最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

11/25/2011

『NoMan's Zone 無人地帯』ワールドプレミアにあたって

最新作『無人地帯』のワールド・プレミアは、東京フィルメックス映画祭にて、今日(11月25日)です。15時半〜 有楽町朝日ホールにて。

『NoMan's Zone 無人地帯予告編

東京でのワールドプレミアの後、インターナショナル・プレミアは2月のベルリン国際映画祭の予定だ。うまく行けばその前後あたりから、3月11日の震災一周年くらいには、劇場公開してより多くの人にご覧頂ければと思う。

上映前の挨拶代わりにさらっと書くかで書いておくと(明日、上映前の挨拶で同じことを言うかも知れませんが)…

この映画を見に来る皆さんの多くが、題材となってる事件の重大さに興味を持っていることは分かっているし、実際に重大な事件であることを否定する気ももちろんない。 
そうは考えたくない人も多いのかも知れないが、この事故は我々の社会がこのままではもはややっていけないかも知れないことを、確かに我々に突きつけている。 
だがそれでも、我々が作り、これから皆さんがご覧になるのは、あくまで映画である。 
「これは映画です」というとき、僕の意図していることは間違っても「賛成か反対か」の政治的スローガンを叫ぶことではないし、今4基の原子炉で起こっている自体についてなんらかの納得できる説明を求めるのなら、それは核物理学者と原子炉工学の専門家に聞くべきだろうし、放射能の健康影響について不安があるのなら、我々映画作家に訊くよりも、医者に相談すべきだろう。 
この映画が上映される場で昨晩ある人が語った言葉を引用したい、「裁くことは我々映画作家の仕事ではない」。 


我々の仕事の究極の意味とは、映画のなかに出て来る人達と、その人々が映画に登場する間、その瞬間瞬間を分かち合うことであり、その瞬間を観客の皆さんもまた分かち合えるよう最大限に務めることだ−−彼らと共に感じ、彼らと共に考えることができるために。 
そしてこの映画で扱っている事故が重大であればあるほど、だからこそ我々は映画作りという仕事の原点に忠実であらなければならないと思った。 
裁くことは映画作家の仕事ではない。 
我々の仕事とはなによりも、一言でいってしまえば、いい映画を作ることだ。そのためには我々が映画の本質と美学に誠実であることしかなく、またこの映画に出演して下さり、その体験やとても個人的な気持ちを分かち合って下さった人々の寛大さに報いるためにも、その最大限の努力は必ずしなければならないのだと思う。 
今はその努力をきちんと出来たこと、その結果として皆さんがスクリーン上のその人達に出会い、我々が直接あった時と同じくらいの喜びと敬意を持って受け止めて下さることを、願うばかりだ。 
題材の深刻さから言ってこれを言うのは不謹慎だと怒られそうだが、だからこそあえてこう申し上げたい−−上映をお楽しみ下さい、と。 
「裁くことは映画作家の仕事ではない」、今日の上映は、昨夜この言葉を語った、16年前からの畏友、タル・ベーラに捧げたいと思う。

タル・ベーラ『ニーチェの馬』冒頭シーン 
気づく人もいるかも知れないが、実は変なところでかなり共通点があったりするかも知れない。ひとつの明白な視覚的なモチーフを共有していることも含めて。


このタル・ベーラの偉大な最新作は、昨晩見たのが初めてだし、彼の以前の映画でこのモチーフが使われていた記憶はないので、まったくの偶然のはずだけど…。

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