最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

10/03/2012

テオ・アンゲロプロスのこと

今年の1月に急な事故で亡くなったテオ・アンゲロプロスについて、夫人であり製作も手がけて来たフィービー・エコノモプロスにたまたま会う機会があり、やっと真相を詳しく知ることができた。

トルコ第3だか第4くらいの都市、シリア国境にも近いアダナ市で行われたアルティン・コザ映画祭に『無人地帯』が招待されたのだが、同映画祭ではアンゲロプロスの追悼として『霧の中の風景』もフィービー夫人の立ち会いで上映されていたのだ。

なにしろゲスト対応がいい…というよりも映画そっちのけで海外ゲストは連日観光に連れて行ってもらえるという不思議な映画祭で、地中海まで海水浴に行くツアーの最中に、親しく話を聞いたわけなのだが、ところでフィービー夫人の髪型は、『永遠と一日』のヒロインにそっくりである…というか地中海岸のレストランのテラスで食事、となるとほとんどこの映画のワンシーンにすら見えて来てしまう。


実は「テオはあの映画があまり好きではなかった」という。

マルチェロ・マストロヤンニが元々は『蜂の旅人』と『こうのとり、たちずさんで』に出ているあいだにギリシャ語をほぼマスターしてしまったことが前提にあって書かれた企画なのが、マストロヤンニに末期がんが見つかり、出演が出来なかったこともあるのだろう(なおマストロヤンニは亡くなる直前まで舞台でイタリア全国を回り、アンゲロプロス夫妻もその最後の方の公演を見に行ったという)。

ブルーノ・ガンツはギリシャ語が出来ず、その声は吹き替え、ところが主人公の詩人の述懐がナレーションとして重要な意味を持つ映画なので、というのもあったことはあった。

だがフィービ夫人が言うには、決定的に大きな理由は「あまりに私的な映画過ぎたから、気に入らなかったのではないか」だという。ヒロインが妻である彼女にそっくりであることも、この映画が私的な作品であることを強く示唆している。

『永遠と一日』は「死」をめぐる映画である。

『永遠と一日』時空を超えるバスの場面

これ以前のアンゲロプロス作品にも「老い」が重要な主題として起ち上がって来る作品はあった。まさにマストロヤンニ主演の2作品がそうであり、『シテール島への船出』もまたそうだ。

だが「テオはそれまで、死と言うものを直接体験したことがなかったから、想像がつかなかった」のだとフィービー夫人はいう。

それが『ユリシーズの瞳』の撮影中、サラエヴォの映画博物館館長役で出演していたジャン=マリア・ヴォロンテが急死するという出来事があった。それもホテルの浴室で、浴槽のなかで亡くなっていたのを最初に見つけたのは、アンゲロプロス本人だった。「あの時に初めて、テオは『人が死ぬ』とはどういうことなのかを理解したのよ。それは大変なショックだった」。

「アンゲロプロスは必ずしも、他人の痛みについて直感的な理解があった人ではなかった」とも彼女はいう。それがジャン=マリア・ヴォロンテの死は、死体を見ること自体、初めてだったという。

『蜂の旅人』

映画祭で追悼上映された『霧の中の風景』についても、思いもよらぬ逸話を教わった。

「テオは子供に寝物語を聞かせるのが苦手だったのよ」。

二人の娘さんが幼かったとき、彼はそもそもおとぎ話をあまり知らない上に、勝手に話を変えてしまうのだそうだ。「子供はいつも同じ話を聞きたがるのに、彼は同じ話が出来なかった」。

そこで一念発起して、子供のための、子供が主人公の物語を作ろうとしてトニーノ・グエッラに相談して出来上がったのが『霧の中の風景』の姉と弟の物語なのだという。

しかしラストがあまりに悲しいので、子供が泣いてしまう。そこであのラストシーンが付け加えられたのだとか。

『霧の中の風景』ラストシーン

そしてそのアンゲロプロスの未完の遺作となった『もうひとつの海』と、その撮影中の彼自身の死のことである。

「残念ながら、これがどんな映画になったのだろうか、他人が想像するのは難しい」という。

撮影は三週間目に入っていたが、正味にして10分ぶん程度しか素材はないという。「アンゲロプロスはこの映画で実験を繰り返していた」その実験のために、この三週間のほとんどが費やされたという。

メインのセットになったのは、主人公の住居である、海岸に建つガラス張りの邸宅だった。

壁面がほとんどなくガラスで囲まれた空間には、多重に反射・映り込みがあり、それを含めて二重三重のガラス越しに撮影してみたり、海を行く船が遠景に見えたり…

「最初はイタリア人俳優(トニ・セルヴィーノ)のスケジュールのことがプレッシャーだった。しかしある日、彼はそのことを心配するのをやめて、実験を始めた」のだという。

撮影に用いたのはアリフレックス社のALEXA、デジタル撮影だ。デジタルではフィルム撮影と質感や映り方が微妙に違う。とくにガラス面の反射の見え方に、アンゲロプロスは興味を持ったのだという。今残っているラッシュのほとんどはその実験の断片であり、部外者が見て意味が分かるものではない、とフィービー夫人は言う。

「ワンシーンだけ、典型的なアンゲロプロスと言っていい、曇天の屋外の長廻しのシーンがあったわ。しかしそれは、テオが亡くなった直後、機材を返却する際に助手が誤って消去してしまったの。『リハーサルだと思っていた』らしいわ。これが残っていれば、まだ公表しても意味があったと思うのだけれど」。

それが問題の、アンゲロプロスが非業の死を遂げた撮影でもあった。

報道されたのは、撮影現場に向かうため道路を渡っていた際にオートバイに刎ねられたということだけ。どんな状況なのかさっぱり分からない。

実は、これは6車線の高速道路を挟んだシーンだった。一方にはクレーンに載せたキャメラがあり、道路の反対側に俳優たちがいて演技をする。

監督がいるのは基本、キャメラがある側だが、演出指示を出すために頻繁に往復していた、その度に高速道路を徒歩で渡っていたのである。「もちろん一人では危険だから、若いスタッフが誰か必ず付き添うことにしていた」。

なにしろアンゲロプロス自身が、道路を通行止めにしたりはせず、本物の交通を利用してそのひっきりなしに車がリアルに行き交う道路越しに撮影することを望んだのだというのだから、これはもうやむを得ない。

事故が起きたのは、インターンの若者が付き添った時だったという。若者の方が途中で転んでしまい、先に歩いていたアンゲロプロスはそれに気づいて立ち止まったのだという。

高速道路と言えども、前に人が立っているのを見れば避けることは出来る。みだりに慌てずに立ち止まるのは普通なら、正しい判断だ。

ところが日没の前後のことであり、しかもオートバイを運転していた非番の警官は、どうも道路脇に置かれた撮影用のクレーンに気をとられてしまっていたらしい。取り調べの証言では、記憶は定かではなかった。

妻であり、長いあいだ彼の映画のプロデューサーも努めて来たフィービー・エコノモプロスが、今悔やんでも悔やみ切れないのは、その時彼女が撮影現場にはいなかったことだ。到着したのは、事故の20分後のことだったという。



「アンゲロプロスは必ずしも、他人の痛みについて直感的な理解があった人ではなかった」ということについて、もうひとつ逸話がある。

カンヌ映画祭60周年記念の短編オムニバス『それぞれのシネマ』で、アンゲロプロス編はジャンヌ・モローが映画館に亡きマルチェロ・マストロヤンニの面影を探す詩的な一遍となったが、これは当初の構想ではなかった。

実は日本で撮影し、それも大島渚の『儀式』の上映に若者たちが集まり、上映後に大島がその前に現れるという構想だったのだ。

    
Theo Angelopoulos - Trois minutes 『それぞれのシネマ』テオ・アンゲロプロス編「三分間」

大島が二度目の脳溢血の発作で倒れていたことは、アンゲロプロスも知っていた。撮影当日まで、彼は大島に会うこともできず、車椅子の大島を妻の小山明子が押して出て来る、という動きが決められていただけだった。

ちょっと考えれば、大島が人前に出られるような状態では必ずしもないことも、想像が及んだはずだろう。事前に会えないというだけで、これはやめた方がいいかも知れないと思ったはずだ。

だがアンゲロプロスはそのことを、まったく考えてすらいなかったのだという。それだけに、その大島の姿も、彼には大変なショックだった。

『こうのとり、たちずさんで』

それにしても、アンゲロプロスにとって盟友でもあった大島渚が倒れてもう10年以上、映画を撮るどころか、大島渚として何かを語ることも難しい状態のまま、大島はそろそろ生誕80年を迎える。

それに比べて、アンゲロプロスは、『こうのとり、たちずさんで』以降の最大の野心作であり、新境地を切り開いた可能性の高い新作の撮影の真っ最中に、唐突に亡くなったわけである。

まさに現役の映画作家として、その創造のエネルギーのみなぎった最中に。それは映画作家にとって、もっとも望むべき死に方ではないか、とすら思える。

「その方がテオの死に方として、幸福だったのかも知れない、と考えることもあるわ。でも私には、まだ彼がいないという現実すら受け入れられない。マストロヤンニもいないし、そしてテオの死からしばらくして、トニーノ・グエッラも亡くなってしまった」

今、フィービー・エコノモプロスは亡き夫の全作品のきちんとした回顧上映のために、痛んだフィルムは新しいプリントを作り直すなどの仕事に追われている。

ギリシャの経済危機のなか、決して楽な仕事ではない。

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