最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/19/2018

スポーツの政治利用は許せない?


北朝鮮が新年早々に平昌冬期オリンピックへの参加を表明して以来、がぜん日本のメディアやネット世論で「スポーツの政治利用は」云々という言葉が飛び交っている。

まずそういうことを言うのなら、安倍総理大臣と2020年東京オリンピックの露骨な政治利用についても同じことを言わなければみっともないダブスタにしかなるまい。

たとえば「オリンピックを開催できないと言っても過言ではない」と言い張って「テロ等準備罪」を国会で強行採決したのはなんだったのか?

もちろん「スポーツの政治利用」以前に、共謀罪はオリンピックの開催とまったく関係がない。そもそも国際組織犯罪防止条約の批准のために共謀罪の導入が必要だと言うのなら、この条約はテロ対策を想定していないし、テロなど政治犯を対象とすることが厳格に禁じられているのだから安倍首相の主張そのものがただの噓でしかなかったことの方が大問題だ。

だがだからこそ、スポーツの政治利用が本来なら成立しないことで政府にスポーツの政治利用を許してしまった日本の世論はなんなんだ、という話にしかならないのに、今さらなにを、ただ韓国の悪口を言いたいためだけに、見え透いた二枚舌を始めているのだろう?

さらには2020年のオリンピックの年に合わせて改正した憲法を施行して「新しい日本がここから始まる」とか言っているのも安倍首相だ。

しかも安倍首相は、今度は韓国政府が2015年末のいわゆる慰安婦合意批判したことにヘソを曲げて開会式に行かないなどと言っているのも、五輪の成功のためには安倍にも出席して欲しいという韓国政府の足下を見て妥協を迫っているつもりである以上(そんな御都合主義な展開になるわけがないにせよ)は、この点でも日本の現政府による悪質なスポーツの政治利用こそが責められなければ、とんだダブスタにしかならない。

だいたい、オリンピックは常に政治利用されて来た。代表選手に「日の丸を背負って」などとメディアが言わせ続けているのは国威発揚の政治利用の典型だし、金メダリストに国民栄誉賞を与えるのも政権人気取りの露骨な政治利用だ。

オリンピック憲章は実は国ごとのメダルの数を競うことを禁じていて、各国のオリンピック委員会はメダル数集計を公表してはいけないことになっている。それでも「日本のメダルは◯◯個」とメディアが熱狂しているのも、露骨なスポーツの政治利用以外のなにものでもない。

2016年のリオ・オリンピックは葛藤を乗り越えての多民族の共存と環境保護、さらには自然と人間の共存という、明確に政治的なテーマをコンセプトとして掲げていて、それはブラジルの歴史を象徴的に表現した開会式でも明確に示されていた。

フェルナンド・メレイエス演出 2016年リオデジャネイロ・オリンピック開会式


浅田真央がフィギュアスケートの歴史を変えた天才であるのは間違いないが、彼女がきっかけでこのスポーツが日本でブームになったのは、同じ年生まれで一ヶ月しか誕生日が違わないキム・ヨナという韓国人のライバルがいたのでマスコミが騒いだからでもある。これは本当に彼女のスケートに感動する人にとってはまったくどうでもいいことでしかなかったが、しかしそれでも浅田真央の天才が、戦後日本をずっと蝕み続けている韓国嫌い朝鮮民族差別の下らない政治プロパガンダに政治利用されてしまっていたのもまた、残念な現実だった。

この2人がお互いを高め合うことでフィギュアスケートの女子シングルの歴史が変わった、その絶頂となったヴァンクーヴァー冬期オリンピックのシーズンなぞ、2人のライバル関係を政治利用していたオジサンたちは、実はキム・ヨナの分かり易いお色気ショーの『007』方が遥かにお気に召していたらしく、浅田真央のプログラムの凄さが理解できないまま「キム・ヨナみたいな大人の女性らしさがなくては勝てない」などと鼻の下を伸ばしているくだらないコメンテーターもうじゃうじゃいた。いやだから、あれを「大人の女性の色気」とか言ってる時点で、オジサンたちは政治的にダメダメなのだが。

またまったく別の次元で、その2009-20010シーズンの浅田真央の特にフリースケーティングは極めて政治的だ。こういう表現をフィギュアスケートでやったこともまた彼女の天才であり、それがフィギュアの表現の革命となったのもまた、優れて政治的な意味を含んでのことだ。

 浅田真央 ラフマニノフ作曲「モスクワの鐘」 ヴァンクーヴァー五輪フリー


もちろんこの演技はまず息を呑み圧倒されるべきもので、いちいち政治的なものだと意識して見るのも野暮な話ではあるが、しかし「これは政治的だ」と言われても気がつかないとしたら、それはそれでひどく鈍感だろう。

あえて野暮を承知で言っておけば、当時の浅田のコーチで、この曲を女子フィギュアでやることが夢で、振り付けも手がけたタチアナ・タラソワは、このプログラムを「世界平和のメッセージだ。真央にはそのメッセージを届けられる強さがある」と言っている。あとは出だしの、両手で自分の頬を激しく打つ仕草を見れば、これがある強固かつ普遍的な政治的主張を持った表現であることは自明だろう。

エフゲニー・キーシン ラフマニノフ「プレリュード ハ短調 作品3 第二番」


一部の…ではなく残念ながら多くの日本人が「日韓対決」という下らない政治利用でこれを消費していたのとはまったく無関係な別次元の話で、この年のキム・ヨナがスケートとして保守的な優等生なプログラムを選んだだけでなく、そこで極めて保守的なジェンダー役割に植民地主義的な価値観をまぶした女性像(というか、要するにアジア人の小悪魔娼婦イメージ)に徹して金メダルを狙ったことの、浅田真央の激しい挑戦との鮮烈なコントラストがまた、フィギュアスケートという競技の枠組みを超えた優れて政治的な「対決」をあのオリンピックのリンクに生み出していた。

今年のオリンピックの日本女子フィギュアのエース宮原知子もまた、あえて極めて豪速球かつ変化球な政治的なプログラムをぶつけて来ている。

なにしろショートプログラムはハリウッド映画『Memoirs of a Geisha(日本語題「SAYURI」)』で、フリースケーティグはあのオペラ『蝶々夫人』、つまり西洋の植民地主義的女性蔑視丸出しの「フジヤマ・ゲイシャ」な日本ファンタジーとして書かれた音楽をあえて使って、それを「女性の強さ」の表現に読み替えて見せるのだから、変化球であると同時に分かり易い過ぎるほどの豪速球な政治性だ。

それがまた、これまで「ミス・パーフェクト」「練習の虫」としてばかり褒められて来た彼女にとって、とてもパーソナルな葛藤を反映した自己イメージの克服でもあるからこそ、いっそう政治性かつ革命性を帯びた表現になっている。

宮原知子 プッチーニ作曲『蝶々夫人』2017年日本選手権フリー


技術とともに芸術性を競う採点競技のフィギュアスケートが、その芸術性において時に鋭い政治的表現力を持つのは「スポーツ」としては例外ではあろうが、そうでなくともスポーツというのは元々、よくも悪くも政治性を持って受容されるものであり、ナショナル・チームを編成して競い合う国際大会となれば特にそうだ。野球のナショナル・チームが「サムライ・ジャパン」でサッカーのナショナル・チームが「サムライ・ブルー」、エンブレムが八咫烏の平成ニッポンが、いまさら「スポーツの政治利用が」と言い出すこと自体が滑稽だ。戦後のオリンピック憲章に「政治利用」を禁じる条項が書き込まれたのは、1936年のベルリン・オリンピックがまさにこうした国威発揚の政治利用に露骨に利用されたことへの反省に基づいている。

そもそも19世紀のヨーロッパでスポーツの振興が始まったのは、産業革命の結果で過酷な労働環境に置かれた労働者が虐待的な状況下で病気も増えたアンチテーゼで、太陽を浴びてのびのびと身体を使いより健康になろう、という運動であった一方で、国民国家の成立で身体的に強健な国民が徴兵制の普及と国民皆兵的なイデオロギーのなかで「健全な精神は健全な肉体に宿る」が称揚された、近代オリンピックもその文脈のなかで産まれたものであり、これをもっとも露骨に、しかも人種主義の優生思想と結びつけてプロパガンダに利用したのがナチスだった。

『民族の祭典』『美の祭典』1936-37年

その一方でオリンピックが「平和の祭典」で、クーベルタン男爵が近代オリンピックを始めたのが植民地主義の最終局面で列強間の競争や紛争が絶えなかった時代に、古代ギリシャでオリンピックの開催期間中は戦争状態の都市国家どうしでも停戦するという国際ルールがあったことを前提にした、つまりオリンピックそのものがまた別の次元で平和と全人類の和解という政治性を持った政治的なイヴェントだ。

さらに戦後のオリンピックでは合わせて開催されるパラリンピックがより重要性がましている。スポーツの振興が健康増進の肯定的メッセージを必然的に伴う一方で、その「健康」理念自体がファシズムに陥りかねない危険性のアンチテーゼであると同時に、こと近年のパラリンピックは障がい者の「見える化」で社会のバリアフリー化の必要を意識させる優れて政治的なメッセージ性を発信している。東京都が猪瀬知事の時代にオリンピック招致に熱中したのも、そもそもが超高齢化社会を目前にしてのパラリンピックが都市インフラのバリアフリー化を進める最適のキャンペーンだったからでもある。

アパルトヘイトが終わった南アフリカでネルソン・マンデラが大統領になった時、「黒人の復讐」に怯え特権を失ったことに恨みつらみも激しい旧支配者層の白人と、政治的平等は獲得できても経済的には圧倒的に不利なままだった圧倒多数の黒人のあいだで、国は分断されていた。マンデラはそこであえて、南アフリカでは白人のスポーツだったラグビーのワールド・カップが自国で開催されることに目を付けて、ラグビーのナショナル・チームのキャプテンのフランソワ・ピナール(もちろん白人)に優勝するように密かに命じた。それもレギュラーに黒人選手が1人しかいなかったのを「黒人を増やせ」とも言わず、代わりに白人だらけのナショナル・チームが黒人の貧民街というかせいぜいキャンプとしか呼びようがないほど貧しい場所に行って、黒人の子供たち相手にラグビー教室をやらせて、その光景を全国ニュースでテレビに流したりしたのだ。

これは俳優のモーガン・フリーマンが映画化を企画し、クリント・イーストウッド監督によって映画化されている。

C.イーストウッド監督『インビクタス』2010年

もちろん現実がこの映画ほど巧く行ったわけでもないが、それでもマンデラによるスポーツの政治利用が、分断していた国民の統合に大きな意味を持ったことは確かだ。そしてこれを「政治利用だ、許せない」と言い出す者はさすがにいまい。

1995年ワールドカップ決勝戦 南アフリカ対ニュージーランド 国歌斉唱

もちろん北朝鮮・金正恩政権が、オリンピック参加を表明するタイミングのあざといまでに巧みな計算まで含めて、このチャンスを外交的に徹底的に利用しているのは言うまでもない。韓国の右派が「これでは平昌オリンピックではなく平壌オリンピックだ」と文句を言いたくなる気持ちも分からなくはない。

だが分断国家となった民族の和解がオリンピックそれ自体の持つ政治性とぴったり合ったテーマであることに異論の余地はない以上、「韓国が日本やアメリカとの連携を乱している」などと言い出すのはあまりにはしたない…というか、最低限の国際常識すら欠如している。

確かに女子アイスホッケーの南北合同チームとまで来ると、いきなり本来出場権のなかった北の選手と一緒にプレーしなくてはならなくなった韓国チームの選手は、チームワークを作り上げるだけの練習時間も与えられないまま大会に臨まなければならなくなったし、5人だか7人だかだけ参加する北の選手も大変ではあろう。しかも大統領には「人気がない競技に注目が集まる」と言われ、首相には「どうせメダルの見込みもないし」と言われっぱなしなのはさすがにかわいそうで、大統領も首相も、もうちょっと言いようがあるんじゃないか、とは思う。 
しかししょせんは、他所の国の話だ。日本のマスコミがなぜこうも事細かに報じたがるのかには、別の意図(はっきり言えば人種差別)があからさまだ。 
スポーツ選手が「これでは選手がベストが出せない」と同情することを除けば、日本人がとやかく言うことではない(それにメダルの見込みがないのは現実)し、そもそもオリピックに女子アイスホッケーがあることすら知らなかったような人達がなにを言ってるんだ、としかなるまい。

北朝鮮が見事に平昌オリンピックを外交に利用してみせているのは、金正恩の狡猾な外交手腕がそれだけ傑出していて、そのマニピュレーションに日本などの敵対国が翻弄されているだけのことだ。文句を言っているヒマがあるのなら、日本ももう少しは国際的な大義名分で通用しそうなオリンピックの政治利用法とか、多少はマシな外交的狡猾さを身につけるためのお手本としてしっかり研究でもした方がいい。

なにしろ反北朝鮮で「世界の結束」を呼びかけているつもりの日本は、そこで他国を巻き込めるだけのまっとうな大義名分のひとつも提示できていない。

バルト3国を訪問して「北朝鮮包囲網で各国の賛同を得た」かのように日本の報道を通して政府は吹聴しているが、どうとでも取れる一般論を口にしてリップサービスで賛成してもらっただけ、オリンピックを機に南北朝戦の関係が少しでも良好になれば、それが「核問題」の解決につながることを期待している国際世論から、日本だけが浮きまくっている。

まあもちろん、安倍政権が「核問題」の解決をまったく望んでいないのだから当たり前ではある。なにしろこの解決には最終的に米朝直接交渉以外の手段はないし、そこで北朝鮮の核保有をアメリカが制約しようとするのなら、今やその北朝鮮も核弾頭やミサイルを持っている以上、アメリカもまた朝鮮半島で使える核武装をある程度は削減すること以外に妥結はあり得ない。

それこそ「朝鮮半島の非核化」を言うのなら、アメリカが北朝鮮に向けている核ミサイルや、沖縄に密かに(半ば公然の秘密として)配備されてそこからいつでも韓国に持ち込める核兵器もまた全廃しなければ、「非核化」にはならない。朝鮮半島が「非核化」されるなら、日本の「核の傘」は放棄しなければ「非核化」にならない。だから朝鮮半島の非核化を北朝鮮の非核化にスリ替えているのが安倍政権だが、こんな誤摩化しは日本国内でしか通用しない。

…っていうか、それにしても2020年東京オリンピックの準備は、もう少しなんとかなりませんかね? 国際的な「平和の祭典」であることも無視し、世界中から選手が集まって来ることもそっちのけで、エンブレム選びでもマスコット選びでも、コンセプトはバカの一つ覚えで「日本の伝統」なのだそうだ。開会式・閉会式は安倍さんが大好きな『永遠の0』の監督さんだそうだが、まさか特攻隊賛美なんてやらかすんじゃなかろうか? 「維新の志士」を美化するチャンバラごっこでも始められたりとか、そもそも外国人には意味が分からないひどく退屈な独りよがりな「蝶々夫人」的エキゾチシズムの羅列でもやられそうで気が気でない。

だいたいネーム・バリューからしても、2008年北京はかつての天才・張芸謀、2012年ロンドンはダニー・ボイル(『トレイン・スポッティング』『ザ・ビーチ』)、2016年リオはフェルナンド・メレイエス(『シティ・オブ・ゴッド』)と国際的な知名度からも納得する人選だが、『ALWAYS 三丁目の夕陽』と『永遠の0』は安倍さんの趣味だけで、そもそも日本国内しかマーケットとして想定していない映画の監督というのも…これでは「政治利用」どころか私物化だ。

数年前には「音楽の政治利用は」という文句が富士ロック・フェスティバルに殺到して、そもそもロックは政治的なものだろうに「純粋に音楽を楽しみたい」などとロック世代がえらくズッコケていたこともあったが、一方で昨今の「紅白歌合戦」でも見れば、あまりにストレートな政治的メッセージ性がそのまま歌詞になっていて、またそのメッセージというのが全部同じ安直な自己肯定で聴き手を慰めているのが不気味なほどだ。

日本のポピュラー音楽におけるこうした露骨に退行的で反動的な政治的逃避の傾向の元を辿っていくと、価値観の多様性を歌って大ヒットした『世界にひとつだけの花』に行き着く(この歌は同性愛者であることが暴露されてしまった作詞作曲の槇原敬之個人にとって、極めて重要な政治的ステートメントでもあった)のだろうが、それぞれにバケツのなかでピンと胸を張っている花たちが「みんながオンリーワン」でありだからこそ「ナンバーワン」だったのが、いつのまにか聴き手それぞれが、胸を張らなくてもいいから今のままでいいよ、と言われて承認欲求を満足させていればいい堂々回りと言うのは、それはそれで立派な政治性だ(と言うか、あまり「立派」でもないが)。

「◯◯の政治利用は」と文句を言う人達こそが、スポーツでも音楽でも映画でも、歴史教育でも、それを安易な自己肯定=現政権肯定のメッセージという政治性に利用しているだけで、そこに疑義を提起されるのが気に入らないだけではないか?

1/16/2018

伊藤博文は “農民” だったから、明治維新は身分に関係なくて「志」?(安倍首相おなじみフェイクニュース)


今年は明治維新から150周年になるが、安倍晋三首相の新年の記者会見の全文をたまたま見ていて、ちょっとびっくりしてしまった。明治維新は「武士、農民、町民、それまでの地位や立場に関係なく、志を持った人々が全国各地で立ち上がり、明治国家建設の大きな原動力となった」のだという。


安倍首相年頭記者会見(全文と動画)
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0104kaiken.html

冗談も休み休み言って欲しい。1867年から68年(慶応3年から4年・明治元年)の政権交替は、要するに徳川幕府から薩長の下級武士の維新政府へと権力が移ったことで、確かに武士階級のなかでは最上位とほぼ最下位で身分がひっくり返った革命にはなるが、しょせんはその武士階級のなかの話だ。

武家以外の身分の参加といえば、公家の岩倉具視が権力の中枢についたが、農民町民の「参加」があったとしたら、大政奉還の前後に「ええじゃないか」音頭ブームが広がった程度のことだ。

今村昌平監督「ええじゃないか」1981年

あるいは武家階級以外の身分からの「明治維新」への支持であれば、官軍の東征の先鋒になったのが相楽総三ら「赤報隊」で、年貢を半減するという明治天皇の勅令を吹聴して廻るのが主な任務だった。これは確かに街道筋の農民にすぐに広まったわけで、そういう意味では新政府への支持は一応広がったように見えた。

ただし西郷隆盛が実質指揮する新政府軍は、年貢半減の噂があまりに広がり庶民に本気で信じられてしまうと、相楽総三らを「偽官軍」と断じて、デマを振りまいたとして処刑してしまった。

 岡本喜八監督「赤毛」1960年

要するに、武家以外の身分の関わりで言えば、農民から見れば武士が自分たちを騙しただけなのが明治維新だった。

それどころかこの赤報隊、大政奉還と王政復古クーデタがあった慶応3(1867)年の後半には、江戸市中で強盗や放火、辻斬りなどのテロ行為でさんざん江戸の一般市民の命を危険に晒していた。江戸町奉行所の役人がこうした殺人犯を追跡すると、逃げ込んだ先は薩摩屋敷だ。江戸市民の命を危険に晒す犯罪行為に怒った幕臣たちがついにこの薩摩屋敷を攻撃して焼き討ちにしたと報せを受けた、京都にいた西郷隆盛は、「これで倒幕の大義名分が立つ」と喜んだとも言われている。

そして翌慶応4年の3月には、新政府軍は人口100万超を誇った江戸の町民を犠牲にしてまで江戸城総攻撃もやる気だった。なんとかこれを食い止めたのが2人の将軍未亡人、篤姫と和宮だ。和宮が官軍の名目上の上層部だった幼なじみの公家衆や元婚約者の有栖川宮を説得し、島津斉彬の養女・篤姫がかつて自分の婚礼を担当した西郷を説得したのだ。

それにこうして江戸庶民の生命が危険に晒されたずっと以前から、幕末政局の舞台になった京都では、市中で殺人を繰り返して天皇のお膝元の住民の命を脅かし続けたのが薩長の倒幕派だ。

長州藩などは禁門の変を鎮圧されると、腹いせの放火で京都の中心街を焼け野原にしている。

つまり「明治維新」は武家階級のなかの権力闘争で農民や町民にとって頭の上を通り過ぎて行っただけの「革命」に過ぎなかったどことでは済まない。新たな国家の権力を確保しようと争っていた「明治維新」勢力は、自分たち武家以外の農民や町人の命なんてなんとも思っておらず、平気で騙したり殺したりしていたのだ。

そんなテロリストの新興勢力の突き上げを食らった幕府が、政治権力を独占した統治する側の責任感から、他の身分の生命・生活を守ろうと腐心していたのが幕末の「明治維新」政局の実態だ。

ところが安倍さんは全身分が、身分に関わりなく「志を持った」結果が明治維新だという。その根拠は、

「初代内閣総理大臣の伊藤博文は、もともとは農家の出身であります」

なのだそうだ。

記者会見でこんなこと叫んで、よくもまあ記者さんたちから失笑が漏れなかったものだ。

まったく報道がないのも不可解で、10年前だったらあまりに無知非常識な「総理の失言」がおおいにワイドショーを賑わせていたんじゃないか?

「明治維新」についてはなにしろその後戦前までは、現体制・政権の正当化そのものだったので徹底的に美化されて来て、「維新の志士」が今で言えばテロリスト、長州が京都を焼け野原にしたこともあまり知られておらず、戦後もこの歴史を客観的に検証して一般に報せる努力はほとんど行われないままだが、それでも「伊藤博文は農民だった」はさすがに誰が聞いてもびっくりするような話だ。

普通に人名事典やWikipediaでも調べてみても、無論ちゃんと「武士」と書いてある。要するに下級武士の出身(実家は足軽)で、それ以上の伊藤の出身についてなんて歴史的に重要ではないのでほとんど誰も知らないし、興味も持って来ていない。

青年時代の伊藤俊輔(のちの博文)

そのまったく知られていない史実を言えば、確かに長州藩士で足軽身分の家の出の伊藤俊輔(のちの博文)は、今の山口県光市あたりで産まれたときは農民の子だった。幼名は利助で父は林十蔵という(ちなみに江戸時代には名字を公式に認められていたのは武士以上だったが、ほとんどの庶民に名字はあった)。

林家は貧しくここでは食べて行けなかったのか、やがて萩に移っている。江戸時代の後期には農民の子でも寺子屋などで教育を受けるのが当たり前で、こと教育熱心な気風があった萩で、利助が私塾に通い始めたところ、勉強がとてもよくできたという。林家はこの利助の才覚を見込まれたのと、なにしろ貧しかったもので、一家がまるごと長州藩の中間の養子になり、その中間が今度は足軽の伊藤家の養子になった。林十蔵は足軽の伊藤重蔵になり、息子の利助は12歳から武士階級で、武士として元服して俊輔を名乗った。

つまり伊藤俊輔、のちの博文はどこからみても武士階級の長州藩士だから「維新の志士」として活躍しただけで、12歳までは農民階級だったなんてわざわざ言及されることがめったにないのも、強調するような意味もないし、そもそも歴史を理解する上でまるで重要なことでもない。

強いて言うなら、むしろ勉強ができたので見込まれて武家の養子になったというのは、江戸時代の身分制度が実際にはそんなに厳格なものでもなかったという、現代人があまりよく分かっていない当時の社会のあり方を示す逸話だろう。

確かに身分・職業は原則として世襲だったのが前近代の日本だが、それだけでは才能がなかったりその職業に向かない跡取りでは家業が傾くことにもなりかねない。だからこの貧農の林家→武士の伊藤家のケースのように、養子がとても多かったのだ。


ところが安倍さんの頭の中では、たまたま伊藤が12歳までは農民の身分だった一事だけで、明治維新は「武士、農民、町民、それまでの地位や立場に関係なく、志を持った人々が全国各地で」となってしまうらしい。

史実はまったく逆だ。戊辰戦争で最大の激戦となったのが会津若松城の攻防戦でのことだ。会津武士は新政府軍の猛攻相手によく戦った一方で、東北への進軍を指揮した板垣退助は会津領に入ったとき、善政で知られた会津松平家なのに、武家以外はあっけなく新政府軍に服従して協力的だったことにショックを覚え、それが後に国民の政治参加を謳った自由民権運動を旗揚げする大きな動機になった。 
江戸時代に徳川家が推奨した上からの善政は一定の成果を上げていて、250年以上平和も実現したし、そのなかで日本人はそれなりに幸福だったので、自分たちは自分たちの職業や地域社会の生活に意識が向き、上に立つ人はしっかりやってくれているのだから自分達が国の行く末に関わろうという意識は、恐らく希薄だったのだろう。

だいたい「全国各地」って…?幕末・維新を取り上げたドラマや時代劇映画でも、舞台はひたすら京都だけなのも、まともな常識がある日本人なら誰でも知っている。

大名家が京都に入ること自体が墓参や寺社参拝など以外の目的ではタブー視されていたのが江戸時代で(武家全体の天皇への忠誠は、武家の棟梁の徳川家が代表していたので、大名が天皇と直接接触するのは謀反の疑いになる)、幕末期でも京都にいたのはごくごく一部の雄藩と、京都と天皇を守る任務を持っていた幕閣だけだ。

要するに、京都と薩長土肥や松平春嶽の福井藩などの一部雄藩を除けば「志を持った人々が全国各地で」どころかまるで逆、ほとんどの地方は「明治維新」にまったく関わっていない。京都の宮中でどんどん暴走して行く倒幕派を傍観するしかなく、気がつけば戊辰戦争に巻き込まれただけだ。

この総理、歴史に限ったことでもないが、とにかく自分に都合のいいことだけを取り上げて、その切り貼りだけで世界観を作ってしまうらしい。この演説も批判されたら「伊藤博文が農民出身なのは事実だ!」と言い張るのだろうが、これってフェイクニュースの典型的な詭弁ですよ。

それにしたって武家の養子で跡継ぎになってるんだから武士以外のなにものでもない伊藤博文が、産まれは百姓だったから「農民が明治維新で志を持って活躍」になるとは、安倍さんの歴史修正主義趣味も、こうなるとただのギャグにしかなってない。

1/10/2018

負け惜しみも程々に…(あまりに見苦しい日本外交と政権忖度メディア)



韓国と北朝鮮のあいだで、北朝鮮の平昌オリンピック参加に向けた交渉が始まったことに、日本政府がえらくご機嫌斜めらしい。

政府だけならまだしょうがないが(安倍さんと熱烈支持層思惑が外れて悔しいのは分からないではないが)、マスコミ報道まで同調しているのはさすがに呆れる。そんなことより、わずか一週間前には「新年早々に北朝鮮がミサイルを発射する兆候」を騒いでいたことはどう言い訳するのだろう? 案の定、完全な誤報になったではないか。

今度は「北朝鮮は韓国とアメリカや日本のあいだにクサビを打ち込むつもりで、韓国は騙されているんだ」と言わんばかりの報道というのも、自分達こそ見事に騙されたこと(「米国メディア」に踊らされてまたミサイル発射があると騒いだ空振り報道)の負け惜しみにも見えるというか、言ってることがコロコロ変わる無責任報道もみっともなさ過ぎはしないか? 北朝鮮外交が打ち出す狡猾なあの手この手の巧妙さもあるにしても、あまりに分析的な冷静さに欠如している。

恐らく昨年暮れに米メディアが「ミサイル発射の兆候」を報じたのは、無根拠なわけもあるまい。北朝鮮側がわざとそう報道させるような動きをこれ見よがしにやって見せて、アメリカ側が見事に引っかかっただけだ。金正恩は新年に平昌オリンピックへの参加を表明するサプライズ効果を高めるために、わざと真逆のことをその前に報道させるように、いわば「騙した」のだろう。 
まあ引っかかる方が間抜け過ぎるわけなのは言うまでもないが。

もちろんオリンピックは「平和の祭典」だ。そのオリンピックが偶発的な軍事衝突がいつ起こるとも分からない環境で行われるなんてあってはならないわけで、韓国だけでなくIOCも北朝鮮の参加を切望しているのも当たり前だ。

対話が続いている間は少なくとも偶発的な開戦のリスクは低下するわけで、安倍さんはなにを「対話のための対話は意味がない」などと勘違いしているのだろう? それともオリンピック開催中に当の開催国が戦争に巻き込まれることでも期待していたのだろうか?

意表をつかれたドナルド・トランプは休日に思わず不満をツイートしてしまったが、そのトランプでさえウィークデーに入って仕事モードになれば歓迎を表明し(外交常識としてこれは歓迎するしかない)、北朝鮮が自ら妥協したようにも見えることを自分が圧力をかけてきたお陰だと言うに留めた。まあこれも苦し紛れな言い訳ではあるが、アメリカ国民にとっても日本国民にとっても、オリンピックが名実ともに「平和の祭典」になるのはまず無条件に喜ばしいことだ。

ましてこの南北対話の再開でアメリカも突然の軍事攻撃などはできなくなり、当分は北朝鮮のミサイル演習も核実験もないのが確実になっただけでも、少しは安心していい朗報ではないか。アメリカが韓国に圧力をかけて会談を潰そうとすれば、国際社会で孤立するのはアメリカだ。

まあトランプ本人は「オリンピックは平和の祭典」に巧くつけ込まれ、先手を打たれて梯子を外された交渉当事者として「してやられた」と悔しい限りではあろう。北と韓国のあいだで米韓合同軍事演習の無期延期みたいな話が出て来かねず、そうなったら韓国も文在寅政権ならむしろ賛同し、アメリカは演習ができなくなるかも知れない。それでもここは「大人の対応」に徹しないことには、結局アメリカ政府は戦争をやりたがっているだけじゃないか、と国際社会からも国民からも批判が殺到しかねない。ましてトランプは北朝鮮をただ敵視するだけで、言いがかりをつけて滅ぼしたがっているのだ、とでも思われるか言いがかりをつけられるだけでも外交的な大惨敗になるし、北朝鮮に巧妙にそこまで持ち込んでしまったのだ。

韓国の国民にしてみれば、リベラル派の文在寅を支持しているのにアメリカの勝手で戦争に巻き込まれるなんてたまったものではないし、元々右派政権や軍の対米従属が支持されて来ているわけでもない(朝鮮戦争でアメリカに「守ってもらった」高齢者ならともかく、とりわけ若い世代にとっては「うちの国は本当に独立国なのか?」としか思えず、屈辱的でしかない)。

どうもここが日本では理解されにくいらしいが、どの国でも自分の政府がアメリカが超大国であるというだけで言いなりになっている姿(それもその大統領は人種差別主義の白人至上主義者に支持されているドナルド・トランプ)には、大なり小なり不満があって当たり前だ。 
まして自国主催のオリンピックの最中に、アメリカの勝手な戦争に巻き込まれるなんて、民族への侮辱以外のなにものでもない。

もちろん交渉初日からトントン拍子で様々なことが決まったのを見ても(というか、正月の訓示で金正恩が五輪参加に言及した時点で分かりきったことだが)、北朝鮮が実は最初から平昌五輪に参加するつもりで、公表するタイミングでどう有効な外交交渉カードに使えるのかが、北朝鮮の政府内で慎重に考え抜かれて来たのは間違いないだろう。

まただからこそ、北側の代表は上機嫌で「記者さんたちも興味津々のようだし、いっそこのまま記者に公開で会談しましょうか?」と提案するほど落ち着き払っていたのだろう。一方の韓国側は、同盟国のアメリカへの配慮や、日本や中国との兼ね合いがあるのでさすがにすべて公開するのは二の足を踏むしかなかったが、これも北側に一本取られた格好だ。

「国際社会が北朝鮮を非難している」と日本のマスコミが言いたがるのはかなりの部分、日本国内でしか通用しない誤解だ。ハタ目にはしょせんこれは北朝鮮とアメリカの私闘バトルに過ぎず、北の核開発をアメリカが批判するのも客観的には「どっちもどっち」でしかない。北朝鮮が常にアメリカによる圧倒的な核攻撃のリスクに晒されていて、アメリカがそれを北朝鮮に対する「核抑止力」だと主張するなら、アメリカがその核攻撃能力をみだりに使えないようにするために北朝鮮がアメリカに届くICBMに核弾頭を搭載しようとするのもまた「核抑止力」でしかない。

国連安全保障理事会が「国際社会」を代表しているわけでもまったくなく、非難や制裁が決議されるのは、核武装を独占できる特権を守りたい常任理事五大国に安保理が牛耳られているからに過ぎず、その常任理事国が今の国連では核兵器禁止条約をボイコットしようとして孤立している。とりわけ核兵器禁止条約について同盟国に圧力をかけて反対させたアメリカの横暴に、それでも超大国なので文句も言えず、しぶしぶ付き合わされただけなのが安保理の制裁決議だ。

しかもオバマのアメリカならともかく今はエルサレム帰属問題への反対決議に人道援助の打ち切りで脅しをかけたようなトランプのアメリカだ。折しも政権の内幕暴露本「Fire and Fury」がベストセラーになったアメリカ国民にさえ信頼されていない。

そして「核・ミサイル問題」が北朝鮮とアメリカのどっちもどっちの「私闘」に過ぎないことを、南北会談で北側は、核武装はひたすらアメリカだけを狙ったもので、同朋を核で狙うなんてやるわけがない、と強調してみせた。記者会見では「核問題は南北間の交渉の対象ではない」とも述べたし、双方合意の共同宣言では「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」とも書かれている。

交渉の開始時に北側が、いっそ会談すべてを記者に公開すればどうかと提案したことに、日本のメディアは驚いたフリをしているが、驚くことなどなにもない。この交渉で北朝鮮に隠し立てすることはなにもないのだ。核武装はアメリカの核の脅威に対抗するためで、そこに裏も表もなにもない、まったくそのまんまでしかない。

北朝鮮政府がプライドにかけて吐露できない本音があるとすれば、実のところアメリカの核兵器で殲滅される脅威さえなくなり、韓国の政府が右派政権になって対米従属に徹して北を敵視することや、やはり対米従属しか能がない日本政府が国民の一部の在日朝鮮人差別を公然と支持するような態度を取ることもなくなって、国力の差はあっても対等の主権国家どうしの最低限の礼儀が守られた関係さえ築ければ、わざわざ大金のかかる核開発なんてやりたくもないし、うちは貧しい国なのだから本来ならもっと金を使いたいところはある、というリアリティだけだ。

日本のメディアは北朝鮮が韓国に五輪参加の旅費を要求するに違いないとか言っているが、選手や役員は選手村に泊まる権利があるのになにを言っているのか? 移動は板門店かどこかで38度線を超える陸路の方が政治的アピールは大きくなるし、経費も安い。むしろ韓国側が融和のアピールのために招待などの扱いにしたいわけで、それを「国連の制裁決議を守れ」と言って日米が圧力をかけるなら、国際的に白い目で見られるのはその日米の方だ。

「南北の問題は民族どうしの対話と交渉で」と言う共同宣言も、日本政府や日本のメディアは大いに不満で「国際社会を無視している」などとひどくトンチンカンなことを言っているが、これも現代の国際秩序の基本哲学からして当然のことで、反論の余地はない。国際連合憲章の基本は、民族自決権だ。ひとつの民族の内部の問題に他国はそもそも口を出す権限がないのが、現代の国際秩序の根本原理だ。

まして南北朝鮮が分断しているのは、世界史的には他国の都合に振り回されて来た結果の、日本の植民地支配と冷戦の遺物以外のなにものでもない。大日本帝国陸軍が植民地を守ろうともせずに敗走し、アメリカとソ連の都合で分断されてしまったのが朝鮮民族の悲劇であり、それを克服できるのが朝鮮民族の主体性だけなのは、その通りなのだ。アメリカを射程に納めるICBMの開発はしょせんアメリカの問題で、韓国の問題ではないのもその通りで、韓国にはここでアメリカへの配慮を見せて自国が半植民地の属国でしかないことを曝け出すなんて選択肢はない。

まだ韓国(や日本)が核兵器禁止条約に参加して、核兵器開発そのものを批判できるのなら話は変わって来るが、どちらも同盟国(宗主国?)アメリカへの配慮から投票を棄権している。ましてアメリカの「核の傘」の「抑止力」に期待しているというのなら、北朝鮮に完膚なきまでにやり込められてしまうだけだ。

一言でいえばまたもや北朝鮮の外交的圧勝で、しかも今回は韓国もまたまったく敗北はしていない。韓国には韓国の安全保障があり、北朝鮮のICBMの開発はアメリカの安全保障問題であって直接に韓国の安全保障には関係がない(韓国相手にICBMを使う必要はないし、同民族・同朋というだけでなく放射能汚染の問題もあるのだから韓国に核攻撃はまずやらない)という理屈でメンツは保たれているし、そもそも韓国側には核について北に妥協を迫れるカードはなかった。それがあるのはアメリカだけ、北が交渉できる相手は最初からアメリカしかいない。


とりあえず金正恩にとっては、朝鮮戦争が国際法上ではまだ「休戦状態」であることは変えなければ国の将来がないわけで、そのために使える外交カードが核とミサイル以外に見当たらないような状況に追い込んだのは彼が権力を継承してからの、例えば拉致問題の再調査の申し出をうやむやに誤摩化した日本の安倍政権や、韓国の右派政権、李明博と、とりわけ金正日への代替わり時点の政権担当者だった朴槿恵の対米従属・北敵視政策だった。北朝鮮から見れば韓国の右派はなぜ人種差別丸出しの植民地主義に与するのかとしか見えず、韓国ではその朴槿恵はすでに失脚して判決を待つ被告人の身であり、右派政権の過去の軍事独裁時代から本質的に変わっていない権力私物化体質の刷新を掲げて当選したのが、今の在文寅大統領だ。

ちなみにその韓国右派の源流であり腐敗体質・権力私物化の源泉でもある軍事独裁政権を支えた後ろ盾がアメリカだった過去も、韓国国民は忘れていない。共同宣言に「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」明記されたのには、こうした歴史的背景もあるのは見落とすべきではないだろう。北朝鮮から見れば南北の分断を固定化させたのはなによりもアメリカの陰謀であり、他の要因もあるにせよ、韓国を冷戦の極東における最前線にしようとしたアメリカの意向こそが南北分断の最大の原因であり続けて来ているのも、客観的に見れば確かにその通りなのだ。

いやソ連はどうなんだ、金日成の後ろ盾だったのはソ連ではないかと言うのなら、そんな国はもう四半世紀以上前になくなっている。アメリカの自由主義が共産主義に勝ったと言うのなら、勝って世界の覇者となった側に一定の責任があるのは当たり前だ。 
ヨーロッパで鉄のカーテンは崩れたのに朝鮮半島は分断されたままだったのはなぜか? はっきり言えば当時はまだヨーロッパ出身移民の子孫が中心の白人国家だったアメリカでは、極東アジアの朝鮮半島に関心がほとんどなかったことと、西ヨーロッパが曲がりなりにも民主主義国家だったのに対し、韓国は永らくアメリカの傀儡的な軍事独裁政権で、冷戦の終末期にやっと民主化が始まったばかりだったからだ(ちなみに韓国の民主化を「自由と人権」を常に大義名分にしたがるアメリカが支援したわけでもない)。

北朝鮮からみれば、韓国の政権が自分達を敵視する対米従属の右派ならまだしも、同じ民族の同朋が「平和の祭典」を開催するから祝福し、参加したいというのもこれまた当たり前で、これまた北朝鮮には隠し立てするところはなにもなく、「いっそこのまま記者の皆さんの前で公開で会談を」という提案を北朝鮮側ができたのも当然だ。むろん実を言えばたった2人、フィギュアのペアが一組だけの参加なのはいささか肩すかしではあるが、たったそれだけのことをこれだけ有効な外交カードに使いこなす(しかもオリンピックが民族の名誉だから協力したいこと自体は噓ではない)だけ、北朝鮮の外交は頭がいい、自国の交渉カードで国際的になにが通用してどう使えば有効なのかを考え抜いている、というだけのことでしかない。

逆に言えば、かつて1988年のソウル五輪の前に北朝鮮がテロ行為を繰り返したことを上げて「北朝鮮がオリンピックを妨害するはずだ」と思い込んで来た側が馬鹿を見ただけで、当時は冷戦の東西対決の末期だったわけで、今では状況がぜんぜん違う。むしろそんな時代錯誤な偏見に凝り固まった側のはっきり言えば頭の悪さが、あっけなく北朝鮮に裏をかかれただけだ。

日本のメディアの論調は北朝鮮がオリンピックを利用して韓国をアメリカや日本から分断しようとしていて、騙されている韓国はけしからんと言わんばかりだが、まさに「バカも休み休み言え」の典型だ。

軍事同盟はあっても、アメリカも韓国も日本もそれぞれに、国益も立場も異なっている。こと北朝鮮が今回の交渉で明言したように、核とミサイルの開発の標的はアメリカであって同朋にそんなものは向けない、というのであれば尚更のことだが、ぞもそも現在の懸案はアメリカに届くICBMの開発を許すかどうかで、トランプ支持者の求めるアメリカ・ファーストで言えば韓国や日本を犠牲にしてでも北朝鮮にそのミサイルの開発は許すな、という極論にすらなりかねないことにまったく危機感がない日本外交はどうかしている。

逆に言えば日本だって、日本列島を射程に納める中短距離ミサイルなら300発以上はすでに実戦配備されているのだ。韓国だけでなく日本にとっても、ICBMの開発は実はその安全保障にはなんの関係もない。なのにアメリカに届くミサイルを阻止するための軍事行動の報復攻撃で日本に核を搭載した中短距離ミサイル(これはとっくに実戦配備されている)が飛ぶことでも望んでいるとしか思えないのが、「韓国がアメリカや日本から分断される、韓国は騙されている」と言いたがっているガラパゴス安倍政権のニッポンだ。


それどころか「日米韓の結束」を自らぶち壊しにしたがっているとしか見えないのが日本政府だ。

南北会談と同日に、韓国外務省が2年前のいわゆる慰安婦問題「日韓合意」についての結論を発表した。この日程についてまで日本政府は疑心暗鬼に陥っているが、調査報告を昨年公表している以上は、南北会談とほぼ同時になったのは基本的に偶然の一致に過ぎない(強いていえば、北朝鮮が見計らったタイミングがそこも含めてだった可能性はあるが)。

この結論は極めて分かり易いものだが、日本のメディアは一生懸命に「分かりにくい」と印象操作に徹している。まず問題はあっても国家間合意なので、一応破棄はしない。慰安婦制度の被害者の皆さんの「癒し」と「和解」ならば、彼女たちが韓国国民ならばそれは韓国政府の責任なので、日本が拠出した10億円は要りません。「不可逆的な合意」はあるのでこれ以上韓国から日本にとやかくは言わないが、被害者が納得できる謝罪に務める義務が日本政府にあるのは、当然分かっていますよね、と言うこの上なくシンプルかつ当たり前のものだ。

要するに日本が、というか安倍政権が韓国に「ちゃんと謝ろうね。そしたら許してあげるから」と言われただけのことで、わざわざ「自発的で心のこもった謝罪」と言われたのがカチンと来るのは、気持ちは分からないでもない(他人から「自発的に」と言われるのは本来は矛盾していて、子供を叱るときくらいしか用いられない上から目線レトリックだ)が、これも自業自得だ。2015年の日韓合意の公表された3項目の第1は、安倍首相が「心からのお詫び」を表明することだったはずだが、日本側によればその義務は岸田外相がその文言を共同会見で読み上げただけで済んだことになっているらしい。

いったいどこが「心から」なのかそもそも理解不能だし、日本国内ではこれが合意内容の第1だったことすら無視されている。

だいたい子供の喧嘩の仲裁じゃあるまいし、一回謝ったからもう水に流してお互いに言いっこなしにしましょう、なんていうのが死亡者や事実上殺害された者も多い深刻な人権侵害で通用するわけがないだろうに、いったいなにをもって「最終的」と日本政府は言っているのか?

政府高官(と新聞で書かれるということは、菅義偉官房長官かその副長官のこと)は「一度行うと『次はこれ』『次はこれ』と要求される。そうならないために合意に『不可逆的』と盛り込んだ」と言い訳しているらしいが、今さらバレている噓になぜ固執して国民を騙そうとしているのだろう?

「不可逆的」はすでに韓国外務省の調査報告でも事実関係が確認されているが、韓国側が日本に要求したことで日本側が「盛り込んだ」ものではない。つまり河野談話による謝罪が日本政府の公式見解で、2015年末にも安倍首相が「心からのお詫び」を表明したことが「不可逆的」だと言質を取られたわけで、つまりは、もうこれはひっくり返しませんよね、「ただの売春婦」だの「でっち上げ」だのの暴論は今後は一切言いませんよね、しっかり反省してその反省を翻すことはありませんよね、という再確認でしかなく、日本政府が国内向けに印象づけようとしているような「10億円払ったんだから今後は慰安婦の『慰』の字も言うな、国民にも言わせるな」なんて意味には最初からなろうはずもない。

河野外相は韓国外務省の発表にさっそく「抗議」をしたそうだが、その中身は「さらなる措置を求められることはまったく受け入れられない」だというのだからトンチンカンな言いがかりもほどほどにして欲しい。そんな「さらなる措置」なんてまったく要求されていないどころか、日本政府の「措置」のつもりだった10億円も「要りません」と言われただけだ。

日本政府には抗議する理由なんてどこにもない。安倍首相が「心からのお詫び」を表明するのが合意の中身なのだから、「自発的で心のこもった謝罪」が期待されるのは理の当然だ。これ以外に韓国外務省は日本政府になにも求めておらず、10億円も「要らない」と言っているのに、なにが「さらなる措置を求められること」になるのか? だいたい安倍自身が「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」がいたと認めている(戦後70周年談話)ではないか。確かにこの受動態の一文の主体は曖昧だが、まさか「日本軍の被害者のことではない」、戦後の占領下での米軍のレイプ被害者のことだとでも、いきなり言い出すのだろうか?



いくら安倍だってまさか「お詫び」はするが「謝罪」ではない、という意味不明な詭弁でも始まるのか、というのはさすがにないとは思うが、朝鮮民族は儒教の伝統があり、敬老精神が文化の重要な一部になっている。韓国が北朝鮮に、その高齢の、それも戦時性暴力の被害者をこうも侮辱して植民地支配についてなんの反省もない日本の言いなりになるのか、と言われれば…というか言われる前から、韓国政府は沽券にかけても、安倍の「お詫び」ないし「謝罪」をうやむやにする態度を許容できるわけがないし、国際社会にも支持されない。

これでは対北朝鮮の「連携」が必要なときに、自国の身勝手どころか総理大臣の個人的な趣味だけで日韓を分断させているのは、一方的に日本側ではないか。それどころか安倍の訪米時に慰安婦制度被害者に対する不誠実な態度を批判したのはアメリカでも特に与党共和党だし、#MeToo というセクハラ被害者女性の告発が大きなうねりになっているのに、安倍はセクハラ疑惑がささやかれ性差別主義者だと批判されているトランプとなら「個人的な信頼関係」が築けるとでも思っているのだろうか?


それに韓国外務省は要するに、10億円なんてどうでもいいので自発的な謝罪を、と言っているのだ。はっきり言ってしまえば日本にとってはタダで済むことでもある。安倍さんとネット上の熱烈支持層が悔しがって前後の見境のつかない興奮状態に陥ること以外に、日本国民にとってなにも損をすることはない。

1/05/2018

新年早々、北朝鮮の「打ち上げ花火」(は多分ない)


新年あけましておめでとうございます…

広重 名所江戸百景 霞かせき 安政4(1857)年

…と始まった新年のニュースでさっそく、米メディアが北朝鮮がまもなく大陸間弾道ミサイルの発射実験を行う可能性を報じたと騒いでいる。「めでたさ」本来とは別の意味でのいかにもオメデタイ話にうんざりするが、まずそろそろ、いい加減学習してもいいのではないか?

昨2017年中に17回ミサイルが発射されたなかで、なにかの記念日に合わせてミサイルが発射されるのではないか、というメディアや識者の “予測” は、ことごとく外れている。

記念日に合わせての発射だったのは、アメリカの独立記念日のお祝いだとアメリカ合衆国本来の国是でありその独立戦争の正義にわざと言及して痛烈な皮肉を飛ばした時と(確かに超大国の力任せに北朝鮮のような小国を押さえつけるのは、アメリカそれ自体が体現するはずの理想への裏切りになる)、帝国主義時代の日本による朝鮮半島侵略が完成された1910年の日韓併合の記念日に合わせての発射だけだ。この時には北朝鮮政府がその旨を明言して自国に向けられた非難を今の日本の歴史無視・歴史修正主義批判へと、鮮やかにひっくり返してみせた。

この後者については、日本メディアは懸命に言及を避けているが、そんな国内引きこもり的な独りよがりでは、かえって北朝鮮に一定の正当性を与えてしまうだけだ。 
過去の日本が東アジアと世界の平和に挑戦し乱そうとした加害国であることは変えようがないし、しかも当時の日本は、今の朝鮮労働党体制どころではない軍国主義国家だった。北朝鮮はその直接被害国だ。 
その反省を前提にしない限り、日本がどう北朝鮮を非難しようが、返す刀で「お前が言うな」と国際的に認識されておしまいなのだ。 
逆に言えば、毎年の終戦記念日などで口先だけでいいから反省を明言して、現代の民主主義国家日本はかつての侵略国家日本とは違うと明示さえし続けていれば、それだけで(はっきり言えばタダで)済むことなのに、なぜそんな簡単なことが出来ないのだろう? 

どうせ報道されたとたんに結果として虚報になる(つまり大きなニュースに既になっているのだからわざわざやらない)公算が高い以上はまったく重要性のない、それも別に独自取材でもなく外国の同業他社の受け売りで、新年早々にこの大騒ぎとは、いかにも志が低くて幸先が悪い上に、頭の悪さとヒステリックな妙な共感性依存体質ばかりをなにもわざわざさらけ出すこともあるまいに。

北斎 富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図 19世紀

これまでミサイル発射がある度に、日本政府はまったく意味がないJ-アラート(弾道ミサイルが日本の「上空」ではなく「日本の上の人工衛星より高い宇宙空間」を通過するときは慣性の法則で地球の引力と拮抗する力で放物線を描いて移動しているので、日本に落ちて来るわけがない)をわざわざ発令したり、小学生に昔懐かしい防災頭巾をかぶらせて避難訓練をさせたりして危機感を煽ろうとする一方で、発射の度に「事前に察知していた」と強弁もして来た。

むろん世界最強のアメリカの軍事衛星偵察システムがあるのだから、ある程度の監視は可能だし、そこで得られた情報は日本政府も直前にもらうことが出来る。だが北側から見ればミサイル演習や実験の準備まではしても、本当に発射するかどうかは、あくまでその時々の状況とその状況から産まれる戦略的効果による。

つまり北朝鮮の一挙手一投足がここまで注目を集めているからこそ、ますます外交的に最もインパクトのある時を狙って戦略的に考え抜くのが当然なわけだし、逆に言えば一般メディアまでが「発射の兆候」を把握しているのなら、そのタイミングで撃ったところであまり(というか、普通ならまったく)意味がない。

つまり米メディアの報道にわざわざ正月のトップ・ニュースにする価値は、それが報じられたとたんにまったくなくなってしまうし、どっちにしろまかり間違って米朝開戦となるとしてもそれはアメリカが仕掛ける場合のみで、北がいきなり先制攻撃なんて絶対にあり得ないというのに、よくもまあ無意味なニュース報道で空騒ぎの火に油を注ぐものだ。

広重 名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田 安政4(1857)年

いや、もっとはっきり言えば、北朝鮮はすでに移動式の発射台などの技術を持っているのだから、本気で駆使すればアメリカの軍事衛星偵察システムからさえ兆候を隠すことも理論上は可能なはずだ。なのにたかが米メディアが「発射の兆候」を報道できるというのは、むしろ北朝鮮がそう報道するように仕向けている(つまり、わざと発射準備に見えるような動きをした)可能性も、排除しない方がいいのではないか?

つまりは金正恩がわざと蒔いた餌にあっけなく飛びついて、赤子の手をひねるようにいいように弄ばれているだけなのではないか?

英一蝶 大井川富士図 江戸時代17世紀

なんと言っても核とミサイル開発は、金正恩政権にとって日本やアメリカや韓国が自国に注目するように仕向ける最も効果的なカードになっている。しかもそのカードの有効性は、他ならぬ日米韓の3国や中国が証明し続けてくれているに等しい。

核兵器はその存在自体が道徳的に(つまり少なくとも建前としては)絶対悪であるだけでなく、実務の問題でもたいがいの核保有国にとって核兵力の維持は、とっくに大国なのにいまさら大国気取りの虚勢を張りたがる自己満足以外には、なんの役にも立たない冷戦期の惰性でしかなく、壮大な税金の無駄に過ぎない。
 
オバマが核廃絶を訴えたのも、核兵力の維持にかかる膨大な国費が財政上無視できない負担になっているという現実をなんとか変える狙いもあった。結局は絵に描いた餅で、オバマ政権下にアメリカの核軍備は更新され続けるどころか増強さえされてしまったし、最後の切り札だった核兵器使用を人道上の罪として謝罪することも、その人道犯罪の被害国であるはずの日本に(なぜか)阻止されてしまったのだが。 
だがこの北朝鮮の核武装計画の場合、確かに「核保有」は外交的に極めて効力のあるカードとしてちゃんと利用は出来ている。

北朝鮮にとっては国民生活を犠牲にして膨大な資金を注ぎ込まなければならない核開発だが(だから金正恩は就任当時、父が進めていた核開発ではなく国内産業の育成に予算を向けようとしてもいたが、諸外国に無視され続けるなかで方針の転換を余儀なくされた)、周辺諸国が大人げない対応をし続ける限り、決して「ただの無駄」にはなっていない。

むしろ代替わりの直後に韓国や日本に対して関係改善を働きかける比較的まともな外交姿勢に方針を転換しようとしても(韓国にはお互いの罵倒を止めようと提案し、日本には拉致問題の再謝罪と再調査を申し出て、第二次大戦の日本人戦争遺族を中朝国境地域への墓参に招待もした)単に無視されただけだった以上、核とミサイルというカード以外に、金正恩が国際社会のなかで中国の属国状態と偏見で見られ続けることから抜け出して、北朝鮮の未来を切り開けるカードは、他になかったとすら言える。

言い換えれば、現代の国際社会に国連憲章に謳われているような理想を少しでも尊重する姿勢があれば、金正恩政権は核やミサイルの開発ではなく他のもっと建設的な分野に国費と国力を注ぐことも出来たし、現に金正恩自身が最初はそういう改革をやるつもりだった。だが例えば拉致問題を再び謝罪して今度はしっかり調べると申し出ても、単に無視されただけで日朝関係も北朝鮮の地位も、なにも改善しなかった。

それが核とミサイルをちらつかせるだけで、周辺の諸大国は金正恩の一挙手一投足にひたすら注目する。オバマ政権はまだ「戦略的忍耐」と称してとにかくなんでもひたすら無視を決め込んだので、北がどんな騒ぎを起こそうにも不発に終わったのが、ちゃんと反応して積極的に関わろうとするトランプ政権なら、米朝交渉に引きずり出せる可能性も相当に高い。

歌麿 合惚色の五節句・正月 18世紀

冷静に、客観的に見れば、たとえば日本政府が対米従属に徹しつつ「圧力」一辺倒を口角泡を飛ばし叫びつつ、その裏で恐らくはあの手この手でアメリカ政府に働きかけて強硬姿勢に誘導すらして来たであろう(ワシントンでロビー攻勢に専念して来たとしても驚くに値しない)この数ヶ月の結果は、なんと周辺のどの国に較べても吹いて飛ぶような国力しかない、経済的・産業的にもあまりに遅れた貧しい小国でしかないはずの北朝鮮の、日本も含めた周辺諸国に対する圧巻の外交的勝利の連続になっている。

逆にこと日本の国益という観点で言えば、なんの戦略性も出口戦略もなかった「圧力」方針は、金正恩政権に着々と核弾頭と弾道ミサイルの技術開発を進めて完成に近づける時間稼ぎをみすみす許しただけだった。

いわば安倍政権がこそが、北朝鮮の目標達成に貢献して来たとすら言えてしまえそうだ。

日本から至近に核武装国が出来てしまうこと自体は、もちろん日本の安全保障にとって決してプラスではない。そんな明らかに国益に反する状況を日本政府自身がみすみす自らの無策で招いてしまっただけが「最大限の圧力」の結果だし、日朝関係の日本にとっての大懸案であるはずの拉致問題も、「圧力」を叫ぶだけで交渉パイプを自ら潰してしまっている現状では、ますます解決の見込みも遠のくしかない。

北斎 太夫の書初め 文化4(1807)年

もっとも、国民の利益ではなく政府というか安倍政権の利益から言えば、拉致は決して解決してはいけないし、被害者家族はひたすら「気の毒な人々」であり続けてもらわなければ利用価値がなくなるのも確かだ。しかも本気で解明・解決をしようとすれば、その過程で安倍政権が決定的に不利になる事実が次々と明らかになってしまう(要はなにもせず、むしろ解決を妨害し、被害者家族を選挙等にひたすら利用しつつ、その被害者家族にさえ圧力もかけて黙らせようとして来ただけなのが安倍晋三とその周囲)のが実情だ。

北朝鮮の核武装が現実化しつつあることですら、安倍政権にとっては日本の安全保障は実はどうでもよく、国内的に防衛予算の増大させたり憲法9条を改正するには確かな追い風として政権の求心力を高める効果だけを狙っているとしか思えないし、現にその効果だけは上がっている。

外交的には大惨敗としか言いようがない安倍政権の動きだが(トランプ来日でアメリカ製最新兵器の購入をあっけなく飲んでしまうなんて、あまりにみっともないし)、これが外交も安全保障も実はどうでもよく、「国難」を煽るだけ煽って政権基盤を固めようと意図したコップの中の嵐的な陰謀だったとしたら、驚くに値することは何もないのかも知れない。

渓斎英泉 書き初め美人 19世紀

さて一方の北朝鮮・金正恩政権はといえば、新年早々のミサイル発射の「可能性」に興奮していた日米をあざ笑い、その梯子を外すかのようなサプライズの新年の訓示を発表した。

まず金正恩は「核戦力の完成」を宣言し、アメリカ大統領の有名な核のボタン(大統領がどこに行くのでも携帯用の発信装置がついて行くことになっているらしい)をあてこすって、アメリカに撃ち返せる「核のボタン」は「いつでも私の仕事場の机の上にある」と述べた。

トランプはさっそく「私の机の上にも核のボタンはあるし、こっちの方が強力だ」と大人げないツイートで言い返して、またもや金正恩の計算通りに乗せられたわけだが、普通に読めばこの発言の外交的メッセージは、要するに核開発はもう「完成」したのだから北としてはこれ以上の核やミサイル発射による威嚇・挑発はやらないでもいいのだが、米韓日の側はどうするつもりなのか、とボールを投げた内容になっている。

ならばアメリカだって返すべきボールが何なのかも、それ以外の対応があり得ないことも百も承知なのに、それでは「リトル・ロケットマンの言いなり」になってしまうのが、トランプにはやはりよほどシャクに触ったのだろうか。

歌川豊春 新板浮繪七福神寶舟湊入之圖 18世紀

もちろん、ここで周辺諸国が判断を間違えさえしなければ(ただしそれは、北朝鮮の狙った通り、にもなってしまう)、この核とミサイル問題は完全な「解決」とまでは行かなくとも、偶発的な戦争が起こりかねないようなヒートアップした危機は回避されるのだし、現にトランプ政権もすぐに態度を翻すことになった。

なんと言っても北朝鮮がこれ以上、核実験やミサイル演習を続けなくなる可能性だけでも安全保障上の成果は大きい。

…というか、本音で言えば金正恩だって、これ以上核やミサイルに国費を注ぎ込み続けるのはできれば止めにしたい。その必要さえなければ、同じ資金を国内の産業整備やインフラ事業に注ぎ込めれば、それに越したことはないのだ。 
 だからこそ北朝鮮は足下を見られないように、その本音はわざと隠して来た。アメリカのメディアが新年早々にミサイルを発射する観測を報じたのも、だからこその陽動作戦だった(わざとそう見られるかのような動きをさせた)可能性すら否定はできない。
要は自国がアメリカにいつアメリカの核攻撃で全滅するか分からない、というようなリスクを排除するのと、中国が今後は露骨な属国扱いはしないこと、あとは日本が差別意識丸出しの侮蔑的な態度を今後は控えることさえ実現できれば、あえて大金を注ぎ込んでこうした敵対姿勢を続ける理由なんて、そもそも北朝鮮にはないのだ。


魚屋北渓 三升福禄壽・布袋 19世紀

この新年の訓示で本当に重要だったのはもちろん、北朝鮮がこれまで沈黙を通して来た韓国・平昌で開催される冬期オリンピック(1988年のソウルの夏期オリンピックについで2度目の朝鮮民族が主催しホストになる大会)について、祝福・歓迎する姿勢を明確にし、参加の意志も示したサプライズだ。

つまりは年末にアメリカのメディアがミサイル発射の兆候を報道した、つまりはアメリカのメディアが報道できるほどあからさまに北朝鮮がミサイルの発射を準備しているかのような動きを見せたのは、やはりこのサプライズ効果を高めるための陽動作戦というか、要するにアメリカのメディアも日本のメディアも騙され引っかかって踊らされただけだったのだろう。

韓国政府には当然ながら、これに応じて南北対話を始める以外の選択肢はない。さっそく文在寅大統領が歓迎の意を表明すると、北側はすぐに板門店の南北ホットラインも復活させ、高官レベルの会談の準備まであっというまに始まった。

日本のメディアは米朝対立がより激しくなってくれなくては困る安倍政権(北朝鮮のお陰で支持率がなんとか維持されているのが、「国難」を標榜してうやむやにできて来た森友・加計学園疑惑も再燃するし、政権に近いペジー・コンピューティングの助成金詐欺事件にリニア新幹線談合など、より巨額な「オトモダチ優遇」疑惑も山積している)を必死で忖度するように、これが北朝鮮による米韓の結束にクサビを打ち込む陰謀で、乗ってしまう文在寅は愚かだ、と言わんばかりの論調を取っているが、馬鹿も休み休み言って欲しい。

国際平和と正義の観点からして、韓国政府には北朝鮮のオリンピック参加の意向を歓迎する以外の対応はそもそも出来ないし、アメリカだってそこには反対できないのだ。

産経系の極右夕刊フジなどは「アメリカが韓国に激怒」とか、今度は米韓戦争が始まるみたいな妙な期待に染まっているが、米韓にクサビどころか韓国を使ってアメリカを交渉に引きずり出すことも可能なのが、北朝鮮の外交戦略だ。

この流れに抵抗すれば、それこそ「韓国は平和の祭典を主催するのに戦争をやりたがっているのか?」と思われるだけだし、そもそも戦争をやりたがっているのは日本であって、韓国では一部の狂った右派はともかく、文在寅は「愛国心」と彼が言う時にはそれは朝鮮民族の総体が対象で、性急な半島統一は当分は不可能でも南北朝鮮は融和すべきだ、というのが信念だし、圧倒多数の国民は、何十万人か、運が悪ければ何百万もの犠牲が避けられない対北朝鮮戦争が現実の選択肢になれば絶対に反対する。

国貞(三代豊国) 七福神 19世紀

逆に言えば、これもまたもや、金正恩のまだ30を過ぎたばかりの若さとは思えない老獪な外交手腕を示す、相手国の都合や利害や行動原理を考え抜いた上で戦略的にタイミングを見計らった一手だった。

つまりはまたもや、北の計算通りの、圧倒的な外交的勝利だ。

なにしろ米韓両国のあいだでは、「北朝鮮は参加しないだろう」という前提で、平昌オリンピック前とその期間中は米韓軍事演習は延期する、という合意の形成が昨年暮れから既に進んで来ていた。

この合意が検討され始めた時点では、北朝鮮は五輪への参加についてなにも言わず、国際オリンピック委員会からの参加の意向確認にも(恐らくはわざと)なにも返事をしていない。そこで米国や韓国の右派や日本では「北朝鮮は国際平和に反して挑発的な態度を取り続けるに違いない」「オリンピックを妨害するためにテロ事件を起こす」などとレッテル貼りに耽溺し、その対比で自らはオリンピックに参加し協力する国際社会の側だという格好を演出するプロパガンダで、北に対する道徳的な優位を(主に国内向けに)示そうとすらしていた。

金正恩はその自惚れのスキに見事につけ込んで、米韓(とくにアメリカ)の鼻を明かしてみせたわけだ。

作者不詳 江戸の正月 天保8(1837)年

アメリカにしてみれば、いかに北朝鮮に逆転されて主導権を握られ、金正恩の狙った通りの結果になるのが悔しくとも、今さら米韓軍事演習の延期を撤回するわけにはいかない。国防総省もさっそく米韓軍事演習をパラリンピックの終了までは延期すると早々に発表した。悔し紛れに北朝鮮の五輪参加を評価するのではなく、大会開催中は軍事演習による交通の制限などを避けるため、という言い訳を付け加えてはいるが、演習を少なくとも延期はしなければ平和の祭典オリンピックをアメリカが妨害した、という形になってしまうのは、いかに「アメリカ・ファースト」のトランプでもそんな状態に自らを追い込むわけには行かない。

つまり事態が北のペースに乗せられて進展することはアメリカも避けようがないし、北朝鮮はアメリカをその立場に追い込む計算で情報の出し方をコントロールして来ていたのだろう。

北斎 七福神 文化6(1809)年

次の焦点はもちろん、合同演習が今のところ「延期」であるのを「中止」するようにと北朝鮮が要求して来るかどうか(というか、これはほぼ確実にこう言って来るだろう)、そしてその要求に米韓がどう応えるかだ。

韓国の右派と、それ以上に日本は、強硬に反対するだろう(両者ともアメリカべったりの対米依存であると同時に、自分たちの憎悪の対象をアメリカが撃滅してくれることで自分たちの権威権力が担保されるのだと、あらぬ期待を抱いている)が、文在寅政権は「無期延期」か、年内は見送るくらいまでは本気で検討するだろう。もともと米韓合同軍事演習は、文在寅にしてみれば断る理由も見当たらないのでアメリカや国内右派に合わせるしかなくやって来たことに過ぎないのが、これで平和の祭典のオリンピックが断る大義名分になったのだ。

そしてアメリカに対しても、これを機に米朝対話を本格的に始めるように、という圧力が国際的にかかることにもなる。逆に言えば、このまま米韓合同軍事演習をアメリカが強行してしまうなら、世界の平和を乱す悪者になって国際的に白い目を向けられるのは、北朝鮮ではなくアメリカなのだ。

しかも米韓合同演習をただ「延期」するだけで、オリンピック後にはまた米朝対決を再開するという態度をアメリカが取るのなら、北朝鮮の態度が「ならば結構、そのあいだもこちらは黙々と核とミサイルの開発を続ける」となるだけだ。つまりは「延期」だけに留めてしまえば、米本土に直接攻撃が可能な弾道ミサイルをいよいよ本当に完成させるためのさらなる時間稼ぎを2ヶ月以上も、北朝鮮にみすみす与えることにしかならない。

北斎 見立て大黒・弁天・恵比寿 江戸時代18世紀

NHKがわざわざアメリカでも世論調査をやって脅威と感じる者が8割と報道しているが、アメリカ国内的に北朝鮮の核問題が「脅威」であるのは、単に金正恩政権が、というわけではないし、現にNHKの質問項目もなんのことはない、あくまで「米朝戦争が起こること」を脅威として感じるかどうかだった。

「なにしろこっちの大統領もトランプだし」「トランプのことだから非常識で愚かなことをやってしまうのではないか」という不安も含めて脅威を感じているのがアメリカ国民であって、しかもアメリカが深く関わり続けている中近東情勢に安定の気配がまったく見えない(むしろトランプが新たな混乱を招いてしまっている)なかで、今度は東アジアで戦争など無謀でしかない上に、理論上はアメリカ本土全体を射程に収める火星15号ミサイルも、北朝鮮はすでに持っている以上は、米本土の大都市とそこに住むアメリカ国民の声明すら危険に晒すことになる。そんな軍事行動に賛成できるのは、アメリカ国民のなかでもごく一部の、世界を知らず根深いコンプレックスに囚われている人々だけだ。

だいたい日本が期待しているような「北朝鮮はけしからん、やっつけてしまえ」などという積極的な世論は、アメリカにはほとんどない(というかそもそも北朝鮮なんてどうでもいいし、朝鮮半島がどこにあるのかもよく知らない)。

北斎 宝船の七福神 19世紀

アメリカが東アジア外交でもっとも重視しなければならない相手国は当然ながら中国であり、トランプにとって幸いなことに、習近平もそこを深く理解してトランプ個人との信頼関係をしっかり構築して来た(それに有能な豪腕政治家の習近平は、トランプにとって個人的に敬意も抱くし話も合う相手なのは、安倍とは大違いだ)が、その裏では中国政府にとっても、今の北朝鮮は最大のアキレス腱のひとつになってしまっている。

なにしろ父の金正日の時までは事実上の属国だったのが、息子の金正恩はまったく言うことを聞かないどころか、むしろわざとことごとく北京の意向に反対し、「図体がでかいだけの間抜けな周辺諸国」とまで痛烈に罵倒して、徹底的に馬鹿にして来ている。大国としての立場とアイデンティティを鮮明にしつつあるのが今の中国なのに、その盟主を気取る習近平がたかが北朝鮮すら従わせられないという現実が明らかになってしまえば国家の沽券に大いに関わり、チベットや新疆ウイグル自治区の独立運動などを勢いづけてしまうだけでも大変なリスクだ。

ここはなんとしても米中が連携して北朝鮮をねじ伏せなければいけないのだが、北京にとってさらに厄介なのが、その国際的な手段には経済制裁しかないことだ。

今の中国の国民は経済発展こそが国のためであり自分達国民のためだと考えている。北朝鮮との付き合いが現に金儲けになっていて、それが今後の商売の上でも重要だと考えれば、政府の命令になぞ従わないし(というか中国国民はそもそも、自国政府をそんなに信用もしていないし権威も感じていない)、ましてアメリカの言いなりになぞもっとなるわけがない。国民の本音レベルでは一歩間違えれば「政府はなにを馬鹿なことを言っているのか」としか思われなくなる経済制裁への参加は、北京政府も実効性が元々担保できないのが実情で、とはいえこうも反抗的な北朝鮮に対する国際的な制裁に参加しないのは中南海の沽券に関わるので、だましだまし参加するしかない。

その上北朝鮮と国境を接し、もっとも関係が深い旧満州はもともと漢民族の土地ではなく、満州族、モンゴル人、朝鮮族など少数民族が多く北京政府への不満も不信も元から強い。政府の都合にそう従順に従ってくれる人々ではないのだから、その不満を長引かせるわけにはいかない。

つまり習近平にしてみれば、今のところはできるだけトランプに歩調を合わせはするが、協力するから早く金正恩とカタをつけてくれ、というのが本音だ。

窪俊満 七草 19世紀

ロシアのプーチンにとっては、とにかくウクライナ問題以降の経済制裁を主導するアメリカの権威を失墜させ「アメリカ側」の陣営を瓦解させることが重要な外交目標なので(そのアメリカのヘゲモニーを破壊しなければ、ロシアは二流国扱いのままになる)、北朝鮮問題がどちらに転ぼうが、それをアメリカの愚かさや不道徳さをあげつらう手段に用いるに決まっている。

魚屋北溪 七草売り 19世紀

北朝鮮はつまり、国際的にも米国内的にも「トランプいいかげんにしろ」という声の方がいつでも沸き上がりかねないタイミングを見計らって、平昌オリンピックへの参加の意向を明らかにしていたことになる。

しかもとたんに急ピッチで話を進めることが出来ていると言うことは、一ヶ月前になって突然オリンピックに参加することになったかっこうの選手たちのトレーニングも含めて、海外に察知されないように万端の準備を重ね、あとはこの五輪カードを切る最良のタイミングを考え抜いて来た策謀だったのだろう。

金正恩は元々、代替わりの直後には韓国の、38度線からたいして離れていない平昌でのオリンピック開催が決まったのを見込んで、38度線のすぐ北にスキー場を建設させている。つまり共同開催も視野に入れていたわけで、右派系の(というか軍事独裁者・朴正煕の娘である)朴槿恵の敵視政策で断念していた。日本もまた朴槿恵以上に北朝鮮を敵視するというか、差別意識丸出しの安倍政権なわけで、この2国が金正日から金正恩への代替わりが関係改善のチャンスだったことを見逃していなければ、そもそも今の核・ミサイル危機は起こっていない。

オバマ政権も韓国と日本を無視するわけには行かないから、「戦略的忍耐」つまり「なにもしないこと」以上の対応は出来なかった。現状を冷静に見れば、要するに米日韓の3国にはそのツケが突きつけられているのだ。

魚屋北溪 三十六禽続・犬 19世紀

朝鮮半島は南北合わせた全体で見ても、人口の面でも面積でも小国でしかない。歴史的にもはっきり言ってしまえばほとんどの場合、中華帝国にひたすら付き従う朝貢国・衛星国でしかなかった。

それでも現代の韓国は経済発展と、東アジア・東南アジア圏を中心に世界に向けた文化輸出政策を民主化後の国が強力に後押しして来たことで、かなりの国際的なプレゼンスを獲得しているが、もう一方の北朝鮮は、大国が主導する国際政治の枠組みのなかで、こう言っては悪いが吹いて飛ぶような存在感しかない国だ。

その北朝鮮がこれだけの国際政治上の注目を集めるよう巧妙に立ち回り、「綱渡り」「瀬戸際外交」と大国のメディアがいかにムキになって揶揄し貶めようとしようが、しっかり自らの地位と発言力と国益を確保し、国内でいかに深刻な貧困や食糧不足や政治弾圧などの問題を抱えながらも、外交的には連戦連勝を重ねて来ているのだ。

しかもその指導者はまだ30を過ぎたばかりの若者のはずが、その外交は老獪で狡猾極まりなく、しかも大胆で、しっかりと計算どおりの結果も出している。

金正恩の政治能力が高いからだ言われれば、ドナルド・トランプや元側近のスティーヴ・バノンですらそう認めている通りなのだろうが、それ以上に日本が(曲がりなりにも大国だというのに)あまりに無能にして非常識でプライドのかけらもなく、あまりに情けなさ過ぎはしないだろうか。

広重 名所江戸百景 高輪うしまち 安政4(1857)年

他に使えるカードが他にないから核とミサイル、という選択は、もちろん倫理的には大いに問題だ。こと唯一の戦争被爆国である日本の国民としては許せないのはその通りだ。

しかし日本がそれを言うのなら、自らがアメリカの「核の傘」が必要だなどとはそれこそ建前だけでも絶対に言ってはいけないダブルスタンダードにしかならず、日米安保があるからと言って、そこまで卑屈になって自国民の被爆者をあからさまに裏切り侮蔑してまで媚を売る必要はない。

日本列島にとって「北朝鮮の核武装は脅威」なのもその通りだが、それを言うならアメリカが在日米軍基地、とくに沖縄という足がかりを持っていて、いつでも北朝鮮の全土を壊滅できるだけの核攻撃が可能な体制を維持している(日本政府への通告義務がないので、現状で沖縄の核弾薬庫に再び核弾頭が持ち込まれているのは十分にあり得る、というか当然持ち込んでいると考えるのがまともな軍事安全保障上の思考)ことも、日本国民ならば許してはならないはずだ。

礒田湖龍斎 水仙に群狗 18世紀

それに北朝鮮が本来なら持っていた、外交上の他の「使えるカード」として、日本相手なら拉致問題の再謝罪と再調査を申し出て来たのは北朝鮮だし、その当時には安倍政権下で在日朝鮮人や朝鮮総連に対する露骨に人種差別的な言動が政権の熱烈支持層から出て来ていたり、政策面や司法の動きでもそうした人種差別が補完されていた(たとえば朝鮮学校の高校無償化からの除外、たとえば朝鮮総連本部ビルの差し押さえ)こともあえて直接明言はせずに、日本政府に在日朝鮮人の人権の保護を今後もしっかりお願いする程度の言い方で済まして来ていたのを、不誠実さ丸出しに無視して、新たな拉致被害者救出の可能性すら潰して来たのは、安倍政権の日本政府だ。

浄瑠璃寺十二神将像 戌神 鎌倉時代13世紀

あえて極論を言うならば、今の北朝鮮をめぐる国際状況を作り出したのは、国内引きこもりで外交を国内向けの、それも自分の熱烈支持層(これがまたまったくロクでもない人々で、普通の日本人なら「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言いたくなるような、人格がぶっ壊れたとしか思えない不道徳な差別主義者の噓つき集団)へのアピールと、とってつけたようなうわべだけの自慢と言い訳の手段としかみなして来なかった安倍政権の、呆れるまでの非常識に彩られた外交無能ぶりにも大きな原因があることを、たとえば日本の大手メディアなども、そろそろはっきり言うべきではないのか? 

北朝鮮が本当に「脅威」で「国難」があるのなら、それを少しでも解消・緩和に導くことこそが本来なら日本国民の利益、つまりは日本の本当の国益のはずだ。

しかしだからこそ、トランプのアメリカが北朝鮮を殲滅でもしてくれることに淡い期待だか夢だかを抱いている安倍が総理大臣でいる限り、平和裏で解決できる問題でもあえてぶち壊しにして「集団的自衛権」を行使したくてウズウズしている安倍が邪魔するのだろう。

円山応挙 朝顔狗子図杉戸 天明4(1784)年

日本は経済的にも文化的にも、そして実のところ軍事力においても立派に、世界屈指の大国だ。だから(アメリカ以外の)世界中の国々は日本に最大限の配慮を欠かさないというのに、日本政府はなぜこうも外交がヘタクソで外交的惨敗を続けるばかりで、自国の利益がどこにあるのかすらロクに把握できていない外交上の奇行を繰り返すのだろう?

そんな情けない大国の日本と比較したとき、北朝鮮の外交は、その国自体は偏見で見られ続けているし実際に時代錯誤な独裁国家ではあり、国力の規模としても吹いて飛ぶような小国でしかないからこそ、自国のカードとして使える強みとその効果・効力を冷静に評価して、もっとも有効なタイミングでそのカードを切る深い戦略性で一貫していることは否定のしようがない。

相手を小国だと見くびって、日本人(それに中国人もそうだが)ならば差別対象である朝鮮民族だからという偏見に染まったまま、優越感の自己満足に耽溺しようとし続けた結果、もはや日本の国内ではムキになって差別意識に満ちた罵倒を共有してかりそめの優越感と集団ヒステリー状態に浸ることしか出来なくなっている。

なんと言っても安倍政権のうわべだけ強行路線の実態は、ひたすらアメリカ頼り、それも国務省のスタッフも未だロクに揃えられず外交不全状態が続くトランプ政権に依存するだけで、トランプが金正恩をやっつけてくれることに淡い期待を抱いているだけ(で、トランプ自身はそもそも、そんなことやる気ゼロ)の空虚な強がりでしかないのは、あまりに情けない。


その日本にとってはますますおもしろくないことだろうが、このまま平昌オリンピックを成功に導くことができれば、現状の北朝鮮危機…というか米朝危機は、それなりの解消に向かって行く可能性は多いにある。

まず韓国の現政権はそのつもりだし、そろそろ収束に持ち込むことは北朝鮮にとってだけでなくアメリカにとっても、そしてむろん中国にとっても、共通した利害なのだ。

そしてその流れにはロシアも乗るであろことも目に見えている(なにしろアメリカが妥協する、という結論に表向きはなるのだから)。

…というか、日本の国民にとってだって、そうならなくては困るはずだ。

在日朝鮮人をどうしても差別し続けたいからその正当化のためには北朝鮮は「悪」でなくては困るなんて人はごくごく一部しか、実際の日本国にはいないはずなのだ。

円山応瑞 狗子図 18世紀

もちろん安倍政権の「圧力!圧力!」のバカのひとつ覚えの結果、ICBMはまだ実用段階では実はない(金正恩はあえて「完成された」と明言したが、要するに「ここで止めてもいいですよ」というジェスチャー)にせよ、北朝鮮が核弾頭を持ち、日本列島を射程に収めるミサイルならとっくに実用段階になっている現状は、それはそれで非常に困った問題だ。

だがこれを「日本は核兵器を持っていないのに北朝鮮が核武装なんて悔しい」という劣等感と罪悪感の裏返しとしての差別意識から来る歪んだ欲望を満たしたいだけの、およそ現実離れしまくった願望とスリ替えてはなるまい。

日本こそがうまく立ち回って米朝交渉を速やかに始めさせていればまだ結果は違ったろうが、もはや現実問題として北が核武装を手にしている以上、解決の構図は北朝鮮とアメリカの間の対話というのは、双方の核軍縮交渉にしかなりようがないのだ。

アメリカが認めようが認めまいが北朝鮮は現に核武装してしまっているし、しかも日本が核拡散防止条約で核兵器の保有を認められた五大国の核武装を支持し、この条約違反のインドの核政策にすら協力し、自国の安全保障にアメリカの「核の傘」が必須だと裏でこっそりの本音ならまだしも公言してしまっている以上、北朝鮮に核武装それ自体の放棄を迫ることなんて、現代の世界秩序が主権国家の平等と公平性を一応の基礎としている以上は筋が通らない。よほど札ビラを切って援助ばらまきを押しつけでもしなければ(まあこれが安倍の言う「地球儀を俯瞰する外交」の唯一の手段なのだが)誰も賛同してくれないような無理な相談でしかないことに、そろそろ日本国民は気付いた方がいい。

もちろん日本がここで核兵器禁止条約の発効に積極的に動き出し(ヒロシマ、ナガサキの被爆国なんだから当然のこととして、本来なら期待されていたこと)、日本とその周辺の東アジア地域そのものの非核化を主導し始めるようなことがあれば、つまり「唯一の戦争核被爆国」という最強の外交カードを巧く使いこなせるようになれば、話はまったく違って来るのだが…。

広重 薔薇に狗子 19世紀

12/29/2017

「情報の出所」について


森友学園疑惑を「朝日新聞の捏造だ」と言い張る捏造にしても荒唐無稽過ぎる書籍を、さすがに朝日新聞社名誉毀損で訴訟に持ち込んだそうだ。

いくらなんでも馬鹿過ぎるだろう、としか言いようがないのだが、この著者であるとかは「朝日新聞は “反日” だから」的な馬鹿丸出しな思い込みに…いや、こういう言いがかりは本当に「思い込み」なのだろうか? むしろ「噓も百回言えば本当になる」的に確信犯の虚偽フィクションを、自分達がそういうことを平気でやるのだから朝日新聞等々も(自分達と同様に)捏造をやっているに違いない、という無自覚な自己投影ロジックに陥っているのではないか? そうとでも考えた方が、まだ合理的な理解は可能なほどに荒唐無稽で馬鹿げている。

ひとつの同じ事実でも、立場や視点が異なればまったく異なって見えて来る実例は確かに、歴史上決して少なくない。言い換えれば、多くの歴史書がいわば「勝者の視点」ないし政治権力の自己正当化で書かれて来た結果、例えば新しい政権に打倒された古い政権はしばしば不当に低く評価されがちだ。我が国の歴史では最初に編纂された二つの歴史書の「古事記」と「日本書紀」のあいだで既にずいぶん人物の性格づけや動機、事件の解釈が異なっているし、こと明治以降の「皇国史観」では、例えば徳川幕府の評価はどう見ても不当に貶められているとしか思えない面も多い。

そうした偏向を防ぐためには多様な視点からの見方が必要だとは言え、それはあくまで客観的な史実に対する視点や見方の違い(さすがに「皇国史観」ともなるとその範疇を超えた捏造史観ではないか、と言えそうだが)でなければならないはずが、恣意的なつまみ食いを自分たちの都合で事実をねじ曲げて決めつけたデタラメは、さすがに度を越している。

もっとも、こと森友学園疑惑については、そもそも根本的におかしいポイントが、批判的な報道ですらしばしば避けて通られていることが、こうしたフェイクニュースのつけ込む余地を与えている面は否定できない。

つまりこの学校法人が作ろうとしていた小学校が自称「教育勅語に基づく」教育を標榜したカルト的偏向思想の刷り込みを目標としていること、そしてこの私立の学校に特別な配慮をした疑惑が持たれている安倍政権…というか安倍首相本人が、同じカルト的偏向思想を共有していること、そうした特定の価値観の刷り込み自体が教育基本法に違反していることが、なぜか遠慮がちにしか語られて来ていないのだ。

安倍政権がどうしてもそういう方向へと日本の教育に関する基本方針を変えたいのなら、それは政策と法制度の転換を通して堂々とやるべきことであり、まず国会で議論しなければならないし、憲法の改正も必要になるかも知れない。 
それを堂々とやる度胸がないからといって私立の学校法人を国有地の払い下げで優遇する、という発想自体が法治国家としておかしいのだ。

情報やニュースの受容においては、その情報の出所を考慮する必要がある、というのはメディアリテラシーの基本ではあるが、まったくこういう馬鹿単純なレッテル貼りの偏見決めつけの意味ではない。

昨今は、既存のニュースメディアは信用できず「ネットにこそ真実」と思い込む向きも多いようだが、大手の新聞やテレビ報道などの既存ニュースメディアはまだ一応は報道する根拠の裏取りチェックが義務化されていたり、記事やニュースになる前に複数の人間のチェックが入ったり、虚報が指摘され反論できなければ抗議も殺到して社の信用が失墜するだけに、まだ最低限の事実関係そのものについては誤りが比較的少ない、とみなす合理的な判断の方が、よっぽどメディアリテラシーの基本だ。

もちろん、そうした大手メディアの報道が、誤報どころか昨今ではクレーマーめいた苦情を恐れるあまりに「信頼性の高い情報源」の発表をただ垂れ流すだけの報道になりがちな問題はあって、近年の日本では特に顕著になって来てもいる。

たとえば犯罪事件を報道するのに最も無難なやり方は、警察発表をそのまま報じることで、現代の犯罪報道はどんどんその方向に振れて来ているが、これは誤報を防ぐためではない。間違いがあっても警察の責任に出来るからだ。

そうした警察情報に依拠した結果、日本の報道史上最悪の濡れ衣報道になってしまったのが松本サリン事件だが、この教訓が十分に反省されているとはとても言えない(むしろ逆)のが、日本の犯罪報道の現状だ。

熊井啓監督作品「日本の黒い夏 冤罪」2001年

こと最近の日本では警察に限らず、なぜか政府官庁が「もっとも信頼できる情報」を持っていて、公的な情報=正しい情報と思い込まれがちだが、基本的に政府というものは政府の都合や自国の国益に則したことか、政府の公的な立場に則したことしか言わないわけで、つまりは政府発表ほど政治的な恣意性で歪められた可能性が高い情報はない。

例えば南京大虐殺について「記録がない」「証拠がない」として「捏造」説を主張する者もいるが、これも完全なナンセンスだ。確かに当時の日本軍が作成した公的記録に虐殺行為は記録されていないが、これは喩えて言えば殺人犯はわざわざ自分の犯罪行為を日記に書かないか、警察にその日記を証拠として押さえられる前に破棄するに決まってるのと同じことだ。 
証拠を隠滅・隠蔽する権限がある国家政府が「証拠がない」なんて言い訳をしたとことで、真に受ける人間はよほど客観性に欠如して洗脳された状態であるか、単純によほど頭が悪過ぎる。 
同じことは森友学園疑惑で、国有地払い下げの経緯について財務省が「記録がない」と言い張って来たことで、よりせせこましく、まるで帝国ニッポンの子供じみたパロディのように繰り返されて来た。 
まして証拠隠滅を恒常的にやって来たことすら国会答弁で公言してしまったのが佐川理財局長(当時)で、しかもその答弁自体があきれ果てた虚偽だった。自動的にデータを完全消去するコンピューターのシステムなんてないし、ましてそんなものを政府機関が採用していたらそっちこそより大きな問題だ。


なのに「お国の言うことだから正しいはず」と妄信する国民相手に新聞やテレビが他国との外交の問題で外務省や官邸からの情報を垂れ流すだけでは、たとえば2周年になってその問題性がやっと白日の元に曝け出されつつある「日韓慰安婦合意」についての、日本の世論は完全に冷静で客観的な判断力を失っている。

なおこの件についての韓国外務省の調査結果は、さすがにまったく想定していなかった、とんでもない内容が含まれていた。

まさか非公開の秘密合意があって、そこで第三国での慰安婦像の設置を韓国政府が支援等しないようにと日本側が迫っていたとは。国家のやることとしてあまりにはしたない上に、慰安婦問題が日本の名誉を失墜させる倫理的な大問題であって国際社会からの批判に反論の余地がないことを実は日本政府もまた自覚しているからこそ、それをなんとか姑息に隠蔽したい下心がミエミエの要求を、それも秘密裏にやっていたとは、呆れる他はない。

しかもこの秘密合意は、たとえばアメリカ各地での慰安婦像の設置を「韓国の差し金に違いない」などと邪推している日本側の幼稚さまで曝け出してしまっている。

もちろん最近大阪市が姉妹都市提携の破棄などと喚き出したサンフランシスコ市などのアメリカの地方自治体が、他国政府の圧力などに屈するわけもなかろうに、他人様を馬鹿にするのもほどほどにして欲しい。 
日本ではいざ知らず(長崎市が原爆の爆心地にあった浦上天主堂の廃墟を撤去したことには、アメリカの圧力が疑われ続けているというか、長崎市ではそうに違いないと思っている人が多いし、「それもしょうがない」が暗黙の了解だ)、アメリカの地方自治では、そんなことは市の名誉にかけて決して許されないことだ。

ちょっと冷静に客観視すれば分かることだが、慰安婦問題は日韓の外交問題である以前にまず被害当事者と日本政府の問題であり、韓国政府は自国民の被害者を国家の責任として代弁しているに過ぎない。だいたい慰安婦制度の被害者は韓国人に限らないのに、それを2国の政府間だけで「不可逆的な最終解決」などと日本側が言っていること自体がナンセンスなのだが、この「不可逆的」は韓国側が言って来たことだったと、今回の調査で明らかになった。

考えてみたら当たり前のことだ。複数の被害国のうち韓国一国にだけ「不可逆的」を約束させることにまったく意味がないが、加害国ならば日本一国しかなく、その日本一国の反省と謝罪が「不可逆的」ならば、日本政府が「罪を認めたのだから今後は否定したり誤摩化したりしない」という意味で「不可逆的」は成立する。

つまりこれは、日本人が信じ込まされて来たのとまったく真逆の意味になるし、よく考えてみれば、そもそもそうでなければ「不可逆的」なんて文言が出て来るはずがなかった。

「真摯な反省とおわび」が「不可逆的」という韓国側の要求を日本政府が受け入れ再確認したとは、つまりこれは「蒸し返さない」なんて意味ではまったくなく、「慰安婦なんていなかった」だの「捏造だ」だの「高給取りの売春婦だ」などと日本側が今後言うことはありませんね、と確認されたのが「不可逆的」という文言だったわけだ。

同じ文言でも、どの文脈で誰が言ったかによって意味が変わるのは当たり前なのに、ところが昨今の日本では、そんな基本すら理解から抜け落ちているか、恣意的に操作されたり無視されている。日韓合意に「不可逆的」という文言が確かにあったのは事実だが、どちらが言ったかで意味は全然変わるし、現に日本国民の大多数は、真逆の意味を信じ込まされて来たのが、よく考えれば韓国が日本に要求したのであれば意味はあるが、日本が韓国に、であればそもそもなんの意味も成立しないではないか。

「それは誰が言ったのか?」「その情報は誰が流したものか?」、場合によっては情報は、事態の流れを変えたり、事件そのものを事実上起こすに等しい力を持つからこそ、権力闘争などでは巧妙な戦略性を持って使われて、いわば【武器】にもなるし、その威力の大きさ故に誤った情報が致命的な悲惨を国や社会にもたらすことも少なくない。

たとえばヴェトナム戦争でアメリカの攻勢を激化させるきっかけになったトンキン湾事件は、実は米海軍の連絡通信体系の混乱が起こっていて、実際にはなかった事件だった。

日本の歴史を遡れば、本能寺の変の後に信長の遺体が見つからなかったという情報をいち早く得た羽柴秀吉は、信長は無事だという偽情報を織田臣下の諸侯に送っていて、だから明智光秀には誰もが味方するのを躊躇し、そのクーデタは「三日天下」に終わった。

その秀吉はしかし、今度は情報不足どころかあり得ないレベルの無知無教養で朝鮮半島を侵略し明の首都北京まで武力で支配しようとして(そもそも地理的に不可能だろうに、そんなの)、この大失敗も引き金になって信望を失った豊臣政権は短命に終わった。

この大陸と日本列島の関係について、古代の天皇家は遥かに狡猾だった可能性もある。天智天皇のとき日本は白村江の戦いに惨敗して朝鮮半島での同盟国と重要な戦略物資の鉄を輸入する拠点を失った(日本は鉄鉱石を産出せず、古墳時代には砂鉄から製鉄する技術がなかったので鉄はすべて朝鮮半島からの輸入だった。よって初期ヤマト王権にとって朝鮮半島との交易は極めて重要だったのだ)。

ところがこの経緯にはどうも裏があるようなのだ。天智帝とその弟の天武天皇は白村江の大敗北を逆に誇張して利用していて、唐が日本に攻めて来るかもしれないと国内を煽ることで反抗的な豪族を押さえ込み、中央集権の律令体制の確立に利用した節があるのだ。だとすれば実に狡猾な情報戦略を天智帝は持っていたことになる。どうも帝自身はそんな侵攻がまずあり得ないことを察していたどころか、白村江の戦いを反対派の直接排除に利用した、つまり負けると分かっていて国内の厄介な勢力を送り込み、わざと戦死させた可能性すら指摘されている。

天智帝が急死するとヤマト王朝は一時は壬申の乱の大混乱に陥ったが、それに勝利し即位した天武帝とその皇后(のちの持統天皇)は国内体制の整備を進めて大宝律令を制定、そこで改めて遣唐使を送り朝貢関係を再開するが、その時にこれまでの「大王」「倭王」ではなく「日本」の「天皇」を名乗った。 
皇国史観の偏向を排除して客観的に言えば、「日本の始まり」はこの大宝律令が制定された大宝元(701)年で、建国したのは天武帝(と、それ以上に皇后のウノノサララ、つまり持統天皇)と考えた方が妥当ですらある。 
なお先に述べた「古事記」と「日本書紀」が似て非なる内容であるという問題は、この両者が「倭」ではなく「日本」と言う国家がまさに成立する前後に成立していることでその理由は説明がつく。つまり「古事記」は古代ヤマト王権的なアニミズム神聖政治的の価値観で、「日本書記」は律令という法の支配に基づいた、唐風の法制度による論理的支配の国家体制の理念で書かれたものなのだ。

一方その日本の近代の、20世紀の十五年戦争では、軍部はノモンハン事件(昭和14年・1939年)の段階ですでに、大敗北の情報を国民にどころか政府部内にも隠し続けることで権威権力を維持しようとしていて、以降この稚拙な詐欺的な情報操作を延々と続けてしまったた。この偽情報に依存した「大本営発表」の虚構体質が、結果としてどこまで壊滅的な事態を招いたのか、今さら言うまでもあるまい。

しかも虚偽情報に依存するわりには情報戦略どころか情報管理すらまったくなっていなかったのが日本軍で、日米開戦の前から機密情報は暗号をアメリカに解読されて筒抜けだったし、日本の敗戦はそうした諜報活動での敗北だけでなく、レーダー技術が遥かに劣っていた一事をとっても、命運が最初から決していた。

20世紀の日本の戦争は侵略行為の過程で非人道行為が繰り返されたという倫理的な問題で糾弾されるだけでなく、そもそも最初から勝てるわけがない戦争を情報不足と情報の恣意的な解釈で押し進めてしまった点でまず「亡国」としか言いようがない。日本の軍国主義については単に倫理的に非人道行為を反省し謝罪する責任があるだけでなく、あまりに馬鹿げた失敗を今後は繰り返さないようにしなければ、日本民族の総体には学習能力がない、ということになりかねない。

つまり対米戦は開戦前からそもそも情報戦で負けていたし、国内では歪んだ情報提供でいわば国民が「騙された」ことには、「騙された」側にも反省があってしかるべきなのに、昨今の日本の報道や世論形成ではその意識があまりに抜け落ちていて、政府などの「公的情報」に依存する傾向がむしろ強まっている。

だからこそ逆に冒頭の、朝日新聞社もさすがに呆れて名誉毀損訴訟を起こした一件のような、幼稚過ぎる荒唐無稽もまかり通ってしまうのかも知れない。

立証責任・挙証責任は疑惑を言い出した側にある、というのも、それは個人を相手にした場合(たとえば刑事裁判では、立証する責任は一方的に検察・警察側)であって、記録を作成することもできれば記録を非開示にして証拠の隠蔽も隠滅もできる権限がある国家権力側がそれを言い出すこと自体がナンセンスだ。

もしかして「事実・真実はなんなのか」ではなく、子供染みた「勝ち・負け」しか意識できないから、政府政権に向けられた疑惑に「立証責任は疑惑を言い出した側にある」などと滑稽な倒錯を言い出してしまうのかも知れない。 
それも大人の議論とか権力闘争のレベルの「勝ち」ないし「負け」ではなく、まるで小学生どうしの喧嘩で教師がどちらの側につくのかレベルの、極めて幼稚な社会観しかないとしたら、こうしたあまりに馬鹿げた滑稽も説明がつく。

むしろ記録・証拠をきちんと残し検証を可能にことは、別に近代の民主主義に限らず、国家政府がその公正な権威を維持するために必須の義務だ。

こと東アジア文明圏では、「史記」以来、ある王朝が中華帝国の正統継承者である証としてやらなければいけない事業が、正史を編纂することだった。それもその王朝の恣意的な都合ではない客観性のある歴史書を遺すという義務が課せられていたお陰で、考古学遺物しかない弥生時代の日本であるとかクメール朝成立以前のカンボジアについても、中華帝国の正史が基本的な歴史史料になっている。 
天武・持統朝で「古事記」そして「日本書紀」が編纂されたのも、古代神聖政治のアニミズムの「倭」がら文明国の「日本」へと脱皮するに当たって、中華帝国に倣った正史の編纂が必要だったからだ。

この点でも、まだ軍事機密ならともかく森友・加計疑惑はそもそも決定過程を明らかにすることが国家・国民の利益に反する機密になろうはずもなく、証拠となる文書記録を国会で開示できないだけでも政権側が完全にアウトになるのが本来の政治的な常識であり、政権に不利だから開示しないというのは、それ自体が国家権力の私物化に他ならないし、隠蔽と虚偽を重ねに重ねてその場限りの言い逃れを続けるご都合主義だけで出口戦略もないような政権をこのまま維持させて行くことは、国民にとってもその国家にとっても、致命的な誤りになりかねないのは、第二次大戦の惨憺たる敗戦で学習したはずのことなのだが。

森友・加計疑惑を「些細な問題だ」と言うのなら、もっとひどい稚拙で行き当たりばったりの、出口戦略なき破綻した情報戦略は、安倍政権が自画自賛する経済政策「アベノミクス」だ。「株価はこんなに高いじゃないか、アベノミクスは成功している」と言い張るのなら、その株価自体が恣意的に操作されたもの、いわば虚偽情報に過ぎないのだ。

安倍政権がなんだかんだで支持を集める大きな理由である日本の株高は、今や日銀と年金資金で政府が買い支えている人工的なものでしかない。こうした株価操作のなかでもとくに、総選挙の期間中に株価が16日連続連騰なんてバカげたやり過ぎもいいところだが、東京市場には毎日「日銀タイム」と俗に呼ばれる時間がある。投資家はこれが政権による株価操作の情報捏造であることも百を承知で、これで株価が上がることを前提に買い注文を入れているのだ。つまり噓を噓と百も承知で、政権の都合を利用して儲かるうちは儲けよう、という歪んだ共犯関係が政府の経済政策と投資家のあいだに成立していて、マーケット・メカニズムはもはやガタガタになってしまっている。

しかもこの政策的な株の高騰は裏を返せば、日銀が株の買い入れを止めるという観測が流れるだけで日本の株価はいつでも暴落しかねないわけで、この出口戦略のなさは「大本営発表」の虚偽情報を重ね続けた結果、惨敗は分かっていても終戦に持ち込むことが極度に困難になってしまった1943年以降の日本政府と日本軍と同じくらいに愚かで危険なものなのだ。

森友学園疑惑に話を戻せば、発端は地元豊中市の市議会議員で、つまり情報ソースはそもそもが「反日の朝日新聞」ではなくその議員の木村真氏だった。もっと言えばこの木村市議は国有地に建設予定の私立小学校のポスターが、教育勅語に基づく教育を謳うなど、あまりにあり得ない話(ごく当たり前に教育基本法に違反する可能性が高いので)に驚いたわけで、元々のソースは森友学園のいわば自爆行為だ。

加計学園疑惑は、大手新聞やテレビで話題になるずっと前から、夕刊紙などでは森友学園疑惑の追及のあいだに「もうひとつの森友疑惑」的に指摘されていたことで、これも問題視して騒ぎ始めたのは今治市の地元市民団体だ。

だいたいどちらの学校法人をめぐる疑惑も、公表されている売却家格であるとかそれこそ募集ポスターとか、すぐ分かる客観情報だけでもどこから見てもおかしな話なのだ。報道で取り上げられるまで時間がかかったのはたまたま報道機関が知らなかっただけで、知ればすぐに報道したくなるかっこうのネタではないか。それでも加計学園の場合は、大手報道各社はかなり慎重で、夕刊紙(日刊ゲンダイ)やネット上の方が情報は先行していたのに、「朝日新聞の謀略」のわけがなかろう。

文科省内部から「総理のご意向」文書がリークされて朝日新聞(と実はNHK、ただしその「クローズアップ現代」は放映されずじまい)がスクープしたタイミングは、次第に国会や報道で巷間知るところとなってからで、自分達の関わった決定に疑問を持っていた文科省の職員がリークしたと考えるのがもっとも合理的でごく当たり前にあり得る話だ。それが特段の戦略的な意図を持って流された情報だと考える根拠といえば「安倍首相に都合が悪いから」しかなく、もちろんそんな決めつけはただの被害妄想の荒唐無稽でしかない。

どちらの疑惑も、いつのタイミングで出ようが政権に打撃を与えるのは確実だし、そもそもこんなことをやっている政府が悪い、で話は終わる。出されるタイミングによって恣意的に誤解を招いたり、印象操作を行ったりなんて、やりようがない。

一方で、マスコミでは誰も話題にしないが、先の総選挙の選挙戦で、小池百合子東京都知事の立ち上げた「希望の党」と前原誠司代表の民進党の「大合流」がスクープされたのは、明らかに意図的な戦略性を持ったタイミングでリークされた情報だ。

逆に小池からすれば、この大合流の大合併は詳細まで詰めて完全な合意となったところで初めて選挙の「空中戦」での意味を持つカードだった。きちんと合意をつめていきなり民進党+小池の巨大野党を中心に、民進党と選挙協力をして来た社民、共産、自由党も連携した安倍包囲網がいきなり発表されれば、そのインパクトは凄まじかったはずが、あんな拙速なタイミングで、民進党内から反発が出るのが確実な段階で報道されたのは明らかに計算違いで、逆に大合流がうまく行くかどうかも怪しくなる。

つまりはこのリークによるスクープは、大合流そのものを潰して選挙戦を自民党有利に運ぼうとしたのか、あるいはもっとせせこましい話として民進党内のいわゆる「保守派」が、新党からいわゆるリベラル派を排除したい意図を持って流したものだとまず考えられる。

選挙の結果を知っていれば、この最大の受益者は安倍政権と自民党(最大の脅威だった小池百合子は完全に失墜した)なのだからそっちの陰謀だとも思い込みたくなるが、恐らくそうではあるまい。自民党側にこの大合流の情報が漏れていたとはさすがに考えにくく、まさか希望の党か民進党の党内に自民党のいわば「工作員」でもいたのだろうか、といった荒唐無稽な前提でも考えなければ、まずあり得ないことだからだ。

残念ながら、これは旧民進党勢力のオウンゴールというか自爆行為とみなすのがもっとも妥当だろうし、またそう疑われても当然なまでに、こういう件では民進党ならびに旧民主党には前科があり過ぎる。

政権を取ったときに鳩山由紀夫首相による、沖縄・普天間基地移設は「最低でも県外」公約を潰したのは、鳩山の「腹案」であった徳之島案が秘密交渉段階で「政府高官によれば」でスクープされたことだった。住民にもまったく知らせていない秘密交渉段階で暴露されれば、徳之島の各自治体は態度を硬化させる他はなく、県外移設は潰されたどころか、鳩山政権自体が退陣に追い込まれた。言い換えれば、これは鳩山内閣の危機管理の失敗だったのかも知れない一方で、情報は辺野古移転の強行と鳩山潰しを目的に意図的にリークされた可能性も否定はできない。

福島第一原発事故が起こった時にも、官邸から出ては行けない情報が次々と報道を賑わせて現場や被災地を混乱させ不安に陥れた。まあこれは、意図的・恣意的・戦略的というよりも、当時の官邸の危機管理能力の問題だろう。

直近の例では、先述の衆院選の直前に山尾しおり議員の不倫疑惑が週刊誌に流れたのは、「まさかまたもや、内閣調査室が尾行でもして集めた情報?」かと思えば、出所はなんと民進党内だったらしい。山尾議員が幹事長に内定したことをやっかんだ誰かがその人事を潰そうとして、だったのだろうか?

こういう過去起こったことを考えれば、今度のリークもまた民進党の「いつもの悪い癖」が出たと考えて、まず間違いはないだろう。またその後の流れを見ても、「リベラル排除」に熱中していたのは小池よりも、元民進党でいわゆる「保守系」の議員たち(すでに離党し結党に参加した者たちと、民進党から合流した議員の一部の双方)だった。

だとしたら多くの民進党の衆院議員が「希望の党」に合流しなかったのは、彼らの望み通りにはなったわけだが、そこで立憲民主党が結成されたのは「そりゃそうなるに決まってるだろう」な展開なのに、そこまで先が読めなかったのはあまりに間が抜けている。 
だいたいそんなことをやっている「希望の党」の、元民進党のいわば二枚舌・裏切り者議員なんて、有権者が信頼してくれるものだろうか? 
情報が【武器】になり得ることが分かってないか、【喧嘩のやり方】を知らない人たちはこれだから困る、としか言いようがない。またこういう人達に限って「保守」気取りで、日本の戦争放棄の憲法を変えたがっていたりするのだから、背伸びの火遊びもほどほどに、である。

11月14日に第一報が出て、ゴタゴタが年を越して続きそうな大相撲の「暴行」事件は、日馬富士が貴ノ岩を殴打し負傷させたのは10月26日の深夜だったはずだ。それが3週間、それも秋場所の序盤で、というのはいかにも恣意的なものを感じさせるのだが、ここまで「ワイドショー独占」状態なのにコメンテーターが誰もそこに触れないのは、なんとも奇妙な話だ。

いったい誰がスポ日に、この情報を流したのか? 当初は日馬富士がビール瓶で殴ったと言われ(後に誤報と発覚)、すぐに報道に乗った最初の診断書の「頭蓋亭骨折、髄液漏の疑い」という文言がいかにも重傷のように読まれてしまい、診断書を書いた医師が慌てて、あくまで「疑い」を列挙しただけでそんな意味ではない、全治10日程度の軽傷だ、と訂正する騒ぎになった。この診断書も、秋場所の休場届のために準備されたもののようだが、出所がよく分からない。

貴乃花に厳しい処分を相撲協会の理事会が決めた今頃になって、事件から発覚まで時間がかかったことで話を大きくなったとしたり顔で言うコメンテーターもいるのに呆れるのだが(いやここまで混乱して話が大きくなったのは、あなた方が連日連日、たいした新事実もないのにこの話題ばかり報じて何時間も憶測を論じ続けたからだ)、どうせそこまで言うのなら、なぜ報道が遅れたのか…というよりも、なぜ11月14日の秋場所3日目が第一報になったのかくらい、ちゃんと論じるべきだろう。

どうも「報道が遅れたのは相撲協会が隠蔽しようとしたからだ」とあてこすって無理矢理に貴乃花を擁護したいようだが、警察に被害届が出て刑事事件としての捜査が始まっていたのなら、マスコミに発表するかどうかはまず鳥取県警の判断だ。その県警は被害届を受けて協会に通知の上で捜査協力を依頼しているが、協会側の「秋場所があるので力士には相撲に集中させたい」という意向を受け入れて事情聴取を待っている。

つまり県警は貴ノ岩の被害届けによって被害の内容はほぼ把握していたし、現場には貴ノ岩の恩師である出身高校の教師なども同席していて、なにしろ鳥取在住なのだから県警は当然、そちらの事情聴取は先に済ましているはずだが、その時点でこれを発表を要するような重大な刑事事件とはみなしていなかったはずだ。協会の多分に事務的な「秋場所があるので」を受けて事情聴取を先延ばしにするほどなのだから、県警にとって緊急性が高い捜査でもなく、また協会が隠蔽工作をしたり力士たちが口裏合わせをする可能性があるとも思っていなかった。

また協会側でも、なにしろ「秋場所がある」で事情聴取などの捜査協力は後でいい、と鳥取県警が言うくらいなのだから、そんなに重大な事件ではないのだろう、と認識して当たり前だ。そんなところまで「相撲協会の体質」を批判するのは、さすがに度を越している。

まあ地方の県警はよくも悪くも保守的なので、有名力士が当事者でそのキャリアを傷つける可能性があるのだし、なるべく穏便に済ませようと考えた可能性もある。この場合、キャリアが傷つけられる可能性があるのは加害者の日馬富士以上に被害者の貴ノ岩も、という認識も、なんとなくは相撲界内部の事情も類推できる県警にはあっただろう。

つまりその判断の是非はともかく、なぜこの事件が3週間前後はまったく報道されなかったのかと言えば、まず単に県警にとって公表するほどの事件ではなかったからだ。そういう態度の県警から連絡を受けたていたからこそ、相撲協会もたいした対応はしなかったのだし、だからといって相撲界の人間ではなく第3者的な立場、ないし被害者の恩師なのでどちらかといえば被害者側の高校関係者もまた、「これは大変だ。もみ消されてはいけない」と思ってマスコミに話そうともしていない。

以上は事実として断言していいだろう。なぜなら、そうでなければとっくに、11月の初頭の、12日に秋場所が始まるだいぶ前に、この事件は明るみに出ていたはずなのだ。

ではなぜ、11月14日になって第一報が出たのかと言えば、この時期になって誰かが初めてマスコミに事件のことを(それも不正確に誇張された形で)リークしたからであり、そこには当然ながら恣意的な意図がある。

で、それは誰かと言えば、もっとも可能性が高いのは言うまでもなく(恐らくは間接的にせよ)貴乃花だ。他には事件を知っていて、それをマスコミに流そうとした、つまり報道して世に訴えなければならないと考えた関係者は、警察も含めていなかったのだ。

またリーク元が貴乃花ないしその関係者が疑われる理由はもうひとつある。「ビール瓶で殴った」「モンゴル会だった」など、事実に反する内容が多過ぎる第一報だったことだ。これがまた、日馬富士(や白鵬、鶴竜)に不利な印象操作として作用もしていた(実際には、貴ノ岩の高校の頃の留学先だった高校の関係者との会食で、3横綱はゲストとして招かれていた)。

騒ぎがどんどん大きくなったのも、報道に出た後ですぐに(「発覚後」というのは、上記の事情から必ずしも正確な表現ではない)日馬富士が親方の伊勢ケ濱を伴って謝罪に来たのを貴乃花がこれみよがしに無視して車で立ち去ったのに始まって、貴乃花が貴ノ岩の所在を協会に対してさえ明らかにしなかったり、場所後には貴乃花が貴ノ岩の診断書の提出も怠ったまま冬巡業を無断欠勤させたり、しかも本人はこれまたこれ見よがしにマスコミの前に自分の姿は毎日のように(いかにもしらじらしく)見せながらダンマリを決め込み、といった不可解な行動を繰り返し、マスコミもまたその貴乃花のゲームにのせられたのか、意図的に協力しているのか、いずれにせよ「ああでもない、こうでもない」と憶測ばかりを延々と報道し続けて来たからだ。

貴乃花の一連の「奇行」は、すべて少しでも大きくマスコミが報道すること、その状況が長引くように仕向けることが目的だったと考えれば、すべて説明がつく…と言うより、それ以外にこれらの行動には合理的な動機の説明がつかない。

つまり貴乃花はかなり巧妙にマスコミを踊らせるメディア戦略を打っていて、マスコミが見事に踊らされたのだ。考えてみればこの場合、なにも言わないことは報道の好奇心をかきたてるのに最も有効な、それもかなり高度な技で、誰ができるわけでもないが、かつて「国民的ヒーロー」だった貴乃花なら十分に条件が揃っている。

だからってそれにいいように乗せられているマスコミもどうかとは思うが…。挙げ句に協会の理事会で処分が下される直前の発売で、週刊新潮と週刊文春が共に貴乃花の「激白」を掲載しながら、中身は本人の発言がごく一部しかなく、しかも貴乃花自身は理事会に対して「週刊誌の取材には応じていない」と証言しているのだから、もうわけが分からない。

またこの貴乃花の奇行と並行して、やってることも(協会相手に)言ってることもどう考えてもおかしい貴乃花が、それこそマスコミにはなにも言わないからこそマスコミがこぞってその心のうちを勝手に忖度してまで懸命に擁護したがっているのも、相当に奇妙な事態だ。

貴乃花が警察や検察の捜査への協力を口実に、自分や貴ノ岩の協会危機管理委員会による事情聴取に応じて来なかったことを支持する意見が、一般どころか “識者” からも後を絶たないのに至っては、まず滑稽極まりない。まあこれは、この一件に限らずマスコミ報道が精確さに欠ける言い方で国民に大きな誤解を振りまいて来たことにも原因はあるのだが、警察や検察には捜査上の秘密を守る権限はあるが、よほど異例の事態でもなければ被害者側や目撃者に口封じをする権限なんてないし、そもそもそんな口封じをする理由がない。

マスコミの“識者” も含めて多くの人が勘違いしているようなのだが、加害者や被疑者が「警察が捜査中」を理由に取材に応じないのも、別に警察・捜査当局側では理由は成立しない。逆に捜査中で刑事訴追の可能性がある事案について、被疑者には自分を守るために答えない権利があるだけで、マスコミに喋らないのはその自己保身の権利を行使しているに過ぎない。

例えば国会の証人喚問で証言拒否できるのは、別に警察や検察のために「捜査中だから答えない」のではなく、裁判で自分に不利な証拠になる可能性があるから答えないでもいいのだ。

被疑者は警察の捜査そのものに対してすら、自分に不利になることは答えないでいい黙秘権すらあるし、一般市民が警察の捜査に強力するのはあくまで善意であって義務ではない。まして貴乃花が協会の聴取に応じないことで捜査に寄与できることなんてなにもなく、強いて言えば警察に対する貴ノ岩の証言と異なったことを言えば、当然どちらかが偽証となり、責任が問われるだけだ。

被害者側がわざわざ黙秘権を行使するという、ずいぶん奇妙な状況がこの一件では起こっている。それが貴乃花が弟子である貴ノ岩を守ろうとしているように見えるのは、よほど人がいいというか貴乃花に勝手に忖度しているとしか思えないし、一方で貴乃花の側にこそなにか隠したいことがあるのだという以外に考えようがない。

今年の春の稀勢の里の昇進まではすっかりブランクが出来てしまった日本人横綱の、その最後が貴乃花で、それ以前からいわば「国民的ヒーロー」で、入門前の少年時代から有名で、相撲部屋への入門自体が大ニュースになった珍しい存在だからって、いくらなんでも騙され過ぎというかいいように手玉に取られ過ぎ、ほとんど神がかり的とすら言っていい気持ち悪さが蔓延している。

いくら貴乃花という「国民的ヒーロー」の幻想のバイアスがかかっているからと言って(そして日馬富士も白鵬もモンゴル人)、こういう日本の世論形成のあり方というのはかなり不気味だ。

ぶっちゃけて言えば要するに、「日本人」の共同幻想の都合で聞きたいこと、耳障りでないことだけしか受け入れず、嫌なことは考えたくもないし聞きたくない、という歪んだ主観に染まり過ぎな気がするし、そこに相撲ファンや一部の相撲記者とのズレがあることも無視されている。

端的に言えば日馬富士本人を良く知る人や、その相撲を見て来たファンからみれば「日馬富士はそんな人ではないはずだが」というのが率直な感想なわけで。

いやだいたい、しょせんは相撲、エンタテイメント業界の一業種内のゴタゴタに過ぎないこと一色に報道が染まること自体、明らかにヘン過ぎるし、そのこと自体が情報操作の疑い、つまり政府に都合が悪いことをなるべく報道させないようにしていて、そのために大相撲騒動を誇張して報道しているのでは、という可能性ももちろん否定はできない。