最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

10/30/2007

ブログを始めることにしまして、楊徳昌のはなし


   写真:映画『フェンス』 藤原敏史 作品 撮影 大津幸四郎
   ©2008、Yasuoka Films, ltd., compass films

ブログを始めることにしました…と言ってもののはずみなのでなにを書くべきか、と思いつつ、よろしくお願いします。今後ヒマなときか、逆にテンパッて逃避したいときしか書き込まないでしょうが、どうぞおつきあい下さいませ。

 そういえば一昨日は楊徳昌(エドワード・ヤン)の結果として遺作になった『一、一 a one and a two』(日本公開題は『ヤンヤン、夏の思い出』っていったい…)を久しぶりにフィルムで見直してやっぱりすごいものはすごい。しっかし、こんなにシンプルで誰でも分かる、いや誰でも感動するであろう映画が、なぜ興行でヒットしなかったのだろう? いやエドワード・ヤンがここで繰り広げている演出と構成の洗練は実はとんでもないのだけれど、なにがとんでもないってあまりにも自然に見えてこれがとんでもない映画であることをまったく気にしないで見られるということなのに。

 数日前に彼の長編デビュー作の『海辺の一日』を初めてフィルムで見たのだが、20年ほどの経験と円熟を経てまったく別の映画になっている『一、一』が、一方でこのデビュー作とまったく同じことを語っている映画でもあること、完璧に円環が完成していることに気づかされた。そういえば2000年にこの映画をもって来日したときに「これを作ってしまったら次はもうやることがないんじゃないですか?」と冗談半分に訊ね、ヤン監督は笑って「心配しないでもまだ映画でやりたいことはいっぱいあるさ」といろいろ構想も聞かせてくれたのだが、亡くなって初めて知ったのは、あの時すでに彼がガンで手術を一度受けていたということ。こっちは軽口のつもりだったが、ニコニコ笑って答えてくれたヤン監督の心中はどんなものだったのだろう? いやはや、バカなことを聞くべきでなかった。

『一、一』ラストシーン

 『一、一』はお葬式で終わるが、『海辺の一日』の最後の回想ではヒロインの兄が半年前にガンで亡くなっていたことが明かされる、その兄の死に際の独白も含め、まだ59歳で亡くなってしまったエドワード・ヤン自身が、たぶんその映画のように自らの運命を素直に受け止めていたであろうこと(だから余計な気遣いを嫌って、なにも言わなかったのだろう)、それに較べて自分たちが彼の死をどう受け止めていいのかまだ迷い続けているしかないことに、改めて気づかされる。

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