最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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3/28/2011

ロシア映画の知られざる鬼才、アレクセイ・ゲルマンを讃えて

アレクセイ・ゲルマン『フルスタリョフ、車を!Хрусталев, машину! 』(1998)冒頭シーン

アップリンクFACTORYで開催中のロシア/ソビエト映画特集「100年のロシア」には、アレクセイ・ゲルマン監督の脅威の傑作(という褒め言葉も陳腐に思えるほど凄い映画)『フルスタリョフ、車を!』がプログラムされている。

恐らく1990年代の世界映画でもっとも傑出した怪作であり、世界中どこでもDVD化されていないらしい、いわば幻の、そして呪われた映画は、「奇妙だ」の一言で始まる。


1999年のカンヌ国際映画祭に出品されたものの、無冠で終り、同年の東京国際映画祭での上映では、ゲルマン監督は冗談めかして「東京の観客は素晴らしい!カンヌでは最後まで誰も残っていなかったのに、東京では誰一人出て行かなかった!」と笑っていた。


実はその年の審査委員長であったマーティン・スコセッシは、この映画を「凄い!」「パワフル!」と絶賛している。

なのに無冠で終ったのは「困ったことになにがなんだかさっぱり理解できなかったのだ。だから他の審査員を説得できなくて」。

…と伝えたら、ゲルマン氏は不敵に笑っていたわけだが…。

結局、日本の劇場公開時の宣伝コピーは、このスコセッシの発言を引用させてもらい、「なにがなんだか分からないが、凄い!」となった。

しょうがない、説明不能なほど凄い映画なのであり、そしてさっぱり理解不能なのである。もう見るしかない、感じるしかない映画であるのは、このトップに掲げた冒頭の長廻しショットを見るだけでも、予感できるだろう。

アレクセイ・ゲルマンの圧倒的な不条理の演出力に引き込まれるのと同時に。

スターリン時代の体制側の小説家だった父ユーリ・ゲルマンの人気小説の刑事をあえて主人公とした『わが友、イワン・ラプシン』を、ソビエト体制が崩壊に向かう1984年に発表して以来、14年の歳月を経て完成させたこの寡作の天才の、この現時点でもまだ最新作の映画は、「奇妙だ」と言うナレーションの声で始まる。

   『わが友、イワン・ラプシン』

イワン・ラプシンを主人公とする小説シリーズは、いわゆる社会主義リアリズムの典型的なヒーローとしての、共産主義を信じて悪と闘う刑事を描くものなのだそうだが、息子アレクセイによる映画化は、そう一筋縄でいくものではない。


現代の、50年後に老人となった語り部の現在を見せるプロローグから始まる『わが友、イワン・ラプシン』の冒頭で、その語り部は「これは過去に共に生きた人々へのラブレターだ」と宣言して始まるのだが、その回想のなかの少年時代、1934年の過去、スターリンの大粛正直前のソビエトは、まだ共産主義を純粋に信じられた時代へのノスタルジアと同時に、それが未完成のまま腐敗して崩壊してゆく予兆に、満ちあふれもいる。


誰もが懐かしみながら、誰もが語りたくない時代を、アレクセイ・ゲルマンは賞讃でも断罪でもなく、たた浮かび上がらせる。その複雑な感情のすべてを内包しながら。

そしてソ連がなくなったあと、満を持して発表された『フルスタリョフ、車を!』は、これまたソビエト史の、20世紀のロシア人たちの集合的記憶の、これまたもっとも決定的な瞬間をめぐるものだ。

そのことは題名だけで、すでにロシア人にとっては自明のものなのだそうだ。

「フルスタリョフ、車を!」とは、スターリンの死の直後に側近のベーリアが叫んだとされる有名な言葉だという。

   『フルスタリョフ、車を!』

今回も上映される国際配給バージョンは、冒頭にこれが1953年を見せる映画であること、その政治情勢(白衣の陰謀団事件など)を説明する字幕がつくが、これはロシア公開版や、カンヌや東京国際映画祭で上映されたバージョンにはない。

公開版の日本語字幕では「スターリン閣下!」という台詞の翻訳字幕があるが、これも元のロシア語の台詞にはない。「大元帥同志!」と言っているだけだ。

だからこの冒頭の三分間の長廻しのショットに続く139分のあいだに渦巻く、陰謀と迫害と愛憎の怒濤の悲喜劇は、もしかしてこのボイラーマンという人物がクリスマスか新年のものらしき電飾の電源をショートさせてずっこける、このことだけがきっかけで始まるようにも見えてしまう。

…というのも、本当になんの説明もないので。

   『フルスタリョフ、車を!』ロシア公開版、冒頭部

そう言うと、ゲルマン監督は「そうなのかも知れませんよ。あの事件が全てのきっかけであったとしても、ちっともおかしくないのですから」と平然とおっしゃるのである。

そうであってもおかしくない−スターリンの死の前後の混沌とは、まさにそういう「わけのわからない」ものなのだ。

この映画も、『イワン・ラプシン』と同様、当時は少年だった語り部の、半世紀近く経った思い出として、観客に提示される記憶の映画だ。

   映画の語り部となる主人公の息子

その記憶は現実だけが持つはずの生命力にあふれながら、陽気な悪夢のようでもあり、悲劇であるはずなのに、滑稽でもある。


アレクセイ・ゲルマンは1938年生まれだから当時は14歳か15歳。この語り部はゲルマン本人の分身なのかも知れない。その語り部の声の、この映画で最初に発せられるひとことは、「奇妙だ」である。


語り部は脳外科医の軍医少将である主人公の息子だ。その父はまさに「奇妙だ」でもあり、またわけのわからない陰謀にはめられたのか、自らの自己破壊的な欲望に追い立てられたのか、地位を奪われ突然迫害される立場になり、奇妙な運命をたどる。

密告があったらしいことは分かるが、ただそれがどんな政治的な陰謀だったのか、なぜそうなるのか、それはさっぱり分からない。ひたすら混沌している。


「つまり私が子供の頃は、そういう時代だったんですよ。私にも分からないことを正直に映画にしてみただけなんですから、あなたにもし分かったら、ぜひ教えてもらいたいですね」とゲルマン監督が言うのは、どこまで本気でどこまでブラックジョークなのか…


「それはどうなんでしょうね、私にも分かりませんよ」と不敵に笑っていたアレクセイ・ゲルマンは、今年じゅうにはやっと13年ぶりの新作を完成させるそうだ。

しかしその新作もどうもスクラダノフスキー兄弟原作のSFらしいけれど舞台は中世だという、やっぱりわけが分からないので、とりあえず今は『フルスタリョフ、車を!』をこの機会にぜひ見直すことをお薦めしたい。

この文字通りわけが分からないけど凄い…いや、わけが分からないからこそ凄い映画は、「くだらねえ!」という叫びで終る。

   
「奇妙だ」で始まり、そして「くだらねえ!」

ふと思うと、原発の事故で危機にあるはずのこの国の現状も、この形容がぴったり当てはまる気もする。

ただひとつだけ違うのは、「奇妙」で「くだらない」政治の混沌のなかで、1953年のソ連人たちは大いに間違って大いに堕落していて大いにくだらないとしても、それでも生命力にあふれて誠実にくだらないことだ。

今の日本でこの生命力と誠実さがあるのは、恐ろしく皮肉なことに、政治家やジャーナリストたちのくだらないコップの中の嵐(原子力が暴走しているのに)なぞとは無縁に、懸命に生き延びる闘いが続いている、震災の被災地だけなのかも知れない。


『フルスタリョフ、車を!』の上映は3月30日(水)18:00〜、渋谷アップリンクFACTORYにて

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