最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/22/2009

「皆さんは死刑廃止に賛成ですか、反対ですか?」


Watch Death by Hanging (1968, Nagisa Oshima) in 娯楽  |  View More Free Videos Online at Veoh.com
大島渚監督作品『絞死刑』

大島渚のいかにも大島渚らしい挑発的なブラックユーモアと問題意識を叩き付けるこの映画の冒頭で掲げられた、昭和42年の法務省世論調査によれば、死刑廃止に反対は71%。最近の世論調査では質問の仕方がやや異なるが、死刑制度の存続に賛成は8割を超えている。殺人のような重罪は「死をもってしか償えない」というのなら、国家つまりその主権者たる我々国民が、たとえ犯罪者だとしても人を殺すことがなぜ許されるのか、どうにも論理的・倫理的な整合性をどうとったらいいのか僕には分からないのだが。厳罰で犯罪を抑止するというのも、「殺されるのがいやだから犯罪をやらない」というのでは随分と倫理レベルの低い話、人間を信用してない話に思えるし、まして冤罪だったらどうするんだろう?

昨日のTBS系列『ニュース23』でやってたのだが、刑事裁判に参審制で市民参加しているフランスでは、判決に参加する市民はまず刑務所の見学などを含む研修を受けるらしい。研修を受ける人に日本人の記者が「こういうことは日本でもやった方がいいと思いますか?」と質問された見学者が「absolument! absolument! absolument!」、「絶対に」と三度も繰り返しているのを、「やった方がいい」程度の字幕にしてたのはなんだかなぁ、と思うけど。

死刑制度がある日本では、やはり裁判員候補者は少なくとも死刑場の見学くらいはすべきでしょう。いや死刑執行に立ち会うのを研修に含めるくらいやったっていい。


なお年明けには東京国立近代美術館フィルムセンターで大島渚監督の回顧上映が開催されます。『愛のコリーダ』の(ほぼ)無修整版を「これが僕の最新作だよ。そう思って見て欲しい」とおっしゃってたのが、初日舞台挨拶の直前に倒れられてもうそろそ10年…。当時すでに一度倒れられて多少は言語障害が残っていたのに、雄弁な大島節は健在で、ずいぶんからかわれ、いじめられながら(笑)いろんなお話を聞かせて頂いたものだが…。

映画監督 大島渚
Nagisa Oshima Retrospective

上映作品リスト
スケジュール

12/19/2009

慶應大学で講演と『フェンス』上映




慶應大学(日吉)で、横浜の寿町に拠点をもうけてドキュメンタリーを撮る実習をやるそうで、その準備のためのワークショップを、というわけで12月22日(火)に当方の最新作『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』(2008)を特別に先行上映し、「ドキュメンタリーの作法」について学生さん向けの講演をやることになりました。

10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭での国内初上映以来、首都圏では初の上映になります。学内でのイベントですが、別に非公開でもなく、この機会によろしかったらご覧下さい。





日吉映像フォーラム
第一回ドキュメンタリー・ワークショップ
『フェンス』上映と藤原敏史監督に訊く


本ワークショップでは、ドキュメンタリー作品の製作を目標として、ドキュメンタリーというアクチュアルなメディアについて理論的および実践的に学習していきます。初回は、気鋭の若手監督藤原敏史氏の『フェンス』(2009年山形国際ドキュメンタリー映画祭出品作品)を上映し、藤原敏史監督と映画批評家の杉原賢彦氏をゲストに迎え、逗子市の池子米軍基地問題を扱った上映作品について徹底的に議論します。

上映作品
『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』  
  製作 安岡フィルムズ 羅針盤映画 製作協力 逗子市
  プロデューサー 安岡卓治 藤原敏史
  撮影 大津幸四郎
  音響監督 久保田幸雄
  監督/編集 藤原敏史
2008年 日本 第一部83分、第二部84分 デジタル(HD) カラー (DVD上映)

米海軍池子家族住宅を取り囲むフェンスそのものを執拗に撮り続けていくことによって、その存在の物質性を強く印象づけると同時に、そこに生きる人々の記憶の諸相を丁寧に記録することによって、フェンスの横断する森の生命力に比するものを人々の語りのなかから紡ぎだしていく、詩的なドキュメンタリー作品。 
藤原監督はとても自然にインタビュアーとして画面に映っていますし、何より特徴的だと思ったのは、何の気負いもない少し不器用なくらいのナレーションが入っていることなんです。そうした作家の等身大の身体性みたいなものによって、世界と真摯に向き合っていく。それがおばあさんたちの本当に魅力的なインタビューを際立たせていているように感じました。3時間あるのに長さを感じさせない、というよりも、時間を追うごとに彼女たちの語りが、藤原さんとの関係性においてたしかに輝きを増していくんですね。不器用さとないまぜの作家の真摯さみたいなものを、大津幸四郎さんの構えた画面のそこかしこから感じられるんです。いくつもの質の異なる時間軸が交差する中で、ひとつの場所についての物語が思考され語られていく。硬派なテーマなのに、観客を選ばない作りの映画になっています。」  萩野亮、「ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo」2009.12.1号 




監督ステートメント
作った人間としては、これを在日米軍をめぐる政治的な映画としては見てもらいたくない。この二部作は失われてもはや見ることのできない“ニッポンのふるさと”をめぐる、記憶することと、見られないことについてのものであり、僕自身が池子と直接関係のない人間であるにも関わらず、自分の極めてパーソナルな思いが、我々が見せるものと見せないもののすべてに、滲み出ていればいいと思う。

藤原敏史、2009年8月


ゲスト
藤原敏史(映画作家)
杉原賢彦(映画批評家、本学講師)

司会
佐藤元状(法学部)

日時:12月22日(火) 16時30分開場/16時45分開演(終了は20時を予定しています。)
場所:慶應義塾大学日吉キャンパス 独立館D404教室
主催:慶應義塾大学教養研究センター

12/14/2009

さすがに腹が立って来た

9月の政権交代以来、マスコミの報道が次第におかしくなって来ている。最近となるともう、ある種の意向が働いての露骨な印象操作の偏向報道としか思えない。

まず「日米関係最大の懸案」ということに半ば捏造の偏向報道の連日連発で持ち上げられてしまった普天間問題。この騒ぎ自体がある意味マスコミ報道が作ったもの、それを報道させているのは日々リークに余念がない外務省と防衛省の官僚なのだろうという推測くらいはすぐ着くのだが、報道する側の態度がこれまたいくらなんでもひどすぎる。

アメリカと対立することはアメリカのご機嫌を損じることになるのでいけないから、日米合意通りに辺野古沖に基地を移転するよう鳩山政権が決断すべき、という主張だけでも、いったいどこの国のマスコミかと呆れてしまうわけだが、先日驚いたのは「鳩山政権は日米同盟と社民党との連立のどっちが大切なのか?」と“アメリカの高官”とやらが不快感を表明したという報道。

そもそも論として、アメリカ政府関係者がそんなことを言い出したらさすがに「露骨な内政干渉」「アメリカの単独覇権主義はオバマ政権になっても変わってない」という批判が噴出して当然だろうに、そんな論調はまるでなし。

それにしても冷戦が終わって20年、アメリカ以外の先進資本主義国では社会民主主義系の政権が出来るのもごく当たり前になった現代に、「社民党」つまりSocialismが党名に入ってる旧・社会党だからってアレルギー発揮してる“アメリカの高官”ってどこの馬鹿かよ、と呆れて聞いていたら、なんと出て来たのはアーミテージ国務省副長官と、グリーン大統領補佐官…?

…って、オバマ政権じゃなくて政権交代で失職してるブッシュ政権の高官じゃないか。せめて「高官」と言えよな。こりゃ悪質な虚偽報道に限りなく近いよ、こうなると。

さらに驚いたのが、その発言の場が見るからに日本で行われたシンポジウムだったのに、主催者が誰かもまるで報じられない。あからさまに日米安保関連の利権に関わってるような団体が開いた会なのだろうが、防衛省の次官がそういう利権にまつわる汚職で逮捕されたのも記憶に新しいというのに、いたいどういう報道だよ。だいたいアーミテージなんていわゆる「共和党系親日派」、俗にいう「日米安保で食ってる連中」の代表格なのは日米外交を報じるにあたっての常識だろうに。

ホワイトハウス報道官が、自らはあえてアメリカ側の立場を発言せず、記者からの質問でやっと「我々にも立場がありますよ。以前に決まった合意があるので、それが立場です」と単に事務的に応じたことも、英語で聞いてればことさら特筆すべき発言でないのに、字幕と解説であたかも重大発言のように歪められて報道される。

訊かれたから答えただけ、自分から言ったわけではないという単なる事実、さらにはオバマ政権にとって普天間問題なんて日米政権においてさして重要な問題とみなしてすらいない現実は、決して報道されない。COP15で米政権がその問題で日米首脳会談を希望されても困ると言ったのだって、地球温暖化対策にアメリカも参加させることが重要な政権課題なんだから、そこでそんな話を持ち出されるても困るというだけの話だ。

オバマ来日の少し前に、沖縄で米兵によるひき逃げ事件があった。大統領来日前に非常に微妙な立場の司令官がわざわざ謝罪と捜査への協力を表明に当該の市の市長を訪問したことすらちゃんと報道しないのは毎度おなじみの風景ながら、そんな態度だからオバマが日本に24時間弱だけ滞在して中国に行っちゃったとたんに、アメリカ側は捜査協力すら渋り出すのもある意味、当たり前である。日本国民の命が奪われてる事件なんだから、首脳会談でアメリカ側に詰め寄るよう求めるのは日本の論壇として当たり前のことだろうに。

いったいなんなんだよ、と思ったら、今度は中国副主席来日で天皇が会うことになったことについて、宮内庁長官の下らん発言、というか倒錯としか思えない越権発言を針小棒大にとりあげ、「一ヶ月前」とかいう誰も知らないルール…ですらない、宮内庁のごく最近できた内規に過ぎないことをめぐって大騒ぎするのがこれまたおかしい。

小沢が激怒したのは、悪いけど小沢サンが全面的に正しいです。そんな宮内庁の言い分を正しいかのように報道するのは、「統帥権の独立」をタテに出来た旧大日本帝国憲法の欠陥を、今度は成文法ですらない曖昧さで正当化するのに等しい暴論に過ぎない。こうなると「天皇は象徴」とだけで曖昧にあえてすませた日本国憲法がかえってヤバかったのかな、とすら思えて来る。

この一連の報道における言外の言は、小沢訪中団への批判も含めて、要するにアメリカとの関係を悪くして中国と仲良くやるのはけしからん、っていう奇妙な理屈なのだろう、典型的な霞ヶ関の発想として

当の政権内では防衛大臣が完全に防衛省の役人とそれを取り巻く利権グループに取り込まれ、岡田外務大臣も日米安保にからむ密約問題を調査させながら、それとこの問題をちゃんと連動させられないのだから情けない。

バカな宮内庁長官は「天皇陛下は中立でなければいけない」って、内規をいいわけにしてその実中国の要人だから天皇に会わせないって言うんじゃ、それこそ典型的な政治利用じゃないか。

そもそも天皇が外国要人に会う「皇室外交」自体が、天皇の政治利用に他ならない。だからこそ国際親善程度にその役割を限定すべきであり、国際親善なら隣国の要人に会うのがなにが悪いんだか。ただの表敬訪問にしかならんだろ、どうせ。断る方こそ日中関係を犠牲にして日本を米国の属国にしておきたい連中の政治的スタントじゃないか。

日本の国益を考えるなら、どちらも重要な外交パートナーであり、どちらの国にとっても日本との関係が重要なのだから、そのあいだで絶妙なバランスをとるのは当然の話。とくに鳩山政権は日米安保の見直し・再定義を重要な政策課題にしている以上、多少はアメリカを焦らせるのは当然やらなければいけないことだ。

オバマのアジア歴訪の際のアメリカの新聞報道でも見てみればいい。アメリカはアメリカで日本が中国との関係を密接にし、そこでアメリカが取り残されることを極度に警戒している論調が目白押しだった。だからこそアメリカが日本との良好の関係のために妥協するように導くのも、当然の外交戦略に決まってるだろうに。一方で中国は日本にとってもアメリカにとっても最大の貿易相手国なんだぜ? まったく利害というものが考えられないのかよ、日本の「政治」の専門家さんたちは。

アメリカ側が一応強気のポーズをとるのは、これまでの日米関係で自民党政権と霞ヶ関は常に外圧、というかアメリカの圧力に弱かったからなのと、外交交渉である以上最初は強気のポーズをとるのが常識だからに過ぎない。

また今回の場合は日米安保の見直し・再定義がその先にあるからこそ、強気にしないと足下を見られるネタ、つまり日米安保のなかで密約を日本に強制した過去や、辺野古沖への移転自体がアメリカの国内法にひっかかる可能性があるから。あとアメリカ側の一部勢力として、つまり例の日米安保で食ってる連中んとって、当然ながら安保の再定義をアメリカ有利にやりたいから。「おもいやり予算」ですら事業仕分けの対象になるのだから、その点ではアメリカ、というか「親日派」の利害は確かに脅かされているし、国防総省を中心にそういう勢力はまだ残ってるわけで、なにしろホストネーション・サポートがここまで手厚い同盟国/米軍駐留国は他にないんだし、自衛隊の装備でもアメリカ企業がボロもうけしている一方で、日本の先端技術の力が米軍の兵力維持にも重要な役割は果たしているわけで…というのが在日米軍を維持したいアメリカ側の最大の戦略的理由、「アメリカが日本を守ってくれる」って、いったいどこから守るの? ってのがアメリカ側の現実的な本音なんだが…。

そんな事情はマスコミだって「専門家」なんだし分かってるはず、それを相手の政治情勢を冷静に分析もせずに(できるはずなのに)、ただひたすらここまでびびっていて、いったいどうするだろう?

オバマ政権にしてみれば、アフガン問題や地球温暖化対策と、大統領本人の悲願である核軍縮での方が、よほど日本の協力を求めているのに、民主党政権だってもっとはっきりと「国際協調路線」を打ち出すべきなのだが、その辺りがかなり情けない。

鳩山さんもボンボンの強みで「そりゃ原案どおりなら誰も苦労する必要はないわけで」というわけで、これだけマスコミやらなにやらがわーわー騒ごうがどこ吹く風な態度を貫けるのはたいしたもんだが、自分の内閣をうまく制御できてないのはさすがに困る。

北沢防衛大臣がまったくのダメ大臣で、民主党次世代の期待の星だったはずの岡田さんも外務官僚相手に悪戦苦闘中だからって、肝心なのは彼らが鳩山さんの大臣なのだということ、外交である以上海外から見えるのは、日本で見るのと違って一人一人の大臣ではなく、あくまで鳩山政権、鳩山首相の判断に見えてしまうのだから。

オバマ政権もこの点についてはとくにイライラするし、それはある意味当たり前のことである。そんなところで弱みと取られることを見せてしまっては、外交はやってられない。

やっぱり小沢が首相になった方がよかったのかね。もっとも、だからこそ霞ヶ関官僚機構は、政権交代の前に小沢政権の芽だけは潰そうとしたわけなんだが。