12/21/2007
メがテン…
…と、今さら古くさすぎるかつての流行語で恐縮だが、しかし唖然というか、理解不能というか、「なんでこうなるの?」と言う以外にどう形容したらいいんだろう? 薬害肝炎問題の国側の対応のことである。元々、原告側が期日としていたのは昨日(というか一昨日)で、舛添厚生労働大臣がなんとか首相を説得するから一晩だけ待ってくれ、と言って一日延びたはずだ。なんでもその時、舛添氏は「職を賭してでも」と口走ったそうな。で、職を賭して官邸に乗り込んだはずの舛添氏は目立たぬように裏口から退散したそうだが、それにしてもさすがにここまでひどいとは、想定の範囲を超えています。
どうせ福田内閣が官僚の言いなりになってる限り一律なんてあり得ないし、国の責任の範囲を広くするのだって難しい、というのは分かっていていいはずだと言われればその通り。だいたい原爆症でも水俣病でも、救済範囲を非常識なまでに狭めるのは我が国の冷たい政府の厚生行政では定番なわけだが、でもだからこそ、ならなぜ延々と引き延ばしたのか、というのがまったく意味不明だ。
で、「職を賭した」はずが発表されたのが、元から原告団が拒絶していた、国の責任を認めない範囲の被害者に補償するための「基金」とやらへの出資を30億に増やすからこれをみなさんで山分けしなさいって…。はっきり言って、失礼で人を馬鹿にしているとしか思えない。よほど傲慢な人種なのか、それともこれが他人を愚弄した失礼な言い草だと気づかないほどアホなのか…。元々原告がお金の問題で訴えてるわけじゃなく、目的が薬害の責任追及と根絶だからこそ「全被害者一律」、言い換えれば国が全面的に責任を認めることを要求して来たのはあまりに自明だ。それを意味不明の金を積む金額を増やしてって、どういう神経でそれを「事実上の全員救済」と言っていまさら原告や国民に対して提示できるのか?
だいたい、出来ないのならなぜ「職を賭す」なんて大見得を切ったのか? 今週の「週刊文春」の見出しでは、舛添氏は「ヤルヤル詐欺」と呼ばれている。言い得て妙。
もっと理解不能なのが、政府側の今回の言い訳だ。大阪高裁の和解案からそう逸脱することは、法治国家として出来ない、司法の判断を尊重して、というのだ。あのぉ、そもそも大阪高裁が示したのは「和解案」であって「判決」ではなく、つまり司法の「判断」ではないですよ…。しかも一高等裁判所の和解案であって、まだ最高裁もあるし他の裁判所では異なった判断がいっぱい出ているんですよ。そんなことも分からない人が法治国家の政治を司ってるんですか? 法務省はなにを考えてるんだか。伊吹&町村元文部大臣コンビは、そんな小学校高学年で習うような常識について平然と嘘をついて恥ずかしくないのだろうか?
しかもその大阪高裁の和解案には、付帯意見、というよりそもそもの大前提として「本来なら全被害者一律が理想だが、被告側がまったく譲歩しようとしていない以上、和解としてはこれ以上はできない」と明記してあったはずだ。つい数日前のニュースなのだから、みんな憶えていないとおかしい。それを承知でいけしゃあしゃあと「大阪高裁の和解案」に責任転嫁している舛添の発言にも、さらには「法治国家」云々と原告側を侮辱しているとしか思えない町村、伊吹(しかしここまで倫理観の欠如した人間が、どっちも文部大臣経験者ってのはねぇ…)の発言にも、どこの報道もそもそも大阪高裁の和解案に明記されていたことに言及してのコメントをしないのは、なぜ? 彼らのふりかざしている論理が詭弁であり、まったくのデタラメの大嘘であるのは、一言でも元々の和解案のそのくだりに言及するだけであまりにも明白になるのに。マスコミのみなさんもバカではないはずだから、そのことに気づいているはずだ。なのになぜ言わないの? なにが怖いの? 誰に遠慮しているの? そりゃ当然、政府与党に遠慮しているのだろうが、そんな態度で彼らはマスコミの義務を果たしていると言えるのだろうか?
さらに厚生労働省のいいぶんがもっと凄い。これで責任を追及されたら、「薬事行政が成り立たなくなる」んだそうだ。おひおひ、政府が国として承認している薬に対して国として責任を負えないのなら、そもそも薬事行政も、薬の承認も、まったく意味がないということになっちまうじゃないか。自分らがどれだけアホなこと言っているのかにも、気がつかないのだろうか?
もっと凄い厚生労働省のいいぶんが、「薬に副作用はつきものだ」。命の危険がある副作用のある薬を安易に承認するだけでも「薬事行政ってなにもやってないじゃん」と言われても仕方がないことなのだが、それ以前に、薬害肝炎は「副作用」じゃありません。本来の薬効とまったく関係ない毒物が混入していたのを「副作用」って、どういう神経しているの? 非常識極まりない。
そもそもこの薬害肝炎の原因の大半を占める血液製剤の止血剤フィブリノゲンは、1977年にはアメリカで承認を取り消されて禁止されているのだそうだ。それ以前はまだ「分からなかった、しょうがない」かも知れないし、だから「一律救済」に対する妥協案として「1977年にアメリカで禁止されて以降」というのなら、まだ原告側も納得するかも知れない。そうなるとうちの近親者の場合は恐らく1969年か70年に感染したはずだから除外されてしまうだろうし、そもそもカルテが残ってないから告訴はできないのだが、でもまあ医学や科学に限界がある以上、それはしょうがないとまだ認めもしよう。だが他国ですでに危険性が認識されて禁止された薬物を20年以上放置して来たってのは、どう考えても恐るべき怠慢であり、国に責任があって当たり前だ。しかも、アメリカといえば、旧ミドリ十字がフィブリノゲンなどの血液製剤の材料となる血液の大部分の輸入先にして来たお国ですよ。そのアメリカで禁止されたんだから警戒して当然だろうに。
それにここで国がやるべきことは「救済」ではない。単に自分の責任の範疇の過誤について、遅ればせながら責任を認めることだ。なにを勘違いしてるんだか。肝炎というのがどれだけ辛い病気か、少しは想像してもらいたい。とにかく身体がだるくてなにもできなくなってしまうのだ。原告団があれだけ力強いのは、全身がだるいという状態は精神力で一日くらいならなんとか自分を奮い立たせられるからというだけで、本当ならほとんど寝たきりになってもおかしくないのを、精神力でもたせているんですよ、あれは。言い換えれば、それだけ怒ってる、そのパワーですよ。本人たちに会っていながら、そんなことにも気づかないんでしょうか、我が国の厚生労働大臣は。で、そんなに辛い思いをしなければならなかったのは、そもそも誰のせいなんだよ? それこそが問われているのだということに、まだ気がつかないんだろうか?
政府の責任を出来る限り矮小化しようとした結果出て来る、東京地裁判決の理屈となると、こういう非常識な判決を避けるためには裁判員制度もやむを得ない、とつい思ってしまう。政府が1987年に出した警告文書って、ウィルス感染の危険性などには一切触れず、ただ「必要がない限り極力使用は避けるように」と書かれているだけである。そんなこと市販の風邪薬の注意書きにだって書いてある、薬を使う上での常識。必要でもない薬の使用は極力避けるのなんて、当たり前です。なんでその時にさっさと承認を取り消さなかったのか、といえばその理由は血友病HIVスキャンダルの際にすでに明らかになっているので、みなさん思い出しましょう。ミドリ十字と厚生省が癒着していて、厚生省の役人が患者の安全よりもミドリ十字の利益を優先したからです。
それを金で済ませようなんて、だいたい下品すぎる。財務省は補償にお金がかかる、というので恐怖しているらしいが、金銭による補償よりもまず当時の責任者をきちんと追求し、場合によっては刑事告発も考えると宣言すること、補償金や和解金よりも、治療について国がある程度面倒を見ると同時に、国家プロジェクトとして肝炎の治療の研究に取り組むとか、もっと「政治決断」ならではのできるはずのことがあってもおかしくないのだが。この政治的想像力の欠如も、まったく呆れるしかない。
公明党が「また支持率が落ちる」と恐怖しているそうで、まだ伊吹とか町村に較べれば多少はマシ? 政治があまりに不誠実なのも問題だが、それ以上にバカであることはもっと大きな問題ですよね、どう考えても。あんなこと言ったら原告団が怒るに決まってるじゃん、という程度のことも、この人たちには分からないのだろうか?
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