最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

2/06/2008

ドキュメンタリー映画の可能性…今の日本における限界

フォトジャーナリスト、広河隆一氏がかれこれ40年近くものあいだこつこつとパレスティナ問題を取材して来た際に撮影したフッテージを編集したドキュメンタリー『ナクバ』を見た。たとえばマグナムの重鎮レイモン・ドパルドン御大がなかなか優れた映画作家だったりもするし、広河隆一氏はとてもパワフルな写真を撮るジャーナリストでもあるし、パレスティナ問題に関心を持ったのが社会主義に憧れてイスラエルのキブツに行ったのが始まり、というのもおもしろそうだ。

しかし、その期待はいきなり、やたらと荘重ぶった音楽と広河氏の写真(ムービーでなく)に説明過多の字幕で構成された退屈極まりない冒頭のモンタージュであっさりと裏切られた。もったいぶったイスラエル独立戦争をめぐる多分に薄っぺらな説明のあと、自分がキブツに憧れてイスラエルに行き、キブツに参加してヘブライ語まで学んだことが、そのキブツを再訪して住人に再会する過程で説明されるのも、「こんなものは監督自身のナレーションでなきゃだめだろうが!」と言うところが延々と説明過多かつ自意識過剰もはなはだしくナルシスティックに「私は」が繰り返される字幕と、ほとんどなんの魅力もないビデオで続く。レバノン戦争時にパレスティナ難民キャンプで起った虐殺を発見してしまった、広河氏の有名な8ミリ映像も、そんななかではなんだかまったく平板に見える。レバノンで撮ったシークエンスは、武装闘争に身を投じたパレスティナ難民について、ステレオタイプ以上のなにも語っていない。だいたい撮られてる対象の顔が作り笑いでこわばってるんだもん。

40分くらいして「逃げ出してやろうか」と正直退屈しきったところで、ラビンとアラファトの和平交渉中に極右宗教的ユダヤ人がヘブロンで起こした虐殺事件をめぐり、ヘブロンやその周辺入植地に住む右派ユダヤ人に取材するシークエンスが始まる。ここは相当に面白い。膨大なフッテージを映画にまとめるのを引き受けたプロデューサーが安岡卓治であり、安岡といえば森達也の『A』のプロデューサーだったことを思い起こさせる−−つまり、まるで森と安岡が撮ったオウムの人々の雰囲気なのだ。イスラエル右派の危険さが彼らの愚かしさに他ならないことを実に映画的に、一見ナイーブかつ中立、ただ興味本位に撮っているように見える映像のなかに、不条理喜劇のように浮かび上がらせるのは秀逸だ。一方でイスラエルの占領政策に批判的な発言をするイスラエルの左派インテリたちや、広河の旧友であるキブツの人々が、見るからにヨーロッパ系のユダヤ人なのに対して、ここで出て来る右派ユダヤ人たちがどう見ても中近東系、ケパをかぶってなければアラブ人にしか見えないのが痛々しい。ここにユダヤ人国家としてのイスラエルの矛盾と失敗が浮かび上がる…というのは残念ながら「ユダヤ人国家」イスラエルにある程度の興味や知識がある人間にとってだけのことで、このシークエンスの素晴らしさが際立つのはそれまでの絶望的な退屈さに対してあまりにも異質だから、というだけでどこにも進展も展開もしない。

ところがそこに続けて、映画の雰囲気が突然変わるのだ。48年の戦争当時に破壊され、教会を囲んで廃墟が静かに自然のなかにたたずんでいるかつてのパレスティナの村を、その村の住人であったという、ポロシャツ姿の上品な老人が案内して見せてくれるシークエンスが始まり、とたんに画面が映画的豊穣さに包まれる。なんと美しく、なんとも深いシーンだろう? これこそ歴史を扱うドキュメンタリーの醍醐味だ。小高い丘の上から一面の豊かな森を見下ろす老人は、「ここは昔、ずっと畑だったんだよ」と語る、その彼に素早くパンして慌ててズームバックするのは技術的に言えばNGかも知れないが、そこにこの光景をキャメラに納める興奮と、老人が微笑みの影に秘めた悲しみへの共感、広河隆一のドキュメンタリー作家としての才能のすべてが凝縮されている。

それだけにこれまでの構成がよく分からない。広河隆一がジャーナリストとしてどのような過去を持っているのか、どのような功績があるのか、この映画に興味を持つ人ならそれくらいの知識は事前に持っているだろうし、イスラエルの建国とパレスティナのディアスポラが48年に起ったことも知らずにこの映画を見る人なんておらんやろうし、そんなどうでもいい説明と薄っぺらで言い訳めいた政治的なスタンスの表明にそれまで40分を費やして、どうするつもりなのだろう? 誰だって退屈するんじゃないか? 我々は政治をやってるんじゃなくて、映画をやってるはずなんだが。

この廃墟の村のシーンで映画を始めれば、それだけで広河隆一がどんな人間なのかは十分に伝わり、故郷を追われたパレスティナ人の悲劇の本質も静かに凝縮される。48年のデイルアシンから2002年のジェニンに至る何度かの虐殺や抵抗運動、今なお繰り返される暴力の応酬なら、今更言われなくても我々は十分に知っている。知らなくても、老人が故郷を追われ、豊かな田園だった故郷が廃墟と森と化してしまったしまったことだけで、観客は確実にこの映画に引き込まれるはずだ。だいたい題名の「ナクバ」は48年のことだし、宣伝コピーだって48年にさかのぼって衝突の原因を探るみたいなことをうたい文句にしている。だったら48年から始めればいいだろうに。

さらに不満が募るのが、冒頭の40分間からうける広河隆一という人の人柄が、はっきり言って傲慢で鈍感で典型的な高所大所の「ジャーナリスト様」にどうしても思えてしまっていたことだ。正直、日本語では極めて不自然にしか読めない「私は」という字幕の繰り返しに、「あなたのことなんてどうだっていいから素敵なパレスティナ人を見せてくれ!」(で、ちなみにパレスティナ人という民族にはとても奥が深くて素敵な人が、とくに一定年齢以上には多い)と怒鳴るか逃げ出したくなるほどである。「だいたい48年はどうしたんだ!」

ところが本当の広河隆一は、この故郷の廃墟を歩く老人をこうもシンプルかつ美しく撮っていることから確実なように、感受性の深さと人の痛みへの静かな共感、そして他者への敬意に満ちあふれた人のはずなのだ。こんなものが撮れる人が傲慢で鈍感であるわけがないし、いわゆる我がニッポンのジャーナリスト様たちにありがちな、虫酸が走るような高所大所の偽善性などかけらも持っていないはずだ。その慈しみとイノセンスは、ヘブロンのかなりおっかないユダヤ教右派の人々を撮るときのまなざしにも通じ、またそこには他者の悲劇や愚かさの応酬を撮るときの、自分が当事者でないからこその慎みも感じられる。

とても残念なことに、その広河隆一という恐らくは素晴らしくやさしく慎み深い人柄、当事者のためにも悲劇を悲劇で終わらせてはいけないという良心は、この映画のなかでは散漫にしか感じられない。その美徳を覆い隠すように、同じ人間として問題意識を共有する勇気を持てない人々が「著名なフォトジャーナリスト」広河隆一センセイのご高説をカリスマとして受け取って安易に同化した気分になるためとしか思えない、皮層な割には説明過多なくせに、本当にパレスティナ人の悲劇を知りたいと思う真面目な観客にとっては不親切でしかない、どうでもいいギミックに繰り返し中絶される。

それにしてもこの音楽のひどさ、音声についての感受性の欠如はなんとかならないものか。アラビア語が話されるときの、その言葉のリズミカルな音楽性にくらべて、ハッタリだけの電子音で作られたセンチメンタルな音楽はなんと陳腐なのだろう? 破壊されたパレスティナ人の村を通り抜けていたであろう風の音への感受性など、どこにもないのだろうか? アラビア語のパレスティナ方言の響きと、パレスティナ、現イスラエルの、名前は変わっても悠久にそこにある大地、その自然の風景の変遷にこそ、パレスティナのディアスポラの根源があるはずなのだが。何人かのパレスティナ人が流暢なヘブライ語で話していることに、事態の複雑さの一方で和平への希望もあるはずなのだが。


ライラ「敵の言葉を理解するのはとても大事なことだと思うの。パレスティナ人がヘブライ語を喋るのと違ってイスラエル人がアラビア語をしゃべれないのは残念だわ。もし彼らがアラビア語を理解したら、ものごとは変わるはずよ」

   『フリーゾーン』、アモス・ギタイ、(2005)



少なくとも10年以上に渡って撮られたビデオ映像が、それぞれにいつの時期なのかの言及がかなり欠けているのも、あまりに安易だ。少なくとも暴力的な衝突を撮ったシーンは、せめて新聞の国際面程度には背景知識がある観客が混乱しないように、何年のことかくらいは言及すべきだし、ビデオ映像に写真家としての広河の作品を挿入するのは、なまじ写真が力強いだけに、映画として非常に節操なく見える。写真と映画の根本的な“見られ方”の違いを考慮しないでスチルを使ってしまっている結果、「なんじゃこりゃ? 『インファナル・アフェア』じゃあるまいし」。

その似たような映像の延々とした積み重ねの無節操にセンチメンタルな重複なかで、廃墟の故郷を歩く老人であるとかの一人一人の人間の姿はあっけなくかき消され、心から感じなければならない人間の悲劇であるはずものは、「暴力の応酬が繰り返されて悲しい」といった程度の安易な結論−−つまりはパレスティナ、イスラエル双方にただ戦争をやっている人たちだというだけのレッテルを貼付けるだけの部外者の傲慢さを満足させるだけのものに成り下がってしまう。

だいたい欲張りすぎ、詰め込み過ぎているのだ。欲張りすぎている結果として、この映画の本当の力である数々の証言の重みと、それを語っている人々の顔の素晴らしさが上映時間の配分でも軽んじられてしまっているのももったいない。ほとんど知られていない虐殺事件の証言の資料的価値の大きさはもちろんだが、そこに生存者の息子までがインティファーダを体験するまでは父親の作り話だと思っていた、というような告白まで入って来るとき、生き残った人々の過去と記憶と、不在の歴史的記録とそのすべてを記録する広河隆一のキャメラが、優れて映画的なフュージョンをそこに浮かび上がらせる…というか、残念ながら総体で言えば、浮かび上がらせていたはずだとしか言えない。語っている人の顔よりも証言の情報量だけに重きを置いた構成では、故郷の廃墟を歩く老人の奇跡的なシーンのように映画でしか表現できない「なにか」は浮かび上がってこない。これはジャーナリズムかも知れないが、映画ではない。もっといえば、「映画」になりえたはずのものが、ただのプロパガンダのインフォマーシャルに成り下がり、人間であったものは、「美しい犠牲者」のステレオタイプへと矮小化されていく。

決してイスラエルを一方的に悪者にしないという配慮から、広河氏の友人である左派知識人や反戦運動家、さらには庶民ならではの叡智をしっかり見せてくれるタクシーの運ちゃんも登場する。運ちゃんの「もうどうしようもない」という発言は、衝突する大文字の歴史に巻き込まれて正直ウンザリしている彼らの気持ちを、雄弁に語っている。一方でハイファ大学の名物歴史学者イラン・パペの、48年に起ったのは「民族浄化だ」という断言もあり、広河のかつての反戦運動の同志だった平和運動家の「67年の勝利でイスラエルは変わった」という言葉も重い…はずなのだが、その意味を深く考えさせてくれる構成になっておらず、ただの皮層な政治的バランスへの配慮にしかなっていないので、残念ながらあっというまに忘れてしまう。

「民族浄化」発言はイラン・パペの持論の出発点のための挑発に過ぎず、初期のイスラエル建国を担った左派シオニスト(その最後の輝きが、イツハーク・ラビンでもあったのだろう)がいかに自分たちでも気がつかないままにシオニズム思想の限界点と矛盾の奴隷となって、彼らの理想主義が本来決して許容するはずもなかったはずのことをやってしまったのか、その見事な分析が本来ならその後に続いていたのだろうが…。で、その分析は、実は我々の世界がなおそこに乗っ取って成立しているところの「国民国家」主体の民主主義という理想そのものの矛盾にも通じ、この映画をパレスティナ=イスラエルという固有の体験から戦争の世紀であった 20世紀そのものに通じる普遍的な批評性にも達したはずなのだが。

(っていうか、パペ教授の論法ってたいていそうだから−−とここでも、知ってる人にしか意味がないシーンになってしまっている。映画的貧困以外のなにものでもない)

映画でしか表現できない「なにか」とはなんだろう? ことドキュメンタリーの場合、人間がそこに生きていることの複雑さ、ユーモア、人間らしさ、そして悲しみ、生活のテクスチュア、そういったもののすべてがひとつのフレーム、ひとつのカット、そのカットの積み重ねのなかに「人生」の映画的時間を浮かび上がらせるとき、私たちはパレスティナ人ならパレスティナ人の老人たちを、「被害者」とか「パレスティナ人」とかの既定の枠を超えた人間として見て、彼らの命を感じ、その背負った死や苦しみの記憶を受け止める。彼らをヒステリックな怒りと正義の側でありたい我々の自己願望のための手段として消費するのでなく、彼らからなにか人として大切なことを学ぶ。そして広河がとくに48年をめぐる証言を撮っているとき、その奇跡の瞬間は、すばらしく魅力的なかつての村人たちであった老人たちはもちろん、かつてデイルアシンの村があった場所で証言する元パルマハの老人など、「加害者」のイスラエル側で直接に「加害者」であった当人たちとのあいだにもあるし、いささかぞっとすることながらデイルアシンの虐殺を行ったイングンの元兵士の老人とのあいだにもある。その奇跡とも思える映画的な、ドキュメンタリー的な瞬間をもっと大事に出来なかったのだろうか? そこにはテレビや新聞でうんざりするほど見ている暴力的な衝突からは見えてこない、真の悲劇の根を読み解く鍵があるはずなのだが。

なんだかとってももったいない、貴重なフッテージの可能性を生かしきれずに、映画になりきれていないこの『ナクバ』を見ながら、思い出したのはゴダール様の、ちょうど広河隆一がキブツの社会主義に憧れた青年だった頃のお言葉である。


<ラジオニュース>米軍も多大な戦死者を出しましたが、ヴェトコン側も115人戦死しました。
アンナ・カリーナ「無名って恐ろしいわね」
J.P.ベルモンド「なんだって?」
アンナ・カリーナ「ゲリラが115人戦死ってだけでは、一人一人のことはなにも分からないままよ。妻や子どもがいたのかしら? 演劇よりも映画が好きだったのかしら? まるで分からない。ただ115人死んだというだけ」

    『気狂いピエロ』ジャン=リュック・ゴダール、(1965)



これだけ「一人一人のことが分かる」繊細なフッテージが撮られていながら、『ナクバ』は結果として70万人以上が難民になったということ以上にはほとんどなにも分からない映画にならざるを得なかったのはなぜなのだろうか?

ちょっと乱暴な決めつけかも知れないが、その理由は広河隆一のせいでも、安岡卓治のせいでもない。彼らに映画的感性とか真の人間性が欠けているからとか、このフッテージの真価が分かってないからとかでもないはずだ。そうではなくて、映画を作るにはそれなりにお金がかかり、こういう映画の場合下手すると公開・配給するときにもっとお金がかかる。映画界の実態は暴虐なる古典的資本主義へとかなり逆行しているから、映画館という不動産資本を持っている劇場が搾取し、そこに搾取される配給が倒産するわけにも行かずに今度は映画を作っている側を搾取して経済的な無理をしわ寄せし…とマルクスが分析したそのまんまに労働者=職人=映画作家が搾取されるヒエラルキーがあり、映画製作という第二次産業の労働者の側には公的助成がほとんどなく、テレビがドキュメンタリー映画に出資することもないこの国では、劇場とか想定される観客層のイージーなマーケティング理論の資本の論理に屈服しないと、ドキュメンタリー映画は成立できない。

それだけでも十分につかれる話なのだが、考えるだに恐ろしいことに、たとえば『ナクバ』に想定される観客は、ドキュメンタリー映画など求めていないのだ。もっと言えば「ドキュメンタリー映画」の観客が、映画もドキュメンタリーも求めていないと、少なくともドキュメンタリー映画に関わっている人々の大半が、映画業界が、劇場も配給も宣伝も、そう思い込んでいる。その彼ら自身が、ただ 「115人死んだというだけ」以上のことは、分かりたいとも思っていない。そこを考えるのは商売の邪魔だと思い込んでいる。実を言えば彼ら自身が、観客一人一人などについてはなにも分かろうともせず、「1000人」とかの数字でしか考えられない想像力の欠如の、延長でしかないのだが(だからなんでもかんでもとりあえず「愛」とかつけるんでしょうね)。

しかし本当に我々が作っている映画を必要としてくれている観客は、明らかに「ただ115人死んだというだけ」では満足しない、「一人一人のこと」を分かりたい、「妻や子どもがいたのかしら? 演劇よりも映画が好きだったのかしら?」を知りたい、そういことこそを求めているはずなのだ。そしてそうした人々の数は、我々「映画業界」「ドキュメンタリー業界」が思っているよりも、ずっと多いはずだ。なぜそう確信できるのか? だって「一人一人のこと」を分かりたい、「妻や子どもがいたのかしら? 演劇よりも映画が好きだったのかしら?」を知りたいのは、人間として本来、あまりにも普通のことなのだから。だいたい「妻や子どもがいたのかしら? 演劇よりも映画が好きだったのかしら?」に興味も持てなくて、映画なんて見ようと思うわけがないのだから。

で、あまりにも普通の、人間として当たり前の本来の他者への好奇心と興味と愛と優しさと慎ましさをまだ持っている大多数の人にとって、『ナクバ』は「著名なフォトジャーナリスト」広河隆一センセイのご高説をカリスマとして受け取って安易に同化した気分になるためにこの映画を見る人たちにとってのように興奮できるものではない。でも広河隆一という人が撮った、人間として当たり前の本来の他者への好奇心と興味と愛と優しさと慎ましさの瞬間は、必ずそこに見いだすことだろう。パレスティナのじいさんたちの話し上手に感動しながら、いかに苦難が人間をかえって豊かにもし得るか、我々の人間性に秘められた巨大な可能性を感じ取るだろう。「このじいさんは本当に偉い!」と思える瞬間がいくつもあるだけ、それだけでも見る価値は十分にある。

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