…と言ってなんのことかよく分からないイベント名かもしれないが、今年度の前期は慶應大学の教養学部で学生にドキュメンタリーを撮らせる授業を教えてて、その関連で2006年の拙作『ぼくらはもう帰れない』(ベルリン国際映画祭フォーラム部門、ペサロ国際映画祭「未来の映画」最優秀賞、他)を上映することになった。
会場:シネマ・ジャック&ベティ(横浜市中区・最寄り駅:京浜急行黄金町駅5分)
http://www.jackandbetty.net/accessmap.html
日時:6月14日(月)19時10分〜
舞台挨拶&質疑応答あり:藤原敏史(監督)、山田哲弥、霜田敦史、いとう克則(出演者)
※慶應大学の学生向けの上映になりますが(学生証提示で無料)、一般入場料1500円、学生1300円、シニア1000円での、公開のイベントとなります。
もっとも、ドキュメンタリーではなくフィクション映画だし、「世界に目を向ける」よりは自分たち自身を見つめる話なんだけど…。
『ぼくらはもう帰れない』予告編
仏・カイエ・デュ・シネマ誌評
今年のベルリンで最も注目すべき発見。[中略]まるで奇跡のように、実験は作品になり、挑戦は感動になる。『ぼくらはもう帰れない』はそのフォルマリズム的なプログラムを超克し、俳優たちの身体と、大都市の喧噪、そして人物たちのフィクションがデリケートに絡まり合ってこの映画に固有の統一性、その呼吸、その力強さを生み出している。(ジャン=ミシェル・フロドン)
アトム・エゴヤン監督(カナダ)評
ストーリー展開のカジュアルなやり方とユーモアが大好きだ。すべての人物が適確に浮かび上がり、そのいずれもが心に響く。キャメラワークが素晴らしく、とくにある構図をドラマチックな状況の最後までじっと維持し続けるその姿勢は、人間観察というものの意味を即座に分からせてくれる。そして“リアルな演技”をめぐる会話や、自分の顔をポラロイド写真で撮り続ける青年、その彼をビデオカメラを持って追いかける少年を通じて、映画全体がそれ自体の合わせ鏡のようにそれ自身に折り重なっていく感覚、そのすべてがとても愛おしい。
ベルトラン・タヴェルニエ監督(フランス)評
独特のカメラワークは素晴らしく、演出はシャープで生気に満ちている。ところどころおもわず爆笑してしまう。ただリアルな若者の姿を描いているだけでなく、創造をめぐる寓話でもある。
ジャン=ピエール・リモザン監督(フランス)評
この映画の自由さを賞賛したい。俳優たちが 素晴らしく、人生の曲がり角にいながら、とても傷つきやすく、それでいてとても楽しげに、人間 的だ。音の構成は特筆すべきものであり、外の 騒々しさがアパートのなかにも容赦なく入り込 み、東京という都市の商売本位で暴力的な音響の特質をみごとに捉えている。
ロバート・アルトマン監督(アメリカ)評
美しい。
ニコラ・ブラン、プロデューサー(フランス)評
大変な自由をもって作られたと感じさせるそのやり方が、登場人物に対する驚くべき接近感と、この映画独特の香気とも言うべきなにかを発散する。そのなにかが映画の立場、そして我々の観客としての立場を問い直し、そのことがこの映画の大変に緻密な構造を浮かび上がらせる。これは映画において大変に難しいことだ。ラーズ・フォン・トリアーも『イディオッツ』でこれに到達している。
これを見てもう一度東京に行きたくなった。この映画が日本の文化の長所も矛盾も、決してやり過ぎになることなしに映し出しているからだ。この登場人物たちとおしゃべりしてさらに彼らを知りたい、いっしょにもっと時を過ごしたいという気にさせられた。
バルベ・シュロデール(バーベット・シュローダー)監督(フランス)評
この驚くべき演技と知性に溢れた、まったく独創的な映画で、ついに私が見て来たそのままの東京の街を発見することができた。
黒沢 清 監督(日本)評
立派な映画です。そしてかなりおかしい。
『ぼくらはもう帰れない We Can't Go Home Again』
監督・撮影・編集 藤原敏史
音楽・音響構成 ジーモン・シュトックハウゼン
音響監督 久保田幸雄
挿入歌 CRAFT
製作 姜裕文 平戸潤也 高沢裕正 アレクサンドル・ワドゥー 藤原敏史
出演 鳥居真央 霜田敦史 高澤くるみ 香取勇進 山田哲弥
ポスター・デザイン 深谷ベルタ
2006年/日本=ドイツ合作/111分/カラー/35mm 1:1.85
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