最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/13/2008

アメリカ自動車産業は没落し、イーストウッドはアメリカ映画を撮る

ビッグ3の救済法案が上院で廃案、アメリカ自動車産業の衰退がアメリカ全体の没落と共に強烈に印象づけられるこの時、というか救済法案がつぶれたその翌日に、御歳78の元ダーティー・ハリー、クリント・イーストウッドの久々の主演作品(で、もちろん監督最新作)の公開である。今回の舞台はかつての自動車産業の都デトロイトで、イーストウッドが演ずるのは退職した元フォードの自動車工場労働者だそうで、NYタイムズの評がつい "a sleek, muscle car of a movie Made in the U.S.A., in that industrial graveyard called Detroit" と書きたくなるのもうなづける、もうタイミングが良すぎてほとんど不気味。

《『Gran Torino』 予告編 》

気がつけばイーストウッドは最後の、本来の意味でのアメリカ映画作家なのかも知れない。レーガン=ブッシュ父12年の共和党政権の末期に自ら “最後の西部劇” と銘打った渾身の『許されざる者』を発表して以来、イーストウッドの映画は常にアメリカ社会のその時々の現実についての、アメリカに生きることを生々しく反射して見る映画、アメリカとはなんなのかを考えさせることをその力として持った映画ばかりだ。一方でアメリカ映画、というかハリウッド映画はアメリカ社会とほとんど関係のない国際市場向けの、「グローバリゼーション」の名の元に均質化して無国籍化した世界向け商品になっている。だいたいアメリカを舞台にしているはずの映画ですら(国内製作費の高騰のせいで)カナダだったりオーストラリア、ニュージーランド、時代物なら旧東欧で撮影されているわけだし。

『許されざる者』だって撮影はカナダで行われていたはずだと言われればそれまでだけど、19世紀が舞台の西部劇、イーストウッド自身が「西部劇」というフィクション映画のジャンルについの映画として作ったつもりだったはずのこの映画、92年8月の全米公開時には、とくにロサンゼルスでは現実社会と無関係に見るわけにはいかない映画になっていた。8月公開の夏休み映画がアカデミー賞をとるのは珍しい。だいたい映画会社は賞狙いの映画は選考・発表時に重なる11月からクリスマス・シーズンに持って来るものだし、つまりワーナーブラザーズは最初、この映画がアカデミー賞を総ナメにするなんて予想もしてなかったに違いない。当時僕はLAに住んでいたのだが、93年に入ればこれが賞をとるのはもうあまりに自明のことだった。

ちなみに僕のその年のアカデミー賞予想は、大当たり、留学先の寮の予測トトカルチョで大勝でした(笑)。って別に自慢するまでもない話で、だって8月の公開からずっと、ロサンゼルスのどこかではこの映画が劇場にかかっていたんだから。そのあいだ確か8回くらいは見たはずだが、しかも公開時はわりとガラガラで、批評だってそんなによかったわけでもないと記憶していたのに、口コミで広がったのだろうか、後になればなるほど、翌年に入った方がむしろ客が多かったくらいなのだ。んでもって、アカデミー賞に投票する会員は要するに映画業界で働く組合・協会員で、多数派はロサンゼルスに住んでますから。

監督イーストウッド予想外の大躍進のワリを喰った大作が、たとえばコッポラがAIDS時代の吸血鬼映画を愛=セックス=死の寓話に仕立てた『ドラキュラ』だったりする。洗練された宣伝キャンペーンに大きな資本がつぎ込まれた話題作だっただけでなく、今見直せば大変な野心作だし、『地獄の黙示録』以来の渾身の傑作なんだろうけれど、公開時は「ぜんぜん怖くない」という印象しかなかったし、AIDS時代のメタファーもなんだか直接の理屈だけで考え過ぎにしか見えなかったのは、比較対象として『許されざる者』の肌身で感じるアクチュアリティが、それだけ強烈すぎたのだろう。

だって92年の8月といえば、LA暴動のわずか三ヶ月後である。しかも僕がたまたま当時住み始めたのが暴動の中心地のサウスセントラル、さっそく『許されざる者』を見に行ったのがハリウッドのチャイニーズ・シアター。途中ではどうやっても韓国人街を通ることになり、すると焼き討ちされた商店がまだそのままなのだ。バスを乗り換えれば黒人の運転手に「Are you Korean?」と訊かれ、慌てて「No no, Japanese」と答えたのも情けないのだが、そうやってたどり着いて見たのがあの『許されざる者』、暴力と銃へのオブセッションと暴力の神話化、さらに銃規制と、そして復讐があらぬ方向に暴発し、暴力が暴力を誘発し、クライマックスでは街の漆黒の空に星条旗がむなしくたなびく、恐ろしくリアルなアメリカと銃と暴力と、力による治安の維持の失敗をめぐる、恐ろしく真摯な映画的考察だったのだ。

もし日本にいたら、LA暴動はアメリカの根深い人種問題の一例としてしか考えられなかったかも知れず、だから『許されざる者』がいかにアクチュアルなアメリカのリアリティについての映画だったのかは、頭でっかちになったままでは分からなかったかもしれない。だが三ヶ月後であっても肌身のリアリティだ。さすがに高給取りの映画関係者はサウスセントラルとかコリアタウンには直接は行かないだろうが、それでも同じ街、同じ社会であるはずの場所の現実だ。この一見難解にも思える瞑想的な西部劇の意味がストレートに突き刺さなければ、アメリカ映画というものはその時点で終わってしまっていただろう。

ちなみに『許されざる者』がずっと公開されていたその年の11月、12年続いた共和党政権は選挙に敗れ、クリントン大統領が翌1月に就任。だがクリントン政権はこの時すでに煮詰まってしまいつつあったアメリカをどう治癒して行くのかに、8年かけてとても限定的なことしか出来ず、経済に関してはむしろ金融資本主義偏重を制度化することで、経済のヴァーチャル化、ウォール街のカジノ化を進めてしまった。もちろんそれ以外に、アメリカのお金の稼ぎどころがなくなっていた、社会政策重視のクリントンに、ではそのための財源はどこにあったかと言うところで、貨幣至上主義にからめとられるしかなかったのだろうけれど。

『スターウォーズ』に始まるレーガン時代とアメリカ映画の第一期非アメリカ映画化から、92、3年あたりには「アメリカ映画」が復活するかに見えたが、だいたい95年の『カジノ』までだよね、そこに映し出されたのはまさに経済のヴァーチャル化、ウォール街のカジノ化のメタファーとしてのラスヴェガス、その破綻まで予見していたのだが。その後アメリカ映画はどんどんつまらなくなって行き、9/11でなにも学習できずにもっとつまらなくなった。あたかも自らの “正しさ” を妄執的に証明しようとするばかり(それはリベラル派の『華氏9/11』でさえ、ブッシュの誤りに対する自らの “正しさ” を繰り返すものでしかなかった)、商業主義の経済性の “正しさ” でマーティン・スコセッシの執念の傑作『ギャング・オブ・ニューヨーク』さえ無惨に破壊され、ロバート・アルトマンは嫌気がさしてイギリス映画を作ったほど。

イーストウッドは違っていたけれど。だいたいイーストウッドの映画くらい “正しさ” の主張を揺さぶり続けるアメリカ映画もないのだが、ミスティック・リバーも硫黄島・二部作(とくに『父親たちの星条旗』)もやはり前者は開戦時、後者の時には泥沼化が進行中のイラク戦争と無関係に見るのは難しい。そのようなタイミングに作られたのは、製作時にそういう映画になるのは分かっていたはずだし、だから時代を意識して反映させていたのかも知れないが、それにしても『許されざる者』の場合はまったくの偶然だろう。暴動が起きたときには、映画はもうほぼ完成していたはずなんだし。

新作『Gran Torino』だって、撮影時には金融危機はまだ起っていないはずだし、自動車メーカー破綻なんて話題にもなっていなかったはずだ。もちろんただそれだけの映画ではないはずで、しばらくアメリカに行く予定もないので、早く日本でも見られるようになるといいのだが、予告編を見ただけでも、驚くほどアメリカ神話の崩壊、新しい時代にかつてのアメリカン・ヒーロー(上の写真のポーズとか、意図的にダーティー・ハリーをなぞっている)がどう変われるのか、あるいは変われずに滅びて行くのか、神話の裏のアメリカの失敗と罪がどこにヒーローを向かわせるのか、そして "United” な国としてのアメリカを再現しようとするオバマの勝利を見越したかのような図像に、満ちあふれている。

『許されざる者』を92年8月から何度も、下手するとひと月に一回はロサンゼルスで見続けたことは、僕にとってもっとも重要な映画体験だったのかも知れない。映画がいかに高度で深い意味で現実と関わり、我々がどう自分の人生や自分を取り囲む世界を見るのかを刺激する表現であり得るのかを、これほど厳しく学んだことはない。もちろんイーストウッドのこの西部劇があのタイミングで公開されたというのも偶然のはずだし、僕がその時期にアメリカに住んでいたのもまったくの偶然のはずだ。

とはいえ、僕にとっては偶然でありラッキーだったのだろうとしても、イーストウッドにとっても本当に偶然だったのか。なるほど、LA暴動は暴動が起るまで、社会はその底にあるものさえ認識してなかったかも知れない。自動車産業の破綻もアメリカ経済の突然の凋落も、突然起って初めて認識されたようにも見えるし、アメリカの失墜も経済危機に伴うものとして理解されがちだ。でもそれは我々が報道などを通してしか現実を見ていないからそう思ってしまうだけで、暴動に至るなにかは綿々とそこで地下水脈が沸騰するように徐々に矛盾が熱を帯びていたのだろう。イーストウッドが『許されざる者』の脚本の権利を買ってから10年待ったというのは、自分では「俳優としてこれを演じられるまで円熟するため」だったというが、本当は静かに、この映画が真のアメリカ映画として意味を持つ時代を待ち続けていたのかも知れない。

GMもクライスラーもフォードもとっくに車が売れなくなっていたのだし、デトロイトの労働者コミュニティの崩壊も何年も、何十年もかけて進んでいたことのはずだ。イーストウッドが報道だとか世の風潮に惑わされることなく、社会がまだ騒いでいない流れに、ずっと敏感だっただけなのかも知れない。映画作家が映画を通して現実と切り結ぶというのは、そういうことでなくてはいけないのかも知れない。

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