個人的には心配だらけではあるのだが…。


イスタンブールでオリンピックが出来なくなったことで、世界人類の平等な平和という理念、夢、その希望は、10年は後退したことになると、やはり言わなければならない。

もう一回、東京でオリンピックでやること自体はいい。

だが今回、東京が勝ってしまったこと、それもなりふり構わぬ下品なやり方を「総力戦」と称し、メディアが大声で「ロビー活動」を推奨する、つまり露骨に札ビラをみせつけて、最後にはIOCのなかの未だに白人至上主義の尻尾を引きずった、サマランチのような元ナチの影響から抜け切れない連中とカネの力で手を組んで獲得したこのオリンピックで、我々は64年の東京オリンピックを、自分たちの先人が確かに築いた理想も夢も希望も、全て裏切ることになりそうだ。

1940年のアジア初のオリンピックを日本の軍国主義が潰したことと並ぶオリンピックの歴史上最大の汚点、1936年の、ナチスのプロパガンダに利用されたベルリン・オリンピックの再来にすら、なりそうだ。

おまけにこの国で今いちばん希望や夢を必要としている人たち、被災地の人々の心まで、足蹴にしてしまった。

猪瀬都知事は、復興支援のオリンピックとは、アスリートが被災地を訪れ子どもたちを励ますことが、心の支援になるという。おいおい、オリンピックは7年後なんだよ?

安倍首相が「日本を取り戻す」と言っているのは、祖父が首相だった頃に始まる高度成長時代どころか、地方を足蹴にした中欧集権体制で、行き着いた先は植民地侵略の朝鮮民族差別の、明治維新の日本を取り戻すということだったのか?

折しも今年のNHKの大河ドラマ『八重の桜』は、その明治維新がいかに日本人が日本人を虐げて来たかを、その虐げられながらも強く生き抜き、本当の日本を再生させようとした人たちを通して見せるドラマなんですけどね…。 
会津戦争があんな暴虐な国内植民地侵略戦争だったなんて知らなかったし、維新の戦災で荒廃し、明治政府に棄てられた京都を復活させたのが、その会津の山本覚馬だったなんて、まったく知らんかった。 
首相、見てないんだろうなあ。あ、そう言えば明治維新の諸悪の根源、長州閥か。

それにしても、勘違いしたはしゃぎっぷり満載の、SF映画の宇宙船みたいな玩具みたいな新国立競技場のプランだとか、いったいなんなんだ? このままなら、とてもではないが喜ぶ気がしない。

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