最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

2/13/2011

エジプトの革命と、日本人の人種差別と平和ボケ

2011年2月11日、ムハンマド・ホシニ・ムバラク・エジプト大統領の辞任が発表されたとき、アルジャジーラの記者はこれを「人間の尊厳の革命」と呼んだ。

アルジャジーラのまとめ映像「エジプトの新しい夜明け」

今日現在、この「指導者なき」「民衆」の革命は、アルジェリアに波及している。

「指導者なき」であり、ほんの数週間前まではムバラク政権に有力な対抗勢力があったわけでもないが故に、先進国とくに日本のメディアは、やたらと今後の不安を強調するのだが、考えてみたらとてもバカバカしいことである。

30年間の強権的な秘密警察支配体制と、賄賂とコネで廻って来た政治の国で、有力な対立候補がすっと出て来るのなら、それもしょせんはその30年間の官僚的な腐敗が許容できる程度の対抗勢力でしかないことは分かり切っている。

はっきり言えば元々「体制側」かそれに類似する政治組織しか、これまでのエジプトにはなかったのだから、民主化をしようと思ったら、今の段階では「なにも受け皿がない」のは当たり前…

…というより民衆そのものしかその受け皿は、あり得ないのが当たり前だろうに。それの何が悪いんだか。

例をあげるなら、パレスチナの民衆がアラファトやファタハの腐敗と国民無視(インフラ整備すら進めない)のやり方にイヤ気がさしても、選挙で対立勢力がハマスしかいなかった結果を見ていれば、エジプト人がそれを分かっているのも当然だし、国際社会だっては少しは学習すべきことだ。

…ってイスマイル・ハニーヤのハマス政治部門はしごくまっとうな宗教保守に過ぎず、あれはブッシュのアメリカが「テロとの戦争」パラノイアでわざわざ潰して、パレスチナ情勢をかえって不安定にしただけなのだが。

だいたい「将来が分からない」から「不安」というのは、いかにも爛熟した元先進国らしい臆病で後ろ向きな発想でしかない。

「分からない」というか「まだ何も決まってない」からには、完全に自由に、エジプトの人々は将来を選択できるのだ。

それにしても、この革命の意味や本質を、日本人は理解しかねている。「指導者がいない」「有力な野党などの対抗勢力があったわけでもない」ことにこそ、あの革命の意味があることも分かっていない。

結果、首相の談話も、他の(とくに民主主義を国是とする)世界各国との違いが際立つほど、おざなりで形式的なものだった。

これくらい上辺だけでも喜んだフリすらしていないのがミエミエな声明は、あとはガザのハマス政府が発表したものくらいだろう。

もっともガザのハマスが決してこの革命を歓迎していない(一方でガザの市民は大喜びしている)ことの意味が分からない日本のマスコミは、そのことも報道しないわけだが。

エジプト人はイスラム教徒で反米だから「親米」ムバラクが倒れたら、今後は「イスラム原理主義」になって当然ハマスと連帯してユダヤ人を殺すんだろう、だからハマスは喜ぶはずだと思い込んでいるのだろうか?

現実がなにも見えていない。

イスラエルとの戦争が始まるんじゃないかとか、実際にはそんなことあり得るはずがないのだが、なんというか平和ボケ民族が戦争を始めたくて仕方がないからそんなこと思いつくのだろうか?

まさかとは思うがアメリカを通してユダヤの陰謀が世界を支配しているとか、本気で信じているのか?どれだけ目立つことに関しては天才的だろうが、しょせんは世界中でたった1300万人しかいないユダヤ人が?

エジプトの政権転覆の余波は今度はアルジェリアに向かったようだが、この関連の報道でも日本人は「反米」か「親米」そして「アラブ人は反イスラエルのはずだから、反米だ」という軸でしか語れていない。

日米同盟に洗脳されて、自分たち自身の意識のレベルで、骨の髄までアメリカの奴隷・植民地に自らを貶めてるのかも知れない。

でもたかが600万しか人口のないイスラエルどうこうなんてことより、数億の人間を抱えるアラブ世界全体の激動を見ようとしないでどうするのだろう?

だからエジプトの革命がああいう形で成功したことの意味も、なにも分かっていない。

これがエジプトのみならず、アラブ人たちの政治的な生き方を大きく変える意味を持つかもしれない、その可能性にすら気づかない。

知識や情報の問題ではない。だいたいこの革命の動機はごく単純に、子どもにでも分かる話だ。

秘密警察に監視されて自由がない国、なにをするにでも役所に賄賂を渡さなければならないような体制でも、生活が成り立つのならある程度は我慢できる。

自国民より外国人(とくに西欧人とアメリカ人)が優先されても、かつては植民地だったのだし観光立国なんだから我慢するしかないなら、まあある程度は、我慢はして来た。

「いずれいい社会になっていい生活もできるさ」という希望があるのなら。

…と、いくらそのいい社会とより改善した生活を待ったところで、30年我慢した末に、経済成長を成し遂げたと国営放送が鼻高々に宣伝しているのに、豊かになるのは政権にコネがある人たちばかりだ。

たいした給料があるわけでもない仕事でさえ、その人々に賄賂を贈るなりして機嫌をとって取り入らなければ就職も難しいような社会は、なにも変わらなかったのである。

それでも不平を言ったら、秘密警察に逮捕されて拷問されるかも知れないような国だったわけだ。

貧困層との格差が広がり、中産階級は高い教育も受けて世界にも目が開かれれば…「うちの国はやっぱりおかしい」と思うのは自然な成り行きじゃないか。

ところがこの、人間的に考えれば自然な成り行きということが、なぜか理解できないのが現代の日本なのだ。

だからイスラエルというユダヤ人国家をアラブ人は憎んでいるはずだから、イスラエルと和平条約を結んでいるムバラク政権が倒れたのだろうという珍妙な理屈に必死でしがみつくのだろう。

無知かどうか以前に、他者を人間としてみられていないこの精神の不自由。エジプト人を月の砂漠の野蛮な遊牧民だから「民族の恨み」とか憎悪でしか行動しない人間だと決めつけてるんだろうか?

たとえばNHKはイランのアフマディネジャド大統領がムバラク政権崩壊を「歓迎した」と繰り返し報道する。

あたかも「反米」の軸でエジプトとイランが結びつくのだと言わんばかりの印象操作なのだが、まだ政権崩壊の前にアフマディネジャドがエジプトの反政府運動を支持するようなコメントを出したとたんに、カイロの解放広場ではイランに対して怒る声が広がったことも、日本ではほとんど報道されない。

解放(タハリール)広場でも、今回の革命の大きな原動力になったというFacebookやTwitterでも、「選挙の時に弾圧やって政治犯を拘束してるイランと一緒にされてたまるか」とのエジプト人の声であふれかえっていたと言うのに。

エジプトの民主化を求める人たちがまったく正当な筋論でイランのイスラム政権をムバラク同様の圧制者だと見ているという、至極あたりまえのことすら、なぜか納得できないのだ。

僕自身は、こうなると本気で呆れ返るしかないことにも遭遇した。

Twitterでこのアフマディネジャドへの反発を呟いたとたん、アフガンで支援をしていると称する人や、10年間エジプトに住んでいたらしい人が、それはアラブ人がペルシャ人を差別しているからだとか、スンニ派のエジプト人が(じゃあコプト教徒はどうするんだ、という突っ込みは置いておいて)シーア派のイランを嫌ってるとか、人種差別偏見丸出しのコメントが飛んで来たのである。

エジプトの民主化運動では「選挙の時に弾圧やって政治犯を拘束してるイランと一緒にされてたまるか」と言ってイランの『支持』に当たり前の反発しただけである。

だいたいチュニジアやエジプトの政変のずっと前から、Facebookではイランの選挙でアフマディネジャド政権が大弾圧を行い、映画監督のジャファール・パナヒなどが今でも逮捕されたままであること等も、ずっと話題になって来ているのだ。

ムバラク政権に反発するエジプト人のとくに若者たちが、そんなアフマディネジャドにも反発するのは、当たり前のことだろう?そのイランの例があるのに、高等教育を受けた人間が厳格なイスラム法の社会なんて受け入れると思うのだろうか?

なんでこれほど筋が通った話を素直に受け取らずに、差別偏見丸出しの邪推にわざわざ耽溺するんだろう?

日本人とは、骨の髄まで差別意識が刷り込まれた民族なんだろうか?

ちなみに「差別意識が骨の髄」だなんて身体的なことに関わるとは、我ながらあり得ない話だとはさすがに思う。

とはいえちょうど一年前、「ボクは差別する身体なんだ」という度肝を抜かれるような言葉を言われたのだ。

この昨年10月の当ブログ・エントリーの最後に埋め込んでいるシーンが、『ほんの少しだけでも愛を』のラストに使えなくなったのは、その言葉を聞いてしまったからである。

そんなことあり得るはずもない、人間はいつでも変われるはずなのだが。意識の持ち方を変えることだけは、自分の力で完全に自由なはずなのだが。

エジプトの革命が今後どうなるか分からない。軍がとりあえず政権を譲渡されたのは、秘密警察の元締めの情報大臣で、CIAとのパイプも噂されるスレイマン副大統領では国民が納得するわけがない以上、他に選択の余地がなかったとはいえ、このまま軍政が定着する危険だってないわけではない。

…とはいえ軍だって、いったん「やろうと思えば出来るんだ」と分かってしまった民衆をそう簡単に押さえ込めると思うほど愚かではないだろう。

だいたい徴兵制の国でもあるからこそ、軍がある程度は民衆にも近いわけだし、軍がおかしな動きをした時には民衆がまたデモを始めるのだから、そしたら国際社会として応援した方が、結果として世界の安定に寄与するし、スエズ運河の安全などの各国の直接の国益(むろん世界一の海運大国日本にとっては、本来最大の関心事である)にもかなうことになる。

なにを日本国内に引きこもった感覚で「不安だ不安だ」と言い続けているのか?

…とここでスレイマンでは国民は納得しないと「だから反米なんでしょ」と言い出す愚か者も絶対いるんだろうけれど、そりゃCIAと結びついてなんでもアメリカに報告されそうな秘密警察体制はイヤだととか、CIAとつながりのある人物が何万人もの人を逮捕し拷問し、言いたいこともいえないようにして来たんだから納得しないというのが「反米」だと言うのなら、そりゃ「反米」なんでしょうけどね…

…ってそんなこと言ってる自分達がバカらしいとは、思わないんだろうか?

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