最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

12/19/2011

いわき市、12月

金曜日の晩に、いわき明星大学で『無人地帯』無料試写があったので、金土はいわき市に行って来た。

12月16日撮影 いわき市豊間の四家さん宅

4月22日に撮影した、築140年で津波の直撃を受けながらも構造はびくともしなかったという家は、7ヶ月半建ってもそのまま建っていた。「これは私の建物です。壊さないで下さい」と、4月に持ち主が貼っていた張り紙そのままに。

4月22日撮影、豊間の四家さんご夫妻(映画『無人地帯』より)

この四家さんのご近所で、お宅よりも遥かに新しい、やはり津波に遭った家はもうほとんど取り壊されていて、ぱっと見ただけでは津波で破壊されたことも分からないかも知れない。


元からなにもなかったのと、一見なにも変わらない光景に戻っているのだ。


町の大部分が壊滅してしまった山陸の小さなコミュニティ等とは違って、いわき市は大きな市なので、比率からすれば津波の被害は限られているように数字上は思われがちだ。ほとんどの場所では、一応普通の生活が戻っているようにすら見える。だが津波の被害を受けた人達の困難はまだ始まったばかりだし、個々人の抱えた困難にはなんの変わりもない。

さらにいわゆる「警戒区域」からの避難者も、多くがいわき市の仮設住宅に住んでいる。


今回の震災は「神戸の教訓を活かせ」がかけ声になったが、関西の大都市と東北地方では、比較的温暖な福島県浜通りでもぜんぜん様相は違う。そこをよく考えないで慌てて作ってしまった仮設住宅は、実用的な面だけ考えても、どうみても冬場はあまりにも寒そうだ。

元々断熱材を入れるような設計になっておらず、ところが素材自体が金属など熱伝導が高いもの、ということは外気の寒さがそのまま入って来てしまう作りが、それも山の手の高級住宅地の近くの市有地や、未造成の宅地の区画(ということは、宅地に必ずしも適していない、風が吹きすさぶ丘のてっぺんとか)にボコっと建てられているのだ。

これでは環境自体が、その人達が今までずっと暮して来た、昔ながらの好立地の場所とはあまりに環境が違いすぎるだけでなく、避難先で孤立しろと言っているようなものだし、生活の便も悪過ぎる。ただでさえ仕事がなく収入が断たれている避難者なのに、日々の買い物にも自動車がなければ不便。高齢者ならタクシーしか足がない人も多いだろう。


もう12月で寒いから、つい冬場の断熱材のことが気になってしまうが、トタンの平屋根ということは、直射日光の熱を逃がすことができずに室内にどんどん溜まってしまっていたはずだ。そういう不満はほとんど聞かれていないということは、皆さん我慢していたのだろう。

慌てて建てなければいけなかったのは分かるが、もう少し配慮は出来なったのだろうか?今さら責めてみても仕方がないとはいえ、このような行き当たりばったりの急場しのぎの連続みたいなやり方は、今後は改めて行かなければなるまい。

一方で、もう少し後になって建てた仮設住宅は、屋根も切妻で快適さに配慮したり、しっかりした民間業者や団体に委託されたものは木造だったり、よく出来ているものもある。



「残り物には福がある」とはいえ、これでは初期に仮設に入った人達との格差が大き過ぎて不満や軋轢も産まれそうだ。それがまた、見るからに急場しのぎのそれと隣接して建っていたりするのだ。


神戸モデルの仮設住宅は、2年間という想定で作られている。しかし20km圏内からの避難者がたった2年で元の家に戻れたり、あるいは別の住む場所を見つけられるだろうという保証なんて、どこにもない。

そんな自分たちの力ではどうにもならない、先行きの見えない現状のなかで、避難している人達はこの季節だとクリスマス会など、ささやかな日々の節目節目に、落ち込んでしまったりコミュニティがバラバラにならないように、出来るだけ前向きに生きようとしている。


東京電力では原子炉の冷却に使った水の行き場が足りなくなり、この年の瀬になって海に流すことをいきなり検討し始めた。これだって最初からそうなるのは分かってる話のはずだろうに、なぜ今まで手をこまねいて来ただけなのか?

政府も東京電力も、「東京の」「東大を出た」優秀な、頭のいい人達のはずだ。だがやってることは、先行きをなにも考えないままの行き当たりばったりで、将来的なことはなにも決められないし、現実の問題をあまりに無視した、配慮の欠けたことばかりだ。せめて当事者の話くらいちゃんと聞けばまだ分かることもあるだろうに、そもそも聞く耳を持っていない。

東京のマスコミだって同じことだ。地元の、いちばん困っている人達に何がいちばん必要なのか考えようともせず、主に東京中心の視聴者や読者におもねて、現実とは無関係にそこに “分かり易い” ようにと彼らが考えるような報道しかしない。


そんな中では、秋頃になってやっとエアコンが取り付けられたとか、まだまるで済んでいない仮設も多いという話をするのにも躊躇してしまう。ひどいこととは言え、「駄目だなぁ、しっかりして下さいよ」程度の話であるはずだ。だがその程度の話でもプライドを死守し批判を逃れたいだけの人達は聴こうとしないし、一方でこの程度の話でも「責任をとれ、クビだ」となりかねない。

現代の都市の論理で “分かり易い” 報道とは「責任の所在をはっきりさせる」と称してとにかく叩く相手、悪者を作ることでしかない。

かくして大臣の首は飛び、責任を問われるのを恐れる東京電力は未確認の情報や想定・仮定までも説明不足で公表し(いや、配布する資料に説明は書いてあっても、どうせ記者たちは真面目に読もうともしないのだろう)、一方で考えておかなければならないことはなおざりなのだ。

都会など、「その他の日本」では、原発事故で「安全と安心」が失われたと叫ばれ続け、マスコミは主にその声に応じてのみ報道を続け、インターネットでもそのような言葉ばかりが飛び交う。それが日本の「世論」として均質化されたものであり、地方から発信されることですら、その都会に合わせてテーラーメードされている。

その陰で、あまりにも大きなものが、この一連の災害で失われている。

破壊の映像に息を飲むのは容易い。病気になるかも知れないと騒ぐことも、簡単に出来ることだ。批判する、というより叩く相手を探しまわれば、その対象はそこらじゅうに転がっている(し、実際のところいくらでも批判すべきことだって多い)し、「責任を追及」することで自分は正義だと思えるのなら、楽な話だ。実は自分達が、そのもっとも困っている人達を助けようにもその術すら持っていないことも、忘れられる。

そんな「ここ以外の日本」では、本当はどれだけ大切な物が失われてしまったのか、そのことを見極める努力すら、忘れられてしまっている。

なお、このお宅にお住まいだった四家敬さんご夫妻の避難先にお心当たりのある方は、ご一報頂けると助かります。追記:無事連絡が取れ、続編にも出演して頂く予定です。

【お知らせ】いわき市では年明け、1月14日にも13時半〜、もう一度『無人地帯』の試写を無料で行います。会場:いわき市・磐城緑陰中学校 視聴覚室 お問い合わせは錦つなみ基金まで。同時期に郡山市、福島市などでの試写も検討中です。

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