最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

8/28/2014

「事実」を語る主体について


先週末、テルアヴィヴからアヴィ・モグラビがやって来て、東京で上映と討論があった。原一男さんの「NewCinema塾」の招きである。

アヴィ・モグラビ
まず22日の金曜日に上映されたのが最新作の『庭園に入れば』。昨年インタビューをとらなければならず内覧用のリンクで見ていたのだが、やはり映画は大スクリーンで見るものだと実感。

だいたい、内覧用のビデオファイルはシネマスコープ・サイズじゃなかったじゃないか!



なんだか変な画面だなあと思いつつ、シネスコだとはまったく思っていなかったのは「ドキュメンタリー」に対する偏見もあるんだろうけれど不覚極まりない。 
シネスコで、大画面で見た『庭園に入れば』はとても映像が美しい映画でもあったのだから、まったく情けない…

「二人の人間が主人公なんだからシネスコの方がおさまりがいい」とアヴィは言う。いつもは自作自演の自分が主演のモグラビの映画で彼が写るのは画面のど真ん中。


短編『ちょっと待って、兵隊が来たから電話を切るよ』

それが『庭園に入れば』は30年来の友人で彼のアラビア語の先生でもあるアリ・アル=アズハーリがもう一人の主役になる。


ナザレ近郊のサッフーリア生まれのパレスティナ人でイスラエル国籍も持っているが、生後4ヶ月で1948年のイスラエル独立戦争で避難した結果、一族は「不在地主」ということで家屋敷を接収され、その故郷には今も帰ることが出来ない。


『庭園に入れば』は10月中旬以降に新宿K's Cinemaで開催予定のドキュメンタリー・ドリームショー 山形in東京でも上映予定

原さんの「NewCinema塾」は全体テーマが「セルフ・ドキュメンタリー」というわけで自作自演ドキュメンタリーの名手、必ず自分が写っているモグラビが海外ゲストとして招かれたわけだが、そこで上映されたのは98年のイスラエル建国50年に撮った『ハッピー・バースデーMr.モグラビ』と2000年の第二次インティファーダ勃発直前の8月に撮った『八月 爆発の前に』(2002年の発表なので、これまではてっきりインティファーダの時期だと思っていた)という、自作自演の要素が強い二作品だ。


NewCinema塾は毎月第4土曜日12時20分より、アテネ・フランセ文化センターにて。次回は9月27日、ゲストは中国から呉文光と章梦奇。
原一男

原さんとのディスカッションでモグラビが繰り返したのは、ある事実を語るというその行為が、必然的にそれを語る人間の脳を経て、その価値観や立場や思想に基づいた情報の取捨選択と再構成でしか成され得ないこと、事実を「ありのまま」語るのは不可能であることだ。

当初は『八月」だけの上映予定だったので、急遽『ハッピー・バースデーMr.モグラビ』をプログラムに加えたことは大成功だった。

最新作の『庭園に入れば』と、モグラビ作品のなかで日本で初めて上映された『ハッピー・バースデー』(ともに山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペ作品)を論ずるときに共通して避けて通れないのは、1948年のイスラエルにとっては独立戦争、パレスティナにとっては「ナクバ(大災厄)」、ひとつの歴史的事件から産まれるふたつの歴史叙述、中東における1948年の歴史的事件の二重の意味性だ。


同じ「事実」がそれを誰が語るのか、その主体によってまったく異なった意味をもつ。1948年のパレスティナで起こったことほど、それが明瞭になる例もめったにない。

そして間に13年を経たこの2本の映画では、共に48年をめぐる二つの歴史(イスラエル側とパレスティナ側)が並行して展開し、時に衝突するように見せながら、実は相互に影響し、補完し合い、やがて混然一体となっていく。

実際のところ、この二つを公平で中立かつ客観的に、「事実をありのまま」叙述し得る視点は存在しないだろう。日本ではいかにも公平を装って「第一次中東戦争」と呼んだところで、距離を置いているだけで客観でも公平でもなく、ただ人間的なディテールが欠如した「他人事」にしかならない。

このまったく正反対の二つの歴史叙述を産んだ事件について、なにか本質を表現し得るのは双方の叙述、いや実はもっと千差万別に多様な物語(たとえばイスラエル独立戦争でイスラエルと戦ったのは、レバノン、シリア、ヨルダン、イラク、エジプトのアラブ諸国でもある)を、一方を徹底して見せることで他方を暗示させるか、衝突させ、混沌とさせるか、対話させるしかない。

だからこそ「事実」に関する情報を意識的にせよ無意識にせよ取捨選択し、価値判断をあてはめ、自分の理解できる物語に再構成する主体としての語り手が明確でなければならない。ゆえにモグラビの場合、本人が映画に登場して自分自身を演じることになる。

モグラビは大学や美術学校でドキュメンタリー映画作りを教えてもいるが、「自分が撮っているような映画の作り方を教えないので、学長にいやな顔をされている」と笑う。

教えているのは「ダイレクト・シネマの撮り方」だ。

現実にキャメラを向けることがあくまで出発点で、決して「自分を撮る」ということに興味があって自作自演が始まったわけではない。あくまで「事実を物語として叙述する主体」をめぐる問題意識のなかで、事実を物語に構成する主体を晒すこと、フィクションの枠組みで現実の断片を捕らえ直す、その映画表現の手段として映画のなかに、いわば監督の虚構の分身として、彼の自作自演がある。

映画であれば(ドキュメンタリーであれ、実話を基にフィクションとして構成するのであれ)、それは視点の問題になる。アヴィ・モグラビの映画がアヴィ自身の演ずる(ほとんどの場合フィクショナルな)アヴィ・モグラビを主人公=主体とするのは、その視点を相対化するためであることが、この三本の上映順で、とても明確になった。

アヴィ・モグラビの自作自演要素の入った最初の作品
『私はいかにして恐怖を克服して
アリエル・シャロンを愛するようになったのか』
シャロンに魅了されて妻に逃げられた、というのは無論作りごと

『庭園に入れば』の上映では、二回目に見たというお客さんから、最初は心温まる映画だと思っていたのが、見直したら語られていることの重さが分かってそのギャップに驚いた、という質問があった。

とても遠慮がちで、なかなか言いたいことがはっきりしないのも無理もない話だが、極めて的を得て『庭園に入れば』の本質を突くと同時に、アヴィ・モグラビという映画作家の成熟を指摘していたと思う(し、アヴィもそう思っていた)。




『ハッピー・バースデーMr.モグラビ』では、アヴィが演じる映画監督がイスラエル建国50周年を撮る映画を企画中に、ラマラ(パレスティナ自治区の首都)の教育テレビジョンから、イスラエル領内にあるかつてのパレスティナ人の町や村の痕跡を撮影する依頼を受けてしまう。このフィクションの枠組みで二つの異なった歴史叙述/物語が同時進行で浮かび上がると同時に、アヴィ演じる主人公はどんどん混乱してしまい、しまいにはどちらの企画も完成できない。

それに対し『庭園に入れば』では、10数年前にはひとりの個人のなかで混沌と混乱を引き起こした二つの歴史、二つの物語が、お互いを尊重しながら共生している。

それも遠慮がちな「共存」ではない。

たとえばこの写真は、1950年頃のモグラビ監督の父がパレスティナ人の村に派遣された時に撮られたものだ。


モグラビの父はこれ見よがしに銃を腰に差しているが、戦闘員でなく事務員ではあったのだし、実際にはなんの任務なのか分からない。

つまり撮られた文脈が分からない写真映像は、それを見る主体によって様々な意味を持ち、叙述を発生させ得るし、その写真映像をどう見てどういう叙述をするのかによって、その主体がどういう人間なのかも明らかになる。

パレスティナ人は番号が書かれた札を持っている。それを見たアリ・アル=アズハーリが「番号が入れ墨じゃないだけマシ」とすかさず言う。もちろんホロコーストで捕らえられたユダヤ人には囚人番号が入れ墨されたことにひっかけたブラック・ジョークだ。

いやだいたい、このモグラビ監督の父はイスラエル独立戦争が激化したひとつの大きなきっかけとなったデイルヤシン村の虐殺事件(1948年4月9日、独立宣言の5週間前)を首謀した極右組織イルグンのメンバーだったのだが、それをアヴィが明かすと、アリは「あらためて、はじめまして」と握手の手を差し出す。 
なにかあれば「48年のぶんの賠償金から差し引いてくれ」とか、一時が万事、もっとも深刻な話でさえギャグになってしまう。 
帰ることが出来ない故郷サッフリアで木にぶらさがったサンドバッグを見れば「ナクバ・バッグだ」と言ってパンチして、手がちょっと痛かったらまた「48年のぶんの賠償金」である。 

笑いとブラック・ユーモアの応酬に終始しながら、この写真をめぐるアリの感想はとても重い。

「自分の父親が加害者として写っている写真と被害者として写っている写真のどちらかを選べるとしたら、被害者の息子であることの方が私には楽だ」



現実の生活では加害者=勝者であるイスラエルのユダヤ人が有利で、パレスティナ人が差別もされているのはもちろんだ。

だがそれでも、精神的、道徳的にどちらの側の方が受け入れ易いかと言えば、加害者の子が背負い込む深い葛藤に自分が耐えられるか、アリは自信がないという。それを被害者の側であるパレスティナ人が言うことが、とても深い意味を持つ。


二つの異なった(場合によっては対立する)視点の二つの物語/歴史叙述を一本の映画に構成する上で、重要なのはシネマスコープの画面だ。

これは単にアヴィが冗談半分で言ったように二人の人物を同時に撮るには好都合で、たとえばクロースアップでもツーショットが出来るだけでなく、シングルのアップでも必然的に背景が写り込んでしまう、なにかキャメラが集中しているもの以外のものが必ず画面に入って来て、視点の演出が多中心化してしまう画面サイズだ。


それに加えて、これまでの作品ではモグラビが固定されたキャメラの前で自分自身を演ずることの発展形で、室内なら天井に、自動車のシーンならダッシュボードに固定された、誰がオペレートするのでもないキャメラが、常に人物たちを見つめている。時にはその画面内にキャメラマンがキャメラを持って写り込み、映画の視点は文字通り多様化/多中心化される。


これはドキュメンタリーでありながら(その意味で処女作の『再現』を除けば、『庭園に入れば』はアヴィの映画でもっとも純粋にドキュメンタリーとして撮られた映画で、フィクションの要素は挿入される手紙の朗読だけだ)この映画の映像が劇映画的でもあることにも、つながっている気がする。

アリとユダヤ人の妻との娘、ヤスミン
ドキュメンタリーでは、現実の状況のなかにキャメラがあることが、なんらかの形で必ずその状況に影響を与える。モグラビの『八月』はそのもっとも極端な例でもあり、つまり現実の8月の町を撮りに行ったら、撮れてしまうのは撮影していることにイチャモンをつけたりする人たちばかりだ。

『八月』より、キャメラに向かって話しかけるパレスティナ人労働者
それに対し劇映画では、キャメラの視点が映画として見せられる状況の外にあることが大前提の約束ごとだ。主観ショットという叙述のテクニックはあるにせよ、キャメラとその視点は状況に直接介入しない、登場人物にはその存在が見えていないことになっている。

この固定キャメラは、そうした劇映画のキャメラに近い役割を果たしている。慣れてしまえば廻しっぱなしの固定されたキャメラを現場では誰も意識しなくなるし、構図こそキッチリ決めて固定されていても、なにか現実の状況に対して撮り手の興味でフレーミングが随時決められて行くわけではない。

『八月』本人、妻、プロデューサーの一人三役を演ずるモグラビ
この意味でも、原一男とアヴィ・モグラビという組み合わせはものすごく興味深い。

原はキャメラマン監督であり、オペレーターなしの固定キャメラが導入される『Z32』と『庭園に入れば』以前のモグラビの映画でも、多くの映像がモグラビ自身が撮っているものだ。

『八月』レバノン国境、キャメラに向かって来るジープ
原一男のドキュメンタリー映画における演出とはまずなによりも自分が惹かれた存在にキャメラを向けること、キャメラを持ってその主人公の世界に介入することが出発点であり、そこにこそ原の演出が凝縮されるため、作品の編集には構成についてすら原はほとんどタッチしないにも関わらず、紛れもなく原一男の映画として成立する。


原一男『極私的エロス・恋歌1974』

その原一男が今回、あえて「セルフ」つまり「自分を撮る」ドキュメンタリーに興味を持ってこの連続講座を主催しているのも、不思議といえば不思議だし、だからこそおもしろい。


原一男『ゆきゆきて、神軍』

題名に『極私』が含まれる『極私的エロス・恋歌1974』ですら、原を突き動かしているのは過去の自分の恋愛関係を撮ることよりも、かつて一緒に暮らした武田美由起という女、その破天荒で魅力的な他者と関わりたい、撮りたい欲望だ。

原にとって映画を通した自己表現とは、自分がその他者を見て関わり、撮りたいという欲望であって、だいたい原一男は自分の顔を撮った映像や写真がもの凄く苦手な人ですらある。

原一男、アヴィ・モグラビ
ひたすら他人を撮りたい、しかも完成した映画の叙述構成にはほとんどノータッチで編集の鍋島淳にほとんど口を出さない原の映画が、それでも原の私的な表現であるのは、そのまなざしの欲望がキャメラとなり、演出となっているからであり、撮っている映像からして鍋島は鍋島で、そこに込められた原の撮影/演出以外の方向性では構成のやりようがないのだ。


原一男『さようならCP』

一方、アヴィ・モグラビがキャメラを自分に向けるのは、フィクションとして自作自演する自分であり、『庭園に入れば』では作り事はほとんどないにしても、そのなかのアヴィ自身は「一人の登場人物」である。



この「自らの視点に自覚的である」こと、そして「自らの視点を相対化」すること、その意識がどうも希薄であることが、原一男が「自分を撮るわけではない題材でも、セルフ化が進行している」と指摘する日本のドキュメンタリーの現状の大きな問題である気がする。

なぜ「私」の姿を映画で見せたいのか?

なぜ「私」の想いを観客に直接見て欲しいのか?

この連続講座で以前に「震災をセルフする」というお題でとり上げられた『3.11』では、被災地被災者そっちのけで「死体を撮りたい」という森達也を始め、原発の近くにまで行こうとしたものの勝手に大パニックになっている映画の撮り手達がやたら画面に晒され、最後には津波被災地で遺体にキャメラを向けようとして遺族に怒られる。なぜこの映画は「私は後ろめたかった」と森が言うことでヒットしてしまったのか?

なぜみんな「セルフ」を撮りたがるのか?

なぜ被災地・被災者が主人公のはずの映画で、撮りに行った「私(たち)」が主人公になり、むしろそんな撮り手の混乱にこそ観客が共感するのだろう?

モグラビが繰り返し指摘したように、物語る主体は、実は相対的なものに過ぎない。

我々が被災地に行けば、映画に出て来るのは私たちがたまたま遭遇した風景、なんらかの縁か偶然で会った人たちだけだし、聞いている話はあくまで僕ら相手のものだ。

だがその語る主体の限界性と相対性が、作り手のエゴにとっても、今の日本の観客にとっても受け入れられにくいことこそが、ドキュメンタリー映画を「セルフ」に走らせるのではないか?

それが今のドキュメンタリー映画業界においては、「セルフ」を作りたがる(=「自分を分かって欲しい」と言いたがる)作り手と、一部の(「その気持ちよく分かるわ」と言いたい)観客の共謀関係になっていると同時に、日本社会の全体における大きな問題である気がしてならない。

つまり現代の日本人はむしろ、安心して同化できて全面的に信頼させてくれる「語り手」を盲目的に求めてすらいるのかも知れない。

逆に言えば、自分が語る主体となった叙述ができず、自分の意見が言えないまま、「みんなと同じ」であることに安心する。

たとえば「観察映画」がもてはやされるのはそのせいであり、一見「客観観察」で「セルフ」とは正反対に見えながら、その実コインの裏表でしかないのではないだろうか? 
「みんなと同じ観察をしてみんなと同じ観察結果の感想に達する」ことの安心感が前提だから、たいして絵的に映画的でもエキサイティングでもなく、そこから学べることが完全に予定調和で退屈しかなくとも、むしろ退屈で月並みな単一の見方、単一の結論を持つことが重要なのだ。

この心理は裏返せば、『庭園に入れば』の質疑応答で実はもっとも本質的なことを言ったお客さんが、率直な意見でしかも本質を突いているにも関わらずなかなか自分の言いたいこと/言うべきことを明晰に言えなかったことにも通じる。

イスラエルとパレスティナの問題なら、深刻であるはずだというのが世間の一般了解であるのに、自分は心温まる映画として『庭園に入れば』を見ていた。それはなにか間違ったことなのではないか?それを言ってしまえば周囲から怒られるのではないか?その不安がどうしても先に立ってしまうのは、よく分かる。

そんな世の中で「セルフ・ドキュメンタリー」を撮るのはもの凄く勇気がいるはずで、よくやるよなあ、自分の恥まで晒す覚悟で、とも思いがちなのだが、実はそうではなく、むしろ逆な気がする。

ただそのことはこの原一男さんのシリーズはまだまだ続くのだし、学生の時分からかわいがってもらってテレビのドキュメンタリーも一本撮り、自分の劇映画にも出演してもらった縁で巻き込まれてしまったので、じっくりこの後を観察することで考えて行きたい。


藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』に俳優として出演した原一男
ところで今回のNewCinema塾アヴィ・モグラビ編は実は原さんに頼まれ…というかなにしろ原さんとアヴィの対話である。「他に誰がやるんだ」というわけで通訳をやっていたのだが、アヴィを呼び出す前に原さんが「藤原君がまず自己紹介をしなさい」と言い出すので困った。なにも思いつかないので適当にごまかしたのだが、今思えば失敗したと思っている。

こう言えばよかった。

「僕も映画監督のはしくれですが、セルフは絶対に撮らない監督です」

(撮影:原一男)
僕には自分の「想い」なんてそんなに重要なものだとも思えない。むしろそれは、映画を撮っているあいだに見つけて行くものではないのだろうか?

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