最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

5/16/2014

三年経ってまたもや「鼻血」騒動の不毛

まずこの際、はっきりさせておいた方がいい。放射線被曝の症状として「鼻血」というのは、ある意味完全な間違いである。

広島・長崎の最初の原爆症、つまり急性放射線障害の症状として実際に現れたのは鼻および歯茎からの大量出血と全身に紫斑が現れたことであり、ほとんどの患者は数日以内に死亡している。

実際に被爆者の身体に起こっていたのは、大量の放射線で血管細胞や造血細胞それ自体が破壊されたことによる大量の内出血であり、鼻粘膜と歯茎が、その出血が体外にもっとも出易い部位だったに過ぎない。

決して「被曝したから鼻血が出た」のではなかった。見た目には「鼻血」もあったが他の症状も同時にあり、そして実際に起こっていたのは、決してただの鼻からの出血ではなかった。

被爆者の証言や、身近なところでは『はだしのゲン』を見ても「鼻血が」だけとはまず書いていない。鼻と歯茎からの出血と体中の紫斑、それに脱毛(これは放射線で毛管細胞が破壊されたことによる)などが同時で起こり、ゲン(作者の中沢啓治氏)のような極めて稀で運がいい例外を除けば、ほとんどが数日中に命を落としている。

私事でいえば、これは医師であった祖父にとって人生最大のトラウマだった。 
熱線によるケロイドなどの外傷がなければ、とても元気に見えた広島市内からの避難者が、突然大量の内出血を始め、毛髪が抜け落ち、なにが起こっているのか祖父にはなにも分からないまま、手のほどこしようもなく、みな数日以内に亡くなってしまった。  
名医との賞賛も欲しいままにし、また自分でも腕に自信があったプライドの高い祖父にとって、手も足も出せないまま患者を死なせてしまったことはあまりに重い記憶であった。 
祖父が開業していたのは、広島と山口の県境の和木町(元々この地の郷士の家系)、山陽本線での最寄り駅は大竹で、広島市内から30Kmほど離れている。この距離を原爆を受けた多くの避難者が、かなりの部分歩いて来た。丸木俊・位里夫妻の原爆絵本『ひろしまのピカ』でも主人公の少女は歩いて宮島口まで辿り着いているが、昔の人は健脚だったことを割引いても、原爆症の症状が出る被曝直後からのタイムラグのあいだは、それだけ元気だったのだ。 
祖父は僕が小学校一年生の時に亡くなっているが、被爆者を診察した体験は何度も話してくれたし、原爆ドームと平和記念資料館にも幼稚園の時に見学させられた。末期がんで入院していたのは広島日赤病院で、病室の窓の向かい側はいわゆる原爆病棟だった。自分の病気のことよりも被爆者と原爆症のことを丁寧に話していたのが祖父だった。 
その祖父が1950年代には原爆ドームの保存に反対だった、「あんなもの壊してしまえ」と言っていたと知ったのは、亡くなって何十年も経ってからだ。

福島第一原発事故では即、被曝=鼻血という誤ったステレオタイプが無節操に流布し、「鼻血が出た」という“証言”らしきものが、匿名で、事実確認なぞまったくないまま飛び交った。当然ながら急性放射線障害による死亡例は一切ないまま、いったんは収まったかと思えば(かつての)人気漫画(でありこれまでも何度も問題を起こして来た)『美味しんぼ』で、三年目にしてまた騒動になっている。

福島県内で鼻血が多発しているという事実もなく、むろん福一で事故収束に懸命に当っている現場の労働者にも、特段そんな症状が現れているという話も聞かない。

被曝=鼻血というステレオタイプ自体が実は誤りなのだから当たり前の話だし、福島県民や原発事故による避難者にしてみれば「またか」とうんざりするだけだ。



福島の皆さんの「もううんざり」にはとても及ばないにせよ、僕らだって現実に被害はある。 
原発事故後の浜通りについて真面目な映画を作るよりも、「鼻血が」とか「甲状腺の膿胞が」とか、科学的根拠の薄いセンセーショナリズムに走り、「政府が噓をついている」という安直なプロパガンダに徹することを、国内外の出資するプロデューサーに要求されてしまうのだ。 
映画作家の最低限の良識として「そんなことは出来ない」と言えば、それで企画が成立しなくなってしまうのが、我々の現実である。

抗議の声があがるのは当たり前なのだが、政府関係者や閣僚が鬼の首でもとったように批判を連発するに至っては、逆効果にしかなっていない。

なにしろ通り一遍の「風評被害だ」と「福島県民が」の感情論しかないのである。そうすると『美味しんぼ』が福島県内の農業の取り組みなども取り上げているから「作者も福島県のことをちゃんと思っている」という類いの、これまた幼稚な感情論で反論にもなってない抗弁が持ち上がり、「政府が都合の悪いことを隠そうとしているのだから『美味しんぼ』は擁護すべきだという、これまたひどく子どもじみた二項対立の善悪二元論に終始する。


もう「フクシマの人たちを思っています」を自己正当化のへ理屈に利用するのはいい加減禁止した方がいい気もして来る。これは在日コリアンいわゆる同和など、被差別者をいわばダシにした自称「良心派」の偽善すべてに敷衍できる話でもある。

はっきり言って『美味しんぼ』は批判されるべきである(そしてこの漫画のこうした問題が決して今に始まった話ではないことも検証すべきだ。もっと直接的な被害を受けた農業者や食品関係者も多い)。


単に勉強不足のリサーチ怠慢、差別的な先入観の偏見に囚われたまったくの間違いなのだから、「間違いだから問題」「とるに足らない幼稚な虚構」とはっきり言えば済むことだし、この原作者の(以前からしょっちゅうある)拙速な偏見だらけの権威の偽装による決め付けにふんぞり返る拙劣さをあげつらう余勢で「政府に都合の悪いこと」の隠蔽に利用しようとしたところで、そんなことは通用しないどころか逆効果であることくらい、安倍内閣の閣僚たちは気づくべきだ…

…ってそれは無理なんだろうな、首相以下驚くほど世間知らずで実務能力のない人たちだから…

また安倍晋三首相や政府を批判する側も、幼稚な二項対立に囚われて『美味しんぼ』を「言論の自由」などと言って擁護すべきではない。

そもそも公表された作品が批判されることは言論の自由の範疇であるのだから論理倒錯も甚だしいし、少なくとも左派リベラルを自称するのであれば、デマや偏見の決め付けが昔から多かっただけでなく、人物設定からして笑っちゃうほどの保守父権主義の男権的/女性蔑視的な権威主義まみれのこの漫画を、今さら擁護するのも馬鹿馬鹿しいではないか(ちなみにこの漫画が本当に人気漫画だった20年以上前には、多くのフェミニズム論者がこの呆れるほど時代錯誤の甘ったれたマチズモの説話構造を厳しく批判していた)。

だがこの三年経って何を今さらな「鼻血」騒動の最大の問題は、雁屋哲なるいい加減な権威主義者の幼稚な思い込みと不勉強な差別偏見に基づくデタラメな表現それ自体ではないだろう。

いかに20年、30年前の人気漫画で映画化まで(三國連太郎と佐藤浩市父子が、父と息子役で初共演したことも話題になった)されようが、今さら時代錯誤のマンネリズムで「まだやってたの?」という、日本の漫画界が新しい創造に関して恐ろしく脆弱になっている現実が「困ったもんだ」であるものの、本来なら今さらとるに足らない、無視していいはずの代物だ。

それがここまで話題になってしまっている、日本の世論構成自体がそこまで幼稚化していることこそが、問題なのだ。

もっとはっきり言えば、現実に原発事故が直面している問題や、原発事故の直接の被災者の現実が無視され、たとえば仮設住宅暮らしが4年も5年も続くことがいつのまにか決まり、将来に関する目処がほとんど立ってすらいないことはメディアで話題にすらならないのに、こんな下らない漫画のこととなると全国紙の記者や東京のテレビ局がわざわざ福島県に取材に行く。

今さら福島第一原発事故についての関心なんてほとんど失っていた人たちが、こんな時だけ「フクシマの人たちが」と言い出す、そのご都合主義で絶望的に東京中心主義の、他者も当事者も見えていない無責任っぷりこそが問題なのだ。

福島県と原発事故が全国的に話題になるのなら、もっと話題にすべき重要な、当事者の生活に直接関わることがいくらでもあるはずだ。

またこれが雁屋哲なるいい加減な権威主義者の、表現者としての最大の問題でもある。もっとも安直に俗受けすることで「福島の真実」などと称し売名だか掲載誌の部数を伸ばすことを狙うなどとは、さすがに無責任に過ぎる。

「福島は安全」とみなすか「フクシマは危険」とみなすか以前に、放射能による被害の危険性に警鐘を鳴らしたいのなら、真面目に取材さえしていればよほど重要な「福島の真実」は幾らでも掘り出せたはずだ。



今年一月に、フランスのアングーレム漫画フェスティバルの主催者側企画展示で、韓国の従軍慰安婦をテーマにした作品群が展示されたことに対して、一部の日本人が勝手に「日本ブース」を立ち上げ『慰安婦の真実』なる展示を始め、問題になったことがある。 
これがその「日本側の主張」の展示だそうで、主張の中身以前に漫画作成ソフトにいい加減に自分達に都合良く恣意的に引用した他人の発言を切り貼りしただけのやり口が、そもそも漫画を馬鹿にしている、と当然ながら批判を浴びたわけだが、曲がりなりにもプロであるはずの雁屋哲なる人物が「福島の真実」と称しているものは、この「慰安婦の真実」と称する素人細工とまるで同レベルだ。
唯一の違いは、市販アプリケーションに付随のキャラではなく、かつて自分が創造したキャラを使っただけ、あとはおよそ「漫画表現」と呼ぶに値しない杜撰なつまみ食いの切り貼りでしかない。


放射線被曝による健康影響でも、ただの誤解の差別的なステレオタイプに過ぎない「鼻血」などとは異なった、現実に起こりうる健康リスクをこそ、ちゃんと話題にすべきなのだ。

またこのもっとも安直に俗受けすることに体もなく乗ってしまう世論もまた、これでは手塚治虫以来、漫画が日本では文化としてそれなりの地位を築き芸術表現としても認められるようになって来たはずが、「なんだしょせん漫画の読み過ぎで一億総白痴化しただけではないか」と言われても文句は言えまい。

こんな幼稚化した世論の騒動は、現実にある問題や十全に想定すべき今後の問題からの逃避にしか、実はなっていない。

東電の賠償責任をどこまでに設定すべきかの議論すらなおざりにただ「鼻血が」では、「『美味しんぼ』を批判することで東電を擁護するのか」的な言いがかりも、実はまったく成立していない。

…というのも、福一事故レベルの放射性物質の環境内への放出でもっとも危惧される甲状腺がんをめぐる問題すら、かなり複雑な医学的な知見を要する議論になるせいもあるのだろうが、「鼻血が」というそもそも実は単なる間違いであることの話題性に隠されたまま、まるで論じられてすらいないではないか。

甲状腺がんは見つけにくいがんであり、成長も遅い。仮に一部の細胞ががん化しても、そのまま免疫で排除されがんにはならない場合が多い、とも言われている。いずれにせよ放射性ヨウ素が甲状腺に取り込まれたことによるがんを発見し確定するには、4年から5年待たなければならない、と言うのが医学的な定説であり、福島県ではその4年後を目標に十全な検査体制を整え早期発見の準備を進めている。

…ということすら全国規模で話題にはまるでならず「鼻血が」なのだから、そりゃ福島県民はウンザリすると思いますよ…

そしてこれから約1年後、可能な限り万全の検査体制が整えられれば、福島県内では確実に甲状腺がんの発生が見つかるだろう。

いや決して「原発事故で必ずがんが起こる」と断言しているのではないので誤解なきよう。統計的には人口に対する一定の比率でこのがんは見つかっているわけで、その比率よりも高い割合であれば「原発事故が原因」と特定出来るだろうが、ほぼ同じかより低い割合であっても、甲状腺がんの患者それ自体は多かれ少なかれ見つかるはずなのだ。

『美味しんぼ』のような騒動は、このような現実の問題を隠蔽し議論を先延ばしにする効果しか持っていない。そのことこそが現実社会における最大の問題だ。

4年後、5年後に福島県で(ほぼ確実に)見つかるであろう、2011年3月4月前後に始まったとみなされる甲状腺がんの数が、一般の平均値とほぼ同じかより少なければ、統計的・疫学的には「原発事故由来のがんの存在は認められない」という結論が出されるだろうし、それ自体は間違っていないし、福島県民にとっては一安心できる材料になるだろう。

だが一方で、実際にそのがんが見つかった患者さんやその親御さんは、それで納得出来るかと言えばそんなはずはないし、納得しないことを「非科学的」と断ずる根拠もない。統計データだけでは個別例で「原発由来ではない」と証明されたことにはならないのだから、個々の発症例はやはり原発事故による放射性ヨウ素が原因かも知れないのだ。

その時こそ、東電の健康被害に対する賠償責任はどうなるのかについて、大変な議論が巻き起こるはずだし、今から議論の下地づくりくらいはしておくべきなのだ。

賠償額を少しでも減らしたい東電は、発生率が低ければその統計データを盾に詭弁を交えて「原発事故由来であると確定は出来ない」を「原発事故由来ではない」にスリ替えるだろうし、現状の自民党政権が(安倍であっても次の内閣でも)継続するのが確実なので、政府もその東電と同じ主張を繰り返すだろう。

それでいいのだろうか?

少なくともそこで甲状腺がんが見つかった患者さんやその親御さんは納得すまいし出来ないだろう。納得しないまま泣き寝入りを強要されることも目に見えているが、それは恐ろしく非人道的な話であるし、実は決して科学的な態度でもない。

目に見えて甲状腺がんの発見率が来年の今頃あたりに増加していれば東電の賠償責任は明確になるはずだが、それでも個別のケースについて逆に東電側が争うことは決して不可能ではない。個別発症について「原発由来だとは断言できない」ことは、裏を返せば「他の原因であるとは断言出来ない」も意味するし、これをひっくり返した詭弁で裁判を争うことは充分に可能なのだ。

「なるほど、全体的に原発事故によって甲状腺がんが発生したことは確かかも知れないが、あなたの場合がそうだとは断言できない以上、当方の賠償責任は証明出来ないでしょう」という話にだって、なりかねないのだ。

これがあと1年以内には、福島県で現実になる。だからそれまでに、東電の賠償責任や政府の責任についての社会的なコンセンサスを作っておかなければならないはずだ。

たとえば僕自身の考えでは、原因の特定・確定が出来ない以上、4年後5年後に福島県など放射線値が2011年3月4月の段階で高かった地域(つまり半減期8日の放射性ヨウ素がその線源とみなされる場所)での甲状腺がんの発生は、一律東電が健康被害の賠償責任を負うべきだとするのが、人道的・倫理的にもっとも正しいと思う。

この僕の考えが正しいかどうかは議論を要するとしても、こうしたことをきちんとルール化しておかなければ、いざ甲状腺がんが(どれだけの数にせよ)見つかり始める時に、混乱は避けられず、ただでさえがんが見つかってショックを受けた人たちを、さらに苦しめることにしかならないではないか。

「鼻血が」などと(そもそも関係性の薄いことで)騒いでいる場合ではないと心底思う。

なお「実際に鼻血が出たと言っている人がいるじゃないか」という何を今さらな話については、病気についてプライバシーは尊重されるべきにせよ、まず医学者がしかるべき発生データをまとめて、鼻血を訴えている人が主にどのような社会的な立場にある人なのかをきちんと示して欲しい。 
それだけで充分に社会学の興味深いデータになる。同調圧力がこと日本人の社会においてどのように個々人に作用するのかの研究対象としては、もって来いの話ではないか。 
言うまでもなく、実際に鼻血が出た人だっているだろう。 
なお個人的にはなぜ「歯茎からの出血」を訴える人が皆無なのかが謎ではある。歯槽膿漏の潜在罹患率は日本ではかなりの数になるのだし出血は多いはず…と言ってよく考えてみれば「被曝=鼻血」という誤ったステレオタイプを信じ込むわりには、鼻だけでなく歯茎からの出血があったことを、雁屋哲氏であるとか知りもしないのだ。
別に原発事故の有無に関わらず、鼻血なんて日常茶飯事で出ることであり、こと子どもの場合は心因性だとほぼ分かっていても、わざわざ原因の特定なんてしないのが当たり前だ(たとえば興奮状態で鼻血が出るなんて、こと子どもではよくある)。 
ただそれを「放射線が原因」とみなす理由なんてなにもないし(原爆症の症状が「鼻血」という思い込み自体が間違いなのだし)、実際に増えてもいないのならそれで話は終わる(で、ごく一部・特定の立場の、それもほとんどが匿名の人たちを除けば、「増えた」という信頼できる証言すらまずない)。 
いやさらに突っ込んだ研究をしたら、もっと興味深い結果だって出る可能性がある。ただしそれは放射線医学等とはほとんどなんの関係もない、心理学と精神医学の研究対象としては、である。 
もっとも、かなり教科書的な結論にはなる気はする。つまり「自己暗示」の効果のテストケースの検証に適した話、いわゆるプラセボ(偽薬)効果のバリエーションとして研究する価値はあるかも知れない、ということだ。

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