遠藤周作 (3.27.1923-9.29.1996)
『沈黙』のなかで筑後守も、主人公の師にあたり、既に棄教していたフェレイラも、キリスト教は日本には根づきようがなかったのだと言う。
歴史的には、徳川幕府の厳しい禁制によりキリスト教は排除され、わずかに「隠れ切支丹」が細々と信仰を守り続けたというのが一般的な解釈だ。だが自身が幼児洗礼によるカトリックだった遠藤は、『沈黙』でまったく異なった解釈を、二人の棄教者に語らせる。この日本という泥沼のなかで、二人の棄教者は、彼らが一度は信仰して広めようとした宗教は、根腐れして滅びる運命なのだと言う。
奉行所はもはや、隠れ切支丹を本気で訴追するつもりはないとまで、奉行は言う。根を失った切支丹の信仰に、未来はないのだ、と。
それはまた、『白い人』などの初期作品群で遠藤が追求した現代日本のなかの東洋と西洋の相克、その考察の頂点としての異形の傑作『海と毒薬』に荒々しく、そして不気味に提示された「倫理なき民としての日本人」という指摘の延長であり、遠藤にとってのひとつの結論でもあろう。
この歳になり、日本の映画作家としてなんとか映画を作り続けて来ていて、「日本という泥沼」という恐ろしい言葉がどんどん気になって来ている。
こと21世紀に入ってから、「日本という泥沼」という言葉は実際の日本社会を見るとき、より痛切な言葉として響くし、その響きの恐ろしさは最近とりわけ際立って来ているように思えるし、とくにここ数ヶ月に至っては、日々激しくなって来ているのが正直な実感だ。
そして今日、横綱の朝青龍が突然引退したことについても、あらためてこの「日本という泥沼」という言葉を考えざるを得ない。
なにしろ「厳重注意を5回も」と言ったって、この写真の程度のことで「横綱の品格」とは、いじめとしか思えない。かわいいじゃん、愛嬌たっぷりだし、みんな喜ぶじゃないか。なにが悪いんだよ?
引退会見のなかで「メディアで報道されていることは実際に起ったこととかなり違う」と漏らし、「みなさんの力に圧倒され」自分は負けてしまったのだという思いを滲ませたその悔しそうな顔に、このとにかくもの凄く強いモンゴル人青年、日本の相撲という世界のなかで自分の生きる道を果敢に戦い抜いて来た彼もまた、結局は「日本という泥沼」にはかなわなかったのだなと、思わざるを得ない。
「ちょっと休みたいなという気持ちもある」「精神的なダメージ」とも、朝青龍は口にした。
それはそうだろう…。なにをしても、ちょっと故郷に帰って愛想良くサッカーをちょっとやっただけで叩かれる、それも彼の相撲を見て楽しんでいるわけでもない「識者」がもっともらしくしかめ面をして。
ファンは喜んでくれても、「世論」となると「日本人は品格を求めている」と言われ続けるのに、その要求される「品格」はなんとも曖昧、というか意味が分からない。
分からないのは当たり前だ。
我々が聞いたって「朝青龍だから言われている」としか思えない−−他のモンゴル出身力士と違って、自分が日本の大相撲の一員であると同時にモンゴル人であることを隠しもしなかったから叩かれているのか、なにか批判されるたびに繰り返されるのは「日本の伝統」という言葉だった。
引退の引き金になった問題にされている事件では、午前4時まで酒を呑んでいたことだけでも叩かれている。
だがそれでも優勝できる破天荒な強さは、誰も褒めてくれない。
こういう型破りな横綱だって過去にはいたし、日本人だったらそんなことでは叩かれないのに。
いったいなにがなんだか分からない、そういうふうに追いつめられて来たからこそ、彼は朝4時までヤケ酒を呑まなきゃやってられなかった、とも思いたくなる。
大相撲は神事に起源を持ち、要するに裸祭りであり、裸の人間の持つ身体のパワーを神に奉じる儀式であると同時に、その裸の肉体自体に神が宿る。
「横綱」とは、日本的な神、つまりは農耕民族である日本人にとって豊作ももたらせば飢饉や日照り、洪水といった災厄を与えもする両義的な概念が宿った肉体だ。だから神の力を抑え人に役立つ程度の発露に留める道具としての綱を腹に巻くことが、「横綱」の本来の意味である。
その神のあり方はフランス留学までして遠藤が学んだ西欧キリスト教の「絶対的な善・正義」としての神とは異なるし、明治維新以降の西洋化・近代化のなかで強引かつ人工的に作り替えられてしまった現代日本人の意識にある「神」とも、かなり異なったものだ。
時に破天荒な行動で物議もかもす一方で、一般の人々へのサービスとなるととんでもなく愛嬌があり、そのなかに繊細さややさしさを滲ませる朝青龍は、もっとも本来の横綱にふさわしい横綱だったとすら思う。
なによりも土俵にあがったとたんに顔つきが変貌し、身体全体に日常を超越したエネルギーが満ちあふれるその姿(本人は「鬼になる」という)と、その見た目を裏切らない圧倒的な、呆れるほどの強さ。
だがその魅力のすべてが、自分が型破りで突出している存在であることを隠そうともしなかったが故に、常にバッシングを受ける理由でもあり続けてた。
「自分は自分なんだから、人に合わせることはないと思うんだけど」という、呆れるほどの強さの反面にある繊細さゆえの弱気が漏らしたあまりに素直な正論が、また傲慢だと叩かれる。
日本国籍をとらないことも叩かれる。日本とモンゴルの両方を愛すること、モンゴル人の横綱という「自分は自分なんだから」も許されない。
普通の、というか凡百の現代日本人のなら「世間」というこれまた曖昧な概念に従うために多少はおとなしくなるものなのだが、なにしろ横綱イコール「神」なんだからそんなことはそもそも彼には出来ない。
そこを必死で闘い抜いて来たのが、朝青龍の25回の本場所優勝という光の裏の、影の部分であり苦しみだったのではないかと思うと、この終わり方はやはりあまりに悲しい。
バブル崩壊以降はずっと先進国として成長するエネルギーが停滞している「日本という泥沼」は、いよいよその曖昧な泥沼性を常に増幅させて来た。
そしてこの泥沼は、今日この男を殺すことに成功した。
そういえばマスメディアでは朝青龍と並行してバッシングが続くもう一人の人物がいる−−言うまでもなく小沢一郎・民主党幹事長だ。
だいたいこの二人は、とくにマスコミに嫌われる点では、その理由までよく似ている。
「マスコミ嫌い」だとどちらもよく言われるが、正確にはどちらも「バカなマスコミ」「バカな記者」が嫌いなのだろう。テレビで会見などを見れば、二人とも記者の質問のレベルが低いと露骨に不愉快な表情が顔に出る。小沢に至っては「君は憲法を知ってるの?」などとお説教まで初めてしまう。
二人とも「傲慢だ」というだけでまた叩かれる。
朝青龍の引退と、小沢が結局不起訴と決まったこと、このふたつが今晩の二大ニュースになっているのは、なんとも皮肉だ。
朝青龍は問題になった事件について「メディアに流れているのは実際に起ったこととずいぶん違いますが」とだけ言い、被害者だという男性の主張もよく分からないで真相はうやむやだし、小沢への非難も金額が大きい以外は同じ事務所と政治家本人の個人資産のあいだで資金繰りのために短期的な帳簿の付け替えがあり、それをちゃんと記載していなかったという以上の「事実」は結局なにも出ていない(って、いくら正確に帳簿をつけても、普通そういう帳尻が合った話は書いても無駄だから省略する)。
検察がさんざん噂を流したゼネコンからの裏金にしても、5000万円という憶測の根拠は、証言している中堅ゼネコン元幹部とは脱税で収監中の人物で、同人の証言に基づいた元福島県知事の収賄事件が二審で無罪が確定していることは、なぜかほとんど報じられない(つまり検察の取調官の都合にあわせた偽証である可能性が相当にあるのにも関わらず、である)。
そして不起訴が決まったところで、やっと「無理筋の捜査だった」という、多くの検察OBがだいぶ前から言っていることが、やっと大手新聞の紙面を飾り始める。
小沢の政治資金をめぐる事件といえば、総選挙前の代表辞任に追い込まれた一件では、「虚偽記載」自体が成立するかどうか極めて怪しい(要は秘書がOB団体からの献金が西松本体からの迂回献金だったことを知ってたかどうか、という確認・立証のしようがないことに争点が絞られる)し、秘書の公判での検察の主張は小沢事務所が「天の声」というわけで、野党の政治家だから職務権限を主張しようもないにせよ、これまた立証が不要の「天の声」とはお粗末な話だ。
いやその「天の声」も含めて、小沢一郎をめぐる「政治とカネ」の疑惑や非難はその実、小沢自身にかなりの資金力があるということ以外には、とりたててなにも根拠があるわけでもない風聞の類いばかりだ。
「金に汚い」というイメージに至ってはただ田中角栄が見込んで抜擢し、金丸信の後ろ盾で自民党の最年少の幹事長になったというような過去がまことしやかに繰り返されるだけ、「田中と金丸の流れだから汚いに決まっている」という話にしか落ち着かない。
山本七平による日本社会の分析の言葉を借りれば、すべてが「空気の問題」でしかないのか?
朝青龍は生意気で気に入らないという「空気」、小沢一郎はなんとなく怪しい政治家だという「空気」。
不起訴が決まったとたんに噴出する意見に至っては、「クロとは決められなかったからといって、グレーであることには変わりない」という、これまたなんとも曖昧で掴みどころがない話。朝青龍に要求され続けた「品格」と同じくらいに。
泥沼の上を覆う「空気」。創世記の第一章に記された、海とも陸とも判然としない曖昧としたカオスを覆う、「神の霊」のような…。
旧約聖書的な世界観は、そのカオスの地表が神の声によって陸地と海に明確化されることから始まる。
たぶん日本という極東の列島は、その明確化の領域の外にあり、今もあり続けているのかも知れない。
中央で発せられた声があったとしても、その声は明確化の領域の外か、せいぜいがギリギリの周縁にしか位置しないこの列島には、曖昧な反響、こだまとしてしか聞こえない。
その声が響いた中心で説かれる「神」と、周縁である自分の故郷。遠藤がその相克で苦悩したのも、むべなるかな、であろう。
政権交代とその後の政策のグラウンドデザインを作ったのが、小沢であるのは隠しようもない。
そこには民主主義という根本的な理念に基づいた、相当に明確で論理的なビジョンがあって「革命だ」とすら本人は言っている。
その「無血革命」構想には官僚が実質支配する日本の権力構造への革命も含まれ、対米従属から国際協調主義、国連中心の新しい世界秩序の構築のなかで日本が占めるべき役割も含まれ、検察と裁判所の癒着が冤罪の温床となっていることが常に指摘される司法の改革も含まれる。
だが小沢一郎について常に語られるのは、決して彼が明確にしている理念でも彼の論理でもなく、「豪腕」とか、果ては「闇将軍」「小沢独裁」といったイメージに過ぎず、かなり丁寧に論じられ説明されていることも無視され、小沢の権力の大きさ、側近や支持する議員が多いことなどばかりの話になり、国会論戦の争点にまでなる始末である。
小沢という人間についてのあやふやな先入観ばかりが議論され、そのあやふやなイメージだけが「空気」のなかで増幅し、確定できる事実や、本人の主張であるはずの理念や方針はどんどん矮小化されるこの不可思議さ。
遠藤という現代日本人にとっては、「キリスト教」という西洋起源の宗教の問題が一生つきまとった。それがズブズブと取り込まれる泥沼としての日本というものの怖さを、彼は『沈黙』に刻み込まざるを得なかった。
小沢一郎という現代日本人をめぐって明らかになる、日本という泥沼によって根が腐らされているものとは、やはり西洋起源の政治理念である「民主主義」なのかもしれない。
「板垣死すとも自由は死せず」の言葉で知られる暗殺未遂事件を報じた錦絵
板垣退助や大隈重信、中江兆民といった人間たちが明治時代にもたらそうとした近代民主主義は、現実の日本ではその意思決定の基本にある多数決すら、ズブズブに本来の役割を解体されてはいないか?
極端な例でいえば、これまた最近話題のやはり相撲界の話、相撲協会の理事選挙のなんとも後味の悪い騒動がある。選挙による多数決のはずが実態は一門の票数で決まる談合体質、その一門の候補に投票しなかった若手の親方が一門に密室つるし上げを食らって退職を表明、すると相撲協会のイメージを壊すというので今度は強引に慰留され…。
ここまで極端でないにせよ、政治の世界でも、日本では議員は党議拘束を外れることが許されない。
だから政党ごとの議員の頭数でしか意思決定はなされず、国会の論戦はただのショーにしか過ぎないのを誰もが知っている。
少なくとも政治記者たちは百も承知だろうに、わざわざ「国会の論戦を期待する」とかばかり、彼らはしたり顔で言いたがる−−ほとんど無意味だと分かっている、本会議や委員会でなく与党と野党の国会対策委員の協議がすべてなのは、分かりきっているはずなのに。
選挙でも、よほどのことがないと組織票が最大の影響力を持って来た。もちろん小沢一郎という男自身が、その現実の一部となって選挙戦略の上手さで権力の座を得て来てもいることも確かだ--そうしなければ彼は自分の理念や論理を実現もできないのだが、しかしその手段はさんざん論じられても、目的はなにも論じられない。
あたかも、政治とは理念と政策の問題ではないかのような。
多数派とは多くの人々が賛同する意見のことでもなく、子分の多さでしか計られないかのような。
熊井啓/遠藤周作原作『海と毒薬』
「この人たちも結局、俺と同じやな。やがて罰せられる日が来ても、彼等の恐怖は世間や社会の罰にたいしてだけだ。自分の良心にたいしてではないのだ」
ポール・シュレイダー『Mishima: A Life in Four Chapters』
ロラン・バルトは『表徴の帝国』のなかで、日本文化を表層に見える形式だけがすべてのいわば「風呂敷文化」として分析している。
バルトはだから、日本とは表象だけでこそ読解すべき場であり、表象の背後になにがあるか、なにを表象しているのかを考えるべきではないという。
風呂敷こそが真実であり、その中身を風呂敷から類推する西洋的な知の規範は日本に直面したときに限界を曝け出すしかないのだと。
バルトの眼差しはあくまで西洋のそれであり、限界に達した西洋文明から見た羨望ですらあるかも知れない。
だが、風呂敷の中身を知ろうとそれをほどくと、別の風呂敷包みが見えるだけ、とでも言うような感覚は、日本人である自分自身でさえ感じざるを得ないときは多い。
社会制度や社会の表層を見たときだけでなく、個人を見たときさえ、しばしば同じ感覚に襲われる。
行動や発言からその個人がなにを考えているか、なにを感じているのかを類推することが不可能で、かといってそれを口にすることすら頑に拒む日本人。時に口にしたその「気持ち」でさえ、なにかを隠蔽して上辺だけをつくろっていることを疑ってしまう感覚。
多重の風呂敷包み的な人間たちの、多重に風呂敷包み的な感情。
あるいは“たまねぎ”人間?
皮を剥いたらなにがあるかを探ろうとした日には、延々と皮をひたすら剥き続けるハメになるだけ。探していたはずの「中身」や「芯」はなにもないまま、気がついたら剥いた皮しか残らない。
バルトはだからこそ、風呂敷だけを見てそのフォルムの美しさだけを堪能しろと言うのだが…。
一人一人の意思はなにも見えないか、表明されているとしてもそれにまったく矛盾した、理解不能でまがまがしい集団の意思がいつのまにか支配している “日本人の集団” という泥沼。
『海と毒薬』という終戦間近の日本が主な舞台となる小説で追求された「倫理なき民としての日本人」ということでいえば、いちばん恐ろしいこの種の泥沼といえば、今の日本の原点となる第二次大戦敗戦の意思決定だ。
戦争の開始自体が、まったくの命令違反の独断専行で関東軍が満州事変を初めてしまったことにあって、これを処罰もせずにズルズルと戦争を拡大し、世論も「それでいいじゃないか」となると誰も止められない文字通りの泥沼の戦争になる。もはや勝ち目がないことは1942年の段階で明らかなのに、「やめるべきだ」という意見を政権を握り責任を負っているはずの指導者たちが誰も口にしないまま、1945年まで戦争は続き、そして落としどころは「陛下の御聖断」である。
岡本喜八『日本のいちばん長い日』
あたかも天皇が戦争を終わらせたかのように見えるが、実態は違う。政治家の誰もが決定する意思の表明とそれに伴う責任を引き受けることを躊躇し、最高指導者会議で票数が同数になり決定を出せない状態にわざとして、その時に限って行使される天皇の決定で敗戦を受け入れるという形をとる、形式だけの出来レースだったのだ。
「御聖断」による終戦を裏で画策した首謀者の一人、天皇の弟・高松宮宣仁親王は、その日記にこの苦渋の決断を記した、
「敵(陸軍)が『精神論』という不合理で来る以上、我々は『御聖断』という不合理で対抗するしかない」。
いったいあの戦争はなんだったのだろう?
市川崑『ビルマの竪琴』
現実世界では多くの現実の日本人たちが将兵として兵站の確保もままならない前線で餓死・病死も含む残酷な死を強いられ、本土では現実の日本人達が「銃後」であっても空襲に焼き殺され、食糧も枯渇し飢えているなか、沖縄でやはり多くの現実の人間が日本兵に殺されたりするなか、本当に意味を持っていた闘いは、ごく一部の日本人たちの内輪のなかで戦われ、そのごく一部の誰もが責任を問われ傷つくことがないような曖昧な落としどころを模索するためだけに、何ヶ月も何年も費やされ、そのあいだに多くの現実の日本人たちが命を落としていた。
しかし「泥沼の上に漂う空気」はそのあまりにもの愚かしさを問うことすら許さない。
「暗黙の了解」によって、ただ抽象化された「天皇の戦争責任」の有無だけがせいぜい左派を自称する人々から挙げられるだけだが、その声すらしょせんはこの「空気」にかりそめの変化を起こさせるためにしばし振動させる以上のことは、なにもして来ていない。
かりそめの変化が起ったに見えても、気がつけば「空気」は元のままに戻っている。
淀んだ空気、停滞して決して動かない空気、バブル崩壊以降、日本という泥沼を覆う「空気」は、もはや本気で動くエネルギーすら持ったず、ただ停滞している。
近現代の日本にこの「空気」そのものを問おうとしたのは、遠藤のような文学者たちや、小津、溝口、成瀬、鈴木英夫と言ったごく一部の映画作家など、芸術家たちに過ぎないのだが、日本という泥沼はすでに用意周到に、芸術というものを「文化教養」の名を借りた好事家の趣味程度のものとしてしか認めず、その「空気」を震撼させるものとしての力も予め去勢して来ている。
表現行為には、ほとんどなんの社会的インパクトがないこの「空気」。
その意味では、自殺することこそが、芸術の本来の役割を日本の文学者などの芸術家が発揮できる唯一の手段なのではないかとすら、思える。
つまり三島由紀夫の自決に頂点を見るような、自らの死を作品とする行為。
ポール・シュレイダー『Mishima: A Life in Four Chapters』
実際、三島だけでなく、川端康成、太宰治、芥川龍之介と言った多くの近代日本文学者は、自ら命を断つ行為によって神話になっている。三島に至ってはその文学作品は読まずとも、自決という究極の三島作品を知らない者はほとんどいないだろう。
現代の日本人は表向きの現代文明のなかで死を恐れ「命は地球より重い」といいながら、一方ではその命を奪った「償い」として安易に死刑に賛成する国民でもあり、刑事ドラマの殉職から難病もののブームまで、大衆文化にも死へのフェティシズム的な憧れが、無節操に行き渡っている。
一方に、生きるという実感を求めて疑似自殺(リストカット)をする少女たち。なにか衝突が一度でもあるだけで、簡単に人間関係から沈黙する若者たち。あたかも「小さな死」を日々繰り返すことでしか、生きることができないかのように。
正岡子規 (10.14.1867-9.19.1902)
あるいはすでに近代日本文学の草創期に、正岡子規という天才は肺病病みの喀血を自ら揶揄して「歌いながら血を吐くホトトギス」を意味する「子規」を俳号として、血を吐くホトトギスとして夭逝した。
子規の親友であり、芥川の師でもあった夏目漱石もまた、こちらは胃を病んで吐血する小説家であり、その胃の病は神経性のもので、英国に留学していたときに発症したと言われている。
留学といえば、遠藤周作もフランス留学中から肺を病んでいた。『海と毒薬』は小説家の「私」がかつて生体解剖に参加した医師に病んだ肺の空気を抜く気胸処置を受ける場面から始まる。
そして『沈黙』は肺結核が進行し大手術を受けた死の淵の入院中に構想が浮かんだ小説である。
遠藤が行き着いた「日本という泥沼」という恐ろしい言葉もまた、決して遠藤に始まった概念ではない。
市川崑/夏目漱石原作『こころ』
恐らくは明治時代に日本の近代文学を書き始めた小説家たちは、大なり小なりすでにこの問題に向き合っていた。
幕末と明治維新で急速に入り込んで来た西洋文明と、日本もまた欧米列強の植民地になるのではという潜在的な恐怖は、日本人がそれまで島国のなかでなんとなく日本人であり、恐らくは「日本人である」という意識もかなり希薄なままだったことを、凄まじく短い時間のなかで激変させることを要求したのだから。
政治的権威と世俗道徳としての忠義の頂点には徳川将軍がいて、精神的な倫理の頂点にあり暦を支配することで天皇が日本全体にデリケートな影響を与えていた独特の二重構造は、性急に天皇中心の国民国家という新しい概念に書き換えられた。
それまで御簾の向こうに垣間見えるだけの見えざる権威、誰も顔を知らないはずの天皇は、突然「御真影」という顔の見える存在に書き換えられて、日本人全員を同じ日本人として教育する機能を持った学校などの公的機関に配られた。
西洋の風習に合わせて国旗国歌も性急に決めねばならず、維新に主導的役割を果たした薩摩藩が交易の際の船の商船標識に使っていた「日の丸」がそのまま国歌になり、平安時代の新年の儀式の歌には外国人作曲家に依頼したメロディーがつけられて『君が代』という国歌が捏造された。
未だに議論を呼びながら右派が「日本の象徴だ」と主張する「日の丸君が代」は、しょせんは急場しのぎに、「日本が欧米諸国並みの国」になる形式のためにでっちあげられたものに過ぎない。
今思えば、そこに近代日本の不幸の原点があるのかも知れない。
ささやかな滑稽な裏話がある。明治天皇の御真影として配られた「写真」は、写真ではなかった。日本の天皇だというのにナポレオンを模したような、いかめしい軍服を着たのあの有名な威厳ある姿は、イタリア人のお雇い外国人画家の手になる肖像画の写真複写なのである。
今月には「建国記念の日」があるが、これも他国がそれぞれに建国や独立、あるいは現体制の根拠となる革命などの記念日を「ナショナル・デー」としていることに合わせた急ごしらえに過ぎない。
日本書紀には神武天皇の即位が正月元旦であったことが記されているが、明治新政府が東洋に伝統の太陰暦を棄てて西洋の太陽暦を採用した際に、計算上神武帝の即位年の正月元旦が太陽暦が2月11日になるからとの理由で、これが「紀元節」というナショナル・デーになった。
ちなみに現在の日本は外交上はこのナショナル・デーを採用せず、大使館等の慣例の祝賀会は、天皇誕生日に行われている。
日本古来の宗教であると思われている神道ですら、西欧諸国の多くがキリスト教国であることに合わせて、それまで仏教と曖昧に混合したアニミズム信仰であったものを無理矢理制度化したものに過ぎないのだ。
明治維新以降の近代の日本がそのアイデンティティの基盤であり象徴であるかのように装っているもののほとんどが、実は西洋の風習に合わせるために性急に作られたものに過ぎないのである。
旧約聖書的世界観の原初にあったカオス、そこに神の声が響くことで陸と海が明確化されたのだが、周縁にあったこの日本列島には声は曖昧なこだまとしてしか反響しなかったのでは、というのは、決して「西洋中心の植民地主義的な日本観」ではない。いやむしろ、明治維新によって日本自らがその位置に自分を置いて来たのである。
夏目漱石 (2.9.1867-12.9.1916)
文書における言葉と日常に発せられる言葉がかなり乖離していた江戸末期から明治初期の日本で、その近代文学は西欧の文学と同様、書き言葉と話し言葉の一致を試みることがその始まりだった(二葉亭四迷の「言文一致」)。漱石のような作家はその新しい、いわば西欧の借り物の文学手法を用いて小説を書きながら、漱石という名が俳号であったことからも分かるように、俳句・連歌・和歌などでかつての日本の文語への感性を保とうとした。
あるいは漱石の英国留学と双璧をなす、ドイツ留学帰りの森鴎外は、ドイツ・ロマン派の影響が色濃い『舞姫』に始まりながら、古文書の読解に基づく厳格な歴史小説に次第に傾倒するようになった。
溝口健二/森鴎外原作『山椒大夫』
日本の新しい文学を書き始めた彼らが直面した日本とは、どのような国だったのか?
直接植民地となって他国の支配を受けることはなかったが、当初は形だけにせよ自らの意思で西洋化をすることで、人造の、不自然な、急ごしらえの「日本人」というアイデンティティの形を整えた国に過ぎない。
その大改革のなかでそれまでの「日本」はわずかに古典芸能や茶道、漱石らのたしなんだ俳句・連歌・和歌などのなかに認識できる残骸を残すのみになった。
市川崑/夏目漱石原作『こころ』
庶民の生活ですら、髪型から服装から、すべて変えなければならなかったのである。そしてもちろん、なによりも「日本語」も。
だがその一方で、我々の無意識のなかには、かつての日本の認識できない残骸が、あたかもかつての「神」であったものが「魔物」にでも転じたかのような存在感を持って、そこらじゅうに転がってもいる。
我々の住む町の構造や、家の構造、あるいは年中行事などにも、西洋化によっていろいろとその形を歪められながら、その「神/魔物」は実はそこらじゅうに転がっているのである--日本の「カミ」本来の不気味さ、怖さ、まがまがしさの片鱗すら、ときには回復して。
藤原敏史『ほんの少しでも愛を』(撮影中・2011年完成予定)
この不自然に意識・認識と無意識が乖離した、感覚なき感覚の、唐突に出来上がった世界。
「見て見ぬふり、気付かぬふり」に覆われた「空気」こそが、漱石から遠藤に至る日本の文学者たちが向き合い続けたものなのではないだろうか?
そこで使える言葉もまた、急ごしらえのいびつな「日本語」でありながら、過去は乱暴に「日本」自らの手で破壊されてしまった以上、それ以外の日本は、もはやどこにも存在しないのだ。
市川崑/夏目漱石原作『こころ』
もはや存在しない本来の日本、それが消えた後を埋めているのが、この不自然に意識・認識と無意識が乖離した、感覚なき感覚の「空気」なのではないか?
江戸時代初期を舞台にしながら、『沈黙』の井上筑後守がやりきれない口調で語る「日本という泥沼」は、寛永の日本よりは明治以降の日本なのではないか?
そう考える時、遠藤周作の日本文学者としての位置は極めて明確になるのかもしれない。
なぜなら井上筑後守とフェレイラが嘆息する「日本という泥沼」は、漱石の恐らくもっともパーソナルな小説に登場する、鎌倉の海水浴場のようなものだからだ。
つまり、『こころ』の「先生」はなぜ自殺しなければならなかったのか?
市川崑/夏目漱石原作『こころ』
先生が溺れて命を断つしかなかった「曖昧なる明治の日本」と自らの倫理の相克の深い海の奥底で、『海と毒薬』の勝呂医師は生き続け、生体解剖の血に染まったその手で、遠藤の分身である小説家の胸に、気胸針を刺し込み続けているのではないだろうか?
そして我々もまだ、その曖昧なる、倫理を失ってしまったかのように見え、なんの合理性も最終的には通じないような「日本という泥沼」のなかにいる。
そこから抜け出せないまま、捏造されたいかさまのアイデンティティのインチキの表象である「日の丸・君が代」に固執し続ける人々もまたいるわけであり、その同じ彼らは、モンゴルからやって来て(皮肉なことに、混血民族である日本人の源流のひとつとも言われる土地だ)、久々に明治以前の日本の「カミ」とはどんなものであったかを見せてくれた、神々しいまでの力士を、今日の日についに葬り去ったのである。
いやそれは違うだろう、朝青龍を本当に飲み込んだのは、誰か特定の個々人やその集団ではない。
それが直接にはある集団(たとえばマスメディア)であったとしても、それは日本という巨大な泥沼の倫理なき倫理、論理なき論理がそのまま引き写しにされた、泥沼のような集団であり、個々の人間が集団になったとたんにその泥沼の一部に取り込まれ、個々人の顔も美点も失ってしまう。
その泥沼の底では、人間が「自分は自分なんだから」ということすら、許されない。
藤原敏史『ほんの少しでも愛を』(撮影中・2011年完成予定)
だが一方で小説『沈黙』は、自らも踏み絵を踏んだ、つまり棄教した主人公が「自分は今でもこの国で最後の切支丹司祭なのだ」という言葉で終わる。
主人公が踏み絵に足をかけるとき、主人公はその踏み絵のなかのキリストが彼に語りかける声を聞く。「踏むがよい。あなたの足は今痛むだろう。踏むがよい。私はあなたたち人間のその痛みを分かち合うためにこそ、この世に生まれて来たのだから」と。この瞬間に主人公はキリスト教の本当の意味を知る。
主人公が踏み絵に足をかける瞬間に遠藤が発見した「同伴者イエス」、神は人間の弱さと痛みと悲しみを分かち合い、ともに苦しむための存在なのだという考えが、小説『沈黙』にキリスト教文学として革命的な意義をもたらしている。
この瞬間に、キリスト教国でない、キリスト教徒の人口比率が1%の日本の小説家でありながら、遠藤周作はキリスト教文学における20世紀最大・最重要の文学者としてグレアム・グリーンらに高く評価され、今なお多くの影響を世界中の、主にキリスト教圏に、与え続けている。
マーティン・スコセッシ『クンドゥン』
ほんの一例を挙げるなら、マーティン・スコセッシが『沈黙』の映画化を切望し続け、すでに「同伴者イエス」に近似した存在としてダライ・ラマの前半生を映画化した『クンドゥン』や、その映画的双生児ともいうべき『救命士』を発表している。
一方で映画といえば、遠藤自身はフェリーニの『道』が『沈黙』などの大きなインスピレーションだったと言っていた。
フェデリコ・フェリーニ『道』
もっとも惨めでもっとも弱く、もっとも苦しんでいるものこそがもっとも聖なるものなのではないか?『道』のジェルソミーナに触発され、遠藤自身が自分をモデルにしたと告白している『沈黙』のもう一人の棄教者キチジロー、『死海のほとり』の「私はここにいる、あなたのそばに」と言うことしかできない無力なイエスと、最後にイエスの分身であったことが分かる「ねずみ」というポーランド人修道士、『侍』で支倉常長が牢獄に見いだす「惨めなる王」、そして遺作『深い河』の「タマネギ」。
遠藤自身は、それを日本人にとって可能なキリスト教の探求であると語っていたのだが、これはむしろキリスト教の原点回帰というか、20世紀という時代に辛うじて信じられるほとんど唯一の「神」のあり方かも知れず、つまりはキリスト教という文化・宗教を超えた、普遍的な追求でもある。
マーティン・スコセッシ『救命士』
そして『沈黙』の主人公が日本に来て初めて自分の信仰の意味を悟るように、遠藤周作という小説家は「先生」が自殺した暗い海に囲まれたこの列島の人間でもあったからこそ、そこに到達し得たのでもあることもまた、忘れてはならないだろう。
それに遠藤が日本文学に刻んだ、かつての日本語にはその語彙がなかった概念がなければ、曖昧な「空気」のなかでかなり中途半端であるとはいえ、それでもやはり現代の人間であるはずの我々は生きて行けないはずだ。
その概念、『沈黙』以降の遠藤の小説世界が探求した普遍的なものとは…
…「愛」に他ならないのだから。
藤原敏史『ほんの少しでも愛を』(撮影中・2011年完成予定)
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